文教委員会

2000-11-17 衆議院 全198発言

⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

会議録情報#0
平成十二年十一月十七日(金曜日)
    午前九時三十分開議
 出席委員
   委員長 西  博義君
   理事 岩永 峯一君 理事 河村 建夫君
   理事 下村 博文君 理事 渡辺 博道君
   理事 藤村  修君 理事 山元  勉君
   理事 池坊 保子君
      伊藤 公介君    岩崎 忠夫君
      小渕 優子君    奥山 茂彦君
      鈴木 恒夫君    馳   浩君
      林 省之介君    原田 義昭君
      福井  照君    森  英介君
      森岡 正宏君    森山 眞弓君
      石井 紘基君    大石 尚子君
      鎌田さゆり君    田中  甲君
      牧  義夫君    松沢 成文君
      山口  壯君    山谷えり子君
      佐藤 公治君    石井 郁子君
      山内 惠子君    谷本 龍哉君
      松浪健四郎君
    …………………………………
   文部大臣         大島 理森君
   文部政務次官       鈴木 恒夫君
   政府参考人
   (公正取引委員会事務総局
   経済取引局長)      鈴木 孝之君
   政府参考人
   (警察庁生活安全局長)  黒澤 正和君
   政府参考人
   (総務庁青少年対策本部次
   長)           川口  雄君
   政府参考人
   (外務大臣官房審議官)  横田  淳君
   政府参考人
   (文化庁次長)      伊勢呂裕史君
   政府参考人
   (通商産業省生活産業局長
   )            林  良造君
   政府参考人
   (郵政省放送行政局長)  金澤  薫君
   参考人
   (教育改革国民会議座長)
   (芝浦工業大学学長)   江崎玲於奈君
   参考人
   (教育改革国民会議第一分
   科会主査)
   (お茶の水女子大学名誉教
   授)           森  隆夫君
   参考人
   (教育改革国民会議第二分
   科会主査)
   (慶應義塾幼稚舎長)   金子 郁容君
   参考人
   (教育改革国民会議第三分
   科会主査)
   (大学評価・学位授与機構
   長)           木村  孟君
   文教委員会専門員     高橋 徳光君
    —————————————
委員の異動
十一月十七日
 辞任         補欠選任
  森山 眞弓君     伊藤 公介君
  柳澤 伯夫君     森  英介君
  田中  甲君     石井 紘基君
  山谷えり子君     鎌田さゆり君
  都築  譲君     佐藤 公治君
同日
 辞任         補欠選任
  伊藤 公介君     森山 眞弓君
  森  英介君     柳澤 伯夫君
  石井 紘基君     田中  甲君
  鎌田さゆり君     山谷えり子君
  佐藤 公治君     都築  譲君
    —————————————
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 著作権等管理事業法案(内閣提出第一三号)(参議院送付)
 文教行政の基本施策に関する件(教育改革国民会議中間報告について)

    午前九時三十分開議
     ————◇—————
この発言だけを見る →
西
西博義#1
○西委員長 これより会議を開きます。
 文教行政の基本施策に関する件、特に教育改革国民会議中間報告について調査を進めます。
 本日は、本件調査のため、参考人として、教育改革国民会議座長・芝浦工業大学学長江崎玲於奈君、教育改革国民会議第一分科会主査・お茶の水女子大学名誉教授森隆夫君、教育改革国民会議第二分科会主査・慶應義塾幼稚舎長金子郁容君及び教育改革国民会議第三分科会主査・大学評価・学位授与機構長木村孟君、以上四名の方々に御出席をいただき、御意見を賜ることにいたしております。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、江崎参考人、森参考人、金子参考人、木村参考人の順に、お一人十五分以内で御意見をお述べいただきたいと思います。その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、御了承願いたいと存じます。
 それでは、まず江崎参考人にお願いいたいます。
この発言だけを見る →
江崎玲於奈#2
○江崎参考人 ただいま御紹介にあずかりました江崎玲於奈でございます。
 本日は、教育改革国民会議につきまして、去る九月二十二日に公表されました中間報告、皆さんのお手に渡っておると思いますが、それを中心に御説明申し上げたいと存じます。
 これはちょっと余談なんでございますが、昨日、ことしノーベル賞をおもらいになった白川英樹さんがつくばに来ていただきまして、いろいろなことを話す機会がございました。
 そこでの話で、かいつまんで申しますと、やはり先生、サイエンスの先生が非常に大事だと。自分が化学、ケミストリーをやったということは、ケミストリーの先生が非常にかわいがってくれて、化学というものに興味を持たせてくれたということが彼の一生を左右したということでございます。
 結論的に申しますと、中学、高校にはそういうサイエンスのすぐれた先生が少ないのじゃないかということも一つの結論でございまして、今後化学の振興にそういうことが非常に重要だということを申し上げておきたいと思います。
 さて、教育改革国民会議の方に戻りますと、これは二十六人の委員で構成されておりまして、去る三月、前総理の小渕総理大臣のもとに発足したわけでございます。実は、ことしの三月の初めにブッチホンがかかってまいりまして、小渕さんから、なってくれと。私は、最初この大任をやや逡巡したんでございますが、私の今日あるのも日本の教育のおかげでございまして、最終的にはお受けした次第でございます。小渕さんのお話ですと、二十一世紀に活躍するような創造的な人材が日本にどうしても必要なんだと。私もそれについては全く一致した次第で、お受けしたという経過がございます。
 もちろん、現在の日本の問題は、そういう創造的な人材を今後どんどんつくらなくてはいけないという問題と、もう一つは、日本の教育界には病理のような問題がございます。少年犯罪の多発、学級崩壊、いじめ、不登校、その他教育環境の荒廃というものがございまして、学校、地域、家庭がどう対処すべきかということが重要課題になっております。
 さて、私たちはこういう点を踏まえまして我が国の教育について議論を行ってまいりました。本日、お手元にお配りしております「教育改革国民会議中間報告 教育を変える十七の提案」は、教育改革国民会議発足以来、三十九回に及ぶ会議での議論をまとめたものでございます。
 この中間報告をまとめるに当たりましては、国民の皆さんに読んでいただける骨太でわかりやすいものを目指す観点から、理念や抽象論を展開するより、具体的で建設的な提案を行っております。また、幼児、小中高から大学、大学院を通じての教育全般を論議の対象とした一方で、教育のあらゆる分野の課題を扱うというよりも、焦点を絞って論議を行ってきたところでございます。
 各分科会ごとの具体的な説明につきましては、分科会審議の取りまとめに当たっていただいた分科会主査の方々から説明していただくことになっておりますが、私からは、中間報告の基本的な視点について、かいつまんで説明したいと存じます。
 まず初めは、六ページ及び七ページの「人間性豊かな日本人を育成する」ということについてでございます。
 今日の子供たちの状況を考えますと、私は、しつけとか道徳など家でするべき教育が日本では欠けていることが大きな問題ではないかと思っております。子供の教育を考えると、まず最初に、親自身がしつけがなっていないという指摘も少なくありません。親たちに対する何らかのカウンセリングが必要ですし、また、家庭でしつけられていない子供を指導するには、先生の質も高めていかなければならない、こう思っている次第でございます。
 そのほかにも、学校での道徳教育の充実や、小中高校で奉仕活動を行うこと、問題を起こす子供への教育をあいまいにしないこと、有害情報等から子供たちを守ることが大変大事であると考えております。
 次に、八ページ、九ページ、「一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む日本人を育成する」ことについてでございます。
 教育というものは、各人が持って生まれた潜在能力を最大限に発揮させるのが教育でございます。現在の分子生物学では、ヒトゲノムの解読が盛んに行われておりまして、皆さん御存じのように、医療ということにつきましては、そういう遺伝的な原因によるもの、それから環境によるものなどが割にはっきりしておりまして、カスタムメード、個人に合った医療というものが考えられております。ちょうどそれと同じように、我々人間の能力、持って生まれた素質、タレントは、各個人が固有のものを持っております。それは、皆さんそれぞれ持って生まれた遺伝情報の中に書き込まれておるわけでございますから、そういう個性を伸ばすということが必要です。
 それから、もう一つ申し上げたいことは、世の中が変わっておる。ITというようなことをよく言われます。これは、今までのようにルーチンな仕事があった、ルーチンというのは言われたとおりすればいい仕事ですが、そういう時代から、多くの仕事は常に考えながら取り組まなければならなくなって、皆さん、ここにおられる議員さんは、昔から自分で考えて仕事をなさらなくてはならないのだと思いますが、多くの世の中の仕事が、やはり成果が重視され、各人に的確な判断と創造的な工夫、創造的な手段が要請される、そういう仕事が多くなった。そういう時代に生きる人を育てなくてはいけないということが我々の使命でございます。ですから、一人一人に合った教育ということです。
 そういう点から、中間報告では、少人数教育の推進、習熟度別学習、大学入学年齢制限の撤廃など、一律主義を捨てて個性を伸ばす、個人の能力を最大限に発揮するような教育、ですから、言いますと、学習指導要領というようなものを決めてしまって、皆さんそれに倣いなさい、そういうある種の平等主義教育じゃなしに、能力に合った教育をしようというのが我々の提案でございます。
 そういう点を考えますと、今までのように記憶力を重視したような大学入試を改めてそれを多様化する、大学生にしっかり勉強するシステムを導入する、職業観、勤労観をはぐくむ教育を推進することが求められているわけでございます。
 次に、十ページ、十一ページに移りまして、「新しい時代に新しい学校づくりを」についてでございます。
