江崎玲於奈の発言 (文教委員会)
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○江崎参考人 「二十四の瞳」という話がございます。これは、瞳が二十四でございますが、実は十二人。世界じゅうを見て歩きまして、大体小学校は、私の知る限りは二十数人が平均でございます。
一人の先生が、例えば私にしましても、私は研究生を持っておりまして、研究生の世話をしたりなにかしますと、一人の人間が大体面倒を見られる人間の限界は二十数人じゃないかと私は思っております。ですから、一人ずつの個人を眺めて教育するということにしますと、大体——私の考えは、二十数人が小人数でございます。
もちろん、チームティーチングとかなんとかあるのですが、一人の先生が一つのクラスを小学校のときに見る場合には、やはり一人の個性、個人そのものを細かく見ていっていただくということになりますと、私は大体世界的にそのくらい、世界というのはもちろん先進国の話でございますが。
もう一つは、先ほども申しましたように、カスタムメードといいますか、個人に合った教育ということが大事で、やはり一人一人丁寧に見るということが大事です。
私のことを申しますと、私の小学校の時代には、四十人なり五十人なりだったわけです。どうだったかといいますと、割に先生はよくできる子供にフォーカスを合わせる。私なんかは大変面倒を見ていただいて、五十人いても面倒を見ていただいて、非常にハッピーであったと思うのです。
しかし、それはやはりフェアじゃない。つまり、できない子供、すべての子供、例えば学力——落ちこぼれという言葉は日本の特徴で、私はアメリカという国では落ちこぼれという言葉は聞いたことがございません。つまり、それぞれの人間は必ずそれなりの能力、それなりのタレントを持っているわけです、先ほどから繰り返しておりますように。ですから、そういう能力を見つけるのが先生の責任で、そのためには小人数、今よりも少ない人数が必要だ、これは私の意見でございます。