前田雅英の発言 (地方行政・警察委員会)

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○参考人(前田雅英君) それでは、座って失礼させていただきます。
 このような席で発言の機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。先生方に厚く御礼を申し上げたいと思います。
 私が、行政法の先生、警察法の第一人者がいらっしゃるのにわざわざ学者として発言をさせていただく理由というのは、一つはやはり刑事法、警察の中でも非常に重要な意味を持っている刑事警察とか、刑事の問題の中での警察の位置づけ、それと警察法の関係という視点で若干のことが申し上げられるからであると考えております。
 刑事司法の中で警察を考えたときに、警察に対する信頼というものが失われれば国家の根幹である刑事司法というのが動かなくなる。その意味で、一連の不祥事を反省して、それを回復して、それから今後繰り返さない手だてをつくるために厳しい法改正をしていく。その意味で、各党からお示しいただいた案というのは基本的には合理的な方向性を持ったものであって、まさにその方向で審議を進めていただきたいと考えております。
 ただ、もちろん微妙な差異があるわけで、その差異を判別するときの一つの指針として刑事法の側から見た視点も加えていただきたいということで御意見を申し上げたいと思います。
 微妙な政策選択といいますか、公安委員会の機能を強化していくというときに、どういう機能の強化の仕方が合理性があるかということにかかってくると思いますけれども、そのときの視点として特に私が強調しておきたいというか申し上げたいのは、今の問題解決で、国民に対しての信頼回復ということにのみその視点を奪われるのではなくて、警察法改正という非常に大きな事業ですから、二十一世紀の特に前半でしょうが、警察行政がどうあるべきかという大きな視座を持って臨んでいただきたいということです。
 私は、明らかに二十一世紀の日本の警察像というのは変わらざるを得ないと考えています。特に刑事の側から見ると、非常に大きな転機に来ている。戦後の学問の世界で扱ってきた従来の警察、特に、刑事の感覚から持ってきた警察像では対応できない状況に至ってきている。
 ポイントは二点あります。
 第一点は、現在の治安状況の悪化傾向の開始です。治安状況が非常に危機的な状況に変わろうとしています。これに対応する視点抜きの改革案というのは、私は非常に危険だと思います。それから第二点は、社会の変化、とりわけ社会、家庭の脆弱化からくる警察行政の需要の増加、積極的な関与、この要請が強まっている、そういう中での警察法改正だという視点を入れていただきたいということでございます。
 特に、まず第一点、私の専門の観点から申し上げますと犯罪状況が大きく転換したということで、僣越ですがお手元に資料を配らせていただきました。参考資料、図が六枚ございます。
 図の一は、これは凶悪犯の認知件数、もう先生方に申し上げるまでもないと思いますが、認知件数のうちの凶悪犯の変化なんですけれども、平成に入って明らかにトレンドが変わったということですね。この変化は、犯罪者の一番確定したものである有罪人員の変化もこれとほとんど同じです。それから、刑務所収容人員の変化もこれと同じです。戦後の日本は犯罪が減り続けてきた社会、それが終わったということです。増加の傾向に変わってくる、変わってきた。三、四年前までは、ひょっとして増加がとまったというかまた下がるんじゃないかぐらいの感じだったんですが、このグラフを見ていただければおわかりのとおり明らかにトレンドが変わった。
 実は、この傾向は刑法犯全体から見ますと三十年前から始まっていました。それが図の二の図。図の二に示しましたように、刑法犯の犯罪率は七五年、八〇年にかけてですが、そこが底で、それ以降増加傾向にあったわけですね。
 このような状況の中でなぜ今まで気がつかれなかったというか危機意識を持たれなかったかといえば、軽微な、窃盗とかオートバイ盗、自転車盗なんかは大したことない、より重大な犯罪がふえなければということでたかをくくってきた面があるんですが、凶悪犯等、窃盗を中心とした、このグラフはどうしても窃盗が表に出るわけですが、一般の犯罪の中間の粗暴犯なんかの変化はその中間でやっぱり増加に転じています。明らかに犯罪状況の流れが変わってしまった。
 さらに、警察という観点から見て致命的な変化は図の三なんです。これは九〇年ごろからがくんと検挙率が落ちたことを示しています。ただ、これは半端な落ち方ではありません。六割という検挙率というのは世界に冠たる数値、治安のいい国日本を象徴する数値でした。犯罪が減り続け、検挙率が高いから日本の治安はよかったんです。しかし、六割が今、ことしの上期では二五%です。これは、治安が悪いとか検挙率が低いといったヨーロッパ以下です。アメリカ並みです。アメリカ並みというのはあれですが、客観的な事実としては間違いではありませんが、言い方がちょっとよろしくないと思いますが、このような状況になってきた。
