憲法調査会

2000-11-27 参議院 全103発言

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会議録情報#0
平成十二年十一月二十七日(月曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 十一月十五日
    辞任         補欠選任   
     石田 美栄君     吉田 之久君
 十一月二十四日
    辞任         補欠選任   
     岩井 國臣君     斉藤 滋宣君
     世耕 弘成君     山下 英利君
     野間  赳君     日出 英輔君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         村上 正邦君
    幹 事
                亀谷 博昭君
                鴻池 祥肇君
                武見 敬三君
                江田 五月君
                堀  利和君
                魚住裕一郎君
                小泉 親司君
                大脇 雅子君
    委 員
                阿南 一成君
                岩城 光英君
                木村  仁君
                北岡 秀二君
                久世 公堯君
                斉藤 滋宣君
                清水 達雄君
                陣内 孝雄君
                谷川 秀善君
                中島 眞人君
                日出 英輔君
                松田 岩夫君
                山下 英利君
                小川 敏夫君
                川橋 幸子君
                北澤 俊美君
                菅川 健二君
                寺崎 昭久君
                直嶋 正行君
                簗瀬  進君
                吉田 之久君
                大森 礼子君
                高野 博師君
                福本 潤一君
                橋本  敦君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                福島 瑞穂君
                水野 誠一君
                平野 貞夫君
                佐藤 道夫君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       大島 稔彦君
   参考人
       元上智大学教授  加藤 周一君
       評論家      内田 健三君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査

    ─────────────
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村上正邦#1
○会長(村上正邦君) ただいまから、定刻になりましたので、憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、日本国憲法について、文明論・歴史論等も含めた広い視野から、参考人の御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、元上智大学の教授でいらっしゃいました加藤周一参考人及び評論家の内田健三参考人に御出席をいただいております。
 この際、参考人の先生方に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、大変御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 参考人の先生から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、加藤参考人、内田参考人の順にお一人二十分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず加藤参考人からお願いをいたします。加藤参考人。
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加藤周一#2
○参考人(加藤周一君) 今、議長から御指名をいただいた加藤でございます。およそ二十分ぐらい憲法についての私の意見あるいは感想を申し上げたいと思います。
 私がきょうお話しするのは、憲法の精神というか、大きな原則についてであります。個々の問題については、二十分間でもありますし、細かい技術的な問題には立ち入りません。
 憲法の精神というか原則は、非常に大きな特徴が三つあって、一つは平和主義ですね、具体的には憲法前文及び第九条と関係していると思いますが。それから二番目は、国民主権、それが第二点ですね。それから第三は、人権の尊重ということだと思います。その三点が非常に大きな原則的な問題で、憲法の全体に浸透していると思うんですが、したがって、相互の関連もありますけれども、明治憲法と比較したときは、今申し上げた三つの点で、平和主義とそれから国民主権と人権尊重ということは明治憲法と現行憲法との一番大きな違いだろうと思いますね。
 それから、外国の憲法と比べた場合、殊に民主主義的な国の現在の憲法という点では、目立つのは第二点と三点、国民主権というのが圧倒的な多数の場合にそうですね。それから、人権尊重ということも入っています。ただ、平和主義は、それが徹底した形で、日本国憲法において徹底した形では外国にないですね。少なくともほとんど全くないですね。特徴だと思います。
 ですから、明治憲法との比較による現憲法の特徴は今申し上げた三点全部、それから外国の憲法と比較した場合、非常に目立つ独特な点は平和主義であります。殊に軍備放棄を含むところの平和主義ですね。
 この憲法の成立の事情に関しては、これは占領下につくられたものですから、戦争直後の占領下で二つの目的が最初あった、つくられたときは。第一は、戦争直後ですから日本を非軍事化する、それで非武装化するということですね。第二点は、同時に民主化です。その二つの点で憲法はつくられたというふうに言えると思うんですね。
 その第一の非軍事化という点は、占領軍側の戦争の原因に関する意見と密接に絡んでいます。
 その第一は、もちろん武装解除するということが第一点ですが、つまり軍備放棄ですね。しかし、それだけではなくて、戦争の背景になったのは国家神道だという考えが占領軍にあって、したがって政教分離ということを非常に強調していますね。
 それからもう一つは、経済的な背景については財閥解体と農地改革です。そういうことは、日本の非武装化ということと密接に絡んでいる。しかし同時に、民主化とも絡んでいるんですね。だから、民主化と戦争放棄、この武装解除ということは占領軍の考えの中で密接に絡んだものだったと思います。
 ですから、そういうことが、占領政策としてはそういう憲法をつくるということであったわけですが、それでそれは押しつけと言えば押しつけなんですね、言葉の問題ですが。しかし、それは必ずしも日本側がそれを歓迎しなかったということでないので、例えば平和主義は、人権尊重は非常に日本側が自発的にそれを受け入れたということがあると思いますが、成立事情の細かいことにはここでは触れません。しかし、根本的にはそういうことだと思いますね。
