憲法調査会地方自治に関する調査小委員会

2002-06-06 衆議院 全91発言

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会議録情報#0
平成十四年六月六日(木曜日)
    午前九時開議
 出席小委員
   小委員長 保岡 興治君
      伊藤 公介君    西田  司君
      葉梨 信行君    平井 卓也君
      森岡 正宏君    渡辺 博道君
      大島  敦君    大谷 信盛君
      今野  東君    筒井 信隆君
      中川 正春君    永井 英慈君
      江田 康幸君    武山百合子君
      春名 直章君    金子 哲夫君
      西川太一郎君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    中野 寛成君
   参考人
   (鳥取県知事)      片山 善博君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    —————————————
六月六日
 小委員土井たか子君五月十六日委員辞任につき、その補欠として金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員中村哲治君及び井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として大谷信盛君及び西川太一郎君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員大谷信盛君及び西川太一郎君同日委員辞任につき、その補欠として大島敦君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員金子哲夫君同日小委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員大島敦君同日委員辞任につき、その補欠として今野東君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員今野東君同日小委員辞任につき、その補欠として中村哲治君が会長の指名で小委員に選任された。
    —————————————
本日の会議に付した案件
 地方自治に関する件

     ————◇—————
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保岡興治#1
○保岡小委員長 これより会議を開きます。
 地方自治に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として鳥取県知事片山善博君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の順序につきまして申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、片山参考人、お願いいたします。
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片山善博#2
○片山参考人 おはようございます。ただいま委員長から御紹介をいただきました鳥取県知事の片山でございます。本日は、こういう機会を与えていただきましたことをまずお礼を申し上げます。
 私から、きょうは、地方分権を実現するために、今どういう諸課題が現場にあるのかということを率直に話をさせていただきたいと思います。お手元にレジュメのようなものをお配りしていると思いますが、それをごらんいただきながら聞いていただきたいと思います。
 私、知事になりまして、今三年余を経過いたしました。この間、私なりに一生懸命地方自治を実践してきておりまして、その中で、さらに地方分権を推進する、自主的で生き生きとした地域づくりをするために、今どういうことが障害になっていて、どこをどう解決すればいいのかという気のついた点を幾つか挙げております。
 最初は、私自身の立場にも関係あることなんでありますが、首長でありますとか、その首長のもとで仕事をする組織の問題であります。
 組織、機構のあり方でありますが、今、我が国の地方自治制度というのは、都道府県それから市町村という二層構造になっているわけでありまして、それぞれ地方自治法を中心にした法律によって、かなり詳細に物事が決められております。私は、大筋、政府といいますか、中央が日本の内政の仕組みを決めるというのは、これは当たり前だろうと思うんでありますが、余り度が過ぎますと、地域の実情にそぐわないような全国一律になってしまって、どうも身動きがとれないということがやはり間々あります。
 例えば市町村のあり方にしましても、一応地方自治法では幾つかの類型に分けまして、市は市、町は町、村は村と分けているのでありますが、その分け方はすぐれて形式的でありまして、人口によって何万以上なら市になれるとか、しかもそれが、例えば今日の合併問題に見られますように、合併するときにはそのハードルを少し下げてあげるとか、非常に御都合主義の形式主義がまかり通っているわけであります。
 人口の多寡だけで権能が決まるというのは変な話でありまして、地域によっては、人口は多いけれども、余り能力がないと言うと変でありますけれども、自治の能力に欠けるようなケースもないわけではないし、人口が少なくても非常に熱意があって資質の高い地域もあるわけで、必ずしも量的なものだけで権能を決めてしまうのはいかがなものであるかと思っています。
 最近、政府の地方制度調査会なんかで、合併問題に絡んで、小規模で残ったところは権能を縮小しよう、そういうことをテーマにしてこれから議論しようということが新聞に出ておりました。一つの見識ではあると思うんですけれども、小さいから権能も少なくしてしまおう、人口が少ないから権能を少なくしてしまおうというのはまた非常に形式的でありまして、私は、そういうことは地方に任せていればいいんだろうと思うんです。
