川橋幸子の発言 (憲法調査会)
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○川橋幸子君 民主党・新緑風会という会派に所属しております川橋幸子と申します。いいお話を伺いまして、ありがとうございました。
お二人の参考人の先生方に、加藤先生、内田先生の順番で、二十分の時間をいただいておりますので、質問をさせていただきたいと思います。
まず、加藤先生のお話でございますが、きょうは大変私は啓蒙される部分が多かったと思っております。平和主義、民主主義、それから人権の尊重というんでしょうか、人権主義、この三つの憲法の価値、憲法の精神というものを出されまして、今の日本国憲法は明治憲法とは三点において異なる、欧米の他国の憲法に比べて平和主義が非常に大きな特徴を持っていて、この十九世紀、二十世紀の歴史の流れをたどると、むしろ日本にとってはこの平和主義というのが非常に現実的な憲法の精神的価値になっている、こういうお話を伺ったところでございます。特に、日本にとっては大変現実的な平和主義なんだと、そこのところに私はきょうは感銘を覚えました。これは、質問の前段の私の感じたところを先生に申し上げさせていただいたわけでございます。
さて、こうした憲法でございますけれども、日本国憲法の場合は、この平和主義については新し過ぎるとか、非現実的だとか、もっと日本の現実に合わせて変えた方がいいという、こういうお話がずっと来てはおったわけでございますけれども、むしろ現実的なんだというお話で私は同感いたしますが、どうも現実的なんだというそこの意味が日本の人々、日本の国民にはなかなか理解できないところがあるわけでございます。
そのときにいつも私は思いますのは、この三つの平和主義、民主主義、人権の尊重、この一番根本にある個人の尊厳、人の尊厳というんでしょうか、そういう部分が非常に、憲法というのはまず個人が尊重されるというこういう社会契約の中でできてくるものが憲法秩序であって憲法価値なんだと、そこのところの三つの日本の憲法の特徴の一番ベースにあるこの尊厳が理解されていないように思います。
少し前置きが長くなりましたが、なぜそう言いますかと申し上げますと、前回の参考人の意見聴取のときに、人、市民、国民というこの三つの使い分けがここで議論されました。先生のお書きになられました八九年の「憲法は押しつけられたか」という文章を拝見しましたら、その中にもピープル、これを国民と訳すのか人民と訳すのかというその違いが書かれておりました。しかも、国民と訳すか人、市民と訳すかというときには、いつも全体の頭の上にある国家というものがネーションなのかステーツなのかというこの揺れ動きの中ではっきり理解されていないように思います。
漠然とした質問で大変申しわけございませんが、日本国憲法の一番ベースにあるこの尊厳の問題、この尊厳といったときには、人、市民、国民、国家というものの関係をどのように考えればいいのか、御示唆いただければありがたいと思います。