平山誠一の発言 (日米防衛協力のための指針に関する特別委員会公聴会)

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○公述人(平山誠一君) 本日は、こうした場所で発言の機会を与えていただきまして、深く感謝を申し上げたいと思います。本来であれば組織の代表者である組合長の中西が出席をして発言するところでありますが、本日、重要な機関会議と重なりまして、本問題に関する組織の広報窓口を担当しております責任者であります私が出席いたしました。御了承いただきたいと思います。
 全日本海員組合は、我が国の外航・内航海運、長距離フェリーや旅客船、港の中で活躍するタグボートやはしけなどで働く船員、また遠洋、近海、沿岸で操業する漁業船員を中心に、約四万人を組織する個人加盟方式の産業別労働組合であります。また、ナショナルセンター連合に加盟し、連合運動の前進に積極的な役割を果たすとともに、国際的にも国際運輸労連の一員として活躍している組合であります。
 次に、船員はなぜこの新ガイドラインとその関連法案に反対するのか、このことについて述べたいと思います。このために、戦前、戦後を通しまして、船員という職業、しかも戦後においては明確に一民間人という立場でありながら、船員職業を選択したことによってどのような体験を強いられてきたのか、若干時間をとって述べてみたいと思うわけであります。
 全日本海員組合は、終戦直後の一九四五年十月五日、全国に先駆けて組合を創立いたしましたが、その前身といたしまして、戦前には日本海員組合、海員協会の労働運動がありました。太平洋戦争突入前夜の一九四〇年、日本海員組合、海員協会十五万人の労働組織は解散を余儀なくされ、海運報国団に統合、海運戦時統制のもと、船員はすべて徴用の対象とされました。また、当時の艦隊決戦最優先主義に固執する戦争指導部は、海上輸送路を護衛する戦略もなく、戦場の海に丸裸同然のまま駆り出されることになったわけであります。
 こうした結果、連合軍の徹底した通商破壊作戦によりまして日本商船隊は文字どおり壊滅しました。二千五百三十四隻、八百九十万総トンが沈められ、六万二千名に及ぶ船員が逃げ場のない海で戦没したわけであります。これは、動員された員数に対する犠牲者の割合という点で見れば、陸軍・海軍軍人と比較しても大きく上回るというまことに痛ましいものでありました。
 当然のことながら、戦後の海員組合は、二度と再びこの悲劇を繰り返してはならないという不戦の誓いを根底に再建、創立されたわけであります。しかしながら、戦後、戦争のない平和な社会を実現した日本、平和憲法により武力の行使を放棄した日本ではありますが、船員を職業とする者にとっては陸上の皆さんほど安寧であったわけではありません。
 一九四五年九月には、再び船員は戦時体制と同様に総動員されました。海外に残された軍人軍属、一般邦人の復員輸送に従事したわけであります。一万一千個と言われる日本沿岸に投下された米軍機雷がきばをむく海域を、それこそ身命を賭して、航海の安全を確保しつつ、六百四十万同胞と中国大陸や朝鮮半島から強制連行された人々など百三十万人、合計七百七十万人の輸送活動をほぼ無事故で完遂したわけであります。
 その後も、戦後だけでも百八十六隻、七百七十八名の犠牲者というこの投下機雷による船舶被害に日々恐怖しながらも、戦後復興の先頭に立って船員は活躍してきたわけであります。
 一九五〇年四月には、海運の国家一元管理体制が解除されまして、民営還元が行われました。船員にとってもようやく平和な戦後を迎えることになったわけでありますが、この年の六月に勃発した朝鮮戦争は、再び船員を直接戦争に巻き込むことになりました。
 戦後の日本の進路を決めた第二の転換点とも言われる朝鮮戦争でありますが、言うまでもなく半島に展開する主力米軍の後方基地として日本は大きな役割を果たしました。日本の海運会社もまた、連合軍占領下の中で、米国軍事海上輸送部の要請に応じ、開戦数カ月間で貨物船など約七十隻、三十四万重量トンが直接の用船契約に基づいて提供されたと言われておりまして、船員も半ば強制的に数千人規模でこれら船舶の運航に従事させられたと推定しているところであります。
