国旗及び国歌に関する特別委員会
⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。
会
会議録情報#0
平成十一年八月五日(木曜日)
午後一時開会
─────────────
委員の異動
八月四日
辞任 補欠選任
本岡 昭次君 佐藤 雄平君
畑野 君枝君 林 紀子君
山本 正和君 清水 澄子君
八月五日
辞任 補欠選任
佐藤 雄平君 本岡 昭次君
山本 保君 山下 栄一君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 岩崎 純三君
理 事
鴻池 祥肇君
溝手 顕正君
江田 五月君
森本 晃司君
笠井 亮君
委 員
市川 一朗君
景山俊太郎君
亀井 郁夫君
中川 義雄君
南野知惠子君
橋本 聖子君
馳 浩君
森田 次夫君
足立 良平君
石田 美栄君
江本 孟紀君
竹村 泰子君
本岡 昭次君
松 あきら君
山下 栄一君
林 紀子君
清水 澄子君
扇 千景君
山崎 力君
事務局側
常任委員会専門
員 志村 昌俊君
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
─────────────
本日の会議に付した案件
○派遣委員の報告
○公聴会開会承認要求に関する件
─────────────
この発言だけを見る →午後一時開会
─────────────
委員の異動
八月四日
辞任 補欠選任
本岡 昭次君 佐藤 雄平君
畑野 君枝君 林 紀子君
山本 正和君 清水 澄子君
八月五日
辞任 補欠選任
佐藤 雄平君 本岡 昭次君
山本 保君 山下 栄一君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 岩崎 純三君
理 事
鴻池 祥肇君
溝手 顕正君
江田 五月君
森本 晃司君
笠井 亮君
委 員
市川 一朗君
景山俊太郎君
亀井 郁夫君
中川 義雄君
南野知惠子君
橋本 聖子君
馳 浩君
森田 次夫君
足立 良平君
石田 美栄君
江本 孟紀君
竹村 泰子君
本岡 昭次君
松 あきら君
山下 栄一君
林 紀子君
清水 澄子君
扇 千景君
山崎 力君
事務局側
常任委員会専門
員 志村 昌俊君
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
─────────────
本日の会議に付した案件
○派遣委員の報告
○公聴会開会承認要求に関する件
─────────────
岩
岩崎純三#1
○委員長(岩崎純三君) ただいまから国旗及び国歌に関する特別委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨日、畑野君枝君及び山本正和君が委員を辞任され、その補欠として林紀子君及び清水澄子君が選任されました。
また、本日、山本保君が委員を辞任され、その補欠として山下栄一君が選任されました。
─────────────
この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
昨日、畑野君枝君及び山本正和君が委員を辞任され、その補欠として林紀子君及び清水澄子君が選任されました。
また、本日、山本保君が委員を辞任され、その補欠として山下栄一君が選任されました。
─────────────
岩
岩崎純三#2
○委員長(岩崎純三君) 国旗及び国歌に関する法律案を議題といたします。
昨日、当委員会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員から報告を聴取いたします。
第一班の報告をお願いいたします。溝手顕正君。
この発言だけを見る →昨日、当委員会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員から報告を聴取いたします。
第一班の報告をお願いいたします。溝手顕正君。
溝
溝手顕正#3
○溝手顕正君 第一班につきまして御報告いたします。
派遣委員は、岩崎純三委員長を団長として、森本晃司理事、笠井亮理事、中川義雄委員、森田次夫委員、佐藤雄平委員、竹村泰子委員、山崎力委員及び私、溝手顕正の九名で、昨四日、仙台市において地方公聴会を開催し、国旗及び国歌に関する法律案につきまして、社団法人仙台青年会議所理事長成田治君、日本キリスト教協議会総幹事大津健一君、郡山地区連合町内会長千葉胞義君、宮城県教職員組合委員長富樫昌良君の四名の公述人から意見を聴取いたしました。
以下、意見の要旨を簡単に御報告申し上げますと、まず、成田公述人から、青年会議所という団体は地球を一つの世界と考えてその未来を考えていこうとしているが、各国との交流の中で最低限のルールは相手国を敬うとともに自分の国を愛することであり、国旗・国歌は国のベースである。
次に、大津公述人から、アジア侵略、植民地化のシンボルである日の丸、及び天皇を賛美し、国民主権の今日にふさわしくない内容を持つ君が代の法制化は、強制化につながる。
次に、千葉公述人から、日の丸・君が代ともに国旗・国歌として国民の間に定着しているが、君が代の歌詞については、可能な限り議論が必要である。
最後に、富樫公述人から、いかなる強制もなじまない学校教育において、大綱的基準である学習指導要領によって日の丸・君が代の指導だけが義務化され、処分されることは理不尽であるなど、それぞれの立場から意見が述べられました。
公述人の意見に対し、各委員より、教育現場の問題を解決する上で法制化がもたらす効果、国旗・国歌を成文化すること、あるいは慣習のままとすることの是非、日の丸・君が代についての正しい歴史教育の必要性、法制化が教育現場にもたらす影響、公教育における合理的な強制の必要性などの質疑が行われました。
なお、会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。
以上、第一班の報告を終わります。
この発言だけを見る →派遣委員は、岩崎純三委員長を団長として、森本晃司理事、笠井亮理事、中川義雄委員、森田次夫委員、佐藤雄平委員、竹村泰子委員、山崎力委員及び私、溝手顕正の九名で、昨四日、仙台市において地方公聴会を開催し、国旗及び国歌に関する法律案につきまして、社団法人仙台青年会議所理事長成田治君、日本キリスト教協議会総幹事大津健一君、郡山地区連合町内会長千葉胞義君、宮城県教職員組合委員長富樫昌良君の四名の公述人から意見を聴取いたしました。
以下、意見の要旨を簡単に御報告申し上げますと、まず、成田公述人から、青年会議所という団体は地球を一つの世界と考えてその未来を考えていこうとしているが、各国との交流の中で最低限のルールは相手国を敬うとともに自分の国を愛することであり、国旗・国歌は国のベースである。
次に、大津公述人から、アジア侵略、植民地化のシンボルである日の丸、及び天皇を賛美し、国民主権の今日にふさわしくない内容を持つ君が代の法制化は、強制化につながる。
次に、千葉公述人から、日の丸・君が代ともに国旗・国歌として国民の間に定着しているが、君が代の歌詞については、可能な限り議論が必要である。
最後に、富樫公述人から、いかなる強制もなじまない学校教育において、大綱的基準である学習指導要領によって日の丸・君が代の指導だけが義務化され、処分されることは理不尽であるなど、それぞれの立場から意見が述べられました。
公述人の意見に対し、各委員より、教育現場の問題を解決する上で法制化がもたらす効果、国旗・国歌を成文化すること、あるいは慣習のままとすることの是非、日の丸・君が代についての正しい歴史教育の必要性、法制化が教育現場にもたらす影響、公教育における合理的な強制の必要性などの質疑が行われました。
なお、会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。
以上、第一班の報告を終わります。
岩
江
江田五月#5
○江田五月君 第二班につきまして御報告いたします。
派遣委員は、鴻池祥肇理事を団長として、亀井郁夫委員、南野知惠子委員、馳浩委員、石田美栄委員、山本保委員、林紀子委員、山本正和委員及び私、江田五月の九名で、昨四日、名古屋市において地方公聴会を開催し、国旗及び国歌に関する法律案につきまして、学校法人山本学園理事長山本春樹君、日本基督教団牧師島しづ子君、名古屋工学院専門学校校長中山清治君、南山大学教授小林武君、日本戦没学生記念会事務局長・名古屋大学名誉教授安川寿之輔君、京都産業大学教授・法学博士所功君の六名の公述人から意見を聴取いたしました。
以下、意見の要旨を簡単に御報告申し上げますと、まず、山本公述人から、教育現場の混乱回避のためにも国旗・国歌の法制化は必要である。国旗・国歌についての教育は海外に出ていく生徒たちのためにも有用である。
次に、島公述人から、日の丸・君が代は戦前の天皇制と切り離せず、また、君が代は、国民主権とは相入れない。国を愛するということは、内面にゆだねられることで、強制することは許されない。
次に、中山公述人から、日の丸・君が代について戦後はイメージが変わり、軍国主義の象徴ではなくなっている。国旗・国歌は慣行として定着しており、法制化を急ぐべきである。
次に、小林公述人から、国民的議論が十分ではなく、また、法制化は思想・良心の自由の侵害を拡大するおそれがある。国旗・国歌の制定については、民主主義、人権の尊重、平和主義に基づくものであることが求められる。
次に、安川公述人から、教育現場での強制は、教育の悪しき政治利用であり、大学生の大多数が法制化反対とのアンケートもある。君が代の「君」が象徴天皇であるというのは差別につながる。
最後に、所公述人から、日本独特の伝統文化である日の丸・君が代について、一段と理解を深めつつ二十一世紀に進んでまいりたい。法制化をチャンスとして、真の日本再建と国際化を実現したいなど、それぞれの立場から意見が述べられました。
公述人の意見に対し、各委員より、日本国憲法制定当時から象徴天皇イコール国家と考えられていたか、国旗・国歌の法制化に向けてはどのような条件がそろえばよいのか、キリスト者として違和感を持つのは国旗・国歌に対してか、日の丸・君が代に対してか、教育現場での教師に対する国旗・国歌の強制は思想・良心の自由に反しないか、日の丸と君が代とでは学生たちの受けとめ方に違いがあるか、などの質疑が行われました。
なお、会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。
以上、第二班の報告を終わります。
この発言だけを見る →派遣委員は、鴻池祥肇理事を団長として、亀井郁夫委員、南野知惠子委員、馳浩委員、石田美栄委員、山本保委員、林紀子委員、山本正和委員及び私、江田五月の九名で、昨四日、名古屋市において地方公聴会を開催し、国旗及び国歌に関する法律案につきまして、学校法人山本学園理事長山本春樹君、日本基督教団牧師島しづ子君、名古屋工学院専門学校校長中山清治君、南山大学教授小林武君、日本戦没学生記念会事務局長・名古屋大学名誉教授安川寿之輔君、京都産業大学教授・法学博士所功君の六名の公述人から意見を聴取いたしました。
以下、意見の要旨を簡単に御報告申し上げますと、まず、山本公述人から、教育現場の混乱回避のためにも国旗・国歌の法制化は必要である。国旗・国歌についての教育は海外に出ていく生徒たちのためにも有用である。
次に、島公述人から、日の丸・君が代は戦前の天皇制と切り離せず、また、君が代は、国民主権とは相入れない。国を愛するということは、内面にゆだねられることで、強制することは許されない。
次に、中山公述人から、日の丸・君が代について戦後はイメージが変わり、軍国主義の象徴ではなくなっている。国旗・国歌は慣行として定着しており、法制化を急ぐべきである。
次に、小林公述人から、国民的議論が十分ではなく、また、法制化は思想・良心の自由の侵害を拡大するおそれがある。国旗・国歌の制定については、民主主義、人権の尊重、平和主義に基づくものであることが求められる。
次に、安川公述人から、教育現場での強制は、教育の悪しき政治利用であり、大学生の大多数が法制化反対とのアンケートもある。君が代の「君」が象徴天皇であるというのは差別につながる。
最後に、所公述人から、日本独特の伝統文化である日の丸・君が代について、一段と理解を深めつつ二十一世紀に進んでまいりたい。法制化をチャンスとして、真の日本再建と国際化を実現したいなど、それぞれの立場から意見が述べられました。
