米津等史の発言 (決算行政監視委員会第二分科会)
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○米津分科員 ありがとうございました。
今政務次官がおっしゃいましたように、私もけさ方千鳥ケ淵の戦没者墓苑に行ってまいりましたが、確かに、戦没者墓苑に行きますと、こういうパンフレットが雨にぬれながら、文鎮を置いて、とりたい人はとっていってほしいというふうになっていましたし、また、もうかなり古くなっているお花が、一本百円で献花してくださいというふうになっておりましたし、とても、形ができていても心がこもっていないんじゃないかというふうに憤りを感じて、けさ、この質問に立っているわけであります。
最後の質問ではありますけれども、昭和二十年の二月二十九日に、東京からわずか一千二百五十キロメートルの硫黄島にアメリカの海兵隊が上陸してまいりました。硫黄島は、御存じのように、サイパン、テニアン島から東京及び日本全域にわたる戦略爆撃機の出発点を防衛する重要な地政学的な位置にあり、この硫黄島をどうしてもアメリカはとるんだということで、およそ日本軍の倍以上の戦力で上陸してきたわけであります。
栗林大将は、硫黄島を守備し、最後の突撃に至るときに、残った兵士に対して、今、日本は戦いに敗れたといえども、日本国民は、諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸君のみたまに対し涙して黙祷をささげる日がいつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし。この言葉を残し、後世の日本人が自分たちの死に対し感謝の誠を尽くしてくれるということを固く信じて、国家の存立の危機に際し、御盾となって戦い、散華されていきました。
政務次官、よくアメリカと日本は違うというふうにおっしゃいますけれども、同じアーリントン墓地の中では、墓碑銘の中に、神のみぞ知る、アメリカのために戦った人々の栄光ここに眠るというふうに刻まれております。そして、その墓苑には常に二十四時間衛兵が立ち、国として最高の礼を尽くしているのであります。
今日までの戦没者の遺骨収集や慰霊について、余りにも日本とアメリカの姿勢の違いに私はただただ驚くばかりであり、今後、厚生省は、ぜひ抜本的な見直しをすることを含めて御検討をいただきたいというふうに申し上げて、私の質問を終わります。