憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十三年六月十四日(木曜日)
午前九時二分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 石川 要三君 幹事 津島 雄二君
幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君
幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君
幹事 仙谷 由人君 幹事 中川 正春君
幹事 斉藤 鉄夫君
伊藤 公介君 伊藤 達也君
今村 雅弘君 奥野 誠亮君
高村 正彦君 下村 博文君
菅 義偉君 谷川 和穗君
中曽根康弘君 中山 正暉君
鳩山 邦夫君 松本 和那君
三塚 博君 森岡 正宏君
山本 公一君 生方 幸夫君
枝野 幸男君 大石 尚子君
大出 彰君 小林 守君
島 聡君 筒井 信隆君
細野 豪志君 前原 誠司君
松沢 成文君 三井 辨雄君
上田 勇君 太田 昭宏君
塩田 晋君 藤島 正之君
春名 直章君 山口 富男君
金子 哲夫君 東門美津子君
松浪健四郎君 近藤 基彦君
…………………………………
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
委員の異動
五月二十四日
辞任 補欠選任
野田 毅君 松浪健四郎君
同日
辞任 補欠選任
松浪健四郎君 野田 毅君
同月三十一日
辞任 補欠選任
野田 毅君 小池百合子君
六月五日
辞任 補欠選任
小池百合子君 野田 毅君
同月十四日
辞任 補欠選任
西田 司君 谷川 和穗君
桑原 豊君 三井 辨雄君
土井たか子君 東門美津子君
野田 毅君 松浪健四郎君
同日
辞任 補欠選任
谷川 和穗君 西田 司君
三井 辨雄君 桑原 豊君
東門美津子君 土井たか子君
松浪健四郎君 野田 毅君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件
派遣委員からの報告聴取
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時二分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 石川 要三君 幹事 津島 雄二君
幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君
幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君
幹事 仙谷 由人君 幹事 中川 正春君
幹事 斉藤 鉄夫君
伊藤 公介君 伊藤 達也君
今村 雅弘君 奥野 誠亮君
高村 正彦君 下村 博文君
菅 義偉君 谷川 和穗君
中曽根康弘君 中山 正暉君
鳩山 邦夫君 松本 和那君
三塚 博君 森岡 正宏君
山本 公一君 生方 幸夫君
枝野 幸男君 大石 尚子君
大出 彰君 小林 守君
島 聡君 筒井 信隆君
細野 豪志君 前原 誠司君
松沢 成文君 三井 辨雄君
上田 勇君 太田 昭宏君
塩田 晋君 藤島 正之君
春名 直章君 山口 富男君
金子 哲夫君 東門美津子君
松浪健四郎君 近藤 基彦君
…………………………………
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
委員の異動
五月二十四日
辞任 補欠選任
野田 毅君 松浪健四郎君
同日
辞任 補欠選任
松浪健四郎君 野田 毅君
同月三十一日
辞任 補欠選任
野田 毅君 小池百合子君
六月五日
辞任 補欠選任
小池百合子君 野田 毅君
同月十四日
辞任 補欠選任
西田 司君 谷川 和穗君
桑原 豊君 三井 辨雄君
土井たか子君 東門美津子君
野田 毅君 松浪健四郎君
同日
辞任 補欠選任
谷川 和穗君 西田 司君
三井 辨雄君 桑原 豊君
東門美津子君 土井たか子君
松浪健四郎君 野田 毅君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件
派遣委員からの報告聴取
————◇—————
中
中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
日本国憲法に関する件について調査を進めます。
去る六月四日、兵庫県に、日本国憲法に関する調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。鹿野道彦君。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する件について調査を進めます。
去る六月四日、兵庫県に、日本国憲法に関する調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。鹿野道彦君。
鹿
鹿野道彦#2
○鹿野委員 団長にかわり、派遣委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。
派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事中川昭一君、幹事葉梨信行君、幹事中川正春君、幹事斉藤鉄夫君、委員塩田晋君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員小池百合子君、委員近藤基彦君、それに私、鹿野道彦を加えた十一名であります。
なお、現地において、奥谷通議員、砂田圭佑議員、石井一議員、赤松正雄議員、藤木洋子議員及び北川れん子議員が参加されました。
六月四日、神戸市のホテルオークラ神戸会議室において会議を開催し、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの議論の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、兵庫県知事貝原俊民君、川西市長柴生進君、神戸市長笹山幸俊君、学校法人大前学園理事長大前繁雄君、神戸大学副学長・大学院法学研究科教授浦部法穂君、弁護士中北龍太郎君、兵庫県医師会会長橋本章男君、兵庫県北淡町長小久保正雄君、会社経営塚本英樹君及び大阪工業大学助教授中田作成君の十名から意見を聴取いたしました。
その意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、
貝原君からは、二十一世紀において、我が国は、医療、福祉、防災等に関する平和の技術を提供して国際貢献を図り、また、地方分権を進めていくべきであるとの意見、
柴生君からは、地方行政においては憲法の具体的な実践が重要であり、子供の人権保護及び国際社会に連帯した平和と人権への取り組みがなされるべきであるとの意見、
笹山君からは、阪神・淡路大震災の教訓として、災害時における市町村長への十分な権限の付与、及び憲法の生存権を踏まえた被災者支援が重要であるとの意見、
大前君からは、世界から評価されている日本人のよさを見直し、立憲君主国家であることの明示、義務規定の創設等の点につき、憲法の見直しを行うべきであるとの意見、
浦部君からは、人間の安全保障の観点に立ち、軍備に巨額を投じるのはやめ、大規模災害、食糧・エネルギー問題等への取り組みで世界をリードすべきであるとの意見、
中北君からは、二十世紀の戦争の過ちを克服し、非核神戸方式の法制化、日米安保条約の友好条約への転換等、平和憲法を守り生かす政策を実施すべきであるとの意見、
橋本君からは、憲法に、大規模災害に対する国の責務に関する規定を設けるとともに、生存権の保障を充実させ、国民の健康権の保障を憲法に明示すべきであるとの意見、
小久保君からは、憲法は時代に応じて変えていくべきものであり、天皇が元首であること、自衛のための交戦権、自衛目的の軍事力の保持等を明記すべきであるとの意見、
塚本君からは、社会情勢の変化を踏まえ、すぐに変更すべき項目、追加すべき項目、今後も議論していく項目に分け、憲法改正に着手すべきであるとの意見、
及び
中田君からは、憲法は住民運動の基礎でもあり、憲法改正が軽率に議論されてはならず、また、政府は憲法を軽視せず、現実を憲法の理念に近づけるべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
意見の陳述が行われた後、各委員から、首相公選制、地方自治のあり方、災害に関する規定を憲法上明記する必要性、災害時の国と自治体の権限分担、天皇を元首とする規定を設けることの可否、憲法の観点から見た被災者に対する公的支援の問題、日米安保体制の強化の憲法適合性等に関する陳述者の見解などについて質疑がありました。
派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、自然災害時の法制度の不備と憲法との関係、歴史や伝統を踏まえた憲法の制定、地方公聴会の運営方法等についての発言がありました。
なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、極めて円滑に行うことができました。
ここに深く感謝の意を表する次第であります。
以上、御報告申し上げます。
この発言だけを見る →派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事中川昭一君、幹事葉梨信行君、幹事中川正春君、幹事斉藤鉄夫君、委員塩田晋君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員小池百合子君、委員近藤基彦君、それに私、鹿野道彦を加えた十一名であります。
なお、現地において、奥谷通議員、砂田圭佑議員、石井一議員、赤松正雄議員、藤木洋子議員及び北川れん子議員が参加されました。
六月四日、神戸市のホテルオークラ神戸会議室において会議を開催し、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの議論の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、兵庫県知事貝原俊民君、川西市長柴生進君、神戸市長笹山幸俊君、学校法人大前学園理事長大前繁雄君、神戸大学副学長・大学院法学研究科教授浦部法穂君、弁護士中北龍太郎君、兵庫県医師会会長橋本章男君、兵庫県北淡町長小久保正雄君、会社経営塚本英樹君及び大阪工業大学助教授中田作成君の十名から意見を聴取いたしました。
その意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、
貝原君からは、二十一世紀において、我が国は、医療、福祉、防災等に関する平和の技術を提供して国際貢献を図り、また、地方分権を進めていくべきであるとの意見、
柴生君からは、地方行政においては憲法の具体的な実践が重要であり、子供の人権保護及び国際社会に連帯した平和と人権への取り組みがなされるべきであるとの意見、
笹山君からは、阪神・淡路大震災の教訓として、災害時における市町村長への十分な権限の付与、及び憲法の生存権を踏まえた被災者支援が重要であるとの意見、
大前君からは、世界から評価されている日本人のよさを見直し、立憲君主国家であることの明示、義務規定の創設等の点につき、憲法の見直しを行うべきであるとの意見、
浦部君からは、人間の安全保障の観点に立ち、軍備に巨額を投じるのはやめ、大規模災害、食糧・エネルギー問題等への取り組みで世界をリードすべきであるとの意見、
中北君からは、二十世紀の戦争の過ちを克服し、非核神戸方式の法制化、日米安保条約の友好条約への転換等、平和憲法を守り生かす政策を実施すべきであるとの意見、
橋本君からは、憲法に、大規模災害に対する国の責務に関する規定を設けるとともに、生存権の保障を充実させ、国民の健康権の保障を憲法に明示すべきであるとの意見、
小久保君からは、憲法は時代に応じて変えていくべきものであり、天皇が元首であること、自衛のための交戦権、自衛目的の軍事力の保持等を明記すべきであるとの意見、
塚本君からは、社会情勢の変化を踏まえ、すぐに変更すべき項目、追加すべき項目、今後も議論していく項目に分け、憲法改正に着手すべきであるとの意見、
及び
中田君からは、憲法は住民運動の基礎でもあり、憲法改正が軽率に議論されてはならず、また、政府は憲法を軽視せず、現実を憲法の理念に近づけるべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
意見の陳述が行われた後、各委員から、首相公選制、地方自治のあり方、災害に関する規定を憲法上明記する必要性、災害時の国と自治体の権限分担、天皇を元首とする規定を設けることの可否、憲法の観点から見た被災者に対する公的支援の問題、日米安保体制の強化の憲法適合性等に関する陳述者の見解などについて質疑がありました。
派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、自然災害時の法制度の不備と憲法との関係、歴史や伝統を踏まえた憲法の制定、地方公聴会の運営方法等についての発言がありました。
なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、極めて円滑に行うことができました。
ここに深く感謝の意を表する次第であります。
以上、御報告申し上げます。
中
中山太郎#3
○中山会長 これにて派遣委員の報告は終わりました。
ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中
中
中山太郎#5
○中山会長 これより委員間の自由な討議を行います。
御承知のとおり、本調査会は、昨年九月より、さまざまな分野の参考人をお招きして、二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めているところであります。本日は、これまでの議論を踏まえて自由濶達な御意見を拝聴したいと存じております。
本日の議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で発言していただき、その後、順序を定めず討議を行いたいと存じます。
委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
それでは、葉梨信行君。
この発言だけを見る →御承知のとおり、本調査会は、昨年九月より、さまざまな分野の参考人をお招きして、二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めているところであります。本日は、これまでの議論を踏まえて自由濶達な御意見を拝聴したいと存じております。
本日の議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で発言していただき、その後、順序を定めず討議を行いたいと存じます。
委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
それでは、葉梨信行君。
葉
葉梨信行#6
○葉梨委員 自民党の葉梨でございます。
今会長からもごあいさつがございましたが、この国会、憲法調査会が数次にわたって開かれました。そして、各委員の質問を拝聴しておりまして、憲法の各条章について自由な御意見が聞かれ、大変実り多い会期であったと考えております。
また、この憲法調査会は昨年の二月から開会されましたが、一年半顧みまして、大変感慨深いものがあるのでございます。
また、今お話もございましたが、ことしは、四月の十六日に仙台、六月四日に神戸と地方公聴会が開かれまして、多数の傍聴人、また熱心な陳述人の御出席を得て、いろいろ一般の国民の皆様の憲法についてのお考えを伺い、大変意義深いものがあったと思うのでございます。
これからも引き続いて公聴会を開かれるということで、その公聴会が、さらにたくさんの方が発言でき、また、もう少し質問時間を長くやってくれというような御要望も神戸の会のときに出たようでございまして、会長初め皆様と御相談をして、できるだけいろいろの御意見を聞き、憲法に対する認識、意見を広めていきたいと思うものでございます。
この機会に、私個人の考えをまとめてみたいと思いますが、二十一世紀の日本を導くべき新しい憲法、私は、新しい憲法を、見直しながらつくっていくべきであろうと思っておりますが、広く国民の参加を得まして、議論を重ねて探求していくべきものと考える次第でございます。明治憲法も現行憲法も、実質的には、国民の意見を広く聞いてできたものではないのでございまして、二十一世紀の日本を導くべき憲法につきましては、国民の皆様の御意見を十分に拝聴しながら、みんなでつくり上げていきたいということをかねてから考えておりましたが、この機会に申し上げたいと思うのでございます。
それから、仙台で公聴会が終わりまして、記者会見がありましたときに、記者の諸君から、護憲が六で改憲が四ですねという質問がございましたけれども、私どもはもちろん、与党も野党も、この一年半の議論を重ねている間に、自民党にも、今の憲法で守るべき理念、原則がたくさんある、同時に、野党の皆様にも、どこからどこまで守らなきゃいけない、変えちゃいけないということではないというふうに私は受け取っているわけでございます。
そういう意味で、やわらかい気持ちで、護憲、改憲の枠にとらわれない発想が特にこれから必要ではないかと思います。そして、その発想が国民の間にも広く広まって、憲法についての議論が行われることが好ましいと思うのでございます。
この会期はこの春からでございますけれども、昨年の一月に憲法調査会が発足いたしましたころからのことをちょっと顧みてみたいと思うのでございます。現行憲法制定時よりの経過を振り返ってみたいと思うのでございます。
第二次大戦後のアメリカの基本的な対日政策は、日本が二度と再び米国を相手に戦争を始めることがないようにすることでございました。そのために、憲法の制定を当時の政府に慫慂し、しかも大変厳しい検閲、言論統制のもとに、自主的な改正という形をとりながら強制的な審議を行い、成立させたものであると心得ている次第でございます。
アメリカの方針としては、物的な日本の武装解除を行いました。これは比較的簡単に実現をいたしました。また、将来にわたり日本の非武装化を法律的に担保するために、戦力の保持を禁止し、交戦権までも否認する条項を憲法に置いたのでございます。
同時に、マッカーサー総司令官は、日本の平和主義への転向を確実に担保するために、真の民主主義を定着させたいということで、女性の参政権の付与とか、言論、結社の自由とか、政党活動の活発化等々が、その最高最強の権力を背景として一気に加速し、決定されたのでございます。
経済面につきましては、厳しい日本経済の弱体化政策が行われました。財閥の解体とか、労働者の団結、団体交渉権の確立とか、農地解放、特権的地位の廃止等々でございましたが、これは、昭和二十二年ごろからでございましょうか、終戦後間もなくでございましょうか、冷戦が進展をいたしまして、こういう経済面のGHQの施策は穏健化してまいりました。それが皮肉にもその後の日本の民主化と経済の強化を結果したことは、皆様御承知のとおりでございます。
