憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十三年四月四日(水曜日)
午後零時五十四分開会
─────────────
委員の異動
三月十四日
辞任 補欠選任
木俣 佳丈君 吉田 之久君
四月三日
辞任 補欠選任
吉田 之久君 柳田 稔君
佐藤 道夫君 島袋 宗康君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 上杉 光弘君
幹 事
海老原義彦君
武見 敬三君
野沢 太三君
野間 赳君
江田 五月君
堀 利和君
山下 栄一君
小泉 親司君
大脇 雅子君
委 員
岩城 光英君
木村 仁君
久世 公堯君
陣内 孝雄君
世耕 弘成君
中川 義雄君
中島 啓雄君
中曽根弘文君
森田 次夫君
脇 雅史君
小川 敏夫君
川橋 幸子君
久保 亘君
寺崎 昭久君
直嶋 正行君
簗瀬 進君
柳田 稔君
魚住裕一郎君
大森 礼子君
高野 博師君
橋本 敦君
吉岡 吉典君
吉川 春子君
福島 瑞穂君
水野 誠一君
平野 貞夫君
島袋 宗康君
事務局側
憲法調査会事務
局長 大島 稔彦君
参考人
上智大学名誉教
授 渡部 昇一君
法政大学法学部
教授 江橋 崇君
─────────────
本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
(国民主権と国の機構)
─────────────
この発言だけを見る →午後零時五十四分開会
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委員の異動
三月十四日
辞任 補欠選任
木俣 佳丈君 吉田 之久君
四月三日
辞任 補欠選任
吉田 之久君 柳田 稔君
佐藤 道夫君 島袋 宗康君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 上杉 光弘君
幹 事
海老原義彦君
武見 敬三君
野沢 太三君
野間 赳君
江田 五月君
堀 利和君
山下 栄一君
小泉 親司君
大脇 雅子君
委 員
岩城 光英君
木村 仁君
久世 公堯君
陣内 孝雄君
世耕 弘成君
中川 義雄君
中島 啓雄君
中曽根弘文君
森田 次夫君
脇 雅史君
小川 敏夫君
川橋 幸子君
久保 亘君
寺崎 昭久君
直嶋 正行君
簗瀬 進君
柳田 稔君
魚住裕一郎君
大森 礼子君
高野 博師君
橋本 敦君
吉岡 吉典君
吉川 春子君
福島 瑞穂君
水野 誠一君
平野 貞夫君
島袋 宗康君
事務局側
憲法調査会事務
局長 大島 稔彦君
参考人
上智大学名誉教
授 渡部 昇一君
法政大学法学部
教授 江橋 崇君
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本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
(国民主権と国の機構)
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上
上杉光弘#1
○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
日本国憲法に関する調査を議題といたします。
本日は、国民主権と国の機構について参考人の御意見をお伺いした後、質疑を行います。
本日は、上智大学名誉教授の渡部昇一参考人、法政大学法学部教授の江橋崇参考人に御出席をいただいております。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
参考人の方々から忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
本日の議事の進め方でございますが、渡部参考人、江橋参考人の順にお一人二十分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず渡部参考人からお願いいたします。渡部参考人。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する調査を議題といたします。
本日は、国民主権と国の機構について参考人の御意見をお伺いした後、質疑を行います。
本日は、上智大学名誉教授の渡部昇一参考人、法政大学法学部教授の江橋崇参考人に御出席をいただいております。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
参考人の方々から忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
本日の議事の進め方でございますが、渡部参考人、江橋参考人の順にお一人二十分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず渡部参考人からお願いいたします。渡部参考人。
渡
渡部昇一#2
○参考人(渡部昇一君) 日本国憲法は明治に最初にできたわけでありますが、あの憲法はそれなりによかったと思うのでありますけれども、その後の危険に対する歯どめが不十分だったと考えるものであります。
明治憲法のもとで日本は有色人種で最初の近代国家をつくることに成功いたしまして、そして日露戦争以後も決して日本は軍国主義に向かわずに、むしろ大正民主主義と言われるような、言論が非常に重要な、そして第三次桂内閣のごとき、演説会のみによって内閣が交代するというような民主的な方向に向かっておりました。また参政権も、どんどん税金の納める金額が下がりまして、遂に普選、普通選挙法まで、大正のところに行っております。さらに、軍備縮小の方にも日露戦争の以後、特に第一次大戦後進んでおりまして、大した多くもない陸軍も四個師団もつぶし、戦艦「土佐」などもつくりかけのをやめておるのであります。
ところが、その憲法は、その後の世界の、ロシア革命以後の世界全体に起こりました社会主義化に対する歯どめが十分でなかったというのが私の考えでございます。
それで、もし今の憲法が将来修正を受けたりすることがあるならば、私はこの点だけ一つはっきり変えてもらいたいと思うのであります。その他の点については、いろんな専門家がおっしゃることでありますし、私も本も書いていますけれども、繰り返さずにたった一つだけ、ほかの先生方が余りおっしゃらないだろうということを一つ述べておきたいと思います。
それは第二十九条の財産権でありますが、「財産権は、これを侵してはならない。」と言って、その次は、「公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と、このようにありますね。ところが、三十条になりますと、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」と、こう書いてあります。ですから、二十九条では「財産権は、これを侵してはならない。」と私有財産を保護する規定がありながら、次の三十条では、「法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」としてあります。
これは極めて危険な並列でございまして、万一、私有財産を否定するがごとき政党が政権をとったとすれば、憲法を変えることなく、相続税だろうが所得税だろうが、極端に言えば九九%することも可能であります。ですから、私は、もし新しい憲法に改正されるとするならば、必ず税金の上限を定めてほしいと思うのであります。
私が今考えている税金の上限というのは、相続税は、これを廃止する。それから遺留分は、これを廃棄して一〇〇%遺言状のとおりにする。そして、第三に所得税の上限を一〇%あるいは一二%にする。この三つぐらいを上限として盛り込むことが必要なのではないかと思うのであります。
と申しますのは、万一、明治憲法に税金の上限というようなことがありましたら、日本は昭和十年代に国家社会主義に向かうようなことはあり得なかったと思うのであります。明治時代の明治憲法には国家社会主義の出現を予想する力がもちろんありませんでした。また、国際共産主義をも予想する力がありませんでした。したがって、私有財産の守り方について極めて不明瞭でございました。
それで、昭和十二年に日華事変が勃発しますと、その後日本の全法律体系は国家社会主義になりました。ですから、最初、昭和十二年のころ、盧溝橋だとか、あるいは上海あたりで戦火が起こりましたときは、日本軍はああいう局地戦の弾薬、武器にも事欠くぐらいの備蓄しかありませんでした。ところが、次から次へと、特に昭和十三年以来法律を変えていきまして、完全に社会主義体制、配給制度まで行きますと、恐ろしく一時的な力が出まして、何万台もの飛行機もつくる力が出ました。これは、もしも税金の歯どめがあったならば当然慎重になったはずであり、社会主義国に共感を持ってヒトラーやムソリーニと同盟せよなどという国民世論も起こらなかったし、また政府もそんなことをしなかっただろうと思うわけであります。
私は、かつて一時政府税調委員になったことがあります。そのときに、税調の委員長にこういう質問をいたしました。今の税制の根幹には財産を分配するという、そういう思想があるのではないですか、こういう質問をいたしました。そうしたら、委員長は大変お困りになって、随分長い沈黙が続いたのでありますが、最後にその思想があると思いますということを言われました。事実、日本では相続税の上限が七〇%になっております。これは、SPD、社会党ですね、ドイツでは社会党と称する党が政権を握っているにもかかわらず、ドイツでは二十数%が上限であるということに比べても著しい社会主義的ガラガラポンの思想であります。
それで、私はその財産のすべてを分けてしまうという思想が税制にあるとするならば、それは憲法違反ではないだろうかなどと申し上げたことがありました。私は、憲法というものは何を守るかといえば、一番は国民の生命、財産というわけで、生命と財産はほとんど同じぐらいに並べられてしかるべきであると思うのです。事実、このためにアメリカの独立も起こったわけですし、またイギリスの議会制度もできたわけで、我々は大体その流れの中の議会制度を持っておるわけでありますから、生命、財産を特にはっきり重んずるという項目が明確に示されなければならないと思います。
それが今の二十九条の規定が三十条でどうにもできるようになっておりましたのでは、一たび世の中が変わりまして、またどこかで社会主義風が吹きますと、九九%の財産税、九九%の所得税というのも理論的には可能であるような憲法になっていることを忘れてはならないと思うのであります。
それに、今特に私は緊急だと思いますのは、これはいろんな歴史観があると思いますが、十九世紀の後半から二十世紀の最後の十年ぐらいにかけて世界史を見ますと、いろんな見方があると思いますが、一つの見方は私有財産に対する考え方の闘争史であったとも言えると思うのです。私有財産を廃止するとか、その相続権を奪うとか、そういうのが実際そういうスローガンのもとにできた国家もございます。ところが、それとは反対の古い考えを持った国家もあります。
そして、その決着は今から約十年前に世界の人の目の前で明確についたと思うのです。私有財産をとうとばない国、私有財産を廃止した国は、失われたものが、私有財産のみならずすべてがなくなる。文化もなければ、もちろん文化の伝承もなくなる。文化の伝承というのは大体個人の家庭においてなされるわけでありますが、それもなくなる。それどころか、市民としてのステータスまでなくなる。そして、旧ソ連のごときは、金の埋蔵量世界一、石油もアラビアぐらいはあったと思うんですが、それから森林資源、土地資源、無限にありながらも、行き詰まって崩壊した後を見れば、残ったのは強大なる官僚組織と二流の武器だけで、あとはすっからかんの何もなくなっていたというのが大ざっぱな見方だと思います。
日本は、明治憲法のもとで栄えて、そして日露戦争に勝ち、第一次戦争でも勝った方につきながらも決して軍国主義には向かわなかったにもかかわらず、その後世界にロシア革命以後の社会主義、いろんな種類の社会主義が出て、それに足が引っ張られたのが私の知っている日本の悲劇であります。
そして、今日見るような、日本は現在でも製造業は世界一強いことは明らかでありまして、輸出の黒字も十五兆か十三兆ぐらいの間だと思います。二位のドイツだって五兆にはならないぐらい強い。にもかかわらず不景気なのは何かと申しますと、これはやはり金融がおかしいこと、それから相続が不安のために日本の国の富の九十数%をつくっていると言われている中小企業の人たち、特に成功した中小企業の人たちは、成功した途端に後ろ向きになってしまうのであります。これ以上仕事をやって成功しても税金がどうなるかわからない、それから事業を継がせるのがどうなるのかわからない、それでこの辺でやっておくかと、どこか緩んでくるんですね。これが全体として非常に大きいと思うのです。ところが、失敗しているような人たちは、これは相続の心配もありませんので、赤字を出している中小企業の方はのほほんとしているというような妙な形になっております。
