後藤茂之の発言 (予算委員会第八分科会)
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○後藤(茂)分科員 民主党の後藤茂之でございます。
省庁再編成によりまして、非常に大きな力を持った国土交通省が発足したわけでありまして、初代大臣に扇大臣が就任されました。国民は大変大きな期待を持っておりますので、大きなリーダーシップを発揮していただきますようにお願いを申し上げます。
さて、きょうは幾つかの点についてお話をさせていただきたいと思いますけれども、まず、公共投資についてちょっと話をさせていただきたいと思います。
公共投資の見直しについては、いろいろ最近言われているわけでありまして、見直しの議論が盛んになっております。端的に申し上げまして、私自身は、社会資本整備として必要な公共投資はしっかりとやっていかなければならない、それも、世代がどんどん高齢化、成熟化していく、こういう流れの中にあって、やらねばならないことはやらなければならないというふうに思っているわけであります。しかしながら、今、納税者の目は非常に厳しくなっております。タックスペイヤーが理解のできないような、例えば非効率ないろいろな仕組みがあるとすれば、そういうことについてはしっかりと見直しをしていく必要があるわけでありまして、執行の効率化を図ることは当然のことであります。
それからもう一つ、景気対策としてのばらまき型の公共投資を見直すという議論があるわけであります。今、国債を大きく発行して、一時的にばらまき型の景気対策をやっても効果がないということについては、私は国民の間でも相当に大きく理解をされてきているのではないかというふうに思っております。
もちろんそれだけの公共投資をやればそれだけの効果がある、すなわち、カンフル剤として、少なくともしばらくの間きくことは当然でございます。政府の窓口から金が出ていって、それが数カ月間、さまざまな会社、企業、個人の手を渡りまして、最終的に個人のところへ行き着く、あるいは内部留保のできる会社のところへ行き着くということになります。
しかし、今の現状では、もうこれは言い古されていることでありますけれども、将来に対して不安を持っている国民は消費をすることができない。一部、IT関連の企業等、特に投資意欲のある分野を除いて一般に法人が投資をするということができないような、そういう、将来への展望がはっきりしない状況になっている。そのことでどうなるかというと、基本的には、個人の金、企業の金は金融機関に積み上がることになる。
金融機関は、例えば、新たな消費や投資があれば貸し出しをすることができるわけでありますけれども、貸し出しについても、実を言うと前向きな貸し出し先がない。そして、一方で、金融の改革をしていかなければならないということで、貸し渋りならぬ貸しはがしというような事態が銀行の体質保全のためにもなされるということになる。では、その余った金をどうしているかというと、最初の、一番の出発点に戻って、銀行が国債を買っている、こういうぐるぐる回りになっています。
ですから、生きた金が回るような、そういう仕組みをつくっていかない限り、はっきり言って経済がよくならないということを国民は一番肌でわかっているのではないか。私は、地元のいろいろな中小企業の皆さん、商店街の皆さん初め大企業の経営者も含めて、皆さんがそういう認識にきていると思います。
では、そのためには、消費や投資がどう出ていったらいいかということは、今まさに皆さんがおっしゃっているところの、構造改革をやれるかやれないかということだろうと思います。足元も苦しいわけですから、構造改革をやるということは、本当に、それ以上に苦しいということになるかもしれませんけれども、そういうことに対して、やはり勇気を持って臨んでいく必要があるだろうというふうに思っているわけであります。
さて、ちょっと駄弁を弄しましたけれども、ともかく、社会資本の整備として、必要なことについてはやっていかないとならないと思っているわけでありますけれども、だれがどのようにしてその必要性の判断をしていくかということが問題になるだろうと思います。
私は、最近こんな例をいろいろなところでよく話しているわけでありますけれども、これは例であります。ですから、特に具体的な話じゃないですけれども、基幹道路とつながりがないような地方の道路があります。そして、その道路が狭い谷に差しかかりまして、そこに橋をかけようという話になる。どんなに小さな、狭い道路でありましても、深い谷に橋をかけるとなれば、七十億とか八十億とかという金がかかる。しかし、谷を迂回して、谷の根元まで回ってきて五、六分である、そういう局面を想定していただいて、一体この橋は、要る橋なのか要らない橋なのかという議論になるわけであります。そのときに、もしここであきらめても、これと同じような橋がほかのどこかの地区でできるというのであれば、地元の人たちは、これは絶対に自分たちの地域にとって要る橋だと頑張るに違いないというふうに思います。そして、予算も何としてもとってもらいたいという話になっていくだろうというふうに思うわけであります。
しかし、もしこの金が、例えば七十億とか九十億とか、そういう金が、もしその地域で自由に使えるとしたら、本当にこの橋はつくるだろうかという話になると、実を言うと、今のような局面を想定すると、ほとんどの人たちが、これは地元で、例えばそれに似たような局面を思い浮かべるような場所の人たちに話をしても、いや、それなら考えた方がいいだろうなという話になるわけでございます。
ですから、逆に言えば、それだけ冷静な議論が行われるようになってきているわけであります。もちろん、地方主権というものの枠組みがしっかりできて、受け皿があるかとか、そういう議論は技術的にはあるだろうと思います。しかし、例えば、補助金が一括して地域に交付されて、公共投資の要不要ということをきちんと自分たちで議論するということができる、そういう仕組みが確保できるとすれば、受益と負担を明確にして、国民参加型のいろいろな意思決定ができるのではないかというふうに思うわけであります。
そこで、大臣に伺いますけれども、今すぐの話ということではないにしても、将来、地方主権の仕組みが確立するということを前提として、一括して地域に補助金を交付する、そういう形をとることによって、公共事業の必要性の議論を、受益と負担を住民が明確に意識しながら、国民参加で決めていく、そういう国民本位のものとするような方向に考えていくということについて、どういうお考えでございましょうか。