渡部昇一の発言 (憲法調査会)
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○参考人(渡部昇一君) 平等主義というのは大変美しい言葉でございまして、ダンテだったと思いますが、地獄への道は善意をもって舗装されているというのがあったと思いますが、平等主義というのは私は地獄へ至る道だと思っております。
というのは、我々が知っております宗教の偉い人、キリストでもいいし、マホメットでもいいし、釈迦でもいいんですが、この世における平等は決して口にしませんでした。死んだ後まで含めての神の前の平等とかそういうことであります。
ところが、釈迦もキリストも言わなかった平等を唱えた人もおります。そして、それを実行した人もおります。そこの国はどうなったか。釈迦もキリストも言わなかったことを言うというのは、しゃれみたいなものですけれども、これは悪魔です。ですから、マルクス、レーニンのつくった国ではいかなる粛清が行われましたか、毛沢東の時代の中国ではどのぐらいの粛清が行われましたか、ポル・ポトのもとでカンボジアはほとんど三分の一ぐらいの人が平等の名のもとで殺されております。文化革命のときは、ほとんどインテリ階級を絶滅させる意図さえありました。インテリとそうでない人は不平等だからであります。したがって、我々の歴史的なここ五十年くらいあるいは百年ぐらいの知識だけでも平等を唱えた国はいずれも地獄になっております。
これに反しまして、ハイエックという、これはノーベル経済学賞をもらった方ですが、この人ははっきり言っております。金持ちがたくさんいるような社会こそが貧乏人の自由の保障であると言っております。金持ちがいないという建前の国では、その統治機構のいいところにいる人以外は、職業を変えることもそこから逃げることもできません。職を失うことは、即死ぬことかあるいは流刑地に流されることか、そういうことになってしまうわけであります。ところが、金持ちがたくさんいるところですと、こっちの会社が気に食わなきゃあっちへ行くし、あるときは金持ちの家の掃除をしたって食えるわけであります。ところが、貧乏人、金持ちがいないという建前ですと、ちょっとした掃除をしたぐらいではとても食えません。
今、アメリカは最近のバブルで大変貧富の差が大きくなったと指摘する人がおりますが、私の知っている限り、アメリカから移民が逃げ出したということは聞いておりません。私の子供たちも、アメリカで大分長く住んだのが二人もいますが、いずれもうちから指示したわけじゃないので貧しい生活だったと思いますが、非常に暮らしやすかったと言っております。ところが、平等を建前とした国からアメリカに来てもいいよと言ったら、これは何千万単位で逃げ出すに決まっております。ですから、平等というのはきれいな言葉であって、これは地獄へ至る道であると考えた方がむしろ私は間違いないと思います。
教室でもそうなんですね。教育でも平等というと何かいいみたいなんです。ところが、クラスで平等といったら、できない子に合わせるよりしようがないんです。運動競技で平等といったら、一番駆けっこの遅いやつに合わせることしかしようがない。それでいいのかということになります。ですから、私は、平等というものは極めて危険な言葉であります。
私の個人の経験から言いますと、戦前の日本はまだ貧乏が非常に多い時代でございました。山形県というのは、「おしん」の舞台にもなるように貧乏人と言ったら山形をテーマにするような土地でありますが、当時、旧制中学を出まして成績がよくて金がない子が進学できなかったということはむしろまれです。というのは、当時の田舎の金持ちたちは奨学金をつくりまして旧制中学でなかなかいいと。そして、軍隊の学校とか師範学校はただですけれども、そうでなくて、しかも親が貧乏な家は大体ほとんど一〇〇%近く進学しております。
アメリカでも無数のグラントがあるんですね。無数の金持ちが、それこそロックフェラーみたいな大きいのじゃなくて、ほとんどごく小さい人が多少のお金がたまりますと、自分の卒業した大学とか何かの専門の教授にグラントとして託するんですね。だから、ちょっとでも成績がよければグラントが出まして、アメリカの高校で少しでも成績がよくて大学に行けないなんということは考えられません。
したがって、私は、国家が平等を唱えるよりは、むしろ私有財産を保障してやって全員にやった方がいいというのが、これは歴史の厳たる事実であると思います。