 その後で、占領政策に変更があって変わってきますから、それで同時に改正の方角へ向かって、憲法を変える方角へ向かっての占領軍側、殊に米国からの圧力が強くなったと思うんですね。ですから、その押しつけ議論というのは、一言で申し上げますと、憲法を押しつけられたという議論だと憲法改正を押しつけられているわけ。だから、もし押しつけが嫌だったら憲法改正をしないことがつまり現時点での押しつけに対する抵抗ですね。ですから、その両方一緒にまとまって憲法は押しつけであって同時に憲法改正は押しつけでないという議論をとられても、その二つは関連していると思います。
 そこで、きょう私が少し細かく入りたいと思うのは憲法第九条です。なぜならば、単に明治憲法との比較においてではなくて、ほかの国の憲法との比較においても非常にユニークというか、特徴的なのが平和主義ですから、だからその平和主義の内容は第九条でも殊に強調されている点、あるいは具体化されている点だと思います。
 この第九条の武装放棄を含むところの平和主義というのは、私はこれを先取りの考え方、先取りの憲法だというふうに言っていいんじゃないかと思うんです。
 第二次大戦後の世界の動きは、第二次大戦前もですね、本当は第一次大戦から始まっていると思いますが、だんだんに戦争を、国際協定や条約やあるいは国際法に該当するような、最初は国際連盟、後は国際連合の原則としても戦争を制限していこうということがだんだんに強くなって、これは世界の一般的傾向だと思います。第一次大戦の場合はほとんど野放しで、それから第一次大戦後でも第二次大戦前にはかなり強く、少しずつ出てきていますけれども、全体としてはまだ戦争の制限というのが少なかったと思うんですね。第二次大戦後になるとそれが大変強くなってくるんです。
 だから、一般に戦争は非合法である、やらない方がよろしいという考え方が非常に強くなって、皆さんが十分に御承知のように、国連が正当化している戦争は二つしかないんですね。一つは、自衛というので正当防衛に該当する場合ですね、その国が直接に武器攻撃を受けた場合に反撃するという。それから第二は、国連の安全保障理事会の委任があった場合には軍事行動をとることができるというのが二つだと思います。それが国連による正当化された武器使用の二つの場合だと思うんです。それ以外は、もし国連憲章を現在有効であるところの国際法理に妥当するものと考えれば、そのほかの戦争は非合法ということになります。それはかなり強い戦争の制限ということになると思うんですね。それが例外ではあるわけです。
 しかし、平和維持のためには抑止力という考え方、だから軍備は使わないための軍備ということで、抑止力という考え方ができます。平和維持のための抑止力は正当化されるということですね。
 それから四番目は、人権とかそれから人道的目的のためには、場合によってというのは、国連の安全保障理事会の委託があれば武器を使用することが正当化されるという考え方ですね。それは、いわゆる国際的責任の問題にも絡んでくると思います。
 大体四つ、例外的である。そのほかの戦争は除外されるという方角に動いてきている、世界は。もっと先まで行くと、除外例を設けないで、そもそも交戦権を放棄して、したがって軍事力全面を放棄するというのが日本の憲法だと思います。
 そうすると、大ざっぱにいきまして三つの段階があると思うんです。第一の段階はコントロールがないという。第二は、戦争をいろんな手段で制限するけれども例外を設けているんですね、今申し上げたような。それで第三は、例外と考えないで全面的に戦争放棄という立場をとれば日本国憲法ということになります。
 ですから、世界の戦争に対する態度、その発展の歴史的過程の流れでいうと非常に先に進んでいるんですね。まだそういう国が日本以外にないから、だからそういう意味で先取りというふうに言えるんじゃないかと思います。
 そこで、今申し上げた点には、しかし問題点があると思うんですね。ということは、つまり日本国憲法がなぜ例外条件を設けなかったかというと、例外条件に疑問点がかなりあるからだと思います。
 それで、その第一の点は自衛ということなんですが、自衛の定義は非常にあいまいなんですね。それは、政治情勢もそうですが、地域についてもあいまいで、要するに自衛という概念は非常に茫漠とした概念なんですね。近代になってから今まで戦われた多くの戦争は、ほとんど、非常に多くは自衛の名のもとに行われているわけですよ。ですから、自衛のためは例外だというと例外がどこまでも拡大する可能性を含んでいるわけなんで、それが弱点ですね、自衛論の議論の。
 日本憲法よりも先に自衛のために武器を用いることに決定的に反対したのは多分ガンジーだと思いますね。ガンジーは、英国植民地であったときのインディアで、守るため、独立を獲得するための手段として武器放棄をしているわけですね。しかし、抵抗を放棄したわけじゃないんで、非合法の抵抗も含めてただ武器を用いないということだったと思います。これは原則、それから倫理的な問題にも絡むところの原則が一つの根拠ですが、しかしそれだけではなくて、大変現実的な政策でもあったんですね。
 もしインドが第二次大戦の前に武器を用いる独立運動をすれば、武力がシンメトリカルじゃない、つまり英国の武力は非常に強大ですから、だからむしろ英国による武力の使用を誘発することになってしまうんですね。それで、結果は目に見えておるわけで、ですから、現実的な政策としてガンジーが考えたのは、単に倫理的な正当化じゃなくて、武器を使わないということはそうじゃなくて、最も現実的な目的合理性のある政策だったからそれをとったという面を含んでいます。これは大変示唆的な問題じゃないかと思うんですね。
 日本の場合には、自衛の問題は、もう一つは一般に地上のある国が武装をしていないと侵略されるとかされないとかという議論はほとんど内容がないと思うんですよ。意味をなさないと思うんですね。そういう一般論はできないわけですね。例えば、米国の場合と今の日本の場合、それからイスラエルの場合、あるいはパレスチナの場合は国がないんですから、まだ、ですからそういう場合とでは余りにも条件が違うわけですね。
 ですから、一般論をすることは非常に困難だと思いますから、別の言い方をすれば、具体的に自衛の問題を論じるには想定される攻撃、つまり日本に対する攻撃が想定されなければ非現実的、単なるアカデミックな問題になってしまうんですね。だから、政治問題にしようとすると、具体的にどういう可能な敵があるかということ、あるいは侵略者が考えられるかということです。初めに考えられたのは、第二次大戦後は冷戦のコンテクストの中でソ連と中国ですね。そして、それは政府だけではなくて日本の言論界、ジャーナリズムでも非常にしばしば言われたでしょう。敵は、ソ連と中国の脅威に備えるということだったと思いますね。
 そこで、日米安保条約とか軍事的な日本側の再軍備とかいろいろなことが起こったわけですが、最初に落ちたのは中国だと思います。一九七二年に、あの田中内閣のときに、日本が北京を承認してそして友好条約をつくりますと、そうすると中国の脅威という話は消えたんですね。政府側の議論の中からも消えましたけれども、日本のジャーナリズムの中からはかき消すように消えた。
 だから、中国の脅威なるものは、日本の再軍備が進んだから、あるいは安保条約の運転がより有効になったから中国の脅威が消えたんじゃないでしょう。一晩では消えないですから、そういうのはね。そうではなくて、日中条約ができたからなんですね。外交的な手段とそれによって生じるところの政治的状況が二国間関係というものにいかに決定的な影響を及ぼすかということです。脅威がなければ自衛の問題はかなりアカデミックな問題になる。
 その次はソ連。そこでソ連が可能な脅威だったんですが、分解してしまってソ連がなくなって冷戦の終わりということになると、ソ連の脅威というのはなくなりました。そして、それも非常に早く消えたですね。
 その三番目の候補者として北朝鮮、朝鮮人民共和国、そしてそれは中国よりも小さい、ソ連よりも少し小さい国でしょう。そして、それの脅威という話ですが、これもことしになってから南北朝鮮間の会談ができると非常に怪しくなってくるんですね、その軍事的脅威は。
 そういうわけですから、自衛の問題というのは、日本において徹底的に武装しなければ日本の安全が守れないという議論は非常に弱くなっているんじゃないかと思います。
 その二番目は、自衛ではなくて国連の安全保障理事会によるマンデート、委託決議があったときに武力を使うということですが、これは実際的にそういう武力介入が効果があったかどうかというのは大体大いに疑問なんですね。第二次大戦後にそういうふうなこと、うまくいった場合もあると思いますが、まずくいった場合の方が多いと思います。殊に大規模な軍事介入は成功していない、目的を十分に達していないと思います。
