三村申吾の発言 (農林水産委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○三村委員 無所属クラブの三村申吾でございます。
昨今のトレンドとは逆になりますが、用意した原稿に基づいて質疑をさせていただきます。
海はよみがえるか、水産日本は二十一世紀に生きられるか、この大きなテーマに、大臣初め水産庁、そして当委員会の皆様方ともども取り組む時を得たことに、大きな責任感と気概とを感ぜずにはいられません。
多くの漁業者の皆さんが心から待ち望んだ水産基本法がこうして今国会に上程され、審議される運びとなったわけでございます。昭和三十八年制定の沿岸漁業等振興法以来、四十年近くの年月を経て、ここに水産資源を有限な生態系の構成要素ととらえ、それゆえに資源管理の大切さを掲げた本法とそれをまとめ上げました当局に、まずもって私といたしましては敬意をささげるものでございます。
大正時代の末に若き童謡詩人の中の巨星と西条八十から称賛され、二十六歳で夭折した金子みすゞという詩人に「大漁」という詩がございます。
朝やけ小やけだ 大漁だ
大ばいわしの 大漁だ。
はまは祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
いわしのとむらい するだろう。
という詩でございます。
早朝、朝焼けの海辺、村落じゅうの漁師やその家族たちが総出で網を豪快に引く。朝の日差しに何万もの銀の塊が跳びはねて光り、網のぐるりではカモメが乱舞する。その反面、海中では家族を失ったイワシの弔いがあるんだろうなと、みすゞは両者をひとしい目で見ている。あるいは、生のため、生きるために命を奪っていく悲しみをみすゞは思っているんでしょうか。
そういった文学的解釈はともあれ、このような光景が我々の海辺から失われつつあります。地びき網が辛うじて残る私の出身の青森の浜辺ですら、この豪快で、漁民もその家族も心躍る大漁の光景がめっきり少なくなりました。だからこそ、資源循環、資源管理の時代という共通の思いを抱きながら、海よ、よみがえれと心に念じながら、以下、何点かにわたって御質問を申し上げます。
さて、谷津農水大臣、大臣は昨日の提案理由の冒頭で、「我が国の水産政策は、これまで、昭和三十八年に制定された沿岸漁業等振興法に示された方向に沿って、他産業と比べて立ちおくれていた沿岸漁業及び中小漁業の発展とその従事者の地位の向上を図ることを目標として展開され、関係者の多大な努力もあり、漁業の近代化、生産の効率化等に一定の成果を上げてきたところであります。」そのようにおっしゃっておいででございます。
ここで、認識を調整すべくお伺いをいたします。いわゆる沿振法を廃止し、水産という大きな視点から基本法を制定することになるといたしましても、沿岸漁業の存続こそが水産の原点であるということを忘れてはいけないと考えます。沿岸漁業の振興がおろそかになってはいけないと考えるのでございます。
そこで、今後の水産政策における沿岸漁業の振興と活性化についてのお考えをお伺いしたく存じます。