公述人の意見に対し、各委員より、日本国憲法制定当時から象徴天皇イコール国家と考えられていたか、国旗・国歌の法制化に向けてはどのような条件がそろえばよいのか、キリスト者として違和感を持つのは国旗・国歌に対してか、日の丸・君が代に対してか、教育現場での教師に対する国旗・国歌の強制は思想・良心の自由に反しないか、日の丸と君が代とでは学生たちの受けとめ方に違いがあるか、などの質疑が行われました。
なお、会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。
以上、第二班の報告を終わります。
岩
岩
岩崎純三#7
○委員長(岩崎純三君) 公聴会の開会承認要求に関する件についてお諮りいたします。
国旗及び国歌に関する法律案の審査のため、八月九日午前九時に公聴会を開会することとし、公述人の数及び選定等につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、これに賛成の方の挙手を願います。
〔賛成者挙手〕
この発言だけを見る →国旗及び国歌に関する法律案の審査のため、八月九日午前九時に公聴会を開会することとし、公述人の数及び選定等につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、これに賛成の方の挙手を願います。
〔賛成者挙手〕
岩
岩崎純三#8
○委員長(岩崎純三君) 多数と認めます。よって、さよう決定いたしました。
本日はこれにて散会いたします。
午後一時八分散会
─────・─────
〔参照〕
仙台地方公聴会速記録
期日 平成十一年八月四日(水曜日)
場所 仙台市 江陽グランドホテル
派遣委員
団長 委員長 岩崎 純三君
理 事 溝手 顕正君
理 事 森本 晃司君
理 事 笠井 亮君
中川 義雄君
森田 次夫君
佐藤 雄平君
竹村 泰子君
山崎 力君
公述人
社団法人仙台青
年会議所理事長 成田 治君
日本キリスト教
協議会総幹事 大津 健一君
郡山地区連合町
内会長 千葉 胞義君
宮城県教職員組
合委員長 富樫 昌良君
─────────────
〔午後一時開会〕
この発言だけを見る →本日はこれにて散会いたします。
午後一時八分散会
─────・─────
〔参照〕
仙台地方公聴会速記録
期日 平成十一年八月四日(水曜日)
場所 仙台市 江陽グランドホテル
派遣委員
団長 委員長 岩崎 純三君
理 事 溝手 顕正君
理 事 森本 晃司君
理 事 笠井 亮君
中川 義雄君
森田 次夫君
佐藤 雄平君
竹村 泰子君
山崎 力君
公述人
社団法人仙台青
年会議所理事長 成田 治君
日本キリスト教
協議会総幹事 大津 健一君
郡山地区連合町
内会長 千葉 胞義君
宮城県教職員組
合委員長 富樫 昌良君
─────────────
〔午後一時開会〕
岩
岩崎純三#9
○団長(岩崎純三君) ただいまから参議院国旗及び国歌に関する特別委員会仙台地方公聴会を開会いたします。
私は、本日の会議を主宰いたします参議院国旗及び国歌に関する特別委員長の岩崎純三でございます。よろしくお願いいたします。
まずもって、私どもの委員を御紹介いたします。
自由民主党所属の溝手顕正理事でございます。
公明党所属の森本晃司理事でございます。
日本共産党所属の笠井亮理事でございます。
自由民主党所属の中川義雄委員でございます。
同じく森田次夫委員でございます。
民主党・新緑風会所属の竹村泰子委員でございます。
同じく佐藤雄平委員でございます。
参議院の会所属の山崎力委員でございます。
以上の九名でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
国旗及び国歌に関する特別委員会におきましては、目下、国旗及び国歌に関する法律案について審査を行っておりますが、本日は、本法律案につきまして関心をお持ちの関係者の皆様方から貴重な御意見を承るため、当仙台市において地方公聴会を開会することにいたしました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。
社団法人仙台青年会議所理事長成田治公述人でございます。
日本キリスト教協議会総幹事大津健一公述人でございます。
郡山地区連合町内会長千葉胞義公述人でございます。
宮城県教職員組合委員長富樫昌良公述人でございます。
以上の四名の方々でございます。
この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
皆様方におかれましては、御多忙のところ、また連日の暑い中、御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。本日は、皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の法案審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
次に、議事の進め方について申し上げます。
まず、成田公述人、大津公述人、千葉公述人、富樫公述人の順序で、それぞれ十分程度御意見をお述べいただいた後に各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず成田公述人から御意見をお述べいただきたいと存じます。成田公述人。
この発言だけを見る →私は、本日の会議を主宰いたします参議院国旗及び国歌に関する特別委員長の岩崎純三でございます。よろしくお願いいたします。
まずもって、私どもの委員を御紹介いたします。
自由民主党所属の溝手顕正理事でございます。
公明党所属の森本晃司理事でございます。
日本共産党所属の笠井亮理事でございます。
自由民主党所属の中川義雄委員でございます。
同じく森田次夫委員でございます。
民主党・新緑風会所属の竹村泰子委員でございます。
同じく佐藤雄平委員でございます。
参議院の会所属の山崎力委員でございます。
以上の九名でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
国旗及び国歌に関する特別委員会におきましては、目下、国旗及び国歌に関する法律案について審査を行っておりますが、本日は、本法律案につきまして関心をお持ちの関係者の皆様方から貴重な御意見を承るため、当仙台市において地方公聴会を開会することにいたしました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。
社団法人仙台青年会議所理事長成田治公述人でございます。
日本キリスト教協議会総幹事大津健一公述人でございます。
郡山地区連合町内会長千葉胞義公述人でございます。
宮城県教職員組合委員長富樫昌良公述人でございます。
以上の四名の方々でございます。
この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
皆様方におかれましては、御多忙のところ、また連日の暑い中、御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。本日は、皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の法案審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
次に、議事の進め方について申し上げます。
まず、成田公述人、大津公述人、千葉公述人、富樫公述人の順序で、それぞれ十分程度御意見をお述べいただいた後に各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず成田公述人から御意見をお述べいただきたいと存じます。成田公述人。
成
成田治#10
○公述人(成田治君) 私は、社団法人仙台青年会議所で理事長を務めさせていただいております成田と申します。
本日は、本法案に関しまして、青年会議所の運動に携わっている立場から御意見を申し述べさせていただきたいというふうに考えております。
まず、本法案の成立に関して、私といたしましては賛意を表したいものというふうに考えております。
理由はさまざまございますが、まず、これだけ国民の心に定着しているものを今さら違うものと言うことに何の意味があるのかなということでございます。そして、なぜ今まで法制化をしていなかったかということに関して甚だ疑問を感じているというところがまずその趣旨でございます。
我々の団体は、日本では約七百五十の青年会議所がございまして、会員数約六万人、そして世界百カ国にわたる団体でございます。
第二次大戦後、日本がまだバッシングされていたいわゆるサンフランシスコ講和条約前に既に、日本が世界に対してこの団体に所属することを表明したときに受け入れをしていただいたという経緯がございまして、現在でもその百カ国の仲間と地球の未来について議論を重ねているところであります。
そして、その大きなテーマの一つに地球市民という考え方がございまして、これは、それぞれが国を超えて地球を一つの国家と考えてその未来を考えていきましょうということでございます。
その中で、各国の代表者の皆さんと率直な議論を交わしているところでありますが、そんな私たちの中で最低限のルールというのは、お互いの国にまず敬意を払って、そして我々としては、まず自分の町を愛すること、そして国を愛すること、そしてそれから、それを最低条件にして地球を愛することというのが我々の必須項目なのであります。したがって、どんな国のメンバーでも、その国を愛さない者、そして自分の国の国旗や国歌に敬意を払わない者はいないのです。
今回の法案に関して、実はそのJCの活動を通じた友人の各国の皆さんにいろいろとお尋ねをしてみました。非常に反応は冷ややかでございました。むしろ、嘲笑に近い部分があったんじゃないかなというふうに思うんです。
それは、彼らとしては、では、我々がさまざまなスポーツの大会でありますとか場面を通して敬意を払っていたあなたの国の国旗や国歌は一体今まで何だったんですかと。例えば、この法案に関しまして、戦争のイメージでありますとか、その当時行われたとされている略奪や残虐行為のイメージとイコールとする方、それとすりかえる方がおられますが、そういう安易な発想で国際を考えるのが日本人の悪い癖であるというのが彼らの率直な感想でありますし、私もそのように考えます。
例えば、国旗や国歌を否定したり変えるということで我々が犯してしまった愚かな行為をすりかえることは決してできないわけでありますし、残念ながら、戦争という愚かな行為を人間がしているときにはどんな国でも同じようなことを考えておったわけでございます。
そして、法制化に関しては、各国それぞれ、している国、していない国がございますが、国旗の成り立ちでありますとか、国歌の成り立ちに関して情報が入っているということでその認識をしていても、それに今さら疑問を感じるというナショナリズムの欠如というのはほかの国では考えられないことなのであります。あるいは、その国旗や国歌の成り立ちに我々が疑問を感ずるのであっても、政府、そして日本の国としてシステムで今の正しい姿をあらわしていれば何ら問題はないんではないかというのが私の意見でございます。
むしろ、彼らから聞かれた大きな声の一つに広島の悲しい事件がございました。教育の現場でのいさかいから非常に不幸な結果を招いたということに関して、彼らも私も同じような意見でございましたが、彼らが非常に憤りを感じたのは、そこに教育を実際に受ける子供の存在というのが不在であったということ。そして、自分の主義や主張を通すために人間の命が犠牲になってもいいのでしょうか。それは、だれも大きな声で申し上げられませんが、犯罪に近いものであるというふうに考えております。
まず国旗や国歌というのはこの国のベースでありまして、国会議員の皆様が論ぜられる政策や外交というものはその後に来るものではないでしょうか。
最後に申し上げたいのは、日本人として国のありようを議論するのが国会であるというふうに我々は習っております。そのとおり日本のかじ取りが国会なのであれば、皆さんも御承知のとおり、国籍のない船は出帆はできないわけですから、この国としてのベース、本法案は一日も早く成立に結びつけていただきまして、こんなに多くの先生方が御足労いただく前に、ほかに、今日本は大変厳しい立場におるわけでございますから、一日も早く外交に経済に、さらには地球意識的な政策を打ち出すことが二十一世紀の日本に求められる姿と信じておりますので、本法案の一日も早い成立とともに、新しい日本の姿を世界に発信していただきたいと考えるところであります。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →本日は、本法案に関しまして、青年会議所の運動に携わっている立場から御意見を申し述べさせていただきたいというふうに考えております。