 例えば、第一のは湾岸戦争ですね。第二はコソボのユーゴスラビア爆撃ですが、湾岸戦争は国連の委託があってやった戦争ですから、それでイラクはクウェートに侵入していますから非合法ですね。それは国際法違反であって、それに対して国連の安全保障理事会の委託があって介入したんですから、それは合法的介入というふうに言えると思います。ただ、どういう目的を達成するための戦争だったかというと、それはイラク懲罰という以外に余りないんですよね。クウェートからの撤退は必ずしもあれほどの大戦争をしなくても既にほとんど成就されていたわけで、ですから、どういう目的を湾岸戦争が達成したかという点からいえば、大変疑わしいと思います。
 ユーゴスラビア爆撃の場合は、私がさっき申し上げたように、現在の国連憲章によって正当化されている戦争行為ではないですね。ですから、その意味では非合法ということになるわけなんですね。結果はどうかというと、あのときの最大の目的はコソボからの難民を救うということだったんですね。難民の数は爆撃の前よりも後の方がふえています。だから、必ずしもその目的を達成していない。
 そういうわけで、国連の安全保障理事会の委託があれば戦争が正当化されるというのは疑わしいですね。そういう意味で、国際的責任を果たすことが直ちに国連マンデートのある戦いに参加するということを意味しないと思います。
 それから三番目は抑止ですが、抑止というのはこれは今に始まったことではないので、戦後には冷戦下で核武装の競争があったときにそういう言葉がはやりましたけれども、実はその抑止という考え方は非常に昔からあるんですね。もし平和を望むならば戦争の準備をしろというのはローマからあるわけなんで、これはラテン語の格言ですが、抑止という考え方はずっと歴史を一貫しているわけですね。中国でも戦国時代がたびたびあって、やはり抑止という考え方、孫子にも出てきますけれども、だけれども実際には戦争が行われたわけですね。
 抑止が戦争を抑止した例はない、残念ですが非常に少ないです。いつの時代にも戦争があって、そして抑止理論はいつの時代にも盛んに言われていたことなんですから、だからほとんど経験的には証明されたに近い。抑止によって平和を維持するというのは幻想ですね、今まで二千年間なかったんだから、そういうことは。では、抑止なるものは何を抑止したかというと、それは戦争反対の言論を抑止したんですよ、戦争を抑止したんじゃなくて。抑止理論がきいているのは、言論の抑止であって戦争の抑止ではないです。
 それから四番目は、人権のためということですね。これは二つの難点があるんですね。
 一つは、やはりさっきちょっとコソボに触れたように、人道的目的で武力を使った場合に、実際に……
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村上正邦#3
○会長(村上正邦君) どうぞ区切りのいいところで。
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加藤周一#4
○参考人(加藤周一君) 時間で、ちょっと飛ばしますが、一つは目的を達成しない場合が多いということですね。
 それから二番目は、現在行われている人道的目的のための介入というのは、シンメトリーがないと思うんです、シンメトリーがない。というのは、どこでも人道的な非常に悪い状態が生じた場合には軍事介入をするというのではなくて、あるときにはし、あるときにはしないんですよね。目的として掲げているのは人道的目的だけれども、実際に戦争行為が行われるか行われないかというのはそれだけでないということは明らかなんですね。
 ですから、そういう意味でどれも余り説得的じゃないんですね。あるいは逆の言葉で言えば、日本の武装放棄、武器を使わないという政策に反論するためには、今申し上げたような戦争正当化の議論というのは弱点が多いと思います。
 それで、日本に関してもう一言申し上げておきたいと思うんですが、現実には日本の再武装があるわけですね。自衛隊があって、強い軍事力があって、そして憲法と矛盾しているじゃないかという議論が当然あると思うんです。しかし第一に、一般的に言えば、法律は現実と矛盾しているから法律があるんです。もし矛盾がなければ、だからほとんど現実と法律との乖離は法律のレーゾンデートルです。泥棒がいなければ刑法は要らないんだから。しかし、それは一般論です。
 特に今の第九条に関しては、今まで申し上げたことがある程度それを説明していると思いますが、これはいわゆる解釈改憲で、政策をとってだんだんに軍備が増大したから現実と離れたんですね、そうでしょう。だから現在の問題は、憲法を現実に近づけるか現実を憲法に近づけるか、どっちかということになると思う。それが根本的な仕方ですね。
 今までの私のお話ししたことで、ちょっとはしょりますが、結論は、今後の日本の行き先としては、先取りの憲法は世界で早く徹底した平和主義をとったから先取りというだけではなくて、日本の将来にとって有効な政策を憲法が先取りしているというふうに私は考えます。ですから、変えるよりも変えない方がいい。なぜならば、憲法にあらわれていることを実現することが日本の将来を開くのであって、憲法を変えて現在の現実に近づけることが将来を開くんじゃないんですね。
 その状況はほとんど米国憲法のシビルライツに似ていますね。人種の平等をうたっているわけだから、米国憲法は。ところが、差別は非常に強かった。憲法を変えてそれを現実に合わせたんじゃなくて、憲法に現実を合わせようとしたのがシビルライツです。そして、その成果はかなり大きかった、六〇年代から七〇年代にかけて。ですから、日本国憲法の場合にも同じような構造があると私は考えます。
 ありがとうございました。
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村上正邦#5
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 内田参考人にお願いをいたします。内田参考人。
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内田健三#6
○参考人(内田健三君) 内田でございます。
 ただいまは、加藤周一先生から大文明論と申しますか、非常にスケールの大きなお話があったと思います。実は私は加藤先生の門下生でございまして、もう二十年近くになりますか、その前二十年ぐらい加藤塾で教えを受けていた者でございます。
 さて、きょうは私の話は加藤さんのお話とは全く違うというか、私は五十年近く政治ジャーナリストでございます。日本の戦後の政治のウオッチャーとして活動してまいりました。その見地からきょうは極めてナウな、現実的な問題について考えを申し上げたいと思います。
 憲法は一九四七年に公布されまして、もう五十三年たったわけであります。私は、憲法を千古不磨の大典などというのは思い込みが強過ぎるのではないかという意見でございまして、千古不磨の大典といったのは明治憲法でございますが、明治憲法は五十六年をもって敗戦時に終わりました。その終戦の翌々年に現在の日本国憲法というものができましたから、今日は既に五十三年を経過しているわけであります。
 憲法というものに寿命があるかどうか、これはわかりませんが、結果論でありますが、私は日本憲法について改憲論というものが出始めているのは、そういう意味からいえばごく当然のことかなというふうに思っております。
 改憲だ護憲だというすさまじい対立の数十年は既に終わったと。これは国際情勢という問題もあります。国民感情、国民の意識の変化ということもあります。今やその点は非常に自由に考えた方がいいのではないか。その点から論憲という言葉がちょうど中間の言葉としてございますが、私は、論憲、大いに結構であるというのが私の基本的な立場でございます。
 さて、日本の憲法は五十年たちましたが、この間に非常に大きな変化が一つありました。