 これはいろいろな理由が考えられると思いますが、基本的には上の犯罪の増加に対して警察の増員が間に合わなかったということなんだと思うんです。
 これまで私もいろんなものを書いてきましたけれども、ある時期までは精神主義で頑張ってきたんだけれども六十年の初めに一定の警察の政策転換を行った。要するに、合理的な人員配分を考えて、重大な事件に対してエネルギーをかけるべきであって、軽微な事件は手を抜いていいというとちょっと言葉がよくないんですが、政策変換を行った結果、今度は重大な事件の検挙率も落ちてしまった。それは政策のミスだと初め考えたのが、そうじゃないんですね、やっぱり。もともと適正規模の人員がいないから、無理してゴムを引っ張っていたのがゴムが切れたらこうなったということだと思いますね。
 単純に事件数と各国の警察官の数の比較だけでは説明できないので、捜査のやり方とか手間のかかり方とかいろいろありますけれども、間違いなく警察が足りない。それに対して犯罪はふえ続けている。この状況をどうしていくかということだと思います。
 そこそこの線で犯罪が抑えられればよくて、警察官の増員というのは少ない方がいいという議論もあり得ないことはないと思いますが、最近アメリカで話題になったニューヨークの治安がよくなったという話、これはもうどこからでも出てくる、客観的なデータもそうですし、観光に行った人の実感でもそうですが。そのときに、有名な窓ガラスの理論もありますけれども、要するに犯罪をきちっと抑え込んで、そのときに警察を増員して、そして明るいニューヨークをつくった。それはコストをかけても、それだけプラスといいますか必要なお金なんだと思うんです。
 私は、やはり二十一世紀の警察を考える上では、そういう対応の仕方をしていかないとまずいということなんだと思います。特に、日本の警察の場合というか、これは警察だけの問題ではないんですが、刑事司法の場合に何に失敗があったか、これはもう間違いなく少年です。
 二ページ目の図の四。これは警察と同じような変化が検察にもあって、起訴率が同じ時期にすとんと落ちるんですね。これはやっぱり意図的に軽微な事件を落としたんです。つまり、交通事犯の一部のものを起訴するのをやめたんです。横に変わっていないのは一般事件なんですが、交通事件はすとんと落ちたんですね。これによって検察の仕事はある部分楽になったんですが、やはりそのしわ寄せは国民に対して来ているんですね、交通事犯の処理の仕方なんかには。
 その起訴率の話はちょっと飛ばして、次の図の五を見ていただきたいんですが、このグラフは、三角形のものをつなぎ合わせたものが一般に公にされている少年犯罪の変化なんですが、私は、このグラフは公表されていて、少年犯罪はそんなに最近ふえていないよという言い方はどうもおかしいと思っていたんです。考えてみればおわかりのとおり、図の二で見ますように犯罪はふえ続けているんですね。ふえ続けていて、その半分は必ず少年なんですよ。なのに少年犯罪が減っているというのはどういうわけですか。
 ここで考えればすぐわかるんですが、成人の犯罪と少年犯罪というのは捕まえてみて初めてわかる。つまり、検挙数が減れば少年犯罪は減るんですが、実は起こっているんですよ。起こっているけれども、図の三にありますように物すごい勢いで検挙率が落ちてしまったから少年犯罪が減ったように見えただけなんです。
 ですから、今までどおり六〇%の検挙率が維持されたらどうなるかというのをグラフにしたのが図の五の太い線なんです。これを見ておわかりのとおり、少年犯罪というのはある意味でふえ続けたんです。犯罪数の半分でありながら、それに対してつぎ込まれている警察もそうですし、いろんなものの資源の投下量というのは少ない。これは完全に気がついてきていますから、少年法改正も一つのきっかけですが、少年警察にしろふえていかなきゃいけない、仕事量をふやさなきゃいけない、これは私は必然なんだと思うんですね。
 こういう状況の中で、さらにもう一つ、先ほど申し上げた国民のニーズという意味で、警察に何が求められていくかということですけれども、最近のストーカー立法、それから今後行われる家庭内暴力、夫婦間暴力、それから児童虐待、これはもう法律できていますけれども、そういう流れの中で警察イメージが変わってくる。
 従来の、これは荒っぽい言い方といいますか形式的な言い方ですけれども、国家権力の手先である警察というのは極力国民生活からなるべく謙抑的で離れているべきだ、民事不介入と言ってもいいんですけれども、そういう議論はもう成り立たない。
 まさに最近の警察批判というのは、国民への介入をシュリンクする警察に問題があるんだ、これが警察批判の一つの中心になっている。それはある意味では当たっているんだと思うんですね。それは、地方のコミュニティーの崩壊とか家庭の変化の中で、警察の役割の増加というのはある意味で必然だったんだと思います。今後もそれが減少していくことはあり得ない。そのカーブがどうなるかは別として、警察の役割は増加していくと思います。
