片山善博の発言 (憲法調査会地方自治に関する調査小委員会)
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○片山参考人 おはようございます。ただいま委員長から御紹介をいただきました鳥取県知事の片山でございます。本日は、こういう機会を与えていただきましたことをまずお礼を申し上げます。
私から、きょうは、地方分権を実現するために、今どういう諸課題が現場にあるのかということを率直に話をさせていただきたいと思います。お手元にレジュメのようなものをお配りしていると思いますが、それをごらんいただきながら聞いていただきたいと思います。
私、知事になりまして、今三年余を経過いたしました。この間、私なりに一生懸命地方自治を実践してきておりまして、その中で、さらに地方分権を推進する、自主的で生き生きとした地域づくりをするために、今どういうことが障害になっていて、どこをどう解決すればいいのかという気のついた点を幾つか挙げております。
最初は、私自身の立場にも関係あることなんでありますが、首長でありますとか、その首長のもとで仕事をする組織の問題であります。
組織、機構のあり方でありますが、今、我が国の地方自治制度というのは、都道府県それから市町村という二層構造になっているわけでありまして、それぞれ地方自治法を中心にした法律によって、かなり詳細に物事が決められております。私は、大筋、政府といいますか、中央が日本の内政の仕組みを決めるというのは、これは当たり前だろうと思うんでありますが、余り度が過ぎますと、地域の実情にそぐわないような全国一律になってしまって、どうも身動きがとれないということがやはり間々あります。
例えば市町村のあり方にしましても、一応地方自治法では幾つかの類型に分けまして、市は市、町は町、村は村と分けているのでありますが、その分け方はすぐれて形式的でありまして、人口によって何万以上なら市になれるとか、しかもそれが、例えば今日の合併問題に見られますように、合併するときにはそのハードルを少し下げてあげるとか、非常に御都合主義の形式主義がまかり通っているわけであります。
人口の多寡だけで権能が決まるというのは変な話でありまして、地域によっては、人口は多いけれども、余り能力がないと言うと変でありますけれども、自治の能力に欠けるようなケースもないわけではないし、人口が少なくても非常に熱意があって資質の高い地域もあるわけで、必ずしも量的なものだけで権能を決めてしまうのはいかがなものであるかと思っています。
最近、政府の地方制度調査会なんかで、合併問題に絡んで、小規模で残ったところは権能を縮小しよう、そういうことをテーマにしてこれから議論しようということが新聞に出ておりました。一つの見識ではあると思うんですけれども、小さいから権能も少なくしてしまおう、人口が少ないから権能を少なくしてしまおうというのはまた非常に形式的でありまして、私は、そういうことは地方に任せていればいいんだろうと思うんです。
小さくて本当にやっていけなければ、それは県がカバーするとか、小さくても自分できちっとやっていけるところであれば、それは住民の皆さんの選択でありますから、それでいいんだろうと思うんです。そういう自由度、柔軟性、選択性を持たせるのが、私は、中央政府のこれからの自治体の組織、機構に対する関与の仕方ではないかと思っております。
それから、例えば県の組織、機構でありましても、大筋自治法で決まっているのであります。その組織は中央政府の縦割りの仕組みをなぞらえたようなものでありまして、地方分権の時代になって、住民の方に視点を移して、現場から物事を発想しよう、現場から物事を解決しようといったときに、どうも今の我が国の地方自治体の組織、機構ははずが合わなくなってしまっている。
中央政府が縦割りの中で行政を下におろしていく、そのおろしやすい行政機構にはなっているんですけれども、縦に割れていない現場をありのままに見て、そこで課題をとらまえてそれを実践しようと思ったときには、どうも使い勝手の悪い仕組みになっていることは否めません。
私は、鳥取県で、それを可能な範囲内で直していこうということで、現場向きに今組織を再編しているんでありますけれども、なかなか困難であります。やはり中央政府からの有形無形の圧力が非常にあったりします。これはまた後でお話を申し上げたいと思いますけれども。そういうことで、これからの地方分権時代の地方自治体の組織、機構は、これは市制、町村制も含めてでありますけれども、多様性、地域性、柔軟性に富んだものでなければいけないと考えております。
それから次に、「多選問題」と書いておりますが、これは首長の問題であります。
私は今、三年やってきたということを申し上げましたけれども、本当に手ごたえのある、充実感のある仕事であります。私は、選挙に出るとき大変迷いました。役人をやっておりましたので、本当に選挙に出るというのは大仕事でありまして、しかも子供をいっぱい抱えていたものですから、どうしようかと思ったんですけれども、思い切って選挙に出て、今の仕事についてよかったと思っています。本当に毎日毎日忙しいんですけれども、充実しております。