 つまり、一九四六、七年、敗戦後の憲法論議、制定の経過というものについては、アメリカの押しつけ憲法であるとか、いやいや日本国民の伝統的な考え方がここでやっと日の目を見たんだということとかいろいろありますけれども、この制定経過についてはさまざまな議論がにぎやかに展開をされてきておりますが、私がきょうちょっと申し上げたいのは、この憲法が十年たったときに岸内閣のもとで政府の憲法調査会というものがつくられました。これの論議の経過というものをよく私どもは参考として見た方がいいのではないかという考え方を一つまず申し上げます。
 たまたま私は、この岸憲法調査会はまだ若い記者時代に担当記者になりまして、これが何と七年間論議をしたんですね。昭和三十二年にできまして、岸内閣が三十五年、あの安保闘争によって倒れますが、その間の三年間、ずっとこの調査会制定以来担当をいたしました。三十五年に、あの安保闘争の後に池田内閣ができました。池田内閣が四年間でありまして、やがて佐藤内閣、これは一九六四年でありますが、佐藤内閣ができたとき、その直後にようやく答申案ができました。
 これは、前後七年間の大調査会であったわけであります。しかも政府の調査会であった。そしてふれ込みは、岸さんが、この憲法は占領下にできた憲法である、こういう憲法をいつまでも持っていてはいけないということで、改憲調査会として発足をしたわけであります。
 しかし、七年間やりましたあげくの佐藤内閣が出しました答申案、結論というものは、これは全く改憲とかあるいは護憲とかいう論議を超えて、両者が出し合ったいろんな意見を並べた、併記した答申案でありまして、これは恐らく調査会をつくられた岸さんの本意では全くなかった。しかし、私は、それは当時の日本の状況から見れば当然であったというふうに思います。
 私自身、若い記者でございまして、憲法を議論するのはいいよと、議論するのはいいが、岸さんが、これは個人の問題になりますが、岸さんという人がこの憲法を改正したいということで思い立った調査会はおかしいのではないかというのが記者自身の胸のうちにあった考えでございます。そのことが取材にどこまで影響したか、それは何ということはないんですけれども、私はそのことが、この調査会を七年後には何のためにやった議論かわからぬと言ってもいいような結論になった理由であると思います。
 私がなぜその岸調査会に反対したかと申しますと、これは言うまでもなく、戦中戦後における岸さんの政治行動というものが、私はこの方がこの戦後にできた憲法というものを大改革するという、大改正をするという資格はないのではないかというのが基本にありましたためにそういうことになりました。結論もそう、世論もそう見たと言っていいかと思います。しかし、このときに起こった変化というものは、今日まで非常に岸調査会のいわば後遺症というものは私は残っているというふうに思います。
 岸調査会がどうしてその本来のねらいを達せられなかったかといえば、これは日本の国情が変わったからであります。日本の国民の意識が変わったからであります。言うまでもなく、それは六〇年安保を境にして池田内閣が登場いたしまして、この池田さんは、要するに所得倍増計画という、とにかくもう安保問題あるいは憲法問題で何だかんだ議論するようなときは過ぎたではないかと。新安保条約はもうできてしまっているし、そのもとで我々はこれから、この焼け野が原であった十年を経て、これからどうやって日本を再建するかという、そこからお互い国民仲よく、イデオロギー闘争はもういいかげんにして、そして汗水垂らして、あるいは友情を持って働こうじゃないか、これが所得倍増計画でありました。
 これは岸さんの弟さんである佐藤さんも、憲法には中途半端といいますか、ある種の結論をつけて終わって、そして池田さんの後を引き継いだ後は、御存じのように池田・佐藤時代と言われる十二年にわたる日本の国運を担われたわけでありまして、その間になされたことは経済発展であると。国民が豊かになろう、こういうことであって、それは成功をした。あるいは、それが十二年だけであったのか、後の田中政権あるいは三角大福と言われる時代まで続いたかと思いますが、そういうことが、私は、この敗戦後の憲法制定の次に十五年ぐらいたったところで大きな動きがあったということをこの際もう一度思い出してみる必要があると思います。
 次の日本の転機は中曽根内閣の登場であったと私は思います。これは一九八二年ですね。八二年ですから、四五年の敗戦からもう三十年ぐらいたつというときであります、三十数年たつ。この中曽根さんが総理になられたときに、おれは戦後政治の総決算をしたいということを旗印に掲げられた。これは私は非常に大きな意味を持ったと思います。当時私は、その中曽根さんについて、これはジャーナリストですから具体的な名前を挙げてあれこれ申しますが、中曽根さんというのはやっぱり少し危ないところのある政治家ではないかと、こういうふうな、一口で言えばそういう印象を持った。すばらしい人だけれども、どうもそういう思想的にもあるいは政治的にもどうかなという感じを絶えず持っておりました。
 ところが、この方が戦後政治の総決算と言われたとき、私はこれはいきなり憲法改正かなと直観をしましたけれども、それは私の考えが浅はかであって、私は中曽根政治の五年というのは、つまり戦後の十年から池田・佐藤の十二年、その次に第三期を画した非常に大きな政治であったというふうに思います。
 それは、なさったことが、今お書きになったものもありますが、おれは憲法改正をしようなんということでこの言葉を使ったんではないんだと。要するに、数十年を経て日本もどうやら一つの限界に来ていると。そこで、この日本の政治を変えようということでなさったのが土光政治臨調であります。そして、あるいは教育問題で臨時教育審議会というものをつくられた。
 この土光臨調は、言うまでもなく、もはや成長の限界というか、高度成長の限界に来た日本をどうやったら立て直せるか、新しい政治にできるかということでありまして、これは一つはもちろん小さな政府を志向するという行財政の改革であったわけで、そしてまた、これは憲法という問題は忘れておられたわけではない、意識の大底にはあるわけですが、その前に教育のあり方というものに目をつけられた。
 これはそれからもはや十五、六年たっておるわけですが、今日もいつもいわば政治の亜流の政権がと言うと悪いんですが、またぞろ小さな政府を志向する、あるいは教育改革が基本だ、教育がなってないよというふうなことを言っておりますが、私はそれは一九八二年の段階では非常に大きな見識であったなと今にして思っております。
 そういうことから発展させますと、私は、土光臨調の後を引き継ぎました政治臨調という、今二十一世紀臨調というふうに名前を変えておりますが、この仕事をこの十年来続けておりますのも、結局は中曽根改革の引き継ぎなのかなと。これは特に、中曽根さんが起用された臨調の中で亀井正夫さんという方が国鉄の民営・分割をなさった。私は、これは土光臨調、非常に大きな働きはしましたが、成果として唯一世界にも誇れるのは国鉄の民営・分割であるというふうに思っておりますので、その会長である亀井正夫さんを担いでと申しますか中心にして、今なお日本の二十一世紀の改革というものはどうあるべきかということを今、毎日のように議論をしておるわけでありまして、私は、以上のような憲法制定の当時と、それから十五年たった後の岸憲法調査会というもののいわば失敗といいますか、竜頭蛇尾に終わったということと、そして新たに中曽根時代になっての改革論というものをよく研究する必要があるなと。
 これは何と申しますか、私は、政治はやはり十年先、二十年先を見通した変革というものをしなければならないものであると。すぐれたリーダーというものはそういう先見性といいますか、あるいは歴史を踏まえた展望というものを持つべきものであるというふうに思っておりますので、きょう、とにかくこの調査会に出て話をしろと言われますと、私はやはりこの五十年の歴史というものをよく点検する必要があるのではないか、そしてそれを踏まえて、ここまで来たこの段階の改革というものは何であるのかということを議論すべきであると。
 幸い、この国会で久しぶりに設けられました憲法調査会というものは、超党派の会であり、しかも改憲であるとか護憲であるとかイデオロギーの角突き合いをする調査会ではないよという合意のもとに出発しているのでありますから、その本来の趣旨を徹底して委員の皆さんがおやりになることが私ども国民のためにもありがたいことであるというふうに存じているわけであります。