そして、日本が、昭和二十七年でございますか、独立をいたしましたが、その間、現行憲法につきまして、改憲論がタブー化してまいりました。
敗戦直後、当時国民は、当然でございますけれども、私もその一人でございますけれども、虚脱状態に陥り、戦争は懲り懲りだという平和主義が国の隅々まで行き渡りました。大変結構なことであったわけでございますが、新憲法の標榜します平和主義に強い国民の支持があったのでございます。
日本の主権回復後、日本が講和条約を結び独立した後、顧みますと、日本の多くの言論人は現行憲法に表立った批判をしなかったという歴史的な事実も見てとれると思うのでございます。国会審議の段階では、実は共産党あるいは社会党の当時の議員からいろいろと改正の意見も出ておりまして、現行憲法につきまして、そのままではいかがかという御意見が出ていたことも承知しているのでございます。しかしながら、革新勢力の強い支持によりまして、憲法改正は九条の改正と同じ意義となりました。そして、改憲論が長く一種のタブーになってしまったという事実がございます。
戦後の平和が守られたのはこの規定ゆえであるとの幻想を国民に抱かせ、現実には、講和と同時に結ばれました日米安全保障条約により、日本を含む極東の平和が守られてきたという事実を覆い隠してしまったと思うのでございます。
現行憲法により戦後新しく日本に定着した多くの制度は、新しく生まれたものであり、我が国の国際社会への信頼を得るのに大きな役割を果たしましたが、多くのものが消え去った事実も見逃せないのであります。これら消え去ったものをすべて永遠に消えるに任せてよいかという問題がございます。日本の伝統の中から何を今後とも残し、何を思い切って捨て去るかをよく考えなければならないと思います。我々日本人は、貴重なものを永遠に失うことになることを恐れるものでございます。
この意味で、次国会できるだけ早い機会に、現行憲法につきまして、前文を手始めといたしまして、順次、着実に、それこそ何のタブーもなく、徹底的に国民参加の議論を始めていただきたいと申し上げ、私の感想とさせていただきます。
この発言だけを見る →今会長からもごあいさつがございましたが、この国会、憲法調査会が数次にわたって開かれました。そして、各委員の質問を拝聴しておりまして、憲法の各条章について自由な御意見が聞かれ、大変実り多い会期であったと考えております。
また、この憲法調査会は昨年の二月から開会されましたが、一年半顧みまして、大変感慨深いものがあるのでございます。
また、今お話もございましたが、ことしは、四月の十六日に仙台、六月四日に神戸と地方公聴会が開かれまして、多数の傍聴人、また熱心な陳述人の御出席を得て、いろいろ一般の国民の皆様の憲法についてのお考えを伺い、大変意義深いものがあったと思うのでございます。
これからも引き続いて公聴会を開かれるということで、その公聴会が、さらにたくさんの方が発言でき、また、もう少し質問時間を長くやってくれというような御要望も神戸の会のときに出たようでございまして、会長初め皆様と御相談をして、できるだけいろいろの御意見を聞き、憲法に対する認識、意見を広めていきたいと思うものでございます。
この機会に、私個人の考えをまとめてみたいと思いますが、二十一世紀の日本を導くべき新しい憲法、私は、新しい憲法を、見直しながらつくっていくべきであろうと思っておりますが、広く国民の参加を得まして、議論を重ねて探求していくべきものと考える次第でございます。明治憲法も現行憲法も、実質的には、国民の意見を広く聞いてできたものではないのでございまして、二十一世紀の日本を導くべき憲法につきましては、国民の皆様の御意見を十分に拝聴しながら、みんなでつくり上げていきたいということをかねてから考えておりましたが、この機会に申し上げたいと思うのでございます。
それから、仙台で公聴会が終わりまして、記者会見がありましたときに、記者の諸君から、護憲が六で改憲が四ですねという質問がございましたけれども、私どもはもちろん、与党も野党も、この一年半の議論を重ねている間に、自民党にも、今の憲法で守るべき理念、原則がたくさんある、同時に、野党の皆様にも、どこからどこまで守らなきゃいけない、変えちゃいけないということではないというふうに私は受け取っているわけでございます。
そういう意味で、やわらかい気持ちで、護憲、改憲の枠にとらわれない発想が特にこれから必要ではないかと思います。そして、その発想が国民の間にも広く広まって、憲法についての議論が行われることが好ましいと思うのでございます。
この会期はこの春からでございますけれども、昨年の一月に憲法調査会が発足いたしましたころからのことをちょっと顧みてみたいと思うのでございます。現行憲法制定時よりの経過を振り返ってみたいと思うのでございます。
第二次大戦後のアメリカの基本的な対日政策は、日本が二度と再び米国を相手に戦争を始めることがないようにすることでございました。そのために、憲法の制定を当時の政府に慫慂し、しかも大変厳しい検閲、言論統制のもとに、自主的な改正という形をとりながら強制的な審議を行い、成立させたものであると心得ている次第でございます。
アメリカの方針としては、物的な日本の武装解除を行いました。これは比較的簡単に実現をいたしました。また、将来にわたり日本の非武装化を法律的に担保するために、戦力の保持を禁止し、交戦権までも否認する条項を憲法に置いたのでございます。
同時に、マッカーサー総司令官は、日本の平和主義への転向を確実に担保するために、真の民主主義を定着させたいということで、女性の参政権の付与とか、言論、結社の自由とか、政党活動の活発化等々が、その最高最強の権力を背景として一気に加速し、決定されたのでございます。
経済面につきましては、厳しい日本経済の弱体化政策が行われました。財閥の解体とか、労働者の団結、団体交渉権の確立とか、農地解放、特権的地位の廃止等々でございましたが、これは、昭和二十二年ごろからでございましょうか、終戦後間もなくでございましょうか、冷戦が進展をいたしまして、こういう経済面のGHQの施策は穏健化してまいりました。それが皮肉にもその後の日本の民主化と経済の強化を結果したことは、皆様御承知のとおりでございます。
そして、日本が、昭和二十七年でございますか、独立をいたしましたが、その間、現行憲法につきまして、改憲論がタブー化してまいりました。
敗戦直後、当時国民は、当然でございますけれども、私もその一人でございますけれども、虚脱状態に陥り、戦争は懲り懲りだという平和主義が国の隅々まで行き渡りました。大変結構なことであったわけでございますが、新憲法の標榜します平和主義に強い国民の支持があったのでございます。
日本の主権回復後、日本が講和条約を結び独立した後、顧みますと、日本の多くの言論人は現行憲法に表立った批判をしなかったという歴史的な事実も見てとれると思うのでございます。国会審議の段階では、実は共産党あるいは社会党の当時の議員からいろいろと改正の意見も出ておりまして、現行憲法につきまして、そのままではいかがかという御意見が出ていたことも承知しているのでございます。しかしながら、革新勢力の強い支持によりまして、憲法改正は九条の改正と同じ意義となりました。そして、改憲論が長く一種のタブーになってしまったという事実がございます。
戦後の平和が守られたのはこの規定ゆえであるとの幻想を国民に抱かせ、現実には、講和と同時に結ばれました日米安全保障条約により、日本を含む極東の平和が守られてきたという事実を覆い隠してしまったと思うのでございます。
現行憲法により戦後新しく日本に定着した多くの制度は、新しく生まれたものであり、我が国の国際社会への信頼を得るのに大きな役割を果たしましたが、多くのものが消え去った事実も見逃せないのであります。これら消え去ったものをすべて永遠に消えるに任せてよいかという問題がございます。日本の伝統の中から何を今後とも残し、何を思い切って捨て去るかをよく考えなければならないと思います。我々日本人は、貴重なものを永遠に失うことになることを恐れるものでございます。
この意味で、次国会できるだけ早い機会に、現行憲法につきまして、前文を手始めといたしまして、順次、着実に、それこそ何のタブーもなく、徹底的に国民参加の議論を始めていただきたいと申し上げ、私の感想とさせていただきます。
中
仙
仙谷由人#8
○仙谷委員 民主党の仙谷でございます。
まず、私の方からは、民主党の立場、すなわち今なぜ論憲かということについてお話をさせていただきたいと思います。
民主党は、憲法議論を大いに展開しようという立場でこの憲法調査会に臨んでまいったところであります。いわゆる押しつけ憲法論あるいは旧国体、明治憲法的国体でありますが、これらへの郷愁に裏打ちされたいわゆる改憲論と、そしてまた、憲法の文言修正につながりかねない議論はいかなる議論も封じ込めるべきだと言わんばかりの護憲論を超えて、今この時代の政治を担おうとする者にとって、国家、憲法を論ずることが重要だとの立場をとってまいったところであります。
平成十二年一月二十日以降、二十五回にわたる調査会における参考人意見聴取と自由討議、二回の地方公聴会における意見陳述、ヨーロッパにおける憲法調査は、私たちに論憲という立場の正しさについて改めて確信を深めさせていると言っても過言ではございません。
つまり、日本国憲法制定の経緯を振り返って、現時点で、EUという経済統合から通貨統合、政治統合へまで進もうとするヨーロッパの憲法事情調査によって、今、近代主権国家とは何かということを調査し、加えて、二十一世紀の日本のあるべき姿の意見聴取を通じて、日本という国家が今国際社会においてどのような位置にあって、二十一世紀に日本と日本人が何を価値としてどのような国家の体制をつくるか、日本人として、アジア人として、地球人として、この二十一世紀を生き抜いていくかを冷静かつ柔軟に、そして深く考えるときが現在である、改めて感得しているからでございます。
すなわち、今私たちにとって決定的に重要なことは、二十世紀の総括、評価と反省を踏まえた上で、国の形、国家論等、人間の尊厳、人権論を構想し、論じ合い、でき得れば国民の合意形成へと練り上げることであると考えているからであります。
簡単に二十世紀の総括を私なりにしてみたいと思います。
日本国憲法もある意味での歴史的な産物であると考えております。十九世紀の最も遅い時期から二十世紀前半期の日本は、大ざっぱに言えば、近代主権国家列強の植民地収奪の戦いに参戦し、結局は敗れたわけでございます。敗戦は、ポツダム宣言の受諾を伴いました。周知のように、ポツダム宣言の受諾は、軍国主義的傾向の排除と真の民主主義的な政治体制の確立を伴ったわけでございます。
これは、後に世界人権宣言、国際連合憲章として結実する、当時の連合国主導の思想潮流に沿うものであったこともまた歴史的な事実でございます。すなわち、戦争の否定あるいは回避という平和主義、基本的人権の尊重、国民主権・民主主義の原則が、第二次世界大戦という惨劇を経た近代主権国家の骨格として取り込まれなければならないということを意味していると考えております。
第二次世界大戦後の日本が、仮に天皇の神格的な主権、神聖にして侵すべからざる天皇の主権に基づく政治体制にあって、かつ、国民の意思に基づかないそのような政治権力が独立の軍事統帥権を有する国家のままであったとするならば、そしてまた、基本的人権のほとんどが法律の留保のもとに制約されていたとするならば、二十世紀の後半五十年間あるいは五十五年間、国際社会において日本が認知され、行動することができたか否かという点を考えれば、明治国家回帰願望に源を持つ押しつけ憲法論あるいは自主憲法制定論の時代錯誤性というのは余りにも明らかであると私は考えております。
二十世紀は、ナショナリズム、デモクラティズム、インダストリアリズムの時代でありました。人間の諸活動をより自由にし、これを保障する政治体制、このことによって貧困から脱却し、物質的豊かさをつくり上げたわけでございます。しかし、みずからの自由と豊かさの際限のない追求は、ともすれば他民族を抑圧し、同一民族内においても差別をつくり出し、暴力あるいは武力の行使をすら正当化して、戦争を巻き起こしたわけでございます。
続きまして、二十一世紀の国の形として、私どもが考えなければならない点を申し上げたいと存じます。
ヨーロッパの憲法調査で、EU統合が単なる経済統合ではなくて、いかに民族自決の原則に基づいて、細分化されたヨーロッパ主権国家間の戦争をなくするかという信念に裏づけられているということを確認しなければならないと思います。
冷戦の崩壊後、より大きな潮流となった市場経済は、より自由な経済活動と利潤の拡大を求め、市場の単一化に向かっております。それに対応して、国家の主権は、徐々に主権国家を超えた国際機構への移譲をされざるを得ないわけであります。
他方、個々人にとっては、生活の安定と生活を良質なものにするという欲求、加えて、生きがいや働きがいという充実感を求める動きとなってあらわれております。そのことは、自分の身近なところで、みずからが参画して公共的な意思決定をしたいということでございまして、これは分権化が促進されざるを得ないと考えております。
日本においても、いわゆる先進国を取り巻く状況と無縁であるはずはありません。加えて、ITの出現はこの動向を加速させ、複雑化させているというふうに考えます。つまり、人、物、金、技術、情報、そして環境汚染や伝染病がいともたやすく速いスピードで国境を越えるという事態は、主権国家、すべて同一であるとは申しませんけれども、中央政府が絶対的な存在として国民の生命と財産を、そして諸権利を一元的に守るという建前が虚構となりつつあることを示しているのではないでしょうか。
近代主権国家の持つ単一民族による中央集権的なやり方は、超国家的な国際機構への主権の移譲と地方への権限移譲を進めざるを得ない。しかし、国家が消滅するには至らないのであります。中央政府の役割の限定と、地方政府の役割の設定、地域市民社会における新しい公共の創出を考えるときが来ていると考えております。
憲法は国の形、国家のありようを示す諸原則であり、基本法であると考えます。そして、国の形とは、人権の形であり、中央政府と地方政府の形であり、国際機構と日本という主権国の関係でございます。日本と日本人を取り巻く諸条件や環境の変化は、今の国の形で対応し得るか否かが真剣に論議されなければならないと思います。
国の形の論議の方向性でございますが、一つは、国民主権制を豊富化するということが考えられなければならないと思います。
第二番目には、法治主義の深化がいろいろな制度的な担保とともに考えられなければならないと思います。
三つ目に、戦争の否定の上に立った安全保障が国の形として考えられなければならないと考えております。
四つ目が、新しい人権あるいは国家の義務として、環境、生命倫理、あるいは知る権利、外国人の人権というふうなものが構想されなければならないのではないかと考えているところでございます。
終わります。
この発言だけを見る →まず、私の方からは、民主党の立場、すなわち今なぜ論憲かということについてお話をさせていただきたいと思います。
民主党は、憲法議論を大いに展開しようという立場でこの憲法調査会に臨んでまいったところであります。いわゆる押しつけ憲法論あるいは旧国体、明治憲法的国体でありますが、これらへの郷愁に裏打ちされたいわゆる改憲論と、そしてまた、憲法の文言修正につながりかねない議論はいかなる議論も封じ込めるべきだと言わんばかりの護憲論を超えて、今この時代の政治を担おうとする者にとって、国家、憲法を論ずることが重要だとの立場をとってまいったところであります。
平成十二年一月二十日以降、二十五回にわたる調査会における参考人意見聴取と自由討議、二回の地方公聴会における意見陳述、ヨーロッパにおける憲法調査は、私たちに論憲という立場の正しさについて改めて確信を深めさせていると言っても過言ではございません。
つまり、日本国憲法制定の経緯を振り返って、現時点で、EUという経済統合から通貨統合、政治統合へまで進もうとするヨーロッパの憲法事情調査によって、今、近代主権国家とは何かということを調査し、加えて、二十一世紀の日本のあるべき姿の意見聴取を通じて、日本という国家が今国際社会においてどのような位置にあって、二十一世紀に日本と日本人が何を価値としてどのような国家の体制をつくるか、日本人として、アジア人として、地球人として、この二十一世紀を生き抜いていくかを冷静かつ柔軟に、そして深く考えるときが現在である、改めて感得しているからでございます。
すなわち、今私たちにとって決定的に重要なことは、二十世紀の総括、評価と反省を踏まえた上で、国の形、国家論等、人間の尊厳、人権論を構想し、論じ合い、でき得れば国民の合意形成へと練り上げることであると考えているからであります。
簡単に二十世紀の総括を私なりにしてみたいと思います。
日本国憲法もある意味での歴史的な産物であると考えております。十九世紀の最も遅い時期から二十世紀前半期の日本は、大ざっぱに言えば、近代主権国家列強の植民地収奪の戦いに参戦し、結局は敗れたわけでございます。敗戦は、ポツダム宣言の受諾を伴いました。周知のように、ポツダム宣言の受諾は、軍国主義的傾向の排除と真の民主主義的な政治体制の確立を伴ったわけでございます。
これは、後に世界人権宣言、国際連合憲章として結実する、当時の連合国主導の思想潮流に沿うものであったこともまた歴史的な事実でございます。すなわち、戦争の否定あるいは回避という平和主義、基本的人権の尊重、国民主権・民主主義の原則が、第二次世界大戦という惨劇を経た近代主権国家の骨格として取り込まれなければならないということを意味していると考えております。
第二次世界大戦後の日本が、仮に天皇の神格的な主権、神聖にして侵すべからざる天皇の主権に基づく政治体制にあって、かつ、国民の意思に基づかないそのような政治権力が独立の軍事統帥権を有する国家のままであったとするならば、そしてまた、基本的人権のほとんどが法律の留保のもとに制約されていたとするならば、二十世紀の後半五十年間あるいは五十五年間、国際社会において日本が認知され、行動することができたか否かという点を考えれば、明治国家回帰願望に源を持つ押しつけ憲法論あるいは自主憲法制定論の時代錯誤性というのは余りにも明らかであると私は考えております。
二十世紀は、ナショナリズム、デモクラティズム、インダストリアリズムの時代でありました。人間の諸活動をより自由にし、これを保障する政治体制、このことによって貧困から脱却し、物質的豊かさをつくり上げたわけでございます。しかし、みずからの自由と豊かさの際限のない追求は、ともすれば他民族を抑圧し、同一民族内においても差別をつくり出し、暴力あるいは武力の行使をすら正当化して、戦争を巻き起こしたわけでございます。
続きまして、二十一世紀の国の形として、私どもが考えなければならない点を申し上げたいと存じます。
ヨーロッパの憲法調査で、EU統合が単なる経済統合ではなくて、いかに民族自決の原則に基づいて、細分化されたヨーロッパ主権国家間の戦争をなくするかという信念に裏づけられているということを確認しなければならないと思います。
