倉田栄喜の発言 (運輸委員会)
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○倉田委員 公明党の倉田でございます。
二階新運輸大臣の果敢、果断な実行力に期待をしながら、質問をさせていただきたいと思います。
さて、先般の大臣のごあいさつの所信等をお伺いしながら、大臣は、特に安全性の確保、運輸安全戦略会議を設置するなど、安全性の確保を重視されながら施策を進めていかれるように拝聴いたしました。
そこで、きょうは少し時間もなくなりましたので、安全ということを中心にしながらお伺いをさせていただきたいと思います。私が最近読みました「鉄道員」それから「沈まぬ太陽」、この二つの読み物を読みながら思うところがありました。
「鉄道員」の方は、これは映画にもなりました。私は映画の方は見ておりませんけれども、あの文章の中で、いわゆる雪の中の列車というのか、汽車に対して主人公が敬礼をして送る、この一文のところを読みながら、今はどうであるかわからないけれども、かつての鉄道に従事する方々の安全に対するその崇高な使命感というのか、あるいは、いわゆる人の生命を預かっているのだという思いがあの敬礼をする一つの文章の中に凝縮されていたように私は思いました。
今、この鉄道、運輸に従事する方々の職場というのは、安全に対する訓練とか思いとか、そういうものはどうなっているのだろう。これは、決して運輸に従事する人たちだけの問題ではなくて、我が日本国の問題として、いわゆる職人的意識であるとか、その職場が持っている機能性、使命というものはどういうふうに伝わっているのだろうか。かつては先輩から後輩に対して厳しい訓練があったのだと思いますけれども、今果たしてどうなっているのだろうかなと、あの「鉄道員」の一文を見ながら強く思ったわけであります。
一方で、「沈まぬ太陽」という本も、またこれも読み物として読みながら、そこでは一つの個人の使命感とか安全感とか、あるいは現場が一生懸命に安全に対する思いを持ちながらも、前段の「鉄道員」の方でそれはどうなっているのですかという問題意識を持ちながらも、一方で、そういうことが仮にあったとしても、今度は組織自体がどうもそれを妨げるような組織機能になっているような、あそこに書かれている病理的なおぞましい部分はともかくといたしましても、いわゆる組織体機能として個人の使命感とか安全に対する強烈な自負心というものを妨げるようなことになっていはしないか。「鉄道員」と「沈まぬ太陽」を読みながら、私は強くそういうことを思いました。
そこで、大臣は、運輸安全戦略会議を設置して安全ということに対して総合的に検討をし、施策を講じていかれるということでございます。その中に、いわゆる運輸に携わられる方々の安全意識あるいは自負心、使命感、そういうものをどういうふうにして育てていくのか、そういう部分。確かに今まで、国営から民営に移って、それぞれ民の自主的な努力の中でやられていることだとは思いますけれども、果たしてそれだけで十分なのかどうか。今現実、この運輸、輸送という仕事に携わっておられる方々の安全の意識、あるいは職業としての訓練、教育、それをどうすればいいのかということについて、まず大臣に、今その部分についてどういう御認識なのか、そして、その御認識をもとにして、これからどうしていけばいいのか、その点についての御認識とお考えをお聞きできればと思います。