森隆夫の発言 (文教委員会)

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○森参考人 ただいま御紹介いただきました森でございます。
 それでは、御報告させていただきます。
 第一分科会は「人間性豊かな日本人を育成する」という部会でございますが、まず最初に、ここでは、人間性論よりも日本人を育成するという人間性教育論に重点を置くという共通認識のもとにスタートいたしました。
 教育というものは、本来、未来に対する準備でありますから、人間として自立した大人になるためには家庭がその原点です。個人としての大人の準備は家庭が原点であります。また、二十一世紀を創造する人材、社会的存在としての人間、公民としての人間、その準備は学校の任務でございます。
 そういった意味で、これからの教育というものは家庭を原点としてスタートすべきだと。家庭を原点とすべきということは、臨教審でも、あらゆる教育の原点は家庭であると言っておりますし、中教審でも、あらゆる教育の出発点は家庭である、こう申しております。
 そういう意味で、家庭というのはあらゆる教育の原点であるのに、従来は、問題点の指摘はなされましたけれども、それに対する対策は必ずしも十分ではなかったわけであります。そういう意味で、まず、親が人生最初の教師で、家庭でどう対応すべきかということについて考えました。
 具体的に申しますと、提言の一にありますように、親がまず信念を持って、しつけ三原則をつくるとか、そういうことをやったらどうかというような問題、あるいは、文部省が出しました家庭教育手帳、家庭教育ノートというのがございますが、これを改善して、もっと活用してもいいのじゃないかといったようなことなどを家庭教育の問題としてここに提起してございます。
 次に、「学校は道徳を教えることをためらわない」。提言の二でございますが、ここでは、従来道徳教育は、学校では道徳の時間という形でなされておりますが、教科ではございませんので、道徳教育を教科にしたらどうかという提案がなされております。
 教育の理想は、知、徳、体の三者の調和的発展でありますが、知と体についてはそれぞれかなりの基本的な計画や施策が行われておりますが、徳については、三者のうちで相対的におくれております。人間の肉体というものは成熟して老化しますが、人間の人格が成熟して老化したという話を聞いたことがございません。そういった意味で、人間の人格は永遠に未成熟でございます。そこで、道徳教育の重要性というものは重要視してもし過ぎることはないというのが基本的な考えでございます。
 そういった意味で、小学校の今日の道徳はそのままでいいのですが、中学校ではこれを人間科、高校では人生科というふうに名称を改めたらどうか。その理由は、学校がかわるごとに教科がかわるということは、ショックを与えまして、何だろうと考えるという意味だけでも活性化効果がございます。人間とは何だろう、人生とは何だろうということを考えさせる意味でも、教科名をかえたらどうかという提案であります。
 そこでは、もちろん、人間とは何かということと同時に、生とは何か、死とは何かといったような基本的なことも教える、そういう提案をしております。
 それから、この括弧の中の二番目の提言にございますが、日本人として今言葉が乱れております、そういった意味で人間性を豊かにする基本は言葉の教育にあるのじゃないか。特に、幼児期における言葉、敬語の使い方です。
 私は個人的にいつも思うのですけれども、「すみません」と言う人は、これは音便形で「すいません」と言ってもいいのですけれども、テレビを見ておりますと、今、若者はほとんど「すいません」としゃべります。それをテロップで流すと、やはり「すいません」と書いているわけです。これは、私はいつも悩むのです。話し言葉と書き言葉、書き言葉では「すみません」の方がいいのじゃないかと思うのですけれども、話し言葉では、音便形で使ってもいい、こうなっておりますから、話し言葉をそのまま表現するときはどうしたらいいのかという問題でいつも悩んでいる。個人的な、ちょっと余計なことを言いました。
 さらに、学校教育では、もっと文化や伝統、古典、哲学、歴史を重視しなければいけないという提案がなされております。
 次の提案は、いろいろ騒がれております奉仕活動であります。これにつきましては、奉仕活動は道徳教育の各論の一つでございます。それなのに、奉仕活動の義務化という言葉がどうもひとり歩きしているようです。国民会議の提案をよくお読みいただくとわかるように、奉仕活動については、学校教育における子供の奉仕活動、奉仕体験学習と、もう一つは十八歳の国民に対する奉仕活動の義務化を検討するという二つに分かれているのですが、これが混線して議論されている嫌いがございます。
 そこで、区別して申しますが、まず奉仕活動の学校教育における方でございます。これは今日でも行われているわけでありまして、お手元の資料に、「新学習指導要領における奉仕活動に関わる主な内容について」というのがあると思います。それをごらんいただけばわかりますが、小中高とも、奉仕活動については、小学校では「道徳」のところで「社会に奉仕する」、中学校でも「奉仕の精神をもって」とか、それから「特別活動」では、小学校では「社会奉仕の精神を涵養する体験が得られるような」、中学校でも「社会奉仕の精神を養う体験が」、高等学校でも「社会奉仕の精神を養う体験が」といったように、もう既に規定されているわけであります。
 現在行われているそういったさまざまな奉仕の精神を養う体験学習をもっと活性化しようということで、小中では二週間、あるいは高等学校では一カ月の共同生活でというところが新しいところでございますが、そういう提案をいたしました。
 なお、細かい具体的な実施案については、これは各学校、教育委員会で工夫していただければいいと思うわけでありますが、参考までに少し敷衍しておきますと、共同生活については、既に全国で通学合宿という制度が社会教育の分野で百五十四カ所も行われております。特に福岡県と鹿児島県が多いわけでありますけれども、そういうところでは、異年齢の子供が一週間ぐらい合宿して、そこから学校へ通学するという形態をとっております。
 ですから、これは、社会教育の通学合宿と学校教育でやっております修学旅行とか移動教室等を連携すれば、これぞまさに各者連携でやれば可能な方法は幾らでもこれからあるのではなかろうかと思います。
