森田昌敏の発言 (環境委員会)
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○森田参考人 国立環境研究所の森田でございます。PCBの処理対策につきまして、少し私の考えておりますことを述べさせていただきます。
お手元に二枚紙の、非常に簡単なポイントだけを書いた紙を用意しておりますが、これに従いましてお話をさせていただきます。
PCB対策につきましては、その必要性というのは既に三十年前から指摘され続けておりまして、しかしながら、なかなか進まなかった背景がございます。その一方で、PCBに対する人々の感じ方も随分変わってきておりますので、そのような感じ方の推移、そして対策技術がなかなか進まなかった原因、そういった部分について解析をしているところを述べさせていただきたいと思います。
まず最初に、PCBの有害性についてであります。
PCBの有害性については、過去四十年間の間に随分さま変わりしてまいりました。そのようなさま変わりといったものが、例えば法律に組み込まれるときのそれぞれの時点において最適であったとしても、振り返ってみると、また違った様子になっているということがしばしば起こっております。
まず、一九六〇年代、この時期におきましては、PCBは無毒で安全な物質で、非常に便利な化学物質であるというふうに考えられておりました。したがって生産は順調に伸びております。日本では鐘淵化学というのが一番大きな製造者でありますが、あわせて、アメリカのモンサント社と三菱化学との合弁で三菱モンサントという会社が日本でも生産を始めておりまして、六〇年代は、非常によい物質というふうに考えられていたところであります。
一九六八年に至りまして、これが暗転いたします。きっかけになりましたのは、ダークオイル事件あるいはカネミ油症事件と呼ばれる、ライスオイル、米ぬか油の製造工程においてPCBが混入し、それが鳥肉のえさになる、あるいは人がそれを食することによって起こった中毒事件であります。これを契機にいたしまして、PCBは危険なものではないかという疑いが持たれ始めまして、一九七〇年代の初めの、例えば七〇年の公害国会を初めとする環境問題の高揚と同時に、PCBはやや危険な物質という認識で対策が打たれ始めます。
例えば一九七二年に回収保管といったこと、あるいは新たな使用の中止が行われておりますが、しかし、このときにもなおかつ、かつて安全に使っておったという記憶が残っておりまして、結果として継続的な使用が非開放的なものについて認められています。
例えばトランスというのは、それが直ちに環境中に漏れてくるわけではないのであるから、したがってまだしばらく使ってよいのではないかというふうな扱い方であります。また、新幹線のように高性能のトランスが必要なものというのは、PCBはなくてはならないものであるという認識もあり、この時点でしばらくは使い続けるということが起こっております。
しかしながら、使われたPCBはやがて環境中に漏れ、そして、それがたとえ希釈されて出されたとしても、魚などに蓄積し、再び人間に舞い戻ってくる。わずかに出ていったものがいわばブーメランのように人に戻ってきて、かつまた、蓄積されたPCBが人に害をなすのではないか、そういう心配があるということもありまして、一九七三年に化審法が制定されています。
これと関連いたしまして、その後、水質汚濁防止法等の環境規制法の中にPCBが少しずつ織り込まれていきまして、排出抑制対策がとられてきております。
なお、一九七八年に台湾で、カネミ油症と全く同じ症状の台湾油症というものが発生しておりますが、十年後に全く同じ悲劇が繰り返されたという状況になっています。
一九七〇年代後半から八〇年代にかけまして、環境問題はほぼ終息したのではないかという時期がありまして、やがてPCBの問題も少しずつ記憶から弱まっていったところがありますけれども、しかしながら、保管されていたPCBは一体どうするんだろうかということが課題になっておりまして、八〇年代、この保管されているPCBの処理といったものについて議論がなされ、かつまた、それを何とか消してしまうという動きが出始めております。それで、幾つかの努力がなされました。
成功いたしましたのは高砂市におけるPCBの焼却でありまして、ここにありました五千五百トンのPCBが焼却され、そして処分されております。今思いますと、これは非常に適切なアプローチでありまして、この焼却は一九八八年か九年に終了していますが、実は、その七年後に兵庫県南部大地震が起こっておりまして、高砂市もかなり揺れております。
当時、地震等によって、ためられておりましたPCBが漏れたときには非常に甚大な災害になるということが懸念されておったのですが、幸いにして、そのときにはもう既に消えておったということであります。もし仮にそこにありました五千トン余りのPCBが漏れていたならば、恐らく瀬戸内海は全く使い物にならない、そこの水産業は絶命するということが起こっていたということでありますが、何事もなくうまくいったということであります。
しかしながら、そのほかにたまっておりました少量の、個別に入っておりますトランスその他のものにつきましては、そのまま保管された状態が続いておりまして、それをどうしようかというのが現在の課題になってきております。
