井村裕夫の発言 (文教・科学委員会)

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○参考人(井村裕夫君) 大変難しい問題を提起されましたが、生命科学の進歩は今後ますます加速されるだろうというふうに考えております。二十一世紀が生命の世紀であると言われるのは、その理由の一つは生命科学の爆発的な進歩が期待されるからであります。しかし、それと同時に、やはり生命科学に携わる者はもちろん、社会全体が倫理を考えていかないといけないであろうと私は考えております。先ほどちょっと触れました二十一世紀の社会と科学技術に関する懇談会の中で倫理のことが問題になりました。それからまた、教育が非常に大きな問題として取り上げられました。だから、そういったことを通じて社会全体も生命科学のあり方を考えていく必要があるのではないだろうかというふうに考えております。
 それから、寿命というものはどういうものかということでございますが、これは人間が生まれてから死ぬまでの期間を寿命と言うわけであります。それは、御承知のように、随分延びてまいりました。縄文時代は、よくわかりませんが、十五歳まで、平均の寿命が十五歳以下であったというふうに考えられております。それが、今から百年前には四十三歳ぐらいになりまして、現在は八十歳までなったわけであります。これがどこまで延びるのかというのは予測できませんけれども、恐らくそう長くは延びないのではないだろうかというふうに考えております。
 生物が進化の過程、さっきちょっと生物の話が出ましたが、進化の過程で有性生殖という戦略を取り込んだわけです。それは非常に有益であったわけですね。無性生殖はクローンをつくっていくことになりますけれども、有性生殖は極めて多様な個体をつくります。例えば、人間の卵巣には数百個の卵子があるわけですけれども、その遺伝子を調べると全部違うんじゃないかと言われるぐらいに多様性があるわけです。だから、それが生物の非常に大きな基本になっているわけです。
 それと引きかえに死という戦略をとったわけですね。だから、死がなければその生物の発展はないわけであります。参議院においでになって二百歳、二百五十歳の議員の方がおられたらどうなるか。ちょっと考えただけでも予想できないわけでありますけれども、死というのはやはり生命体が進化の過程で取り込んだ一つの戦略である、それはその種の発展のために非常に必要なものであるというふうに考えております。だから、寿命を延ばすということは決していいことではないと思います。
 それから、もう一つ重要なことは、単に寿命として生きている、息をしているというだけではなくて、その人が人間としての尊厳を保ち、判断力を保った状態で生きないといけないわけですね。これは最近、生命の質、クオリティー・オブ・ライフという言葉がよく言われますが、それを持った期間を長くするのなら大賛成でありますけれども、それを犠牲にしてまで息だけしているのは、これは大問題であろうというふうに考えております。
 ちょっと御質問の趣旨に答えられたかどうか自信はありませんが、そのように思います。

発言情報

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発言者: 井村裕夫

speaker_id: 540

日付: 2000-11-24

院: 参議院

会議名: 文教・科学委員会