 さらに、奉仕活動につきましては、奉仕義務化ということで、自発性に基づく奉仕を義務にするとは何事かという反論もございます。これに対しては、大人と子供の違いを考えれば明らかでございます。大人は自立していますから自発的に奉仕活動はできますが、子供はまだ自立していませんから、奉仕活動の何たることかも知らずに、自発的にできないわけであります。
 ですから、自発的に、自立心を養う、思いやりの心を養うために、学校で奉仕活動を行う。学校というのは、本来、社会に入る門でございますから、当然いろいろなことを教えなければいけない。それが強制という側面を持つわけでございますけれども、義務教育はすべて強制の面を持っております。
 そういったことで、大人と子供の区別を考えれば、大人でも自発的に奉仕活動をしていなければいけないのに、現にしていないわけであります。
 この奉仕活動というのは、特定の日に、困ったときに災害地へ行くということではございません。奉仕活動の日常化ということが重要なわけでございます。奉仕活動の日常化というのは、道路に落ちているたばこの吸い殻、空き缶を拾っているかどうかということでございます。一カ月に一度、ボランティアで空き缶拾いをするということではございません。それは自分が捨てた空き缶を拾っているかもしれないのです。
 そういう意味で、私は、奉仕活動は自発的にするべきで義務化すべきでないという意見については、いささかちょっと異なった見解を持っているということを申しておきます。
 なお、奉仕は法律になじまないという意見もございますが、憲法十五条二項に、あるいはまた教育基本法第六条二項にも、公務員は全体の奉仕者とか、国家公務員法、地方公務員法でも、全体の奉仕者として職務に専念する義務があると法律にきちっと規定されているということも申し添えておきたいと思います。
 奉仕活動でちょっと時間をとりました。次の提案でございますが、現在、学級崩壊が問題になっております。学級崩壊を起こしている子供というのは、多くて全体の二割、荒れた学校でも二割、せいぜい一割ぐらいだと現場の先生方がおっしゃっております。そういう意味で、そういう人たちに別の教育方法、教育環境を考えれば学級崩壊も緩和されるのではないかということで、そういう問題を起こす子供への教育ということを考えなければいけない。問題は、もっと多く、ひどくなれば、厚生省の児童自立支援組織、昔の教護院でございますが、そこへ入るわけでありますが、教護院の数は少ないし、なかなか入れないので、教護院と児童自立支援組織と学校との中間のような、そういう機関が考えられないかという意見もございました。
 最後の、「有害情報等から子どもを守る」ということでございますが、これにつきましては、悪いものから子供を守れば子供はすくすくと育つ、そういう教育観が、ルソーのネガティブエデュケーションと申すものがございますが、それが、今日有害情報によって子供たちの環境が汚染されているから、これを何とかしようという提案でございます。
 さらに一歩進めて、悪から子供を守るだけじゃなくて、子供に有益な情報、そういう情報についても研究開発が必要なのではないかと思います。
 最後に、第一分科会では教育基本法についても議論いたしましたので、それについて簡単に御報告して、終わらせていただきます。
 教育基本法につきましては、先ほど江崎座長からお話がありましたように、我々は、初めに改革ありきというスタンスでスタートしておりません。教育改革論を議論した上で、教育基本法の改革にも触れざるを得ない場合には、必要ならば改革しよう、そういうことで全員一致しております。
 なお、検討することについてはやぶさかでないということで、全員がそれについては、改正ではなくて検討することについては、賛成している。
 改正についても、第一分科会としては、大筋としては見直した方がいいのじゃないかと。その理由は、先ほど申されましたように、基本法成立五十三年ですか、もう既に一定の役割を果たしている、社会は変化している、だから見直してもいいのじゃないかという意見でございます。中には、五十年たってようやく定着したのだからこれからじゃないかと言う人もいますが、五十年たって十分実現されていないのならもう五十年たっても実現されないのじゃないかという意見もあるわけでございます。
 そうすると、もっと実効的な基本法にしたらどうかということで、教育基本法以外にどういう基本法があるかということを調べてみますと、何と十七も基本法がございます。教育基本法だけが占領下の昭和二十二年にできまして、その後、原子力基本法を初め、最近の、平成十一年の食料・農業・農村基本法などに至る十六の基本法がございますが、これらの大部分は基本計画を持っております。教育基本法は理念だけでございます。理念はすばらしい、立派なものでございますが、その理念がなかなか実現しない。これは基本計画がないからじゃないかと思うのです。
 先ほど江崎座長がおっしゃいましたように、教育振興基本計画のような要素をこれにつけ加えれば教育改革はもっと進むのじゃなかろうか、こう思います。
 なお、教育基本法に何が欠けているか。世の中には完全なものはないのですから、これを補うということは絶えず必要だと思うのです。そういう意味で、いろいろな意見が出ましたが、一言で言いますと、ベースキャンプなき登山隊というのが私の感想でございます。
 これは、教育基本法の理念は世界最高のエベレストのような非常に立派なことが書かれているのですが、これを達成するには、この山に登るには、やはりベースキャンプが必要だ。すべての登山隊はしっかりとしたベースキャンプを持っております。その教育のベースキャンプは、原点は家庭であります。家庭、郷土、国家、これについての規定が教育基本法については、全くないとは言いませんが、それが少し軽視されているような気がする、こういうことであります。
 以上、教育基本法については必要に応じて改正するにやぶさかではないという問題提起をしたということであります。
 時間が参りました、以上で終わります。どうもありがとうございました。

発言情報

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発言者: 森隆夫

speaker_id: 4471

日付: 2000-11-17

院: 衆議院

会議名: 文教委員会