 私は、今の教育の現状を考えた場合、学校や教師や親や地域からの信頼にこたえる必要があると考えております。このような観点から、中間報告では、新しい時代の新しい学校づくりを提案しております。
 例えば、個々の教師の努力や意欲を認め、よい点は伸ばし、効果が上がるように評価と結果のフィードバックを行うことが大切です。また、学校や教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れること、多様な教育機会を提供すること、新しいタイプの学校の設置を推進することが大切ではないかと考えております。
 次に、十二ページの上段の「教育施策の総合的推進のための教育振興基本計画を」についてでございます。
 私は、教育改革を着実に進めるため、目指すべき教育の全体像を示した基本的な計画、すなわち教育振興基本計画が必要であると考えております。
 具体的に教育改革を行うには、当然お金がかかります。アメリカなどに比べますと、もっと公的資金を教育に投じていただかなければならない。これも統計でございますが、GDP当たりを考えますと、欧米に比べまして、ある計算をしますと七兆円くらい教育に投資していただく、そうしますと、欧米が初等、中等、高等教育に投じているお金とほとんどコンパラブルになるということを申し上げたい。
 高等教育というものをよくするには、国立大学もそうですが、私立大学もサポートすることが必要だと思います。もちろん、税金をつぎ込む以上、厳格な評価を実施することが必要です。評価を重視し、評価しながらよくしていくという観点から、教育振興基本計画、教育環境の着実な改善を図ることが不可欠でございます。
 私は科学技術基本計画にも参画をしておりますが、ああいうふうに、科学技術基本法ができ、科学技術基本計画というものによって日本のサイエンスが発展したということ、それと同じように、教育につきましても教育振興基本計画が必要じゃないかと思います。
 次に、十二ページ下段の「教育基本法の見直しについて国民的議論を」について申し上げます。
 まず初めに申し上げますと、私たちは、教育基本法を変えなくてはいけないという意識で出発したのではありません。また、反対に、変えてはいけないという固定観念も持っておりません。教育基本法は、よくできた法律ですが、制定から五十三年たっており、見直しについては国民的議論が必要だと思います。
 私は、二つの文化を認めなくてはならない、こういうふうに思っております。二つの文化というのは、一つは、古きよきものにあこがれ、それにとらわれる文化でございます。私は京都で小中高を育ちましたが、京都千二百年の伝統、そういうふうな伝統文化、これは歴史志向で、地域、京都とか日本とかそういうことでございます。
 しかし、もう一つの文化、これは大変重要なものでございます。それは、新しい進化を求め、変革をやまない文化でございます。それは、いろいろなところでそういうものがございますが、それを最も象徴するものはサイエンス、科学の文化です。これは未来志向でございます。ここに非常に創造性があるということを申し上げておきたい。
 ですから、教育基本法についても、この双方から論議していただかなくてはならないということを考えております。
 教育というのは非常に多面性を持っておるものでございまして、いろいろな意見があり、それぞれの意見にメリットがあるように私は思います。ですから、日本全体でダイナミックに教育をディスカッションしていく、日本全体の問題として、すべての人間が改革に参加するということが必要ではないかと思います。
 このため、十月から十一月にかけて、全国四カ所で一日教育改革国民会議を実施しておりまして、国民の皆さんからの意見をいただいているところでございます。国民の皆さんの意見をまとめながら、十一月十四日から全体会議の論議を再開し、十二月中に最終的な報告をまとめたいと考えております。文教委員の皆様からちょうだいする貴重な御意見を十分踏まえながら、最終報告に向けて真摯に審議を行ってまいりたいと考えております。
 本日は、どうかよろしくお願いしたいと思います。拍手
この発言だけを見る →
西
西博義#3
○西委員長 ありがとうございました。
 次に、森参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
森隆夫#4
○森参考人 ただいま御紹介いただきました森でございます。
 それでは、御報告させていただきます。
 第一分科会は「人間性豊かな日本人を育成する」という部会でございますが、まず最初に、ここでは、人間性論よりも日本人を育成するという人間性教育論に重点を置くという共通認識のもとにスタートいたしました。
 教育というものは、本来、未来に対する準備でありますから、人間として自立した大人になるためには家庭がその原点です。個人としての大人の準備は家庭が原点であります。また、二十一世紀を創造する人材、社会的存在としての人間、公民としての人間、その準備は学校の任務でございます。
 そういった意味で、これからの教育というものは家庭を原点としてスタートすべきだと。家庭を原点とすべきということは、臨教審でも、あらゆる教育の原点は家庭であると言っておりますし、中教審でも、あらゆる教育の出発点は家庭である、こう申しております。
 そういう意味で、家庭というのはあらゆる教育の原点であるのに、従来は、問題点の指摘はなされましたけれども、それに対する対策は必ずしも十分ではなかったわけであります。そういう意味で、まず、親が人生最初の教師で、家庭でどう対応すべきかということについて考えました。
 具体的に申しますと、提言の一にありますように、親がまず信念を持って、しつけ三原則をつくるとか、そういうことをやったらどうかというような問題、あるいは、文部省が出しました家庭教育手帳、家庭教育ノートというのがございますが、これを改善して、もっと活用してもいいのじゃないかといったようなことなどを家庭教育の問題としてここに提起してございます。
 次に、「学校は道徳を教えることをためらわない」。提言の二でございますが、ここでは、従来道徳教育は、学校では道徳の時間という形でなされておりますが、教科ではございませんので、道徳教育を教科にしたらどうかという提案がなされております。
 教育の理想は、知、徳、体の三者の調和的発展でありますが、知と体についてはそれぞれかなりの基本的な計画や施策が行われておりますが、徳については、三者のうちで相対的におくれております。人間の肉体というものは成熟して老化しますが、人間の人格が成熟して老化したという話を聞いたことがございません。そういった意味で、人間の人格は永遠に未成熟でございます。そこで、道徳教育の重要性というものは重要視してもし過ぎることはないというのが基本的な考えでございます。
 そういった意味で、小学校の今日の道徳はそのままでいいのですが、中学校ではこれを人間科、高校では人生科というふうに名称を改めたらどうか。その理由は、学校がかわるごとに教科がかわるということは、ショックを与えまして、何だろうと考えるという意味だけでも活性化効果がございます。人間とは何だろう、人生とは何だろうということを考えさせる意味でも、教科名をかえたらどうかという提案であります。
 そこでは、もちろん、人間とは何かということと同時に、生とは何か、死とは何かといったような基本的なことも教える、そういう提案をしております。
 それから、この括弧の中の二番目の提言にございますが、日本人として今言葉が乱れております、そういった意味で人間性を豊かにする基本は言葉の教育にあるのじゃないか。特に、幼児期における言葉、敬語の使い方です。
 私は個人的にいつも思うのですけれども、「すみません」と言う人は、これは音便形で「すいません」と言ってもいいのですけれども、テレビを見ておりますと、今、若者はほとんど「すいません」としゃべります。それをテロップで流すと、やはり「すいません」と書いているわけです。これは、私はいつも悩むのです。話し言葉と書き言葉、書き言葉では「すみません」の方がいいのじゃないかと思うのですけれども、話し言葉では、音便形で使ってもいい、こうなっておりますから、話し言葉をそのまま表現するときはどうしたらいいのかという問題でいつも悩んでいる。個人的な、ちょっと余計なことを言いました。
 さらに、学校教育では、もっと文化や伝統、古典、哲学、歴史を重視しなければいけないという提案がなされております。
 次の提案は、いろいろ騒がれております奉仕活動であります。これにつきましては、奉仕活動は道徳教育の各論の一つでございます。それなのに、奉仕活動の義務化という言葉がどうもひとり歩きしているようです。国民会議の提案をよくお読みいただくとわかるように、奉仕活動については、学校教育における子供の奉仕活動、奉仕体験学習と、もう一つは十八歳の国民に対する奉仕活動の義務化を検討するという二つに分かれているのですが、これが混線して議論されている嫌いがございます。
 そこで、区別して申しますが、まず奉仕活動の学校教育における方でございます。これは今日でも行われているわけでありまして、お手元の資料に、「新学習指導要領における奉仕活動に関わる主な内容について」というのがあると思います。それをごらんいただけばわかりますが、小中高とも、奉仕活動については、小学校では「道徳」のところで「社会に奉仕する」、中学校でも「奉仕の精神をもって」とか、それから「特別活動」では、小学校では「社会奉仕の精神を涵養する体験が得られるような」、中学校でも「社会奉仕の精神を養う体験が」、高等学校でも「社会奉仕の精神を養う体験が」といったように、もう既に規定されているわけであります。
 現在行われているそういったさまざまな奉仕の精神を養う体験学習をもっと活性化しようということで、小中では二週間、あるいは高等学校では一カ月の共同生活でというところが新しいところでございますが、そういう提案をいたしました。
 なお、細かい具体的な実施案については、これは各学校、教育委員会で工夫していただければいいと思うわけでありますが、参考までに少し敷衍しておきますと、共同生活については、既に全国で通学合宿という制度が社会教育の分野で百五十四カ所も行われております。特に福岡県と鹿児島県が多いわけでありますけれども、そういうところでは、異年齢の子供が一週間ぐらい合宿して、そこから学校へ通学するという形態をとっております。
 ですから、これは、社会教育の通学合宿と学校教育でやっております修学旅行とか移動教室等を連携すれば、これぞまさに各者連携でやれば可能な方法は幾らでもこれからあるのではなかろうかと思います。
 さらに、奉仕活動につきましては、奉仕義務化ということで、自発性に基づく奉仕を義務にするとは何事かという反論もございます。これに対しては、大人と子供の違いを考えれば明らかでございます。大人は自立していますから自発的に奉仕活動はできますが、子供はまだ自立していませんから、奉仕活動の何たることかも知らずに、自発的にできないわけであります。
 ですから、自発的に、自立心を養う、思いやりの心を養うために、学校で奉仕活動を行う。学校というのは、本来、社会に入る門でございますから、当然いろいろなことを教えなければいけない。それが強制という側面を持つわけでございますけれども、義務教育はすべて強制の面を持っております。