 まず、冒頭にはこれだけのことを申し上げておきたいと存じます。
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村上正邦#7
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 質疑に入ります。
 御発言の際には、まず所属会派名をおっしゃっていただくようにお願いをいたします。
 それでは、あらかじめ質疑の希望が提出されておりますので、順次指名をいたします。
 木村仁委員。二十分どうぞ。
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木村仁#8
○木村仁君 自由民主党の木村仁でございます。
 加藤参考人、内田参考人、両先生におかれましては大変示唆に富むお話をいただきまして、大変ありがとうございました。
 私はまず、現時点における憲法改正に関する両先生の御感触、御認識を簡単にお伺いしておきたいと思います。
 実は、この憲法調査会の初期の段階で、学生とともに語る憲法調査会という会議がありました。約二十人の学生さんがここに来て議論をされたわけでありますが、その基礎となった応募原稿と申しますか、論文が百七十七通あったそうでございます。私どもの同僚議員であります世耕弘成さんがこの中身を調べて、その八〇%は憲法改正に賛成の意見であったと、こういうことでございました。
 最近の世論調査でも大変、憲法を改正してよろしい、あるいはすべきだという意見が多く、まあ改正した方がいいというものまで加えると六〇%、七〇%という回答が出てくるのが普通でございます。
 また、憲法のどこを改正するかということでありますが、従来はもうほとんど九条改革に議論が集中しておりました。しかし、最近のアンケートでは、これは自由民主党がやったアンケート調査で比較的中正に行われたと私は思いますが、順番でいきますと、わかりやすい現代的文体に改める、四八・四%、重要な問題について国民投票を実施できるようにする、四四・三%、総理大臣を国民が直接選挙するようにする、四三・三%、プライバシーの保護規定を設ける、三四・七%、情報公開の規定を設ける、三三・七%、PKFの参加の憲法上の疑義をなくす、三三・三%、大規模な危機に対処できるようにする、三一・九%、国民にも憲法改正の提案権を与える、三一・三%、国民が環境を守るための規定を設ける、二九・五%、地方分権を推進できる規定を設ける、二六・五%、これが十位までの問題でありまして、今や国民が非常に幅広く憲法を見直したい、憲法を改正していいじゃないかという議論になってきておるのではないかと思います。
 後藤田正晴先生の本を読んでおりましたら、憲法改正はもう戦前の世代はやるな、二〇一〇年ごろに新しい、若い人たちだけでやったらいいということで、この方は努力をして自民党の理念と綱領から憲法改正というのを削って憲法問題について国民と広く論議をしたい、こういうことに変えた方でありますが、私は実は二〇一〇年は遅過ぎると、もうちょっと早く。
 と申しますのは、私は昭和九年生まれ、小学校には一日も行かなかった唯一の学年でございます。国民学校で入って国民学校を卒業し、そして昭和二十二年に新制中学の第一回入学生、そしてその五月に新憲法が施行になったという世代でございまして、私どもも新しい二十一世紀の憲法改正のためにはどんどん発言をしていきたい、私どもの思いも憲法改正に入れていきたいと思っております。そのためには二〇一〇年では遅い、こういうことでございますが、加藤先生、内田先生、それぞれ現時点における国民の認識等を踏まえながら、憲法改正についてどのような感触をお持ちか、お聞かせいただきたいと思います。
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加藤周一#9
○参考人(加藤周一君) 今、世論調査の結果をおっしゃいましたが、非常に大事な要素だと思いますね。憲法を変えた方がいいか変えない方がいいかということに大事な要素だと思います。しかしそれは、世論調査の結果は必要条件であって十分条件じゃないと思いますね。
 もう一つの条件は、国民の間で非常に広い、それで長い間にわたる安定した価値観、あるいは価値のシステムと言った方がいいかもしれないが、そういうものが憲法にどこまで表現されているかということになると思うんですね。それは必ずしも世論調査の結果だけではないんじゃないか。もしコンセンサスが、だからどこの社会にもあるわけです、特定の価値体系が必要なわけでしょう。その価値体系と憲法との関係を検討するというのがそれはもう一つの観点だと思いますね。二つの観点から憲法の問題が検討されるんじゃないかというふうに思います。
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内田健三#10
○参考人(内田健三君) 私は別な角度からですが、この世論調査が非常にばらつきというかバラエティーを持ってきているということは非常にいいことだと。これは若い学生の調査のようでありますが、いろんな形の世論調査が出ております。
 やはり今までの私が申したような五十年の経過から、九条問題というのは上位に属しますけれども、もはや九条問題だけが五〇%を超えて独走するというような調査結果は出なくなった。これはやはり国民の意識、政治意識というものが非常に豊かになり多様化しているということを示しているのではないかと。個々の項目については、私、木村さんは地方分権という問題を恐らく一番頭に置いていらっしゃると思いますが、これについても私の意見も後ほど申し上げたいと思いますが、結構な結果が出ていると、大いに議論を闘わすべき段階、まさに論憲のときが来ているというふうに思います。
 もう一つ、後藤田先生の引用がありました。実はこの後藤田先生の本、私どもが去年の六月に出した本がございます。と申しますのは、それは後藤田先生にインタビューをいたしました。私と、この前ここにも意見を述べに来られたと聞いておりますが、東大教授の佐々木毅さんと、それから今第一線のナンバーワン的な記者、朝日の早野透君と三人で半年間にわたってインタビューをしましたのをまとめて出した本であります。
 私はこの本を通じて、後藤田さんの見識と申しますか、大変感銘を受けたのでありますが、その中でおっしゃった言葉がまさに今、木村さんのおっしゃった、おれたちはこの前の戦争というもの、特に九条に関して言いますと、前の戦争に深くかかわった人間である、ある意味では加害者である、それからアジアにはたくさんの被害者がいる、この加害者、被害者がいる間はどうもいろんな怨念などがこもるから憲法改正ということは軽々に言わぬがよろしい、恐らくあと十年、二〇一〇年ごろになったら、おれも死んでしまうし被害者だった人たちも死ぬだろう、そのころになって冷静に憲法というものを考えたらどうだろうと、こういう御意見でありました。
 私も木村さんと同じで、ちょっと十年、議論ばかりでいったのでは、これは議論くたびれ、議論倒れしてしまうんじゃないかなという気もいたしますが、とにかく二十一世紀に向けてのこの憲法論議というものは非常に重要な課題であるというふうに存じております。
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木村仁#11
○木村仁君 私も先ほど申し上げたような世代として新しい憲法をつくっていきたいという意欲を持っているわけでございまして、昭和三十年代の政府の憲法調査会において憲法が改正されなかったことはむしろ幸いであったと、そう思っております。私どもは、戦争を始めたことにも戦争に負けたことにも全く責任のない世代で、なおかつ、また、憲法が押しつけられたとか押しつけられたものでないとか、そういう議論にもほとんど関心がございません。私どもは今の憲法を五十年愛してまいりましたけれども、そろそろ改正の時期に来ている、そしてそれはやはりもうこの四、五年のうちに具体的にかからなければならないと考えているわけでございます。余り意見を言っちゃいけませんけれども。
