2002-05-23
衆議院
松井茂記
憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会
松井茂記の発言 (憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○松井参考人 もともと、司法というのは法をつかさどる作用ということでございますけれども、一般的な理解によりますと、司法というのは法の支配と呼ばれる考え方を制度化したものだととらえることができるんではないかと思います。
国民主権原理に基づきまして、国民が憲法を制定し、その憲法のもとで国民が政治に参加をして、代表民主政に基づき統治を行うわけでございますが、憲法というのは、その国民によって制定をされ、みんなが守らなければいけない法として定められたものでございます。裁判官は、その法が遵守されるように確保する役割を担っているわけでございまして、国民の選挙に対比されるところの法が司法のすべての正当性の根拠を提供していたというふうに言うことができるだろうと思います。
ただ、昔は、法を解釈し、適用する司法の制度というものは、客観的に存在する法の意味を探り、それを裁判官は法律的な訓練によって身につけた特別な技術で確認し、そしてそれをそのまま具体的な事件に適用するものだと考えられておりましたが、その後、現在に至るまで、実際には、裁判というのはそのような単純なプロセスではなく、裁判官の考え方ですとかいろいろなものによって影響を受ける、複雑な複合的なプロセスであるということが認められるようになってまいりました。
その結果といたしまして、裁判官が、例えば国会の制定いたしました法律を憲法違反だと考えたときに、なぜそれは憲法違反なのかと問われたとき、昔は憲法にそう書いてあるからだと答えることができたんですけれども、今は、憲法にはそう書かれているとは限らない、私の考えではそう言ってはいないというふうに言われますので、従来のような考え方で司法権の行使を正当化することは難しいのではないかと考えております。
現在の支配的な考え方は、憲法はそれぞれ具体的な実体的価値を定めておりますので、裁判官はその実体的な価値を擁護する役割を担っているととらえられておりまして、その実体的な価値によって司法権の行使が正当化されるという構図になっておりますが、私は、司法と立法の間には違いがあって、その違いのゆえに司法というものが正当化されるのではないかと考えております。
その違いはどこにあるのかと申しますと、立法の手続というのは、国会議員の先生方がそれぞれ集まって国会の場で議論をして、そして最終的には多数決によって法律を制定するわけですが、裁判の手続というのは、原告、被告という相対立する二人の当事者がそれぞれ自分の利益あるいは自分の主張を掲げて対立している、その対立している手続の中で、裁判官がいわば第三者的な立場から法のあり方を考えて具体的な事件を解決する。このような裁判という手続の特殊性と申しますか、そのような特殊性のゆえに裁判には独自の存在価値があり、そしてその裁判の独自の手続のゆえに司法権の行使が正当化されるのではないかと私は考えております。