冷戦の崩壊後、より大きな潮流となった市場経済は、より自由な経済活動と利潤の拡大を求め、市場の単一化に向かっております。それに対応して、国家の主権は、徐々に主権国家を超えた国際機構への移譲をされざるを得ないわけであります。
他方、個々人にとっては、生活の安定と生活を良質なものにするという欲求、加えて、生きがいや働きがいという充実感を求める動きとなってあらわれております。そのことは、自分の身近なところで、みずからが参画して公共的な意思決定をしたいということでございまして、これは分権化が促進されざるを得ないと考えております。
日本においても、いわゆる先進国を取り巻く状況と無縁であるはずはありません。加えて、ITの出現はこの動向を加速させ、複雑化させているというふうに考えます。つまり、人、物、金、技術、情報、そして環境汚染や伝染病がいともたやすく速いスピードで国境を越えるという事態は、主権国家、すべて同一であるとは申しませんけれども、中央政府が絶対的な存在として国民の生命と財産を、そして諸権利を一元的に守るという建前が虚構となりつつあることを示しているのではないでしょうか。
近代主権国家の持つ単一民族による中央集権的なやり方は、超国家的な国際機構への主権の移譲と地方への権限移譲を進めざるを得ない。しかし、国家が消滅するには至らないのであります。中央政府の役割の限定と、地方政府の役割の設定、地域市民社会における新しい公共の創出を考えるときが来ていると考えております。
憲法は国の形、国家のありようを示す諸原則であり、基本法であると考えます。そして、国の形とは、人権の形であり、中央政府と地方政府の形であり、国際機構と日本という主権国の関係でございます。日本と日本人を取り巻く諸条件や環境の変化は、今の国の形で対応し得るか否かが真剣に論議されなければならないと思います。
国の形の論議の方向性でございますが、一つは、国民主権制を豊富化するということが考えられなければならないと思います。
第二番目には、法治主義の深化がいろいろな制度的な担保とともに考えられなければならないと思います。
三つ目に、戦争の否定の上に立った安全保障が国の形として考えられなければならないと考えております。
四つ目が、新しい人権あるいは国家の義務として、環境、生命倫理、あるいは知る権利、外国人の人権というふうなものが構想されなければならないのではないかと考えているところでございます。
終わります。
中
太
太田昭宏#10
○太田(昭)委員 まず第一に、昨年の一月から憲法調査会が始まりまして、中山会長、鹿野会長代理を初めとして、一貫して丁寧に論議が常にされてきたということについて、大変よかったと敬意を表したいと思っております。
と申しますのは、我が党は論憲ということを掲げておりますが、この論憲ということの憲法的な問題だけでなくて、国会の運営ということを考えてみましても、今我が国で一番大事な国会論戦としてやるべきことは、二十一世紀の国のあり方をどうするかという骨太の論議であろうというふうに思っておりますが、なかなか、各委員会でなされるものは、法案の、目の前の問題の処理ということに明け暮れ、また、本来は、党首討論というのは骨太のそうした論議であるはずなんですが、それ以上に、この憲法調査会の中で骨太の論議が行われているということは大変すばらしいことであろうというふうに私は思っております。
さらに、国会内のそうした論争だけでなく、この国のあり方の行方を探るということが、地方の公聴会とか、あるいはインターネットを使っての意見の糾合であるとか、さまざまな形で展開されてきたことは大変大きな意義があったというふうに思っておりまして、さらに国民的な議論を起こす主導のエンジン役として、この憲法調査会が機能していくことが大事なことだというふうに思っております。
第二番目に、この憲法調査会の中で議論されてきましたことは、憲法制定過程、そしてまた二十一世紀日本の国のあり方はいかにあるべきかということであったと思います。私は、憲法制定過程も学んだことは大事であったと思いますし、しかし論議は、より一層未来志向の憲法論議でなくてはならない、このように思っております。
憲法制定当時、日本の大きな理念の変換があったわけですが、例えばノートルダム女子大学の学長であります梶田先生が四つおっしゃっていますが、戦前は軍国主義であった、そして戦後理念の転換があって、軍国主義が平和主義になった、しかし現実にはその平和主義が一国平和主義に陥っているという現実から論議が展開されていかなくてはいけない。また、梶田先生は、軍国主義から平和主義へとともに、全体主義から個人主義へ、日本主義から国際主義へ、そして国家神道体制という、まあ一宗統制というようなことから社会の無宗教化へということが大きな特徴であったということを指摘されておりますが、私も全く同感でありまして、実は平和主義が一国平和主義になったというその地点から、憲法論的には九条の中身を問うという作業になるのではないかというふうに思います。
また、個人主義が一たんはいいと思われていたのですが、現実には脆弱な私生活主義に陥っているという、そこの現状から物を論議しなくてはいけないというふうに思っておりますが、憲法論的には憲法第十三条、個人の尊厳というものがアプリオリに提起されているということの、その個人、インディビデュアルというものの意味が、実はヨーロッパ近代からの、人は生まれながらにして自由で平等であるというような、そうした観点からの個人、その個人という言葉の使い方の中に歴史や伝統や時間軸というものが非常に必要であるというふうに実は私自身思っております。その意味では、個人主義から脆弱な私生活主義に陥ったというそこのところの論議は、憲法論的には十三条の、一番憲法の骨格となっております個人というものが、一体どういう定義の中で制定されているかという論議は極めて大事なことだというふうに思っております。
また、日本主義から国際主義ということはいいのですが、しかしナショナルアイデンティティーの欠如ということが今大きな課題になっているんだというふうに思っております。その意味で、前文と第一章の天皇、そして第一条の天皇と主権在民というあたりをもっと掘り下げた思想的な論議というものがこの憲法調査会では行われるべきであろうという考えを私は持っております。
また、第四の国家神道体制から社会の無宗教化というものが、現実には社会の哲学不在というこれまた深刻な問題になっているというふうに思いまして、その意味では、教育とか信教の自由であるとかあるいは政教分離ということも含めた包括的な論議がされていかなくてはいけないというふうに思っております。
未来志向の憲法論議というふうに申し上げましたが、私は、未来志向というのは、五十年、百年という長期にわたっては、私たちの頭脳ではなかなか難しかろうということで、二〇二〇年、二〇三〇年というようなことで、またそのときに考えればいいのではないかというふうに思っております。その意味では、二十一世紀の冒頭のこの社会がどういうふうに想定されるかというと、IT、ゲノム、環境、住民参加、私は、四つのマグマといいますか、四つのキーワードがあるように思いまして、その一つ一つについての論議もまた大事だというふうに思っておりまして、ここで科学技術についての論議とか宇宙についての論議が若干されましたけれども、さらにそれが大きく論戦として展開されていくことが必要じゃないかというふうに思っております。
三番目に、日本の国のあり方とナショナルアイデンティティーということについては、私は、ナショナリズムということについて最近大変危惧をしている問題がございます。文化とか伝統とか共同体ということについての論議は当然大事なんですが、国のナショナルアイデンティティーという論議の中で、私は、二十一世紀の日本というのは、二十世紀の日本が、ある意味では奪い合う二十世紀から分かち合う共生の二十一世紀というようなスローガンがあるわけですが、この共同体というものについての議論、そして愛国心とナショナルアイデンティティーというものをもう少し掘り下げる必要があろうというふうに思っております。
私は、最近の論議の中で、どうもナショナリズムというのは本来感情的なものだというふうに思っておりますが、しかし感情的なものとしても、その上でも理性的なナショナリズムと感情的なナショナリズムというものがあるような気がいたします。ほかの国に言われる筋合いはないなどという論議が現実に今いろいろな問題で起きていて、そんな声が高まっていることは大変私は問題だというふうに思いまして、まさにそれは私の言葉で言うと感情的なナショナリズムにすぎない。弱いからこそ強がりを言うということがありますけれども、日本はもっと思想的にも経済的にも強い国家をつくり上げなくてはいけないし、強い一人一人をつくり上げなくてはいけないというふうに思っております。
二十世紀はネーションステーツということがさりげなく言われておりますが、ネーションとステーツという違うものがともに一体となって、そして殺りくを繰り返したというような悲劇が私はあったというふうに思っております。二十一世紀はどちらかというと、文明の衝突ということでハンチントンは言うわけでありますが、私は、ハンチントン流の文明の衝突というよりは文化の衝突の時代である、こういうふうに思っておりまして、ネーションという部分は、ナショナルアイデンティティーと通じることになろうかと思いますが、それはもう少し狭くなってくる。
そして、二十一世紀の国家は、やはりステーツという部分の機能国家的なものがありながら、しかも精神的なものの中では地域とか共同体とか、むしろ愛国心、パトリ、郷土愛というような中で展開されていかなくてはいけないのではないかというふうに思っておりまして、地域の中での共生あるいは共同体意識というものを形づくっていく方が、私は、二十一世紀は文化の時代であって、ナショナルアイデンティティーとしての地方主権というような角度がますます必要であろうというふうに思っております。
四番目に、その意味で、二十一世紀これからの憲法論議で必要なのは、そうした思想的論議というものをさらに深めて、国家のあり方というもののもう少し思想的な問題についての論究をするとともに、これから国民が参加をしていくことがさらに大事でありましょうから、国民憲法というもの、そしてまた環境とか人権という二十一世紀を志向しますと、国民憲法、環境憲法、そして人権憲法という方向での大きな論議が必要だというふうに思っております。
以上でございます。
この発言だけを見る →と申しますのは、我が党は論憲ということを掲げておりますが、この論憲ということの憲法的な問題だけでなくて、国会の運営ということを考えてみましても、今我が国で一番大事な国会論戦としてやるべきことは、二十一世紀の国のあり方をどうするかという骨太の論議であろうというふうに思っておりますが、なかなか、各委員会でなされるものは、法案の、目の前の問題の処理ということに明け暮れ、また、本来は、党首討論というのは骨太のそうした論議であるはずなんですが、それ以上に、この憲法調査会の中で骨太の論議が行われているということは大変すばらしいことであろうというふうに私は思っております。
さらに、国会内のそうした論争だけでなく、この国のあり方の行方を探るということが、地方の公聴会とか、あるいはインターネットを使っての意見の糾合であるとか、さまざまな形で展開されてきたことは大変大きな意義があったというふうに思っておりまして、さらに国民的な議論を起こす主導のエンジン役として、この憲法調査会が機能していくことが大事なことだというふうに思っております。
第二番目に、この憲法調査会の中で議論されてきましたことは、憲法制定過程、そしてまた二十一世紀日本の国のあり方はいかにあるべきかということであったと思います。私は、憲法制定過程も学んだことは大事であったと思いますし、しかし論議は、より一層未来志向の憲法論議でなくてはならない、このように思っております。
憲法制定当時、日本の大きな理念の変換があったわけですが、例えばノートルダム女子大学の学長であります梶田先生が四つおっしゃっていますが、戦前は軍国主義であった、そして戦後理念の転換があって、軍国主義が平和主義になった、しかし現実にはその平和主義が一国平和主義に陥っているという現実から論議が展開されていかなくてはいけない。また、梶田先生は、軍国主義から平和主義へとともに、全体主義から個人主義へ、日本主義から国際主義へ、そして国家神道体制という、まあ一宗統制というようなことから社会の無宗教化へということが大きな特徴であったということを指摘されておりますが、私も全く同感でありまして、実は平和主義が一国平和主義になったというその地点から、憲法論的には九条の中身を問うという作業になるのではないかというふうに思います。
また、個人主義が一たんはいいと思われていたのですが、現実には脆弱な私生活主義に陥っているという、そこの現状から物を論議しなくてはいけないというふうに思っておりますが、憲法論的には憲法第十三条、個人の尊厳というものがアプリオリに提起されているということの、その個人、インディビデュアルというものの意味が、実はヨーロッパ近代からの、人は生まれながらにして自由で平等であるというような、そうした観点からの個人、その個人という言葉の使い方の中に歴史や伝統や時間軸というものが非常に必要であるというふうに実は私自身思っております。その意味では、個人主義から脆弱な私生活主義に陥ったというそこのところの論議は、憲法論的には十三条の、一番憲法の骨格となっております個人というものが、一体どういう定義の中で制定されているかという論議は極めて大事なことだというふうに思っております。
また、日本主義から国際主義ということはいいのですが、しかしナショナルアイデンティティーの欠如ということが今大きな課題になっているんだというふうに思っております。その意味で、前文と第一章の天皇、そして第一条の天皇と主権在民というあたりをもっと掘り下げた思想的な論議というものがこの憲法調査会では行われるべきであろうという考えを私は持っております。
また、第四の国家神道体制から社会の無宗教化というものが、現実には社会の哲学不在というこれまた深刻な問題になっているというふうに思いまして、その意味では、教育とか信教の自由であるとかあるいは政教分離ということも含めた包括的な論議がされていかなくてはいけないというふうに思っております。
未来志向の憲法論議というふうに申し上げましたが、私は、未来志向というのは、五十年、百年という長期にわたっては、私たちの頭脳ではなかなか難しかろうということで、二〇二〇年、二〇三〇年というようなことで、またそのときに考えればいいのではないかというふうに思っております。その意味では、二十一世紀の冒頭のこの社会がどういうふうに想定されるかというと、IT、ゲノム、環境、住民参加、私は、四つのマグマといいますか、四つのキーワードがあるように思いまして、その一つ一つについての論議もまた大事だというふうに思っておりまして、ここで科学技術についての論議とか宇宙についての論議が若干されましたけれども、さらにそれが大きく論戦として展開されていくことが必要じゃないかというふうに思っております。
三番目に、日本の国のあり方とナショナルアイデンティティーということについては、私は、ナショナリズムということについて最近大変危惧をしている問題がございます。文化とか伝統とか共同体ということについての論議は当然大事なんですが、国のナショナルアイデンティティーという論議の中で、私は、二十一世紀の日本というのは、二十世紀の日本が、ある意味では奪い合う二十世紀から分かち合う共生の二十一世紀というようなスローガンがあるわけですが、この共同体というものについての議論、そして愛国心とナショナルアイデンティティーというものをもう少し掘り下げる必要があろうというふうに思っております。
私は、最近の論議の中で、どうもナショナリズムというのは本来感情的なものだというふうに思っておりますが、しかし感情的なものとしても、その上でも理性的なナショナリズムと感情的なナショナリズムというものがあるような気がいたします。ほかの国に言われる筋合いはないなどという論議が現実に今いろいろな問題で起きていて、そんな声が高まっていることは大変私は問題だというふうに思いまして、まさにそれは私の言葉で言うと感情的なナショナリズムにすぎない。弱いからこそ強がりを言うということがありますけれども、日本はもっと思想的にも経済的にも強い国家をつくり上げなくてはいけないし、強い一人一人をつくり上げなくてはいけないというふうに思っております。
二十世紀はネーションステーツということがさりげなく言われておりますが、ネーションとステーツという違うものがともに一体となって、そして殺りくを繰り返したというような悲劇が私はあったというふうに思っております。二十一世紀はどちらかというと、文明の衝突ということでハンチントンは言うわけでありますが、私は、ハンチントン流の文明の衝突というよりは文化の衝突の時代である、こういうふうに思っておりまして、ネーションという部分は、ナショナルアイデンティティーと通じることになろうかと思いますが、それはもう少し狭くなってくる。
そして、二十一世紀の国家は、やはりステーツという部分の機能国家的なものがありながら、しかも精神的なものの中では地域とか共同体とか、むしろ愛国心、パトリ、郷土愛というような中で展開されていかなくてはいけないのではないかというふうに思っておりまして、地域の中での共生あるいは共同体意識というものを形づくっていく方が、私は、二十一世紀は文化の時代であって、ナショナルアイデンティティーとしての地方主権というような角度がますます必要であろうというふうに思っております。
四番目に、その意味で、二十一世紀これからの憲法論議で必要なのは、そうした思想的論議というものをさらに深めて、国家のあり方というもののもう少し思想的な問題についての論究をするとともに、これから国民が参加をしていくことがさらに大事でありましょうから、国民憲法というもの、そしてまた環境とか人権という二十一世紀を志向しますと、国民憲法、環境憲法、そして人権憲法という方向での大きな論議が必要だというふうに思っております。
以上でございます。
中
藤
藤島正之#12
○藤島委員 自由党の藤島正之でございます。
私は、昨年九月に始まりました二十一世紀の日本のあるべき姿についての論議からこの憲法調査会に参加させていただきました。そこでは、各界で先頭に立って御活躍されている参考人の大変貴重な意見を伺うことができたと思います。中には議論のかみ合わない方もいらっしゃったわけですが、総体的に見ますと、今後の日本の進むべき道を模索する上で大きな役割を果たすことが十分期待される内容であったと思っております。
さて、私ども自由党の基本的な態度といたしましては、昨年八月三日のこの調査会における我が党の塩田委員の発言にありますように、現行憲法を改正するという立場でございます。改正するというか、むしろ二十一世紀を担う新しい憲法をつくるというのが我々の基本的な立場でございます。