 そういったことで、大人と子供の区別を考えれば、大人でも自発的に奉仕活動をしていなければいけないのに、現にしていないわけであります。
 この奉仕活動というのは、特定の日に、困ったときに災害地へ行くということではございません。奉仕活動の日常化ということが重要なわけでございます。奉仕活動の日常化というのは、道路に落ちているたばこの吸い殻、空き缶を拾っているかどうかということでございます。一カ月に一度、ボランティアで空き缶拾いをするということではございません。それは自分が捨てた空き缶を拾っているかもしれないのです。
 そういう意味で、私は、奉仕活動は自発的にするべきで義務化すべきでないという意見については、いささかちょっと異なった見解を持っているということを申しておきます。
 なお、奉仕は法律になじまないという意見もございますが、憲法十五条二項に、あるいはまた教育基本法第六条二項にも、公務員は全体の奉仕者とか、国家公務員法、地方公務員法でも、全体の奉仕者として職務に専念する義務があると法律にきちっと規定されているということも申し添えておきたいと思います。
 奉仕活動でちょっと時間をとりました。次の提案でございますが、現在、学級崩壊が問題になっております。学級崩壊を起こしている子供というのは、多くて全体の二割、荒れた学校でも二割、せいぜい一割ぐらいだと現場の先生方がおっしゃっております。そういう意味で、そういう人たちに別の教育方法、教育環境を考えれば学級崩壊も緩和されるのではないかということで、そういう問題を起こす子供への教育ということを考えなければいけない。問題は、もっと多く、ひどくなれば、厚生省の児童自立支援組織、昔の教護院でございますが、そこへ入るわけでありますが、教護院の数は少ないし、なかなか入れないので、教護院と児童自立支援組織と学校との中間のような、そういう機関が考えられないかという意見もございました。
 最後の、「有害情報等から子どもを守る」ということでございますが、これにつきましては、悪いものから子供を守れば子供はすくすくと育つ、そういう教育観が、ルソーのネガティブエデュケーションと申すものがございますが、それが、今日有害情報によって子供たちの環境が汚染されているから、これを何とかしようという提案でございます。
 さらに一歩進めて、悪から子供を守るだけじゃなくて、子供に有益な情報、そういう情報についても研究開発が必要なのではないかと思います。
 最後に、第一分科会では教育基本法についても議論いたしましたので、それについて簡単に御報告して、終わらせていただきます。
 教育基本法につきましては、先ほど江崎座長からお話がありましたように、我々は、初めに改革ありきというスタンスでスタートしておりません。教育改革論を議論した上で、教育基本法の改革にも触れざるを得ない場合には、必要ならば改革しよう、そういうことで全員一致しております。
 なお、検討することについてはやぶさかでないということで、全員がそれについては、改正ではなくて検討することについては、賛成している。
 改正についても、第一分科会としては、大筋としては見直した方がいいのじゃないかと。その理由は、先ほど申されましたように、基本法成立五十三年ですか、もう既に一定の役割を果たしている、社会は変化している、だから見直してもいいのじゃないかという意見でございます。中には、五十年たってようやく定着したのだからこれからじゃないかと言う人もいますが、五十年たって十分実現されていないのならもう五十年たっても実現されないのじゃないかという意見もあるわけでございます。
 そうすると、もっと実効的な基本法にしたらどうかということで、教育基本法以外にどういう基本法があるかということを調べてみますと、何と十七も基本法がございます。教育基本法だけが占領下の昭和二十二年にできまして、その後、原子力基本法を初め、最近の、平成十一年の食料・農業・農村基本法などに至る十六の基本法がございますが、これらの大部分は基本計画を持っております。教育基本法は理念だけでございます。理念はすばらしい、立派なものでございますが、その理念がなかなか実現しない。これは基本計画がないからじゃないかと思うのです。
 先ほど江崎座長がおっしゃいましたように、教育振興基本計画のような要素をこれにつけ加えれば教育改革はもっと進むのじゃなかろうか、こう思います。
 なお、教育基本法に何が欠けているか。世の中には完全なものはないのですから、これを補うということは絶えず必要だと思うのです。そういう意味で、いろいろな意見が出ましたが、一言で言いますと、ベースキャンプなき登山隊というのが私の感想でございます。
 これは、教育基本法の理念は世界最高のエベレストのような非常に立派なことが書かれているのですが、これを達成するには、この山に登るには、やはりベースキャンプが必要だ。すべての登山隊はしっかりとしたベースキャンプを持っております。その教育のベースキャンプは、原点は家庭であります。家庭、郷土、国家、これについての規定が教育基本法については、全くないとは言いませんが、それが少し軽視されているような気がする、こういうことであります。
 以上、教育基本法については必要に応じて改正するにやぶさかではないという問題提起をしたということであります。
 時間が参りました、以上で終わります。どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →
西
西博義#5
○西委員長 ありがとうございました。
 次に、金子参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
金子郁容#6
○金子参考人 皆さん、おはようございます。金子でございます。
 小学校ですと、みんなわあっと、おはようございますと言ってくれるのですが……。これは冗談でございます。
 第二分科会関連の内容についてお話をしたいと思いますが、内容については中間報告によりよく書いてありますので、きょうは少し違った観点からお話をさせていただきたいと思います。
 皆様、スペリングビーというのを御存じでしょうか。スペリングビーというのはアメリカでもって毎年行うコンテストで、江崎先生なんか御存じかもしれませんが、全米の子供たちが英語の単語のスペリングを競う、その正確さを競う全国大会でございます。
 毎年、各学校、地域から勝ち上がった子供たちがワシントンで全国大会を行います。ことしは七十三回目で、五月の三十一日と六月一日にワシントンで行われ、十二歳のジョージ・サンピー君という子供が優勝いたしました。ちなみに優勝を決めた単語はデイマーシュ、demarche、多分江崎さんも御存じないかもしれません、私は全然聞いたことがないですが、手段とか処置という言葉で、フランス語の輸入らしいのです。
 この話を今持ち出したのは、ジョージ・サンピー君は、実は日本で言う不登校生、ホームスクーラーでございます。インターネットなどを利用して、うちでお母さんと兄弟たちと一緒に勉強しているという子供でございます。実は、このジョージ・サンピー君と優勝を争った準優勝の男の子十二歳もホームスクーラー、もう一人ベストエイトに入った女の子十四歳もホームスクーラー、ベストエイトになった三人がホームスクーラーでございました。実際、この決勝に進出した二百四十八名中ホームスクーラーが二十七名いるというのが、ことしの結果でございます。
 ホームスクーリングは七〇年代の後半からアメリカで始まりまして、ワシントン州で初めて認可されて以来、現在では全州で認可を受けております。百数十校、このホームスクーリングをサポートする機関があり、ホームページなどによるものが多いわけですが、現在アメリカの就学人口の五%に当たる二百万人程度がホームスクーリングで勉強しているというふうに言われております。
 ちなみに、アメリカのチャータースクールに行く児童生徒が大体二%でございますから、それよりも数倍ある。アメリカの私立学校が学生と生徒の数で一一%でございますから、大体その半分程度のインパクトのあるものでございます。ちなみに、日本の小学校、中学校の私立の割合は二・六%しかございませんから、その二倍ぐらいがアメリカでホームスクーリングをやっているということになっております。
 サット、SAT、皆さん御存じかもしれません、ちょっと違いますが、アメリカのセンターテストのようなもので、高校生が受けて、それによってアメリカの大学への進学が決まるという非常に重要な全国テストでございます。そのサットの点数でいきますと、ホームスクーラーが平均千八十三点、全受験生の平均が千十六点、ホームスクーラーが七%ぐらいアベレージでいいということになっております。つまり、ホームスクーラーは落ちこぼれではないということです。いろいろな事情で、うちでもって勉強することを自分で選んだ子供たちでございます。ちょっと大げさに言いますと、いい点をとるなら学校に行くな。これは冗談でございますけれども。
 もちろん、日本の場合にはこういうことは今認められておりません。大学においては、単位の取得などについては道が今開かれようとしております。もちろん、教育の一番大事なことは対面性、社会性でございますから、私はすべてをインターネットでやればいいということを申し上げているのではございません。しかし、一定の知識、技能を得るということに関しては、アメリカで五%の子供がやっているように、ホームスクーリングをやっても十分にできるわけです。アメリカの例でいくと、点数ということからいえば、十分それでとれるわけでございます。
 となると、学校とは何か、義務教育とは何かということが問われる、そういう時代になったのではないかというふうに思う、その一つの例としてお話をいたしました。
 今世界じゅうのいろいろな国で、教育こそが国の繁栄を支える最大の要素だという考え方が広まっております。ネットワーク社会、情報社会では、軍事力とか経済力というよりは、むしろ教育の力だというふうに言われております。
 イギリスのブレアは、一に教育、二に教育、三に教育、四、五はなくて、六に教育というふうに言っております。アメリカでは、九〇年代からチャータースクールというイノベーションが起こって、どちらがアメリカの大統領になるかまだ決まっておりませんが、両方とも演説のときに、チャータースクールを二倍ないし三倍にしようということを提案しております。アメリカ、イギリスだけではなくて、韓国、シンガポールなども、教育を熱心にやるような制度改革をしております。アメリカでいうと、カリフォルニアのデービス知事は、カリフォルニアの州予算の、実に四五%を教育に投入しております。
 このようなときに日本はどうかというふうに見ますと、全くやっていないわけじゃないが、しかし何か歯がゆい思いをするのは私だけではないのではないかと思います。