ですから、相続税は撤廃するよ、そして遺留分もなくするよと言えば、全国の成功している中小企業もまだ余り成功していない中小企業も奮い立つはずでありまして、これが日本の元気のもとになることはまた明らかであります。
それにまた、今急いでそれをやりませんと非常に日本は危険なことになるという一つの理由は、ブッシュ政権は、今から一月ぐらい前でしょうか、十年以内に相続税をゼロにするなどということを言いました。紆余曲折はあるでしょうけれども、恐らくその方向に行くと思いますね。そうすると、日本でも大金持ち、大きな能力のある人、これは国際企業に関係あります。この人たちがアメリカの国籍を取るであろうことはほとんど確実ですね。そうしますと、日本に残されたのはほかの人の税金にぶら下がろうという人が大多数になってしまう危険があります。あのアメリカですらも相続税を、あれだけ金持ちがいると言われるアメリカでも相続税をゼロにするというような時代に、日本が社会主義的な相続思想を維持したのではとてもやっていけないと思うのであります。
憲法については、いろいろ種々申したいことがございますが、一つだけ税制について申し上げました。
この発言だけを見る →明治憲法のもとで日本は有色人種で最初の近代国家をつくることに成功いたしまして、そして日露戦争以後も決して日本は軍国主義に向かわずに、むしろ大正民主主義と言われるような、言論が非常に重要な、そして第三次桂内閣のごとき、演説会のみによって内閣が交代するというような民主的な方向に向かっておりました。また参政権も、どんどん税金の納める金額が下がりまして、遂に普選、普通選挙法まで、大正のところに行っております。さらに、軍備縮小の方にも日露戦争の以後、特に第一次大戦後進んでおりまして、大した多くもない陸軍も四個師団もつぶし、戦艦「土佐」などもつくりかけのをやめておるのであります。
ところが、その憲法は、その後の世界の、ロシア革命以後の世界全体に起こりました社会主義化に対する歯どめが十分でなかったというのが私の考えでございます。
それで、もし今の憲法が将来修正を受けたりすることがあるならば、私はこの点だけ一つはっきり変えてもらいたいと思うのであります。その他の点については、いろんな専門家がおっしゃることでありますし、私も本も書いていますけれども、繰り返さずにたった一つだけ、ほかの先生方が余りおっしゃらないだろうということを一つ述べておきたいと思います。
それは第二十九条の財産権でありますが、「財産権は、これを侵してはならない。」と言って、その次は、「公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と、このようにありますね。ところが、三十条になりますと、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」と、こう書いてあります。ですから、二十九条では「財産権は、これを侵してはならない。」と私有財産を保護する規定がありながら、次の三十条では、「法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」としてあります。
これは極めて危険な並列でございまして、万一、私有財産を否定するがごとき政党が政権をとったとすれば、憲法を変えることなく、相続税だろうが所得税だろうが、極端に言えば九九%することも可能であります。ですから、私は、もし新しい憲法に改正されるとするならば、必ず税金の上限を定めてほしいと思うのであります。
私が今考えている税金の上限というのは、相続税は、これを廃止する。それから遺留分は、これを廃棄して一〇〇%遺言状のとおりにする。そして、第三に所得税の上限を一〇%あるいは一二%にする。この三つぐらいを上限として盛り込むことが必要なのではないかと思うのであります。
と申しますのは、万一、明治憲法に税金の上限というようなことがありましたら、日本は昭和十年代に国家社会主義に向かうようなことはあり得なかったと思うのであります。明治時代の明治憲法には国家社会主義の出現を予想する力がもちろんありませんでした。また、国際共産主義をも予想する力がありませんでした。したがって、私有財産の守り方について極めて不明瞭でございました。
それで、昭和十二年に日華事変が勃発しますと、その後日本の全法律体系は国家社会主義になりました。ですから、最初、昭和十二年のころ、盧溝橋だとか、あるいは上海あたりで戦火が起こりましたときは、日本軍はああいう局地戦の弾薬、武器にも事欠くぐらいの備蓄しかありませんでした。ところが、次から次へと、特に昭和十三年以来法律を変えていきまして、完全に社会主義体制、配給制度まで行きますと、恐ろしく一時的な力が出まして、何万台もの飛行機もつくる力が出ました。これは、もしも税金の歯どめがあったならば当然慎重になったはずであり、社会主義国に共感を持ってヒトラーやムソリーニと同盟せよなどという国民世論も起こらなかったし、また政府もそんなことをしなかっただろうと思うわけであります。
私は、かつて一時政府税調委員になったことがあります。そのときに、税調の委員長にこういう質問をいたしました。今の税制の根幹には財産を分配するという、そういう思想があるのではないですか、こういう質問をいたしました。そうしたら、委員長は大変お困りになって、随分長い沈黙が続いたのでありますが、最後にその思想があると思いますということを言われました。事実、日本では相続税の上限が七〇%になっております。これは、SPD、社会党ですね、ドイツでは社会党と称する党が政権を握っているにもかかわらず、ドイツでは二十数%が上限であるということに比べても著しい社会主義的ガラガラポンの思想であります。
それで、私はその財産のすべてを分けてしまうという思想が税制にあるとするならば、それは憲法違反ではないだろうかなどと申し上げたことがありました。私は、憲法というものは何を守るかといえば、一番は国民の生命、財産というわけで、生命と財産はほとんど同じぐらいに並べられてしかるべきであると思うのです。事実、このためにアメリカの独立も起こったわけですし、またイギリスの議会制度もできたわけで、我々は大体その流れの中の議会制度を持っておるわけでありますから、生命、財産を特にはっきり重んずるという項目が明確に示されなければならないと思います。
それが今の二十九条の規定が三十条でどうにもできるようになっておりましたのでは、一たび世の中が変わりまして、またどこかで社会主義風が吹きますと、九九%の財産税、九九%の所得税というのも理論的には可能であるような憲法になっていることを忘れてはならないと思うのであります。
それに、今特に私は緊急だと思いますのは、これはいろんな歴史観があると思いますが、十九世紀の後半から二十世紀の最後の十年ぐらいにかけて世界史を見ますと、いろんな見方があると思いますが、一つの見方は私有財産に対する考え方の闘争史であったとも言えると思うのです。私有財産を廃止するとか、その相続権を奪うとか、そういうのが実際そういうスローガンのもとにできた国家もございます。ところが、それとは反対の古い考えを持った国家もあります。
そして、その決着は今から約十年前に世界の人の目の前で明確についたと思うのです。私有財産をとうとばない国、私有財産を廃止した国は、失われたものが、私有財産のみならずすべてがなくなる。文化もなければ、もちろん文化の伝承もなくなる。文化の伝承というのは大体個人の家庭においてなされるわけでありますが、それもなくなる。それどころか、市民としてのステータスまでなくなる。そして、旧ソ連のごときは、金の埋蔵量世界一、石油もアラビアぐらいはあったと思うんですが、それから森林資源、土地資源、無限にありながらも、行き詰まって崩壊した後を見れば、残ったのは強大なる官僚組織と二流の武器だけで、あとはすっからかんの何もなくなっていたというのが大ざっぱな見方だと思います。
日本は、明治憲法のもとで栄えて、そして日露戦争に勝ち、第一次戦争でも勝った方につきながらも決して軍国主義には向かわなかったにもかかわらず、その後世界にロシア革命以後の社会主義、いろんな種類の社会主義が出て、それに足が引っ張られたのが私の知っている日本の悲劇であります。
そして、今日見るような、日本は現在でも製造業は世界一強いことは明らかでありまして、輸出の黒字も十五兆か十三兆ぐらいの間だと思います。二位のドイツだって五兆にはならないぐらい強い。にもかかわらず不景気なのは何かと申しますと、これはやはり金融がおかしいこと、それから相続が不安のために日本の国の富の九十数%をつくっていると言われている中小企業の人たち、特に成功した中小企業の人たちは、成功した途端に後ろ向きになってしまうのであります。これ以上仕事をやって成功しても税金がどうなるかわからない、それから事業を継がせるのがどうなるのかわからない、それでこの辺でやっておくかと、どこか緩んでくるんですね。これが全体として非常に大きいと思うのです。ところが、失敗しているような人たちは、これは相続の心配もありませんので、赤字を出している中小企業の方はのほほんとしているというような妙な形になっております。
ですから、相続税は撤廃するよ、そして遺留分もなくするよと言えば、全国の成功している中小企業もまだ余り成功していない中小企業も奮い立つはずでありまして、これが日本の元気のもとになることはまた明らかであります。
それにまた、今急いでそれをやりませんと非常に日本は危険なことになるという一つの理由は、ブッシュ政権は、今から一月ぐらい前でしょうか、十年以内に相続税をゼロにするなどということを言いました。紆余曲折はあるでしょうけれども、恐らくその方向に行くと思いますね。そうすると、日本でも大金持ち、大きな能力のある人、これは国際企業に関係あります。この人たちがアメリカの国籍を取るであろうことはほとんど確実ですね。そうしますと、日本に残されたのはほかの人の税金にぶら下がろうという人が大多数になってしまう危険があります。あのアメリカですらも相続税を、あれだけ金持ちがいると言われるアメリカでも相続税をゼロにするというような時代に、日本が社会主義的な相続思想を維持したのではとてもやっていけないと思うのであります。
憲法については、いろいろ種々申したいことがございますが、一つだけ税制について申し上げました。
上
江
江橋崇#4
○参考人(江橋崇君) 江橋でございます。
一応書いてきたものを用意しましたけれども、それをそのまま読み上げるのではなくて、もう少し話し言葉にして御説明したいと思います。
初めに書いておきましたけれども、アメリカでは一般に裁判官はジャッジと呼ばれる中で、連邦最高裁判所の裁判官だけがジャスティスと呼ばれております。ジャッジというものは憲法やそのほかの法に基づいて人を裁く仕事であるのに対して、連邦最高裁判所は、判例法の国ですから、連邦裁判所の裁判官が語ったことが法になる、つまり彼らは社会のあるべき正義を語り法を語る口になるということだと思います。
現在、衆参両議院に設置されましたこの憲法調査会も、憲法を解釈し、それに基づいて法をあれこれと議論する場ではなくして、二十一世紀の日本社会においてどのような法、憲法が必要なのか、何が社会の法と正義になるべきなのかという、すぐれて憲法政策的な議論をなさる場所かと思います。私もこれまでの毎回の参考人と同じく、そういうつもりでこれから陳述いたします。皆様のお役に立てば幸いです。
まず、本日のテーマが国民主権と国の機構ということですが、私は改めて国民主権て何だろうと考え直してみました。その結果は、これまで言われているような意味での国民主権というのはもう歴史的使命を終えたということであります。
もともと国民主権という物の考え方は、ヨーロッパでもどこの国でも君主主権に対抗する言葉として考え出されてきたように思われます。日本でも、したがって戦前の大日本帝国の天皇が主権者であったそういう国の政治のあり方、国の形を改めるキーワードとして国民主権という言葉が投ぜられたのだと思っております。幸いなことに、その意味での君主主権か国民主権かということに関して言えば、日本国内の世論と、それと連合国側の厳しい監視もあって、戦後の日本の天皇制は戦前の天皇制の復活ではなくして全く新しい象徴天皇制という方向に移行し、とりわけ現在の天皇及び皇后の結婚したあのミッチーブーム、御成婚のころからいわゆる象徴天皇制というものが安定して国民に広く支持されてきたと思います。
したがって、主権者としての天皇の地位を否定するかどうかという論点から言えば、もう国民主権だから象徴天皇制は君主主権ではないんだからというようなことを今さら言ってもほとんど意味がない。そして、この意味で君主主権と国民主権との対抗関係などというものはもう世界各国とも憲法学者はほとんど相手にしていない議論になっているかと思います。
それにかわって、最近では日本の憲法学でもごく一部に、日本国憲法に国民主権と書いてあるのを、これを人民主権的な意味合いに再解釈しよう、そうするとこれから先、日本の民主主義がもう少し前に進むのではないかと、私は国民主権のリユース学派と呼んでいますが、リユースしようという主張があります。あるいは、来週ここに呼ばれることが予定されている辻村教授もその有力な一人かと思いますが。