 小さくて本当にやっていけなければ、それは県がカバーするとか、小さくても自分できちっとやっていけるところであれば、それは住民の皆さんの選択でありますから、それでいいんだろうと思うんです。そういう自由度、柔軟性、選択性を持たせるのが、私は、中央政府のこれからの自治体の組織、機構に対する関与の仕方ではないかと思っております。
 それから、例えば県の組織、機構でありましても、大筋自治法で決まっているのであります。その組織は中央政府の縦割りの仕組みをなぞらえたようなものでありまして、地方分権の時代になって、住民の方に視点を移して、現場から物事を発想しよう、現場から物事を解決しようといったときに、どうも今の我が国の地方自治体の組織、機構ははずが合わなくなってしまっている。
 中央政府が縦割りの中で行政を下におろしていく、そのおろしやすい行政機構にはなっているんですけれども、縦に割れていない現場をありのままに見て、そこで課題をとらまえてそれを実践しようと思ったときには、どうも使い勝手の悪い仕組みになっていることは否めません。
 私は、鳥取県で、それを可能な範囲内で直していこうということで、現場向きに今組織を再編しているんでありますけれども、なかなか困難であります。やはり中央政府からの有形無形の圧力が非常にあったりします。これはまた後でお話を申し上げたいと思いますけれども。そういうことで、これからの地方分権時代の地方自治体の組織、機構は、これは市制、町村制も含めてでありますけれども、多様性、地域性、柔軟性に富んだものでなければいけないと考えております。
 それから次に、「多選問題」と書いておりますが、これは首長の問題であります。
 私は今、三年やってきたということを申し上げましたけれども、本当に手ごたえのある、充実感のある仕事であります。私は、選挙に出るとき大変迷いました。役人をやっておりましたので、本当に選挙に出るというのは大仕事でありまして、しかも子供をいっぱい抱えていたものですから、どうしようかと思ったんですけれども、思い切って選挙に出て、今の仕事についてよかったと思っています。本当に毎日毎日忙しいんですけれども、充実しております。
 しかし、私は、今の自分を考えていまして、これを一生懸命やった場合に、例えば一期で四年、仮に二期八年やって、それで全力を投球して、さらにその後、エネルギーだとかアイデアだとかが残っているだろうかと考えた場合に、全力投球したら枯渇するんじゃないかという気がするんであります。それで、世の中では、三期、四期もやられている方がおられて、よくあんなに情熱が続くなと思ったり、逆に情熱がそんなにないのかなと思ったりもするんですけれども、率直に申し上げて、十年も一生懸命やってできないことは、もうできないんだと思います、その人には。十年一生懸命やってできることは、できていると思います。ですから、多選はよくないと私は思います。
 それからもう一つは、これも自分で毎日気をつけているんですけれども、やはり権力は自己目的化します。県庁というのは一つの大統領制のもとででき上がっている組織でありますから、非常に権限の強いトップリーダーになれるわけであります。そうしますと、そのうちそれが自己目的化して、県庁のスタッフというのはトップのために仕事をするようになる。住民のために本来仕事をする組織の成員であるべきところが、トップの方を向いてトップのために仕事をする。トップは役所をかばうようになる。こういう妙な組織のあり方になって、自己目的化して長期政権が続く、こういうことが随所に見られます。
 ですから、私は、経験上、例えばアメリカの大統領が二期で切っているというのは、一つの経験則として英知だろうと思うんです。我が国の場合には、首長に多選禁止はありませんけれども、私自身が、今の立場ではなくて、例えば一人の国民、一人の住民として見た場合には、やはり多選についての何らかの制限があった方がいいんではないか、その方が我が国は伸びやかな社会になるんではないかという気がしてなりません。
 次に、執行機関の中で、「独立行政委員会」と書いておりますが、これは長以外の執行機関でありまして、日本の地方自治制度では、例えば都道府県の中では、公安委員会制度とか教育委員会制度があります。ほかにも人事委員会とかいろいろありますが、大きいのは教育と警察であります。
 これが、知事部局、知事の管轄のもとから離れておりまして、知事はトータルに、例えば議会との関係で代表するとか予算を提案する権利があるとか、そういうことはあるのでありますが、事務の執行については、教育行政は教育委員会がやり、それから警察行政は公安委員会が所管する、こういうことになっております。それはいろいろな理由があって、国にも、中央レベルでも公正取引委員会とか人事院とかそういうたぐいのものがありますから、平仄を合わせているのでありますけれども、これが実際に現場で見てみますと、どうも欠陥があるということを指摘せざるを得ません。
 どんな欠陥があるかといいますと、一つは、どうしても中途半端な組織であります。なぜならば、首長が議会の選任同意を得て任命するのでありますけれども、非常勤であって、専門性はなくてもいい、報酬は非常に低い、要するに、ちゃんとした仕事をするような前提として構成されておりません。どうしても中途半端であります。
 それから、中立性ということがこの独立行政委員会の存在意義になっているんですけれども、中立性はいいんですけれども、何となく無気力になって当事者意識に欠ける、当事者能力がないということであります。これは全国どこでもそうだろうと思います。
 本当は、警察行政も教育行政も非常に重要な分野でありまして、これについて、では、だれが責任を持って、だれが住民に対して説明責任を果たすのかというと、形式上はそれぞれ公安委員会の委員であり教育委員会の委員なのでありますけれども、その本来説明責任を果たすべき責任者が、先ほど言いましたように、中途半端な存在で当事者能力に欠けている。大変失礼な言い方でありますけれども、率直に申し上げて当事者能力に欠けているケースが多いのであります。これをどうするのかというのは非常に重要な問題であります。