 子供の状態が大変おかしいというのは、前の二人の参考人も言っておりますが、いじめの発生件数が三万件、不登校が十三万件、校内暴力が三万件というような数字。学校の学級崩壊、これは定義はないのでございますが、先ほど森参考人が言ったように、一〇%から二〇%ということでございます。先生たちも悩んでおります。子供が理解できない、担任をやめたいという人がそれぞれ、六〇%、三七%もいるという日教組の調査もございます。
 村上龍という小説家の「希望の国のエクソダス」というベストセラーでは、小中の子供たち八十万人が一斉に不登校になって、ネットビジネスを立ち上げて日本を救うというストーリーがございまして、大変読まれております。今の不登校十三万件、高校の中退者が十一万人ですから、合わせると、その八十万人の不登校というのは夢物語ではないのではないかなというふうに感じてしまいます。
 このような状況にかんがみまして、国民会議第二分科会では、特に時間の制約で小学校、中学校に焦点を合わせたのでございますが、学校をどういうふうにしたらいいのかということに関して討議を重ね、具体的な幾つかの提案をいたしました。
 内容については、中間報告に書いてありますので今は繰り返しませんが、ざっと申し上げると、大きく分けて二つのグループ提案をしております。
 一つは、現在の全国の公立の小中学校の改善をするためにこのようなことをすることを提案するという形で、幾つかの提案をしております。中間報告で見ますと、十ページと十一ページに第二分科会関係の提案がございますが、そこに二重丸が一、二、三、四、五つございます。そのうちの最初の四つがそれに当たります。最後の五つ目は、全国の学校を改善するのではなく、新しいタイプの公立学校を全国に幾つかつくって突破口をつくろうということでございます。
 もちろん、文部省も教育委員会も何もしていないということではなくて、いろいろな施策は講じておりますし、問題解決や改革に取り組んでいる学校はたくさんございますが、しかし、全体として、現在の学校は親や国民一般の期待にこたえているとは到底言えない状況じゃないかと思います。教育のあり方がどうしても画一的になり、事なかれ主義になってしまう。親が知りたい学校の情報が提供されない。学校だけでなく、教員自身にも、入れ籠のように同じ構造があるのではないか。また、教育委員会を初めとした文部省などの学校行政、教育行政にも、同じような体質が入れ籠のようになっているのではないかなというふうに我々は感じております。
 もちろん、教育は社会サービスでございます。企業活動ではございません。一緒にはできませんが、しかし、学校教育は実質的に独占的サービスであるがゆえに、教育を受ける側のニーズや情報がうまく反映されていないという嫌いがございます。義務教育を国民の多くはただだというふうに思っているわけでございますが、実際は、小中学校だけで十兆円以上の公費を使い、六十万人の終身雇用者を雇っている巨大産業というか巨大事業、もう少し言えば巨大官僚システムでございます。これがただということはない。それに我々はもっと関心を持ち、不断の改善の努力をしていかなければいけないというふうに思っています。
 この五つの丸の提案、内容は申し上げませんが、ざっと申し上げますと、教員というのがやはり学校教育にとって一番大事な要素であろう。個々の教員についても、また学校についても、それぞれがいつでもよくなる努力をし、情報を開示し、成果は上がっているかどうかチェックをし、そして成果が上がっている教員とか学校についてはそれなりのしっかりとした評価を与えていくということが重要ではないか。これは、教育委員会や教育行政組織全体にとっても同じことではないか。それには、もっと組織マネジメントの発想を取り入れることなどをするというような提案をさせていただいております。
 ここまでが、提案の二つのうちの一つ、全国の学校の改善をしようということでございます。
 ただ、どうもこれだけでは少し不足ではないか、第二分科会ではそう考えておりました。先ほどから申し上げているように、文部省なり教育行政はいろいろとやっているわけでございます。やろうと思えばできる、けれどもなかなかできない。臨教審、中教審以来いろいろな改革案が出て、改革、改革と言っているがなかなかそれが実現しないという閉塞感、ここに問題があるのではないかと思っております。
 一つ実例を挙げますと、開かれた学校というのはかなり昔からのキーワードになっておりました。最初に出てきたのは多分一九八七年、十三年前の臨教審のときで、学校は地域に開け、地域の意見も取り入れろと言ってから実に十三年後のことしの一月になって学校評議員制度というものができたことは、皆さん御存じだと思います。しかし、世界の潮流を見ますと、これは内容的にも一歩も二歩も不足しております。
 御存じのように、学校評議員というのは、評議員会ではございません。校長が必要に応じてお願いするわけですから、非常に厳しく言えば、いい校長にはアドバイスは要らないわけでして、悪い校長の方にはアドバイスは要るわけですが、悪い校長だとそんなに厳しい意見を言う評議員に頼むことはないという可能性が高いわけでございます。
 イギリス、アメリカ、オランダ、フランスなどはしっかりとした評議員会、理事会のようなものが規定されていて、そこにかなりの度合いの権限が委譲されております。欧米だけでなくて、例えば韓国でも、一九九五年に運営委員会というものを発足させ、去年から全校、公立、私立、全部の学校に必置になっております。
 そういう意味では、日本の学校評議員制度も、私はこれは第一歩だと思い評価しておりますが、ツーリトル・ツーレートというのでしょうか、十三年かかってやっとできた割には内容がいま一つ、いま二つ不足しているなという感じを受けてしまいます。
 このような形で、なかなか改善が進まないということで、第二分科会ではそれではひとつ新しいタイプの公立学校をつくりたい地域はつくれるようにしようというふうに考えたのが、コミュニティースクールの提案でございます。
 あと時間が二、三分でございます。コミュニティースクールについて最後に御説明したいと思います。
 コミュニティースクールというのは、中間報告では市町村と書いてありましたが、今では都道府県とか市町村の連合体がつくってもいいかなと思っておりますが、自治体がそのニーズに基づいて有志を募ってつくる新しいタイプの公立学校でございます。
 その手続は、今詳しく述べませんが、市町村が公募をして、有志が応募してもいいし、それから市民が、例えば条例請求権は五十分の一の署名でもってできます、何かそういう形でもって発議をしてもいいかと思いますが、とにかく何かしらの形で住民の意思を反映させ、有志が、私がやろうという者が、校長ないし運営スタッフを連れてきて学校をつくるということでございます。
 もう一つの特徴は、校長に人事権を与えようというふうに考えております。私は私立の小学校の校長でございます。慶應の小学校でございますが、ことしの教員募集は、数名募集するのにホームページを使い公募したところ、二百名に近いさまざまな、二十歳から五十九歳までのいろいろなキャリアの人が集まりました。その中で慎重に、インタビューをしたり即興演奏をしてもらったりして数名を選びましたが、これができないと、校長としては責任を持って自分の考えを教育に反映できないなというふうに私は思っています。
 一方で、これは例えば東京都ですが、ことしは三千五十五人の応募から四百五十五名の教員を採用しております。採用方法に文句があるというのではなしに、どの学校のどの教科をだれが教えるかということを考えずに三千人から四百人をとるというのは、私はちょっと想像ができません。もっともっと校長、学校が責任を持って自分でリクルートし、いい教員を集めるということが、いい学校をつくるまず第一歩ではないかなというふうに思います。
 もう一つの要素は、コミュニティースクールは、勝手にやるというのではなくて、地域学校協議会というふうに呼んでおりますが、これは先ほど言った韓国でいう学校運営委員会、イギリスの理事会でございますが、そういうものを学校ごとに必置といたしまして、そこで情報開示をし、ちゃんとチェックをする、ある程度の結果責任をそこで学校に負わせるということ。
 要するに、平場のチェック機能をいつも携え、ある種の緊張感を持って、校長ないし運営スタッフが自分の考えに基づいて、しかし実際は自治体のニーズに基づいてやろうというのがコミュニティースクールでございます。
 時間がありませんのであと一言ですが、どんな学校ができるかというと、例えばITとか英語なんかをどんどんやるという学校があってもいいし、それから統合教育とか、茶髪の子集まれというのでもいいし、いじめに遭うような子供たちを集めるという学校があってもいいかもしれません。大自然の中で全寮制ということがあってもいいかもしれません。それから、フリースクール、フリースペースなどでしっかりしたところを積極的に認可するということがあってもいいかもしれません。
 このような形でもって全国で、ニーズがあり、やる気がある自治体はできるようにしよう、とともに、全国の公立学校システムをさまざまな形で改善しようという二つの提案をしたのが第二分科会でございました。
 以上でございます。ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →
西
西博義#7
○西委員長 ありがとうございました。
 次に、木村参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
木村孟#8
○木村参考人 おはようございます。第三分科会の座長を仰せつかっております木村でございます。第三分科会の議論の背景と具体的な提案について簡単に御説明をさせていただきたいと存じます。
 当初第三分科会に与えられましたテーマは創造性、すなわち創造性豊かな人材をいかに育成するかというものでございましたが、一、二回の議論の後、もう少し議論の幅を広げた方がよかろう、対象を広げた方がよかろうということになりまして、お手元のブルーの資料の中間報告三十四ページにございますように、「今後、我が国が必要とする人材をいかに育成するか」というものにいたしました。
 私どもの分科会では、戦後の日本の教育というものは日本人の平均的な資質を上げることを目指して、それはそれなりに成功したのでありますが、その反面、教育システム、ひいては社会システムが画一化して、冒頭、座長の江崎先生からお話がございましたが、個人の持つ能力、適性に焦点を当てた教育ができなくなってしまったのではないかという反省がまず出まして、この反省を共有いたしまして議論を始めました。
 我々が目指すところは、今第二分科会の座長の金子先生からもございましたが、要するに、できるだけフレキシブルな教育システムをつくろうということ、それから多様なオプション、選択肢が可能な教育システムを何とかつくれないかという立場で議論をいたしました。
 まず、具体的な提案の御説明に入ります前に、今申し上げた、どうして日本の教育システムあるいは社会システムが画一化したかということについて、少し私見を交えてお話をさせていただきたいと存じます。