私は、あの議論は基本的には自分の言いたいことを人民主権と言い直しているだけの議論だと思っております。そういった意味において、国民主権とか人民主権という言葉が使われることによって日本の国、これからの国の政治がよくなるとか、あるいは憲法問題に新しいレベルが開かれるということは余り期待できない。そういった意味では、歴史的な使命を終えつつある言葉と思っております。
しかし、そう言ってしまいますと私の話は終わってしまいますので、もう少し続けなければいけません。
もともと、日本国憲法でなぜ国民主権ということが言われたのかといえば、帝国憲法の原理を否定しようということだったと思います。その際の一番大きな眼目が天皇主権であったことはもちろんそのとおりなんですが、実は大日本帝国憲法にはもちろんそのほかにもさまざまな問題がありました。今、渡部参考人のお話しになったこともその一部かと思いますが、さらに、例えば軍部が独走する、あるいは植民地に日本の憲法秩序が及ばない、そのほかいろんな問題があるかと思います。したがって、日本国憲法で国民主権というのを唱えた場合には、そういったさまざまな問題、官僚主導型であるとかいろんなことがありますが、そういう事柄に対してもう少し国民が市民中心の、市民が主人公になる政治でいこうという大きな約束事が国民主権だったのではないかと思っております。
私としては、国民主権を、何年憲法のどこではこういう意味であるという憲法解釈的な、あるいは授業的なことはここではお話ししたくありません。ここで皆様に申し上げたいのは、国民主権という言葉の中で市民が主人公になる政治というものが戦後は考えられてきたんだと、そのことは基本的に私は支持できる、正しいことだと思っております。
もう一つ国民主権論をめぐって厄介なのは、アメリカ軍による占領中に国民主権の憲法ができたというこのパラドキシカルな事態をどう説明するかであります。答えは私は簡単だと思っております。
日本の憲法及び憲法学者は、国民主権というのを一晩で成立するものだと考えていたわけです。もう少し美しい言葉で言えば、革命によって一挙に国民主権になると思っていたわけなんです。一挙に国民主権になるというふうに考えると、昭和二十一年十一月三日に公布された日本国憲法には国民主権と書いてあるわけですから、どこかの時点で一晩のうちに国民主権が成立したと言わなければいけない。もちろんそんな日はないわけであります。日本は市民革命をしていません。古い指導者、支配者が、最近もテレビでよく出てきている国々のように、飛行機に乗って亡命していく、国民がみんな万歳を言いながら大統領官邸を占拠する、こんなことは日本では決して起きないし、起きてもいないわけであります。したがって、問題なのは、そういう革命で一晩のうちに政権が交代するということがないのに日本国憲法にいつの間にか国民主権となってしまった、これをどう説明するかであります。
東京大学の丸山真男先生が初め言い出し、後に憲法学者の宮沢俊義先生によって体系化されてきたのがいわゆる八・一五革命説、つまり、日本がアメリカに降伏しポツダム宣言を受諾した瞬間に日本は国民主権になったのだという説であります。私は、それは間違いだと思っております。
ポツダム宣言を受諾し、いやポツダム宣言をしたのは日本側の思惑でして、アメリカ側は無条件降伏でありました。ポツダム宣言は天皇の主権を制限していませんが、無条件降伏になれば天皇の主権は制限、剥奪されるわけであります。そして、日本は無条件降伏したのでありまして、その無条件降伏した瞬間に天皇の主権者である地位はなくなったと私も思っていますが、そのことが直ちに国民主権原理の確立を見たことに直結するというのは間違いでありまして、昭和二十年八月に起きたのは天皇主権からGHQ主権に移ったということだと思っております。したがって、そこはもうフラットに認めた方がいいというのが最近、憲法の学会の中でも出てきている議論かと思います。
そして、その中で、昭和二十一年十一月三日、昭和二十二年五月三日に施行された日本国憲法において、国民主権というものがようやく予告された、いわば大綱的プログラムとしては決められたわけですが、当時は何といってもGHQの超憲法的権力というものが日本に君臨していたわけですから、実際に国民主権になったのは私はむしろサンフランシスコ平和条約以降と思います。サンフランシスコ平和条約の一条b項に、お書きしたものの三ページの下に書いておきましたけれども、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。」という、この際、私の議論にとっては多少都合のいい、全面的に都合のいいわけでもないですが、多少都合のいい部分がございます。
つまり、日本における国民主権というのは、まずその前の主権者である天皇が昭和二十年に滅び、天皇の主権が滅び、天皇は滅びていませんけれども、天皇の主権が滅び、昭和二十一年十一月三日に公布された日本国憲法によって国民主権ということがいわば予告され、そして昭和二十七年四月、サンフランシスコ条約の発効とともに占領軍が撤退し、日本が国民主権を持つようになったと、そういうふうにフラットに考えればいいことだと思っております。昔は、こういうことを言うと、それは押しつけ憲法に何か城を明け渡すこととか、いろんなややこしい政治的思惑があってはっきり言えなかったんですが、今となってみればこの辺はすらっと言ってもいいことではないかと思っております。
さて、問題はその先でありまして、日本国憲法が国民主権を採用したのが、革命で一晩で権力がかわったということの追加的な承認ではなくて、一つのプログラムだとしたら一体何だったのかと。先ほど申し上げたとおり、市民が主人公になる政治を行うんだというのが日本国憲法の基本的な約束事だったろうと思っております。私は、その内容を七つにこの際取り上げてまとめてみました。
一つに、レジュメにも書いて、レジュメというか書いたものにも載せておきましたけれども、五ページ目の後ろの方から載せておきましたけれども、まず天皇主権を克服する。これは既にお話ししたとおり、オーケーでありました。
二つ目に、戦前の日本が非常に中央集権的な官僚システムによってどこかに国民全体を引っ張っていくものだったということの反省として、地方分権ということが唱えられました。
日本国憲法ができた当時には、後に最高裁判所の裁判官になった田中二郎さんなどは、当時、東大の新進の行政法の教授でしたけれども、日本国憲法の五大原理といって、その一つに地方自治と入れたぐらい重要な原則だと考えられていた、まさに国民主権の基本的な構成要素だと考えられていたにもかかわらず、実際にはその後、地方自治は不振で、中央集権的な国家の再建と産業界の再建が進む中で一たびは地方自治は非常に弱いものになってきたし、憲法学者の憲法の説明の中でも、地方自治なんて及ばない、条文が後ろの方にあることもあって授業では扱わないというケースが多かったように思います。
それに対して、一九七〇年代以降、まさに日本の市民が、市民自身が革新自治体、途中からはまさに革新が取れて自治体になってきましたけれども、あるいは市民自治の憲法理論、地方の時代、そういったことを強調し主張する中で日本国民自身が地方分権というものをつくってきた。そして、その試みの中で一九九〇年代になって分権推進委員会ができ、その答申をまって地方分権推進一括法が国会で通過し、国と自治体の関係が上下の関係ではなくて対等協力の関係だと言われるようになり、また、憲法六十五条で「行政権は、内閣に属する。」という規定がありますので、かつては地方自治も含めてすべてのことは内閣に源があるんだと言われていましたが、そうではないと。憲法六十五条は、国の行政権は内閣に属するというだけであって、地方自治体の部分については別だと。むしろ、九十二条以下の地方自治の問題だと。国会で橋本首相によって唱えられるような、そういう時代になった。つまり、国と自治体、国と地方の分権、あるいは中央集権的な国家構造の改革というものには約五十年かかってここまで来たのかと思っています。
同じような意味で、三番目に官僚制度の統制の問題もあります。これについてもまさに行革のテーマでありまして、最近というよりことしの一月一日からの省庁再編成に伴って、一応、内閣あるいは内閣総理大臣の指導性を維持するというところまで話は進んできましたけれども、まだまだ官僚機構による日本の指導というものを改めていくのは、まだ道遠いところがあるかと思っております。
四番目に、これは通常は国民主権の問題としては議論してないんですけれども、女性の問題を私は考えております。日本国憲法は、確かに表面上は男女の同権を唱えた憲法でありました。その意味において女性もまた主権者の一員になったのでありますが、実際には、日本国において発生したのは、男性の優位と性別役割分業に基礎を置いた男性社会だったと思います。それに対して女性が、本当に自分たちが、市民が主役の政治であるならば自分たちも主役になるのだと言って政治の場における男女の同権を追求し始めたのは、どう早く見ても一九七五年のメキシコ会議以降、いやどう早く見てもと言っては申しわけないですね、戦前の、市川房枝さんたちの戦前からの伝統があるのでそれを無視したら怒られちゃいますが、広く一般的に言われるようになったのはとりわけ一九九〇年代に入ってからであったかと思います。
そして日本は、この立ちおくれが世界各国に例を見ない国会及び地方議会における女性議員の比率の低さということになってあらわれてきているわけであります。今、男女共同参画社会基本法とともに女性のメーンストリーミング、つまり女性も政治の主役として中心にあって決定に参画するということが唱えられるようになってきたという意味で、今我々は、やっと男性だけの国民主権から女性も交えた国民主権へ転換しつつある時期だと言えるかと思います。同じようなことが障害者に関しても言えますし、子供に関しても言えますし、であります。ちょっと時間の関係もあるのでそこは飛ばしてしまいますが。
もう一つ、私は、戦後の国民主権が克服しなければいけない課題は、戦前の国家が帝国であったということ、その帝国を改めるということだったと思います。つまり、植民地支配の問題であります。
残念なことに、戦後の日本では、市民が主役になるという場合に、戦前をどう清算するのかということがきちんと行われていなかったために、今日に至るまでなお戦争責任の問題はもやもやしていますし、日本にずっと生活していた在日韓国・朝鮮人の人々に対する差別、これまた非常に厳しく加えられてきたと思います。そういった意味においては、私は、すべての市民が日本国、日本列島上に生活の本拠を得て頑張っているならば、国籍とか人種とかそういうものにかかわりなくすべての人が主人公になれる政治体制をつくるということは、この面でもまだまだかと思っております。
さて、私はまだまだだという課題をぞろぞろと並べるつもりではないのであります。繰り返しますが、国民主権ということは憲法で一応決められたとしても、それが一体何なのかということは実は判然としていなかった。それに対して、サンフランシスコ平和条約で日本が独立してから以降、日本の市民は、みずからが実際に生活の場で困った、嫌な思いをした、あるいはよくあるべきだと考えた、さまざまな理由からみずから当事者として市民が主役になる政治を追求してきた、その成果に我々は今注目しておく必要があるだろうということなのであります。
日本の高度成長は、確かに産業界と官僚界によって主導されました。高度成長が終わった一九七〇年代以降、日本は世界の最先端の経済力を持つようになったわけでして、もはやどこかの国に追いつけ追い越せというモデルはない、そういう時代になりました。そのときに、モデル勉強再現型を得意とする官僚が日本の政治、日本の行政を主導してもどうもうまくいかない。これからは、むしろ産業界あるいは労働界あるいはその他市民各界の実際に生活している現場において、人々が何を考え何を苦労しているのかというところを緻密に拾い出してくるという現場重視型の政治が必要であり、それは官僚によっては担い切れなくて、むしろ現場の人々によって担われてきたんだと。もし、日本の戦後の憲法実践というものが国民主権の観点から価値があるとするならば、そういう人々の営みにこそ価値があるんだと私は申し上げたいのであります。
時間が大変短くなっておりますが、レジュメに書いておきました十二ページの憲法改正の問題について、一言だけ触れさせていただきたいと思います。
国民主権と考えた場合、やはり一つの大きな論点は憲法改正がどうあるべきかということであろうかと思います。御承知のとおり、戦後の日本は、この点について改憲論と護憲論の思想の激突を繰り返してきましたために、実際に政治の場で憲法問題をどう考えていったらいいかということについての議論は甚だ少なかったように思っております。
私は、この際、皆様に特に御注目いただきたいのが、プラス改憲と書いておきましたけれども、ほかの人によると増憲、憲法を増すというふうに書いている人もいます。これは何かというと、アメリカ型の憲法改正のあり方であります。アメリカは、憲法を改正するときには本文には手をつけない。時代が変わったりあるいは問題が変わったりして困った場合、その後ろに条文を新たにつけていく。例えば、南北戦争が終わって奴隷解放がついたとか、そういうことであります。本文は歴史的産物であり、歴史に責任を持つという意味からもこれを消さない、後の時代に出てきた知恵は後ろに足していく、これがアメリカ型の増加型改正という考え方、アメンドメント方式であります。