そもそも、この調査会が設置された趣旨は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うためということでありました。その背景は、戦後五十年いろいろな意味で変化が起こっておるわけですが、特に冷戦の終えん、あるいは日本の東アジア地域における立場の変化、あるいは我が国が世界第二の経済大国にまで成長しましたが、その後、右肩上がりの経済が終息、終えんし、従来の経済社会システムでは対応し切れなくなってきていること、また、そういったことに応じまして国民の意識が大きく変化してきていることがあるものと思います。そうした国内外の環境の変化を見たときに、国家の基本法たる憲法自体も現実の変化への対応を迫られているのではないか、そのように私は考えておるわけでございます。
このような視点に立ちますと、今後の憲法調査会の運営につきましては、昨年の自由討議のときに塩田委員からも提案がありましたけれども、憲法の条文と現実との乖離の問題を明らかにしていくべきだろうと思っております。
これまで、二十一世紀の日本のあるべき姿について議論を積み重ねてきましたが、今後は、私は、各分野別にもう少し掘り下げて議論を進めていくべきではないか、こういうふうに考えております。今日、制定から五十余年を経た日本国憲法が想定していなかった重要な課題が山積しておるわけでございます。
まず、基本的人権についてでありますが、近代的立憲主義思想に基づく自由権の発想は、常に国家権力対国民という構図がベースにありましたが、現代では、国家のみならず私人や私的団体からの人権侵害が深刻な問題となってきております。
また、基本的人権は、国民に保障されるべきものであると同時に、国民が社会共同体の構成員として国家社会を維持し発展させるための公共財的性格を持つものであると思います。そういう位置づけをすることが必要になってきている、こういうふうに考えるわけであります。そのためには、人権制約の根拠とされてきた公共の福祉について深く議論し、その概念を明確にする必要があるというふうに考えております。
さらに、情報公開制度や、あるいはマスメディアが発達した現在では、国民の知る権利やプライバシー権を精査し、憲法に明示することも必要ではないかというふうに考えております。
また、外国人の人権保障とその限界についても、今後少子化が進む中で、我が国は外国人政策をどのように見据えてグローバル化時代に対応するかという、長期的な視野に立って検討しなければなりません。
また、経済的自由権についても、官主導ではない自由で公正な市場の確保をうたうことも必要ではないかと思います。また、そのような自由で公正な社会のもとで国民が創造性を発揮するためには、だれもが安心できる税制や基礎的社会保障の制度を整備していくことが重要である、こういうふうに考えております。
また、国民が良好な環境で生活することを保障する環境権を明確にするとともに、すべての国民が人類存続の基盤である地球環境の保全に全力を尽くす義務を負うことを定めた規定を設けるべきであるというふうにも考えております。
次に、安全保障の問題でありますが、冷戦の時代には、日米安全保障条約のもと、米国がソ連という明確な敵対国から同盟国である日本の独立と安全を守ってくれておりまして、日本は米軍の駐留に依存しているところが大きく、またそれなりに機能してきたという面がありました。しかし、冷戦終結後は、核の拡散、テロの多発、地域紛争の激化など、より突発的で不確実な要素が大きい危機の状況が東アジアにおいても危惧されるようになりました。
そのような中で、我が国が自国民の生命及び財産を守るには、自衛隊が明確に憲法上位置づけられ、内閣総理大臣の指揮権のもと迅速に活動ができるようにすることが必要であると思います。加えて、非常事態の制度を憲法に明記することも視野に入れるべきだと考えます。もちろん、自衛権の名のもとに、武力による威嚇またはその行使は一切認められないとする現行憲法九条の理念は継承すべきであると考えております。
そして、日本が平和を維持し存続させていくためには、国際社会との真の協調を図らなければなりません。そのための外交努力に全力を尽くし、また、国連平和維持活動を初めとする国連の平和活動への参加、協力体制を整備することも必要であると考えます。
次に、統治機構の問題です。我が国では、長らく行政国家現象と呼ばれる、行政が事実上国政を支配するという状況が続いてきました。しかし、我が国は議院内閣制を採用し、行政権たる内閣は、国会に対して責任を負っております。国会が実質的に国権の最高機関として機能するように、諸機関の抜本的な整備を行うべきであります。二院制をより意義のある形にしていくことも必要でありますし、情報技術の発展により容易となった国民投票等の直接民主制による補完によって議会制民主主義をより健全で強力なものとし、真の国民主権を確立することができると考えております。
この点に関しまして、首相公選制の問題が小泉総理から提案されていますが、私ども自由党は、天皇制との関係とかいろいろな問題がありますし、あるいは議院内閣制でも同様な政治は実現しようと思えばできる、現に小泉内閣はかなりそういった面が実現されているようでありますが、そういう考えから、私どもは首相公選制はその必要がないというふうに考えておる次第であります。
一方、行政権については、中央政府の役割は国家の維持と発展に必要かつ最小限のものとし、大胆な地方分権を進めることが必要であると考えます。
司法権は、現行憲法の枠内にとらわれず、国民への司法サービスの飛躍的な充実を目指す抜本的改革が必要です。我々は、憲法裁判所を設置し、立法だけでなく、司法も憲法問題を正面から扱い、我が国のあるべき姿について活発な議論を提起することが変化に対応する力を高めるものと思います。
この憲法との関係でいきますと、我々は改正手続をまず改正し、発議要件を各議院の過半数の要件に改める、これをまずやるべきではないかというふうに考えております。
それから、さきの仙台市における地方公聴会で、このままでは憲法調査会は五年間の憲法放談会に終わってしまうのではないかという危惧を述べる方がおられましたけれども、まさにそういうことのないように私どもはやっていかなければならない、こういうふうに考えておる次第でございます。頭から憲法改正に反対だという意見もあるようでございますけれども、我々は、そういう意見には賛同できないというふうに考えております。
以上、憲法調査会のあり方について意見を述べさせていただきましたが、国民をこの憲法議論の中に取り込んでいくということがこれから非常に重要なことではないかと思っておりまして、この国民のエネルギーこそが我が国にとっていろいろな意味で必要なものだというふうに考えております。
以上で私の意見を終わります。
この発言だけを見る →私は、昨年九月に始まりました二十一世紀の日本のあるべき姿についての論議からこの憲法調査会に参加させていただきました。そこでは、各界で先頭に立って御活躍されている参考人の大変貴重な意見を伺うことができたと思います。中には議論のかみ合わない方もいらっしゃったわけですが、総体的に見ますと、今後の日本の進むべき道を模索する上で大きな役割を果たすことが十分期待される内容であったと思っております。
さて、私ども自由党の基本的な態度といたしましては、昨年八月三日のこの調査会における我が党の塩田委員の発言にありますように、現行憲法を改正するという立場でございます。改正するというか、むしろ二十一世紀を担う新しい憲法をつくるというのが我々の基本的な立場でございます。
そもそも、この調査会が設置された趣旨は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うためということでありました。その背景は、戦後五十年いろいろな意味で変化が起こっておるわけですが、特に冷戦の終えん、あるいは日本の東アジア地域における立場の変化、あるいは我が国が世界第二の経済大国にまで成長しましたが、その後、右肩上がりの経済が終息、終えんし、従来の経済社会システムでは対応し切れなくなってきていること、また、そういったことに応じまして国民の意識が大きく変化してきていることがあるものと思います。そうした国内外の環境の変化を見たときに、国家の基本法たる憲法自体も現実の変化への対応を迫られているのではないか、そのように私は考えておるわけでございます。
このような視点に立ちますと、今後の憲法調査会の運営につきましては、昨年の自由討議のときに塩田委員からも提案がありましたけれども、憲法の条文と現実との乖離の問題を明らかにしていくべきだろうと思っております。
これまで、二十一世紀の日本のあるべき姿について議論を積み重ねてきましたが、今後は、私は、各分野別にもう少し掘り下げて議論を進めていくべきではないか、こういうふうに考えております。今日、制定から五十余年を経た日本国憲法が想定していなかった重要な課題が山積しておるわけでございます。
まず、基本的人権についてでありますが、近代的立憲主義思想に基づく自由権の発想は、常に国家権力対国民という構図がベースにありましたが、現代では、国家のみならず私人や私的団体からの人権侵害が深刻な問題となってきております。
また、基本的人権は、国民に保障されるべきものであると同時に、国民が社会共同体の構成員として国家社会を維持し発展させるための公共財的性格を持つものであると思います。そういう位置づけをすることが必要になってきている、こういうふうに考えるわけであります。そのためには、人権制約の根拠とされてきた公共の福祉について深く議論し、その概念を明確にする必要があるというふうに考えております。
さらに、情報公開制度や、あるいはマスメディアが発達した現在では、国民の知る権利やプライバシー権を精査し、憲法に明示することも必要ではないかというふうに考えております。
また、外国人の人権保障とその限界についても、今後少子化が進む中で、我が国は外国人政策をどのように見据えてグローバル化時代に対応するかという、長期的な視野に立って検討しなければなりません。
また、経済的自由権についても、官主導ではない自由で公正な市場の確保をうたうことも必要ではないかと思います。また、そのような自由で公正な社会のもとで国民が創造性を発揮するためには、だれもが安心できる税制や基礎的社会保障の制度を整備していくことが重要である、こういうふうに考えております。
また、国民が良好な環境で生活することを保障する環境権を明確にするとともに、すべての国民が人類存続の基盤である地球環境の保全に全力を尽くす義務を負うことを定めた規定を設けるべきであるというふうにも考えております。
次に、安全保障の問題でありますが、冷戦の時代には、日米安全保障条約のもと、米国がソ連という明確な敵対国から同盟国である日本の独立と安全を守ってくれておりまして、日本は米軍の駐留に依存しているところが大きく、またそれなりに機能してきたという面がありました。しかし、冷戦終結後は、核の拡散、テロの多発、地域紛争の激化など、より突発的で不確実な要素が大きい危機の状況が東アジアにおいても危惧されるようになりました。
そのような中で、我が国が自国民の生命及び財産を守るには、自衛隊が明確に憲法上位置づけられ、内閣総理大臣の指揮権のもと迅速に活動ができるようにすることが必要であると思います。加えて、非常事態の制度を憲法に明記することも視野に入れるべきだと考えます。もちろん、自衛権の名のもとに、武力による威嚇またはその行使は一切認められないとする現行憲法九条の理念は継承すべきであると考えております。
そして、日本が平和を維持し存続させていくためには、国際社会との真の協調を図らなければなりません。そのための外交努力に全力を尽くし、また、国連平和維持活動を初めとする国連の平和活動への参加、協力体制を整備することも必要であると考えます。
次に、統治機構の問題です。我が国では、長らく行政国家現象と呼ばれる、行政が事実上国政を支配するという状況が続いてきました。しかし、我が国は議院内閣制を採用し、行政権たる内閣は、国会に対して責任を負っております。国会が実質的に国権の最高機関として機能するように、諸機関の抜本的な整備を行うべきであります。二院制をより意義のある形にしていくことも必要でありますし、情報技術の発展により容易となった国民投票等の直接民主制による補完によって議会制民主主義をより健全で強力なものとし、真の国民主権を確立することができると考えております。
この点に関しまして、首相公選制の問題が小泉総理から提案されていますが、私ども自由党は、天皇制との関係とかいろいろな問題がありますし、あるいは議院内閣制でも同様な政治は実現しようと思えばできる、現に小泉内閣はかなりそういった面が実現されているようでありますが、そういう考えから、私どもは首相公選制はその必要がないというふうに考えておる次第であります。
一方、行政権については、中央政府の役割は国家の維持と発展に必要かつ最小限のものとし、大胆な地方分権を進めることが必要であると考えます。
司法権は、現行憲法の枠内にとらわれず、国民への司法サービスの飛躍的な充実を目指す抜本的改革が必要です。我々は、憲法裁判所を設置し、立法だけでなく、司法も憲法問題を正面から扱い、我が国のあるべき姿について活発な議論を提起することが変化に対応する力を高めるものと思います。
この憲法との関係でいきますと、我々は改正手続をまず改正し、発議要件を各議院の過半数の要件に改める、これをまずやるべきではないかというふうに考えております。
それから、さきの仙台市における地方公聴会で、このままでは憲法調査会は五年間の憲法放談会に終わってしまうのではないかという危惧を述べる方がおられましたけれども、まさにそういうことのないように私どもはやっていかなければならない、こういうふうに考えておる次第でございます。頭から憲法改正に反対だという意見もあるようでございますけれども、我々は、そういう意見には賛同できないというふうに考えております。
以上、憲法調査会のあり方について意見を述べさせていただきましたが、国民をこの憲法議論の中に取り込んでいくということがこれから非常に重要なことではないかと思っておりまして、この国民のエネルギーこそが我が国にとっていろいろな意味で必要なものだというふうに考えております。
以上で私の意見を終わります。
中
春
春名直章#14
○春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
憲法調査会が発足して一年半が過ぎました。この間、二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマにした参考人質疑と、仙台市と神戸市での地方公聴会が開催されました。その中で何が明らかになり、何を今後の本調査会の調査に生かすべきか、このことを中心に発言したいと思います。
改めて申し上げますが、本調査会は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うことを目的としたものです。改憲のための調査機関ではありません。にもかかわらず、これまでの議論では、論憲だけに終わるのではなく、憲法改正の素案づくりまでこの調査会でやるべきなどの発言が繰り返し行われ、参考人への質疑もこうした立場で行っておられる同僚委員もいらっしゃいます。
しかし、この間の仙台市と神戸市の二回の地方公聴会で感じたことは、地方公聴会に出てこられた意見陳述人や傍聴者の多くの方々が、憲法をどう変えたらいいかではなくて、憲法の理念を現実の社会にどう生かしていくのか、このことを各人が模索し、苦労しながら実践されているということではなかったでしょうか。つまり、改憲志向と地方、国民の側の憲法意識には大きな乖離があるということが明らかになったと思います。
例えば、議論の焦点とされている憲法第九条についても、本調査会では少なくない委員の方々が九条の明文改憲を主張し、また、今日では、小泉総理も集団的自衛権の行使についての研究を提起しておられます。
しかし、仙台公聴会では、九条は今後ますます輝きを増してくる性質のものとの志村憲助東北大学名誉教授の意見。九条というのは教師の夢とロマンを語っていく、あすの日本の若者を育てるにはとても大切な条文という濱田武人弘前学院聖愛高校教諭の意見。それから、日本国憲法が一番すぐれているのは九条。基本的人権、自由、民主主義、社会権、生存権が見事に一体的なユニットをなして構成されているところが日本国憲法のすぐれたところとの小田中聰樹東北大学名誉教授の意見など、九条への思いとその先駆的な内容についてこもごも語られました。
さらに、神戸公聴会では、貝原俊民兵庫県知事の平和の技術の開発による国際貢献、浦部法穂神戸大学副学長の国家の安全保障から人間の安全保障への転換など、憲法の恒久平和主義に根差した積極的な提案がなされたのであります。
ことし五月二日付、朝日新聞世論調査でも、七四%の国民が憲法第九条は変えない方がよいと明確に答えております。本調査会での議論と国民意識との間に大きなギャップがあることを指摘せざるを得ません。
首相公選制についても、本調査会でたびたび論点の一つに取り上げられてまいりました。
仙台公聴会では、手島典男仙台経済同友会代表幹事が、議院内閣制においても立派な首相は選ばれる、憲法を変えてまで公選制に踏み切る必要があるのか疑問と述べられました。神戸公聴会でも、三人の自治体首長が、分権というものがはっきりしていないということでは公選制について少し早過ぎるのではないかと述べるなど、いずれも、首相公選制を論点に憲法論議を行うよりも、憲法理念に沿った地方分権の充実など、もっとやるべきことがあるはずという趣旨の意見が述べられたのであります。
国民の権利についても、本調査会では、知る権利、環境権などの新しい人権を加えることを改憲の論点の一つとして取り上げられることがあります。地方公聴会では、憲法にうたわなくても情報公開が不可能でないことは既に実証されているとの鹿野文永鹿島台町長の発言など、憲法の豊かな人権規定の中にこれら新しい人権も内包されているということが語られてまいりました。
むしろ、本調査会が今日注目しなければならないのは、去る五月の十一日、国の強制隔離政策は憲法違反と断罪したハンセン病の熊本判決であります。この判決は、強制隔離政策は、住居移転の自由を包括的に制限し、奴隷的拘束などの禁止を定めた憲法十八条よりも広い意味での人身の自由や、さらにはより広く憲法十三条に根拠を持つ人格権そのものに対する侵害であると判示しているのであります。そして、こうした人権侵害の隔離政策の継続を許してきた国会の立法不作為責任をも厳しく問うたのであります。
先日、国会は全会一致で謝罪決議を行いました。その国会に設置された憲法調査会として、今、日本国憲法のもとでの人権状況を調査することが何よりも強く求められていると考えます。生存権、労働基本権、財産権、教育権などの基本的人権がどうなっているのか、どういう状況に置かれているのか、憲法の視点からの現行の法制度あるいは運用の実態などを徹底して洗い直すことが本調査会に課せられた使命であります。
このことは神戸での地方公聴会でも多くの意見陳述者から提起されたことでもあります。神戸では、憲法二十五条の生存権規定からも、さらに十三条の個人の尊重という憲法の基底的な原理からも、当然要請されていた被災者に対する公的支援が実現されてこなかったことの問題が語られました。神戸で公聴会を開催したことが意義あるものになるためにも、公的支援の実現を阻害している要因についてぜひ本調査会で明らかにすべきだと思います。