 私も多少外国のことを知っておりますが、どうも日本の社会では、殊に戦後のようでありますけれども、人間の持つ本質的な価値以外のものに非常に大きな付加価値をつけてしまった。そういうことで、日本人が非常に画一的な思考をするようになったのではないかと思います。
 その本質的な価値以外のものは何かというと、一つは、いわゆるよく言われております学校歴、学歴と言われますが私は学校歴と言いたいのです、学校歴です。それから、もう一つは年齢です。これはいずれも、学校歴がいわゆる学歴社会をつくり、年齢が年功序列社会をつくってしまった、そういうことで日本の社会のダイナミズムがすっかりなくなってしまったのだというふうに考えております。
 この学校歴社会は実は、少し考えてみますと、経済効率というものを余りに優先した結果できたものだということが言えるかと思います。
 お手元に私の資料を四枚ほど差し上げてございますので、それを使って御説明をさせていただきますが、これは私の友人が、相当な労力を使って、学生を動員して調べたデータでございます。
 最初が「学歴別生涯所得の推移」ということで、八八年度まででございますが、彼は九五年まで調べておりまして、ほとんどその傾向は変わっておりません。高卒と大卒をちょっとごらんいただきたいのですが、高卒の方が、八八年で生涯所得が二億円、大卒が二億七千万強となっております。九五年時点ではもう少し開いておりまして、八千万ぐらいになっております。
 この八千万の所得格差が大きいか小さいか、これは個人の判断によるところでありますが、これをちょっと経済的に分析してみます。すなわち、高卒の方は十八歳で就職をされます。ところが、大卒は二十二歳まで待たなければいけない。すると、その間は賃金を得ませんから、それが投資額になります。かつまた、学資、生活費等が必要ですから、トータルしますと千五百万から、最近は二千万ぐらいになります。それがこの七千万から八千万の所得格差を生むというふうにして計算いたしますと、いわゆる利子率といいますか収益率で勘定いたしますと、大卒の平均が六%ぐらいになります。つまり、非常に高い投資が実るという結果になっています。
 次のページをごらんいただきますと、これは大卒だけについての、ただいま申し上げた投資がどれぐらいの利子に回るかというデータでございます。
 これは、大企業、中企業、小企業と分けてありますが、同じ大卒でも、大企業に行った場合には実に投資額が一〇%以上に回るという現状になっております。真ん中の中企業が大体大卒の平均的な収益率でありますけれども、大企業が非常に高い。ということでいきますと、とにかく何が何でも大学ということが一つあります。それからその次が大企業、そういうパスが決まってしまうわけです。
 そういうことから、御承知のとおり、最近はやや社会が混乱状態になっておりますからこのような状況が崩れておりますけれども、受験競争というものが熾烈になるというのは、この辺にあるわけでございます。ですから、学校歴というのは、とりもなおさず、いわゆる経済効率を求めた結果だということになろうかと思います。そういう、人間本来の持つ価値以外に高い価値を置きますと、必ず社会というのは画一化するわけでございます。
 その次のデータをごらんいただきたいと思いますが、これは科技庁の科学技術政策研究所が調べたデータでありまして、MITの工学部の卒業生と、東大と東工大の卒業生について調べた結果でございます。
 一番上の「既存企業や組織で出世する」というのと「自分の会社を設立し、発展させる」という欄をごらんいただきますと、白が東大・東工大、それから色がついているのがMITでありますが、やはり圧倒的に東大・東工大、我が方の学生諸君たちの方が既存企業や組織で出世すると答えている比率が高い。これは、日本人のアンケートに対する答え方の習性から見ますと、実は、本当に心の中で思っているパーセンテージはもっと高いのではないかというふうに思います。それから、自分の会社を設立し、発展させるということになりますと、MITに比べて半分しかいない。この辺が、ベンチャービジネスがなかなか起きにくいという問題になっているかと思います。
 いずれにしても、申し上げたいのは、これだけ画一的な思考を若者がしているということです。
 それから次のページをごらんいただきますと、これは中教審でも使わせていただきましたが、小学館のアンケート調査であります。
 小学四年、小学六年の男の子と女の子についての調査でありますが、小学校四年生男子では、一位が野球選手、二位がサラリーマン、三が漫画家。当世の世相を反映しております。女子の方は、四年生ですが、一位が先生、二位が看護婦、ここにも漫画家が出てきております。
 これが小学六年になりますと、男の子はサラリーマンが一位になりまして、この一位のなり方が物すごい比率であります。これはもう二位以下がほとんどいませんで、ほとんどが一位のサラリーマンという結果であります。女子の方は非常に健全でありまして、一位が保母さん、二位が教師で、三位が漫画家、四位が看護婦という状況になっておりまして、どうも申し上げにくいのですけれども、しばらくはというか、日本は女性に頼らざるを得ないかなというふうな気が、このデータを見ていたします。
 いずれにいたしましても、私が申し上げたいのは、これだけ画一的な思考が若者の中に広がっているという点でありまして、これを何とかしたいというのが第三分科会の議論のベースになっております。
 具体的な提案についてはお読みいただければおわかりいただけると思いますが、私の方は、後ろの三十五ページ以降でごらんいただいた方がおわかりいただきやすいかと思いますので、少し残りの時間を使って、三十五ページ以降をポイントだけ説明をさせていただきます。
 柱が三本ございまして、「具体的提案」のところに、「独創的、創造的な活動ができる人材の育成」。それから次のページに参りまして、次のページの右側、「高い専門性と広い教養を備えた、社会の各分野でリーダーとなる人材の育成」。三番目が、職業観、勤労観の問題でございます。
 一番最初の「独創的、創造的な活動ができる人材の育成」、これは座長の江崎先生、それから金子先生もおっしゃいましたけれども、要するに一人一人の子供たちが持つ能力、個性に合った教育システムを何とかつくるべきだという主張でございます。
 そのために、先ほどの白川先生、私がおりました東京工業大学の卒業生で、大変喜んでおりますが、いい先生プラス小人数教育というものをどうしても日本で導入しなければいけないと、私どもは強く主張した次第でございます。と同時に、習熟度別学習もどうしても必要だろう。習熟度別学習といいますと進んだ子だけというふうに考えられがちですが、そうばかりではありませんで、ゆっくり進む子、そして大器晩成といいますか、将来非常に才能が花開く子、たくさんおります。そういうことで、ぜひ習熟度別学習というシステムを導入したいという提案でございます。
 と同時に、先ほど出ました日本の教育の病理現象のあらわれとして、不登校、それからいじめ、自殺、そういうものが多発しております。詳しく見ますと、不登校、いじめはほとんど中学校で起きております。中学校の二年、三年です。圧倒的にプロポーションとしては高くなっております。これは、とりもなおさず、要するに高校受験あるいはその先の大学受験ということを意識させられる余りに、非常に子供たちがプレッシャーを受けているという結果だと私どもは判断いたしまして、そういう意味で、高校受験のない中高一貫教育のシステムを拡充したらどうだろうか。
 ここには「半分ぐらい」と書いてありますが、よく、どうして半分かというふうな御質問を受けます。特に理由はございませんが、とにかく、冒頭申し上げましたように、できるだけ国民のオプションを広げるということからしますと、従来型と中高一貫、一対一ぐらいであった方がいいのではないかということからの提案でございます。
 それから次に、大学レベルの問題でありまして、子供たちにプレッシャーを与えているのが、先ほど申し上げました高校入試、あるいは大学入試であります。どうしてプレッシャーを与えるかというと、いろいろ、冒頭申し上げたような画一思考もありますが、大学入試も全国的に見ると随分形態も変わってきておりますが、依然として特定の影響力のある大学の入試というのは変わっていない。いわゆるペーパーテスト中心であります。そうすると、どういう問題を出しても、ペーパーテストというのはやはり反復練習が一番効果がございます。そういうことで、非常に小さいときから受験勉強が始まるということで、何とかこの大学入試を変える必要があるのではないかという主張をいたしました。
 恐らく、ペーパーテストだけでセレクションをしている国というのは世界でも余りありませんで、欧米諸国ではゼロと言ってもよろしいかと思います。もちろん学力も見ますけれども、そのほかに、高等学校時代にどういうボランティア活動をやったか、それから高等学校時代にどういうビヘービアをしたか、いわゆる調査書、そういうものが大きな参考になりますし、また、インタビューというものも非常に重要な要素となっております。そういうふうなことを日本の大学入試でもぜひ取り入れてもらいたいということでございます。
 それからその次に、世の中をかなり騒がせておりますが、大学入学の年齢制限の撤廃であります。これは要するに、撤廃をしようという訴えをしましたが、全部やれということではありませんで、大学がオプションでおやりくださいという訴えかけでありました。これは、先ほど申し上げました、どうしても日本の社会に非常に根強く残っている年齢へのこだわり、これに対するブレークスルーをつくりたいということからの提案でございます。
 それから次の、リーダーの育成に関しましては、世界の国々を見て、殊に先進国を見ておりますと、やはり国を引っ張っていくような方々というのは非常に高い専門性を持った方が多い。英国なんか見ておりますと、ほとんどそうであります。そういうことから、ぜひ大学、大学院の再編成をやろう。つまり、大学院では高度な専門知識をつけられるようなシステムにしよう。それで、学部の方は、そこに書いてございますように、教養教育でありますとか専門基礎、そういうところの教育に徹底をして、専門性の高い教育は大学院でやろうという訴えかけをさせていただきました。
 また、日本の大学というのは入りにくくて出やすいという御批判を非常にいただいています。これは、厳密に言いますと余り正しくはありませんで、私もヨーロッパの事情を多少知っておりますが、理工系に関しては日本の学生も相当勉強をしております。決して負けないとは申し上げられませんけれども、かなり勉強しているということですが、大学総体としては、確かに日本の大学というのは入りにくくて出やすいということでありますので、何とか成績評価を厳格化する方法はないかということでの、例えば日本版GPA制度の導入等を提案いたしております。
 最後に、非常に大事な点でありますが、職業観、勤労観の問題です。一九九〇年に中学校を出られた方が百九十七万人おります。それが、二〇〇〇年の時点で何と六十万弱が無業者であります。フリーターでございます。こういうふうに勤労観、職業観が非常に希薄化しているということで、特にこの項を設けて提案をさせていただきました。