まず、本法案の成立に関して、私といたしましては賛意を表したいものというふうに考えております。
理由はさまざまございますが、まず、これだけ国民の心に定着しているものを今さら違うものと言うことに何の意味があるのかなということでございます。そして、なぜ今まで法制化をしていなかったかということに関して甚だ疑問を感じているというところがまずその趣旨でございます。
我々の団体は、日本では約七百五十の青年会議所がございまして、会員数約六万人、そして世界百カ国にわたる団体でございます。
第二次大戦後、日本がまだバッシングされていたいわゆるサンフランシスコ講和条約前に既に、日本が世界に対してこの団体に所属することを表明したときに受け入れをしていただいたという経緯がございまして、現在でもその百カ国の仲間と地球の未来について議論を重ねているところであります。
そして、その大きなテーマの一つに地球市民という考え方がございまして、これは、それぞれが国を超えて地球を一つの国家と考えてその未来を考えていきましょうということでございます。
その中で、各国の代表者の皆さんと率直な議論を交わしているところでありますが、そんな私たちの中で最低限のルールというのは、お互いの国にまず敬意を払って、そして我々としては、まず自分の町を愛すること、そして国を愛すること、そしてそれから、それを最低条件にして地球を愛することというのが我々の必須項目なのであります。したがって、どんな国のメンバーでも、その国を愛さない者、そして自分の国の国旗や国歌に敬意を払わない者はいないのです。
今回の法案に関して、実はそのJCの活動を通じた友人の各国の皆さんにいろいろとお尋ねをしてみました。非常に反応は冷ややかでございました。むしろ、嘲笑に近い部分があったんじゃないかなというふうに思うんです。
それは、彼らとしては、では、我々がさまざまなスポーツの大会でありますとか場面を通して敬意を払っていたあなたの国の国旗や国歌は一体今まで何だったんですかと。例えば、この法案に関しまして、戦争のイメージでありますとか、その当時行われたとされている略奪や残虐行為のイメージとイコールとする方、それとすりかえる方がおられますが、そういう安易な発想で国際を考えるのが日本人の悪い癖であるというのが彼らの率直な感想でありますし、私もそのように考えます。
例えば、国旗や国歌を否定したり変えるということで我々が犯してしまった愚かな行為をすりかえることは決してできないわけでありますし、残念ながら、戦争という愚かな行為を人間がしているときにはどんな国でも同じようなことを考えておったわけでございます。
そして、法制化に関しては、各国それぞれ、している国、していない国がございますが、国旗の成り立ちでありますとか、国歌の成り立ちに関して情報が入っているということでその認識をしていても、それに今さら疑問を感じるというナショナリズムの欠如というのはほかの国では考えられないことなのであります。あるいは、その国旗や国歌の成り立ちに我々が疑問を感ずるのであっても、政府、そして日本の国としてシステムで今の正しい姿をあらわしていれば何ら問題はないんではないかというのが私の意見でございます。
むしろ、彼らから聞かれた大きな声の一つに広島の悲しい事件がございました。教育の現場でのいさかいから非常に不幸な結果を招いたということに関して、彼らも私も同じような意見でございましたが、彼らが非常に憤りを感じたのは、そこに教育を実際に受ける子供の存在というのが不在であったということ。そして、自分の主義や主張を通すために人間の命が犠牲になってもいいのでしょうか。それは、だれも大きな声で申し上げられませんが、犯罪に近いものであるというふうに考えております。
まず国旗や国歌というのはこの国のベースでありまして、国会議員の皆様が論ぜられる政策や外交というものはその後に来るものではないでしょうか。
最後に申し上げたいのは、日本人として国のありようを議論するのが国会であるというふうに我々は習っております。そのとおり日本のかじ取りが国会なのであれば、皆さんも御承知のとおり、国籍のない船は出帆はできないわけですから、この国としてのベース、本法案は一日も早く成立に結びつけていただきまして、こんなに多くの先生方が御足労いただく前に、ほかに、今日本は大変厳しい立場におるわけでございますから、一日も早く外交に経済に、さらには地球意識的な政策を打ち出すことが二十一世紀の日本に求められる姿と信じておりますので、本法案の一日も早い成立とともに、新しい日本の姿を世界に発信していただきたいと考えるところであります。
ありがとうございました。
岩
大
大津健一#12
○公述人(大津健一君) 私は、既に先生方のお手元に資料を渡してありますので、それに基づいて発言をさせていただきます。
私は、日の丸・君が代を国旗・国歌と制定するための国旗及び国歌に関する法律案に反対します。これから述べることは、その反対の理由です。
日の丸は、戦前、戦中、日本が侵略し、日本の植民地となったアジアの国々に対する日本の支配のシンボルとして掲げられていました。私は、一九八六年から九四年までの八年間、アジアのキリスト教関係の国際団体、アジアキリスト教協議会で働いた経験を持っております。アジアの多くのキリスト者やそうでない人々との出会いを通して、多くのアジアの人々が、五十数年たった今日も、日本の侵略や植民地支配に対して深い心の傷を持ち、日本人を許していないことを知らされました。また、政府は、今日までアジアの戦争被害者に対して、その補償と正式な謝罪を怠ってきました。このような中で、日本の侵略戦争のシンボルであった日の丸を国旗として認めることはできません。
君が代は、天皇を賛美する歌です。
一九三一年発行のキリスト教の賛美歌には、本書の歌にあらずとして、君が代が収録されていました。また、キリスト教の礼拝式の中で宮城遥拝が行われ、国歌奉唱が義務づけられていました。キリスト教会は、国家によって強制されたにせよ、神ならざるもの天皇を神として礼拝し賛美した誤りを犯したことに深い悔い改めの思いを持ってここにおります。
一九三七年の小学校の教科書は、君が代について、我が天皇陛下のお治めになるこの御代は、千年も万年も、いや、いつまでもいつまでも続いてお栄えになるようにという意味だと教えました。この同じ君が代を政府は、君が代の「君」は、今の憲法では国と国民統合の象徴である天皇と語り、小渕首相は、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指すと説明しております。
しかし、一九八九年の新天皇の即位の礼や大嘗祭は、天皇が特別な神的権威を持つ宗教的存在であることを示しました。
このような宗教的存在である天皇を賛美する歌、君が代を法制化して強制することは、私たちの魂の問題に介入することであり、憲法に保障された私たちの信教の自由を侵害するものであります。
日の丸・君が代法制化は、強制化になると申し上げたいと思います。
広島世羅高校の校長の自死は、教育委員会の学校指導要綱による日の丸・君が代の強制によるものと言われております。秋田市中学校総合体育大会の開会式で来賓のお一人が、日の丸の掲揚、君が代斉唱時に座っていた人に、起立しなかった人はこの会場から出ていっていただきたいと言ったと伝えられていますが、法制化によってこういう発言はもっと露骨になされる可能性があります。
東京都教育委員会は、君が代伴奏を拒否した小学校のピアノ教師を地方公務員法に反したということで戒告処分を与えましたが、法制化後、こういうケースが起これば、もっと厳しい処分が行われるものと予想されます。
今月二日の皆さん方の国旗・国歌特別委員会で文部省の矢野重典教育助成局長は、教職員が国旗・国歌の指導に矛盾を感じ、思想、良心の自由を理由に指導を拒否することまでは保障されていないと述べ、処分の対象になると言ったことは、法制化が現場の教師にはっきりと強制力を持つものであることを物語っております。
日の丸を掲揚し、君が代を斉唱する自由があるとともに、自己の良心に従って日の丸・君が代を拒否する自由もあると考えるのが妥当であります。
昨今のマスコミによる世論調査では、国民の間に法制化反対の意見が賛成の意見よりも大きくなっている現実の中で、国民の間に定着しているという理由だけで法制化をすることは、多くの国民の意思を無視することであり、それこそ憲法で保障された良心、思想、信教の自由を侵害することになります。
日本の過去の侵略の歴史に誠実に向き合おうとしている多くの教師たちが、文部省による日の丸・君が代の押しつけという現実の前で苦しんでいることを、特別委員会の皆さんはどれほど知っておられるでしょうか。法制化することは、苦しんでいる教師たちに日の丸・君が代の踏み絵を踏ませることになり、教師の心に深い傷を残すことになります。
日の丸・君が代を強制することは、教育基本法に定められた教育の自主性、自発性の尊重と矛盾することではないでしょうか。教師たちの良心の自由はどうなりますか。良心を持つ教師は要らないということでしょうか。教育の中心は、あくまでも一人一人の人格を持つ子供たちでありまして、国家のしるしとされる日の丸・君が代を強制することではありません。
日の丸・君が代の法制化は、国家権力が教師や生徒や私たちの魂の内面まで入り込んで、私たちの魂を支配することになります。私は、私の神への信仰にかけてそれを認めることはできません。
今日、日の丸・君が代の法制化に反対する人々の声が日々大きくなり、国民の考えが二分されているというふうに私は考えております。そして、この問題に対する十分な議論がなされないまま、皆さん方の特別委員会はもうすぐ採決をするのではないか、あるいは本会議で採決される日が近いというふうにマスコミなどで報じられております。
私は、参議院は衆議院と違って良識の府であるというふうに思っておりまして、参議院が、国民が法制化についていろいろな疑義を表明しているこの現実の中で、ほんのわずかな審議の時間しかとらず、採決を拙速に行おうとすることは、私は参議院の本来のあり方からいっておかしいというふうに思っております。そして、このままで採決するならば、私は議会政治が本当に信頼をなくしていくことになるのではないか、そのように考えております。
このような意味で、この問題について、ここで採決をして決着するのではありませんで、慎重に審議する時間を設けていただいて、次の国会で国民の幅広い論議する場所を設けていただいて、そして継続審議としていただくこと、そのことを心から願っております。
この発言だけを見る →私は、日の丸・君が代を国旗・国歌と制定するための国旗及び国歌に関する法律案に反対します。これから述べることは、その反対の理由です。
日の丸は、戦前、戦中、日本が侵略し、日本の植民地となったアジアの国々に対する日本の支配のシンボルとして掲げられていました。私は、一九八六年から九四年までの八年間、アジアのキリスト教関係の国際団体、アジアキリスト教協議会で働いた経験を持っております。アジアの多くのキリスト者やそうでない人々との出会いを通して、多くのアジアの人々が、五十数年たった今日も、日本の侵略や植民地支配に対して深い心の傷を持ち、日本人を許していないことを知らされました。また、政府は、今日までアジアの戦争被害者に対して、その補償と正式な謝罪を怠ってきました。このような中で、日本の侵略戦争のシンボルであった日の丸を国旗として認めることはできません。
君が代は、天皇を賛美する歌です。
一九三一年発行のキリスト教の賛美歌には、本書の歌にあらずとして、君が代が収録されていました。また、キリスト教の礼拝式の中で宮城遥拝が行われ、国歌奉唱が義務づけられていました。キリスト教会は、国家によって強制されたにせよ、神ならざるもの天皇を神として礼拝し賛美した誤りを犯したことに深い悔い改めの思いを持ってここにおります。
一九三七年の小学校の教科書は、君が代について、我が天皇陛下のお治めになるこの御代は、千年も万年も、いや、いつまでもいつまでも続いてお栄えになるようにという意味だと教えました。この同じ君が代を政府は、君が代の「君」は、今の憲法では国と国民統合の象徴である天皇と語り、小渕首相は、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指すと説明しております。
しかし、一九八九年の新天皇の即位の礼や大嘗祭は、天皇が特別な神的権威を持つ宗教的存在であることを示しました。
このような宗教的存在である天皇を賛美する歌、君が代を法制化して強制することは、私たちの魂の問題に介入することであり、憲法に保障された私たちの信教の自由を侵害するものであります。
日の丸・君が代法制化は、強制化になると申し上げたいと思います。