長引く不況とリストラ、最悪の失業、連続する社会保障制度の改悪など、私たちは憲法の生存権を踏みにじるものだと批判してまいりました。国民の生きる権利そして国の責務は、憲法二十五条に照らしてどういう状況にあるのか、これが今調査の対象だと思います。読売新聞、四月五日付世論調査では、生存権が守られていないと実感している国民が、二十三年前の同調査の二四%から三六%へと急増しており、守られているの一六%を大きく上回ったことを報道しております。生存権を初めとした国民の権利の実態調査を本調査会で本格的に行うべきだと私は思います。
今、本調査会に関心を寄せている国民からは、本調査会がまるで憲法改正のために調査を行っているかのようなその様子に憂慮する意見が出され、地方公聴会開催に当たっても、国民の意見を十分聞く機会もない公聴会は形式的で、改憲のための道筋をつけるために開催しているのではないかとする厳しい批判の意見が少なくなく寄せられております。
そして、憲法調査会は、本来憲法改正を目的とする機関ではなく、憲法調査というのであれば、憲法の基本である平和主義、基本的人権の保障、民主主義などが現実の社会で実現されているのか否か、現実の社会では憲法の理念が十分に生かされていない実態やその原因を調査すべきであるとの意見も寄せられております。
中山会長も日ごろから、憲法は国民のためにあると述べておられます。今こそこうした国民の意見に真摯に耳を傾け、国民の目線に立って調査会の調査のあり方や内容を見直していくことが必要であると強く痛感をするものであります。
このことを主張いたしまして、私の発言といたします。ありがとうございました。
この発言だけを見る →憲法調査会が発足して一年半が過ぎました。この間、二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマにした参考人質疑と、仙台市と神戸市での地方公聴会が開催されました。その中で何が明らかになり、何を今後の本調査会の調査に生かすべきか、このことを中心に発言したいと思います。
改めて申し上げますが、本調査会は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うことを目的としたものです。改憲のための調査機関ではありません。にもかかわらず、これまでの議論では、論憲だけに終わるのではなく、憲法改正の素案づくりまでこの調査会でやるべきなどの発言が繰り返し行われ、参考人への質疑もこうした立場で行っておられる同僚委員もいらっしゃいます。
しかし、この間の仙台市と神戸市の二回の地方公聴会で感じたことは、地方公聴会に出てこられた意見陳述人や傍聴者の多くの方々が、憲法をどう変えたらいいかではなくて、憲法の理念を現実の社会にどう生かしていくのか、このことを各人が模索し、苦労しながら実践されているということではなかったでしょうか。つまり、改憲志向と地方、国民の側の憲法意識には大きな乖離があるということが明らかになったと思います。
例えば、議論の焦点とされている憲法第九条についても、本調査会では少なくない委員の方々が九条の明文改憲を主張し、また、今日では、小泉総理も集団的自衛権の行使についての研究を提起しておられます。
しかし、仙台公聴会では、九条は今後ますます輝きを増してくる性質のものとの志村憲助東北大学名誉教授の意見。九条というのは教師の夢とロマンを語っていく、あすの日本の若者を育てるにはとても大切な条文という濱田武人弘前学院聖愛高校教諭の意見。それから、日本国憲法が一番すぐれているのは九条。基本的人権、自由、民主主義、社会権、生存権が見事に一体的なユニットをなして構成されているところが日本国憲法のすぐれたところとの小田中聰樹東北大学名誉教授の意見など、九条への思いとその先駆的な内容についてこもごも語られました。
さらに、神戸公聴会では、貝原俊民兵庫県知事の平和の技術の開発による国際貢献、浦部法穂神戸大学副学長の国家の安全保障から人間の安全保障への転換など、憲法の恒久平和主義に根差した積極的な提案がなされたのであります。
ことし五月二日付、朝日新聞世論調査でも、七四%の国民が憲法第九条は変えない方がよいと明確に答えております。本調査会での議論と国民意識との間に大きなギャップがあることを指摘せざるを得ません。
首相公選制についても、本調査会でたびたび論点の一つに取り上げられてまいりました。
仙台公聴会では、手島典男仙台経済同友会代表幹事が、議院内閣制においても立派な首相は選ばれる、憲法を変えてまで公選制に踏み切る必要があるのか疑問と述べられました。神戸公聴会でも、三人の自治体首長が、分権というものがはっきりしていないということでは公選制について少し早過ぎるのではないかと述べるなど、いずれも、首相公選制を論点に憲法論議を行うよりも、憲法理念に沿った地方分権の充実など、もっとやるべきことがあるはずという趣旨の意見が述べられたのであります。
国民の権利についても、本調査会では、知る権利、環境権などの新しい人権を加えることを改憲の論点の一つとして取り上げられることがあります。地方公聴会では、憲法にうたわなくても情報公開が不可能でないことは既に実証されているとの鹿野文永鹿島台町長の発言など、憲法の豊かな人権規定の中にこれら新しい人権も内包されているということが語られてまいりました。
むしろ、本調査会が今日注目しなければならないのは、去る五月の十一日、国の強制隔離政策は憲法違反と断罪したハンセン病の熊本判決であります。この判決は、強制隔離政策は、住居移転の自由を包括的に制限し、奴隷的拘束などの禁止を定めた憲法十八条よりも広い意味での人身の自由や、さらにはより広く憲法十三条に根拠を持つ人格権そのものに対する侵害であると判示しているのであります。そして、こうした人権侵害の隔離政策の継続を許してきた国会の立法不作為責任をも厳しく問うたのであります。
先日、国会は全会一致で謝罪決議を行いました。その国会に設置された憲法調査会として、今、日本国憲法のもとでの人権状況を調査することが何よりも強く求められていると考えます。生存権、労働基本権、財産権、教育権などの基本的人権がどうなっているのか、どういう状況に置かれているのか、憲法の視点からの現行の法制度あるいは運用の実態などを徹底して洗い直すことが本調査会に課せられた使命であります。
このことは神戸での地方公聴会でも多くの意見陳述者から提起されたことでもあります。神戸では、憲法二十五条の生存権規定からも、さらに十三条の個人の尊重という憲法の基底的な原理からも、当然要請されていた被災者に対する公的支援が実現されてこなかったことの問題が語られました。神戸で公聴会を開催したことが意義あるものになるためにも、公的支援の実現を阻害している要因についてぜひ本調査会で明らかにすべきだと思います。
長引く不況とリストラ、最悪の失業、連続する社会保障制度の改悪など、私たちは憲法の生存権を踏みにじるものだと批判してまいりました。国民の生きる権利そして国の責務は、憲法二十五条に照らしてどういう状況にあるのか、これが今調査の対象だと思います。読売新聞、四月五日付世論調査では、生存権が守られていないと実感している国民が、二十三年前の同調査の二四%から三六%へと急増しており、守られているの一六%を大きく上回ったことを報道しております。生存権を初めとした国民の権利の実態調査を本調査会で本格的に行うべきだと私は思います。
今、本調査会に関心を寄せている国民からは、本調査会がまるで憲法改正のために調査を行っているかのようなその様子に憂慮する意見が出され、地方公聴会開催に当たっても、国民の意見を十分聞く機会もない公聴会は形式的で、改憲のための道筋をつけるために開催しているのではないかとする厳しい批判の意見が少なくなく寄せられております。
そして、憲法調査会は、本来憲法改正を目的とする機関ではなく、憲法調査というのであれば、憲法の基本である平和主義、基本的人権の保障、民主主義などが現実の社会で実現されているのか否か、現実の社会では憲法の理念が十分に生かされていない実態やその原因を調査すべきであるとの意見も寄せられております。
中山会長も日ごろから、憲法は国民のためにあると述べておられます。今こそこうした国民の意見に真摯に耳を傾け、国民の目線に立って調査会の調査のあり方や内容を見直していくことが必要であると強く痛感をするものであります。
このことを主張いたしまして、私の発言といたします。ありがとうございました。
中
東
東門美津子#16
○東門委員 社会民主党の東門美津子でございます。
私は、沖縄と憲法について述べたいと思います。
ことしもまた、沖縄が過ぎし戦争を思い、未来永劫の平和を祈念する季節になりました。四月から六月にかけてのこの三カ月間、県民にとって恐怖の記憶と鎮魂の祈り、そしてさらにやりきれない怒りと不安、焦燥感が複雑に交錯する季節です。何とかして、我々自身が不運だった歴史、負の遺産を克服して、後世に平和な世界を残さなくてはならないと決意を新たにする季節でもあります。
一九四五年四月一日は、三月末の慶良間列島の悲惨な集団自決を経て米軍が沖縄本島に上陸した日です。その日から鉄の暴風が吹き荒れ、三カ月後の六月二十三日は、沖縄の終戦記念日で沖縄慰霊の日。一九五二年四月二十八日は、戦争の結果、沖縄を長期にアメリカの施政権下に置くことになったサンフランシスコ平和条約発効の日です。それから二十年後の一九七二年五月十五日、日本に復帰した記念日はことしで二十九回目になりました。その間に、五月三日の憲法記念日があります。これは七二年の復帰後の施行ですから、記念日は一九七三年が第一回のはずですが、実際には憲法が高ねの花であった一九六五年に、日本国憲法の施行を記念し沖縄への適用を期すると、当時の立法機関、立法院で全会一致で決議して住民の祝日とした歴史があります。ですから、ことしは二十九回目ではなく、三十七回目の記念日になります。つまり、沖縄にとって憲法は、県民総意でみずから積極的に選んだものなのです。
戦後五十六年がたちました。この間、沖縄は、国策によって分断され、自由を奪われ、犠牲を強要されながら、それと闘い続けた五十六年であり、今なお闘い続けています。太平洋戦争敗北から占領の七年、サンフランシスコ講和条約によって北緯二十九度線で日本から分断され、天皇メッセージによって米軍直接支配にゆだねられた二十年、そして、人々の反戦復帰の願いもむなしく、今なお米国の世界戦略基地であり、そして人々の生きる権利が侵害され続けている施政権返還後の二十九年です。
数えてみれば、占領、軍事支配の二十七年よりも、返還後、復帰後の方が二年ほど長くなりましたが、人々の暮らしはどうでしょうか。温暖な気候の沖縄では、街路樹のデイゴ、フクギ、ヤシの木など、しっかり手をかけて植えつければ、およそ二年で活着し、日陰をつくり、花を咲かせ、心を和ませてくれます。適用から二十九年たった憲法はどうでしょうか。平和主義、基本的人権の尊重、そして地方自治は、沖縄の人々の暮らしに根づき、そして心のよりどころとなっているでしょうか。
ここで、米施政権下での平和的生存権を検証してみたいと思います。
壮絶な地上戦が行われた沖縄には、敗戦後もそのまま占領軍が居座り、朝鮮戦争を契機に、次々と新たな基地建設が図られ、布令百九号、土地収用令を公布し、抵抗する住民に銃剣を突きつけ、家屋をブルドーザーでひきつぶすという強硬手段で軍用地を接収していきました。抵抗した住民と完全武装した米軍との間で流血の騒ぎが繰り返されました。
一九六五年、アメリカのベトナム戦争への本格的介入に呼応して、沖縄基地はますます拡大されていきました。米国の核戦略基地として、毒ガスが持ち込まれ、B52爆撃機が飛来し、連日、ベトナム爆撃が繰り返され、太平洋戦争で大変な被害を受けた沖縄が、今度はベトナムの人々への加害の島と化していきました。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、その他アメリカが行う世界戦略で、沖縄基地は常に太平洋のかなめ石として位置づけられ、兵たん補給基地、発進作戦基地、輸送、通信の中継基地、訓練基地など、不沈空母沖縄として機能しました。
土地取り上げ反対、ベトナム戦争反対闘争とともに、人間らしく生活したい、平和な島を取り戻したいという熱い反戦平和の願望は、やがて祖国復帰運動へと集約されていきました。それは、主権在民、平和主義、基本的人権を高らかに掲げた再生日本への復帰であり、その当時人々が掲げた日の丸の小旗は、そのシンボルでした。
一九七二年五月十五日、沖縄の施政権は日本に返還されましたが、その内実は、県民の期待を裏切るもので、日米政府の返還協定に見られるとおり、米国主導による、人々の悲願を逆手にとった、米軍基地の恒久的な強化案でした。返還までの二十七年間、米国の世界戦略の展開と深くかかわる基地周辺の住民は、前線へ向かう荒れすさんだ米兵によるおびただしい事件、事故、凶悪犯罪と人権侵害に苦しめられ、環境汚染に泣かされました。七二年の日本復帰は、平和憲法のもとへの復帰であり、沖縄にとって、名実ともに一大転機となるはずのものでした。復帰に際し、県民が切実に求めたのは、少なくとも本土並みの基地の縮小であり、人権の回復、自治の確立でありました。
しかしながら、復帰後二十九年たった現在も、沖縄の状況はほとんど変わっていません。依然として、広大かつ過密な基地は存在し、基地に起因する事件、事故や基地公害も絶えることなく発生しています。米兵による殺人、放火、女性や子供に対する性暴力、航空機騒音、実弾射撃演習による環境破壊、有害物質による水質、土壌汚染等、危険と隣り合わせの生活を県民は余儀なくされています。これは、県民が望んだ日本復帰とはほど遠いものです。
在日米軍地位協定第二条は、安保条約に基づき、日本国内のどこにでも基地を置くことが許される、全土基地方式と言われています。ですから、なぜ沖縄だけが過重な負担を背負わなければならないのか、理解に苦しむのです。安保条約が日本にとって重要だというのであれば、その責任と負担は全国民で引き受けるべきではないかと思っています。そうでなければ、それは差別であり、法のもとの平等に反するのではないかと沖縄県民は主張しているのです。
復帰に際し、国会では、速やかに基地の整理縮小を行う趣旨の決議が採択されましたが、それはほとんど実現しませんでした。沖縄に基地があるというより、基地の中に沖縄があると、ある著名なアメリカ人記者をして言わしめたように、沖縄の軍事基地は過密をきわめています。
沖縄の面積は国土面積の〇・六%にすぎませんが、在日米軍の専用施設の約七五%がこの狭い県土に集中しています。米軍基地は、県土総面積の約一一%、沖縄本島の約二〇%を占めていますが、とりわけ、基地施設は日本でも有数な人口稠密地域である沖縄本島中南部に集中しています。その上、地位協定によって、二十九カ所の水域と十五カ所の空域も米軍の管理下に置かれています。その結果、陸地だけでなく海も空も自由に使えず、これでも主権国家と言えるのだろうかと県民は疑問を抱いています。
一体、いつから日本は、主権在民と民主主義、平和主義を放棄し、米国に追随し、国民を締めつける道をたどり始めたのでしょうか。沖縄の人々が追い求め、探し求めた祖国、再生日本はこんなものではなく、世界に向かって高らかに積極的平和主義を誓った、誇りと気品のある社会だったのです。
日米安保条約を締結した自民党政権の外交政策は、アメリカの核の傘意識がありました。その前提には、もし敵国が撃ってきたら撃ち返す、目には目を、力には力でという武力によるバランス意識が根底にありますが、日本は、敗戦ですべてが灰じんに帰した時点で、二度と武力行使はしないと世界に誓ったのです。軍事バランス論が際限のない軍備拡張を招くことは、東西冷戦時代の米ソの軍拡競争が既に実証しています。
世界で初めて原子爆弾の被害を受けた日本、中国、朝鮮を初めアジア諸国を侵略し、多くの犠牲者を出し、その経験を踏まえて戦争放棄を誓った日本がアジアや世界の人々から信頼される唯一の道は、たとえ正義の戦争と米国が判断しようとも、他国と同じように武器をとって殺し合うことではなく、徹底して非戦、不戦に徹することではないでしょうか。そして、同じ思いの非戦、不戦国家を一つでも二つでもふやしていく努力を、日ごろから交流でつくり出す努力が大切ではないでしょうか。
今、憲法調査会でなすべきことは、憲法を改定するための議論ではなく、世界に誇る規範を持つ憲法がありながら、なぜいまだに差別がなくならないのか、なぜ人権が脅かされ、安心して平和に暮らすことができないのか、憲法が暮らしの中に生き生きと輝いていないのはなぜなのかを検証するための真剣な調査が行われるべきだと私は思います。
この発言だけを見る →私は、沖縄と憲法について述べたいと思います。
ことしもまた、沖縄が過ぎし戦争を思い、未来永劫の平和を祈念する季節になりました。四月から六月にかけてのこの三カ月間、県民にとって恐怖の記憶と鎮魂の祈り、そしてさらにやりきれない怒りと不安、焦燥感が複雑に交錯する季節です。何とかして、我々自身が不運だった歴史、負の遺産を克服して、後世に平和な世界を残さなくてはならないと決意を新たにする季節でもあります。
一九四五年四月一日は、三月末の慶良間列島の悲惨な集団自決を経て米軍が沖縄本島に上陸した日です。その日から鉄の暴風が吹き荒れ、三カ月後の六月二十三日は、沖縄の終戦記念日で沖縄慰霊の日。一九五二年四月二十八日は、戦争の結果、沖縄を長期にアメリカの施政権下に置くことになったサンフランシスコ平和条約発効の日です。それから二十年後の一九七二年五月十五日、日本に復帰した記念日はことしで二十九回目になりました。その間に、五月三日の憲法記念日があります。これは七二年の復帰後の施行ですから、記念日は一九七三年が第一回のはずですが、実際には憲法が高ねの花であった一九六五年に、日本国憲法の施行を記念し沖縄への適用を期すると、当時の立法機関、立法院で全会一致で決議して住民の祝日とした歴史があります。ですから、ことしは二十九回目ではなく、三十七回目の記念日になります。つまり、沖縄にとって憲法は、県民総意でみずから積極的に選んだものなのです。
戦後五十六年がたちました。この間、沖縄は、国策によって分断され、自由を奪われ、犠牲を強要されながら、それと闘い続けた五十六年であり、今なお闘い続けています。太平洋戦争敗北から占領の七年、サンフランシスコ講和条約によって北緯二十九度線で日本から分断され、天皇メッセージによって米軍直接支配にゆだねられた二十年、そして、人々の反戦復帰の願いもむなしく、今なお米国の世界戦略基地であり、そして人々の生きる権利が侵害され続けている施政権返還後の二十九年です。
数えてみれば、占領、軍事支配の二十七年よりも、返還後、復帰後の方が二年ほど長くなりましたが、人々の暮らしはどうでしょうか。温暖な気候の沖縄では、街路樹のデイゴ、フクギ、ヤシの木など、しっかり手をかけて植えつければ、およそ二年で活着し、日陰をつくり、花を咲かせ、心を和ませてくれます。適用から二十九年たった憲法はどうでしょうか。平和主義、基本的人権の尊重、そして地方自治は、沖縄の人々の暮らしに根づき、そして心のよりどころとなっているでしょうか。
ここで、米施政権下での平和的生存権を検証してみたいと思います。
