土肥隆一の発言 (厚生労働委員会)
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○土肥委員 民主党の土肥隆一でございます。
いよいよ、本日提案されました法律、一日でというか半日で仕上げてしまおうという衆議院の日程になっておりますけれども、私は、まだまだ議論の余地がたくさんあるということを申し上げまして、そして、それぞれの職場にある保健婦さん、助産婦さん、看護婦さん、それぞれ、准看護婦さんもいらっしゃいますけれども、長年呼びなれた、看護婦さんと言いたいな、助産婦さんと呼びたいな、何か、いきなり看護師さんと言うのはちょっと抵抗があるのでございます。やはり、入院しますと、優しい看護婦さんが出てきてくださると大変慰められます。しかしながら、今度、全部、師にしてしまおうというわけでございます。
きょうは、就業助産婦、なかんずく助産所で働く、平成十年の統計によりますと二千七十八名しかいらっしゃらない、その人の存在、その人の働き、この方々に対する将来への期待を込めて私は質問したいと思います。
何といいましても、就業看護婦さんが五十九万四千いる。その中で、たった二千七十八人の助産所を開業していらっしゃる助産婦さんの立場は一体どうなのだろうかということであります。一言で言えば、滅び行く職種というふうにも考えていいのではないかと思っております。
すべてが病院へ病院へと流れていく中にあって、助産所を開いて、そして地域の中に根づいて、一生懸命助産の仕事と、そしてそこに通ってくる家族のことを思い、ずっと子供の成長を見守っている助産所で働く助産婦さんの仕事、これは社会的にいっても非常に価値が高い、このように私は思うのであります。戦前から産婆さんとかいうような形で助産婦さんが続いてまいりましたが、戦後五十年以上の歴史を見てまいりますと、まさに開業助産婦さんをこの世から抹殺していく歴史、こういうふうにも見ることができるのであります。
戦後、進駐軍、占領軍がやってまいりまして、アメリカ式のナーシングといいましょうか、看護の方法を取り入れまして、そして三婦を統合する。その当時の医師や助産婦や保健婦や看護婦が審議会の審議員になっておりますと、エリザベス・オルト大尉ですね、従軍看護婦さんですけれども、ずっとその審議会を見守って、指導してきたというわけです。つまり、戦後の日本の厚生省は、いわば一人の、エリザベス・オルト大尉によってレールが敷かれたということでございます。そして今まで、いわば職能の世界で、産婆さんをあるいは助産婦さんを生み出す教育機関、養成学校、これが一気に廃校になります。そして三婦の統一の団体ができまして、そのときから日本看護協会が設立されるわけであります。
いろいろな理由をつけましたけれども、それ以来、日本の助産というのは、あるいは日本の子供の出生というのは全部病院に流れてしまうわけであります。統計的にいいますと、一九五〇年は九五・四%が自宅出産でありましたのに、一九九八年、病院や医院の出産が九八・八%、助産所はたったの一%、自宅は〇・二%という、これはもう病院以外に子供を産むところがないというような状況をあらわしているのではないでしょうか。
こういう歴史を見てまいりますときに、一体日本の政府は、特に旧厚生省は、助産婦のあり方についてどれくらい真剣に、そしてまた、その社会的な有用性も考えて取り組んできたのか、お答えいただきたいと思います。