広島世羅高校の校長の自死は、教育委員会の学校指導要綱による日の丸・君が代の強制によるものと言われております。秋田市中学校総合体育大会の開会式で来賓のお一人が、日の丸の掲揚、君が代斉唱時に座っていた人に、起立しなかった人はこの会場から出ていっていただきたいと言ったと伝えられていますが、法制化によってこういう発言はもっと露骨になされる可能性があります。
東京都教育委員会は、君が代伴奏を拒否した小学校のピアノ教師を地方公務員法に反したということで戒告処分を与えましたが、法制化後、こういうケースが起これば、もっと厳しい処分が行われるものと予想されます。
今月二日の皆さん方の国旗・国歌特別委員会で文部省の矢野重典教育助成局長は、教職員が国旗・国歌の指導に矛盾を感じ、思想、良心の自由を理由に指導を拒否することまでは保障されていないと述べ、処分の対象になると言ったことは、法制化が現場の教師にはっきりと強制力を持つものであることを物語っております。
日の丸を掲揚し、君が代を斉唱する自由があるとともに、自己の良心に従って日の丸・君が代を拒否する自由もあると考えるのが妥当であります。
昨今のマスコミによる世論調査では、国民の間に法制化反対の意見が賛成の意見よりも大きくなっている現実の中で、国民の間に定着しているという理由だけで法制化をすることは、多くの国民の意思を無視することであり、それこそ憲法で保障された良心、思想、信教の自由を侵害することになります。
日本の過去の侵略の歴史に誠実に向き合おうとしている多くの教師たちが、文部省による日の丸・君が代の押しつけという現実の前で苦しんでいることを、特別委員会の皆さんはどれほど知っておられるでしょうか。法制化することは、苦しんでいる教師たちに日の丸・君が代の踏み絵を踏ませることになり、教師の心に深い傷を残すことになります。
日の丸・君が代を強制することは、教育基本法に定められた教育の自主性、自発性の尊重と矛盾することではないでしょうか。教師たちの良心の自由はどうなりますか。良心を持つ教師は要らないということでしょうか。教育の中心は、あくまでも一人一人の人格を持つ子供たちでありまして、国家のしるしとされる日の丸・君が代を強制することではありません。
日の丸・君が代の法制化は、国家権力が教師や生徒や私たちの魂の内面まで入り込んで、私たちの魂を支配することになります。私は、私の神への信仰にかけてそれを認めることはできません。
今日、日の丸・君が代の法制化に反対する人々の声が日々大きくなり、国民の考えが二分されているというふうに私は考えております。そして、この問題に対する十分な議論がなされないまま、皆さん方の特別委員会はもうすぐ採決をするのではないか、あるいは本会議で採決される日が近いというふうにマスコミなどで報じられております。
私は、参議院は衆議院と違って良識の府であるというふうに思っておりまして、参議院が、国民が法制化についていろいろな疑義を表明しているこの現実の中で、ほんのわずかな審議の時間しかとらず、採決を拙速に行おうとすることは、私は参議院の本来のあり方からいっておかしいというふうに思っております。そして、このままで採決するならば、私は議会政治が本当に信頼をなくしていくことになるのではないか、そのように考えております。
このような意味で、この問題について、ここで採決をして決着するのではありませんで、慎重に審議する時間を設けていただいて、次の国会で国民の幅広い論議する場所を設けていただいて、そして継続審議としていただくこと、そのことを心から願っております。
岩
千
千葉胞義#14
○公述人(千葉胞義君) 千葉でございます。
私は、以前教職に携わったことがあるものですから、そのこともこの中で述べさせていただきたいなというふうに思っております。
まず最初に、国旗・国歌のことでございますが、国旗については、明治三年に船舶に掲揚すべき国旗の制式というのが決まった。それから、昭和二十六年に天野文部大臣が国旗掲揚、国歌斉唱が望ましいという談話を発表しておる。昭和五十年には、総理府の世論調査によりますと、日の丸を国旗としてふさわしいというのが八四%あったというような記録がございます。
一方、君が代については、明治十三年、現行の曲を持つ君が代が完成したと言われておる。そして、明治二十年代あたりからこの君が代は国民に定着しつつあった。昭和三十三年には、国民の祝日に君が代斉唱が望ましいということで文部省指導要領にちゃんと載っている。昭和五十年にこの君が代の世論調査をやりました。そうしたら、国歌としてふさわしいものと思うというのが七七%あったというデータがございます。
その間のことは随分抜きましたけれども、こういうことを一方で考えると、日の丸と君が代というのは、そういう歴史的なことを考えてくるとやっぱり慣行によってそれなりにやられておったということが言えるだろうと思います。したがいまして、それがずっと続いておったということは、広く国民に定着しておったのではないか、あるいは現在は定着しておるというふうに私は考えております。
それから、国際間でも日本は日の丸と。それから、外国に行って、あるいは日本でも同じですが、いろいろスポーツなどで日の丸が上がる場合にはやっぱり君が代だろうと、これも定着している。それから、外国を訪問したときなどは、やっぱり日の丸であり、君が代であると。先ほど申し上げたスポーツにおいてもしかり、それから船舶も同じ、航空機などにも明示され、マークがついている、いわば運輸関係等にはそういうことが非常に多い。いわゆる、国際間でお互いに尊重されているということが言えるだろうというふうに思います。
日本民族は、大変私はすばらしい民族だな、非常に伝統のある民族だなというふうに思っております。かつて私が外国旅行したときに、非常に安堵の胸をなでおろしたことがございます。それは、大変疲れておった体ではございましたが、日章旗が掲げられてあった。ああ私もやっぱり日本人だ、やっぱり日本という国は、こういうふうにここまで来ても日章旗を掲げられているんだ、そういう日本の国のありがたさといいましょうか、そういう安堵感を旅行をしたときにつくづく感じ、大変に熱い思いをし、また涙も出るぐらいの感動の仕方であったというふうに私は心に今秘めておるわけでございます。
そういうことを考えると、やっぱり国歌・国旗は定着している。したがいまして、これを法制化して、そして日本国民として、あるいは外国の方々にも、これが日本の国旗・国歌であると正々堂々と胸を張って言える日本の国でありたいというふうに思うわけでございます。
ただ、君が代の歌詞については、いろいろありますけれども、これはやっぱり可能な限り時間をかけて、そして広く声を聞ける、あるいは聞く、そういう手だてが、やっぱり残された時間でやれるだけのことは必要ではなかろうかというふうに思っております。
なお、町内会などでも、このことについて特に検討会を設けるとか談話会を設けるとかということは議題としては上げませんでしたけれども、お互いの情報としてこういうことにたびたび触れております。そうすると、やっぱりこれはちゃんと定着しております、むしろ遅過ぎた、なぜこういうことについていま少し早く取り上げなかったのかという意見もございます。したがいまして、先ほど申し上げましたが、これを早くきちんとおさめていただきたいなというふうに思います。
次に、ちょっと今のことに関連しますが、小中学校の実施状況、平成十年度の入学式の場合ですが、国旗掲揚が小中学校で九八%ありました。同じく国歌斉唱は八七%実施しております。ということは、やっぱりそれだけ定着しつつあるんだと。ところが、府県によっては一〇〇%実施した県もございますという記録がございます。ということをまず最初に申し上げ、その次に、学校の教職に携わった関係があるものですから、学習指導要領とそれの取り扱いといいましょうか、指導ということについてちょっと触れさせていただきます。
これは、社会の中で小学校三、四年、それから同じく社会で小学校の六年、我が国の国旗・国歌の意義を理解させ、尊重する態度を育てる、諸外国の国旗・国歌も尊重する態度を育てるよう配慮するというふうに学習指導要領に明記してある。
それから、小学校の特別活動というのがございますが、中学校にもございますけれども、その特別活動では、入学式、卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗掲揚、国歌斉唱するよう指導するというふうにうたってあります。
それから、中学校の社会の公民という時間ですが、その中にもこういう一文がございます。国家間の相互の主権の尊重と協力の中で、国旗・国歌の意義を相互に尊重することが国際的な儀礼であることを理解させ、それらを尊重する態度を育てるよう配慮すると、こういうふうに指導要領に載っている。
ところが、現場においては、必ずしもこの取り扱いが同じような取り扱いにはなっていない。私が勤めておったときも、声を高らかにして反対と言うことはなかったけれども、取り扱いの態度はやはりその度合いがそれぞれに違っておった。これを取り扱うという方向の方もおれば、いや、これはそのままにしておいた方がいいのではないかとか、あるいは中間的な立場に立っている教職員というのもあります。
そういうふうに、学校現場では、やはりそういうような姿勢が一貫していなければ、方針が一貫していなければ被害をこうむるのは子供たちだというふうに思います。非常に子供たちは迷惑する。やっぱりお互いに話をして、理解すべきは理解し、そして法に制定されたのであれば、それは日本国民、公務員として守るべきは守るという態度が、これからの日本なり国際社会にとっては非常に大事ではなかろうかというふうに思うわけでございます。
したがいまして、国旗の制定、国歌の制定、これはその方向で進んでいただければというふうに思います。
以上でございます。終わります。
この発言だけを見る →私は、以前教職に携わったことがあるものですから、そのこともこの中で述べさせていただきたいなというふうに思っております。
まず最初に、国旗・国歌のことでございますが、国旗については、明治三年に船舶に掲揚すべき国旗の制式というのが決まった。それから、昭和二十六年に天野文部大臣が国旗掲揚、国歌斉唱が望ましいという談話を発表しておる。昭和五十年には、総理府の世論調査によりますと、日の丸を国旗としてふさわしいというのが八四%あったというような記録がございます。
一方、君が代については、明治十三年、現行の曲を持つ君が代が完成したと言われておる。そして、明治二十年代あたりからこの君が代は国民に定着しつつあった。昭和三十三年には、国民の祝日に君が代斉唱が望ましいということで文部省指導要領にちゃんと載っている。昭和五十年にこの君が代の世論調査をやりました。そうしたら、国歌としてふさわしいものと思うというのが七七%あったというデータがございます。
その間のことは随分抜きましたけれども、こういうことを一方で考えると、日の丸と君が代というのは、そういう歴史的なことを考えてくるとやっぱり慣行によってそれなりにやられておったということが言えるだろうと思います。したがいまして、それがずっと続いておったということは、広く国民に定着しておったのではないか、あるいは現在は定着しておるというふうに私は考えております。
それから、国際間でも日本は日の丸と。それから、外国に行って、あるいは日本でも同じですが、いろいろスポーツなどで日の丸が上がる場合にはやっぱり君が代だろうと、これも定着している。それから、外国を訪問したときなどは、やっぱり日の丸であり、君が代であると。先ほど申し上げたスポーツにおいてもしかり、それから船舶も同じ、航空機などにも明示され、マークがついている、いわば運輸関係等にはそういうことが非常に多い。いわゆる、国際間でお互いに尊重されているということが言えるだろうというふうに思います。
日本民族は、大変私はすばらしい民族だな、非常に伝統のある民族だなというふうに思っております。かつて私が外国旅行したときに、非常に安堵の胸をなでおろしたことがございます。それは、大変疲れておった体ではございましたが、日章旗が掲げられてあった。ああ私もやっぱり日本人だ、やっぱり日本という国は、こういうふうにここまで来ても日章旗を掲げられているんだ、そういう日本の国のありがたさといいましょうか、そういう安堵感を旅行をしたときにつくづく感じ、大変に熱い思いをし、また涙も出るぐらいの感動の仕方であったというふうに私は心に今秘めておるわけでございます。
そういうことを考えると、やっぱり国歌・国旗は定着している。したがいまして、これを法制化して、そして日本国民として、あるいは外国の方々にも、これが日本の国旗・国歌であると正々堂々と胸を張って言える日本の国でありたいというふうに思うわけでございます。