 その後も、日本人船員は、国内海上輸送はもとより、世界の海に展開し、我が国の国民生活、経済活動に必要な物資の海上輸送に従事するわけでありますが、四次にわたる中東戦争やベトナム戦争、比較的最近の例としてはイラン・イラク戦争や湾岸戦争と、絶えず国際間の武力衝突や地域紛争に巻き込まれ、その都度生命の危機にさらされてまいりました。
 イラン・イラク戦争について若干公述いたしますので、皆さんに資料など配付しておりますので、参考にしていただければと思います。
 一九八〇年から八年間続いたイラン・イラク戦争では、開戦初頭、四隻の日本船と乗組員が戦闘地域に孤立しまして、その脱出のために大変な苦労を強いられました。このほか、イラン、イラク両国によるペルシャ湾内に就航する中立国船舶をも巻き込んだ船舶に対する無差別攻撃によりまして、体験した者しか語れない恐怖と戦争のすさまじい現実を体験することになるわけであります。数字だけで見ても、この間、四百七隻の船舶が攻撃を受け被弾し、三百三十三名の死者、三百十七名の負傷者を出すという、世界じゅうの船乗りにとって悪夢のような八年間であったわけであります。
 日本人船員の乗り組む船舶は、中立国・非交戦国表示を徹底いたしまして、具体的には舷側や甲板上に百畳もあるような大きな日の丸をかいて就航したわけでありますが、戦闘が激化した後半、とりわけ反イラン・親イラク側にありました米軍の艦艇がクウェート船籍の船舶を護衛するようになりましてから、イラン側と見られる小型ボートによる機銃掃射や携帯型ロケットを使用したゲリラ的な船舶攻撃が激発しました。また、これに対抗するイラク側の報復攻撃もエスカレートいたしました。
 こうした戦場を支配する狂気の中で、日本人船員の乗り組む船舶も相次いで攻撃を受け、十二隻が被弾、二名のとうとい犠牲者を出したわけであります。
 ペルシャ湾から日本への航路は、別名オイルロードと呼ばれまして、日本のエネルギーの大動脈であります。当時、ペルシャ湾内には常時十数隻の日本タンカーが就航しておりまして、組合も経営側も労使共同して、何としても日本人船員の生命の安全を確保しつつ国民生活のためにもこのオイルロードを維持しなければならない。こうした使命感の中で、文字どおり昼夜毎日、懸命の情報収集と分析、戦闘の激化が予想される場合には航行ストップを指示する、小康状態を見計らってゴーサインを出す、こうしたストップ・アンド・ゴー方式、また船内では、ブリッジから居住区域におきましては攻撃に備えて土のうを積み上げ、戦闘用のヘルメットや防弾コートで身を包む等、可能な限りの安全対策を講じて対処してきたところであります。浮遊機雷が遊よくし、船舶の臨検、拿捕、威嚇など日常茶飯事でありました。乗組員も労使も、日本が中立国である、非交戦国である、紛争当事国でないということを唯一の誇りある正当なよりどころとして、粉骨砕身このオイルロードを維持してきたわけであります。
 さらに、その二年後、今度はイラクのクウェート侵攻により発生した湾岸戦争にも日本人船員は深くかかわることになります。
 当時、政府の強い要請で、中東貢献策の目玉として日本船舶による物資輸送の協力を求められるわけでありますが、組合も厳しい選択を迫られることになりました。一切の武器弾薬、兵員など直接戦闘行為に供する物資の輸送があってはならないこと、乗組員個々の就航拒否権を完全に保証することなど、政府と組合との間で特別な協定を締結いたしまして、日本人船員の乗り組む日本船二隻ほか三隻が建設資材等を積み込んでサウジアラビア方面に二航海程度就航したわけであります。
 その後、本船のキャプテンが組合機関誌のインタビューに答えまして、日本に帰ってきて、ああ、生きて帰ってきたんだな、日本は本当に平和な国だと思った、世界の海に真の平和が訪れ、日本国憲法が世界的に理解されることを望んでいると結んでいるところであります。本船近くにスカッドミサイル飛来の情報が飛び交うなど、当時の生々しい詳細な体験談は時間の都合で紹介できませんけれども、この船長の思いこそ海洋国日本に国籍を持つ日本人船員全員の共通のキーワードであります。
 次に、こうした体験を持つ船員の立場から、簡潔に新ガイドラインとその関連法案の問題点について触れてみたいと思います。