しかし、私は、今の自分を考えていまして、これを一生懸命やった場合に、例えば一期で四年、仮に二期八年やって、それで全力を投球して、さらにその後、エネルギーだとかアイデアだとかが残っているだろうかと考えた場合に、全力投球したら枯渇するんじゃないかという気がするんであります。それで、世の中では、三期、四期もやられている方がおられて、よくあんなに情熱が続くなと思ったり、逆に情熱がそんなにないのかなと思ったりもするんですけれども、率直に申し上げて、十年も一生懸命やってできないことは、もうできないんだと思います、その人には。十年一生懸命やってできることは、できていると思います。ですから、多選はよくないと私は思います。
それからもう一つは、これも自分で毎日気をつけているんですけれども、やはり権力は自己目的化します。県庁というのは一つの大統領制のもとででき上がっている組織でありますから、非常に権限の強いトップリーダーになれるわけであります。そうしますと、そのうちそれが自己目的化して、県庁のスタッフというのはトップのために仕事をするようになる。住民のために本来仕事をする組織の成員であるべきところが、トップの方を向いてトップのために仕事をする。トップは役所をかばうようになる。こういう妙な組織のあり方になって、自己目的化して長期政権が続く、こういうことが随所に見られます。
ですから、私は、経験上、例えばアメリカの大統領が二期で切っているというのは、一つの経験則として英知だろうと思うんです。我が国の場合には、首長に多選禁止はありませんけれども、私自身が、今の立場ではなくて、例えば一人の国民、一人の住民として見た場合には、やはり多選についての何らかの制限があった方がいいんではないか、その方が我が国は伸びやかな社会になるんではないかという気がしてなりません。
次に、執行機関の中で、「独立行政委員会」と書いておりますが、これは長以外の執行機関でありまして、日本の地方自治制度では、例えば都道府県の中では、公安委員会制度とか教育委員会制度があります。ほかにも人事委員会とかいろいろありますが、大きいのは教育と警察であります。
これが、知事部局、知事の管轄のもとから離れておりまして、知事はトータルに、例えば議会との関係で代表するとか予算を提案する権利があるとか、そういうことはあるのでありますが、事務の執行については、教育行政は教育委員会がやり、それから警察行政は公安委員会が所管する、こういうことになっております。それはいろいろな理由があって、国にも、中央レベルでも公正取引委員会とか人事院とかそういうたぐいのものがありますから、平仄を合わせているのでありますけれども、これが実際に現場で見てみますと、どうも欠陥があるということを指摘せざるを得ません。
どんな欠陥があるかといいますと、一つは、どうしても中途半端な組織であります。なぜならば、首長が議会の選任同意を得て任命するのでありますけれども、非常勤であって、専門性はなくてもいい、報酬は非常に低い、要するに、ちゃんとした仕事をするような前提として構成されておりません。どうしても中途半端であります。
それから、中立性ということがこの独立行政委員会の存在意義になっているんですけれども、中立性はいいんですけれども、何となく無気力になって当事者意識に欠ける、当事者能力がないということであります。これは全国どこでもそうだろうと思います。
本当は、警察行政も教育行政も非常に重要な分野でありまして、これについて、では、だれが責任を持って、だれが住民に対して説明責任を果たすのかというと、形式上はそれぞれ公安委員会の委員であり教育委員会の委員なのでありますけれども、その本来説明責任を果たすべき責任者が、先ほど言いましたように、中途半端な存在で当事者能力に欠けている。大変失礼な言い方でありますけれども、率直に申し上げて当事者能力に欠けているケースが多いのであります。これをどうするのかというのは非常に重要な問題であります。
一例を申し上げますと、週休二日というか週五日制というのが始まったんですけれども、中央レベルからこの問題は出てきたわけであります。地方の現場では、保護者の皆さんは、週休二日にして子供たちは大丈夫だろうか、行き場がない子もいるよとか、学力はどうか、本当にそういう心配が出てくるのであります。私も子供が六人おりまして、まだ中学生もいるものですから、本当に心配なんです。土曜日を休みにして、地域の教育力で生きていく力を身につけるんだといって政府の方は説明していますけれども、ずっと見渡したって地域に教育力なんて本当にないんです。
そういう現場の声が出るんですけれども、教育委員会はそういうことにはむとんちゃくでありまして、ひたすら上意下達、文部省の言うことをぱくぱく言うだけで、本来は地域の声を酌み取って国にぶつけなきゃいけない教育委員会が、先ほど言った当事者能力が欠如しているものですから、中央集権的な物の見方しかできない。