なお、一九八〇年代を終え一九九〇年代に入りまして、さらにPCBに対する毒性の観点が高まってきております。それは、一九九〇年代に猿の実験などが出てまいりまして、あるいはまた、ダイオキシンの問題が非常に広範囲に課題になってきた過程におきまして、PCBの毒性が再評価されてきております。その過程で、PCBというのは想定したよりもより一層強い慢性的な影響を持ち得るということでありまして、一九七〇年代よりもさらに一層の対策強化が必要ではないかという認識が徐々に出てきております。
この極端な一つの例といたしまして、一九九九年にベルギーで鶏の肉の汚染が発生いたしました。これは恐らく、多分、小さなトランス一個ぐらいのPCBが鶏の飼料の原料に混入したということでありますけれども、その結果として、ベルギーじゅうの鶏肉の生産、さらにそれはほかの食肉へも波及いたしまして、ベルギーは、全体として数千億円のロスを出したというふうに言われております。ダイオキシンと関連した形で極めてセンシティブに市民が心配をし、それがヨーロッパ全体に波及したという事例であります。
このような全体の流れの中で、一刻も早くPCB処理を急ぐ必要があるというのが現況であります。
次のページをめくっていただきますと、それでは、PCB処理は一体なぜそんなに難しかったのかということを復習したいと思います。
PCBの処理の重要性は、世界の多くの国でも一九七〇年代半ば、もう三十年近く前から認識され始めておりました。とにかく、使うのをやめるものの、残ってしまったのを一体どうするかというのはなかなか解けない課題であります。
その処理がうまく進まなかった一番大きな原因というのは何かといいますと、処理工場の立地問題であります。もちろん、処理技術の安全性の問題もあるのですが、基本的にそれは立地問題として集約されてきたということであります。これは世界じゅうで進みませんでした。
私自身、二十五年ぐらい前にカナダの環境省を訪れたときにも担当者と話をしたことがあるのですが、その担当者は、セメントキルンで焼くのが一番よさそうである、しかしながら、セメント工場に持ってくる、あるいはその工場周辺の住民が余り同意をしてくれないので、そこで焼くことは難しいのだという話をしておりました。
恐らく、PCBの処理で最も安価で最も効率のよい方法は焼却処分で、そのうちの一つとしてロータリーキルン、セメントキルンを含めたそういったものもあるだろうということは、もう一九八〇年代の初めからみんなが考えていたことであります。しかしながら、それは先ほど言いましたような幾つかの条件で、特に住民の納得がいく形にならなかったということが一番大きな問題であります。
そしてその問題がさらに、徐々に形を変えてあらわれてくるのがダイオキシンの問題であります。
PCBの燃焼過程においてダイオキシンが出るのではないかという不安が絶えずありまして、高砂の場合はそれを徹底的に封じ込めるような焼却炉を建設することによって成功しましたけれども、一般の納得を得るためには、このようなアプローチといったものについて相当きちんとした形をとらなければいけない、あるいは、焼却過程というのはダイオキシンを発生するからよくないんだ、そういう高まりが九〇年代に入って広がってきております。
その結果として、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、そういったところを通じて広がってきましたのは化学処理という形でありまして、これは排ガスが出ていかない、ウエットな処理というか、そういう処理になりますので、そういう点で少しずつ理解が得られ始めているということであります。
ただ、化学処理が一番いい方法かどうかというのは若干議論の起こるところでありまして、焼却処理の方が多分安価でよいだろうという認識ではあります。しかしながら、市民あるいは国民のコンセンサスを得る過程で、そのようなアプローチもまた一つの重要なアプローチになるということであります。
なお、全体として、国民全体のリスクを下げる、個別の、個人のリスクということもありますけれども、全体のリスクを下げるということがどうしても必要でありまして、そのような非常に効率のよいアプローチと、個々の市民が感じる個人的なリスクとの間の若干のギャップを埋めつつ展開する必要があるだろう。
それから、トップダウン型のアプローチというのは、一般的には効率がよくて最もすぐれているケースが多いのですけれども、それは周辺住民が好まないときもあるということもありまして、そういう意味では、どこかに適切なコンセンサスを得ながら展開する必要があるということであります。
なお、この種のアプローチにおきまして今までずっと感じておりましたのは、国家ないしはそういった公的な関与なしにここの部分は進まないということ、そしてまた、PCBの多くが実は中小事業体、あるいは極端な場合には学校とかいったところに非常に分散して分布しているという構造であります。
このような分散して分布というのは、一見、自分の身の回りにないように感じているのは間違いでありまして、どこにでもあるというのが現況でありますので、それらのものをとにかく集めて処分をしなければいけない。特に中小事業者の持っているPCBというのは、数それから量におきましても分散しておりますし、また、現在の中小事業者の経済的な苦しさみたいなことを肌で感じますと、そこには適切な誘導策なしには進まないだろうというふうに感じているところであります。
PCBの問題というのは、それを浴びたときに非常に不安を感じます。そういったときに極端な不安を与えないで、しかし確実に、円滑にPCBを消していく必要があるというのが私の認識であります。
以上です。