西川伸一の発言 (科学技術委員会)

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○西川参考人 京都大学の西川です。
 レジュメでクローン法についてというのをお渡ししていると思いますけれども、これに基づいてお話ししたいと思います。
 それで、まず全般的な問題ですが、私は科学者の立場を主に強く押し出した視点でちょっと述べてみたいと思います。
 例えば遺伝子組み換え技術のように、今まで技術そのものが人類の健康や安全に脅威を及ぼすと考えられていた問題があって、こういうものは当然規制の対象となって論議されてきたわけです。ところが、今回のクローン法の問題を考えてみますと、例えば人類全体に対する安全性の懸念ではなくて、医学、生物学の成果、あるいはその活動そのものがこれまでの社会規範といったものに脅威となるという可能性について、しかも、科学者と社会が懸念を共有したという部分に特徴があるのではないかと思っています。
 もともと生物学の研究というものは、私から見ても生命操作と切り離すことができないという特徴を持っています。ですから、今回の法案の最も重要な点というのは、特に科学者側から考えて、それぞれの活動を社会に開示する仕組みをつくるという、その一点にあるのではないかと思っています。
 まず、このクローン法案がどのようにして考えられてきたか。日本だけではなくていろいろな国で考えられてきたわけですけれども、その歴史的な問題について若干述べたいと思います。
 クローン法に至る最も大きな契機になったのは、ロスリン研究所のウィルムットさんがクローン羊が可能であるということをネーチャーに報告した時点です。しかも、大事なポイントは、この報告があった同じ号のネーチャーで、専門家がこの技術の社会に対する問題点に対して指摘をし、しかも懸念を共有しているということなんですね。ですから、たまたまパブリケーションされたものに対してアーギュメントがされたんじゃなくて、科学者がまずそのインパクトについて認識して、それを社会に提示したという一つの例ではないかと思っています。
 今後も、新しい技術がどんどんと生命科学から生まれてくると思いますけれども、私、不遜と言われても、この問題を最初に議論するのは、当然その専門家と言われている人間ではないかと思います。ですから、こういうことが予想される社会においては、自分自身の活動の社会に対するインパクトについて自発的に開示するということが、その専門家あるいは研究者に対して一番重要な倫理規範として提示されるものだろうと思います。
 それで、今回のクローン法、日本のクローン法について考えますと、確かに、ヒト胚の扱いについて法的な取り組みが各国で異なっておったという問題で、さまざまな違いが出たために、日本とイギリスあるいはドイツという形で一見取り組みが異なるように思われますが、体細胞クローンという問題がこれまで私たちが文化として持ってきた社会の規範に対して脅威になるという点に関しては、各国とも脅威として懸念を共有するところになっているわけです。
 一応クローンの歴史的な問題はこれで終わりまして、次に、では生殖医療全体を包括的に扱った方がいいのかどうか。特にこれは民主党案で強調されている点だと思います。
 残念ながら我が国には、イギリスのHEF一九九〇年アクトと言われているような基礎となる法案はありません。これが現在の議論における不幸の始まりであることは言うまでもないと思います。しかし、今回、先ほど私が述べましたように、一つは社会規範に対する脅威として受けとれる範囲を明確にするという目的をこのクローン法案に付与するとすると、例えば現在行われている生殖医療を包括するような内容をつけ加えることが本当に可能かどうかというのは、私自身は、かなり疑問ではないか。特に、一万例も体外受精が現在も行われているということを考えると、難しいような気がします。
 振り返ってみますと、イギリスの一九九〇年アクトというものを持たない私たちの一つの反省は、なぜかといいますと、まず試験管ベビーが可能になったときに、医者を含む専門家がこれに関する問題を提起しなかったことはもう明らかであります。さらに、社会そのものが専門家に対して不信を持ったまま、しかしこれが医療として行われたために、プライバシーの壁に阻まれて、専門家に対してなかなかプロセスの開示を要求できなかったという点も、不幸な歴史だというふうに考えて、痛烈に反省すべきであろうと思っています。
 しかし、今回のクローン法に伴う指針策定のときに、幸いにも、私自身が見た限りでは、このヒト胚を用いる研究についての情報開示のワンステップというモデルはでき上がると思います。もちろん、これがすべてを包括するものではありませんので、生殖治療あるいはさまざまな可能性についてこれからも考えていく、さらに必要とあれば法案にしていくというプロセスが次に必要だろうとは思いますが、今回、先ほど述べたような目的のクローン法案のために、包括的にすべてをこの中に押し込むことによって、例えば、今生殖医療で一番問題になっているような借り腹の問題とか、そういう重要な問題の議論が難しくなっていくというふうに考えます。実際にどのぐらい進んでいるのかわかりませんが、厚生省で審議が進んでいるという部分もあるのではないかと期待しております。
