富樫昌良の発言 (国旗及び国歌に関する特別委員会)
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○公述人(富樫昌良君) 宮城県教職員組合の富樫でございます。
全国の子供たちとともに日夜奮闘している教職員の良心を踏まえながら、以下に述べる理由で、私は、日の丸を国旗、君が代を国歌とする法案に対して反対の立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
子供たちの個性と人権を最大限に尊重すべき学校教育には、いかなる強制もなじまないということであります。
今、子供たちがさまざまな矛盾を抱え、過度の受験競争の中で人間関係さえも希薄になり、いじめ、暴力、その他の問題行動が増大し、小学校低学年でも学級が成り立たない状態が生まれていることは御存じのとおりだと思います。
一九九二年九月から学校五日制が導入されるとき、文部省の調査研究協力者会議の報告は、子供たちの健全な発達を保障するためには硬直して画一化した学校教育を改革しなければならない、子供と学校にゆとりを取り戻さなければならないと指摘をしております。
そのような状況にあるだけに、現場の教職員は、子供たちに少しでもわかる喜びを味わわせたい、学校の楽しさを経験させたい、さまざまな場面での感動を体験させたいと日夜努力をしております。
初めて学校に入る小学校一年生に対しては、ステージいっぱいに飾りつけをしたり、二、三年生の心を込めた歌や合奏で迎えようと、春休みを返上して教職員は取り組みます。あるいは、六年生や中学校三年の卒業に当たっては、どんなに荒れた子供であっても、その子もみんなで包み込み、感動的な卒業式を経験する中で、自分もかけがえのない人間として認められているんだということ、卒業を教職員も地域の方々もたくさんの方々が祝い、励ましてくれているんだということを感じさせたい。心からそう思って、在校生や教職員は一体となって準備をします。
それぞれの地域性や学校の実態、子供たちの成長の様子を考えながら、入学してくるすべての子供たちが、あるいは卒業生の一人一人が主人公になれるような入学式や卒業式のあり方を考えます。
ところが、この十年は特に、子供たちの思いも教職員の願いも関係なく、日の丸の旗はステージ正面に張ること、修礼で始まり、開式の言葉、君が代斉唱の順で行うことと画一的に強制されることによって、感動的な式になるはずのものが無味乾燥なものになってしまう。そればかりでなく、強制しようとする管理職と学校行事の感動を大事にしようとする教職員の間に無用の対立を生み出すことさえあります。
学校を学校らしくするためにも、学校五日制の調査研究協力者会議の報告のように、これまでの形式化、画一化した物の考え方は乗り越えなければならないと思います。そのためにも、学校教育への強制を前提とした日の丸・君が代の法制化は何としてもやめていただきたいと、心から訴えるものであります。
次に、日の丸は侵略戦争の旗印に使われた歴史があり、君が代は天皇陛下のお治めになる御代が千年も万年も栄えるようにと歌われたまさに天皇賛美の歌であったことは、この間の国会でのやりとりを聞けば、政府の方々も一致して認めている歴史的な事実であります。このような歴史的な事実と照らしても、国民主権や平和主義を原則とする日本国憲法の精神と相入れるものではないし、国旗・国歌として国民の親愛や国際的な理解を得るにはふさわしくないと考えるのが自然ではないでしょうか。
もちろん、全く逆の考え方があることも承知しております。要するに、日の丸・君が代問題は歴史観、戦争観によって評価が完全に相反するものですし、極めて政治的な性格を持つものとなっております。それをいっときの多数派が政治的思惑のもとに教育現場や国民に押しつけるとすれば、それは憲法に保障された基本的人権、思想、信条の自由を侵すことにしかなりません。
特定の政治的立場によってその評価が大きく異なる問題について、議会の多数によってあるいは法律によってもう一方に押しつけることは、個々の人間の思想、信条を規制するものであり、国会が基本的人権そのものを否定し、憲法違反の法律をつくるということになりはしないでしょうか。