 一例を申し上げますと、週休二日というか週五日制というのが始まったんですけれども、中央レベルからこの問題は出てきたわけであります。地方の現場では、保護者の皆さんは、週休二日にして子供たちは大丈夫だろうか、行き場がない子もいるよとか、学力はどうか、本当にそういう心配が出てくるのであります。私も子供が六人おりまして、まだ中学生もいるものですから、本当に心配なんです。土曜日を休みにして、地域の教育力で生きていく力を身につけるんだといって政府の方は説明していますけれども、ずっと見渡したって地域に教育力なんて本当にないんです。
 そういう現場の声が出るんですけれども、教育委員会はそういうことにはむとんちゃくでありまして、ひたすら上意下達、文部省の言うことをぱくぱく言うだけで、本来は地域の声を酌み取って国にぶつけなきゃいけない教育委員会が、先ほど言った当事者能力が欠如しているものですから、中央集権的な物の見方しかできない。
 では、それをどうするか。民主主義の仕組みがあると、例えば私だったら、次の選挙は大変だろうなとかいうことで一生懸命になるんですけれども、独立行政委員会の人たちは選挙もありませんから、余り鋭敏でない。保護者の皆さんは非常にもどかしさを感じる、無力感を感じる、こういうことなのであります。私は、この独立行政委員会というのは戦後アメリカから輸入された制度でありますけれども、そろそろ見直してもいいんではないかという気がします。
 では、どういうふうに見直すのかというのは、一つは、私たちは選挙で選ばれているわけですから、選挙で選ばれた長のもとで責任を持ってやるという体制にしてもらってもいいと思います。それは、私はやるだけの気概と自信を持っております。現に、私の鳥取県の隣の島根県に出雲市というところがありまして、出雲の市長さんは教育行政に非常に熱心な人ですが、もう教育委員会だけに任せておくわけにいかぬといって、教育委員会の仕事のうちの一部を、条例を改正して、自分のところに持ってきて仕事をする、そういうこともやっておられます。一見非常に無謀でありまして、文部科学省なんかは無謀だと言っておられるんだと思いますけれども、私は、一つの挑戦で試みだと思って注目して見ています。それも一つの方法。
 それから、もう一つは、それならば民主主義を徹底して、教育委員、公安委員を選挙で選んだらどうだろうかというのも一つの方法だろうと思います。私は、これでもいいと思います。選挙で教育委員会の委員を選ぶ、これはアメリカはやっておりますけれども、それも一長一短あるでしょうけれども、今よりはいいんではないかという気がします。
 こういう問題をぜひ御検討いただければと思います。
 もう一つつけ加えて言いますと、先般、外部監査制度というのがありまして、後でもちょっとお話ししますが、私のところの外部監査人が公安委員会を監査したんですけれども、結論は、公安委員会は形骸化しているという外部監査の結論を出しました。よく監査したと思いますけれども。実際、当たらずとも遠からずなんであります。どう形骸化しているかというと、警察本部長以下の事務局におんぶにだっこになっている、形骸化している、こういう話なのであります。
 それに対して、公安委員会の委員の皆さんは、みずから反論しないんです。大分おくれて反論しましたけれども、反論したのは、警察本部長が形骸化していないといって反論した。警察本部長以下におんぶにだっこになって形骸化していますよといって公安委員会が批判されたら、警察本部長以下が形骸化していないという反論をする、これがまさしく形骸化していることの象徴ではないかと私は思うのでありますけれども、まあ、実態はこんなものであります。
 やはり民主主義の不足というのがこの独立行政委員会には顕著に見られます。ぜひ、選挙で選ばれた長のもとで民主主義のもとに置くか、それとも、直接民主主義を注入する仕組みをつくるか、こういうことはこれからの課題ではないかと思います。
 次は、議会であります。
 地方議会は、国会と違って、かなり形骸化している面が実はあります。私は、知事に就任いたしましたときに、最初の議会で、表現は違うんですが、要するに、学芸会的なことはやりませんということを宣言しました。
 それはどういうことかといいますと、それまでの県議会というのは学芸会みたいだったんです。なぜならば、質問が全部決まっていて、答弁書もでき上がっていてそれを読む。その答弁書を聞いて、再質問もでき上がっていて、その再質問に対する再答弁もあらかじめでき上がっている。その再答弁に対する再々質問もでき上がっていて、再々答弁も決まっている。これをひたすら読み合うということを一生懸命やっていたわけです。何を答えるかじゃなくて、どれを読むかというのが一番の関心事で、読み間違えないようにしようという、時々読み間違いがあったりしましたけれども。
 そういう議会では全く意味をなさないわけで、議会というのはやはり議論をするところなんで、真剣に議論しましょうということで、私は、学芸会はやめましょうという話をしました。学芸会とは何だと大分怒られましたけれども、今は、我が鳥取県議会は非常に活発でありまして、もう学芸会的なことはほとんどなくなってしまいました。
 もう一つは、八百長をやめようという話を、これも表現は違いますけれども、ありていに言うと八百長をやめようという話をしました。
 八百長というのはどういうことかといいますと、議会が始まる前にあらかじめ結論は決まっている、議会の始まる前に全部多数会派に根回しをして、この議案はこう通すと決まっている。そうすると、後は質問をしても余り意味はありませんから、野球でいえば優勝チームが決まった後の消化試合みたいになってしまう。