では、それをどうするか。民主主義の仕組みがあると、例えば私だったら、次の選挙は大変だろうなとかいうことで一生懸命になるんですけれども、独立行政委員会の人たちは選挙もありませんから、余り鋭敏でない。保護者の皆さんは非常にもどかしさを感じる、無力感を感じる、こういうことなのであります。私は、この独立行政委員会というのは戦後アメリカから輸入された制度でありますけれども、そろそろ見直してもいいんではないかという気がします。
では、どういうふうに見直すのかというのは、一つは、私たちは選挙で選ばれているわけですから、選挙で選ばれた長のもとで責任を持ってやるという体制にしてもらってもいいと思います。それは、私はやるだけの気概と自信を持っております。現に、私の鳥取県の隣の島根県に出雲市というところがありまして、出雲の市長さんは教育行政に非常に熱心な人ですが、もう教育委員会だけに任せておくわけにいかぬといって、教育委員会の仕事のうちの一部を、条例を改正して、自分のところに持ってきて仕事をする、そういうこともやっておられます。一見非常に無謀でありまして、文部科学省なんかは無謀だと言っておられるんだと思いますけれども、私は、一つの挑戦で試みだと思って注目して見ています。それも一つの方法。
それから、もう一つは、それならば民主主義を徹底して、教育委員、公安委員を選挙で選んだらどうだろうかというのも一つの方法だろうと思います。私は、これでもいいと思います。選挙で教育委員会の委員を選ぶ、これはアメリカはやっておりますけれども、それも一長一短あるでしょうけれども、今よりはいいんではないかという気がします。
こういう問題をぜひ御検討いただければと思います。
もう一つつけ加えて言いますと、先般、外部監査制度というのがありまして、後でもちょっとお話ししますが、私のところの外部監査人が公安委員会を監査したんですけれども、結論は、公安委員会は形骸化しているという外部監査の結論を出しました。よく監査したと思いますけれども。実際、当たらずとも遠からずなんであります。どう形骸化しているかというと、警察本部長以下の事務局におんぶにだっこになっている、形骸化している、こういう話なのであります。
それに対して、公安委員会の委員の皆さんは、みずから反論しないんです。大分おくれて反論しましたけれども、反論したのは、警察本部長が形骸化していないといって反論した。警察本部長以下におんぶにだっこになって形骸化していますよといって公安委員会が批判されたら、警察本部長以下が形骸化していないという反論をする、これがまさしく形骸化していることの象徴ではないかと私は思うのでありますけれども、まあ、実態はこんなものであります。
やはり民主主義の不足というのがこの独立行政委員会には顕著に見られます。ぜひ、選挙で選ばれた長のもとで民主主義のもとに置くか、それとも、直接民主主義を注入する仕組みをつくるか、こういうことはこれからの課題ではないかと思います。
次は、議会であります。
地方議会は、国会と違って、かなり形骸化している面が実はあります。私は、知事に就任いたしましたときに、最初の議会で、表現は違うんですが、要するに、学芸会的なことはやりませんということを宣言しました。
それはどういうことかといいますと、それまでの県議会というのは学芸会みたいだったんです。なぜならば、質問が全部決まっていて、答弁書もでき上がっていてそれを読む。その答弁書を聞いて、再質問もでき上がっていて、その再質問に対する再答弁もあらかじめでき上がっている。その再答弁に対する再々質問もでき上がっていて、再々答弁も決まっている。これをひたすら読み合うということを一生懸命やっていたわけです。何を答えるかじゃなくて、どれを読むかというのが一番の関心事で、読み間違えないようにしようという、時々読み間違いがあったりしましたけれども。
そういう議会では全く意味をなさないわけで、議会というのはやはり議論をするところなんで、真剣に議論しましょうということで、私は、学芸会はやめましょうという話をしました。学芸会とは何だと大分怒られましたけれども、今は、我が鳥取県議会は非常に活発でありまして、もう学芸会的なことはほとんどなくなってしまいました。
もう一つは、八百長をやめようという話を、これも表現は違いますけれども、ありていに言うと八百長をやめようという話をしました。
八百長というのはどういうことかといいますと、議会が始まる前にあらかじめ結論は決まっている、議会の始まる前に全部多数会派に根回しをして、この議案はこう通すと決まっている。そうすると、後は質問をしても余り意味はありませんから、野球でいえば優勝チームが決まった後の消化試合みたいになってしまう。
そういうことでは住民はだれも注目しませんから、結論を最初から決めて議会に臨むということはやめましょうということで、私は、議会が始まる前に議案を多数会派に根回しして全部通してくださいという、そういう意味での根回しはやっておりません。説明はしますけれども、拝む、頼むということはやっておりません。したがって、今は、私のところは、修正は頻々とありますし、それから我々の意に反した継続審議というのもありますし、私は一生懸命議案をつくって出しますけれども、皆さん方は意見が違っていれば修正していただいても結構だし、否決していただいても結構だという話をしたんですけれども、本当に否決されたこともあります。
