佐藤雄平の発言 (国旗及び国歌に関する特別委員会)
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○佐藤雄平君 民主党・新緑風会の佐藤雄平でございます。
私は賛成でございます。
きょう、一緒に竹村委員もお見えになっておりまして、党内でもいろいろ議論があり、会派の中ではそれぞれの意見がある。ある意味で私は、この問題がそれぐらい広範囲にわたって、またいろんな基本的な考え方がそれほど広いものであろう、そんなふうに思うところでもあります。
また、マスコミの論調もそれぞれありますが、たまたまきょうある新聞の記事をずっと読んできましたら、この問題というのは本当に、今、富樫さんおられますけれども、一番大変なのはやっぱり現場を持っておるところかなと。それに対して記事の中で、「強制せず、無視もせず」というこの二言が書いてあったんです。まさにこれが国旗・国歌の今後の取り扱い方に対する最も大事なところかなと。「強制せず、無視もせず」。
私は、やっぱり戦後五十四年間のいろんな現象を見てきていますと、五十四年の中で、いわゆる大量生産、大量消費、大量廃棄、もう立派な日本の国になってきたと。今日振り返ると、やっぱりその一つの大きな反省の中で、物質文明の成長とともに何か精神文明がどこかに置いてきぼりにされてきちゃったのかなと。
その中で今いろんな社会問題を考えると、その中で最も大事なのが地域社会じゃないかなと。私自身も子供が今三人おります、高校、中学、小学六年と。そうすると、やっぱりその子供たちがその地域社会、東京ですから余りなじめない。その地域社会こそがその一つの律をつくるものであろうと。
今日のいろんな問題を考えてみますと、やっぱりその大きなバックボーンというのが欠如しているような感じがして、これは何も学校の現場だけでもないし、家庭だけでもないし、また社会だけでもない。やっぱりひとつの三位一体の形がうんと大事であろうと。そういうふうな中で、私は、ある意味では今度の国旗・国歌というのはそんな位置づけをしてもいいんではないだろうかと。何か戦後のいわゆる個人を中心とした世の中ができ上がってしまって、しかしながら日本人というのは、かつてからずっと見てきますと、やっぱり集団行動の好きなというか、それで余り争いを起こさない、そういうのが日本民族の特徴であって、神社とか仏閣にいろいろ地域社会の中で集まって、それが一つの律というバックボーンにもなっていたのかなと。
そういうふうな意味から、私はそれぞれの公述人にお伺いしたい。
私、こういうことを言えば本当に、いわゆる成文するか慣習法という国会でもいろいろ議論あったんですが、私は、やっぱり一番いいのは本当は慣習法であろうかなというふうなことであったんです。しかしながら、現実問題として、成文というふうなことであればそれに賛成だということなんですけれども、その慣習法ということについてひとつ成田さんと千葉さんにお伺いしたい。