 そういうことでは住民はだれも注目しませんから、結論を最初から決めて議会に臨むということはやめましょうということで、私は、議会が始まる前に議案を多数会派に根回しして全部通してくださいという、そういう意味での根回しはやっておりません。説明はしますけれども、拝む、頼むということはやっておりません。したがって、今は、私のところは、修正は頻々とありますし、それから我々の意に反した継続審議というのもありますし、私は一生懸命議案をつくって出しますけれども、皆さん方は意見が違っていれば修正していただいても結構だし、否決していただいても結構だという話をしたんですけれども、本当に否決されたこともあります。
 ですから、我が鳥取県議会はそういうふうに本来の議会にだんだんなってきているのでありますけれども、日本全国を見渡してみて、なかなか今の地方議会というのはそうなっておりません。やはり学芸会的な要素があったり、それから八百長的な部分があったりするのが現実であります。これを正すことが地方分権時代には一番必要だろうと思うんです。
 なぜならば、今までは中央が全部決めていて、地方議会では議論することは余りなかったのであります。特に税なんかはそうです。税という非常に重要な分野が、全部専決処分といって、議論をしないで、議会にかわって長が決めてしまう、こういうことが横行しているわけです。しかし、中央集権でなくて地方分権時代になってくると、これからは国が決めるんではなくて地方が独自に決めるということになると、だれが決めますかというと、最終的な決定権は議会ですから、議会が形骸化していてはいけない、議会の活性化が必要だということであります。
 そういう意味でいいますと、議会の制度を今見てみますと、余りにも硬直的であるということが指摘できます。地方自治法で事細かに決まって、議会というのは年に何回開いて、常任委員会はこういうのがあって、定数はこうでということを決めているんですね。そんなことを一々決めていただかなくても結構だと私は思うんです。それぞれ地方のやり方で決められたらいいと思うんです。定例会は年に四回と限ることはないと思うんです、六回やったって構いませんし。定数だってそうなんです。本当に、定数だって少なくてやろうというところがあってもいいし、それから、議員報酬の単価を低くしてでも多少多目に議員さんを選んでやってもいいし、それは選択の問題ではないかと私は思うんでありますが、どうも地方自治法は、あれこれあれこれ、手とり足とり細かいことまで決めている。何の意味もないと思うんです。
 特に、最近気になりますのは、市町村の議会のことでありますが、どういう人が選ばれるかという点であります。
 私は、今、市町村で何が問題かというと、例えば教育とか子育てとか、そういうことが非常に問題なんですけれども、そういうことに熱心な人が余り議会に登場しないんです。世の中というのは老若男女で構成されていて、老いも若きも、男も女もで構成されているわけで、それぞれに課題を持って、悩みを持っているわけで、そういうものがバランスよく議会に代表されて、議会を通じて政策形成に結びつくというのが必要だと思うんですけれども、代表されている人を見ると、総じて、老若男女のうちの老と男が地方議会は多いんです。
 老と男が多いと、それは住民の皆さんが選んだからいいんですけれども、結果としてどういうことが起きるかというと、老男の代表のフィルターを通すると、しゃばにいろいろある課題のうち、教育とか子育てとか環境とかITとか、そういうものがいつの間にか捨象されてしまって、農業とか土木とか、そういうところが色濃く大きく出てしまうという傾向があります。
 なぜそうなるのかというと、私が思うのは、市町村の議会の議員も、それからここの国会議員の先生方も、選ばれる資格は一緒なんですね、基本的には。私は、国会は、外交があったり防衛があったり非常に専門性があって、片手間でできる仕事は決してないと思います。ですけれども、市町村の議会の議員というのは、生活を実際にしている人たちを代表する、生活者の代表でありますから、そんなに国会議員の皆さんと同じような資格は必要ないと思うんです。
 例えば、今教育が問題だということになると、本当は、市町村の議会の議員の中に先生がいてもいいはずなんです。ところが、通常、公立学校の先生は公務員でありますから、公務員は一切だめよということになるわけですね。国会議員の先生方は公務員だめよというのは、それはいいと思うんですけれども、市町村の議会まで全部そうやって公務員はだめというようなことをして、本当にそれでいいのかどうかと思うんです。
 公務員はだめというのでいいますと、例えば私自身の問題も、非常に悩んだことがあるんです。私は、三年半前まで東京の目黒区民だったんですけれども、子供の小学校の参観日に行っていろいろ気がつくことがあるわけです。もうちょっとパソコンの新しいのを買わないと、こんなの時代おくれだなと思って先生に言っても、いや、区の予算がありませんからと、らちが明かない。それじゃ区議会議員にでも出て、区の予算を教育にもっと回すように言おうかと思っても、立候補しようと思ったら公務員をやめなきゃいけないわけです。
 仕事をやめて、のみならず、私は国家公務員住宅に入っていましたから、公務員住宅も追い出されてしまえば目黒区民でもなくなる。子供のために区の行政に参画しようと思ったら生活の基盤が全部なくなる、こういう地方自治制度、身近なところの市町村の地方自治制度は、私はおかしいと思うんであります。やはり、生活を実践しながら、今困っている問題を区の行政で解決してもらいたい、それを気軽にというか、余りハードルが高くなく物を申すことができる、そういう環境整備をしなければ、日本の地方自治は生き生きとしてこないんではないかと思うんです。
 それを、猫もしゃくしも全部一緒の条件にして、国会議員の先生方も都道府県議会の議員も区市町村の議会も、全部なべて同じような資格要件で、職業としての政治家でないとならないというような今の硬直的な仕組みはぜひ改めていただきたい。市町村の議会の議員はだれでもなれるというぐらいの、そういう仕組みにしていただければありがたいと思います。これは、我々ではできないんです。法律を改正していただかなければできないわけであります。
 次は、「監査制度」であります。