ですから、我が鳥取県議会はそういうふうに本来の議会にだんだんなってきているのでありますけれども、日本全国を見渡してみて、なかなか今の地方議会というのはそうなっておりません。やはり学芸会的な要素があったり、それから八百長的な部分があったりするのが現実であります。これを正すことが地方分権時代には一番必要だろうと思うんです。
なぜならば、今までは中央が全部決めていて、地方議会では議論することは余りなかったのであります。特に税なんかはそうです。税という非常に重要な分野が、全部専決処分といって、議論をしないで、議会にかわって長が決めてしまう、こういうことが横行しているわけです。しかし、中央集権でなくて地方分権時代になってくると、これからは国が決めるんではなくて地方が独自に決めるということになると、だれが決めますかというと、最終的な決定権は議会ですから、議会が形骸化していてはいけない、議会の活性化が必要だということであります。
そういう意味でいいますと、議会の制度を今見てみますと、余りにも硬直的であるということが指摘できます。地方自治法で事細かに決まって、議会というのは年に何回開いて、常任委員会はこういうのがあって、定数はこうでということを決めているんですね。そんなことを一々決めていただかなくても結構だと私は思うんです。それぞれ地方のやり方で決められたらいいと思うんです。定例会は年に四回と限ることはないと思うんです、六回やったって構いませんし。定数だってそうなんです。本当に、定数だって少なくてやろうというところがあってもいいし、それから、議員報酬の単価を低くしてでも多少多目に議員さんを選んでやってもいいし、それは選択の問題ではないかと私は思うんでありますが、どうも地方自治法は、あれこれあれこれ、手とり足とり細かいことまで決めている。何の意味もないと思うんです。
特に、最近気になりますのは、市町村の議会のことでありますが、どういう人が選ばれるかという点であります。
私は、今、市町村で何が問題かというと、例えば教育とか子育てとか、そういうことが非常に問題なんですけれども、そういうことに熱心な人が余り議会に登場しないんです。世の中というのは老若男女で構成されていて、老いも若きも、男も女もで構成されているわけで、それぞれに課題を持って、悩みを持っているわけで、そういうものがバランスよく議会に代表されて、議会を通じて政策形成に結びつくというのが必要だと思うんですけれども、代表されている人を見ると、総じて、老若男女のうちの老と男が地方議会は多いんです。
老と男が多いと、それは住民の皆さんが選んだからいいんですけれども、結果としてどういうことが起きるかというと、老男の代表のフィルターを通すると、しゃばにいろいろある課題のうち、教育とか子育てとか環境とかITとか、そういうものがいつの間にか捨象されてしまって、農業とか土木とか、そういうところが色濃く大きく出てしまうという傾向があります。
なぜそうなるのかというと、私が思うのは、市町村の議会の議員も、それからここの国会議員の先生方も、選ばれる資格は一緒なんですね、基本的には。私は、国会は、外交があったり防衛があったり非常に専門性があって、片手間でできる仕事は決してないと思います。ですけれども、市町村の議会の議員というのは、生活を実際にしている人たちを代表する、生活者の代表でありますから、そんなに国会議員の皆さんと同じような資格は必要ないと思うんです。
例えば、今教育が問題だということになると、本当は、市町村の議会の議員の中に先生がいてもいいはずなんです。ところが、通常、公立学校の先生は公務員でありますから、公務員は一切だめよということになるわけですね。国会議員の先生方は公務員だめよというのは、それはいいと思うんですけれども、市町村の議会まで全部そうやって公務員はだめというようなことをして、本当にそれでいいのかどうかと思うんです。
公務員はだめというのでいいますと、例えば私自身の問題も、非常に悩んだことがあるんです。私は、三年半前まで東京の目黒区民だったんですけれども、子供の小学校の参観日に行っていろいろ気がつくことがあるわけです。もうちょっとパソコンの新しいのを買わないと、こんなの時代おくれだなと思って先生に言っても、いや、区の予算がありませんからと、らちが明かない。それじゃ区議会議員にでも出て、区の予算を教育にもっと回すように言おうかと思っても、立候補しようと思ったら公務員をやめなきゃいけないわけです。
仕事をやめて、のみならず、私は国家公務員住宅に入っていましたから、公務員住宅も追い出されてしまえば目黒区民でもなくなる。子供のために区の行政に参画しようと思ったら生活の基盤が全部なくなる、こういう地方自治制度、身近なところの市町村の地方自治制度は、私はおかしいと思うんであります。やはり、生活を実践しながら、今困っている問題を区の行政で解決してもらいたい、それを気軽にというか、余りハードルが高くなく物を申すことができる、そういう環境整備をしなければ、日本の地方自治は生き生きとしてこないんではないかと思うんです。