 そこで、憲法改正手続に関する問題について内田先生に御指導いただきたいと思いますが、憲法九十六条第一項は、憲法改正は両院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議し、国民投票に対してその過半数の賛成で成立する、こういう大変厳しい改正の規定になっております。この問題はマッカーサー憲法草案の段階で大議論があったのだそうで、まず国会の三分の二以上による提案、四分の三以上の賛成による可決という手続も提示されていたそうでございますが、ケーディス氏はこれらに対して極めて強く反対して、これは論理的には後世の国民の自由意思を奪うことになる、また憲法を保護するためにこのような制限をつけるのはよくない、こういう議論をしたそうでございます。当時、GHQ内には、十年間は少なくとも日本に憲法改正はさせないという議論があったのだと聞いております。
 実は、鳩山内閣は、この三分の二という関門を突破できないものですから、何とかして三分の二をとりたいということで小選挙区を発想したというのが当時の実情ではなかったかと思います。
 私が注目したいのは、三分の二の条項と国民投票というのがセットになっているということ。私は、この国民投票というのは非常に重要なすばらしい制度であると思います。そして逆に、三分の二というのはちょっと規制が強過ぎるのではないか、こういうふうに思います。
 確かに、ボンの基本法は三分の二です。それからアメリカも両院の三分の二で憲法改正ができます。その三分の二の関門をクリアして、ドイツでは戦後四十三回、アメリカでは建国後十七の重要な改正をしているわけでありますが、これはそもそも憲法は改正していいものだという国民的コンセンサスがある国では三分の二というのはいいと思うんですけれども、これから我々が議論していく際に三分の二というこの関門は、ぎりぎりの政治的対決を議論していくような問題については非常に私は民主主義としてはおかしい制度である、こういうふうに思います。
 例えば、議員を追放するというようなときは三分の二、これは理解できます。しかし、本当にそういったぎりぎりの政治的な議論をするときに、現状を変えさせないという人の意見が現状を変えたいという人の意見の二倍の重みを持っているということは、日本の実情では非常に不合理ではないかという気がいたしております。
 今、一票の重みということで訴訟まで起こっておりますけれども、こういう意味では一票の重みというのがこの国会の中で明らかに違っているというのはおかしいのではないか。だから、むしろ一対一で、二分の一で発想して、しかし国民の英知にかけるという意味で国民投票をするということをやるのがいいのじゃないか。
 そういう意味で、私は少なくとも、これはもう冗談と思って聞いていただきたいんですけれども、第一次の改正はこの三分の二を二分の一に改め、そして国民の投票を守ると、こういうことではないかなという、イコールフッティングで議論をしたいなという気がいたしますが、内田先生、ちょっと余りにもひどい議論でございましょうか。
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内田健三#12
○参考人(内田健三君) 私は今の木村先生のお話は大体よくわかると申し上げたいんですね。
 私はどうも、やっぱり私どもの憲法論の中にはいまだに明治憲法の影響といいますか威力が頭の隅っこに残っておるんではないか。つまり、あれは明治天皇の欽定憲法であります。お上がつくってくださった憲法であると。しかも、戦後、不磨の大典と、ちょうちん、鳴り物入りではやし立てられて、その末路は何であったかといえば、敗戦で終わったのではない、その前十年、もはや軍部の支配下にあったような憲法になってしまっていたということを考えますと、余り憲法をかたくいつまでも持っている方がいいんだよという方にウエートを置き過ぎるのはどうかな、それが一つであります。
 それからもう一つは、これは両院の調査会のどなたたちでありますか、欧米の視察に行かれたとき、私、そのもとをちょっと見損なっておるんですが、ローマにいらしたときにあの「ローマ人の物語」を書かれた塩野七生さん、これはもう大変な傑作でありますが、ローマ数千年の歴史を踏まえた方がこの憲法調査会の委員に対するアドバイスとしては、皆さん、九条もいいでしょう、新しい環境権とか地方分権とかいろいろあるでしょう、だけれども、まずその入り口にある改正規定というものをもうちょっと緩やかなものにしたらどうでしょうかというアドバイスがあったやに聞いております。ここにあるいは聞かれた方がおられるのかもしれませんが、私はさすがに数千年を見ている塩野七生さんの御議論だなと感じたことをつけ加えます。
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木村仁#13
○木村仁君 時間がございませんので、申しわけございませんが、もう一問だけ内田参考人に。
 と申しますのは、内田先生は、かつていわゆる行革審の中で地方分権特例制度、パイロット自治体を提案されておりますので、恐らく地方自治の第八章については格別の御関心がおありになると思ってお聞きするわけでございますが、金森徳次郎氏の「憲法遺言」、これ遺言と書いてイゲンと読むんですかね、「憲法遺言」に、「憲法を読んでみて、何度読んでもわからない規定が固まっているのは地方自治の章である。」、こういうふうに書いておられます。
 マッカーサー憲法草案の第八十七条の中に、「住民ハ」「彼等自身ノ憲章ヲ作成スル権限ヲ奪ハルルコト無カルヘシ。」という規定があったんです。これは「憲章ヲ」と書いてあります。英語ではチャーターであります。これを実に巧みに法制局が条例に改めております。バイローズでございます。チャーターというのは地域住民がかなりな自治権を持って自分たちの政治形態を決める。例えば首長制にするか、委員会制にするかというようなことまで決める権限を与えているのがアメリカのチャーターです。恐らくマッカーサー司令部はそういうことを、考えを持っていたんでしょうけれども、日本では時期尚早だということで、実に巧みだと思いますが、条例に改めて、「法律の範囲内で条例を制定することができる。」と改めております。
 私は、憲法改正があるときにはぜひこの第八章を、金森徳次郎様がおっしゃられるように、わかりにくいものばかりでなくて、はっきりと改正したいし、そしてできればこのチャーター的な、憲章的なものを地域に権限として与える、連邦制に近い地方自治制度というものをつくりたいな、これを一つ夢に持っているわけでございますが、時間がございませんので簡単になってしまいますけれども、御所見をお伺いしたいと思います。
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内田健三#14
○参考人(内田健三君) お答えしますが、私も地方分権というものをもう少し推進していかなきゃいけないというふうに思っておりまして、今の御意見には大体において賛成でございます。
 ただ、この問題はいろいろと入り込みますと、第一、中央政府あり府県制あり市町村制あり、まことに複雑にでき上がっているものでありまして、これをもしもう少し分権を強めた連邦制にするというようなのは私はいかがかと思っておりまして、引き合いに出しちゃ悪いんですが、今度のアメリカの大統領選挙における各州が、これは国の成り立ちが違いますから、アメリカは州をもって出発をしたわけでありまして、それが合衆国をつくっているという国柄の違いが基本的にありますけれども、しかしあの開票作業が全く原始的なものもあれば最近の投票制というようなものもあって、それがあのフロリダ州というところに集約されて、一月も二月も結果が決まらないなんというようなことは、これはどんな分権の行き過ぎなのか。これは日本の中央集権で来たものはやっぱりもうちょっと分権制を強めなきゃいけませんけれども、妙な例が出てきたなとこのごろ考えておるのでありますが、基本的には分権を推進すべしと。
 ただし、そのときに、あの審議会でも私は議論いたしましたが、一体、府県制というものが今や時代おくれではないのか。そうしますと、道州制あるいはブロック制という主張が有力知事の中にもありますけれども、さてブロック制、九州府とか四国府とかいうことにして、それの権限なりをどういうふうに規定するかというのは大変難しい問題であります。少なくとも私はもう長く、市町村三千三百は何とかして千にと言ってきました。これは当時、異論をなさったリーダーの中には、三百でいいという過激な論、あるいは五百にしろという御議論が当時からありますけれども、まあとりあえずは千かなというようなことを考えましたが、最近、実際問題としてもまず千にというような議論が今高まっているように思いますが、いずれにしても、地方分権というものを推進しなきゃいけない、そのためにはこの憲法条項というものは何らかの形で緩和するというか、しなきゃいけないなというふうに思っておりまして、全く賛成でございます。