日本国憲法はアメリカの進駐軍のつくった憲法ですから、九十六条に出てくる改正の部分についてはアメンドメントという英訳の言葉が与えられております。そして、実際の条文を見ると、十三ページ目に書いておきましたけれども、九十六条二項では、憲法改正が国民投票の過半数で可決された場合に、「天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」と決まっております。
この「一体を成すもの」というのがくせ者でありまして、憲法全部をひっくり返してしまうという全面改正の場合は一体じゃないですよね、かわるものですから一体はなさない。あるいは、憲法を部分的に改正する場合も、その前の条文がなくなって新しいものがかわりにはめ込まれるわけですから、これも一体とは言わない。「一体を成す」というのは、前のものが全部残っていて後から継ぎ足すから一体なのであります。つまり、もともと日本憲法はどちらかというとアメリカ型の改憲を考えていた。
したがって、日本国憲法ができたときには、日本国憲法の改正の形は三つだと普通、憲法の教科書に書いてありました。全面改正と部分改正と増加型改正であると。本則は増加型改正だけれども、このようなものは日本の政治風土に合わない、立法文化に合わない、法文化に合わないというのが佐藤功教授の見解でありました。したがって、だんだんその扱いが小さくなってきて、最近、怠け者の私たち中堅、若手の憲法学者は、九十六条に進むときに、憲法改正は全面改正と部分改正と二つであると言って、増加型改正は書かないというのが普通でありました。
それはなぜかというと、アメリカは何やっているんだろうね、古いものをちっともなくさないでと思っていたわけであります。しかしながら、よくよく考えてみると、例えばフランスは今でも第四共和制の憲法を直し直し使っている。ドイツだって、東西ドイツが統一されたときには新しい憲法をつくることができなくてボン基本法を直し直し使っている。イギリスなんかもっとすごいところでありまして、つい二、三十年前にやっとマグナカルタがなくなったと言われていまして、それまで一二一五年の鎌倉時代のマグナカルタが現行法としての価値を持っていた。今でも一六八九年の権利の章典、日本でいえば元禄時代の生類憐みの令のころにつくられたものが今でも法律として使われているのがイギリスであります。つまり、立憲主義の先進的な国々というのは古いものを大事にする。そう簡単に全面改正といってどこかの駅前の再開発みたいなことはしないということであります。
なぜだろう、これが実は戦後、日本ではわからなかったのでありますが、やっぱり戦後五十年、このように憲法の実践を経てくると、皆様がそうでありますように、一党一派が独裁的に憲法を改正するなら何でもできるけれども、そうでないとするならば、やっぱり与野党みんな集まっていろいろ知恵を出してやっていこう、そうなったら余り全部改正しようといっても無理だと。今の憲法がいいという人もいれば、いけないという人もいれば、ここはいい、形だけ変えろとか、もう一回国民投票だけやらせろとか、いろんな意見があるときにどうすればいいのかといえば、やはり今の日本国憲法をきちんと残した上で、足りない部分を足していくというようなところが具体的に政治的な落としどころではないんですかというのが私の考えであります。
こういうことに気がつけるようになるのに五十年かかった。逆に言うと、日本は、日本国憲法ができたときにはアメンドメント方式とかイギリス型とかフランス型とかよくわからなかったけれども、五十年やってきて、与野党何度も激突して憲法問題の処理に困りながらやってきてみると、なかなかだなと、足して二で割るみたいな話になっちゃいますけれども、日本国憲法を残しておいて与野党の合意ができるところから順次足していけばいいじゃないということにあろうかと思っております。
そういった意味において、私は国民主権というものは、何かぼんと一晩にして大きく変わるということではなくて、やはり市民が中心になって、市民中心の、市民の市民による市民のための政治を実現していくこと、その一環としてまさに民主主義の成熟度が問われる憲法改正問題にきちんと取り組むことだというふうに思っております。
以上です。
この発言だけを見る →一応書いてきたものを用意しましたけれども、それをそのまま読み上げるのではなくて、もう少し話し言葉にして御説明したいと思います。
初めに書いておきましたけれども、アメリカでは一般に裁判官はジャッジと呼ばれる中で、連邦最高裁判所の裁判官だけがジャスティスと呼ばれております。ジャッジというものは憲法やそのほかの法に基づいて人を裁く仕事であるのに対して、連邦最高裁判所は、判例法の国ですから、連邦裁判所の裁判官が語ったことが法になる、つまり彼らは社会のあるべき正義を語り法を語る口になるということだと思います。
現在、衆参両議院に設置されましたこの憲法調査会も、憲法を解釈し、それに基づいて法をあれこれと議論する場ではなくして、二十一世紀の日本社会においてどのような法、憲法が必要なのか、何が社会の法と正義になるべきなのかという、すぐれて憲法政策的な議論をなさる場所かと思います。私もこれまでの毎回の参考人と同じく、そういうつもりでこれから陳述いたします。皆様のお役に立てば幸いです。
まず、本日のテーマが国民主権と国の機構ということですが、私は改めて国民主権て何だろうと考え直してみました。その結果は、これまで言われているような意味での国民主権というのはもう歴史的使命を終えたということであります。
もともと国民主権という物の考え方は、ヨーロッパでもどこの国でも君主主権に対抗する言葉として考え出されてきたように思われます。日本でも、したがって戦前の大日本帝国の天皇が主権者であったそういう国の政治のあり方、国の形を改めるキーワードとして国民主権という言葉が投ぜられたのだと思っております。幸いなことに、その意味での君主主権か国民主権かということに関して言えば、日本国内の世論と、それと連合国側の厳しい監視もあって、戦後の日本の天皇制は戦前の天皇制の復活ではなくして全く新しい象徴天皇制という方向に移行し、とりわけ現在の天皇及び皇后の結婚したあのミッチーブーム、御成婚のころからいわゆる象徴天皇制というものが安定して国民に広く支持されてきたと思います。
したがって、主権者としての天皇の地位を否定するかどうかという論点から言えば、もう国民主権だから象徴天皇制は君主主権ではないんだからというようなことを今さら言ってもほとんど意味がない。そして、この意味で君主主権と国民主権との対抗関係などというものはもう世界各国とも憲法学者はほとんど相手にしていない議論になっているかと思います。
それにかわって、最近では日本の憲法学でもごく一部に、日本国憲法に国民主権と書いてあるのを、これを人民主権的な意味合いに再解釈しよう、そうするとこれから先、日本の民主主義がもう少し前に進むのではないかと、私は国民主権のリユース学派と呼んでいますが、リユースしようという主張があります。あるいは、来週ここに呼ばれることが予定されている辻村教授もその有力な一人かと思いますが。
私は、あの議論は基本的には自分の言いたいことを人民主権と言い直しているだけの議論だと思っております。そういった意味において、国民主権とか人民主権という言葉が使われることによって日本の国、これからの国の政治がよくなるとか、あるいは憲法問題に新しいレベルが開かれるということは余り期待できない。そういった意味では、歴史的な使命を終えつつある言葉と思っております。
しかし、そう言ってしまいますと私の話は終わってしまいますので、もう少し続けなければいけません。
もともと、日本国憲法でなぜ国民主権ということが言われたのかといえば、帝国憲法の原理を否定しようということだったと思います。その際の一番大きな眼目が天皇主権であったことはもちろんそのとおりなんですが、実は大日本帝国憲法にはもちろんそのほかにもさまざまな問題がありました。今、渡部参考人のお話しになったこともその一部かと思いますが、さらに、例えば軍部が独走する、あるいは植民地に日本の憲法秩序が及ばない、そのほかいろんな問題があるかと思います。したがって、日本国憲法で国民主権というのを唱えた場合には、そういったさまざまな問題、官僚主導型であるとかいろんなことがありますが、そういう事柄に対してもう少し国民が市民中心の、市民が主人公になる政治でいこうという大きな約束事が国民主権だったのではないかと思っております。
私としては、国民主権を、何年憲法のどこではこういう意味であるという憲法解釈的な、あるいは授業的なことはここではお話ししたくありません。ここで皆様に申し上げたいのは、国民主権という言葉の中で市民が主人公になる政治というものが戦後は考えられてきたんだと、そのことは基本的に私は支持できる、正しいことだと思っております。
もう一つ国民主権論をめぐって厄介なのは、アメリカ軍による占領中に国民主権の憲法ができたというこのパラドキシカルな事態をどう説明するかであります。答えは私は簡単だと思っております。
日本の憲法及び憲法学者は、国民主権というのを一晩で成立するものだと考えていたわけです。もう少し美しい言葉で言えば、革命によって一挙に国民主権になると思っていたわけなんです。一挙に国民主権になるというふうに考えると、昭和二十一年十一月三日に公布された日本国憲法には国民主権と書いてあるわけですから、どこかの時点で一晩のうちに国民主権が成立したと言わなければいけない。もちろんそんな日はないわけであります。日本は市民革命をしていません。古い指導者、支配者が、最近もテレビでよく出てきている国々のように、飛行機に乗って亡命していく、国民がみんな万歳を言いながら大統領官邸を占拠する、こんなことは日本では決して起きないし、起きてもいないわけであります。したがって、問題なのは、そういう革命で一晩のうちに政権が交代するということがないのに日本国憲法にいつの間にか国民主権となってしまった、これをどう説明するかであります。
東京大学の丸山真男先生が初め言い出し、後に憲法学者の宮沢俊義先生によって体系化されてきたのがいわゆる八・一五革命説、つまり、日本がアメリカに降伏しポツダム宣言を受諾した瞬間に日本は国民主権になったのだという説であります。私は、それは間違いだと思っております。
ポツダム宣言を受諾し、いやポツダム宣言をしたのは日本側の思惑でして、アメリカ側は無条件降伏でありました。ポツダム宣言は天皇の主権を制限していませんが、無条件降伏になれば天皇の主権は制限、剥奪されるわけであります。そして、日本は無条件降伏したのでありまして、その無条件降伏した瞬間に天皇の主権者である地位はなくなったと私も思っていますが、そのことが直ちに国民主権原理の確立を見たことに直結するというのは間違いでありまして、昭和二十年八月に起きたのは天皇主権からGHQ主権に移ったということだと思っております。したがって、そこはもうフラットに認めた方がいいというのが最近、憲法の学会の中でも出てきている議論かと思います。
そして、その中で、昭和二十一年十一月三日、昭和二十二年五月三日に施行された日本国憲法において、国民主権というものがようやく予告された、いわば大綱的プログラムとしては決められたわけですが、当時は何といってもGHQの超憲法的権力というものが日本に君臨していたわけですから、実際に国民主権になったのは私はむしろサンフランシスコ平和条約以降と思います。サンフランシスコ平和条約の一条b項に、お書きしたものの三ページの下に書いておきましたけれども、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。」という、この際、私の議論にとっては多少都合のいい、全面的に都合のいいわけでもないですが、多少都合のいい部分がございます。
つまり、日本における国民主権というのは、まずその前の主権者である天皇が昭和二十年に滅び、天皇の主権が滅び、天皇は滅びていませんけれども、天皇の主権が滅び、昭和二十一年十一月三日に公布された日本国憲法によって国民主権ということがいわば予告され、そして昭和二十七年四月、サンフランシスコ条約の発効とともに占領軍が撤退し、日本が国民主権を持つようになったと、そういうふうにフラットに考えればいいことだと思っております。昔は、こういうことを言うと、それは押しつけ憲法に何か城を明け渡すこととか、いろんなややこしい政治的思惑があってはっきり言えなかったんですが、今となってみればこの辺はすらっと言ってもいいことではないかと思っております。
さて、問題はその先でありまして、日本国憲法が国民主権を採用したのが、革命で一晩で権力がかわったということの追加的な承認ではなくて、一つのプログラムだとしたら一体何だったのかと。先ほど申し上げたとおり、市民が主人公になる政治を行うんだというのが日本国憲法の基本的な約束事だったろうと思っております。私は、その内容を七つにこの際取り上げてまとめてみました。