それを、猫もしゃくしも全部一緒の条件にして、国会議員の先生方も都道府県議会の議員も区市町村の議会も、全部なべて同じような資格要件で、職業としての政治家でないとならないというような今の硬直的な仕組みはぜひ改めていただきたい。市町村の議会の議員はだれでもなれるというぐらいの、そういう仕組みにしていただければありがたいと思います。これは、我々ではできないんです。法律を改正していただかなければできないわけであります。
次は、「監査制度」であります。
監査制度は非常に重要だと思います。これは、先般のアメリカのエンロンの破綻なんかを見ましても、監査がいかにいいかげんであったか、それがあんな悲劇を生んだということだろうと思います。地方自治体でもそうでありまして、監査というのは、私は大変重要だと思っているんですが、総じて今まで軽視されております。刺身のつまぐらいにしか思っていない人が多いです。したがって、監査というのも、余り仕事せぬでええ、ちょろちょろっと適当な監査報告をしておけばいいというような傾向が強いです。
総じて、監査をする側と監査をされる側とは精神的な一体性、同一性がありまして、余り客観的で緊張感のある監査をやっていません。これではいけないと思うんであります。やはり、緊張感のある監査がないと腐敗し、堕落をするということにつながります。
私は今、できるだけ監査を遠ざけて、遠ざけてというのは、精神的一体感を持たないようにして、きちっと言うべきことを言ってくださいという話をしていまして、だんだんそうなっていますけれども、全国では必ずしもそうではない。監査と監査される側が精神的なぐるであるというケースが多いです。これを、ちゃんと制度的に緊張感を持つような仕組みにしなければいけないと思います。
それはどうすればいいのかということでありますが、私は、監査委員こそ選挙をしたらどうかと思うんであります。選挙をすると、オンブズマンみたいな人が出てきます。それでいいと思うんです。自治体のむだ遣いをやめさせたいと非常に熱心な人が選挙で出てくれば、それにこしたことはないはずであります。ぜひこの監査委員の問題を取り上げていただきたいと思うんであります。今のままだと、身内のかばい合いになってしまいます。
これは、我が国の企業も一緒ではないかと思います。企業で外部役員とかそういうものが必要だと言われているのは、やはり同じ文脈ではないかと思うんです。
我が国の場合に、監査委員という実は立派な制度があるんですけれども、それが、精神的なぐるといいますか、一体感があってうまく機能しない。特に、監査委員事務局自体が腐敗をして、数年前にやみで金を使っていたというのが判明して、そこで選挙にしようとかいうようなことをやればよかったんですけれども、どういうわけか微温的にそこはそのままにしておいて、外部監査という、いわば屋上屋を重ねるような制度を法律でつくられたものですから、我々も今外部監査というのをやっていますけれども、しかし、本当は、監査委員という本体のところを活性化する方がいいと思うんです。そのためには、監査委員は選挙で選ぶということ、私はこれをぜひお願いしたいと思うんです。
それは、実は私たちにとっては厳しいことなんです。選挙で選んだ、精神的一体感のない人がずかずかっと入り込んできて、どういう金の使い方をしているかと探るわけですから、結構つらい面はあるかもしれませんが、しかし、そのことが緊張感を生んで、長い目で見ると自治体の健全性をきっと保つことになるんだろうと私は思っております。
次は、「地方財政」であります。
今、地方財政は破綻寸前であります。もう破綻していると言ってもいいかもしれません。これは国家財政も同じだと思いますけれども。
その原因はいろいろありますが、一番大きいのは、やはり政府が主導してきました景気対策であります、率直に申し上げまして。景気対策に地方団体も引きずり込んで、公共事業をさあ積み増ししなさい、単独事業で、起債でどんどんやりなさい、後で交付税で返してあげます。減税をします。国税だけで減税しない、地方税も減税させて、足らない分は赤字地方債を発行しておきなさい、後で交付税で返してあげます。こういう交付税を先食いする形でどんどん財政を破綻させてきているのが今日であります。これを断ち切らないと私はいけないと思います。もう本当に破綻寸前であります。
今、鳥取県では、独自にできることとして、公共事業については、従来は、とにかく補助金がついたら全部やる、公共事業はすべていいということだったんですが、今はそうやっておりません。一件一件査定しまして、必要なものはやる。それから、補助金についても、必要でないものはやめるということをやっております。