 監査制度は非常に重要だと思います。これは、先般のアメリカのエンロンの破綻なんかを見ましても、監査がいかにいいかげんであったか、それがあんな悲劇を生んだということだろうと思います。地方自治体でもそうでありまして、監査というのは、私は大変重要だと思っているんですが、総じて今まで軽視されております。刺身のつまぐらいにしか思っていない人が多いです。したがって、監査というのも、余り仕事せぬでええ、ちょろちょろっと適当な監査報告をしておけばいいというような傾向が強いです。
 総じて、監査をする側と監査をされる側とは精神的な一体性、同一性がありまして、余り客観的で緊張感のある監査をやっていません。これではいけないと思うんであります。やはり、緊張感のある監査がないと腐敗し、堕落をするということにつながります。
 私は今、できるだけ監査を遠ざけて、遠ざけてというのは、精神的一体感を持たないようにして、きちっと言うべきことを言ってくださいという話をしていまして、だんだんそうなっていますけれども、全国では必ずしもそうではない。監査と監査される側が精神的なぐるであるというケースが多いです。これを、ちゃんと制度的に緊張感を持つような仕組みにしなければいけないと思います。
 それはどうすればいいのかということでありますが、私は、監査委員こそ選挙をしたらどうかと思うんであります。選挙をすると、オンブズマンみたいな人が出てきます。それでいいと思うんです。自治体のむだ遣いをやめさせたいと非常に熱心な人が選挙で出てくれば、それにこしたことはないはずであります。ぜひこの監査委員の問題を取り上げていただきたいと思うんであります。今のままだと、身内のかばい合いになってしまいます。
 これは、我が国の企業も一緒ではないかと思います。企業で外部役員とかそういうものが必要だと言われているのは、やはり同じ文脈ではないかと思うんです。
 我が国の場合に、監査委員という実は立派な制度があるんですけれども、それが、精神的なぐるといいますか、一体感があってうまく機能しない。特に、監査委員事務局自体が腐敗をして、数年前にやみで金を使っていたというのが判明して、そこで選挙にしようとかいうようなことをやればよかったんですけれども、どういうわけか微温的にそこはそのままにしておいて、外部監査という、いわば屋上屋を重ねるような制度を法律でつくられたものですから、我々も今外部監査というのをやっていますけれども、しかし、本当は、監査委員という本体のところを活性化する方がいいと思うんです。そのためには、監査委員は選挙で選ぶということ、私はこれをぜひお願いしたいと思うんです。
 それは、実は私たちにとっては厳しいことなんです。選挙で選んだ、精神的一体感のない人がずかずかっと入り込んできて、どういう金の使い方をしているかと探るわけですから、結構つらい面はあるかもしれませんが、しかし、そのことが緊張感を生んで、長い目で見ると自治体の健全性をきっと保つことになるんだろうと私は思っております。
 次は、「地方財政」であります。
 今、地方財政は破綻寸前であります。もう破綻していると言ってもいいかもしれません。これは国家財政も同じだと思いますけれども。
 その原因はいろいろありますが、一番大きいのは、やはり政府が主導してきました景気対策であります、率直に申し上げまして。景気対策に地方団体も引きずり込んで、公共事業をさあ積み増ししなさい、単独事業で、起債でどんどんやりなさい、後で交付税で返してあげます。減税をします。国税だけで減税しない、地方税も減税させて、足らない分は赤字地方債を発行しておきなさい、後で交付税で返してあげます。こういう交付税を先食いする形でどんどん財政を破綻させてきているのが今日であります。これを断ち切らないと私はいけないと思います。もう本当に破綻寸前であります。
 今、鳥取県では、独自にできることとして、公共事業については、従来は、とにかく補助金がついたら全部やる、公共事業はすべていいということだったんですが、今はそうやっておりません。一件一件査定しまして、必要なものはやる。それから、補助金についても、必要でないものはやめるということをやっております。
 脱ダム宣言というのは私はやりませんでしたけれども、しかし、ダムを一つやめました、二百四十億円ぐらいだったんですけれども。これも補助金がついてずうっとやっていたんですけれども、これはやめました。必要がないからということであります。もちろん、必要なダムもありますので、必要なダムはやっております。でも、必要でないダムはやめています。そういうことをやっています。
 それから、「地方交付税と地方債」と書いていますが、これもさっき言いましたように、今まで余りにも地方交付税を頼りにしてハード事業をやり過ぎた嫌いがあります。いろいろな単独事業をどんどんやりなさい、特に景気対策でどんどんやりなさい、お金がないから今は地方債でやっておきなさい、後で交付税で返してあげます、有利ですよと。有利だから、地方団体は競い合うようにして単独事業をやるわけです。
 しかし、みんながそうやって、有利だからといって地方交付税をあてにした、先食いで、起債で、借金でやってしまうと、マクロで見ると実は最悪の結果になるわけであります。経済学でよく、ミクロでは最善の方法をみんながやったら、マクロでは最悪の結果になるという、合成の誤謬という言葉がありますけれども、まさしく今、地方財政ではその合成の誤謬が生じているんだと思います。これまでのように、ハード事業をどんどんやりなさい、交付税で裏打ちしてあげますよ、そういう仕組みは、私は早晩やめるべきだと思っております。
 特に、これまで地方財政はハード優先、ハード偏重で来ました。それは、交付税制度もそうなんですが、大きく地方財政自体がそういう傾向を持っていまして、例えば財政分析をするときに、ハード事業をやると、決算分析では投資的経費に使ったといって推賞されるわけです。ところが、教育とか人件費を伴うものにお金をつぎ込んだ場合には、消費的経費につぎ込んだといって少し非難されるような意味合いがあるわけでありますね。