一つに、レジュメにも書いて、レジュメというか書いたものにも載せておきましたけれども、五ページ目の後ろの方から載せておきましたけれども、まず天皇主権を克服する。これは既にお話ししたとおり、オーケーでありました。
二つ目に、戦前の日本が非常に中央集権的な官僚システムによってどこかに国民全体を引っ張っていくものだったということの反省として、地方分権ということが唱えられました。
日本国憲法ができた当時には、後に最高裁判所の裁判官になった田中二郎さんなどは、当時、東大の新進の行政法の教授でしたけれども、日本国憲法の五大原理といって、その一つに地方自治と入れたぐらい重要な原則だと考えられていた、まさに国民主権の基本的な構成要素だと考えられていたにもかかわらず、実際にはその後、地方自治は不振で、中央集権的な国家の再建と産業界の再建が進む中で一たびは地方自治は非常に弱いものになってきたし、憲法学者の憲法の説明の中でも、地方自治なんて及ばない、条文が後ろの方にあることもあって授業では扱わないというケースが多かったように思います。
それに対して、一九七〇年代以降、まさに日本の市民が、市民自身が革新自治体、途中からはまさに革新が取れて自治体になってきましたけれども、あるいは市民自治の憲法理論、地方の時代、そういったことを強調し主張する中で日本国民自身が地方分権というものをつくってきた。そして、その試みの中で一九九〇年代になって分権推進委員会ができ、その答申をまって地方分権推進一括法が国会で通過し、国と自治体の関係が上下の関係ではなくて対等協力の関係だと言われるようになり、また、憲法六十五条で「行政権は、内閣に属する。」という規定がありますので、かつては地方自治も含めてすべてのことは内閣に源があるんだと言われていましたが、そうではないと。憲法六十五条は、国の行政権は内閣に属するというだけであって、地方自治体の部分については別だと。むしろ、九十二条以下の地方自治の問題だと。国会で橋本首相によって唱えられるような、そういう時代になった。つまり、国と自治体、国と地方の分権、あるいは中央集権的な国家構造の改革というものには約五十年かかってここまで来たのかと思っています。
同じような意味で、三番目に官僚制度の統制の問題もあります。これについてもまさに行革のテーマでありまして、最近というよりことしの一月一日からの省庁再編成に伴って、一応、内閣あるいは内閣総理大臣の指導性を維持するというところまで話は進んできましたけれども、まだまだ官僚機構による日本の指導というものを改めていくのは、まだ道遠いところがあるかと思っております。
四番目に、これは通常は国民主権の問題としては議論してないんですけれども、女性の問題を私は考えております。日本国憲法は、確かに表面上は男女の同権を唱えた憲法でありました。その意味において女性もまた主権者の一員になったのでありますが、実際には、日本国において発生したのは、男性の優位と性別役割分業に基礎を置いた男性社会だったと思います。それに対して女性が、本当に自分たちが、市民が主役の政治であるならば自分たちも主役になるのだと言って政治の場における男女の同権を追求し始めたのは、どう早く見ても一九七五年のメキシコ会議以降、いやどう早く見てもと言っては申しわけないですね、戦前の、市川房枝さんたちの戦前からの伝統があるのでそれを無視したら怒られちゃいますが、広く一般的に言われるようになったのはとりわけ一九九〇年代に入ってからであったかと思います。
そして日本は、この立ちおくれが世界各国に例を見ない国会及び地方議会における女性議員の比率の低さということになってあらわれてきているわけであります。今、男女共同参画社会基本法とともに女性のメーンストリーミング、つまり女性も政治の主役として中心にあって決定に参画するということが唱えられるようになってきたという意味で、今我々は、やっと男性だけの国民主権から女性も交えた国民主権へ転換しつつある時期だと言えるかと思います。同じようなことが障害者に関しても言えますし、子供に関しても言えますし、であります。ちょっと時間の関係もあるのでそこは飛ばしてしまいますが。
もう一つ、私は、戦後の国民主権が克服しなければいけない課題は、戦前の国家が帝国であったということ、その帝国を改めるということだったと思います。つまり、植民地支配の問題であります。
残念なことに、戦後の日本では、市民が主役になるという場合に、戦前をどう清算するのかということがきちんと行われていなかったために、今日に至るまでなお戦争責任の問題はもやもやしていますし、日本にずっと生活していた在日韓国・朝鮮人の人々に対する差別、これまた非常に厳しく加えられてきたと思います。そういった意味においては、私は、すべての市民が日本国、日本列島上に生活の本拠を得て頑張っているならば、国籍とか人種とかそういうものにかかわりなくすべての人が主人公になれる政治体制をつくるということは、この面でもまだまだかと思っております。
さて、私はまだまだだという課題をぞろぞろと並べるつもりではないのであります。繰り返しますが、国民主権ということは憲法で一応決められたとしても、それが一体何なのかということは実は判然としていなかった。それに対して、サンフランシスコ平和条約で日本が独立してから以降、日本の市民は、みずからが実際に生活の場で困った、嫌な思いをした、あるいはよくあるべきだと考えた、さまざまな理由からみずから当事者として市民が主役になる政治を追求してきた、その成果に我々は今注目しておく必要があるだろうということなのであります。
日本の高度成長は、確かに産業界と官僚界によって主導されました。高度成長が終わった一九七〇年代以降、日本は世界の最先端の経済力を持つようになったわけでして、もはやどこかの国に追いつけ追い越せというモデルはない、そういう時代になりました。そのときに、モデル勉強再現型を得意とする官僚が日本の政治、日本の行政を主導してもどうもうまくいかない。これからは、むしろ産業界あるいは労働界あるいはその他市民各界の実際に生活している現場において、人々が何を考え何を苦労しているのかというところを緻密に拾い出してくるという現場重視型の政治が必要であり、それは官僚によっては担い切れなくて、むしろ現場の人々によって担われてきたんだと。もし、日本の戦後の憲法実践というものが国民主権の観点から価値があるとするならば、そういう人々の営みにこそ価値があるんだと私は申し上げたいのであります。
時間が大変短くなっておりますが、レジュメに書いておきました十二ページの憲法改正の問題について、一言だけ触れさせていただきたいと思います。
国民主権と考えた場合、やはり一つの大きな論点は憲法改正がどうあるべきかということであろうかと思います。御承知のとおり、戦後の日本は、この点について改憲論と護憲論の思想の激突を繰り返してきましたために、実際に政治の場で憲法問題をどう考えていったらいいかということについての議論は甚だ少なかったように思っております。
私は、この際、皆様に特に御注目いただきたいのが、プラス改憲と書いておきましたけれども、ほかの人によると増憲、憲法を増すというふうに書いている人もいます。これは何かというと、アメリカ型の憲法改正のあり方であります。アメリカは、憲法を改正するときには本文には手をつけない。時代が変わったりあるいは問題が変わったりして困った場合、その後ろに条文を新たにつけていく。例えば、南北戦争が終わって奴隷解放がついたとか、そういうことであります。本文は歴史的産物であり、歴史に責任を持つという意味からもこれを消さない、後の時代に出てきた知恵は後ろに足していく、これがアメリカ型の増加型改正という考え方、アメンドメント方式であります。
日本国憲法はアメリカの進駐軍のつくった憲法ですから、九十六条に出てくる改正の部分についてはアメンドメントという英訳の言葉が与えられております。そして、実際の条文を見ると、十三ページ目に書いておきましたけれども、九十六条二項では、憲法改正が国民投票の過半数で可決された場合に、「天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」と決まっております。
この「一体を成すもの」というのがくせ者でありまして、憲法全部をひっくり返してしまうという全面改正の場合は一体じゃないですよね、かわるものですから一体はなさない。あるいは、憲法を部分的に改正する場合も、その前の条文がなくなって新しいものがかわりにはめ込まれるわけですから、これも一体とは言わない。「一体を成す」というのは、前のものが全部残っていて後から継ぎ足すから一体なのであります。つまり、もともと日本憲法はどちらかというとアメリカ型の改憲を考えていた。
したがって、日本国憲法ができたときには、日本国憲法の改正の形は三つだと普通、憲法の教科書に書いてありました。全面改正と部分改正と増加型改正であると。本則は増加型改正だけれども、このようなものは日本の政治風土に合わない、立法文化に合わない、法文化に合わないというのが佐藤功教授の見解でありました。したがって、だんだんその扱いが小さくなってきて、最近、怠け者の私たち中堅、若手の憲法学者は、九十六条に進むときに、憲法改正は全面改正と部分改正と二つであると言って、増加型改正は書かないというのが普通でありました。
それはなぜかというと、アメリカは何やっているんだろうね、古いものをちっともなくさないでと思っていたわけであります。しかしながら、よくよく考えてみると、例えばフランスは今でも第四共和制の憲法を直し直し使っている。ドイツだって、東西ドイツが統一されたときには新しい憲法をつくることができなくてボン基本法を直し直し使っている。イギリスなんかもっとすごいところでありまして、つい二、三十年前にやっとマグナカルタがなくなったと言われていまして、それまで一二一五年の鎌倉時代のマグナカルタが現行法としての価値を持っていた。今でも一六八九年の権利の章典、日本でいえば元禄時代の生類憐みの令のころにつくられたものが今でも法律として使われているのがイギリスであります。つまり、立憲主義の先進的な国々というのは古いものを大事にする。そう簡単に全面改正といってどこかの駅前の再開発みたいなことはしないということであります。
なぜだろう、これが実は戦後、日本ではわからなかったのでありますが、やっぱり戦後五十年、このように憲法の実践を経てくると、皆様がそうでありますように、一党一派が独裁的に憲法を改正するなら何でもできるけれども、そうでないとするならば、やっぱり与野党みんな集まっていろいろ知恵を出してやっていこう、そうなったら余り全部改正しようといっても無理だと。今の憲法がいいという人もいれば、いけないという人もいれば、ここはいい、形だけ変えろとか、もう一回国民投票だけやらせろとか、いろんな意見があるときにどうすればいいのかといえば、やはり今の日本国憲法をきちんと残した上で、足りない部分を足していくというようなところが具体的に政治的な落としどころではないんですかというのが私の考えであります。
こういうことに気がつけるようになるのに五十年かかった。逆に言うと、日本は、日本国憲法ができたときにはアメンドメント方式とかイギリス型とかフランス型とかよくわからなかったけれども、五十年やってきて、与野党何度も激突して憲法問題の処理に困りながらやってきてみると、なかなかだなと、足して二で割るみたいな話になっちゃいますけれども、日本国憲法を残しておいて与野党の合意ができるところから順次足していけばいいじゃないということにあろうかと思っております。
そういった意味において、私は国民主権というものは、何かぼんと一晩にして大きく変わるということではなくて、やはり市民が中心になって、市民中心の、市民の市民による市民のための政治を実現していくこと、その一環としてまさに民主主義の成熟度が問われる憲法改正問題にきちんと取り組むことだというふうに思っております。
以上です。
上
世
世耕弘成#6
○世耕弘成君 自由民主党の世耕弘成でございます。
御指示と慣例に従いまして、座ったまま質問をさせていただきます。
いろいろきょう、両参考人に御質問を考えてきていたんですけれども、渡部参考人の方から特に税制、その中でも相続税に絞ってお話をいただきましたので、まずこの件についてちょっと質問をしたいと思います。
私は、基本的には渡部参考人の考え方に全く賛成でございます。特に、伝統文化の継承という視点から相続税というものはやっぱり考え直さなければいけないと思います。私自身、東京や大阪の都心部で極めて町の景観を構成しているような立派な住居が壊されて小さな建て売り住宅に変わっていったり、マンションに変わっていく風景を見ると非常に心が痛みます。あるいは、中小企業の経営者、知人の方々でもやはり相続税の問題で家族への継承が考えられないということで、事業の展開の意欲をなくしている方々を私も現実にたくさん存じ上げております。
そしてまた、憲法と直接関係してこないかもわかりませんが、相続税を下げる、あるいは渡部先生のおっしゃるように廃止をするということは、これは景気対策上も非常に効果があると思いますし、先生も著書で書かれておられましたけれども、イギリスのサッチャーさんが、お金持ちを幾らいじめても貧困に苦しむ人が楽になるわけではないと、それは私もけだし名言だと思っております。また、相続税というのは、税全体の中で考えても額としては非常に小さい、どちらかというと、あってもなくてもいいぐらいの規模ではないかと思います。