 全体としてまとめますと、要するに、一人一人の個性、それから適性、能力もそうですが、そういうものに合った教育システムが何とか展開できないか。それからもう一つ、ほかの分科会でも出ましたが、国民のオプションをできるだけ多くするような教育システム、そういうものを導入することによって一律主義から脱却し、ひいては非常にフレキシブルでダイナミズムに満ちた社会を構成したいというのが第三分科会の提言のねらいでございます。
 以上で私の説明を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →
西
西博義#9
○西委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの御意見の開陳は終わりました。
    —————————————
この発言だけを見る →
西
西博義#10
○西委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。河村建夫君。
この発言だけを見る →
河村建夫#11
○河村(建)委員 おはようございます。自由民主党の河村建夫でございます。
 きょうは、教育改革国民会議江崎座長を初め皆様方には、大変御多用のところをわざわざお時間をとっていただきまして、主査三人の方おそろいで本委員会に御出席をいただきましたことを心から感謝申し上げます。また、中間報告につきまして皆様方から直接お伺いする機会を得ましたことをありがたく思っております。
 国民会議編成以来、相当なお時間をお割きいただいて教育改革に取り組んでこられまして、このような中間報告をいただきましたことをまずもって感謝を申し上げる次第でございます。いよいよ最終報告に向けて本格的なお取り組みをいただくわけでございます。それに当たりまして若干、我々も時間の制限がございますから全部というわけにいきませんが、各党を代表した形で各委員からお伺いしたい、私は自由民主党を代表する形で二、三点お伺いさせていただこう、このように思います。
 まず、この国民会議を編成し議論される中で、これまでの教育を、戦後の教育でございますが、どのように評価をして、そして取り組んでいかれたかということなのであります。
 先ほど来お話しのように、日本の教育が、今日の日本の経済発展といいますか日本の繁栄を築いてきた、このことは国民ひとしく認めるところでありますけれども、現実にはいろいろな問題が起きているということでございます。
 私は、今ここに鈴木総括政務次官がお見えでございますが、その前の総括政務次官でございまして、そのときに、四月一日に東京・上野で教育サミットを行いました。中曽根大臣のもとでございます。そのときに、小渕優子さんは今ちょっと退席されましたが、小渕総理もちょうどお見えになっておりまして、第一点はもっと教育にお金をつぎ込みましょうという話をいたしました。残念ながらあの日の夜お倒れになって、その遺志は森総理に継がれておる、こう思うわけでございます。
 そのこととあわせて、私が、いろいろなことはあるけれども日本の教育というのはすごいんだなと思ったのは、あのサミットの中でイギリスの文部大臣が、それぞれ各国の教育事情、問題点を指摘する中で、我が国は一割の文盲を抱えておって、この教育レベルをいかに上げるかということが一つの課題なんですということをしゃべっておられました。そんなことを思えば、日本の教育はそういう心配はないわけでありまして、それだけでも違うんだな、こう思いつつも、しかし、今現実に起きていることを考えますと日本はそれを手放しで喜べないんだ、こう思いながらその話を聞いておりました。
 特に、大学の進学率ももう五割にいこうといたしておりますし、高等教育、いわゆる専門学校等々を入れれば、もう七割になんなんとする国民が高等教育を受ける現状にある。そういう面では世界のトップクラスにあることは間違いないわけであります。しかし、先ほど来委員の皆様からも御指摘がありましたようないろいろな問題が起きておるわけでございまして、これをどのようにただしていくかということだろうと思うわけでございます。
 特に、十五年前の臨時教育審議会の答申というのが一つ出ていて、それが実は、先ほどお話がありましたように、ツーリトル・ツーレートと言われながらも、学校五日制の問題とか評議員制度とか、今ごろになってそれが実現するという現状でございます。
 そこで、今日、十七の提言をいただきました。それを早くいかに具現化していくかということであろうと私は思いますが、この提言をお出しになるに当たって、今日の教育の現場にあるいろいろな問題、それをどのように評価して、そして学校の現場の状況というものをどういうふうにとらえて提言に至ったか、その辺のことをちょっと各先生方に。
 これまでの日本の教育のあり方、特に、先ほどちょっと御指摘ありましたが、戦後の教育の中でどうしても、戦争に敗れて豊かさを求めた、個人、社会が物質的な豊かさを追求し、そのことだけが目標になってしまった。そして、現実に豊かさをある程度つかまえた時点で、さあ振り返ってみると、教育は歩みをとめているのではないかと言われる現状にあるというこの御指摘。
 十月二十三日から、経済人が全部読むと言われます日本経済新聞が「教育を問う」ということで、今、日本は学ばずまた教えず、こういう状況になっている。「学びを忘れ 日本が沈む」という題で、このままでは日本は、特に知の大競争に非常におくれをとっているという指摘を正面からいたしました。
 このような危機感の上に立ってこの教育改革国民会議というものが生まれ、そして総括をして提案をされているというふうに私は思っておるわけでございますが、いわゆる教育改革国民会議の内部での、これからの教育をどういうふうに進めていくかという総括はどのようにされており、そして提言に至ったか、そのあたりについてもうちょっとお聞かせいただくといいと思います。
この発言だけを見る →
江崎玲於奈#12
○江崎参考人 教育につきましては、やはりその時代時代に応じた変革ということが必要ですが、変えるということに対してかなり抵抗があるのが教育界の問題のように私は考える次第でございます。つまり、現在をやはり変えるということで、変えないという方に安定性を求めるという考え方は間違っておりまして、私はむしろ、ここで変革しない方が日本の将来に危険だと、今先生もおっしゃったと思いますが。
 日本の歴史を考えますと、やはり明治維新で、西欧の強大な科学文明に接して、これを何とか早く学ばなくてはいけない、欧米に範をとって後を追っかける、そういう性格のようなものが日本人に身についた。特に日本の現在は、科学技術が日本の産業の発展、我々の生活水準を保っておりますし、科学とか技術の発展なしにはやはり考えられない現状であると思います。
 教育の基本的なものは二つある。一つは、先ほども申しましたように、我々各人が持って生まれた天性のようなものを見出して、それの育成に努める。つまりこの場合に、我々は遺伝情報を持って生まれてきたわけでございますが、教育というものは遺伝外情報をそれに付加するわけです。それで、その持って生まれた性格も大事ですし、それを育成することも大事なんです。人によりまして、まあ言いますと、社会学者は育成が大事だという考え方、つまり何が何でも勉強すれば立派な人になれるのだというような考え方が育成化で、もう一つは、やはり持って生まれた素質が大事なんです。それを無視してはいけない。どちらかといいますと、今までの日本の教育というものは、持って生まれた天性は若干無視しまして、皆さん一緒にやりましょうという平等主義的な教育があったように思います。
 私は、かつてはそれでよかった。つまり、私がちょっと申しましたように、世の中にルーチンな仕事が多い場合には、みんな一緒にやりましょうという教育でよかったのですが、世の中がグローバリゼーションとか、先ほども申しましたように、非常に的確な判断、創造性が求められるような時代になってきたということは、やはり天性に合った教育というものが必要だと思います。
 今ちょっと河村先生の方からもおっしゃいましたが、我が国は既にいろいろな分野でおくれをとっているということであります。国際的に見ますと、新しい先端分野でおくれをとっている。
 その一例としましては、皆さんも御存じのように、ヒトゲノムの解読ということ、これが将来非常に重要な問題であります。その解読をどの国が何%したかという一例を申しますと、実はアメリカが、解読の生産量が六七%でございます。英国が二二%です。我が国はわずか六%なんですね。あと、ドイツとフランスが二%ずつで、中国が一%。こういう数字、非常に先端的な分野、非常に将来性のある科学技術の分野で、なぜ我が国がわずか六%なのか。これはやはり、国際的なそういう科学技術の水準が劣っている、それはやはり日本の教育が十分でないということを物語っている。
 つまり、これからは、先ほども申しましたように、時代が変わる。やはり各人の持って生まれた創造性、持って生まれた能力のようなものを最大限に引き出すということが、日本の将来に絶対に重要である。ある意味では今までの教育がそういうことをやっておらなかったわけですから、もしそれをやりますと、これは男だけではございません、女性も持って生まれた潜在能力、それは必ず持って生まれるわけですから、それを最大限に引き出す工夫をすれば、必ず日本の将来は繁栄する。我々は、日本人はすぐれた潜在能力を持っているということを確信して、申し上げる次第でございます。
この発言だけを見る →
河村建夫#13
○河村(建)委員 各先生方から戦後の教育の総括を伺いたいところでございますが、時間がございません。
 それではもう一点、先ほど森先生からも御説明をいただきましたが、教育基本法の問題についてお伺いをしたいと思うわけでございます。
 戦後の時代の変化に今の教育基本法はたえておるのかどうかという問題についていろいろ評価があるところであります。確かに先生言われるように、立派なものだと言いながら、しかし、立派ならば、では、今の日本の教育のいろいろな問題はなぜ起きたんだ、教育基本法の精神がなぜ生かされていないんだ、そこに私は教育基本法の議論をされなければいけないところがあるだろうというふうに思うわけであります。
 特に、今回の教育改革国民会議の指摘の中にも、やはり立派な日本人といいますか、どのような日本人をつくっていくかという視点が大事であるということの御指摘がございました。また、日本の伝統文化とあわせて、いわゆる未来志向型の新しい科学文明、そういうものもあわせて考えていかなければいけないと。確かにそういう視点があの戦後の中できちっとできていなかった。もちろんあの戦争への反省、特に教育勅語の排除といいますか、そういう強い思いがあった、これはもう事実であります。
 しかし、人間が生きていく中でどうしても大事なことが落ちている。そのことがはっきりこれからの教育基本法の議論の中でやられませんと、あの教育基本法を読んだ場合に、確かに立派なことが書いてあるけれども、人間育成ということはあるけれども、ではどのような日本人をつくるかという視点は、あの中から見えてこない。したがって、あの教育基本法は、世界のどこの国へ持っていったって通用する基本法だという指摘をされる方もある。