ただ、君が代の歌詞については、いろいろありますけれども、これはやっぱり可能な限り時間をかけて、そして広く声を聞ける、あるいは聞く、そういう手だてが、やっぱり残された時間でやれるだけのことは必要ではなかろうかというふうに思っております。
なお、町内会などでも、このことについて特に検討会を設けるとか談話会を設けるとかということは議題としては上げませんでしたけれども、お互いの情報としてこういうことにたびたび触れております。そうすると、やっぱりこれはちゃんと定着しております、むしろ遅過ぎた、なぜこういうことについていま少し早く取り上げなかったのかという意見もございます。したがいまして、先ほど申し上げましたが、これを早くきちんとおさめていただきたいなというふうに思います。
次に、ちょっと今のことに関連しますが、小中学校の実施状況、平成十年度の入学式の場合ですが、国旗掲揚が小中学校で九八%ありました。同じく国歌斉唱は八七%実施しております。ということは、やっぱりそれだけ定着しつつあるんだと。ところが、府県によっては一〇〇%実施した県もございますという記録がございます。ということをまず最初に申し上げ、その次に、学校の教職に携わった関係があるものですから、学習指導要領とそれの取り扱いといいましょうか、指導ということについてちょっと触れさせていただきます。
これは、社会の中で小学校三、四年、それから同じく社会で小学校の六年、我が国の国旗・国歌の意義を理解させ、尊重する態度を育てる、諸外国の国旗・国歌も尊重する態度を育てるよう配慮するというふうに学習指導要領に明記してある。
それから、小学校の特別活動というのがございますが、中学校にもございますけれども、その特別活動では、入学式、卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗掲揚、国歌斉唱するよう指導するというふうにうたってあります。
それから、中学校の社会の公民という時間ですが、その中にもこういう一文がございます。国家間の相互の主権の尊重と協力の中で、国旗・国歌の意義を相互に尊重することが国際的な儀礼であることを理解させ、それらを尊重する態度を育てるよう配慮すると、こういうふうに指導要領に載っている。
ところが、現場においては、必ずしもこの取り扱いが同じような取り扱いにはなっていない。私が勤めておったときも、声を高らかにして反対と言うことはなかったけれども、取り扱いの態度はやはりその度合いがそれぞれに違っておった。これを取り扱うという方向の方もおれば、いや、これはそのままにしておいた方がいいのではないかとか、あるいは中間的な立場に立っている教職員というのもあります。
そういうふうに、学校現場では、やはりそういうような姿勢が一貫していなければ、方針が一貫していなければ被害をこうむるのは子供たちだというふうに思います。非常に子供たちは迷惑する。やっぱりお互いに話をして、理解すべきは理解し、そして法に制定されたのであれば、それは日本国民、公務員として守るべきは守るという態度が、これからの日本なり国際社会にとっては非常に大事ではなかろうかというふうに思うわけでございます。
したがいまして、国旗の制定、国歌の制定、これはその方向で進んでいただければというふうに思います。
以上でございます。終わります。
岩
富
富樫昌良#16
○公述人(富樫昌良君) 宮城県教職員組合の富樫でございます。
全国の子供たちとともに日夜奮闘している教職員の良心を踏まえながら、以下に述べる理由で、私は、日の丸を国旗、君が代を国歌とする法案に対して反対の立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
子供たちの個性と人権を最大限に尊重すべき学校教育には、いかなる強制もなじまないということであります。
今、子供たちがさまざまな矛盾を抱え、過度の受験競争の中で人間関係さえも希薄になり、いじめ、暴力、その他の問題行動が増大し、小学校低学年でも学級が成り立たない状態が生まれていることは御存じのとおりだと思います。
一九九二年九月から学校五日制が導入されるとき、文部省の調査研究協力者会議の報告は、子供たちの健全な発達を保障するためには硬直して画一化した学校教育を改革しなければならない、子供と学校にゆとりを取り戻さなければならないと指摘をしております。
そのような状況にあるだけに、現場の教職員は、子供たちに少しでもわかる喜びを味わわせたい、学校の楽しさを経験させたい、さまざまな場面での感動を体験させたいと日夜努力をしております。
初めて学校に入る小学校一年生に対しては、ステージいっぱいに飾りつけをしたり、二、三年生の心を込めた歌や合奏で迎えようと、春休みを返上して教職員は取り組みます。あるいは、六年生や中学校三年の卒業に当たっては、どんなに荒れた子供であっても、その子もみんなで包み込み、感動的な卒業式を経験する中で、自分もかけがえのない人間として認められているんだということ、卒業を教職員も地域の方々もたくさんの方々が祝い、励ましてくれているんだということを感じさせたい。心からそう思って、在校生や教職員は一体となって準備をします。
それぞれの地域性や学校の実態、子供たちの成長の様子を考えながら、入学してくるすべての子供たちが、あるいは卒業生の一人一人が主人公になれるような入学式や卒業式のあり方を考えます。
ところが、この十年は特に、子供たちの思いも教職員の願いも関係なく、日の丸の旗はステージ正面に張ること、修礼で始まり、開式の言葉、君が代斉唱の順で行うことと画一的に強制されることによって、感動的な式になるはずのものが無味乾燥なものになってしまう。そればかりでなく、強制しようとする管理職と学校行事の感動を大事にしようとする教職員の間に無用の対立を生み出すことさえあります。
学校を学校らしくするためにも、学校五日制の調査研究協力者会議の報告のように、これまでの形式化、画一化した物の考え方は乗り越えなければならないと思います。そのためにも、学校教育への強制を前提とした日の丸・君が代の法制化は何としてもやめていただきたいと、心から訴えるものであります。
次に、日の丸は侵略戦争の旗印に使われた歴史があり、君が代は天皇陛下のお治めになる御代が千年も万年も栄えるようにと歌われたまさに天皇賛美の歌であったことは、この間の国会でのやりとりを聞けば、政府の方々も一致して認めている歴史的な事実であります。このような歴史的な事実と照らしても、国民主権や平和主義を原則とする日本国憲法の精神と相入れるものではないし、国旗・国歌として国民の親愛や国際的な理解を得るにはふさわしくないと考えるのが自然ではないでしょうか。
もちろん、全く逆の考え方があることも承知しております。要するに、日の丸・君が代問題は歴史観、戦争観によって評価が完全に相反するものですし、極めて政治的な性格を持つものとなっております。それをいっときの多数派が政治的思惑のもとに教育現場や国民に押しつけるとすれば、それは憲法に保障された基本的人権、思想、信条の自由を侵すことにしかなりません。
特定の政治的立場によってその評価が大きく異なる問題について、議会の多数によってあるいは法律によってもう一方に押しつけることは、個々の人間の思想、信条を規制するものであり、国会が基本的人権そのものを否定し、憲法違反の法律をつくるということになりはしないでしょうか。
国会議員の皆様方に対してこのような発言をすることは極めて礼を失していることかもしれませんが、日本国憲法第九十八条では、わざわざ憲法が最高法規であること、そして第九十九条では、行政、立法に携わる方々や公務員の憲法擁護義務をうたっている意味をぜひとも真剣にお考えいただきたいと思います。
三つ目、文部省は、学習指導要領は大綱的なものであり弾力性を持つものであるという見解を出しています。にもかかわらず、日の丸・君が代の指導だけが義務化され、その取り扱い次第では処分の対象になるということは余りにも理不尽なことであります。
参議院特別委員会での論議や政府答弁を聞いていると、どうやって国民的な議論を広げるか、どうやれば国民大多数の合意をつくれるかという論議ではなく、とにかく法制化が先にありきで、指導しない教員、職務命令に従わない教員は処分できるのかどうか、そういうやりとりになっています。まさに、恫喝をしてでも強制する、そのための根拠づくりが法制化だという感じさえ受けます。
二〇〇二年実施の学習指導要領が来年度から移行措置に入ります。今回の学習指導要領の柱は、豊かな人間性や社会性を育てる、みずから学びみずから考える力を育てる、個性を生かす教育を充実する、特色ある教育、特色ある学校づくりを進めるということにあります。このような教育を実現するためにも、魅力的な教師、人間性豊かな教師を育成するとも言っております。
しかし、歴史の事実や創意的な教育活動を否定して豊かな人間性が育つでしょうか。処分や強制によって魅力的な教師が育つでしょうか。教師や学校に自由な発想を認めずに、どうしてみずから考える人間を育てたり特色ある学校づくりができるでしょうか。
日の丸・君が代の法制化や強制は、学習指導要領をも真っ向から踏みにじることになるばかりではなく、それこそ戦前の誤りを再び繰り返すことになると思うのですが、いかがでしょうか。国会が歴史の歯車を逆回転させることだけはしていただきたくありません。
最後に、何よりもやっと国民的な関心が高まり論議が始まったばかりであり、今拙速に法制化することは、国民の論議を封じ、国旗・国歌に対する国民的合意づくりの機会を奪うものだと思います。
私は、この春の広島における痛ましい事件をむだにしないためにも、政府が法制化を提起したことも、各党の皆様方がそれぞれの立場で発言していることも、マスコミが世論の喚起に役割を果たしていることも、そして多くの国民がそれぞれの考え方を投書したり紙上討論を開始したことも、極めて大事な意味を持っていると考えております。
問題は、国民の意見を聞き、理解を広げたり合意を広げたり、あるいは新たな合意をつくるために努力するのか、それとも民意も手続も無視をして強行し押しつけるのかということであります。
国会では憲法調査会をつくりましたが、この際、国旗・国歌調査委員会もおつくりになってはいかがでしょうか。国民の立場から考えるなら、それだけの重要性があると思います。マスコミだけに任せず、国会の責任で国民の意識調査をされるよう提案いたします。日の丸・君が代がどの程度定着しているのか、国旗・国歌としてふさわしいのかどうか、日の丸にあるいは君が代にかわるものをつくるとすればどういうものがよいのか、公募も含めて国民の率直な意見を集約していただきたいと思います。
必要であれば国旗・国歌選定委員会をつくり、政府が定着しているとお考えであれば日の丸・君が代も選択肢に加えて、幾つかに候補を絞った上で国民投票にかけるという方法もあると思います。
このような努力をした上で日の丸・君が代が多数の支持を得たとなれば、その手続を含めて国民の理解を得ることができると思います。もちろん、その場合でも歴史的事実を否定することは許されませんし、個々の人々の思想、信条や内心の自由を侵してはならないことも憲法上の当然の原則であることは言うまでもありません。
国会がそのような対応をなされば、日本の民主主義は大きく成長するし、国民の信頼を厚くすることができると思います。そのことを心から願って、私の陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →全国の子供たちとともに日夜奮闘している教職員の良心を踏まえながら、以下に述べる理由で、私は、日の丸を国旗、君が代を国歌とする法案に対して反対の立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
子供たちの個性と人権を最大限に尊重すべき学校教育には、いかなる強制もなじまないということであります。
今、子供たちがさまざまな矛盾を抱え、過度の受験競争の中で人間関係さえも希薄になり、いじめ、暴力、その他の問題行動が増大し、小学校低学年でも学級が成り立たない状態が生まれていることは御存じのとおりだと思います。
一九九二年九月から学校五日制が導入されるとき、文部省の調査研究協力者会議の報告は、子供たちの健全な発達を保障するためには硬直して画一化した学校教育を改革しなければならない、子供と学校にゆとりを取り戻さなければならないと指摘をしております。
そのような状況にあるだけに、現場の教職員は、子供たちに少しでもわかる喜びを味わわせたい、学校の楽しさを経験させたい、さまざまな場面での感動を体験させたいと日夜努力をしております。