そしてまた、私も毎年年末に税制の議論をするときに、財務省の人たちといろいろ議論をするわけですけれども、財務省の人たちに言わせれば、大型のかなり高額の相続税を払っている人というのは毎年亡くなった人の五%ぐらいにしかすぎないんだということを言うわけですけれども、それも結局は遺留分とかそういったのをフル活用して、節税の工夫をした結果の数%でございまして、結果としてやはり土地が分割され、家族の伝統が継承されないというのは、この問題は全然解消されていないんだと思っております。
しかし一方で、この問題というのは、もう一つ憲法的な視点からはやはり平等といったものに絡んでくると思うんです。
私は、実は人間の平等というものの考え方も渡部参考人とかなり近いんではないかと思っていますが、私はやはり戦後日本の民主主義というのは、ある意味、行き過ぎた平等主義がはびこってきたんではないかと思っています。ですから、私自身、政治家としての一つのテーマとしては、やはり頑張った人が大きく報われる社会、そして頑張らなかった人はほどほどにしか報われない社会、そして事情があって頑張れなかった人にはもちろん救いの手を差し伸べる、これが私の政治家としての目指すべき社会だと思っているんですね。
わかりやすく言えば、機会は平等に与えるけれども、それによって生じる結果については不平等があってもこれは仕方がないというのが、私はある程度目標としている社会のつもりでいるんですけれども、この相続税の問題を考えるとき私は非常にいつも悩みますのは、実は相続税を例えば渡部参考人がおっしゃるように廃止をしてしまった場合に、機会に不平等が生じるんではないかという思いを私自身非常に持っております。親から数億円の財産を相続できる人とそうじゃない人というのは、これはある意味、人生のスタートにおいて不平等が生じてしまうんじゃないかという私自身懸念を持っております。
そこで、お二人にお伺いをしていきたいんですが、まず江橋参考人には、本日、渡部参考人が展開された相続税に関する議論について基本的にどういうお考えを持っておられるかということ、そして渡部参考人には、相続税の廃止が機会の不平等に通じるんではないかという懸念に関してはどういうお考えを持っているか。逆に言うと、私的にはもうお知恵をおかりしたいというところもあるんですけれども、ちょっとお願いをしたいと思います。
この発言だけを見る →御指示と慣例に従いまして、座ったまま質問をさせていただきます。
いろいろきょう、両参考人に御質問を考えてきていたんですけれども、渡部参考人の方から特に税制、その中でも相続税に絞ってお話をいただきましたので、まずこの件についてちょっと質問をしたいと思います。
私は、基本的には渡部参考人の考え方に全く賛成でございます。特に、伝統文化の継承という視点から相続税というものはやっぱり考え直さなければいけないと思います。私自身、東京や大阪の都心部で極めて町の景観を構成しているような立派な住居が壊されて小さな建て売り住宅に変わっていったり、マンションに変わっていく風景を見ると非常に心が痛みます。あるいは、中小企業の経営者、知人の方々でもやはり相続税の問題で家族への継承が考えられないということで、事業の展開の意欲をなくしている方々を私も現実にたくさん存じ上げております。
そしてまた、憲法と直接関係してこないかもわかりませんが、相続税を下げる、あるいは渡部先生のおっしゃるように廃止をするということは、これは景気対策上も非常に効果があると思いますし、先生も著書で書かれておられましたけれども、イギリスのサッチャーさんが、お金持ちを幾らいじめても貧困に苦しむ人が楽になるわけではないと、それは私もけだし名言だと思っております。また、相続税というのは、税全体の中で考えても額としては非常に小さい、どちらかというと、あってもなくてもいいぐらいの規模ではないかと思います。
そしてまた、私も毎年年末に税制の議論をするときに、財務省の人たちといろいろ議論をするわけですけれども、財務省の人たちに言わせれば、大型のかなり高額の相続税を払っている人というのは毎年亡くなった人の五%ぐらいにしかすぎないんだということを言うわけですけれども、それも結局は遺留分とかそういったのをフル活用して、節税の工夫をした結果の数%でございまして、結果としてやはり土地が分割され、家族の伝統が継承されないというのは、この問題は全然解消されていないんだと思っております。
しかし一方で、この問題というのは、もう一つ憲法的な視点からはやはり平等といったものに絡んでくると思うんです。
私は、実は人間の平等というものの考え方も渡部参考人とかなり近いんではないかと思っていますが、私はやはり戦後日本の民主主義というのは、ある意味、行き過ぎた平等主義がはびこってきたんではないかと思っています。ですから、私自身、政治家としての一つのテーマとしては、やはり頑張った人が大きく報われる社会、そして頑張らなかった人はほどほどにしか報われない社会、そして事情があって頑張れなかった人にはもちろん救いの手を差し伸べる、これが私の政治家としての目指すべき社会だと思っているんですね。
わかりやすく言えば、機会は平等に与えるけれども、それによって生じる結果については不平等があってもこれは仕方がないというのが、私はある程度目標としている社会のつもりでいるんですけれども、この相続税の問題を考えるとき私は非常にいつも悩みますのは、実は相続税を例えば渡部参考人がおっしゃるように廃止をしてしまった場合に、機会に不平等が生じるんではないかという思いを私自身非常に持っております。親から数億円の財産を相続できる人とそうじゃない人というのは、これはある意味、人生のスタートにおいて不平等が生じてしまうんじゃないかという私自身懸念を持っております。
そこで、お二人にお伺いをしていきたいんですが、まず江橋参考人には、本日、渡部参考人が展開された相続税に関する議論について基本的にどういうお考えを持っておられるかということ、そして渡部参考人には、相続税の廃止が機会の不平等に通じるんではないかという懸念に関してはどういうお考えを持っているか。逆に言うと、私的にはもうお知恵をおかりしたいというところもあるんですけれども、ちょっとお願いをしたいと思います。
渡
渡部昇一#7
○参考人(渡部昇一君) 平等主義というのは大変美しい言葉でございまして、ダンテだったと思いますが、地獄への道は善意をもって舗装されているというのがあったと思いますが、平等主義というのは私は地獄へ至る道だと思っております。
というのは、我々が知っております宗教の偉い人、キリストでもいいし、マホメットでもいいし、釈迦でもいいんですが、この世における平等は決して口にしませんでした。死んだ後まで含めての神の前の平等とかそういうことであります。
ところが、釈迦もキリストも言わなかった平等を唱えた人もおります。そして、それを実行した人もおります。そこの国はどうなったか。釈迦もキリストも言わなかったことを言うというのは、しゃれみたいなものですけれども、これは悪魔です。ですから、マルクス、レーニンのつくった国ではいかなる粛清が行われましたか、毛沢東の時代の中国ではどのぐらいの粛清が行われましたか、ポル・ポトのもとでカンボジアはほとんど三分の一ぐらいの人が平等の名のもとで殺されております。文化革命のときは、ほとんどインテリ階級を絶滅させる意図さえありました。インテリとそうでない人は不平等だからであります。したがって、我々の歴史的なここ五十年くらいあるいは百年ぐらいの知識だけでも平等を唱えた国はいずれも地獄になっております。
これに反しまして、ハイエックという、これはノーベル経済学賞をもらった方ですが、この人ははっきり言っております。金持ちがたくさんいるような社会こそが貧乏人の自由の保障であると言っております。金持ちがいないという建前の国では、その統治機構のいいところにいる人以外は、職業を変えることもそこから逃げることもできません。職を失うことは、即死ぬことかあるいは流刑地に流されることか、そういうことになってしまうわけであります。ところが、金持ちがたくさんいるところですと、こっちの会社が気に食わなきゃあっちへ行くし、あるときは金持ちの家の掃除をしたって食えるわけであります。ところが、貧乏人、金持ちがいないという建前ですと、ちょっとした掃除をしたぐらいではとても食えません。
今、アメリカは最近のバブルで大変貧富の差が大きくなったと指摘する人がおりますが、私の知っている限り、アメリカから移民が逃げ出したということは聞いておりません。私の子供たちも、アメリカで大分長く住んだのが二人もいますが、いずれもうちから指示したわけじゃないので貧しい生活だったと思いますが、非常に暮らしやすかったと言っております。ところが、平等を建前とした国からアメリカに来てもいいよと言ったら、これは何千万単位で逃げ出すに決まっております。ですから、平等というのはきれいな言葉であって、これは地獄へ至る道であると考えた方がむしろ私は間違いないと思います。
教室でもそうなんですね。教育でも平等というと何かいいみたいなんです。ところが、クラスで平等といったら、できない子に合わせるよりしようがないんです。運動競技で平等といったら、一番駆けっこの遅いやつに合わせることしかしようがない。それでいいのかということになります。ですから、私は、平等というものは極めて危険な言葉であります。
私の個人の経験から言いますと、戦前の日本はまだ貧乏が非常に多い時代でございました。山形県というのは、「おしん」の舞台にもなるように貧乏人と言ったら山形をテーマにするような土地でありますが、当時、旧制中学を出まして成績がよくて金がない子が進学できなかったということはむしろまれです。というのは、当時の田舎の金持ちたちは奨学金をつくりまして旧制中学でなかなかいいと。そして、軍隊の学校とか師範学校はただですけれども、そうでなくて、しかも親が貧乏な家は大体ほとんど一〇〇%近く進学しております。
アメリカでも無数のグラントがあるんですね。無数の金持ちが、それこそロックフェラーみたいな大きいのじゃなくて、ほとんどごく小さい人が多少のお金がたまりますと、自分の卒業した大学とか何かの専門の教授にグラントとして託するんですね。だから、ちょっとでも成績がよければグラントが出まして、アメリカの高校で少しでも成績がよくて大学に行けないなんということは考えられません。
したがって、私は、国家が平等を唱えるよりは、むしろ私有財産を保障してやって全員にやった方がいいというのが、これは歴史の厳たる事実であると思います。
この発言だけを見る →というのは、我々が知っております宗教の偉い人、キリストでもいいし、マホメットでもいいし、釈迦でもいいんですが、この世における平等は決して口にしませんでした。死んだ後まで含めての神の前の平等とかそういうことであります。
ところが、釈迦もキリストも言わなかった平等を唱えた人もおります。そして、それを実行した人もおります。そこの国はどうなったか。釈迦もキリストも言わなかったことを言うというのは、しゃれみたいなものですけれども、これは悪魔です。ですから、マルクス、レーニンのつくった国ではいかなる粛清が行われましたか、毛沢東の時代の中国ではどのぐらいの粛清が行われましたか、ポル・ポトのもとでカンボジアはほとんど三分の一ぐらいの人が平等の名のもとで殺されております。文化革命のときは、ほとんどインテリ階級を絶滅させる意図さえありました。インテリとそうでない人は不平等だからであります。したがって、我々の歴史的なここ五十年くらいあるいは百年ぐらいの知識だけでも平等を唱えた国はいずれも地獄になっております。
これに反しまして、ハイエックという、これはノーベル経済学賞をもらった方ですが、この人ははっきり言っております。金持ちがたくさんいるような社会こそが貧乏人の自由の保障であると言っております。金持ちがいないという建前の国では、その統治機構のいいところにいる人以外は、職業を変えることもそこから逃げることもできません。職を失うことは、即死ぬことかあるいは流刑地に流されることか、そういうことになってしまうわけであります。ところが、金持ちがたくさんいるところですと、こっちの会社が気に食わなきゃあっちへ行くし、あるときは金持ちの家の掃除をしたって食えるわけであります。ところが、貧乏人、金持ちがいないという建前ですと、ちょっとした掃除をしたぐらいではとても食えません。
今、アメリカは最近のバブルで大変貧富の差が大きくなったと指摘する人がおりますが、私の知っている限り、アメリカから移民が逃げ出したということは聞いておりません。私の子供たちも、アメリカで大分長く住んだのが二人もいますが、いずれもうちから指示したわけじゃないので貧しい生活だったと思いますが、非常に暮らしやすかったと言っております。ところが、平等を建前とした国からアメリカに来てもいいよと言ったら、これは何千万単位で逃げ出すに決まっております。ですから、平等というのはきれいな言葉であって、これは地獄へ至る道であると考えた方がむしろ私は間違いないと思います。