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村上正邦#15
○会長(村上正邦君) 時間が参りました。
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木村仁#16
○木村仁君 以上でございます。
 ありがとうございました。
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村上正邦#17
○会長(村上正邦君) 川橋幸子委員。二十分です、持ち時間。
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川橋幸子#18
○川橋幸子君 民主党・新緑風会という会派に所属しております川橋幸子と申します。いいお話を伺いまして、ありがとうございました。
 お二人の参考人の先生方に、加藤先生、内田先生の順番で、二十分の時間をいただいておりますので、質問をさせていただきたいと思います。
 まず、加藤先生のお話でございますが、きょうは大変私は啓蒙される部分が多かったと思っております。平和主義、民主主義、それから人権の尊重というんでしょうか、人権主義、この三つの憲法の価値、憲法の精神というものを出されまして、今の日本国憲法は明治憲法とは三点において異なる、欧米の他国の憲法に比べて平和主義が非常に大きな特徴を持っていて、この十九世紀、二十世紀の歴史の流れをたどると、むしろ日本にとってはこの平和主義というのが非常に現実的な憲法の精神的価値になっている、こういうお話を伺ったところでございます。特に、日本にとっては大変現実的な平和主義なんだと、そこのところに私はきょうは感銘を覚えました。これは、質問の前段の私の感じたところを先生に申し上げさせていただいたわけでございます。
 さて、こうした憲法でございますけれども、日本国憲法の場合は、この平和主義については新し過ぎるとか、非現実的だとか、もっと日本の現実に合わせて変えた方がいいという、こういうお話がずっと来てはおったわけでございますけれども、むしろ現実的なんだというお話で私は同感いたしますが、どうも現実的なんだというそこの意味が日本の人々、日本の国民にはなかなか理解できないところがあるわけでございます。
 そのときにいつも私は思いますのは、この三つの平和主義、民主主義、人権の尊重、この一番根本にある個人の尊厳、人の尊厳というんでしょうか、そういう部分が非常に、憲法というのはまず個人が尊重されるというこういう社会契約の中でできてくるものが憲法秩序であって憲法価値なんだと、そこのところの三つの日本の憲法の特徴の一番ベースにあるこの尊厳が理解されていないように思います。
 少し前置きが長くなりましたが、なぜそう言いますかと申し上げますと、前回の参考人の意見聴取のときに、人、市民、国民というこの三つの使い分けがここで議論されました。先生のお書きになられました八九年の「憲法は押しつけられたか」という文章を拝見しましたら、その中にもピープル、これを国民と訳すのか人民と訳すのかというその違いが書かれておりました。しかも、国民と訳すか人、市民と訳すかというときには、いつも全体の頭の上にある国家というものがネーションなのかステーツなのかというこの揺れ動きの中ではっきり理解されていないように思います。
 漠然とした質問で大変申しわけございませんが、日本国憲法の一番ベースにあるこの尊厳の問題、この尊厳といったときには、人、市民、国民、国家というものの関係をどのように考えればいいのか、御示唆いただければありがたいと思います。
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加藤周一#19
○参考人(加藤周一君) どのように考えるかといってもいろんな面があると思いますけれども、ちょっと難しいところがあるとは思うんですけれども、市民という言葉は出てこないんですよね。憲法の中には市民ということは強調していないわけで、私は、人と市民との関係というのは、市民の一つの定義の仕方は、政治、社会の問題に参加するときに、参加が市民にすると思うんです、個人の。だから、つまり一人でもってそっと暮らしていれば人であるけれども、個人であるけれども市民でなくて、社会的に、社会の方角に参加すればそれは市民になるんだと思うんです。国家は市民の集合が民主的な社会、民主的な国家というふうに思うんですね。
 ですから、いきなり国家と人との関係じゃなくて、日本国に住んでいる人すべてと国家との関係じゃなくて、市民と国との関係というふうになると思うんです。人と国家との中間に市民があるんじゃないか。だから、市民にならなければ国家との関係が出てこないというふうに言ってもいいんじゃないかなというふうに思うんですけれども。それで、日本の伝統は、初めは徳川幕府でしょう、その次は明治憲法で、明治国家で、明治国家の場合も上からですね、欽定憲法と内田さんおっしゃったけれども、まさにそうなんですね。
 だから、私が大事なのは国民主権だと言ったけれども、国民主権というのはそれを市民化することですよね。それは大転換なんで、今いろいろ改正の話が出た、時がたったから改正した方がいいということもあるし、それから改正手続をもっといろいろ考えた方がいいという、説得的な議論だと思いますけれども、ただ、改正って、何を変えるか、どういう方角に持っていくのかということが大きな問題だと思いますね。
 私は、共有されている基本的価値をどの程度に反映しているかということは、ある意味では世論調査の結果よりもっと大事だと思うんですよ。それはまさにそういうことで、人と国家との関係は、国家主体じゃなくて市民の集合が国家なんだという考え方、それを憲法は反映しているのか反映していないのかという、大事な問題のところですね。それから平和主義がその一つで、武器に対する態度、軍隊に対する態度ですね、そういう基本的な価値だと思うんです。
 だから、そういう意味で人と国家との、どういうふうにしたら変えるかとか今変えた方がいいかどうかという問題よりももっと基本的な問題は、みんなが賛成するであろうような基本的な価値、国が人を治めるんじゃなくて、国は人の道具だという考え方、市民の道具だという考え方、それを変えるのか変えないかということ、それを憲法が反映していなければ変える必要があるし、それから反映していれば変えない方がいいと思うんですね。
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川橋幸子#20
○川橋幸子君 大変大きな問題をぶつけましたけれども、先生、わかりやすくお答えいただきましてありがとうございました。そこで、今度は少しお答えしやすいように小さな問題にさせていただきます。
 先ほどドイツの基本法、憲法に当たる基本法ですが、四十数回改正されている。アメリカも七回ですか、改正されている。さて、日本の憲法は五十年間一回も改正されたことがないという、こういうお話があるわけでございますが、私もドイツにおける憲法改正につきましては国会図書館の方から資料をもらいまして、どんな改正があったのかということを調べてもらって、資料をもらいました。そうしましたら、簡単に言いますと、ドイツの基本法の改正が頻繁に行われるのは、連邦制であるので、連邦と州との関係にまたがるような、我が国でしたら普通法律や規則で対応できるようなそういう必然的な改正が多いという、そういう部分が書かれておりました。それから加えて、人間の尊厳とか国民主権といいますか人民主権といいますか、そういう国の基本精神にかかわる部分については改正は許されないとはっきりドイツの基本法には書かれているわけでございます。
 それから、アメリカの方はまだ資料はもらっておりませんけれども、私が得ている情報では、アメリカも連邦国家でございますが、むしろ男女平等というような条項が入っておらないわけでございます。それで、アメリカの女性たちはウーマンリブの後にイコール・ライツ・アメンドメント、ERAという運動を起こしておりますが、まだ三分の二の州の批准が得られていないということで実現されていない。
