長谷川三千子の発言 (憲法調査会)

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○参考人(長谷川三千子君) お答えいたします。
 今ちょっと問題から外れて申しわけないと脇先生がおっしゃったんですが、実はもう根本的なところで国民主権の問題それ自体と制定過程ということは深くかかわっております。
 今申し上げましたように、主権という言葉は最高の力という意味なんです。この主権というものが一番典型的に発揮されるのが憲法を制定する力としてなんですね。今御紹介いたしましたシェイエスの言葉も、これもまさに憲法を制定する力として国民が至上の力を持っているという、そういう話なんです。ですから、少なくとも国民主権ということを重要な憲法の柱にする以上、その憲法が国民の力によって、日本国民の力によって制定されたものであるということが不可欠だということになるわけです。
 その点において、日本国憲法の制定過程というのは明らかに、その当時確かに国会は開かれておりましたけれども、その国会をさらに統御する最高の力というのは法律的にも当時GHQの最高司令官のマッカーサーのもとにあったわけでして、現に国会の審議も全部GHQに逐一報告して、委員会の審査過程でも全部GHQの許可を得ないとそれが決定されないという形になっておりました。これは、もうごく伝統的な国民主権の概念に照らして、全く国民主権の存在しなかった状態というべきものだと思います。
 ここで、先ほどちょっと私が示唆いたしましたように、主権というこういう近代西洋の概念、それ自体をすっかり取っ払ってしまって全く別の概念を持ち込もうということならば、この制定過程というものを問題にしないという道もあり得ると思います。つまり、いいものができればいいじゃないか、意思が問題ではない、理性が問題なんだから、日本国民が力を持っていなくても日本国民が頭でいいと思ったらそれでいいじゃないかという議論もあり得るんですが、しかし国民主権ということを原理としてうたってしまった以上、この制定過程における力の問題というものは絶対に無視できない問題になってしまう。そういうジレンマを日本国憲法は抱えていると存じます。
 なぜ憲法の制定過程が問題になるかといいますと、今、脇さんがおっしゃったとおり、そういう国民主権ということ、大事な原理原則それ自体に直接かかわってくるからなんだというふうにお答えできると思います。

発言情報

speech_id: 115114184X00620010418_007

発言者: 長谷川三千子

speaker_id: 18007

日付: 2001-04-18

院: 参議院

会議名: 憲法調査会