教室でもそうなんですね。教育でも平等というと何かいいみたいなんです。ところが、クラスで平等といったら、できない子に合わせるよりしようがないんです。運動競技で平等といったら、一番駆けっこの遅いやつに合わせることしかしようがない。それでいいのかということになります。ですから、私は、平等というものは極めて危険な言葉であります。
私の個人の経験から言いますと、戦前の日本はまだ貧乏が非常に多い時代でございました。山形県というのは、「おしん」の舞台にもなるように貧乏人と言ったら山形をテーマにするような土地でありますが、当時、旧制中学を出まして成績がよくて金がない子が進学できなかったということはむしろまれです。というのは、当時の田舎の金持ちたちは奨学金をつくりまして旧制中学でなかなかいいと。そして、軍隊の学校とか師範学校はただですけれども、そうでなくて、しかも親が貧乏な家は大体ほとんど一〇〇%近く進学しております。
アメリカでも無数のグラントがあるんですね。無数の金持ちが、それこそロックフェラーみたいな大きいのじゃなくて、ほとんどごく小さい人が多少のお金がたまりますと、自分の卒業した大学とか何かの専門の教授にグラントとして託するんですね。だから、ちょっとでも成績がよければグラントが出まして、アメリカの高校で少しでも成績がよくて大学に行けないなんということは考えられません。
したがって、私は、国家が平等を唱えるよりは、むしろ私有財産を保障してやって全員にやった方がいいというのが、これは歴史の厳たる事実であると思います。
江
江橋崇#8
○参考人(江橋崇君) ただいまの世耕議員のおっしゃった相続税の問題点については、相当の部分が私も同じように考えております。現在の日本の相続制度及び税制一般に多々問題があることは、そのとおりだと思います。
先ほどお話の中で、都市における由緒ある建物が例えば壊されるという話がありましたけれども、あれは今の日本の相続税制度が金納になっていて、しかし、とてもじゃないけれども土地の値段が高いですからお金で払えない。そうなると、物納だということになるわけです。物納になると、物納で国に納めるべき土地は、債権の関係がきれいになっているだけじゃなくて、土地そのものがきれいになっていなきゃいけない。上物は全部取っ払えということで、ああいう文化的価値はある、財産的価値はないにしても、文化的には非常にあるというものが次々と壊されていく。
私の知っている人でも、丹精込めて梅林をつくって、やっと実もなるようになったし、花も近所の人が楽しんでくれるようになったその梅林を、おじいさんが死んだために、根っこから全部切らなきゃ物納として認めないというケースもありまして、やはりその辺の金納及び金納に準ずる物納という制度でいいのか。ボランティアとしての貢献とか、あるいはNGOに対する寄附金なども含めて税制のあり方全般を考えていかなきゃいけない面が多いし、その中で、相続税についても多々問題があることがそのとおりだと思います。
ただ、もし相続税の問題に手をつけるにしたら、二つだけは考えていただきたい。
一つは、現在、日本では相続財産をめぐって親族間の非常に醜い争い、いわゆる家庭内暴力事件が多々起きていて、高齢者は息子、娘にけ飛ばされ、判こを出さなきゃ飯をやらないとかなんとかでむちゃむちゃされているわけでありまして、これで相続税を廃止して、財産が大きいぞとなったらますます虐待事件が激増すると思われますので、高齢者の人権を保護するシステムを早急にお考えいただきたい。
もう一つは、世耕議員がおっしゃったとおり、子供たちが生まれた瞬間にもはや大きなハンディキャップがついてしまう。戦後の日本の社会が開かれている中で、優秀な国立大学に貧乏人の子供、私たちも含めて貧乏人の子供が行けたというのは大変よかったと思っていますが、今や東京大学法学部の父兄の年間所得は日本一、金持ちじゃなきゃ東大法学部に行けないという時代になりつつあるわけで、これにさらに相続税を廃止して貧富の差、自由競争原理だと言われたら、子供たち、生まれたばかりの子供たちはどうしようもないわけですから、渡部参考人もおっしゃっていましたとおり、広く例えば教育の機会等々に対する門戸が開放される。
高齢者の人権と子供の人権を守るという二つだけは、幾ら何でも最初にお考えいただきたいということをつけ加えた上で、世耕議員のお話に基本的には今申し上げた意味で賛成するところが多々ございます。
この発言だけを見る →先ほどお話の中で、都市における由緒ある建物が例えば壊されるという話がありましたけれども、あれは今の日本の相続税制度が金納になっていて、しかし、とてもじゃないけれども土地の値段が高いですからお金で払えない。そうなると、物納だということになるわけです。物納になると、物納で国に納めるべき土地は、債権の関係がきれいになっているだけじゃなくて、土地そのものがきれいになっていなきゃいけない。上物は全部取っ払えということで、ああいう文化的価値はある、財産的価値はないにしても、文化的には非常にあるというものが次々と壊されていく。
私の知っている人でも、丹精込めて梅林をつくって、やっと実もなるようになったし、花も近所の人が楽しんでくれるようになったその梅林を、おじいさんが死んだために、根っこから全部切らなきゃ物納として認めないというケースもありまして、やはりその辺の金納及び金納に準ずる物納という制度でいいのか。ボランティアとしての貢献とか、あるいはNGOに対する寄附金なども含めて税制のあり方全般を考えていかなきゃいけない面が多いし、その中で、相続税についても多々問題があることがそのとおりだと思います。
ただ、もし相続税の問題に手をつけるにしたら、二つだけは考えていただきたい。
一つは、現在、日本では相続財産をめぐって親族間の非常に醜い争い、いわゆる家庭内暴力事件が多々起きていて、高齢者は息子、娘にけ飛ばされ、判こを出さなきゃ飯をやらないとかなんとかでむちゃむちゃされているわけでありまして、これで相続税を廃止して、財産が大きいぞとなったらますます虐待事件が激増すると思われますので、高齢者の人権を保護するシステムを早急にお考えいただきたい。
もう一つは、世耕議員がおっしゃったとおり、子供たちが生まれた瞬間にもはや大きなハンディキャップがついてしまう。戦後の日本の社会が開かれている中で、優秀な国立大学に貧乏人の子供、私たちも含めて貧乏人の子供が行けたというのは大変よかったと思っていますが、今や東京大学法学部の父兄の年間所得は日本一、金持ちじゃなきゃ東大法学部に行けないという時代になりつつあるわけで、これにさらに相続税を廃止して貧富の差、自由競争原理だと言われたら、子供たち、生まれたばかりの子供たちはどうしようもないわけですから、渡部参考人もおっしゃっていましたとおり、広く例えば教育の機会等々に対する門戸が開放される。
高齢者の人権と子供の人権を守るという二つだけは、幾ら何でも最初にお考えいただきたいということをつけ加えた上で、世耕議員のお話に基本的には今申し上げた意味で賛成するところが多々ございます。
世
世耕弘成#9
○世耕弘成君 両参考人、ありがとうございました。渡部参考人からも、そして江橋参考人からも言及がありましたが、必ずしも相続税をなくす、大幅に減らすことが機会の不平等につながらない、工夫の余地がある、戦前の特に例が非常に参考になったと思います。
また今、高齢者の人権保護の話をいただきました。私の近くでも相続でいろいろ苦しんでいる方もいらっしゃいますけれども、やはり何か家族の権威というか、そういったものがある家は余りもめていないなという気もしておりまして、今、改めてそういったことも考えさせられたんですが、もう時間もなくなってまいりましたので、一つだけお伺いしたいと思うんです。
渡部参考人にお伺いしたいと思いますが、日本の総理大臣には、これは特に今の森総理のことを言っているわけではなくて、余りに権威がないんではないか。やはりリーダーシップを、率いていくための権威がないんじゃないか。これは非常に私、懸念を持っているんです。
例えば、最近の中国と米軍機の接触の事故が起こったときのブッシュ大統領の対応を見ていても、非常に粛々と記者会見を行って、新聞記者なんかも近寄らせないぐらいの雰囲気の威厳のもとで事態の収拾を図っている。ああいうところを見ていて、日本の総理大臣は一方でああいうことが起こったら、恐らく番記者と称する人たちに囲まれてもみくちゃにされて、立ち話でイエスかノーかということを言わされていくんだと思うんですけれども、そういう中でどうして日本の総理大臣にはこんなに権威がないんだろうと。ここ、もう歴代ずっとそうだと思います。
このことが、私自身非常に悩んでいまして、そのことが私自身、もう首相公選制という形で直接国民から投票をされて権威づけをするしか今のこの状況を抜け出す道はないんじゃないかというところまで思い詰めているわけですけれども、渡部参考人にその辺のちょっとお考えを伺ってみたいと思います。
この発言だけを見る →また今、高齢者の人権保護の話をいただきました。私の近くでも相続でいろいろ苦しんでいる方もいらっしゃいますけれども、やはり何か家族の権威というか、そういったものがある家は余りもめていないなという気もしておりまして、今、改めてそういったことも考えさせられたんですが、もう時間もなくなってまいりましたので、一つだけお伺いしたいと思うんです。
渡部参考人にお伺いしたいと思いますが、日本の総理大臣には、これは特に今の森総理のことを言っているわけではなくて、余りに権威がないんではないか。やはりリーダーシップを、率いていくための権威がないんじゃないか。これは非常に私、懸念を持っているんです。
例えば、最近の中国と米軍機の接触の事故が起こったときのブッシュ大統領の対応を見ていても、非常に粛々と記者会見を行って、新聞記者なんかも近寄らせないぐらいの雰囲気の威厳のもとで事態の収拾を図っている。ああいうところを見ていて、日本の総理大臣は一方でああいうことが起こったら、恐らく番記者と称する人たちに囲まれてもみくちゃにされて、立ち話でイエスかノーかということを言わされていくんだと思うんですけれども、そういう中でどうして日本の総理大臣にはこんなに権威がないんだろうと。ここ、もう歴代ずっとそうだと思います。
このことが、私自身非常に悩んでいまして、そのことが私自身、もう首相公選制という形で直接国民から投票をされて権威づけをするしか今のこの状況を抜け出す道はないんじゃないかというところまで思い詰めているわけですけれども、渡部参考人にその辺のちょっとお考えを伺ってみたいと思います。
渡
世
渡
世
上
堀
堀利和#15
○堀利和君 民主党・新緑風会の堀利和でございます。よろしくお願いいたします。
江橋参考人にまずお伺いしたいと思います。
君主主権、国民主権、人民あるいは民主主権と言ってもいいと思いますけれども、私はこの流れについても賛成といいますか、同じ考えだと思います。
そこで、やはり国民主権としての現憲法のもとで、恐らく参考人は、十分市民主権、市民の主役というのが生かされていない、約束されていながら生かされていないというように指摘されたのかなと私なりに理解したんですけれども、そこで一つは、市民という概念といいますか、なかなかわかるようでわかりにくい概念かなと思いますので、その市民という概念をどのように考えたらいいのか、まずお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →江橋参考人にまずお伺いしたいと思います。
君主主権、国民主権、人民あるいは民主主権と言ってもいいと思いますけれども、私はこの流れについても賛成といいますか、同じ考えだと思います。
そこで、やはり国民主権としての現憲法のもとで、恐らく参考人は、十分市民主権、市民の主役というのが生かされていない、約束されていながら生かされていないというように指摘されたのかなと私なりに理解したんですけれども、そこで一つは、市民という概念といいますか、なかなかわかるようでわかりにくい概念かなと思いますので、その市民という概念をどのように考えたらいいのか、まずお伺いしたいと思います。
江
江橋崇#16
○参考人(江橋崇君) 市民というのは、まさに普通の人という意味で私はここでは使っております。日本列島上で生活をしている人が、とりあえずここで私が日本の市民と呼んでいる人たちであります。
そして、市民社会という言葉を使うときがありますが、市民社会と言った場合には、もう少し積極的に何か公徳心を持って社会のために活動している、あるいは社会貢献している人々やそのグループを市民社会というふうに呼ぶかと思いますが、少なくともただ普通に市民と呼んでいるときは、そんな活動をしているどうこうじゃなくて、まさに一億二千万の市民というふうに考えております。
この発言だけを見る →そして、市民社会という言葉を使うときがありますが、市民社会と言った場合には、もう少し積極的に何か公徳心を持って社会のために活動している、あるいは社会貢献している人々やそのグループを市民社会というふうに呼ぶかと思いますが、少なくともただ普通に市民と呼んでいるときは、そんな活動をしているどうこうじゃなくて、まさに一億二千万の市民というふうに考えております。
堀
堀利和#17
