2002-06-06
衆議院
赤松正雄
憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会
赤松正雄の発言 (憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会)
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○赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄でございます。
当憲法調査会、政党を代表しつつ個人の見解を述べさせていただくということで、先ほど高村委員からも集団的自衛権にまつわるお話がございましたが、私は、田久保先生のお書きになるものはいろいろなところで拝見するんですが、いつも、明快だけれども少々厳しいなという感じを持っています。
この「集団的自衛権をめぐる論議」という四十四から五、六に至るところはほとんど興奮しないで読めない記述になっておりまして、私のように公明党という政党で政権に参画をしている側として、もちろん私は党の中枢、執行部ではありませんから、必ずしも一〇〇%イコールではないわけですけれども、このお書きになった、とりわけ四十六ページあたりは本当に厳しいことを書いておられるなという気がいたします。
私は、何がここで言いたいかというと、さっきおっしゃった話の中で、どなたかの言だということをおっしゃっていましたけれども、ぎりぎりのという言葉を使われましたね。実は、あの湾岸戦争を契機に、日本国はPKO法という選択をとったわけですね。それ以降の約十年の中で、一九九九年の、先生が大変厳しく言っておられる周辺事態安全確保法を選択し、そして去年のテロ特措法と。私の立場から言わせますと、懸命に、それこそぎりぎりの憲法と日米安保条約という二つを二つながらにしてどう生かすかという知恵の限りを尽くした。先ほど、憲法の解釈改憲のぎりぎりの段階で膨らんでいる、こういう言い方をされているということをおっしゃっていましたけれども、そういう表現で私はいいかと思うんです。
それが田久保先生に言わせると、「あり得ないことを大真面目で長い時間をかけて議論を」云々と。私に言わせると、確かにそういう遭難者がいるのかということはありますけれども、同時に、非軍事的側面であるにせよ、活動する米軍を後方から、そういう場所が果たしてあるのかどうかという議論もあるんでしょうけれども、精いっぱい日本が今の憲法の枠組みで、日米安保条約のもとで一歩前進というか、何歩前進かの判断は別にして、やった、そういう選択だったろうと思うんですね。それで、今有事法制というところへ来ました。
実は、私は二つ考えがありまして、一つはもうこれで終わりにしたいという私の考えがあります。
つまり、十年間、言ってみれば憲法の拡大解釈とまでは言いませんけれども、解釈改憲、かなりいろいろ見方がある。解釈が憲法学者によってもいろいろ百八十度違うような、そういうものを持ち得る憲法であるがゆえに、さまざまな解釈の違いを生み出してきたわけですけれども、私は、今回の有事法制、いわゆる有事三法で、言ってみればあの憲法九条の解釈をめぐって、個別的自衛権の行使は可能なんだという一つの結論を出すということになるわけで、そういう意味では、またまた先生からの批判を受けるんだろうという気はするんですが、そこで一つのゴールにしたい。
さて、そこで一つのゴールにして、ここから先日本はどうするのかといったときに、その時点で初めて、私は二つの道があるだろうと今言っているんです。
一つは、先生おっしゃるところの普通の国というんでしょうか、憲法を改正して、言ってみれば普通の国の道を歩む。もう一つは、異常な国と先ほどおっしゃいましたけれども、僕は異常な国というのは余り好きじゃなくて、特殊な国の方がいいと思うんです。日本が持っているさまざまな歴史的な制約というか、田久保先生の方から見たらマイナスだとおっしゃるかもしれませんが、被爆国であるとか、あるいは他国に武器を輸出しない、武器禁輸三原則とか、そういうものをプラスに生かしながらやっていく特殊な国としての選択肢と、二つあると。
実は、公明党は、ここで先生が書いてあるところなら、「常に身を安全なところに置いて「左右を批判する」世渡り上手が多い。」と書いてある、これに値するのかなという気がいたしました。私たちのとってきた態度は、左の勢力から厳しく言われ、右からも言われる。
私なんかは、先生が批判しておっしゃったアメリカの軍事行動を後方から非軍事的に支援する、これは結構なかなかの知恵だというふうなこと、しかし、それじゃだめだという声が左からあります。右の方という言い方はあれですけれども、先生が使っておられますから言いますと、それは生ぬるいというか、しようがないなという思いで私たちにつき合ってくださっているんだろうと思うんですが。
そういうふうなことで、私なんかを長く支持してくれている人たちは、最近の公明党は随分軍事的に偏り過ぎている、もっと非軍事のことを主張しろ、こういう声もあったり、なかなか両方からいろいろな御指摘をいただくわけです。
そこで、大事なことは、大きく飛躍してということはなかなか難しいという前提で言っているのですが、今私は、二つのこれからの二年という言い方をしているのです。
一つは、この憲法調査会があと約二年で一つの区切りを迎える。さまざまな議論が展開されて、一つのゴールを迎える、ゴールは新たな出発なんですけれども。それから、有事法制がこれからの二年をかけてより完璧なものにしていこう。そういうふうな意味で、これからの二年は二つある。同時に、恐らくこれからの二年の中で、衆議院解散・総選挙があるだろう。
これは先ほど高村先生がおっしゃったこと、田久保先生が全く同じだとおっしゃったこと等も含めて、また後で全く反対だという方がいらっしゃると思いますけれども、それらも含めて、この辺で真っ正面から憲法改正というものをテーマにして総選挙をやるときが来ているんじゃないかな、こういう印象を持ちます。それに対する御感想が一つ。
それからもう一つ、実は、集団的自衛権の問題については、私はこの場で以前にも申し上げたのですけれども、整理する必要がある。さっき高村先生が、集団的自衛権にも最小必要限度云々という言い方をされたんですが、早い話、その言い回しに私の今から言おうとすることが関係してくるんですが、集団的自衛権といっても、人々の使い方によってかなり違ったニュアンスで使われている。私は、海外におけるいわば戦闘行動、例えば簡単に言えば、この間のアフガン攻撃に空爆に参加するとか、こういうことは断じてノーと。
しかし、先ほど言ってきましたような過去十年の流れの中で公明党が賛成をしてきた法案の中の行為も、見る人によっては、あれは集団的自衛権の行使を既にやっているじゃないかという言い方をされる。はやそこに、かなり定義の拡散が起こっている。だから、僕はきちっと整理した方がいい、集団的自衛権の概念を整理する必要があると。
総理はこの間、集団的自衛権については研究の余地があると。いいこと言うなと、こう思ったんです。総理大臣いいこと言うじゃないかと思ってその中身を問いただしたら、いや、単にいろいろ議論しようと言っただけなんだ、こう総理は言うから、私は、ちょっとよくない、こう思ったんです。
いずれにしても、集団的自衛権行使概念というものを、先生は権利を持っていて行使しないというのはおかしいと言いましたが、私は、判断として、行使できないんじゃなくて、行使をしないということはあっていいと思っているんです。
等々含めて、時間が詰まりましたけれども、御感想を聞かせていただきたいと思います。