長谷川三千子の発言 (憲法調査会)
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○参考人(長谷川三千子君) これは、大変実は大日本帝国憲法を起草する際に問題になった当の問題でございます。
実は、ごく素朴にリンカーンの言葉によって、国民の国民による国民のための政治という意味合いでしたらば、実は明治の人たちのいわばコンセンサスと言ってもいいものでありまして、以前ここで参考人として意見を申し上げたときに、五カ条の御誓文というのを参考文献に挙げましたらば、どなたかに大変しかられました。自分はこういうものは暗記したけれども、こんな古臭い天皇の御誓文なんかを持ち出して何とけしからぬとおしかりを受けたのでございますが、実はそこの趣旨というものは何かというと、政治というものは国民の国民による国民のための政治でなければいけないという趣旨だったんですね。ですから、国民主権という原理がもしもそれだけのものであれば、全く問題なく大日本帝国憲法に採用されていたと存じます。
ですけれども、帝国憲法を起草するときのいわば陰のブレーンとも言うべき井上毅という人、この人が一番鋭くいろんな問題を考えた人なんですが、実はこの主権という言葉には単なるそういう単純なものでないものがあると。ちょうど、ここの佐藤功先生がおっしゃっていらっしゃるようなことを既に明治の時代に鋭く察知していたわけです。
当時、帝国憲法起草の以前に主権論争というのが大変日本で盛り上がります。その中でやはり問題になったのが、国を二分して戦ったときの片方のスローガンであるような、そういう原理を果たして大日本帝国憲法に入れてよいものかどうかという問題がございました。結局、憲法の起草者たちは、そういう闘争的な概念というものは、日本の場合その歴史的な性格、日本というものの歴史的な性格にかんがみて入れるべきではないと判断して、そしてこれははっきりと国民主権というイデオロギーは採用しなかったと言い切っていいと存じます。
ですけれども、ではそれは君主主権という概念を採用したのかというと、私は少なくとも井上毅の構想では君主主権でもない。日本というものは、本来そういう君主と国民が主権を相争うという歴史ではなかったはずだ、あるいは自分たちはこれからそういう国柄を築いていくべきではないと考えている、そういう考えを持っていたというふうに存じております。ですから、帝国憲法は君主主権でもなく国民主権でもないと考えるのが一番起草者の意図に合っているというふうに考えております。