脱ダム宣言というのは私はやりませんでしたけれども、しかし、ダムを一つやめました、二百四十億円ぐらいだったんですけれども。これも補助金がついてずうっとやっていたんですけれども、これはやめました。必要がないからということであります。もちろん、必要なダムもありますので、必要なダムはやっております。でも、必要でないダムはやめています。そういうことをやっています。
それから、「地方交付税と地方債」と書いていますが、これもさっき言いましたように、今まで余りにも地方交付税を頼りにしてハード事業をやり過ぎた嫌いがあります。いろいろな単独事業をどんどんやりなさい、特に景気対策でどんどんやりなさい、お金がないから今は地方債でやっておきなさい、後で交付税で返してあげます、有利ですよと。有利だから、地方団体は競い合うようにして単独事業をやるわけです。
しかし、みんながそうやって、有利だからといって地方交付税をあてにした、先食いで、起債で、借金でやってしまうと、マクロで見ると実は最悪の結果になるわけであります。経済学でよく、ミクロでは最善の方法をみんながやったら、マクロでは最悪の結果になるという、合成の誤謬という言葉がありますけれども、まさしく今、地方財政ではその合成の誤謬が生じているんだと思います。これまでのように、ハード事業をどんどんやりなさい、交付税で裏打ちしてあげますよ、そういう仕組みは、私は早晩やめるべきだと思っております。
特に、これまで地方財政はハード優先、ハード偏重で来ました。それは、交付税制度もそうなんですが、大きく地方財政自体がそういう傾向を持っていまして、例えば財政分析をするときに、ハード事業をやると、決算分析では投資的経費に使ったといって推賞されるわけです。ところが、教育とか人件費を伴うものにお金をつぎ込んだ場合には、消費的経費につぎ込んだといって少し非難されるような意味合いがあるわけでありますね。
私は、地方財政というのは住民の皆さんのニーズに基づいてやることですから、ハードであってもソフトであっても、それは選択の結果だろうと思うんです。何もハードだけがよくてソフトが悪いというわけでもない。逆に、ハードが全部悪だというわけでもない。それはそれぞれの地域で選択をして、自分のところはこれを優先的にやる、その結果でいいと思うんであります。それを、政府がハードの方に地方団体を引っ張るような今までの地方財政の仕組みというのは、やはり是正をすべきだろうと思います。
そういう意味でいいますと、今市町村合併を進めるということで、私は、政府が言っておられるのとは別で、市町村合併、特に町村の合併が必要だろうと思っているんですけれども、政府が市町村合併を進めるときに、またぞろハードで合併を引っ張ろうとされているわけです。合併すると合併特例債が使えて、道路ができます、トンネルができますよ、集会施設ができますよということで合併を進めようとしている。
私は逆だと思うんですね。今、何で町村合併をしなきゃいけないのかといったら、専門的なスタッフがいないんです、環境だとか、ITだとか、教育だとか。これが本当に今貧弱なんです。こんな今の町村の規模で、スタッフのいない状態で、これからの地方分権の時代は乗り切れないだろうと私は思うんです。ですから、三つか四つがまとまって、少し規模を大きくする。そうすると、教育は教育、環境は環境、男女共同参画は男女共同参画で、それぞれの専門スタッフを張りつけることができる。要は、人材が必要だから合併した方がいいと私は思っているんです。
ところが中央政府は、合併をしなさい、道路ができます、集会所ができますという、ハード事業ができますよと言ってやっているんです。また借金を重ねて、財政危機を助長する。何か、今やっておられることはずれているんではないかなという気がしてなりません。合併を推進するのであれば、人材がそろうような施策を応援する、そういう施策の方が現状にはかなっていると思います。
それから、自主財源の強化の問題でありますが、片山総務大臣が五兆五千億円の税源移譲案を示されましたが、私は、あれは大筋正しいと思っています。今国庫補助金でもらっているものを、地方団体の立場からすると、補助金から交付税と税に振りかえて財源を確保するような、そういう仕組みにするということは、私は正しいだろうと思うんです。
なぜならば、補助金がついたからやる、補助金がつかないからやらないという今の地方団体の行動様式というのは実にあります。ですから、補助金がついたから、本当は必要ないかもしれないけれどもやるという傾向がややあります。そういうものが補助金から一般財源に振りかわると、恐らくシビアな吟味が行われるようになります、地方団体は自分の金、自主財源を使うのは非常にけちでありますから。そういう意味では、補助金から一般財源に振りかえることによって、地方団体のけちなところがより分野が大きくなって、結果的に財政はスリムになると思います。そういう意味で税源移譲は賛成であります。
ただ、総務省の構想が、補助金を減らして全部税という話だとすると、ちょっと我々としては賛成しかねる面があります。なぜならば、補助金はどっと、例えば鳥取県で三百億円減る、五兆五千億円に見合うものが。ところが、税収は百億円ぐらいしか来ない。そうすると、二百億円穴があくということになりますから、補助金を減らした分は税と適度な交付税とのバランスで財源移転をするということ、これをぜひお願い申し上げたいと思います。