壮絶な地上戦が行われた沖縄には、敗戦後もそのまま占領軍が居座り、朝鮮戦争を契機に、次々と新たな基地建設が図られ、布令百九号、土地収用令を公布し、抵抗する住民に銃剣を突きつけ、家屋をブルドーザーでひきつぶすという強硬手段で軍用地を接収していきました。抵抗した住民と完全武装した米軍との間で流血の騒ぎが繰り返されました。
一九六五年、アメリカのベトナム戦争への本格的介入に呼応して、沖縄基地はますます拡大されていきました。米国の核戦略基地として、毒ガスが持ち込まれ、B52爆撃機が飛来し、連日、ベトナム爆撃が繰り返され、太平洋戦争で大変な被害を受けた沖縄が、今度はベトナムの人々への加害の島と化していきました。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、その他アメリカが行う世界戦略で、沖縄基地は常に太平洋のかなめ石として位置づけられ、兵たん補給基地、発進作戦基地、輸送、通信の中継基地、訓練基地など、不沈空母沖縄として機能しました。
土地取り上げ反対、ベトナム戦争反対闘争とともに、人間らしく生活したい、平和な島を取り戻したいという熱い反戦平和の願望は、やがて祖国復帰運動へと集約されていきました。それは、主権在民、平和主義、基本的人権を高らかに掲げた再生日本への復帰であり、その当時人々が掲げた日の丸の小旗は、そのシンボルでした。
一九七二年五月十五日、沖縄の施政権は日本に返還されましたが、その内実は、県民の期待を裏切るもので、日米政府の返還協定に見られるとおり、米国主導による、人々の悲願を逆手にとった、米軍基地の恒久的な強化案でした。返還までの二十七年間、米国の世界戦略の展開と深くかかわる基地周辺の住民は、前線へ向かう荒れすさんだ米兵によるおびただしい事件、事故、凶悪犯罪と人権侵害に苦しめられ、環境汚染に泣かされました。七二年の日本復帰は、平和憲法のもとへの復帰であり、沖縄にとって、名実ともに一大転機となるはずのものでした。復帰に際し、県民が切実に求めたのは、少なくとも本土並みの基地の縮小であり、人権の回復、自治の確立でありました。
しかしながら、復帰後二十九年たった現在も、沖縄の状況はほとんど変わっていません。依然として、広大かつ過密な基地は存在し、基地に起因する事件、事故や基地公害も絶えることなく発生しています。米兵による殺人、放火、女性や子供に対する性暴力、航空機騒音、実弾射撃演習による環境破壊、有害物質による水質、土壌汚染等、危険と隣り合わせの生活を県民は余儀なくされています。これは、県民が望んだ日本復帰とはほど遠いものです。
在日米軍地位協定第二条は、安保条約に基づき、日本国内のどこにでも基地を置くことが許される、全土基地方式と言われています。ですから、なぜ沖縄だけが過重な負担を背負わなければならないのか、理解に苦しむのです。安保条約が日本にとって重要だというのであれば、その責任と負担は全国民で引き受けるべきではないかと思っています。そうでなければ、それは差別であり、法のもとの平等に反するのではないかと沖縄県民は主張しているのです。
復帰に際し、国会では、速やかに基地の整理縮小を行う趣旨の決議が採択されましたが、それはほとんど実現しませんでした。沖縄に基地があるというより、基地の中に沖縄があると、ある著名なアメリカ人記者をして言わしめたように、沖縄の軍事基地は過密をきわめています。
沖縄の面積は国土面積の〇・六%にすぎませんが、在日米軍の専用施設の約七五%がこの狭い県土に集中しています。米軍基地は、県土総面積の約一一%、沖縄本島の約二〇%を占めていますが、とりわけ、基地施設は日本でも有数な人口稠密地域である沖縄本島中南部に集中しています。その上、地位協定によって、二十九カ所の水域と十五カ所の空域も米軍の管理下に置かれています。その結果、陸地だけでなく海も空も自由に使えず、これでも主権国家と言えるのだろうかと県民は疑問を抱いています。
一体、いつから日本は、主権在民と民主主義、平和主義を放棄し、米国に追随し、国民を締めつける道をたどり始めたのでしょうか。沖縄の人々が追い求め、探し求めた祖国、再生日本はこんなものではなく、世界に向かって高らかに積極的平和主義を誓った、誇りと気品のある社会だったのです。
日米安保条約を締結した自民党政権の外交政策は、アメリカの核の傘意識がありました。その前提には、もし敵国が撃ってきたら撃ち返す、目には目を、力には力でという武力によるバランス意識が根底にありますが、日本は、敗戦ですべてが灰じんに帰した時点で、二度と武力行使はしないと世界に誓ったのです。軍事バランス論が際限のない軍備拡張を招くことは、東西冷戦時代の米ソの軍拡競争が既に実証しています。
世界で初めて原子爆弾の被害を受けた日本、中国、朝鮮を初めアジア諸国を侵略し、多くの犠牲者を出し、その経験を踏まえて戦争放棄を誓った日本がアジアや世界の人々から信頼される唯一の道は、たとえ正義の戦争と米国が判断しようとも、他国と同じように武器をとって殺し合うことではなく、徹底して非戦、不戦に徹することではないでしょうか。そして、同じ思いの非戦、不戦国家を一つでも二つでもふやしていく努力を、日ごろから交流でつくり出す努力が大切ではないでしょうか。
今、憲法調査会でなすべきことは、憲法を改定するための議論ではなく、世界に誇る規範を持つ憲法がありながら、なぜいまだに差別がなくならないのか、なぜ人権が脅かされ、安心して平和に暮らすことができないのか、憲法が暮らしの中に生き生きと輝いていないのはなぜなのかを検証するための真剣な調査が行われるべきだと私は思います。
中
松
松浪健四郎#18
○松浪委員 保守党の松浪健四郎でございます。
私は、基本的人権について述べさせていただきたいと思います。
一九四八年に制定された世界人権宣言は、次のような文章で始まっています。「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」、こうあるわけであります。そして、日本国憲法は、第十一条で基本的人権の原則規定を設けておりますし、九十七条では、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、」「過去幾多の試錬に堪へ、」云々とあります。
私は、この基本的人権の問題、これは極めて大切な問題である、こういうふうに認識するものでありますけれども、きょう新聞を開いてみますと、このような記事がありました。田中眞紀子外相は、「国会での質疑の際の報道各社のカメラ取材を規制するよう、代理人である弁護士を通じ衆参両院事務総長らに文書で要請した。」これは個人的な一挙一動がねらいで、追っかけ取材は人権侵害に当たる、こういう抗議である、このように思います。そしてまた、きょうの新聞広告に大きく、「野放しだった「凶暴男」を「人権のカベ」で無罪放免するのか」、このように報道されておりました。
このような、毎日のように新聞に人権の問題が報じられておりますし、また、せんだっては、ハンセン病患者、元患者らに対する熊本地裁の判決、これは明らかに人権侵害についてのものであった、こういうふうに認識いたしますし、北海道のあるふろ屋さんでは、外国人お断りというポスターを張って外国人を締め出すというふうなことも大きな問題になったのは、皆さん御案内のとおりであります。
そしてまた、大きなニュースとして報じられたことに、ネパールの王室でのあの問題がありました。あの問題は、報じられるところによりますと、王子のフィアンセがカーストの低い女性であったがために結婚の反対をされてあの事件を生んだ、こういうふうに報じられております。ヒンズー教徒のカーストの問題、これは私たちはどうすることもできませんけれども、今もヒンズー教徒の中に大きく横たわっている問題であるのは事実であります。
そして、一九七八年にアフガニスタンで革命が起こりました。以来、紛争は今も、ずっと二十数年間続いてまいりました。最初はイデオロギー対立のように映りました紛争でありましたけれども、今日の紛争は、やはり民族対立の様相を呈しております。しかし、よく見ますと、その民族も、ヒンズー教徒のようなカーストではありませんけれども、歴然とした差別があります。
このような差別が今もあって、そして不幸にも大きな紛争を生み、国連もどうすることもできない状況にある。このことを大変残念に思いますけれども、世界の人々はこの紛争の問題も何ら手をつけることができないでいる。これだけ基本的人権、世界の人々が理解しているにもかかわらず、どうしようもない。また、他人事である、こういうふうにとらえている一面もあるような気がしてなりません。私たちが幾ら人権運動をやっても、また国連がそのことを唱えても世界に徹底することができない、このことを大変残念に思うものであります。
そして、昨日の夕刊によりますれば、オウム真理教は、団体規制法は違憲であるということで、きのう初めて司法の判断が出されました。そして、団体規制法の限定運用も指摘されたところでありますけれども、これも基本的人権の問題、そして、憲法第二十条の信教の自由、これらの問題をもはらんでおります。私たちは、いろいろな法律の中において、基本的人権の問題をもっと真摯に考えていかなければならないということを毎日のように教えられているわけであります。
そして昨日、文部科学委員会では、学校教育法の一部を改正する法律案など教育三法が通過いたしました。ここで問題になりましたのは、社会奉仕体験活動、自然体験活動、これらは極めて強制的であって、国連の子ども権利条約に違反するし、子供の人権を無視するものであるという意見が一部の議員から提案されました。これが本当に人権無視になるんだろうか、それとも高い教育効果をねらった法改正であるのか、議論が沸騰いたしましたけれども、いずれにいたしましても、私たちは人権というものを無視することができないでいるわけであります。
昨年の暮れに、人権教育・人権啓発を推進する法律が成立いたしました。私もこの法律の提案者でありました。これは、いまだに人権教育、人権啓発が十分ではなくて、全国的に差別が横たわっておる、いろいろな差別がある、身体障害者に対しての差別、またエイズの人々に対する差別、そして部落の出身者に対する差別等いろいろな問題があるがゆえに立法的措置を講じなければならないという視点で、この人権教育・人権啓発を推進する法律が生まれたところであります。
そしてまた、この前は、人権擁護推進審議会は、仮称人権委員会というものをつくるべきだという答申を出されました。これは憲法第十四条と深くかかわるものでありますけれども、これも、差別を受けた人たちをどのような形で救済していかなければならないかという大きな問題を抱え、それに対応しようとする委員会であります。強い調査権を持つ委員会にし、政府から独立したものにしようとする考え方が横たわっております。これも、基本的人権の問題が我が国にあっては十分国民の中に理解されていない、そういう発想のもとで設けられるんだ、私はこのように思います。
そして、部落解放同盟の人たちは、ずっと部落解放基本法の制定を強く望んでおります。この人たちの言い分は、いまだに自分たちは差別をされている、大変つらい思いをしておる、憲法第十一条が生かされていない、第十四条が生かされていないという強い思いであります。もちろん、これらの考え方を補完する意味で、また補遺するためにたくさんの法律がつくられてまいりました。しかし、本当に十分であるのか、このことを我々国民はもっともっと真剣に考えていかなければならない問題だ、こういうふうに思います。
当調査会にありましては、この基本的人権の問題について、さらに深く調査を進めていく必要がある、このように強く思うものであります。
そして、もう一つの大きな問題は、公の問題と個の問題であろう、こういうふうに思っております。これらの問題についても、本調査会ではさらなる調査を進めていく必要がある、このように認識するものであります。
いずれにいたしましても、この調査会の果たしてきた役割、今までの役割は大きなものがあったということと、それを運営されてまいりました会長に敬意を表して、私の報告とさせていただきます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →私は、基本的人権について述べさせていただきたいと思います。
一九四八年に制定された世界人権宣言は、次のような文章で始まっています。「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」、こうあるわけであります。そして、日本国憲法は、第十一条で基本的人権の原則規定を設けておりますし、九十七条では、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、」「過去幾多の試錬に堪へ、」云々とあります。
私は、この基本的人権の問題、これは極めて大切な問題である、こういうふうに認識するものでありますけれども、きょう新聞を開いてみますと、このような記事がありました。田中眞紀子外相は、「国会での質疑の際の報道各社のカメラ取材を規制するよう、代理人である弁護士を通じ衆参両院事務総長らに文書で要請した。」これは個人的な一挙一動がねらいで、追っかけ取材は人権侵害に当たる、こういう抗議である、このように思います。そしてまた、きょうの新聞広告に大きく、「野放しだった「凶暴男」を「人権のカベ」で無罪放免するのか」、このように報道されておりました。
このような、毎日のように新聞に人権の問題が報じられておりますし、また、せんだっては、ハンセン病患者、元患者らに対する熊本地裁の判決、これは明らかに人権侵害についてのものであった、こういうふうに認識いたしますし、北海道のあるふろ屋さんでは、外国人お断りというポスターを張って外国人を締め出すというふうなことも大きな問題になったのは、皆さん御案内のとおりであります。
そしてまた、大きなニュースとして報じられたことに、ネパールの王室でのあの問題がありました。あの問題は、報じられるところによりますと、王子のフィアンセがカーストの低い女性であったがために結婚の反対をされてあの事件を生んだ、こういうふうに報じられております。ヒンズー教徒のカーストの問題、これは私たちはどうすることもできませんけれども、今もヒンズー教徒の中に大きく横たわっている問題であるのは事実であります。
そして、一九七八年にアフガニスタンで革命が起こりました。以来、紛争は今も、ずっと二十数年間続いてまいりました。最初はイデオロギー対立のように映りました紛争でありましたけれども、今日の紛争は、やはり民族対立の様相を呈しております。しかし、よく見ますと、その民族も、ヒンズー教徒のようなカーストではありませんけれども、歴然とした差別があります。
このような差別が今もあって、そして不幸にも大きな紛争を生み、国連もどうすることもできない状況にある。このことを大変残念に思いますけれども、世界の人々はこの紛争の問題も何ら手をつけることができないでいる。これだけ基本的人権、世界の人々が理解しているにもかかわらず、どうしようもない。また、他人事である、こういうふうにとらえている一面もあるような気がしてなりません。私たちが幾ら人権運動をやっても、また国連がそのことを唱えても世界に徹底することができない、このことを大変残念に思うものであります。
そして、昨日の夕刊によりますれば、オウム真理教は、団体規制法は違憲であるということで、きのう初めて司法の判断が出されました。そして、団体規制法の限定運用も指摘されたところでありますけれども、これも基本的人権の問題、そして、憲法第二十条の信教の自由、これらの問題をもはらんでおります。私たちは、いろいろな法律の中において、基本的人権の問題をもっと真摯に考えていかなければならないということを毎日のように教えられているわけであります。
そして昨日、文部科学委員会では、学校教育法の一部を改正する法律案など教育三法が通過いたしました。ここで問題になりましたのは、社会奉仕体験活動、自然体験活動、これらは極めて強制的であって、国連の子ども権利条約に違反するし、子供の人権を無視するものであるという意見が一部の議員から提案されました。これが本当に人権無視になるんだろうか、それとも高い教育効果をねらった法改正であるのか、議論が沸騰いたしましたけれども、いずれにいたしましても、私たちは人権というものを無視することができないでいるわけであります。
昨年の暮れに、人権教育・人権啓発を推進する法律が成立いたしました。私もこの法律の提案者でありました。これは、いまだに人権教育、人権啓発が十分ではなくて、全国的に差別が横たわっておる、いろいろな差別がある、身体障害者に対しての差別、またエイズの人々に対する差別、そして部落の出身者に対する差別等いろいろな問題があるがゆえに立法的措置を講じなければならないという視点で、この人権教育・人権啓発を推進する法律が生まれたところであります。
そしてまた、この前は、人権擁護推進審議会は、仮称人権委員会というものをつくるべきだという答申を出されました。これは憲法第十四条と深くかかわるものでありますけれども、これも、差別を受けた人たちをどのような形で救済していかなければならないかという大きな問題を抱え、それに対応しようとする委員会であります。強い調査権を持つ委員会にし、政府から独立したものにしようとする考え方が横たわっております。これも、基本的人権の問題が我が国にあっては十分国民の中に理解されていない、そういう発想のもとで設けられるんだ、私はこのように思います。
そして、部落解放同盟の人たちは、ずっと部落解放基本法の制定を強く望んでおります。この人たちの言い分は、いまだに自分たちは差別をされている、大変つらい思いをしておる、憲法第十一条が生かされていない、第十四条が生かされていないという強い思いであります。もちろん、これらの考え方を補完する意味で、また補遺するためにたくさんの法律がつくられてまいりました。しかし、本当に十分であるのか、このことを我々国民はもっともっと真剣に考えていかなければならない問題だ、こういうふうに思います。
当調査会にありましては、この基本的人権の問題について、さらに深く調査を進めていく必要がある、このように強く思うものであります。
そして、もう一つの大きな問題は、公の問題と個の問題であろう、こういうふうに思っております。これらの問題についても、本調査会ではさらなる調査を進めていく必要がある、このように認識するものであります。
いずれにいたしましても、この調査会の果たしてきた役割、今までの役割は大きなものがあったということと、それを運営されてまいりました会長に敬意を表して、私の報告とさせていただきます。ありがとうございました。
中
近
近藤基彦#20
○近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤基彦でございます。
私は、この調査会に、委員に入れていただきましてからちょうど一年になります。その間、幹事会にも参加をさせていただいており、中山会長、鹿野会長代理、葉梨筆頭を初めとする皆様方の大変公平で公正な会の運営を心より感謝を申し上げるものでありますし、また、今後とも同様の会の運営に期待を申し上げておりますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。
