今泉昭の発言 (中小企業対策特別委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○今泉昭君 大臣の基本的な考え方はわかりましたけれども、私が今申し上げた裏で申し上げたいことは実はこういうことでございます。
 今の御答弁の中でも、実は二十一世紀に向けての我が国のあり方というものの具体的なものが見えないわけです。過去の我が国を振り返ってみますと、それぞれの年代におきまして一つの産業政策というんでしょうか、国家政策というものが一般の国民にある程度見えていたというふうに私は承知しております。
 例えば、戦後の直近でありました昭和二十年代におきましてまず我が国の政府がやったことは何か。まずエネルギーを確保しようといって石炭掘りに大変努力をされたでしょう。相当力を入れたはずであります。輸送を確保しようということで鉄道整備、輸送の整備に大変力を注がれた。さらにはまた、産業の米である鉄を自主生産していこうという、そういうところに力点を置いた産業政策というものが私はあったというふうに理解をしているわけです。各年代をとってみますと、それぞれ私はあったように思います。
 三十年代になりますと、御存じのように、日本はもはや戦後ではないということで自立をしていった。輸出立国として我が国はこれから進まなきゃならないという意気込みのもとに、中小企業、特に繊維産業の育成であるとかあるいはまた造船その他の輸出産業を大変力を入れて育成するという方法をとられた。
 四十年代においては、自由化の第一弾を受けて、例えば日本の産業を重厚長大産業にするために自動車産業をどう育成するか。一時はいろいろ批判があったけれども、十一の自動車メーカーでは生きていけないから、こことここの自動車メーカーを合併させてこういうふうに何社ぐらいにするなんというような作業までをやった時代に私も実は生きてきた人間でございます。
 五十年代になれば、石油ショックに基づいてもはや重厚長大の時代ではないということで、実は軽薄短小時代に向けての新しい電子機器産業をどう育成していくか、省エネルギー産業をどうしていくか、それぞれの時代において国が描いている一つの方向づけ、産業政策が明確に出ていたと思うのであります。
 最近は、いろんな意味で産業政策を余りやり過ぎると統制だ何だということで世界的にも批判が強いということで、余りこれは歓迎されないことであるかもしれないけれども、しかしこの激動の時代において、産業構造の変革と言われている、新しい時代だと言われている、そういう時代においてどういう形の産業構造をとるのか、どういうところに力点を置いていくのかということのやはり産業政策なるものが明確に国民にわかるようにこれは出されてしかるべきじゃないかと思うんです。そういうものを受けて、それを支えていく中小企業の皆さん方もこれで頑張ろうという気になるわけであります。そういうものが今ないわけであります。
 こういうことについて、大臣、どうお考えでしょうか。

発言情報

speech_id: 114614778X00619991124_013

発言者: 今泉昭

speaker_id: 20038

日付: 1999-11-24

院: 参議院

会議名: 中小企業対策特別委員会