 私は、地方財政というのは住民の皆さんのニーズに基づいてやることですから、ハードであってもソフトであっても、それは選択の結果だろうと思うんです。何もハードだけがよくてソフトが悪いというわけでもない。逆に、ハードが全部悪だというわけでもない。それはそれぞれの地域で選択をして、自分のところはこれを優先的にやる、その結果でいいと思うんであります。それを、政府がハードの方に地方団体を引っ張るような今までの地方財政の仕組みというのは、やはり是正をすべきだろうと思います。
 そういう意味でいいますと、今市町村合併を進めるということで、私は、政府が言っておられるのとは別で、市町村合併、特に町村の合併が必要だろうと思っているんですけれども、政府が市町村合併を進めるときに、またぞろハードで合併を引っ張ろうとされているわけです。合併すると合併特例債が使えて、道路ができます、トンネルができますよ、集会施設ができますよということで合併を進めようとしている。
 私は逆だと思うんですね。今、何で町村合併をしなきゃいけないのかといったら、専門的なスタッフがいないんです、環境だとか、ITだとか、教育だとか。これが本当に今貧弱なんです。こんな今の町村の規模で、スタッフのいない状態で、これからの地方分権の時代は乗り切れないだろうと私は思うんです。ですから、三つか四つがまとまって、少し規模を大きくする。そうすると、教育は教育、環境は環境、男女共同参画は男女共同参画で、それぞれの専門スタッフを張りつけることができる。要は、人材が必要だから合併した方がいいと私は思っているんです。
 ところが中央政府は、合併をしなさい、道路ができます、集会所ができますという、ハード事業ができますよと言ってやっているんです。また借金を重ねて、財政危機を助長する。何か、今やっておられることはずれているんではないかなという気がしてなりません。合併を推進するのであれば、人材がそろうような施策を応援する、そういう施策の方が現状にはかなっていると思います。
 それから、自主財源の強化の問題でありますが、片山総務大臣が五兆五千億円の税源移譲案を示されましたが、私は、あれは大筋正しいと思っています。今国庫補助金でもらっているものを、地方団体の立場からすると、補助金から交付税と税に振りかえて財源を確保するような、そういう仕組みにするということは、私は正しいだろうと思うんです。
 なぜならば、補助金がついたからやる、補助金がつかないからやらないという今の地方団体の行動様式というのは実にあります。ですから、補助金がついたから、本当は必要ないかもしれないけれどもやるという傾向がややあります。そういうものが補助金から一般財源に振りかわると、恐らくシビアな吟味が行われるようになります、地方団体は自分の金、自主財源を使うのは非常にけちでありますから。そういう意味では、補助金から一般財源に振りかえることによって、地方団体のけちなところがより分野が大きくなって、結果的に財政はスリムになると思います。そういう意味で税源移譲は賛成であります。
 ただ、総務省の構想が、補助金を減らして全部税という話だとすると、ちょっと我々としては賛成しかねる面があります。なぜならば、補助金はどっと、例えば鳥取県で三百億円減る、五兆五千億円に見合うものが。ところが、税収は百億円ぐらいしか来ない。そうすると、二百億円穴があくということになりますから、補助金を減らした分は税と適度な交付税とのバランスで財源移転をするということ、これをぜひお願い申し上げたいと思います。
 「地方税」でありますが、地方税が自治の原点であると思います。税を払った人が、自分の税がどこで何に使われるのかということを監視する、これが一番大切でありますので、自分の身近なところに税を納めて、身近なところで税の使い道を決めるという、これが一番大切だと思います。
 今、税の問題で幾つかあるんですが、一つは法人課税でありまして、都道府県の一番の税源は法人事業税であります。これは、法人の所得に課税をしております。したがって、景気が悪くなれば、赤字法人がふえれば、法人事業税は減ります、激減します。今そういう状態であります。しかし、今のような景気の悪いときほど都道府県の仕事はふえるのであります、雇用でありますとか。ですから、都道府県でいえば、お金はたくさん出ていくときに税収は入ってこない、こういうギャップがあるわけです。
 私は、市町村がうらやましいなと思いますのは、市町村は固定資産税と個人の住民税が中心でありますから、比較的安定的であります。非常にうらやましいと思います。都道府県の税の構造も、ぜひ安定的なものにしていただきたいと思うんです。
 そのためには何が必要かといいますと、一つの方策は、今検討されております外形標準課税。赤字の法人も黒字の法人も、なべて薄く広く納めていただきましょう、公平、平等にというのが一つの方策だろうと思います。
 ただ、それだけではありません。例えば、私は、もう一つの方策としては、地方の法人所得課税を国税の法人税の方に移譲して、そのかわり国税の所得税を住民税としてもらうというような、法人と個人とのエクスチェンジ、バーターというのもあり得るんだろうと思います。
 いろいろな選択肢があるだろうと思いますが、外形標準課税というのも一つの有力な選択肢であります。ぜひ、何らかの方法で都道府県の税収構造が安定的になるような、黒字の法人がふえたときはどっとふえるけれども、今のような状態のときには物すごく税収が減るというような、そういう変動の激しい税制は改めていただきたいと思います。
 それから、地方独自課税というのが今もてはやされておりまして、例えば横浜の馬券税でありますとか、どこだったか、東京都区内の自転車課税とか、買い物袋税とか、いろいろなものが出てきております。何か、これらが課税自主権の主役のように今言われておりますけれども、私は、ちょっと違った考え方を持っていまして、しょせんは地方独自課税というのは脇役にすぎません。今の地方の歳入歳出の大きなギャップを地方独自課税で埋めるというような考え方は、まず現実的ではありません。