 しかし、片一方で財政の健全化、国全体から見ますと、それも警察に及んでくる。ただただ人をふやせばいいといったって、大変だといったって、そう簡単には人員増は望めない。こういう中で、限られた資源をより有効に使わなければいけない、むだをなくしつつ効果を上げていかなければならない。そのために一番重要なのは、現実に機能するリアリティーのあるシステムをつくっていかなきゃいけないということだと思います。
 その中で、今後変わっていかなきゃいけない警察像というのは、監視の対象とそれから監視者というかたい関係で警察の管理監督というのを考えていくのじゃなくて、しなやかな監視組織、そして情報公開との組み合わせというのが現時点で私は要請されていくし、それが必要な知恵なんだと思います。
 いかにいろいろなことを考えても、単純に監視する監視されるという形だけのかたい、十九世紀型のといいますか、発想でいけば、私は機能はうまくいかない。監視を厳しくしさえすればシステムが健全に動くというような発想というのは、私は問題があるんだと思いますね。
 基本は、やっぱり警察の不祥事のかなりの部分は、いろんな調書の偽造事件なんかにも出ていますけれども、仕事量が多過ぎて、それをごまかすためにインチキをする。
 人をおとしめるとか、最近南アフリカで警察官の不祥事として、一部の警察官が犬に人をかませる局面が映っています。ああいう不祥事が起こったら、それはもう根本的にたたき直さなきゃいけない。しかし、日本の不祥事、いろんな問題ありますけれども、一番重大なポイントは、さっきの検挙率の低下とかいろいろな問題なんかをあわせて考えますと、先ほど申し上げた、しなやかに監視しながら、よりよく国民にとってメリットのある働きをしてもらう警察をどうつくり上げていくか。それをつくらなければ二十一世紀前半の日本というのは非常にピンチになる、この犯罪の増加状況を見ますと、ということを一番申し上げたいんです。
 衆議院ですか、地行で呼ばれた参考人の方がごく最近論文を書かれて、警察は組織的に腐敗しているから二十六万人全員をやめさせてもらわなければどうしようもないという論文をついこの間発表されました。私はそう思えないんです。世界の国で日本並みの警察を持っている国がどれだけあるんですか。日本の警察、検察、非常にレベルが高いと私は思っています。全部取りかえろという議論、これは信じられません。いかに今あるものをよりよくしていくか、そのための先生方の御議論だと思うんですね。
 その中で、どこの部分をどう変えていくのがいいかということで、与えられた時間が限られてきていますし、行政法の専門家もいらっしゃいますのでそちらにお譲りする部分が多いんですが、私は、しなやかな合理的な監視というときに、現在ある公安委員会の制度がそのままうまくいっているとは思いません。ただ、それをいかにうまく動かしていくかが、さっき言った合理性のある日本的なやり方といいますか、知恵なんだと思うんですね。
 まず、警察に関して完全な外部監査というのは、私はこれは非常に危険だと思います。
 情報を引き出していくにも、外から見て情報をたたいて搾り出すというのはこれはよくないし、例えば余り学者らしくない比喩で恐縮ですが、中にある情報を、塩を引き出すのに、かずのこの塩を抜くのに真水に漬けたって、全く関係ない水に漬けたって塩は出てこないんですよ。ある程度、こういう組織の場合には情報を知っていなきゃいけないし、ただ完全に塩の濃度が同じで、警察そのものが調べるだけではやっぱり外に塩は出てこないんですよね。そのバランスをどうとるかという意味で、今回提案されている公安委員会の機能を強化する、個別具体的監察それから監察調査官の充実というのは非常に私は展望のある具体的な提案だと思います。それから、文書による苦情申し出制度も合理性があると思います。
 ただ、公安委員会の組織をどうつくっていくか、これはちょっと考えますと、警察外に完全に外部に独立したものにするのは合理性があるように見えるんですが、これもさっきの外部監査に近いような問題を一つ含んでいます。全く外の人間が入ってきて警察の情報を見てそれをチェックする。
 私、大学にいて、この間、経営者が都ですので都から外部監査が入りました。外部監査は、大学みたいなところはそれはある意味で合理性があると思いますが、ただそれを見ていましても、外の会計の人が大学を見てこんなことしかわからないのか、専門家の大学関係者が見に来たらば全然違う視点だろうなと思いました。
 ですから、外部監査とは違って、公安委員会の中を充実させてその中の委員だけを外部の人にということなんですが、全く警察とつながりのない人間がきちっとした補佐ができるかというと、私は、これは断言はできませんが、合理性は少ないのではないかという感じがします。
 それと、先ほど申し上げた……

発言情報

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発言者: 前田雅英

speaker_id: 25383

日付: 2000-11-14

院: 参議院

会議名: 地方行政・警察委員会