「地方税」でありますが、地方税が自治の原点であると思います。税を払った人が、自分の税がどこで何に使われるのかということを監視する、これが一番大切でありますので、自分の身近なところに税を納めて、身近なところで税の使い道を決めるという、これが一番大切だと思います。
今、税の問題で幾つかあるんですが、一つは法人課税でありまして、都道府県の一番の税源は法人事業税であります。これは、法人の所得に課税をしております。したがって、景気が悪くなれば、赤字法人がふえれば、法人事業税は減ります、激減します。今そういう状態であります。しかし、今のような景気の悪いときほど都道府県の仕事はふえるのであります、雇用でありますとか。ですから、都道府県でいえば、お金はたくさん出ていくときに税収は入ってこない、こういうギャップがあるわけです。
私は、市町村がうらやましいなと思いますのは、市町村は固定資産税と個人の住民税が中心でありますから、比較的安定的であります。非常にうらやましいと思います。都道府県の税の構造も、ぜひ安定的なものにしていただきたいと思うんです。
そのためには何が必要かといいますと、一つの方策は、今検討されております外形標準課税。赤字の法人も黒字の法人も、なべて薄く広く納めていただきましょう、公平、平等にというのが一つの方策だろうと思います。
ただ、それだけではありません。例えば、私は、もう一つの方策としては、地方の法人所得課税を国税の法人税の方に移譲して、そのかわり国税の所得税を住民税としてもらうというような、法人と個人とのエクスチェンジ、バーターというのもあり得るんだろうと思います。
いろいろな選択肢があるだろうと思いますが、外形標準課税というのも一つの有力な選択肢であります。ぜひ、何らかの方法で都道府県の税収構造が安定的になるような、黒字の法人がふえたときはどっとふえるけれども、今のような状態のときには物すごく税収が減るというような、そういう変動の激しい税制は改めていただきたいと思います。
それから、地方独自課税というのが今もてはやされておりまして、例えば横浜の馬券税でありますとか、どこだったか、東京都区内の自転車課税とか、買い物袋税とか、いろいろなものが出てきております。何か、これらが課税自主権の主役のように今言われておりますけれども、私は、ちょっと違った考え方を持っていまして、しょせんは地方独自課税というのは脇役にすぎません。今の地方の歳入歳出の大きなギャップを地方独自課税で埋めるというような考え方は、まず現実的ではありません。
もちろん、地方独自課税も意味のある面がありまして、例えば、今私どもで考えていますのは水源涵養税なんて考えているんですけれども、これは、森を守るために水道を日常使う市民の皆さんが少しずつ、ちょっとでいいですから、お金を納めてください、そのお金を上流の水源地の方の森林の涵養に使います、そういうことを今考えているんですけれども、これはどっちかというと、税源目当てというよりは教育的効果、啓発的効果という意味合いがあります。
ですから、そういう意味では有力な力を発揮することもありますけれども、しかし、大きな財源不足を地方独自課税で埋めたらいいというような考え方は現実的でないということを御認識いただければと思います。
敷衍いたしますと、地方独自課税でありますから、いろいろなものが出てきます。今は、政府の方がそれをチェックしようとされております。私は、それはやめられた方がいいと思っています。
といいますのは、役所が余りそういうことをチェックするんじゃなくて、本来はそれぞれの議会がチェックすべきことであります。ですから、東京都のホテル税でありますと、議会が厳密にチェックすべき問題であります。銀行税でもそうなんであります。
議会がなかなか、東京都議会も余りチェック機能がありませんから、チェックされておりませんので、変な税が次々出てきますけれども、それならば、今度は司法の場でチェックすべきであります。納税者の方が訴訟を起こされて、銀行税は果たして訴訟を起こされましたけれども、司法の場で、それが法律にかなっているかどうか、納税者の権利を保護しているかどうかということをちゃんとチェックするということで、私は、余り政府がチェックされない方がいいんではないかという気がしております。
「国と地方の関係」でありますが、小泉総理が、地方でできることは地方でやりなさいと言われています。私は、非常に賛成であります。ぜひ、地方でやることは地方でやりたいと思っております。
ただ、逆に、国でやるべきことは国でやってもらいたいということもあるんであります。最近、地方から見ていますと、余りにも国がやるべきことをやらない、それから、やる場合でもまずくしかやらないというケースが多いです。ぜひ、国政の方も、地方でやることは地方でやりますので、国でやることは国でやる、そのことを国会の皆さん方がチェックしていただきたいと思うんです。
一例を挙げますと、例えばこんなことがあったんです。