 まず、法案審議におけるこれまでの政府答弁を聞いておりますと、現行憲法では明確に禁じられていると政府みずから明確にしておられる武力行使と、いわゆる民間に協力してもらおうとする後方支援との関係であります。政府は、両者の関係には明確に一線が引かれるので後方支援が武力の行使と一体化することはあり得ないと繰り返し述べておられますが、私どもの過去の経験から見ますと、とりわけ海上輸送におきましては、全く現実離れした見解としか聞こえません。皮肉な言い方を許していただくならば、全くの机上の空論であり、平和ぼけ、こう言わざるを得ないところであります。
 最も身近な例では、NATO軍によるユーゴ空爆が四月に入ってからコソボ地域のユーゴ軍の補給路を遮断する作戦、すなわち後方支援活動を主たる攻撃目標とし、このための補給路である橋や鉄道、道路などが次々に破壊されています。ユーゴ空爆の正当性に対する疑問はさておきましても、経験的に申し上げれば、戦争は一たび戦端が開かれますと確実にエスカレートするわけであります。やがては民間も巻き込んで、後方地域に対する攻撃はもとより、誤爆、誤射、味方同士の相互攻撃、いわば何でもあり、何が起きても不思議はないというのが戦場を支配する論理であることをこの際申し上げておきたいと思います。
 また、周辺事態というあいまいな規定が想定していると言われる朝鮮半島、台湾海峡有事などについて申し上げれば、日本海、対馬海峡、黄海、東シナ海、バシー海峡から南シナ海周辺に、恐らく複数の米空母機動部隊が展開し、作戦行動するものと想定されますが、これら海域、船舶の航路帯は極めて狭い限定されたものであります。この狭い限定された海域に、米軍作戦の後方支援のために就航する船舶は、必然的に米軍作戦行動の傘の下に入ることになります。一体、どこに武力行使と一線を画す安全な後方地域が存在するのか、御存じの方は具体的にチャートの上で線引きをしていただきたいと思います。米軍の護衛のもとでの後方支援活動は、まさに武力行使との一体化そのものではないでしょうか。
 このように国民生活に決定的な影響を及ぼす自治体協力や民間協力について、法案では一切具体的、明確な内容が示されないばかりか、後方支援イコール安全、あとは白紙委任してくれと、政府答弁が繰り返されるたびに私どもは、この法案の危険性、危うさとともに、国民生活を初め、直接後方から前方へ兵たん活動を担う船員はもとより、陸上、航空、港湾の交通運輸労働者の命にかかわる深刻な事態を痛感せざるを得ないのであります。
 船員は、昔から板子一枚地獄という過酷な職場で働いてきました。海の日が国民の祝日として制定されるなど、だれしもが日本を海洋国家と認めるように、国民の日常の暮らしや文化、経済活動は深く海に依拠しているわけでありますが、コスト競争力のない日本人は不要である、こうした大合唱の中で、船員職業の魅力は喪失し、船員の減少にも歯どめがかからない深刻な現実がある一方、依然として海難事故も多く、陸上に比べて労働災害も少なくありません。こうした中でも、遭難した仲間は見捨てない、こうした船員社会の不文律を大切にし、我が組合員だけでも毎年二百名を超える人命救助を行っている、そういう職業集団であります。人道的な立場においては、時としてみずからの命を賭して職に当たってまいりましたし、そのことについては全くやぶさかではありません。
 しかしながら、船員は弾雨飛び交う戦場の海はもう御免であります。しかも、他国の戦場にみずから当事者となって後方支援という兵たん活動の先頭に立てなど、本人はもとより家族の皆さんにどう説明がつくのでしょうか。
 来るべき戦争に備えよと声高に叫ぶ前に、なぜ、世界に誇る憲法の平和主義をはぐくみ、武力なき平和の実現に向けて目に見える具体的な努力ができないのか、理解できません。
 どうかこの新ガイドラインと関連法案につきましては、一たん白紙撤回していただき、二十一世紀日本のあるべき針路は本当にどの方向なのか、徹底した国民討議の上、総選挙で信を問うていただき、それでも必要というのであれば国民投票で決めていただきたい。
 最後にこの点を訴え、私の公述といたします。
 どうもありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 平山誠一

speaker_id: 33704

日付: 1999-05-18

院: 参議院

会議名: 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会公聴会