 そういう現状の中で、この中間報告、また公聴会等も行われていろいろな議論もお聞きになっておるわけでございますが、これからどのような形でまとめていこうとされているのか。議論を求むということだけではなく、教育の根幹について、やはりある程度リーダーシップを持ってこの教育改革国民会議が提案をするということを国民が期待しておると私は思うのでありますが、その辺についてどのような方向で最終的にまとめていかれようとするか、森先生にお伺いをしたいと思います。
この発言だけを見る →
森隆夫#14
○森参考人 お答えします。
 私は、教育は人間を対象としていますから、教育改革というのは人間改革だと思うのです。人間改革の究極の姿は自己改革だと思います。そういう前提で教育基本法の方へ目を移しますと、教育基本法がすばらしいというのは、そこに掲げている理念がすばらしいということであります。普遍的で、どこの国でも通用するとおっしゃいましたが、確かにそうなんです。私は、その理念を実現するには、理論が必要だと思うのです。理論を実践に移すには、具体的な方策が必要だと思うのです。理念、理論、方策というこの三点セットがそろわないと、物事はどんなことでも進みません。
 教育基本法は理念がすばらしいので、ああ、すばらしいな、あのエベレスト、高いのはすばらしいなと見上げているだけだったのです。そこへ登るにはどうすればいいかという、具体的な理論や方法に欠けている。
 例えば自由と言った場合、自由はいいのですけれども、では自由の理論はどうで、学校現場で自由をどう実現するのか。そういうことを考えないからいろいろ自由勝手気ままに、学級崩壊とかいろいろなことが起きる、そういう問題があるのではないかと思います。
 そういう意味で私は、現場に影響のあるような教育基本法にするにはもう少し、理論とか方法とか、ほかの基本法のように具体性があってもいいのじゃないかと思うのです。
 ところが、現実には、基本法というのはほかの教育の法律よりも上位にあって、その下位の法律が決めればいい、そういう誤解もあるようです。これは最高裁の判例でも、教育基本法は何もほかの教育の法律を規制しない、拘束しないとはっきり出ておりますから、法律論としては、ほかの法律と同じように変えてもちっともおかしくない法律だと思うのですが、何か準憲法的とか、新聞には不磨の大典という、最近余り聞かない言葉まで登場したりしておりますけれども、何もそんなものではない、タブー視しないということで検討しております。
 どうまとめるかは、これは座長を初め企画委員会で決めることなので私個人としては言えませんけれども、こういう点は改めた方がいい、こういう点までは踏み込まない方がいいとか、そういうブレーキとアクセルぐらいは提示できるのではないかというふうなところで今共通の理解があるのではないかと思いますが、ほかの人はどうでしょうか。
 以上でございます。
この発言だけを見る →
河村建夫#15
○河村(建)委員 国民はこれまで教育基本法ということについてほとんど読んだこともないし、知らない、そういう状況下にあると思うのですね。教育の基本はここにありというものを私は国民の中でやはりもっと議論しなければいかぬともちろん思いますけれども、ではどういう方向を我々は考えたらいいんだということは、一つの方向としてやはり中間報告の中で打ち出していただくべきことであろう、このように考えております。
 自由民主党も今この問題について取り組んでおりますし、また学級崩壊の問題あるいは不登校の問題等々、特に家庭教育の問題も含めて、次の国会が教育国会になるということで、提言をすべく今鋭意やっておりますし、また、奉仕の義務化の問題等々、こういうかたい言葉じゃなくて、どういう形で導入できるかというようなことも議論いたしておるところでございます。
 いずれにいたしましても、最終報告といいますか、最終答申を国民は注目いたしております。また、我々政治のレベルではそれをいかに具現化するかということについて努力をしなければいかぬ、このように思っておるところでございます。
 きょうはどうもありがとうございました。
この発言だけを見る →
西
西博義#16
○西委員長 次に、山元勉君。
この発言だけを見る →
山元勉#17
○山元委員 民主党の山元でございます。
 きょうは、お忙しい先生方に御出席をいただきまして御意見を賜りました。お礼を申し上げたいと思いますし、きょうまで本当に、教育を変えなければならぬという熱意で大変なエネルギーを使っていただいております。心から敬意を表して、私からもお礼を申し上げたいと思います。
 時間が少のうございますから、端的にお尋ねなり私の意見を申し上げたいと思います。この中間報告について今河村委員からもありましたけれども、同じことをお尋ねしようと思っておったのですが……。
 全部読ませていただきました。けれども、江崎先生が最初におっしゃいましたように、抽象的なことだとか理念というのはおいて、具体的なことについてできるだけ明らかにしようとしたんだ、こうお述べになりましたけれども、私が申し上げたかったのは、やはり今の子供の現状をどうとらえているのかということがすかっと見えない、それは何でこうなったんだということが見えないという感じがするのです。
 そうすると、変えていくんだ、だからどう変えていくんだ、だからどういう手だてが必要なんだということは、私は読み方が不十分なのかもわかりませんけれども、きっちり見えなかったわけです。河村委員は、総括的な論議はどうだったのだとか、あるいはどうとらえたのだというふうにお尋ねになりましたけれども、座長さんから今お言葉がありました。重ねてはもうお尋ねをしないで、私は具体的にお尋ねをしていきたいと思います。
 一つは、基本計画を策定しようということがございます。この十七項目の提案のうち、あとの二つは教育の振興計画と教育基本法ですね。初めの三つの柱で十五の具体的なことを提起していただいて、あとの二つで、振興計画の問題が出ているわけですけれども、私もこれを読ませていただき、きょう配られました読売新聞の江崎先生の記事は、前もってずっと読ませていただきました。
 確かにこの報告の中で、教育振興基本計画を策定する必要がある。教職員の配置や設備、あるいはIT教育の推進、子供の体験学習のための環境整備、こういうことについて基本計画を策定する必要がある。そして、教育への投資を惜しんではならない、目標を設定すべきだ、こういう御意見が出ているわけですね。
 そこで、具体的に、先ほども座長さんからありました、GDPでいうと日本の教育費はなお七兆円、こういうことですね。そこまでおっしゃっていただくんですと、ここまでは上げていかなければならぬということを、いろいろなところでもう少し具体的に見えるようにしてほしかったというふうに思います。
 例えば、一つ言いますと、小人数学級というのが出てきています。私どもも、このことは本当に大事なことだと思っています。けれども、目標設定でいうと、三十人なのか、クリントンさんが言っている十八人なのか、一体どういうふうにイメージをされたのか。この小人数というのは先ほど、木村先生からでしたか、一体この三十人学級、四十人学級についてどういう論議があってどういう目標の設定をイメージしていらっしゃるのか、まず、座長さんとして分科会での論議を聞かせてください。
この発言だけを見る →
江崎玲於奈#18
○江崎参考人 「二十四の瞳」という話がございます。これは、瞳が二十四でございますが、実は十二人。世界じゅうを見て歩きまして、大体小学校は、私の知る限りは二十数人が平均でございます。
 一人の先生が、例えば私にしましても、私は研究生を持っておりまして、研究生の世話をしたりなにかしますと、一人の人間が大体面倒を見られる人間の限界は二十数人じゃないかと私は思っております。ですから、一人ずつの個人を眺めて教育するということにしますと、大体——私の考えは、二十数人が小人数でございます。
 もちろん、チームティーチングとかなんとかあるのですが、一人の先生が一つのクラスを小学校のときに見る場合には、やはり一人の個性、個人そのものを細かく見ていっていただくということになりますと、私は大体世界的にそのくらい、世界というのはもちろん先進国の話でございますが。
 もう一つは、先ほども申しましたように、カスタムメードといいますか、個人に合った教育ということが大事で、やはり一人一人丁寧に見るということが大事です。
 私のことを申しますと、私の小学校の時代には、四十人なり五十人なりだったわけです。どうだったかといいますと、割に先生はよくできる子供にフォーカスを合わせる。私なんかは大変面倒を見ていただいて、五十人いても面倒を見ていただいて、非常にハッピーであったと思うのです。
 しかし、それはやはりフェアじゃない。つまり、できない子供、すべての子供、例えば学力——落ちこぼれという言葉は日本の特徴で、私はアメリカという国では落ちこぼれという言葉は聞いたことがございません。つまり、それぞれの人間は必ずそれなりの能力、それなりのタレントを持っているわけです、先ほどから繰り返しておりますように。ですから、そういう能力を見つけるのが先生の責任で、そのためには小人数、今よりも少ない人数が必要だ、これは私の意見でございます。
この発言だけを見る →
西
西博義#19
○西委員長 それでは、第二分科会でしょうか、金子参考人、簡潔にお願いいたします。
この発言だけを見る →
金子郁容#20
○金子参考人 今の江崎先生とは少し違う意見を私は持っております。
 これは、第二分科会での議論というより私個人の意見を述べさせていただきますと、クラスのサイズを全国一律でこれこれにすべきということは、私は反対をいたしております。これは、その学校、先生が決めることでございます。
 私としては、生活の場としては、かなり多い方がいいのではないかと。例えばその中でスポーツをやるときには、一軍だけでなく、一軍、二軍、三軍くらいつくれるとか、旅行に行くときは部屋割りで悩むというような、そういうことが生活の場としては必要ではないか。ホームルームですね。
 ただ、英語をやったり算数をやったりというときには、当然少ない方がいい。幼稚舎では、今、五、六年生では、算数は三クラスを五つに分けて、二十五、六人でやっておりますが、そうすると、ゆっくりする人が非常によく伸びるということでございますので、予算をこれこれで全国一律二十人という形ではなしに、この形でもってそれぞれ選んでやってくださいということが第二分科会の、第三分科会もそうだと思いますけれども、結論でございます。
この発言だけを見る →
山元勉#21
○山元委員 時間が本当に少ないので申しわけないのですが、二つの論は確かに組み合わさなければならぬというふうに思っております。
 けれども、やはり基本的に、教員を配置していく基準とか、あるいは望ましい基準、例えばクリントン大統領は、小学校一年生、二年生、三年生は十八人でやる、こう言っているわけですね。