○堀利和君 そこで、最近、地球市民という言葉も使われてもおりますし、EUの統合という壮大なる実験を見ましても、国民主権なり国民国家というまさに国境を越えて主権というものも変わりつつある。特に二十一世紀は情報社会、国際社会でもありますから、そういう意味で、今御説明になったように日本の市民、一億二千万の市民ということと、国際的なレベルあるいは地球、グローバルなレベルでの市民ということについて、もう少し突っ込んでお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →江
江橋崇#18
○参考人(江橋崇君) 日本の市民は、同時に国際社会というか地球市民でもあるかと思います。
それで、今回のような政治とか政治的な権利にかかわる場合で私は一番基準になるべきなのは、EUでよく言われたとおり、人々はその自分の生活する場において政治的決定にかかわる権利があるという考え方だと思います。したがいまして、地域の問題については、その市民は地域の住民として政治的決定にかかわることができるはずだし、国家レベルで決めなければいけないこと、あるいは国家義務で負うべき義務については国家の市民として対応すべきだし、地球環境問題等々については地球市民として声を上げるべきだと。
ただ、地球市民と言った場合には、ではその地球市民が地球的な決定にどうかかわる権利があるのかというと、今のところまだそういうものはなくて、国家あるいは国家によって媒介されるか、あるいは自分たちがNGOをつくったりして発言していくかという非常にあいまいな形しかないのが現実でありますけれども、地球規模問題にかかわるときは地球市民なんだというふうに考えております。
この発言だけを見る →それで、今回のような政治とか政治的な権利にかかわる場合で私は一番基準になるべきなのは、EUでよく言われたとおり、人々はその自分の生活する場において政治的決定にかかわる権利があるという考え方だと思います。したがいまして、地域の問題については、その市民は地域の住民として政治的決定にかかわることができるはずだし、国家レベルで決めなければいけないこと、あるいは国家義務で負うべき義務については国家の市民として対応すべきだし、地球環境問題等々については地球市民として声を上げるべきだと。
ただ、地球市民と言った場合には、ではその地球市民が地球的な決定にどうかかわる権利があるのかというと、今のところまだそういうものはなくて、国家あるいは国家によって媒介されるか、あるいは自分たちがNGOをつくったりして発言していくかという非常にあいまいな形しかないのが現実でありますけれども、地球規模問題にかかわるときは地球市民なんだというふうに考えております。
堀
堀利和#19
○堀利和君 そうしますと、市民という概念をめぐって少しお話をさせていただいているわけですけれども、国民という一つの概念に対して市民という概念が想定されると思いますが、そこの想定のところでは、ある意味で非常に分権化と、地域という意味での市民という、自立した市民というのがあると思うんですね。もう一つは、先ほど来から問題になっているように地球市民という極めて地球規模で国際的な、グローバルの意味での市民ということがあると思うんです。
そうしますと、政治決定なり政治システムにおいての決定権を見た場合、地域レベルでの市民と、グローバル、国際化の市民という場合の市民というのは、私はある意味で憲法、法体系とは別な概念といいますか、ある意味で政治的といいますか、社会的、そういう一つの運動といいますか、という概念なのかなというふうにも思うんですね。
そうしますと、市民が主役、市民の、人民の主権ということである場合に、最高法規の憲法とのかかわりはどういうふうに考えたらいいんだろうかなと思うんですけれども、その辺はいかがでしょうか。
この発言だけを見る →そうしますと、政治決定なり政治システムにおいての決定権を見た場合、地域レベルでの市民と、グローバル、国際化の市民という場合の市民というのは、私はある意味で憲法、法体系とは別な概念といいますか、ある意味で政治的といいますか、社会的、そういう一つの運動といいますか、という概念なのかなというふうにも思うんですね。
そうしますと、市民が主役、市民の、人民の主権ということである場合に、最高法規の憲法とのかかわりはどういうふうに考えたらいいんだろうかなと思うんですけれども、その辺はいかがでしょうか。
江
江橋崇#20
○参考人(江橋崇君) 市民という非常にあいまいな言い方で表現して申しわけないと思いますけれども、具体的な法律のレベルに行けば、例えば憲法で地方自治の条文に行けば住民という言葉に市民を置きかえなければいけないし、あるいは多くの場所では国民という言葉に置きかえてもよい。あるいは、憲法の前文のように人民という言葉が出てくるところではやっぱりその人民がすなわち市民になる。
場合によって人民と呼ばれ国民と呼ばれ住民と呼ばれている、そういうものをいわば共通して呼んでいるのが私がここで言っている市民でありますので、国のレベルの問題を考えるときは市民と言わずに国民と言えばそのとおりですし、自治体のことを言うときは住民と言えといえばまたそのとおりかとも思いますけれども、共通する言葉として市民という言葉で全部押し切っております。
この発言だけを見る →場合によって人民と呼ばれ国民と呼ばれ住民と呼ばれている、そういうものをいわば共通して呼んでいるのが私がここで言っている市民でありますので、国のレベルの問題を考えるときは市民と言わずに国民と言えばそのとおりですし、自治体のことを言うときは住民と言えといえばまたそのとおりかとも思いますけれども、共通する言葉として市民という言葉で全部押し切っております。
堀
堀利和#21
○堀利和君 御案内だと思うんですけれども、NPO法の制定の過程で、当初、市民活動ということで市民という文言が法律の題名なりで使われたわけですけれども、参議院に来てから、市民というのはふさわしくないということで非営利活動ということで変わったわけなんですね。私の感覚では市民でいいんじゃないかと思うんですが、その辺については江橋参考人はどのようにお考えでしょうか。
この発言だけを見る →江
江橋崇#22
○参考人(江橋崇君) 最初に申し上げましたとおり、余りここで個別の具体的な制度を憲法に基づいて説明する会ではないと思いますので、ちょっと簡単にさせていただきたいと思いますけれども、先ほどちょっと申し上げておりましたとおり、市民が社会、公共の利益を考えて、自分たちが自発的にボランティアとして頑張ろうじゃないかといって頑張っている場合を、そういう人々のグループを市民社会と呼ぶように思っております。というよりは、英語でシビルソサエティーと言っていまして、それを市民社会と訳しているのでありまして、そういったことからすると、あの法律は市民活動の方がよかったんじゃないか。何しろ、シビルソサエティーを特定非営利法人活動というふうに日本語に訳すのはいかにも変でありますので、やはり市民活動と言った方が素直であるように、私も市民活動で、特定非営利と言わなくてよかったとは思っております。国際的にもその方が通用力があると思っております。
この発言だけを見る →堀
堀利和#23
○堀利和君 ありがとうございます。
そこで、少し話を、話題を変えますけれども、国民主権、国の機構というテーマでございまして、そういう観点からいいますと、先ほど戦後補償の問題も出ましたけれども、歴史的に見ましても、まさに市民参加の政治といいますか、国づくりというふうに考えたときに、外国籍を持った方、いわゆる永住外国人の参政権、これはまさに今国会でも論議になっているわけですし、国民的にも論議になっていると思いますけれども、具体的に、我が国の今論議になっている永住外国人の参政権の問題について御意見をちょっとお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →そこで、少し話を、話題を変えますけれども、国民主権、国の機構というテーマでございまして、そういう観点からいいますと、先ほど戦後補償の問題も出ましたけれども、歴史的に見ましても、まさに市民参加の政治といいますか、国づくりというふうに考えたときに、外国籍を持った方、いわゆる永住外国人の参政権、これはまさに今国会でも論議になっているわけですし、国民的にも論議になっていると思いますけれども、具体的に、我が国の今論議になっている永住外国人の参政権の問題について御意見をちょっとお伺いしたいと思います。
江
江橋崇#24
○参考人(江橋崇君) 私は、きょう、国民主権との関係で在日の人に対する差別の関係で地方参政権の問題を取り上げたのは、御案内のとおり、昭和二十年十二月の衆議院議員選挙法の改正以前は、日本の内地にいる在日韓国・朝鮮人の方々には選挙権が国政選挙も含めて与えられていたし、在日出身の衆議院議員の方もいらっしゃった。そして、事柄のよしあしは別としていえば、植民地、朝鮮及び台湾にも選挙法を施行して選挙するんだという構えも当時はあったわけであります。
したがって、昭和二十年十二月に起きた事態は、私は昭和二十年八月、まさに天皇主権が崩壊し、これから自分たちが新しい国をつくっていこうというときに、日本にいた多くの人々から昭和二十年十二月の段階で選挙権を奪ったことだというふうに思っております。したがって、在日に対する選挙権というものは、付与ではなくして回復だと考えております。
この発言だけを見る →したがって、昭和二十年十二月に起きた事態は、私は昭和二十年八月、まさに天皇主権が崩壊し、これから自分たちが新しい国をつくっていこうというときに、日本にいた多くの人々から昭和二十年十二月の段階で選挙権を奪ったことだというふうに思っております。したがって、在日に対する選挙権というものは、付与ではなくして回復だと考えております。
堀
堀利和#25
○堀利和君 それでは、渡部参考人にお伺いしたいと思いますけれども、憲法二十九条、三十条の私有財産の問題、納税の問題、お話をお聞きしまして、二つ質問させていただきます。あわせてお答えといいますか、御意見を伺いたいと思います。
一つは、税というものを通して国民の所得配分という機能があると思います。もちろん、ここには平等とは何かという議論があると思いますけれども、税においては所得配分という重要な機能があると思いますけれども、これについてどうお考えかということと、三十条の「法律の定めるところにより、」ということですから、私どもは誇りを持っておりますけれども、国会議員は国民の代表として選ばれた者ですから、この立法府において国民の代表として民主主義の手続で選ばれた者が言うなれば税金の税率も決めるということですから、あらかじめ上限というふうな、決定しなければならないほど二十一世紀の日本の国民は未成熟なんだろうかなと疑問を持ちますけれども、そういう意味でどのようにお考えか、お伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →一つは、税というものを通して国民の所得配分という機能があると思います。もちろん、ここには平等とは何かという議論があると思いますけれども、税においては所得配分という重要な機能があると思いますけれども、これについてどうお考えかということと、三十条の「法律の定めるところにより、」ということですから、私どもは誇りを持っておりますけれども、国会議員は国民の代表として選ばれた者ですから、この立法府において国民の代表として民主主義の手続で選ばれた者が言うなれば税金の税率も決めるということですから、あらかじめ上限というふうな、決定しなければならないほど二十一世紀の日本の国民は未成熟なんだろうかなと疑問を持ちますけれども、そういう意味でどのようにお考えか、お伺いしたいと思います。
渡
渡部昇一#26
○参考人(渡部昇一君) 所得配分は、国家の私有財産権に対する余計なおせっかいであります。そんなことは考える必要はないと思っております。所得配分じゃなくて、食べられない人に最低生活は保障するとか、そういうことでやればいいのであって、そもそも所得に手を出そうというのは、これは国家社会主義的発想です。
それから、法律の上限を決める必要がないというのは、まさに憲法だから決めなきゃいけない。上限の下のもとではどう決めてもいいんですけれども、国民から信託された議員を信用することは当然でありますけれども、その信用だってどう流れるかわからないから憲法という大きな枠を国民が合意して決めているという建前だと思うんです。それは政府が決めればどう何を決めたっていいんだといったら、それこそヒトラーの法律の決め方と同じです。ヒトラーは全部合法的にやりました。そういうことがないように枠を決めようというのが憲法の精神だと思っています。
この発言だけを見る →それから、法律の上限を決める必要がないというのは、まさに憲法だから決めなきゃいけない。上限の下のもとではどう決めてもいいんですけれども、国民から信託された議員を信用することは当然でありますけれども、その信用だってどう流れるかわからないから憲法という大きな枠を国民が合意して決めているという建前だと思うんです。それは政府が決めればどう何を決めたっていいんだといったら、それこそヒトラーの法律の決め方と同じです。ヒトラーは全部合法的にやりました。そういうことがないように枠を決めようというのが憲法の精神だと思っています。
堀
渡
堀