初めて学校に入る小学校一年生に対しては、ステージいっぱいに飾りつけをしたり、二、三年生の心を込めた歌や合奏で迎えようと、春休みを返上して教職員は取り組みます。あるいは、六年生や中学校三年の卒業に当たっては、どんなに荒れた子供であっても、その子もみんなで包み込み、感動的な卒業式を経験する中で、自分もかけがえのない人間として認められているんだということ、卒業を教職員も地域の方々もたくさんの方々が祝い、励ましてくれているんだということを感じさせたい。心からそう思って、在校生や教職員は一体となって準備をします。
それぞれの地域性や学校の実態、子供たちの成長の様子を考えながら、入学してくるすべての子供たちが、あるいは卒業生の一人一人が主人公になれるような入学式や卒業式のあり方を考えます。
ところが、この十年は特に、子供たちの思いも教職員の願いも関係なく、日の丸の旗はステージ正面に張ること、修礼で始まり、開式の言葉、君が代斉唱の順で行うことと画一的に強制されることによって、感動的な式になるはずのものが無味乾燥なものになってしまう。そればかりでなく、強制しようとする管理職と学校行事の感動を大事にしようとする教職員の間に無用の対立を生み出すことさえあります。
学校を学校らしくするためにも、学校五日制の調査研究協力者会議の報告のように、これまでの形式化、画一化した物の考え方は乗り越えなければならないと思います。そのためにも、学校教育への強制を前提とした日の丸・君が代の法制化は何としてもやめていただきたいと、心から訴えるものであります。
次に、日の丸は侵略戦争の旗印に使われた歴史があり、君が代は天皇陛下のお治めになる御代が千年も万年も栄えるようにと歌われたまさに天皇賛美の歌であったことは、この間の国会でのやりとりを聞けば、政府の方々も一致して認めている歴史的な事実であります。このような歴史的な事実と照らしても、国民主権や平和主義を原則とする日本国憲法の精神と相入れるものではないし、国旗・国歌として国民の親愛や国際的な理解を得るにはふさわしくないと考えるのが自然ではないでしょうか。
もちろん、全く逆の考え方があることも承知しております。要するに、日の丸・君が代問題は歴史観、戦争観によって評価が完全に相反するものですし、極めて政治的な性格を持つものとなっております。それをいっときの多数派が政治的思惑のもとに教育現場や国民に押しつけるとすれば、それは憲法に保障された基本的人権、思想、信条の自由を侵すことにしかなりません。
特定の政治的立場によってその評価が大きく異なる問題について、議会の多数によってあるいは法律によってもう一方に押しつけることは、個々の人間の思想、信条を規制するものであり、国会が基本的人権そのものを否定し、憲法違反の法律をつくるということになりはしないでしょうか。
国会議員の皆様方に対してこのような発言をすることは極めて礼を失していることかもしれませんが、日本国憲法第九十八条では、わざわざ憲法が最高法規であること、そして第九十九条では、行政、立法に携わる方々や公務員の憲法擁護義務をうたっている意味をぜひとも真剣にお考えいただきたいと思います。
三つ目、文部省は、学習指導要領は大綱的なものであり弾力性を持つものであるという見解を出しています。にもかかわらず、日の丸・君が代の指導だけが義務化され、その取り扱い次第では処分の対象になるということは余りにも理不尽なことであります。
参議院特別委員会での論議や政府答弁を聞いていると、どうやって国民的な議論を広げるか、どうやれば国民大多数の合意をつくれるかという論議ではなく、とにかく法制化が先にありきで、指導しない教員、職務命令に従わない教員は処分できるのかどうか、そういうやりとりになっています。まさに、恫喝をしてでも強制する、そのための根拠づくりが法制化だという感じさえ受けます。
二〇〇二年実施の学習指導要領が来年度から移行措置に入ります。今回の学習指導要領の柱は、豊かな人間性や社会性を育てる、みずから学びみずから考える力を育てる、個性を生かす教育を充実する、特色ある教育、特色ある学校づくりを進めるということにあります。このような教育を実現するためにも、魅力的な教師、人間性豊かな教師を育成するとも言っております。
しかし、歴史の事実や創意的な教育活動を否定して豊かな人間性が育つでしょうか。処分や強制によって魅力的な教師が育つでしょうか。教師や学校に自由な発想を認めずに、どうしてみずから考える人間を育てたり特色ある学校づくりができるでしょうか。
日の丸・君が代の法制化や強制は、学習指導要領をも真っ向から踏みにじることになるばかりではなく、それこそ戦前の誤りを再び繰り返すことになると思うのですが、いかがでしょうか。国会が歴史の歯車を逆回転させることだけはしていただきたくありません。
最後に、何よりもやっと国民的な関心が高まり論議が始まったばかりであり、今拙速に法制化することは、国民の論議を封じ、国旗・国歌に対する国民的合意づくりの機会を奪うものだと思います。
私は、この春の広島における痛ましい事件をむだにしないためにも、政府が法制化を提起したことも、各党の皆様方がそれぞれの立場で発言していることも、マスコミが世論の喚起に役割を果たしていることも、そして多くの国民がそれぞれの考え方を投書したり紙上討論を開始したことも、極めて大事な意味を持っていると考えております。
問題は、国民の意見を聞き、理解を広げたり合意を広げたり、あるいは新たな合意をつくるために努力するのか、それとも民意も手続も無視をして強行し押しつけるのかということであります。
国会では憲法調査会をつくりましたが、この際、国旗・国歌調査委員会もおつくりになってはいかがでしょうか。国民の立場から考えるなら、それだけの重要性があると思います。マスコミだけに任せず、国会の責任で国民の意識調査をされるよう提案いたします。日の丸・君が代がどの程度定着しているのか、国旗・国歌としてふさわしいのかどうか、日の丸にあるいは君が代にかわるものをつくるとすればどういうものがよいのか、公募も含めて国民の率直な意見を集約していただきたいと思います。
必要であれば国旗・国歌選定委員会をつくり、政府が定着しているとお考えであれば日の丸・君が代も選択肢に加えて、幾つかに候補を絞った上で国民投票にかけるという方法もあると思います。
このような努力をした上で日の丸・君が代が多数の支持を得たとなれば、その手続を含めて国民の理解を得ることができると思います。もちろん、その場合でも歴史的事実を否定することは許されませんし、個々の人々の思想、信条や内心の自由を侵してはならないことも憲法上の当然の原則であることは言うまでもありません。
国会がそのような対応をなされば、日本の民主主義は大きく成長するし、国民の信頼を厚くすることができると思います。そのことを心から願って、私の陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
岩
岩崎純三#17
○団長(岩崎純三君) ありがとうございました。
以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。
これより公述人に対する質疑に入ります。
なお、公述人の方々にお願いを申し上げます。
時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いを申し上げます。
また、発言は私の指名を待ってからお願いをいたしたいと思います。
それでは、質疑のある方は順次御発言を願います。
この発言だけを見る →以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。
これより公述人に対する質疑に入ります。
なお、公述人の方々にお願いを申し上げます。
時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いを申し上げます。
また、発言は私の指名を待ってからお願いをいたしたいと思います。
それでは、質疑のある方は順次御発言を願います。
溝
溝手顕正#18
○溝手顕正君 自由民主党の溝手顕正でございます。
きょうは公述人の皆さん、大変お世話になりましてありがとうございました。若干の質問をお願いいたしたいと思います。
まず第一は、今回の国旗・国歌法の提案の理由等で明らかになっていることでございますが、政府は、公述人の皆さんからも話がございましたように、広島県の世羅高校の校長の自殺ということが今回の提案の理由の大きな一つになっているということを答弁でも申し上げているところですが、実はこの世羅高校という学校は私の出身地のすぐ隣の町でございまして、私が広島県の三原市長をやっていたときの同じ広域市町村圏の仲間の町の一つでございますので、それなりに私は十分バックグラウンドは承知しているつもりでございます。
そうした中で、一つ非常に感じることがありました。これは東北地方に余りない問題、大きく取り上げられていない問題ですが、部落解放運動の問題があるわけでございます。国旗・国歌に反対ということ、賛成ということに加えて、国旗・国歌に反対すればいわゆる解放運動に賛成である、国旗・国歌に賛成すれば部落差別につながる、こういう非常に複雑な構造がバックグラウンドにございます。したがいまして、一律に君が代の問題と校長の死亡というのを直結するのは非常に難しい面があるというように私は考えております。
その中で、特に私が感じておりますことは、いわゆる国旗・国歌の問題と教育の問題とが正常な対峙をしていないんじゃないかという懸念を持っておるわけでございます。
ですから、今回の提案の理由の一つになっております死亡事件というのは、国旗・国歌が明らかでない、国旗・国歌ではないんだ、こういう主張によって教育の現場あるいは社会に無用な混乱を与えている、少なくともこれだけははっきりしようではないかというのが一つの大きな動機である、我々はこう考えております。
これについてきょうは余り議論をされていなかったんですが、どうお考えになっているのだろうかということを聞かせていただきたい。日の丸がいいとか悪いとかということ以外に、法制化をすることによって今までの問題が少しでも解放されるのではないかという意見があるわけですが、これについてどうお考えになっているか、成田さんと千葉さんにちょっと意見を伺いたいと思います。
この発言だけを見る →きょうは公述人の皆さん、大変お世話になりましてありがとうございました。若干の質問をお願いいたしたいと思います。
まず第一は、今回の国旗・国歌法の提案の理由等で明らかになっていることでございますが、政府は、公述人の皆さんからも話がございましたように、広島県の世羅高校の校長の自殺ということが今回の提案の理由の大きな一つになっているということを答弁でも申し上げているところですが、実はこの世羅高校という学校は私の出身地のすぐ隣の町でございまして、私が広島県の三原市長をやっていたときの同じ広域市町村圏の仲間の町の一つでございますので、それなりに私は十分バックグラウンドは承知しているつもりでございます。
そうした中で、一つ非常に感じることがありました。これは東北地方に余りない問題、大きく取り上げられていない問題ですが、部落解放運動の問題があるわけでございます。国旗・国歌に反対ということ、賛成ということに加えて、国旗・国歌に反対すればいわゆる解放運動に賛成である、国旗・国歌に賛成すれば部落差別につながる、こういう非常に複雑な構造がバックグラウンドにございます。したがいまして、一律に君が代の問題と校長の死亡というのを直結するのは非常に難しい面があるというように私は考えております。
その中で、特に私が感じておりますことは、いわゆる国旗・国歌の問題と教育の問題とが正常な対峙をしていないんじゃないかという懸念を持っておるわけでございます。
ですから、今回の提案の理由の一つになっております死亡事件というのは、国旗・国歌が明らかでない、国旗・国歌ではないんだ、こういう主張によって教育の現場あるいは社会に無用な混乱を与えている、少なくともこれだけははっきりしようではないかというのが一つの大きな動機である、我々はこう考えております。
これについてきょうは余り議論をされていなかったんですが、どうお考えになっているのだろうかということを聞かせていただきたい。日の丸がいいとか悪いとかということ以外に、法制化をすることによって今までの問題が少しでも解放されるのではないかという意見があるわけですが、これについてどうお考えになっているか、成田さんと千葉さんにちょっと意見を伺いたいと思います。
成
成田治#19
○公述人(成田治君) ただいまいただいた御質問でございますけれども、私も部落解放問題と深く結びついているというバックグラウンドの方は存じ上げておりました。ただし、それも非常に難しいすりかえ議論的な話があるので、かの事件のことを一概に判断することは非常に難しいかなというふうには考えておるんです。