さて、私どもの21世紀クラブというのは大変人数の少ない会派ではありますが、憲法の話になるとやはりそれぞれの思いがあるようであり、改憲から護憲まで、それぞれの考え方を持っていらっしゃる先生方がいらっしゃるということで、毎回熱心な議論となっております。
ただ、一点に関してだけは意見が一致をする点があります。それは、この憲法が非常に読みにくくてわかりにくいということであります。最高法規でありますから、尊厳のある言葉で書いてあるべきだということはよくわかるのでありますけれども、内容や解釈を変えずに、もう少しだれにでもわかる言葉で書いてある副読本的なものがあれば、子供たちから大人までもっと現憲法に興味を持ち、そして理解を深めていただけるんではないかと思うものであります。
そんなことを話している折に、本屋さんでこんな本を見つけました。もう皆さん方もごらんになった方もたくさんいらっしゃると思いますけれども、「あたらしい憲法のはなし」という本であります。これは、一九四七年、昭和二十二年の八月に文部省が発行いたしました、中学一年生用の社会科の教科書を復刊したものであります。ただ、これは一九五二年、昭和二十七年の三月までのたった数年間だけ使用されたものであります。これを読んでいただけばわかるんですが、この本の一部には、やはり現在の解釈と若干異なる表現や、現在では若干不適当と思われる部分もあるのですけれども、終戦直後に書かれたものであり、何とか子供たちにも新しい憲法を理解してもらおうという当時の熱意が感じられる内容になっているものと思います。
少しだけ御紹介をさせていただきますと、この本は十五の節に分かれております。現憲法は補則まで入れると十一章でありますが、それに沿って書いてあるというわけでは決してありません。「一 憲法」「二 民主主義とは」「三 国際平和主義」「四 主権在民主義」「五 天皇陛下」「六 戦争の放棄」「七 基本的人権」「八 国会」「九 政党」「十 内閣」「十一 司法」「十二 財政」「十三 地方自治」「十四 改正」そして「十五 最高法規」という、この項目でそれぞれを易しく説明しているというものであります。
最初の、「一 憲法」という節の出だしをちょっと読んでみます。
みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。
国の仕事は、一日も休むことはできません。また、国を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。
国をどういうふうに治め、国の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。
という書き出しから始まって、各項目をいろいろ易しく紹介しているという本であります。
私がこの本の話を申し上げたのは、現憲法を改正するあるいは改正をしない、この論議の大前提には、国民にもっともっと現憲法を理解し、そしてその論議に参加をしてもらわなければならないと感じているからであります。
ですから、今国会から始めた地方公聴会も、やり方の改善はあるにしても、できるだけ多くの場所に出かけていって、我々がもちろん国民の生の声を聞くこと、これは一番大事なことでもありますが、もう一方で、逆に、国民にもっと憲法に興味を持ってもらい、大いに理解をしていただき、大いに議論をしていただく一助になるのではないかと思っております。ですから、これからも、地方公聴会ばかりでなくいろいろな場面で国民の憲法への興味を引く努力をし、理解を深めていくようにするのもこの憲法調査会の、ある意味では一つの目的だと思っております。
それから、今後の憲法調査会の進め方でありますが、前国会から、二十一世紀の日本のあるべき姿というテーマでいろいろな参考人の方々から意見をお聞きし、大変勉強になっております。ただ、整理をすると、まだお聞きしたいテーマがかなり残されていると感じております。例えば環境問題、教育問題、安全保障問題などなどありますが、私の個人的な意見では、もう少しそういった問題の専門の方々の意見をじっくりお聞きをし、我々も勉強し、また広く国民の皆様にもそういった議論を周知し、また地方公聴会等でそういった国民の皆様方の声をお聞きし、しばらくこれをもう少し深く掘り下げて続けていっていただきたいというのが私どもの意見であります。この点では御配慮のほどをよろしくお願い申し上げて、私どもの会派の意見といたしたいと思います。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →私は、この調査会に、委員に入れていただきましてからちょうど一年になります。その間、幹事会にも参加をさせていただいており、中山会長、鹿野会長代理、葉梨筆頭を初めとする皆様方の大変公平で公正な会の運営を心より感謝を申し上げるものでありますし、また、今後とも同様の会の運営に期待を申し上げておりますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。
さて、私どもの21世紀クラブというのは大変人数の少ない会派ではありますが、憲法の話になるとやはりそれぞれの思いがあるようであり、改憲から護憲まで、それぞれの考え方を持っていらっしゃる先生方がいらっしゃるということで、毎回熱心な議論となっております。
ただ、一点に関してだけは意見が一致をする点があります。それは、この憲法が非常に読みにくくてわかりにくいということであります。最高法規でありますから、尊厳のある言葉で書いてあるべきだということはよくわかるのでありますけれども、内容や解釈を変えずに、もう少しだれにでもわかる言葉で書いてある副読本的なものがあれば、子供たちから大人までもっと現憲法に興味を持ち、そして理解を深めていただけるんではないかと思うものであります。
そんなことを話している折に、本屋さんでこんな本を見つけました。もう皆さん方もごらんになった方もたくさんいらっしゃると思いますけれども、「あたらしい憲法のはなし」という本であります。これは、一九四七年、昭和二十二年の八月に文部省が発行いたしました、中学一年生用の社会科の教科書を復刊したものであります。ただ、これは一九五二年、昭和二十七年の三月までのたった数年間だけ使用されたものであります。これを読んでいただけばわかるんですが、この本の一部には、やはり現在の解釈と若干異なる表現や、現在では若干不適当と思われる部分もあるのですけれども、終戦直後に書かれたものであり、何とか子供たちにも新しい憲法を理解してもらおうという当時の熱意が感じられる内容になっているものと思います。
少しだけ御紹介をさせていただきますと、この本は十五の節に分かれております。現憲法は補則まで入れると十一章でありますが、それに沿って書いてあるというわけでは決してありません。「一 憲法」「二 民主主義とは」「三 国際平和主義」「四 主権在民主義」「五 天皇陛下」「六 戦争の放棄」「七 基本的人権」「八 国会」「九 政党」「十 内閣」「十一 司法」「十二 財政」「十三 地方自治」「十四 改正」そして「十五 最高法規」という、この項目でそれぞれを易しく説明しているというものであります。
最初の、「一 憲法」という節の出だしをちょっと読んでみます。
みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。
国の仕事は、一日も休むことはできません。また、国を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。
国をどういうふうに治め、国の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。
という書き出しから始まって、各項目をいろいろ易しく紹介しているという本であります。
私がこの本の話を申し上げたのは、現憲法を改正するあるいは改正をしない、この論議の大前提には、国民にもっともっと現憲法を理解し、そしてその論議に参加をしてもらわなければならないと感じているからであります。
ですから、今国会から始めた地方公聴会も、やり方の改善はあるにしても、できるだけ多くの場所に出かけていって、我々がもちろん国民の生の声を聞くこと、これは一番大事なことでもありますが、もう一方で、逆に、国民にもっと憲法に興味を持ってもらい、大いに理解をしていただき、大いに議論をしていただく一助になるのではないかと思っております。ですから、これからも、地方公聴会ばかりでなくいろいろな場面で国民の憲法への興味を引く努力をし、理解を深めていくようにするのもこの憲法調査会の、ある意味では一つの目的だと思っております。
それから、今後の憲法調査会の進め方でありますが、前国会から、二十一世紀の日本のあるべき姿というテーマでいろいろな参考人の方々から意見をお聞きし、大変勉強になっております。ただ、整理をすると、まだお聞きしたいテーマがかなり残されていると感じております。例えば環境問題、教育問題、安全保障問題などなどありますが、私の個人的な意見では、もう少しそういった問題の専門の方々の意見をじっくりお聞きをし、我々も勉強し、また広く国民の皆様にもそういった議論を周知し、また地方公聴会等でそういった国民の皆様方の声をお聞きし、しばらくこれをもう少し深く掘り下げて続けていっていただきたいというのが私どもの意見であります。この点では御配慮のほどをよろしくお願い申し上げて、私どもの会派の意見といたしたいと思います。
ありがとうございました。
中
中
中山太郎#22
○中山会長 これより委員各位による自由な討議に入りたいと存じます。
一回の発言は原則五分以内におまとめいただきますようお願いいたします。
御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのように立てていただき、御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
なお、議事整理のため、御発言は、会長の指名に基づいて、所属会派と氏名を述べられてからお願いをいたします。
それでは、津島雄二君。
この発言だけを見る →一回の発言は原則五分以内におまとめいただきますようお願いいたします。
御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのように立てていただき、御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
なお、議事整理のため、御発言は、会長の指名に基づいて、所属会派と氏名を述べられてからお願いをいたします。
それでは、津島雄二君。
津
津島雄二#23
○津島委員 自由民主党の津島雄二でございます。
発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございました。この機会に、私は、一九四九年、私が法律学徒として勉強を始めたとき、それから五一年の司法試験を受けたとき、それまでの二年間のことを思い起こしておるわけであります。
御案内のとおり、新憲法は一九四六年の十一月に公布をされましたが、当時はまだ、新憲法の解釈と意味合い、特に旧憲法との関係、形式的には連続しているが実質的には断絶がある、それをどう考えるかというような議論が集中をしておりました。それが、今日では、既にそのような成立過程の問題はほとんど議論される必要もなく、また、いわゆる憲法の理念というようなことも当然のように言われるようにまでなってまいりました。
また、基本的人権は侵すことのできない永久の権利であるということも国民全体で自然に受けとめられるようになったわけであります。すなわち、成文となった憲法以前に成立した人間の固有の権利と、これに基づく人間同士、そして人間と国家社会のかかわりについての基本的規範というものがあるんだということが今の憲法の基礎にあると言えるわけでございます。
これは御承知のとおり、イギリスでいえばコモンローの世界でございますけれども、実は、イギリスのコモンローの歴史をひもといて見ますと、びっくりするような話がいっぱいございますね。例えば、十九世紀の初め、一八一八年に、ある重大事件の訴訟の中で、被告側がいわゆる神裁裁判の手続を要請した。つまり、神が裁く。どうやって裁くかというと、実は、事実上の決闘をやることなんです。その決闘で勝った方が正しいというのは、神様はおのずからお決めになるというのがイギリスのコモンローの昔に判例としてありまして、それを覆すことを裁判所はできなかった。そこで、議会が急遽立法によって神裁裁判の手続を消去したわけであります。
ここに示されるように、今私どもは不滅の法典というものがあると思っていたらこれは間違いであって、非常に厳しい努力の上に積み重ねられてきたということを忘れてはならないわけであります。
そういう立場から申しますと、今の日本の憲法でも、例えば二十五条の生存権というものが書かれている中で、日本の現況に本当に合っているかどうか、一例ではございますけれども、私どもは議論をしてみなければいけない。例えば、今の社会保障というものが、個人と国の間の関係だけで成り立っているのではなくて、社会を構成する人々の間の共助、助け合いによって支えられているとすれば、この二十五条の規定の中に全くその要素がないというのは、果たしてこの生存権の規定を今後生かしていくのにふさわしいかどうか、一つの問題点として御指摘を申し上げたいわけであります。
いずれにしても、私たちは憲法が死なないような努力を日々やっていかなければならないということをお訴えいたしまして、私の話を終えさせていただきます。
この発言だけを見る →発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございました。この機会に、私は、一九四九年、私が法律学徒として勉強を始めたとき、それから五一年の司法試験を受けたとき、それまでの二年間のことを思い起こしておるわけであります。
御案内のとおり、新憲法は一九四六年の十一月に公布をされましたが、当時はまだ、新憲法の解釈と意味合い、特に旧憲法との関係、形式的には連続しているが実質的には断絶がある、それをどう考えるかというような議論が集中をしておりました。それが、今日では、既にそのような成立過程の問題はほとんど議論される必要もなく、また、いわゆる憲法の理念というようなことも当然のように言われるようにまでなってまいりました。
また、基本的人権は侵すことのできない永久の権利であるということも国民全体で自然に受けとめられるようになったわけであります。すなわち、成文となった憲法以前に成立した人間の固有の権利と、これに基づく人間同士、そして人間と国家社会のかかわりについての基本的規範というものがあるんだということが今の憲法の基礎にあると言えるわけでございます。
これは御承知のとおり、イギリスでいえばコモンローの世界でございますけれども、実は、イギリスのコモンローの歴史をひもといて見ますと、びっくりするような話がいっぱいございますね。例えば、十九世紀の初め、一八一八年に、ある重大事件の訴訟の中で、被告側がいわゆる神裁裁判の手続を要請した。つまり、神が裁く。どうやって裁くかというと、実は、事実上の決闘をやることなんです。その決闘で勝った方が正しいというのは、神様はおのずからお決めになるというのがイギリスのコモンローの昔に判例としてありまして、それを覆すことを裁判所はできなかった。そこで、議会が急遽立法によって神裁裁判の手続を消去したわけであります。
ここに示されるように、今私どもは不滅の法典というものがあると思っていたらこれは間違いであって、非常に厳しい努力の上に積み重ねられてきたということを忘れてはならないわけであります。
そういう立場から申しますと、今の日本の憲法でも、例えば二十五条の生存権というものが書かれている中で、日本の現況に本当に合っているかどうか、一例ではございますけれども、私どもは議論をしてみなければいけない。例えば、今の社会保障というものが、個人と国の間の関係だけで成り立っているのではなくて、社会を構成する人々の間の共助、助け合いによって支えられているとすれば、この二十五条の規定の中に全くその要素がないというのは、果たしてこの生存権の規定を今後生かしていくのにふさわしいかどうか、一つの問題点として御指摘を申し上げたいわけであります。
いずれにしても、私たちは憲法が死なないような努力を日々やっていかなければならないということをお訴えいたしまして、私の話を終えさせていただきます。
中
中
中川正春#25
○中川(正)委員 民主党の中川正春でございます。
この一年余り、憲法調査会に席を置いて、憲法を論じるという機会を与えていただきました。日常の政治活動の中に憲法がいかに反映されなければならないか、あるいは、我々、おのずと憲法の原点に戻っていってこの国の形を考えていくということ、これがいかに大切かということを改めてこの一年の議論の中で私自身もかみしめているところであります。
また一方で、今、国の情勢、特に国会、それから内閣、あるいは司法、裁判所の問われているところ、新しい時代変革のさなかで、一つの統治能力、ガバナビリティーというのですか、そうしたものが欠如をしておる。立ち往生しながら、どこへ行こうかということで今迷い続けている、そんな状況がこの日本の現状の中に浮かび上がってくるんではないだろうかというふうに思うわけであります。
そうした意味から、憲法をてこにしながら、このガバナビリティーをもう一度私たちの手にしっかりとよみがえらせる、新しい国のエネルギーとしてそこに集中をしていく、このことが私たち政治家にとって改めて大切なことなのではないかということを思っております。
その上に立って、具体的な問題、特にこの調査会、正直、私の気持ちから言えば、現状の形で五年間推移をしていくんではなくて、もっとダイナミックに、そうした意味ではこのガバナビリティーにもっとエネルギーを注入できるような役割というか、そういうものを模索していく必要もあるんではないだろうか、そんな素直な気持ちも表明をさせていただきたいというふうに思います。
そうした中で、具体的に例をとってお話をさせていただきますと、例えば、財政再建という問題が日本で今本当に大きな課題となっておりますが、アメリカでは、一九九七年、オーリン・ハッチ上院議員によって、第百五回連邦議会に財政の均衡を図るための憲法改正案が出されております。財政赤字を解消するために、各院の総議員の五分の三以上により賛成されない限り当該会計年度において支出が収入を上回ってはならない、そういう内容でありますが、実は二度出されまして、必要な三分の一に一票差で廃案となっております。しかし、これが出されたということで、クリントン政権の中でその次の手だてというのが起き上がってきまして、ダイナミックに財政再建に向けた考え方が整理をされました。
これは一つの例でありますが、日本では、ブッシュ政権にかわってから、また外交課題の中で、この間から話に出ておりますTMDやNMDに対してどういうスタンスをとっていくか、日本の一つの生きざまがここで問われるような国際環境でもこれあり、あるいはまた社会的には、時代の急激な変化から社会的なドロップアウトを生み出して、家庭の崩壊や人間疎外などの社会現象によって多発している病的犯罪や子供たちの無規範な社会行動、こうしたものが、どうするのかということで、私たちに差し迫った課題として出てきております。