 次に、これは政府案も民主党案もなんですが、これは個人的な意見とお聞きいただきたいと思いますが、ヒト胚についての倫理的な配慮あるいは基本理念が可能かという問題について、若干お話ししたいと思います。
 ほとんどの国の報告及び今回のクローン法、ヒト胚保護法に関して言いますと、ヒトの胚は生命の萌芽であるという認識をコンセンサスとして決めております。しかし今、私自身は、これ自身は問題があるのではないか、こう決めつける根拠を私たちは持つのかということを問い返したい。
 ヒトの胚は我々と同じ人格を持った存在であるという意見と同時に、ただの細胞の塊であるという意見まで、幅広い意見が存在する社会に私たちは住んでいるのであるということを考えるべきではないかと思います。したがって、実際には基本理念を明確にできない。コンセンサスがないところで、しかしそれでも民主主義を守るかどうかという問題が、多分今後問われていくのではないかというふうに思います。
 次に、では禁止と指針の問題ということで、時間がないので四番を飛ばしまして、五番の「母体への移植について指針規制分」について、若干意見を述べたいと思います。
 私自身にとっても、このクローン問題というのは、科学が自発的に開示する仕組み、それからそれのきっかけとして、社会規範への脅威という範囲を明確に規定することが多分一番重要ではないかと思っているのですが、ではどうしてすべて禁止しないのかという問題が出てくると思います。
 しかし、これに関しては、例えばイギリスの最近のドナルドソン・レポートでありましたようなセラピューティッククローニング、すなわち医療を目的としたクローニングというものが、ひょっとしたら将来可能になる。技術的には可能ですけれども、重要な方法として、あるいは生殖医療の一つの方向として取り入れられる、社会が認める可能性があるかもしれない。
 そういう意味で、この新しい可能性については専門家が今後も提起していく必要があるという意味で、範囲を規定するという部分において今回どこかに線を引けたということでは、それを象徴的に示す意味で、禁止と指針の規制区分が見えるということが重要ではないかと思っています。
 それで、ちょっとこれはレジュメにも書いていませんが、先ほどちらっと思いついて、極端な例として考えますと、例えば日本の民族が、環境ホルモンや何らかで男性が完全に不妊になってしまったというような状況で、文化的にそれを処理しようとすると、それはコスモポリタンになっていけばいいわけです。しかし、それを例えば民族的、遺伝的に処理しようとすると、違う方策を考えるということすらあると思いますから、今、何となく自分自身の気持ちや自分自身のクライテリアに合わないからといって、規範の線をあいまいにするということは、かなり問題があるのではないかというふうに思います。
 最後に、許可制と届け出制の問題について、少なくとも私個人という科学者はどう考えるかという問題についてお話ししたいと思います。
 これは、レジュメの一番最初に「どちらをとるかは思想の問題」と書いてしまいましたが、基本的に、この問題が云々される一番大きなベースに医者あるいは研究者に対する不信というものがあることは、私も理解しております。
 実際に、私から考えますと、届け出制というものは、みずからの活動を見せるための能動的な開示の仕組みを意味します。一方、許可制というものは、あくまでも受け身の仕組みなわけです。多様な価値が共存しますポストモダン社会では、しかもその中で民主主義を守っていくためには、それぞれの集団がほかのグループの懸念に耳を傾けて、みずからの活動をどのように開示するかということでしか、多分、民主主義は守れないのではないかと私自身は個人的には思っています。
 ですから、確かにこれまで医者、学者あるいは会社といったものが、自発的に情報公開を行わない、あるいは閉ざされたものであるということが社会に考えられておって、事実そうであったことも認めざるを得ません。しかし、この状況からスタートしてしまう、すなわち信用できないというスタートラインからすると、結局は許可制しかないと思います。それでは専門家自身がみずからを開示していくという仕組みはつくれない。ずっと許可制のイタチごっこを繰り返すように私自身は思います。
 ですから、科学者自身が変わるという意味で、この届け出制と許可制というものは、一見同じように見えても、将来の日本の科学の情報公開という問題にとって極めて重要な試金石になるのではないかと思っておりまして、あらゆる点で、許可制ではなくて届け出制を私自身は主張していきたいと思っています。
 以上です。どうもありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 西川伸一

speaker_id: 7183

日付: 2000-11-14

院: 衆議院

会議名: 科学技術委員会