 もちろん、地方独自課税も意味のある面がありまして、例えば、今私どもで考えていますのは水源涵養税なんて考えているんですけれども、これは、森を守るために水道を日常使う市民の皆さんが少しずつ、ちょっとでいいですから、お金を納めてください、そのお金を上流の水源地の方の森林の涵養に使います、そういうことを今考えているんですけれども、これはどっちかというと、税源目当てというよりは教育的効果、啓発的効果という意味合いがあります。
 ですから、そういう意味では有力な力を発揮することもありますけれども、しかし、大きな財源不足を地方独自課税で埋めたらいいというような考え方は現実的でないということを御認識いただければと思います。
 敷衍いたしますと、地方独自課税でありますから、いろいろなものが出てきます。今は、政府の方がそれをチェックしようとされております。私は、それはやめられた方がいいと思っています。
 といいますのは、役所が余りそういうことをチェックするんじゃなくて、本来はそれぞれの議会がチェックすべきことであります。ですから、東京都のホテル税でありますと、議会が厳密にチェックすべき問題であります。銀行税でもそうなんであります。
 議会がなかなか、東京都議会も余りチェック機能がありませんから、チェックされておりませんので、変な税が次々出てきますけれども、それならば、今度は司法の場でチェックすべきであります。納税者の方が訴訟を起こされて、銀行税は果たして訴訟を起こされましたけれども、司法の場で、それが法律にかなっているかどうか、納税者の権利を保護しているかどうかということをちゃんとチェックするということで、私は、余り政府がチェックされない方がいいんではないかという気がしております。
 「国と地方の関係」でありますが、小泉総理が、地方でできることは地方でやりなさいと言われています。私は、非常に賛成であります。ぜひ、地方でやることは地方でやりたいと思っております。
 ただ、逆に、国でやるべきことは国でやってもらいたいということもあるんであります。最近、地方から見ていますと、余りにも国がやるべきことをやらない、それから、やる場合でもまずくしかやらないというケースが多いです。ぜひ、国政の方も、地方でやることは地方でやりますので、国でやることは国でやる、そのことを国会の皆さん方がチェックしていただきたいと思うんです。
 一例を挙げますと、例えばこんなことがあったんです。
 昨年の四月から、私どもの鳥取県の米子というところに空港があるんですけれども、米子空港とソウルとの間に国際定期便ができることになったんです。山陰地方には国際定期便がありませんでしたので、これは鳥取、島根両県にとって非常に朗報なわけであります。ああ、よかった、こう思ったんでありますが、すぐには実現しなかったです。外交交渉で決まって、日韓の定期航空交渉で決まって、アシアナ航空という航空会社が乗り入れますということを決めて、よかったと思ったら、直ちにはできなかったんです。
 なぜかというと、これは国内問題でありまして、CIQ、すなわち入国管理とか税関とか検疫の体制がそろいません、ですからだめですと。外交交渉で決まって、相手の航空会社がやると言って、日本のCIQの問題、これはすなわち定数の問題であります、定数の問題でできませんという話なんですね。こんなばかな話はないと思うんです。一種のサービス産業でありますから、需要があって、だけれども店員がいませんから売りませんということと一緒なんですね。これがまかり通っている。
 私は、腹が立ったものですから、何回も東京に来まして、こんなことでは困るじゃないですか、空港にCIQの人員をちゃんと配置してくださいと。いや、国家公務員定数管理の何とかという計画がありまして、シーリングがありまして、だめですと。シーリングとか定数計画というのは手段でして、手段は目的よりも劣るはずなんですけれども、手段の方が今大きな顔をして、まかり通っていて、目的をゆがめてしまう、こういうことがあるんです。
 私は本当に承服できませんでしたので、去年の一月から三月の間に数え切れないぐらい東京に来まして、法務省に行き、大蔵省に行き、農林省に行き、厚生省に行き、それぞれ大臣や局長に談判をして、あっちがいいと言えばこっちが悪いと言い、どっちかで話をまとめるとこっちが腹を立てるとか、本当に難儀をして往生いたしました。ですけれども、まあまあ最後は、どなったりけんかしたりしながらも、四月から何とか必要最低限をつけてくれました。ですから、飛び始めましたけれども。
 こんなことをやっていたら、本当に日本はらちが明かないと思って、一計を案じて、去年の今ごろから、国会議員の先生方に働きかけまして、CIQ議員連盟というのをつくっていただいたのです、秋田の村岡兼造先生に座長になっていただいて。夏の概算要求から、国会議員の先生方の力をかりて、関係各省を呼んで概算要求の中に盛り込んでもらうというところから始めたのです。そんなことも我々が働きかけて、おぜん立てもいろいろさせていただいたのですけれども、でも、結果的に、去年の年末の予算編成のときには、地方空港を含めたCIQが三百人ぐらい増員になりました。画期的なことであって、私は感謝しているのです。
 ですけれども、そうまでしないと、国がやるべきことをやらないという、この構造はどうしたんだろうかと思うのであります。もうちょっと柔軟に、必要なところに定数とか予算が配分できるような、そういう構造にしていただきたい。これこそが構造改革だと私は思うのでありますけれども、地方から見ていまして、そういう意味での今の日本の中央官庁の持っている病弊である構造の改革は、何ら進んでいないなという気がいたします。
 余談でありますが、去年の一月から三月、本当に何回も私は東京に来ることを余儀なくされました。なぜならば、中央政府があるから、首都であるからであります。その首都でホテル税なんかかけるというものですから、私は腹が立って、ちょっと異議を唱えたのでありますけれども。いずれにしても、首都に余り何回も何回も来なくてもいいように、構造改革をしていただきたい。国でやるべきことは国でやるということをしていただきたいと思います。