こうした現実的な課題が、私自身が考えなければならない大きな問題として目の前にあるだけに、もっと言えば、憲法改正の発議権というのはこの国会にありまして、憲法第九十六条、国会議員しかこの発議はできないということでもあります。そんなことを考えていけばいくほど、私たちのこの議論というのも、ただこうした形、勉強会で終わるだけじゃなくて、この調査会も含めて、あるいはまたほかのいろいろな組織も含めて、さらに活発な、具体的な憲法議論というものに進めていきいたい、そのことを改めて表明させていただくところでございます。
以上です。
この発言だけを見る →この一年余り、憲法調査会に席を置いて、憲法を論じるという機会を与えていただきました。日常の政治活動の中に憲法がいかに反映されなければならないか、あるいは、我々、おのずと憲法の原点に戻っていってこの国の形を考えていくということ、これがいかに大切かということを改めてこの一年の議論の中で私自身もかみしめているところであります。
また一方で、今、国の情勢、特に国会、それから内閣、あるいは司法、裁判所の問われているところ、新しい時代変革のさなかで、一つの統治能力、ガバナビリティーというのですか、そうしたものが欠如をしておる。立ち往生しながら、どこへ行こうかということで今迷い続けている、そんな状況がこの日本の現状の中に浮かび上がってくるんではないだろうかというふうに思うわけであります。
そうした意味から、憲法をてこにしながら、このガバナビリティーをもう一度私たちの手にしっかりとよみがえらせる、新しい国のエネルギーとしてそこに集中をしていく、このことが私たち政治家にとって改めて大切なことなのではないかということを思っております。
その上に立って、具体的な問題、特にこの調査会、正直、私の気持ちから言えば、現状の形で五年間推移をしていくんではなくて、もっとダイナミックに、そうした意味ではこのガバナビリティーにもっとエネルギーを注入できるような役割というか、そういうものを模索していく必要もあるんではないだろうか、そんな素直な気持ちも表明をさせていただきたいというふうに思います。
そうした中で、具体的に例をとってお話をさせていただきますと、例えば、財政再建という問題が日本で今本当に大きな課題となっておりますが、アメリカでは、一九九七年、オーリン・ハッチ上院議員によって、第百五回連邦議会に財政の均衡を図るための憲法改正案が出されております。財政赤字を解消するために、各院の総議員の五分の三以上により賛成されない限り当該会計年度において支出が収入を上回ってはならない、そういう内容でありますが、実は二度出されまして、必要な三分の一に一票差で廃案となっております。しかし、これが出されたということで、クリントン政権の中でその次の手だてというのが起き上がってきまして、ダイナミックに財政再建に向けた考え方が整理をされました。
これは一つの例でありますが、日本では、ブッシュ政権にかわってから、また外交課題の中で、この間から話に出ておりますTMDやNMDに対してどういうスタンスをとっていくか、日本の一つの生きざまがここで問われるような国際環境でもこれあり、あるいはまた社会的には、時代の急激な変化から社会的なドロップアウトを生み出して、家庭の崩壊や人間疎外などの社会現象によって多発している病的犯罪や子供たちの無規範な社会行動、こうしたものが、どうするのかということで、私たちに差し迫った課題として出てきております。
こうした現実的な課題が、私自身が考えなければならない大きな問題として目の前にあるだけに、もっと言えば、憲法改正の発議権というのはこの国会にありまして、憲法第九十六条、国会議員しかこの発議はできないということでもあります。そんなことを考えていけばいくほど、私たちのこの議論というのも、ただこうした形、勉強会で終わるだけじゃなくて、この調査会も含めて、あるいはまたほかのいろいろな組織も含めて、さらに活発な、具体的な憲法議論というものに進めていきいたい、そのことを改めて表明させていただくところでございます。
以上です。
中
上
上田勇#27
○上田(勇)委員 公明党の上田でございます。
私は、本年の一月からこの憲法調査会に所属をさせていただきまして、これまで非常に幅の広い分野の有識者の方々から意見を聴取し、いずれも貴重な御意見であったというふうに考えております。そうした御意見を総括してみますと、今の憲法と、それに基づいて形成されてきました今日の日本の社会に対する評価というのは、部分的にはさまざまな意見があるものの、おおむね評価するというものが多かったんではないかというふうに考えております。
しかし一方で、憲法制定時から、我が国を取り巻く国際環境や国内の情勢も劇的な変化をしてきているのも事実であります。その代表的な問題は、国際的な環境についていえば、東西冷戦構造が崩壊をしたということと、我が国が経済力を背景として、国際社会における地位、影響力が格段に増大したということではないかというふうに思います。国内の情勢を考えてみますと、かつて私たちが経験したことのない少子高齢社会が進行しているということ、それから、従来の物質的な豊かさを至上とする価値観から、極めて多様な価値観、ライフスタイルの社会になってきているということが挙げられるのではないかというふうに思っております。
私は、私たちが今議論をしている二十一世紀の日本の憲法のあり方というのは、そういう意味で、今の憲法の考え方、理念を基礎として、こうした環境の変化にいかに対応していくものにしていくかということがこれから必要であろうというふうに考えております。
これからこの調査会での論議の方向性について私なりの若干の考え方を御提案させていただきたいと思いますが、これまで包括的にこの国のあるべき姿という議論をしてまいりました。それはいずれも、冒頭申し上げましたように貴重な御意見であり、評価できるものではありますが、こうしたこれまでの議論を踏まえまして、今後は関心の高いテーマごとに焦点を当てて、もっと具体性のある、より深みのある議論を行ってはどうかというふうに考えております。
いろいろな御意見があろうかと思いますが、私が、当面論議する必要性の高い、また早く議論を深めるべきであると考えている課題は、一つには、日本国憲法の最大の特徴であります第九条の平和主義の考え方であります。
この平和主義の理念、私は、非常に貴重なものであり、守っていかなければいけないというふうに考えておりますけれども、今の国際社会の中において、我が国に対する期待、我が国がもっと積極的な役割を果たしていくことに対する期待は年々高まっており、それにいかにしてこたえていくかということが今大きな課題になっているのではないかというふうに思います。その代表的な例が、例えば国連のPKO活動への参加についてどこまで考えるかというようなことをもっと議論し、それに伴う憲法のあり方も考えていかなければいけないというふうに考えております。
二つ目には、現憲法でも国民主権がうたわれているわけでありますけれども、これをいかに実質的にもっと深めていくのか、あるいは現代に合ったような形でどれだけ展開できるかということではないかというふうに思っております。
その論点には、最近話題になっております首相公選制の是非の問題、二院制のあり方を含む国会の機能の問題、あるいは住民投票等直接民主主義のあり方なども議論すべきだろうというふうに思っております。
三つ目には、立法、行政、司法の三権のあり方、これも改めて見直す必要があろうかというふうに思っております。特に、非常に強大化している行政権をどういうふうに位置づけていくのか、そして、それにかわる司法の機能拡充といったことも大きなテーマとしてこれから論議をしていただければというふうに考えているところでございます。
以上です。
〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
この発言だけを見る →私は、本年の一月からこの憲法調査会に所属をさせていただきまして、これまで非常に幅の広い分野の有識者の方々から意見を聴取し、いずれも貴重な御意見であったというふうに考えております。そうした御意見を総括してみますと、今の憲法と、それに基づいて形成されてきました今日の日本の社会に対する評価というのは、部分的にはさまざまな意見があるものの、おおむね評価するというものが多かったんではないかというふうに考えております。
しかし一方で、憲法制定時から、我が国を取り巻く国際環境や国内の情勢も劇的な変化をしてきているのも事実であります。その代表的な問題は、国際的な環境についていえば、東西冷戦構造が崩壊をしたということと、我が国が経済力を背景として、国際社会における地位、影響力が格段に増大したということではないかというふうに思います。国内の情勢を考えてみますと、かつて私たちが経験したことのない少子高齢社会が進行しているということ、それから、従来の物質的な豊かさを至上とする価値観から、極めて多様な価値観、ライフスタイルの社会になってきているということが挙げられるのではないかというふうに思っております。
私は、私たちが今議論をしている二十一世紀の日本の憲法のあり方というのは、そういう意味で、今の憲法の考え方、理念を基礎として、こうした環境の変化にいかに対応していくものにしていくかということがこれから必要であろうというふうに考えております。
これからこの調査会での論議の方向性について私なりの若干の考え方を御提案させていただきたいと思いますが、これまで包括的にこの国のあるべき姿という議論をしてまいりました。それはいずれも、冒頭申し上げましたように貴重な御意見であり、評価できるものではありますが、こうしたこれまでの議論を踏まえまして、今後は関心の高いテーマごとに焦点を当てて、もっと具体性のある、より深みのある議論を行ってはどうかというふうに考えております。
いろいろな御意見があろうかと思いますが、私が、当面論議する必要性の高い、また早く議論を深めるべきであると考えている課題は、一つには、日本国憲法の最大の特徴であります第九条の平和主義の考え方であります。
この平和主義の理念、私は、非常に貴重なものであり、守っていかなければいけないというふうに考えておりますけれども、今の国際社会の中において、我が国に対する期待、我が国がもっと積極的な役割を果たしていくことに対する期待は年々高まっており、それにいかにしてこたえていくかということが今大きな課題になっているのではないかというふうに思います。その代表的な例が、例えば国連のPKO活動への参加についてどこまで考えるかというようなことをもっと議論し、それに伴う憲法のあり方も考えていかなければいけないというふうに考えております。
二つ目には、現憲法でも国民主権がうたわれているわけでありますけれども、これをいかに実質的にもっと深めていくのか、あるいは現代に合ったような形でどれだけ展開できるかということではないかというふうに思っております。
その論点には、最近話題になっております首相公選制の是非の問題、二院制のあり方を含む国会の機能の問題、あるいは住民投票等直接民主主義のあり方なども議論すべきだろうというふうに思っております。
三つ目には、立法、行政、司法の三権のあり方、これも改めて見直す必要があろうかというふうに思っております。特に、非常に強大化している行政権をどういうふうに位置づけていくのか、そして、それにかわる司法の機能拡充といったことも大きなテーマとしてこれから論議をしていただければというふうに考えているところでございます。
以上です。
〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
鹿
谷
谷川和穗#29
○谷川委員 発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
京都から大阪湾へ向かって流れる淀川に沿って、秀吉がつくった京街道が走っておりますが、伏見、淀、枚方に続いて守口、その守口のすぐわきに門真市がございます。この門真市一番町に、幣原喜重郎とそのお兄様の坦博士のお生まれになった土地に公園がございまして、終戦後、対馬が日本領に帰属したのは坦博士の研究によるものですという記念碑が建っております。さらに、吉田茂首相の「幣原坦博士の学徳は万世の師表 同喜重郎首相の経綸は永遠の平和 この偉大なる兄弟の生地を敬存して切に次代の奮起を待つ」という言葉が刻まれております。
第一次世界大戦が終わって十年目、フランスのブリアン外相がアメリカのケロッグ外相に、せめて二国間だけでも戦争放棄の協定を締結しようと呼びかけたのが始まりで不戦条約が締結されました。
ここに不戦条約を持ってきております。この不戦条約というのはわずか三条しかない条約ですが、第一条、「締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス」とございまして、この条約は誕生するまでに実に難しい国際環境だったんですが、ついにこれがやり遂げられました。日本国でこの条約を推進しました内閣総理大臣が浜口雄幸、そして外務大臣男爵幣原喜重郎、こういう署名になっております。
戦後つくられました各国の憲法には、国際紛争解決の手段として武力を使わない条項が入っている憲法がたくさんございます。日本が不戦条約締結のオリジナルメンバーカントリーの四つのうちの一つであった。しかも、これだけ難しい中でこの条約をつくり上げるまでに日本が実に懸命に働いて、その中心的な働きをしたのが日本であったということは、今日の我々日本人にとっても十分誇りとしてよろしい問題だ、こう思っております。さらに、この条約そのものは昭和二年から三年にかけてつくられた条約でございますけれども、まさに当時の大正デモクラシーの息吹がそのまま国際会議の中で反映した、私はそう思っております。
ところで、戦後、我々日本人が何となしに誇りを失ったのは、日本民族というのは、日本の国民というのは極めて好戦的な国民である、日本は侵略国家であるという烙印を押されたことがその原因の一つだ、こう思いますけれども、不戦条約をつくり上げる立て役者が日本人であった、日本だったんだということを忘れる必要はさらさらないと私は思います。誇るべきことは、いつ、またいかなるときでも誇り続けるべきだ、こう考えます。
さて、私の驚きは、この二十世紀が終わって振り返ってみて、後半の五十年のうちの四十年間は冷戦時代における比較的な平和が、それに先立つ前半の五十年、あの類を見ないほどの野蛮さに比べて余りにも対照的だということでありまして、それがここへ来てさらにもう一つ輝きを増しつつあるように私は見えておるわけです。
ペルー日本大使館人質事件の折、ペルー政府はシュプリアーニ大司教を交渉担当者に起用するという決定を行いました。いかに宗教的な問題を抱えている国とはいえ、外国公館内の事件に政府以外の民間人を調停役に起用するというようなことは普通では思いも及ばないことだと思いますが、これはやはり時代の転換が始まってきたんだ、私はこういうふうに解釈いたしております。
国連は、既に第二国連と呼んでもいいほどNGOの活動を大事にしております。国際間の紛争の間に立ってみずからの使命感と信念に燃えて調停あるいは和解に奮闘するNGOの姿は、今や世界のあらゆるところの紛争地帯で見受けられます。私は、個人としての尊厳、人間としての誇りを持って立ち上がる次世代の若者を一人でも多くつくり上げる、そうした国家に日本がなる、これが新しい憲法に求められる一つの大きな理念だ、こう考えております。
以上でございます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →京都から大阪湾へ向かって流れる淀川に沿って、秀吉がつくった京街道が走っておりますが、伏見、淀、枚方に続いて守口、その守口のすぐわきに門真市がございます。この門真市一番町に、幣原喜重郎とそのお兄様の坦博士のお生まれになった土地に公園がございまして、終戦後、対馬が日本領に帰属したのは坦博士の研究によるものですという記念碑が建っております。さらに、吉田茂首相の「幣原坦博士の学徳は万世の師表 同喜重郎首相の経綸は永遠の平和 この偉大なる兄弟の生地を敬存して切に次代の奮起を待つ」という言葉が刻まれております。
第一次世界大戦が終わって十年目、フランスのブリアン外相がアメリカのケロッグ外相に、せめて二国間だけでも戦争放棄の協定を締結しようと呼びかけたのが始まりで不戦条約が締結されました。
ここに不戦条約を持ってきております。この不戦条約というのはわずか三条しかない条約ですが、第一条、「締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス」とございまして、この条約は誕生するまでに実に難しい国際環境だったんですが、ついにこれがやり遂げられました。日本国でこの条約を推進しました内閣総理大臣が浜口雄幸、そして外務大臣男爵幣原喜重郎、こういう署名になっております。
戦後つくられました各国の憲法には、国際紛争解決の手段として武力を使わない条項が入っている憲法がたくさんございます。日本が不戦条約締結のオリジナルメンバーカントリーの四つのうちの一つであった。しかも、これだけ難しい中でこの条約をつくり上げるまでに日本が実に懸命に働いて、その中心的な働きをしたのが日本であったということは、今日の我々日本人にとっても十分誇りとしてよろしい問題だ、こう思っております。さらに、この条約そのものは昭和二年から三年にかけてつくられた条約でございますけれども、まさに当時の大正デモクラシーの息吹がそのまま国際会議の中で反映した、私はそう思っております。
ところで、戦後、我々日本人が何となしに誇りを失ったのは、日本民族というのは、日本の国民というのは極めて好戦的な国民である、日本は侵略国家であるという烙印を押されたことがその原因の一つだ、こう思いますけれども、不戦条約をつくり上げる立て役者が日本人であった、日本だったんだということを忘れる必要はさらさらないと私は思います。誇るべきことは、いつ、またいかなるときでも誇り続けるべきだ、こう考えます。
さて、私の驚きは、この二十世紀が終わって振り返ってみて、後半の五十年のうちの四十年間は冷戦時代における比較的な平和が、それに先立つ前半の五十年、あの類を見ないほどの野蛮さに比べて余りにも対照的だということでありまして、それがここへ来てさらにもう一つ輝きを増しつつあるように私は見えておるわけです。
ペルー日本大使館人質事件の折、ペルー政府はシュプリアーニ大司教を交渉担当者に起用するという決定を行いました。いかに宗教的な問題を抱えている国とはいえ、外国公館内の事件に政府以外の民間人を調停役に起用するというようなことは普通では思いも及ばないことだと思いますが、これはやはり時代の転換が始まってきたんだ、私はこういうふうに解釈いたしております。
国連は、既に第二国連と呼んでもいいほどNGOの活動を大事にしております。国際間の紛争の間に立ってみずからの使命感と信念に燃えて調停あるいは和解に奮闘するNGOの姿は、今や世界のあらゆるところの紛争地帯で見受けられます。私は、個人としての尊厳、人間としての誇りを持って立ち上がる次世代の若者を一人でも多くつくり上げる、そうした国家に日本がなる、これが新しい憲法に求められる一つの大きな理念だ、こう考えております。
以上でございます。ありがとうございました。