教育の現場の方で、法制化をすれば強制権というかやらなければいけないことと理解するのだという理屈があるのであれば、私はやっぱり法制化することにそういう意味を持つというストレートな理解になるのではないかなというふうに思います。
今さまざまな教育の現場で起きている問題と、この日の丸・君が代の問題とを対峙させたり、あるいは比例をさせたりしていくということは、非常に子供たちにとっては危険な行為であるというふうに思います。
ですから、決められてやるんだということであれば、それはすっきりと法に定めた方がいいという考え方でございます。
この発言だけを見る →教育の現場の方で、法制化をすれば強制権というかやらなければいけないことと理解するのだという理屈があるのであれば、私はやっぱり法制化することにそういう意味を持つというストレートな理解になるのではないかなというふうに思います。
今さまざまな教育の現場で起きている問題と、この日の丸・君が代の問題とを対峙させたり、あるいは比例をさせたりしていくということは、非常に子供たちにとっては危険な行為であるというふうに思います。
ですから、決められてやるんだということであれば、それはすっきりと法に定めた方がいいという考え方でございます。
千
千葉胞義#20
○公述人(千葉胞義君) 先ほども述べたのはそのことの一端になるかと思うんですが、やっぱりこれは、亡くなった校長先生の学校の様子は私はわかりませんが、ただ、こういうことは言えるのではないかなと思います。
国旗・国歌の取り上げ方が校内でどういうような取り上げ方をしておったか、そのために校長さんは追いやられてついに打開の道が一人でできなくなったのかという、そういうことがあったのかどうかは詳しいことはよくわかりませんけれども、その学校でのそれに対する取り組み方、取り上げ方が、同じような考え方あるいは同じような持ち方でやっておったのかどうか、その辺が私は大変心配なところだと思います。
以上でございます。
この発言だけを見る →国旗・国歌の取り上げ方が校内でどういうような取り上げ方をしておったか、そのために校長さんは追いやられてついに打開の道が一人でできなくなったのかという、そういうことがあったのかどうかは詳しいことはよくわかりませんけれども、その学校でのそれに対する取り組み方、取り上げ方が、同じような考え方あるいは同じような持ち方でやっておったのかどうか、その辺が私は大変心配なところだと思います。
以上でございます。
溝
溝手顕正#21
○溝手顕正君 ありがとうございました。
実はその問題、議論すれば随分いろいろ申し上げたいことがあるんですけれども、とりあえず終わらせていただきたいと思います。
私は、国旗・国歌の問題あるいは教育の問題に対して第三機関の、いわゆる部落解放組織の介入が強過ぎるというか、第三者の介入によってそういう悲劇が起こったんだと思っております。これはつけ加えたいと思います。
その次の問題は、実は先ほど国旗・国歌の問題と学習指導要領の問題が指摘されたわけですが、私は、本質的には国旗の問題と指導要領というのは少し違うんだろうと思っております。たまたま、たまたまと言うと問題がありますが、文部省がそういう指導をしておるということで、教育に対して非常に影響を与えていることは事実ですが、何も国旗の問題がすべて教育にいっているわけではないわけです。あらゆる分野に国旗の問題はあるんだろうと。ですから、非常にドライな言い方をしますと、学習指導要領の問題として議論をされたらいかがだろうかという見解がないことはないわけでございます。
一律に卒業式を押しつけるという考え方、これも何度も伺ったことがございます。しかし、私は行政に携わったときに、いわゆる対話式というか呼びかけ式の卒業式、それに何十回、何百回と出たことがございます。とても小学校の子供が考えたようなせりふではございません。学校の教師が教え込んだようなせりふが我々の右と左を飛び交うということも経験いたしておりまして、非常に極めて形式的な対話式卒業式だなと感じたことがございます。
したがいまして、いわゆる相対する二つのイデオロギーがあって、そのイデオロギーが相対立していることに子供をお互いに巻き込んでいるのではないかと。先ほども子供が気の毒だという御発言がございましたが、私は、それはそういう意味でいうと同罪だ、どっちもどっちだという感じを持っておるわけでございます。きのうの委員会の参考人質疑の中でも、イデオロギー的な対決を一方だけ助けるようなやり方はおかしいじゃないかと、こういう主張があったんですが、それはそういうところから来たんだろうと思います。
したがいまして、私は、国旗の問題を考えるとき、教育の現場ということだけよりもう少し広く心を開いて、反戦とかそういったことにだけとらわれずに議論ができないかなという気持ちを持っております。
その点に関して、いろいろ御意見をお持ちだと思いますが、大津さんと富樫さんに感想を聞かせていただきたいと思います。
この発言だけを見る →実はその問題、議論すれば随分いろいろ申し上げたいことがあるんですけれども、とりあえず終わらせていただきたいと思います。
私は、国旗・国歌の問題あるいは教育の問題に対して第三機関の、いわゆる部落解放組織の介入が強過ぎるというか、第三者の介入によってそういう悲劇が起こったんだと思っております。これはつけ加えたいと思います。
その次の問題は、実は先ほど国旗・国歌の問題と学習指導要領の問題が指摘されたわけですが、私は、本質的には国旗の問題と指導要領というのは少し違うんだろうと思っております。たまたま、たまたまと言うと問題がありますが、文部省がそういう指導をしておるということで、教育に対して非常に影響を与えていることは事実ですが、何も国旗の問題がすべて教育にいっているわけではないわけです。あらゆる分野に国旗の問題はあるんだろうと。ですから、非常にドライな言い方をしますと、学習指導要領の問題として議論をされたらいかがだろうかという見解がないことはないわけでございます。
一律に卒業式を押しつけるという考え方、これも何度も伺ったことがございます。しかし、私は行政に携わったときに、いわゆる対話式というか呼びかけ式の卒業式、それに何十回、何百回と出たことがございます。とても小学校の子供が考えたようなせりふではございません。学校の教師が教え込んだようなせりふが我々の右と左を飛び交うということも経験いたしておりまして、非常に極めて形式的な対話式卒業式だなと感じたことがございます。
したがいまして、いわゆる相対する二つのイデオロギーがあって、そのイデオロギーが相対立していることに子供をお互いに巻き込んでいるのではないかと。先ほども子供が気の毒だという御発言がございましたが、私は、それはそういう意味でいうと同罪だ、どっちもどっちだという感じを持っておるわけでございます。きのうの委員会の参考人質疑の中でも、イデオロギー的な対決を一方だけ助けるようなやり方はおかしいじゃないかと、こういう主張があったんですが、それはそういうところから来たんだろうと思います。
したがいまして、私は、国旗の問題を考えるとき、教育の現場ということだけよりもう少し広く心を開いて、反戦とかそういったことにだけとらわれずに議論ができないかなという気持ちを持っております。
その点に関して、いろいろ御意見をお持ちだと思いますが、大津さんと富樫さんに感想を聞かせていただきたいと思います。
岩
大
大津健一#23
○公述人(大津健一君) 今の御質問に対しては、私はイデオロギーの対立というふうには受け取っておりません。何か政治的な立場が違うからとか、私はもちろん教師ではありませんので学校の教育現場のことをよく知りませんが、それよりも、やはり私たちが本当に過去の歴史をどういうふうにきちっと子どもたちに教えているのか、それは子どもたちに対してもそうですし、教師自身も学んでいかなければいけないことではないかと思います。
過去の歴史を学べば学ぶほど、やっぱり学習指導要領によって日の丸・君が代をどうしても掲揚しなければならない、それを歌わなければならないという現実の矛盾というものが、私は、子どもたちにもしわ寄せになっておりますし、教師に対してもやはり良心の痛みという形で起こっているのではないか、そこにやっぱり大きなこの日の丸・君が代の問題があるのではないかというふうに思っております。
以上です。
この発言だけを見る →過去の歴史を学べば学ぶほど、やっぱり学習指導要領によって日の丸・君が代をどうしても掲揚しなければならない、それを歌わなければならないという現実の矛盾というものが、私は、子どもたちにもしわ寄せになっておりますし、教師に対してもやはり良心の痛みという形で起こっているのではないか、そこにやっぱり大きなこの日の丸・君が代の問題があるのではないかというふうに思っております。
以上です。
富
富樫昌良#24
○公述人(富樫昌良君) 私は、この日の丸・君が代の問題を考えるときに、一つは、今、溝手理事が言われたような歴史的な問題をどういうふうにとらえるのかということ、それからもう一つは、これは極めて学校教育とは別の次元にある政治的な相反する立場によってこれが使われているという部分があるということも事実だと思います。
そしてまた、もう一方では、学校教育の基本的なあり方というのはどうあったらいいのかということを考えたときに、一つは、この国旗・国歌問題というのは学校教育の問題とは別に議論をしなければならない部分が一方にあるだろうと。それからもう一方では、学校教育のあり方を議論するときにこの日の丸・君が代問題を持ち込まない、そういう立場で学校教育のあり方をまず議論していく。
ですから、学習指導要領にこの日の丸・君が代が義務化されて入っている、そのことが既に学校教育に政治的な課題が強引に持ち込まれているという考え方を私は持っております。混乱の原因はそこにあるのではないかというふうに考えております。
以上です。
この発言だけを見る →そしてまた、もう一方では、学校教育の基本的なあり方というのはどうあったらいいのかということを考えたときに、一つは、この国旗・国歌問題というのは学校教育の問題とは別に議論をしなければならない部分が一方にあるだろうと。それからもう一方では、学校教育のあり方を議論するときにこの日の丸・君が代問題を持ち込まない、そういう立場で学校教育のあり方をまず議論していく。
ですから、学習指導要領にこの日の丸・君が代が義務化されて入っている、そのことが既に学校教育に政治的な課題が強引に持ち込まれているという考え方を私は持っております。混乱の原因はそこにあるのではないかというふうに考えております。
以上です。
佐
佐藤雄平#25
○佐藤雄平君 民主党・新緑風会の佐藤雄平でございます。
私は賛成でございます。
きょう、一緒に竹村委員もお見えになっておりまして、党内でもいろいろ議論があり、会派の中ではそれぞれの意見がある。ある意味で私は、この問題がそれぐらい広範囲にわたって、またいろんな基本的な考え方がそれほど広いものであろう、そんなふうに思うところでもあります。
また、マスコミの論調もそれぞれありますが、たまたまきょうある新聞の記事をずっと読んできましたら、この問題というのは本当に、今、富樫さんおられますけれども、一番大変なのはやっぱり現場を持っておるところかなと。それに対して記事の中で、「強制せず、無視もせず」というこの二言が書いてあったんです。まさにこれが国旗・国歌の今後の取り扱い方に対する最も大事なところかなと。「強制せず、無視もせず」。
私は、やっぱり戦後五十四年間のいろんな現象を見てきていますと、五十四年の中で、いわゆる大量生産、大量消費、大量廃棄、もう立派な日本の国になってきたと。今日振り返ると、やっぱりその一つの大きな反省の中で、物質文明の成長とともに何か精神文明がどこかに置いてきぼりにされてきちゃったのかなと。
その中で今いろんな社会問題を考えると、その中で最も大事なのが地域社会じゃないかなと。私自身も子供が今三人おります、高校、中学、小学六年と。そうすると、やっぱりその子供たちがその地域社会、東京ですから余りなじめない。その地域社会こそがその一つの律をつくるものであろうと。
今日のいろんな問題を考えてみますと、やっぱりその大きなバックボーンというのが欠如しているような感じがして、これは何も学校の現場だけでもないし、家庭だけでもないし、また社会だけでもない。やっぱりひとつの三位一体の形がうんと大事であろうと。そういうふうな中で、私は、ある意味では今度の国旗・国歌というのはそんな位置づけをしてもいいんではないだろうかと。何か戦後のいわゆる個人を中心とした世の中ができ上がってしまって、しかしながら日本人というのは、かつてからずっと見てきますと、やっぱり集団行動の好きなというか、それで余り争いを起こさない、そういうのが日本民族の特徴であって、神社とか仏閣にいろいろ地域社会の中で集まって、それが一つの律というバックボーンにもなっていたのかなと。