 それから、意外やフランスでございますが、フランスが最近に行った憲法改正にパリテというのがございます。ここの部分は、個の尊厳と男女の平等というものを両立させるために、わかりやすく言うと、選挙のときの候補者に男女同数を立てることを政党の義務として、それを守らない場合には政党交付金が減額されていくと。減額される部分は後の政党法の細かい規定でございますが、そんな法律改正が行われているわけでございます。
 さて、伺いたいのは、平和主義とおっしゃった、それは日本国憲法の非常に重要な基本原則であるとすると、ドイツのようにこの部分は変えることができるのかどうなのか。そもそも、日本国憲法のアイデンティティーをみずから否定するような憲法改正というのが許されるんだろうかという、その点でございます。
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村上正邦#21
○会長(村上正邦君) 加藤参考人ですか。
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川橋幸子#22
○川橋幸子君 加藤先生にお伺いします。
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加藤周一#23
○参考人(加藤周一君) 今の御質問の中に男女平等のことを含めてですか。
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川橋幸子#24
○川橋幸子君 済みません。それじゃ、日本の平和主義は日本国憲法の改正によって変えられるかどうか、その部分だけで結構でございます。
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加藤周一#25
○参考人(加藤周一君) 男女平等に関しては、第二次大戦後に起こった社会的変化の中で非常に大きなものだと思いますね。それは方角が非常にはっきり出ていると思います。参政権だけをとってももう非常にはっきりした方角が出ているんで、だから問題は、それを日本社会でもってどれだけ実現していくかということだと思いますね。
 ドイツの憲法に関しては、日本とドイツとの違いの一つは、ドイツはヨーロッパの一部、ヨーロッパの中に組み込まれているんですね。日本はどこにも組み込まれていないわけですよ。それが非常に大きな違いだと。
 だから、例えば、ドイツの国軍の、ユーゴスラビアでドイツ軍を使うか使わないかというような問題でも、それをヨーロッパの枠の中で言っているわけですね、ドイツ側は。ところが、日本の場合にはそういうことがないですから、どこにも組み込まれていないわけで、安保条約があるだけでしょう。だから、もし第九条を変えて、それでもっとはっきりとした軍備、再軍備の方角へ進んでいくとすれば、それは安保条約の枠の中でそうなるのか独立なのかということが出てくると思いますね。どちらの場合にも、安保条約の枠の中で日本がもっと軍備を増進させることにアジアの国は大抵懐疑的だと思いますね。なぜ懐疑的かということは明らかだと思いますけれども。
 それから、独立して、米国から独立して日本が軍備するということになればもっと反応が強いと思いますよ。どうして強いかというと、それは軍備を増強する前にやることをやっていないから。ということは、つまり信頼関係を築いていないからだと思いますね。戦後のドイツ、政治というよりも社会全体だと思うけれども、戦後のドイツ社会と日本との違いの一つは過去に対する態度の違いでしょうね。だから、その周囲の国との関係が違うわけで。
 ということで、だから日本の場合はおっしゃるように、九条を変えるともっと自由に軍備ができる、それから軍隊を使うことができるようになる。そうすると、そのときそれを一体安保の枠の中でするのかしないのか、どっちにしても反応は非常に強い。今はつまりそういうことをするための準備ができていないと思います、私は。それはドイツとの違いですよ。
 だから、日本の場合には手を触れるのは非常に危険だと思いますね。外交的にはまずい手なんだろうと思うんですね。プラスがなくてマイナスだけが多くなると。
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川橋幸子#26
○川橋幸子君 結局、その問題も法律論というよりも、日本が置かれている、アジアの中で置かれている状況、あるいはアメリカとの状況、そういう現実的な状況の中で九条を変えるのが得策かどうか、そう考えた方がいいと、そのように理解させていただいてよろしいでしょうか。
 はい。それじゃ、済みません、残された時間が五分ぐらいでございます。内田先生にお伺いしたいと思います。余り大きな問題を、加藤先生の方にお答えしにくい問題を投げかけ過ぎまして時間を使いまして、内田先生にお聞きしたいことがいっぱいあったんですが、一問だけ伺わせていただきたいと思います。
 「この国のかたち」という司馬遼太郎の言葉が、非常に憲法改正と密接につなげて私たち理解しておりますし、世の中でも論じられていると思います。二十一世紀に向けてこの日本というこの国の形をどうするんだろうか、この日本の国のアイデンティティーはどうしていけばいいんだろうか、そういう問題意識から憲法改正を考えてまいりますと、やはり環境権があった方がいい、知る権利があった方がいい、統治機構を改めた方がいいと、このような議論が出てまいります。先ほどの平和主義とか人権とか民主主義とかという価値観の問題ではなくて、日本がどういう政策的な選択をするのが日本らしいのかという、その政策選択の意味の中で出てきているように思います。
 ということで、この国の形ということを言いますと、割合、やっぱり憲法は足りないところが多いんだから改憲した方がいいというふうに傾きがちでございますけれども、私はどうもこの国の形というのは別に憲法を変えなくても、むしろさまざまな法律でもってやっていかなければいけない部分、やっていける部分がたくさんある。例えば、個の尊厳とか男女の平等にいたしましても、私は労働の分野で長いこと仕事をしておりましたけれども、今の労働市場の中での女性の賃金の問題、あるいはパートタイマーとフルタイマーとの賃金格差の大きな問題等々を考えますと、むしろこの国の形を政策論的に考えるのは法律の分野で考えていく方が、もっともっと憲法を使いこなしてやっていくことが必要なんじゃないかという、そちらの方の意見に立っておりますけれども、内田先生、やっぱり日本の将来ビジョンを考えられた場合に、この国の形と思われたときに、憲法のここだけは変えた方がいい、この部分は……
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村上正邦#27
○会長(村上正邦君) お答えする時間がなくなりますよ。
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川橋幸子#28
○川橋幸子君 はい、済みません。
 ということで、もうくどく申し上げなくてもおわかりいただけたかと思いますが、その主要な論点をお教えいただきたいと思います。
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内田健三#29
○参考人(内田健三君) これは難しいお話でありまして、私は何も、何もかも憲法に盛っていかなきゃならぬということはないと思っていまして、それは、この憲法全体がどうしてもここは我慢ならないから変えようというところまでこの御議論が行けばその上で変えればいいことであって、憲法の条章を一々ああだこうだ言っていじくり回すことには反対ですね。不磨の大典ということはあり得ないけれども、そうかといって憲法の条章を何かちょっと不都合なことが起こればすぐ変えるというようなことではなくて、それはやはり憲法の範囲内において法律でどこまで是正できることであるかということを考えていくのが第一義的な問題だと思っております。
 また、国の形の問題は最後にちょっと申し上げたいことがございますが。
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