 実際に今の学校では、私もことし三番目の孫が小学校一年に入りましたが、三十九人です。三十九人の、さまざまな生活様式の中から通うてくる子、校長先生に聞いたら、ことしの一年生は、十五ですかの幼稚園、保育園、あちこちからずっと来て、全部教育された形が違うわけですね。生活様式も違う。
 ですから、特に低学年はそうですけれども、この五月に文部省の協力者会議が、四十人でいいんだと。途端に社説などでは、「二十一世紀も四十人で持つのか」というのが出ました。今、きめ細かい定員配置あるいは教室の規模というものを考える必要があると思いますので、これはぜひ国民会議でも具体的な論議ということでしていただきたい。
 私どもは、党の立場でいいますと、三十人以下にしてほしい。そういう教員の配置をして、今金子先生もおっしゃいましたように、少なければ野球もできないというような話もよくありますけれども、そういう集団で物をやることが大事な教科もありますから、そこのところはそれぞれが思いどおり、地方分権で地域の中で、あるいは校長の裁量の中でやっていくことが大事だ、そういう方向をぜひ国民会議としても出していただきたいというふうに思います。
 奉仕活動についてもお聞きしたかったのですが、もう一つは、教育基本法の問題です。
 先ほどから出ましたけれども、二つの一方で、他方でというふうに御論議をいただいたというふうに報告書の中に書かれています。タブー視してはいけないということと、そしてやはり論議を行うべきだ、変わってきたんだという論議があって、国民の皆さん、論議をしてください、こうなっているのです。
 私は、やはり教育基本法はすばらしい文章であって、そしてそれを最大限に生かすような教育、それで足らないところは各法で、学校教育法もあれば環境基本法もある、そういうところで生かす努力を一体してきたのかどうかということを問わなければならぬと思っているのです。
 教育基本法を変えたら教育がよくなります、子供の顔が明るくなりますということではない、これは先生もさっきおっしゃったとおりです。そこで、これからの論議、どういうふうにまとめていこうとされるのか。私は、その論議をまずもとへ戻していただきたいなという感じがしているわけです。
 それは、例えば、今申し上げましたように、その理念とか内容というのは、この戦後五十年間、どういうふうに生かされてきたのだ、どういうふうに実現するための努力がされてきたのかということをしっかりと検証してみる必要があると思います。
 すばらしいことが書いてあっても、それが実現しなかったのはなぜだということについても、やはりきちっと議論をして、その上に立って、教育基本法を、どう発展的に、直すなら直す、これで本当に日本の教育、日本の子供たちが守れるか、そのためにはこういう具体的な政策なり法でやっていけるのかどうか。私申し上げましたように、この理念を実現するために五十三年間どう努力をしてきたのかという検証が要るのではないか。そして、実現していなければならないことができなかった、それはなぜだということについてきちっとする必要があるのではないかと思うんです。国民会議の論議も、一方ではこうだけれども、他方ではこうだけれどもということではなしに、そこのところにもう一遍戻っていただきたいなというふうに思うんですが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →
西
西博義#22
○西委員長 どなたを御指名されますか。
この発言だけを見る →
山元勉#23
○山元委員 座長にお願いします。
この発言だけを見る →
江崎玲於奈#24
○江崎参考人 確かに今の学級崩壊とかいろいろな諸問題は、教育基本法とは何も関係のないことのように思います。
 今おっしゃったとおり、教育基本法を新しくつくっても、それですぐに学校がよくなるというものではないのじゃないか。教育基本法というようなものは、実はアメリカ、イギリス、ドイツなどにはないわけでございます。つまり、憲法に基づきますと、能力に応じて教育を受ける権利があるというようなことが書かれておりまして、ある程度は憲法でカバーはできるわけです。
 大変難しいことは、法律というものは何か規定をするものが多いのですが、理念的な法律というものの価値がどうかというような、そういう論議も中ではございました。私個人の考え方では、今のものにはずっと目を通しまして、確かに立派なことが書かれておるのですが、五十三年たちますと、必要なもの、例えば生涯教育というようなことには何も関係しておりませんし、現在、環境の問題を取り扱う環境教育というものは何もないわけでございます。
 ですから、もう一回この辺で、何がミッシングだ、何が欠けているかという、森主査も若干述べられましたが、その何が欠けているかということの論議は必要じゃないか、そういうふうに私は思っております。
この発言だけを見る →
山元勉#25
○山元委員 実は私も、二十年の教育現場の経験があります。そういう中で、教育基本法に書かれているからどうだこうだという論議はほとんど、目の前の子供たちのことでいっぱいですから、なかなかできぬわけです。
 けれども、そういう経緯からいっても、今大事なことは、行政を行う者、政治を行う者がもう一遍これを見直して、一体何が書かれているのか、今まで一生懸命になってそれを実現するために努力をしてきたのかどうか、生かすために努力をしてきたのかどうかということをやはり考える。もとへ戻らなければならないだろう。
 国民会議の皆さん、大変課題が多うございますけれども、この点については、私は、今まで五十年間あったものが、あれはつまらなかったのだ、時代が変わって役に立たぬようになったのだというような受けとめ方をしないで、もう一遍国民が、本当に日本の教育の土台であったということについて再認識をして、それを今生かしていこう、また生かさなければならぬのだということについて、国民的な合意ができるように、皆さんの結論といいますか御論議を期待したいと思います。
 ありがとうございました。
この発言だけを見る →
西
西博義#26
○西委員長 次に、池坊保子さん。
この発言だけを見る →
池坊保子#27
○池坊委員 公明党の池坊保子でございます。
 本日は、お忙しい中、四人の参考人の先生方には、お出ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。ありがとうございます。
 私は、今出ました教育基本法についてどのようにお考えかをお一人ずつお聞かせいただけたらというふうに思っております。
 私は、この教育基本法は、今までも出ましたけれども、大変にすばらしい理念を持っていると思います。そして、理念というのはどんな時代にあっても世界に共通すると先ほど河村先生はおっしゃいましたが、人間の基本というものは普遍的なものであって、この国にだけ通用するというのは本来おかしいことであって、教育の基本というのは世界に共通し、そしてどんな時代にあっても変わらないものこそが大切なんだと思っております。
 理念はしっかりと高いものを掲げ、そしてそれを実行していくことこそが大切です。むしろ、これが教育現場の五十三年間の土台でなかったからこそ、この教育荒廃があるのではないかというふうに私は思っております。私は、これが実行されなかった、それは教師だけではございません、親も含めて尊重されなかったということが今日のこの教育問題を生んだのではないかと思うのです。
 例えば、教育の目的は、「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」もしこれが本当に教育現場で行き届いていたならば、こんな権利だけを言う、あるいは自由とは何であるかを履き違えるような子供は生まれなかったのではないかというふうに私は思っております。
 総理は教育勅語にもいいところがあるとおっしゃいましたけれども、私は、戦後に生まれましたので教育勅語を知りません。今それを持ち出されても、ちょっと違和感を覚えます。
 それからまた、伝統文化の尊重というのは、私は京都に住んで、六百年続きました日本の伝統文化の一つである生け花の発展、育成に尽力してまいっておりますから、それが書かれますことは結構ではございますけれども、では、そういうふうに条文化されて、一体どう変わっていくのかという気もいたしております。
 先ほど江崎先生は、伝統文化は歴史志向であるとおっしゃいました。ちょっとこの歴史志向というのが、私には意味がわかりません。伝統文化というのは歴史遺産ではございません。数多くの伝統文化は自助努力の中で今日まで生き続けてまいりましたし、生き続けてきたのは、要らないものを取り去り、いいものを取り入れ、取捨選択し、変革し続けてきたからこそ今日まで生きてきたわけでございます。そして、それは大衆のエネルギーによって支えられ、また大衆の感性の発露のたまものではないかと思うのです。
 ですから、確かに文化行政はお粗末ではございますけれども、あるいは基本法にそんなことを入れたからといって、みんなが尊重するのかなという気持ちもございます。
 それと、私は、基本法を検討するのはもちろんやぶさかではございませんけれども、その前に、二十一世紀はどんな日本の国をつくりたいのか、教育というのは何のためにあるのか、人間としてすばらしい生き方というのはどういうことなのか、そういう価値の構築というものが先になければ基本法もできないのではないかというふうに考えております。これは私の意見でございますが、その辺、それぞれの先生方の御意見をお伺いしたいと存じます。
この発言だけを見る →
西
西博義#28
○西委員長 江崎参考人から、簡潔にお願いをいたします。
この発言だけを見る →
江崎玲於奈#29
○江崎参考人 先ほどの文化のことでございますが、私は、我々の気持ちを考えると、やはり人間というのは古きよきものをめでてそれを愛するという気持ちが一方である、しかし片一方では、やはり新しいものを求めてやまないという気持ちがあると思うのです。非常に単純に考えますと、やはり古きよきものにあこがれ、それを愛するというのは、これを一つの文化としますと、これはやはり伝統文化に近いと思うのです。
 もう一つ、新しい進歩を求めてやまないというのは、これはいろいろな新しいものを求めてやまない、ファッションとか何かもあるかもしれません。それを象徴をするものが科学、サイエンスの文化です。科学というものは、発展する、創造するというところに価値があるので、やはりその二つの文化のようなものに我々が生きているということだけは認めていただかなくてはいけない。それを、二つを足して二で割るということをするとこれは大変困るということを申し上げ、それぞれに価値があるということが必要だと思います。
 基本法につきましての御意見、私もあれは大変立派なものが書かれておると思いますが、一つの考え方としますと、そういう我々の二つのカルチャーの、やはり両方をアレンジする必要があるのじゃないかというのが大体の意見のように私は思います。
 簡単でございますが、それで。
この発言だけを見る →
← 戻る