そういうふうな意味から、私はそれぞれの公述人にお伺いしたい。
私、こういうことを言えば本当に、いわゆる成文するか慣習法という国会でもいろいろ議論あったんですが、私は、やっぱり一番いいのは本当は慣習法であろうかなというふうなことであったんです。しかしながら、現実問題として、成文というふうなことであればそれに賛成だということなんですけれども、その慣習法ということについてひとつ成田さんと千葉さんにお伺いしたい。
この発言だけを見る →私は賛成でございます。
きょう、一緒に竹村委員もお見えになっておりまして、党内でもいろいろ議論があり、会派の中ではそれぞれの意見がある。ある意味で私は、この問題がそれぐらい広範囲にわたって、またいろんな基本的な考え方がそれほど広いものであろう、そんなふうに思うところでもあります。
また、マスコミの論調もそれぞれありますが、たまたまきょうある新聞の記事をずっと読んできましたら、この問題というのは本当に、今、富樫さんおられますけれども、一番大変なのはやっぱり現場を持っておるところかなと。それに対して記事の中で、「強制せず、無視もせず」というこの二言が書いてあったんです。まさにこれが国旗・国歌の今後の取り扱い方に対する最も大事なところかなと。「強制せず、無視もせず」。
私は、やっぱり戦後五十四年間のいろんな現象を見てきていますと、五十四年の中で、いわゆる大量生産、大量消費、大量廃棄、もう立派な日本の国になってきたと。今日振り返ると、やっぱりその一つの大きな反省の中で、物質文明の成長とともに何か精神文明がどこかに置いてきぼりにされてきちゃったのかなと。
その中で今いろんな社会問題を考えると、その中で最も大事なのが地域社会じゃないかなと。私自身も子供が今三人おります、高校、中学、小学六年と。そうすると、やっぱりその子供たちがその地域社会、東京ですから余りなじめない。その地域社会こそがその一つの律をつくるものであろうと。
今日のいろんな問題を考えてみますと、やっぱりその大きなバックボーンというのが欠如しているような感じがして、これは何も学校の現場だけでもないし、家庭だけでもないし、また社会だけでもない。やっぱりひとつの三位一体の形がうんと大事であろうと。そういうふうな中で、私は、ある意味では今度の国旗・国歌というのはそんな位置づけをしてもいいんではないだろうかと。何か戦後のいわゆる個人を中心とした世の中ができ上がってしまって、しかしながら日本人というのは、かつてからずっと見てきますと、やっぱり集団行動の好きなというか、それで余り争いを起こさない、そういうのが日本民族の特徴であって、神社とか仏閣にいろいろ地域社会の中で集まって、それが一つの律というバックボーンにもなっていたのかなと。
そういうふうな意味から、私はそれぞれの公述人にお伺いしたい。
私、こういうことを言えば本当に、いわゆる成文するか慣習法という国会でもいろいろ議論あったんですが、私は、やっぱり一番いいのは本当は慣習法であろうかなというふうなことであったんです。しかしながら、現実問題として、成文というふうなことであればそれに賛成だということなんですけれども、その慣習法ということについてひとつ成田さんと千葉さんにお伺いしたい。
成
成田治#26
○公述人(成田治君) 今の御質問でございますけれども、逆に言うと、私の賛成するという大きな趣旨の中に、もう国民に定着をしているというところがございます。
何度も申し上げたいのは、本来、教育の現場にこういった問題とかイデオロギーというものは私は不要であるという持論でございます。地域の中でどうのこうのというようなことも、もっと今、日本は二十一世紀に進むべき道を探る議論をどんどんしていかなきゃいけない時期でありますから、この議論がそんなにこれだけいろいろ社会に喚起を促しているのかどうか、ちょっと私は疑問に思っておるところもあります。
これは既にもう心の中にしみついてしまっているものなので、それをあえて今成文化してあらわすのがいい方法なんだというふうな考え方が私は正しいというふうに思います、逆に言うと。いつまでも慣習法的な考え方、中途半端なことをあらわしていくことは、今後の日本のあり方としてはよくないのではないかなというふうに考えております。
この発言だけを見る →何度も申し上げたいのは、本来、教育の現場にこういった問題とかイデオロギーというものは私は不要であるという持論でございます。地域の中でどうのこうのというようなことも、もっと今、日本は二十一世紀に進むべき道を探る議論をどんどんしていかなきゃいけない時期でありますから、この議論がそんなにこれだけいろいろ社会に喚起を促しているのかどうか、ちょっと私は疑問に思っておるところもあります。
これは既にもう心の中にしみついてしまっているものなので、それをあえて今成文化してあらわすのがいい方法なんだというふうな考え方が私は正しいというふうに思います、逆に言うと。いつまでも慣習法的な考え方、中途半端なことをあらわしていくことは、今後の日本のあり方としてはよくないのではないかなというふうに考えております。
千
千葉胞義#27
○公述人(千葉胞義君) 慣習法ということでうまく、うまくと言うと随分失礼ですけれども、うまくやっていけるのならそれはそれで私もいいと思いますが、しかし、これは慣習法でやっているのだからということで、教育現場はそれでおさまらないときがあると思います。
したがいまして、やっぱりそれはきちっとしたものがないと困難を生ずる、まとまるべきもまとまらない。したがって、それは先ほども申し上げましたように、学校の現場、職場というのはいつでもごたごたしていなくちゃいけない。何かそこに柱となるものが必要ではないかという考えを持っております。
以上です。
この発言だけを見る →したがいまして、やっぱりそれはきちっとしたものがないと困難を生ずる、まとまるべきもまとまらない。したがって、それは先ほども申し上げましたように、学校の現場、職場というのはいつでもごたごたしていなくちゃいけない。何かそこに柱となるものが必要ではないかという考えを持っております。
以上です。
佐
佐藤雄平#28
○佐藤雄平君 たまたまこの間、この委員会の中で、いわゆる慣習と成文の話になって、慣習ならそれはもうおのずと身につくところであるから、日本の政治がどうなろうとそれは変わっていかないものであろう、しかしながら、成文というふうなことになると、時として、場合によっては政治の中で変えられることもあるかもわからぬ、そんな話があったものですから御披露申し上げたのであります。
これは教育現場で、本当に富樫さん、いろいろ現場での御苦労を十分承知しておりますけれども、今の教育の中で、文部省、教育委員会、現場というそれぞれの立場もあろう。しかしながら、私はその中で最大大事なのは連携であると思うし、いろんな今日の問題を考えると、どうも現場と教育委員会というのが、本来ならば一体であるべきところが一体でない。お互いに何か、教育委員会が、現場がというような話になっている。これではなかなか教育の方も整合していかないのかなというような危惧をするんです。
しかしながら、そういうふうな中で、子供たちの今まさに教育より学ぶとかいうその文言自体がいろいろ変わりながら、マイルドな言葉も使われつつあるんですけれども、しかし今の子供たち、一つの律するものというのがなければどういうふうなことで、やっぱり一つの道徳と規範というようなものを子供たちに、これはもう世の中では必要なことでありますから、そういうようなことを例えば教えるというか育てるという前提とした場合、どんなことをもって規範とか道徳とか教えられると思いますか。
済みません、富樫さん。
この発言だけを見る →これは教育現場で、本当に富樫さん、いろいろ現場での御苦労を十分承知しておりますけれども、今の教育の中で、文部省、教育委員会、現場というそれぞれの立場もあろう。しかしながら、私はその中で最大大事なのは連携であると思うし、いろんな今日の問題を考えると、どうも現場と教育委員会というのが、本来ならば一体であるべきところが一体でない。お互いに何か、教育委員会が、現場がというような話になっている。これではなかなか教育の方も整合していかないのかなというような危惧をするんです。
しかしながら、そういうふうな中で、子供たちの今まさに教育より学ぶとかいうその文言自体がいろいろ変わりながら、マイルドな言葉も使われつつあるんですけれども、しかし今の子供たち、一つの律するものというのがなければどういうふうなことで、やっぱり一つの道徳と規範というようなものを子供たちに、これはもう世の中では必要なことでありますから、そういうようなことを例えば教えるというか育てるという前提とした場合、どんなことをもって規範とか道徳とか教えられると思いますか。
済みません、富樫さん。
富
富樫昌良#29
○公述人(富樫昌良君) 今の問題にお答えする前に一言だけ。
教育委員会と現場の関係についてなんですが、今、地方分権が言われている状況の中で、文部省が言うように、学習指導要領の弾力的な運用あるいは大綱的な運用が保障されていれば私は随分違うんだと思うんですが、現場におりてくるに従って非常にこれが硬直的になっている。そしてもう一方で、教育基本法にうたわれている教育行政への基本的な責任、条件整備の問題が置き去りにされている。その矛盾が現場と行政との間のさまざまな意見の違い等になっているのではないかということが一つ言えると思います。
それから、そういう状況の中で、学校現場でどうやって子供たちの規範あるいは道徳的な態度を育てるかということなんでありますが、私は、よく親の後ろ姿を見て育つとか、あるいは人のふりを見て直せとか、昔から格言が言われてきましたが、子供たちと教職員との間にそのようなゆとりのある人間関係がつくられるということがまず一つ必要なことだと思います。
子供たちが自分の人間として育つ育ち方というのは、親を見て育つか教師を見て育つか、それが最も生活の分野で抱えている比率が多いわけですから、そういう意味で、一番長い時間つき合っている教師と子供の間に人間的なかかわり合いを持つことのできるようなそういう学校のあり方、それがつくられていくことが必要だろう。その上でやっぱり子供たち同士が、友達と群れて遊ぶことがどれだけ楽しいものであるか、自分たちでさまざまなルールをつくりながら遊ぶことがどれだけ社会的に成長するものであるか、教室の中で、学校の中で、十分私は育てることが可能だと、自分が学校現場にいた経験から申し上げるわけであります。
ただ、今学校現場にはそれだけの、教師と子供たちが腹を割って裸になってつき合う時間的な余裕が全くないというところに今困難が起きている一つの背景があるのではないでしょうか。
この発言だけを見る →教育委員会と現場の関係についてなんですが、今、地方分権が言われている状況の中で、文部省が言うように、学習指導要領の弾力的な運用あるいは大綱的な運用が保障されていれば私は随分違うんだと思うんですが、現場におりてくるに従って非常にこれが硬直的になっている。そしてもう一方で、教育基本法にうたわれている教育行政への基本的な責任、条件整備の問題が置き去りにされている。その矛盾が現場と行政との間のさまざまな意見の違い等になっているのではないかということが一つ言えると思います。
それから、そういう状況の中で、学校現場でどうやって子供たちの規範あるいは道徳的な態度を育てるかということなんでありますが、私は、よく親の後ろ姿を見て育つとか、あるいは人のふりを見て直せとか、昔から格言が言われてきましたが、子供たちと教職員との間にそのようなゆとりのある人間関係がつくられるということがまず一つ必要なことだと思います。
子供たちが自分の人間として育つ育ち方というのは、親を見て育つか教師を見て育つか、それが最も生活の分野で抱えている比率が多いわけですから、そういう意味で、一番長い時間つき合っている教師と子供の間に人間的なかかわり合いを持つことのできるようなそういう学校のあり方、それがつくられていくことが必要だろう。その上でやっぱり子供たち同士が、友達と群れて遊ぶことがどれだけ楽しいものであるか、自分たちでさまざまなルールをつくりながら遊ぶことがどれだけ社会的に成長するものであるか、教室の中で、学校の中で、十分私は育てることが可能だと、自分が学校現場にいた経験から申し上げるわけであります。
ただ、今学校現場にはそれだけの、教師と子供たちが腹を割って裸になってつき合う時間的な余裕が全くないというところに今困難が起きている一つの背景があるのではないでしょうか。