昨年の四月から、私どもの鳥取県の米子というところに空港があるんですけれども、米子空港とソウルとの間に国際定期便ができることになったんです。山陰地方には国際定期便がありませんでしたので、これは鳥取、島根両県にとって非常に朗報なわけであります。ああ、よかった、こう思ったんでありますが、すぐには実現しなかったです。外交交渉で決まって、日韓の定期航空交渉で決まって、アシアナ航空という航空会社が乗り入れますということを決めて、よかったと思ったら、直ちにはできなかったんです。
なぜかというと、これは国内問題でありまして、CIQ、すなわち入国管理とか税関とか検疫の体制がそろいません、ですからだめですと。外交交渉で決まって、相手の航空会社がやると言って、日本のCIQの問題、これはすなわち定数の問題であります、定数の問題でできませんという話なんですね。こんなばかな話はないと思うんです。一種のサービス産業でありますから、需要があって、だけれども店員がいませんから売りませんということと一緒なんですね。これがまかり通っている。
私は、腹が立ったものですから、何回も東京に来まして、こんなことでは困るじゃないですか、空港にCIQの人員をちゃんと配置してくださいと。いや、国家公務員定数管理の何とかという計画がありまして、シーリングがありまして、だめですと。シーリングとか定数計画というのは手段でして、手段は目的よりも劣るはずなんですけれども、手段の方が今大きな顔をして、まかり通っていて、目的をゆがめてしまう、こういうことがあるんです。
私は本当に承服できませんでしたので、去年の一月から三月の間に数え切れないぐらい東京に来まして、法務省に行き、大蔵省に行き、農林省に行き、厚生省に行き、それぞれ大臣や局長に談判をして、あっちがいいと言えばこっちが悪いと言い、どっちかで話をまとめるとこっちが腹を立てるとか、本当に難儀をして往生いたしました。ですけれども、まあまあ最後は、どなったりけんかしたりしながらも、四月から何とか必要最低限をつけてくれました。ですから、飛び始めましたけれども。
こんなことをやっていたら、本当に日本はらちが明かないと思って、一計を案じて、去年の今ごろから、国会議員の先生方に働きかけまして、CIQ議員連盟というのをつくっていただいたのです、秋田の村岡兼造先生に座長になっていただいて。夏の概算要求から、国会議員の先生方の力をかりて、関係各省を呼んで概算要求の中に盛り込んでもらうというところから始めたのです。そんなことも我々が働きかけて、おぜん立てもいろいろさせていただいたのですけれども、でも、結果的に、去年の年末の予算編成のときには、地方空港を含めたCIQが三百人ぐらい増員になりました。画期的なことであって、私は感謝しているのです。
ですけれども、そうまでしないと、国がやるべきことをやらないという、この構造はどうしたんだろうかと思うのであります。もうちょっと柔軟に、必要なところに定数とか予算が配分できるような、そういう構造にしていただきたい。これこそが構造改革だと私は思うのでありますけれども、地方から見ていまして、そういう意味での今の日本の中央官庁の持っている病弊である構造の改革は、何ら進んでいないなという気がいたします。
余談でありますが、去年の一月から三月、本当に何回も私は東京に来ることを余儀なくされました。なぜならば、中央政府があるから、首都であるからであります。その首都でホテル税なんかかけるというものですから、私は腹が立って、ちょっと異議を唱えたのでありますけれども。いずれにしても、首都に余り何回も何回も来なくてもいいように、構造改革をしていただきたい。国でやるべきことは国でやるということをしていただきたいと思います。
最後に、「親離れ、子離れ」と書いていますけれども、地方と国との関係は、まだ親離れ、子離れはできていません。地方団体の方も、何か事があったらすぐに国にお伺いを立てるという傾向があります。私は、今、県庁の職員にも、つまらないことは聞くなと言っております。
もう一つは、政府の方も、地方団体に手とり足とりというのをぜひやめていただきたい。例えば、ちょっと申し上げましたけれども、県の方で機構改革をしたんです。農道と県道というのは、今まではそれぞれ土木部と農林部と別々のセクションでやっています、それは補助金の出口が違いますから。だけれども、やっていることは一緒なんです。技術も一緒なんです。だから、ことしからそのセクションを一緒にしたんです。それから、漁港と港湾も一緒にしたんです。
そういうことをしましたら、霞が関からは物すごい、ちょっといわく言いがたいことがあります、縄張り争いの結果でありましょうけれども。どうして日本で一番小さい鳥取県の県庁の組織なんかにそんなに注目していただけるのか、そんなに暇なのかと思って、もっとやることあるでしょうと私は言ったんです。余りそういう、国が地方団体をあれこれ自分のことのように気にするということをぜひやめていただきたい。子離れをしていただきたい。このこともあわせてお願いを申し上げておきます。
ありがとうございました。(拍手)