国会議員の皆様方に対してこのような発言をすることは極めて礼を失していることかもしれませんが、日本国憲法第九十八条では、わざわざ憲法が最高法規であること、そして第九十九条では、行政、立法に携わる方々や公務員の憲法擁護義務をうたっている意味をぜひとも真剣にお考えいただきたいと思います。
三つ目、文部省は、学習指導要領は大綱的なものであり弾力性を持つものであるという見解を出しています。にもかかわらず、日の丸・君が代の指導だけが義務化され、その取り扱い次第では処分の対象になるということは余りにも理不尽なことであります。
参議院特別委員会での論議や政府答弁を聞いていると、どうやって国民的な議論を広げるか、どうやれば国民大多数の合意をつくれるかという論議ではなく、とにかく法制化が先にありきで、指導しない教員、職務命令に従わない教員は処分できるのかどうか、そういうやりとりになっています。まさに、恫喝をしてでも強制する、そのための根拠づくりが法制化だという感じさえ受けます。
二〇〇二年実施の学習指導要領が来年度から移行措置に入ります。今回の学習指導要領の柱は、豊かな人間性や社会性を育てる、みずから学びみずから考える力を育てる、個性を生かす教育を充実する、特色ある教育、特色ある学校づくりを進めるということにあります。このような教育を実現するためにも、魅力的な教師、人間性豊かな教師を育成するとも言っております。
しかし、歴史の事実や創意的な教育活動を否定して豊かな人間性が育つでしょうか。処分や強制によって魅力的な教師が育つでしょうか。教師や学校に自由な発想を認めずに、どうしてみずから考える人間を育てたり特色ある学校づくりができるでしょうか。
日の丸・君が代の法制化や強制は、学習指導要領をも真っ向から踏みにじることになるばかりではなく、それこそ戦前の誤りを再び繰り返すことになると思うのですが、いかがでしょうか。国会が歴史の歯車を逆回転させることだけはしていただきたくありません。
最後に、何よりもやっと国民的な関心が高まり論議が始まったばかりであり、今拙速に法制化することは、国民の論議を封じ、国旗・国歌に対する国民的合意づくりの機会を奪うものだと思います。
私は、この春の広島における痛ましい事件をむだにしないためにも、政府が法制化を提起したことも、各党の皆様方がそれぞれの立場で発言していることも、マスコミが世論の喚起に役割を果たしていることも、そして多くの国民がそれぞれの考え方を投書したり紙上討論を開始したことも、極めて大事な意味を持っていると考えております。
問題は、国民の意見を聞き、理解を広げたり合意を広げたり、あるいは新たな合意をつくるために努力するのか、それとも民意も手続も無視をして強行し押しつけるのかということであります。
国会では憲法調査会をつくりましたが、この際、国旗・国歌調査委員会もおつくりになってはいかがでしょうか。国民の立場から考えるなら、それだけの重要性があると思います。マスコミだけに任せず、国会の責任で国民の意識調査をされるよう提案いたします。日の丸・君が代がどの程度定着しているのか、国旗・国歌としてふさわしいのかどうか、日の丸にあるいは君が代にかわるものをつくるとすればどういうものがよいのか、公募も含めて国民の率直な意見を集約していただきたいと思います。
必要であれば国旗・国歌選定委員会をつくり、政府が定着しているとお考えであれば日の丸・君が代も選択肢に加えて、幾つかに候補を絞った上で国民投票にかけるという方法もあると思います。
このような努力をした上で日の丸・君が代が多数の支持を得たとなれば、その手続を含めて国民の理解を得ることができると思います。もちろん、その場合でも歴史的事実を否定することは許されませんし、個々の人々の思想、信条や内心の自由を侵してはならないことも憲法上の当然の原則であることは言うまでもありません。
国会がそのような対応をなされば、日本の民主主義は大きく成長するし、国民の信頼を厚くすることができると思います。そのことを心から願って、私の陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございました。