津島雄二の発言 (憲法調査会)
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○津島委員 自由民主党の津島雄二でございます。
発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございました。この機会に、私は、一九四九年、私が法律学徒として勉強を始めたとき、それから五一年の司法試験を受けたとき、それまでの二年間のことを思い起こしておるわけであります。
御案内のとおり、新憲法は一九四六年の十一月に公布をされましたが、当時はまだ、新憲法の解釈と意味合い、特に旧憲法との関係、形式的には連続しているが実質的には断絶がある、それをどう考えるかというような議論が集中をしておりました。それが、今日では、既にそのような成立過程の問題はほとんど議論される必要もなく、また、いわゆる憲法の理念というようなことも当然のように言われるようにまでなってまいりました。
また、基本的人権は侵すことのできない永久の権利であるということも国民全体で自然に受けとめられるようになったわけであります。すなわち、成文となった憲法以前に成立した人間の固有の権利と、これに基づく人間同士、そして人間と国家社会のかかわりについての基本的規範というものがあるんだということが今の憲法の基礎にあると言えるわけでございます。
これは御承知のとおり、イギリスでいえばコモンローの世界でございますけれども、実は、イギリスのコモンローの歴史をひもといて見ますと、びっくりするような話がいっぱいございますね。例えば、十九世紀の初め、一八一八年に、ある重大事件の訴訟の中で、被告側がいわゆる神裁裁判の手続を要請した。つまり、神が裁く。どうやって裁くかというと、実は、事実上の決闘をやることなんです。その決闘で勝った方が正しいというのは、神様はおのずからお決めになるというのがイギリスのコモンローの昔に判例としてありまして、それを覆すことを裁判所はできなかった。そこで、議会が急遽立法によって神裁裁判の手続を消去したわけであります。
ここに示されるように、今私どもは不滅の法典というものがあると思っていたらこれは間違いであって、非常に厳しい努力の上に積み重ねられてきたということを忘れてはならないわけであります。
そういう立場から申しますと、今の日本の憲法でも、例えば二十五条の生存権というものが書かれている中で、日本の現況に本当に合っているかどうか、一例ではございますけれども、私どもは議論をしてみなければいけない。例えば、今の社会保障というものが、個人と国の間の関係だけで成り立っているのではなくて、社会を構成する人々の間の共助、助け合いによって支えられているとすれば、この二十五条の規定の中に全くその要素がないというのは、果たしてこの生存権の規定を今後生かしていくのにふさわしいかどうか、一つの問題点として御指摘を申し上げたいわけであります。
いずれにしても、私たちは憲法が死なないような努力を日々やっていかなければならないということをお訴えいたしまして、私の話を終えさせていただきます。