 最後に、「親離れ、子離れ」と書いていますけれども、地方と国との関係は、まだ親離れ、子離れはできていません。地方団体の方も、何か事があったらすぐに国にお伺いを立てるという傾向があります。私は、今、県庁の職員にも、つまらないことは聞くなと言っております。
 もう一つは、政府の方も、地方団体に手とり足とりというのをぜひやめていただきたい。例えば、ちょっと申し上げましたけれども、県の方で機構改革をしたんです。農道と県道というのは、今まではそれぞれ土木部と農林部と別々のセクションでやっています、それは補助金の出口が違いますから。だけれども、やっていることは一緒なんです。技術も一緒なんです。だから、ことしからそのセクションを一緒にしたんです。それから、漁港と港湾も一緒にしたんです。
 そういうことをしましたら、霞が関からは物すごい、ちょっといわく言いがたいことがあります、縄張り争いの結果でありましょうけれども。どうして日本で一番小さい鳥取県の県庁の組織なんかにそんなに注目していただけるのか、そんなに暇なのかと思って、もっとやることあるでしょうと私は言ったんです。余りそういう、国が地方団体をあれこれ自分のことのように気にするということをぜひやめていただきたい。子離れをしていただきたい。このこともあわせてお願いを申し上げておきます。
 ありがとうございました。拍手
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保岡興治#3
○保岡小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
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保岡興治#4
○保岡小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。伊藤公介君。
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伊藤公介#5
○伊藤(公)小委員 自由民主党の伊藤公介でございます。
 きょうは、片山知事の現場からの非常に現実的な御経験の中からお話をいただきましたし、また、御経歴から、ある意味では税の専門家としての立場から、興味深いお話を伺うことができまして、心から感謝を申し上げます。
 国と地方との関係、これこそ今この国の構造改革のある意味では最も大事な改革であろうと私は思います。郵政の問題とか道路公団の問題も確かに構造改革の大事な点でありますが、恐らくこの国の構造を変えるという意味では、この関係をどういう形にしていくかということこそ日本の構造改革の最大のテーマであろうというふうにも私は思っているわけであります。
 一言でいえば、三千二百それぞれの市町村がみんな同じになろうという時代から、それぞれの市町村も都府県も違いをお互いに競い合う、そういう時代になっていくと思いますし、また、先ほど知事さんからもいろいろお話ございましたけれども、今まで補助金がついて、みんないろいろな仕事をやってきたけれども、何をやろうかではなくて、時には何をやらないかということも大事な指摘になってきているように私は思うわけであります。
 それにしても、国と地方との関係を考え、あるいは構造改革をしていくためには、文字どおり知事の御専門であります税の仕組みを変える、これがやはり私は構造改革の最も根源であろうというふうに思うわけであります。
 そこで、地方分権一括法によって、法定外普通税の導入が大変容易になりました。それから、法定外の目的税も新設をされることになりました。それが根本的な改革にはというお話もございましたけれども、片山知事さんと東京都の石原知事とのやりとりも大変興味深いやりとりですし、なかなかあっぱれだなというところもございました。ただ、私は東京に住んでおる者でございまして、一つの大きな問題提起をしてきたことも事実だと思います。そのことが、全国四十都道府県、二十三市町村で次々と独自課税をするということになってきました。
 まだかなり同じような税が多いのですけれども、鳥取県で産業廃棄物の処理税、水源涵養税などが検討されているというふうに新聞報道で見させていただきました。それぞれの都道府県が、それらしいいろいろな課税を今検討しているようでありますが、私は、このことが国を動かしていく大きな力になっていくのではないか、また、住民の皆さんが税に対して非常に身近に関心を持たれるということになってきているのではないかというふうに思います。
 それにしても、現行の法制度のもとでは、国が多くの税源を握り、自治体の自主財源が根本的に乏しいということは言えると思いますが、それらのことを含めまして、知事から、重ねてひとつ御意見を伺えればと思います。
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片山善博#6
○片山参考人 法定外税は、私は、地方団体いろいろ試みはしたらいいと思うのです。いいと思うのですが、しょせん、大きな財源不足を解消するための手段としては、やはり脇役にすぎないだろうと思います。いろいろなアイデアがあって、それぞれ目的にされたらいいと思うのであります。
 私はむしろ、住民の皆さんが税をひしひしと感じる、税を通じて自治体の行政を見るという手段としては、法定外税もさることながら、本当は主要税目、例えば固定資産税とか個人の住民税とか、そっちの方が重要だろうと思うのです。
 といいますのは、今、それらは税率は一定であります。例えば、固定資産税だったら基本的に一・四%。仮に、今の硬直的な仕組みを改めて、例えば大きな箱物をつくるとか、普通の行政に上乗せして何かやるときには、固定資産税をちょっと上げませんかというような、逆に、行政改革をやって行政をスリムにして経費を下げる、そうしたときには固定資産税を一・四ではなくて一・三に下げますよとか、だったら行政改革をやらせてくださいとか、そういうような税と行政サービスの水準とがある程度連動するような仕組みがあれば、私は、住民の皆さんはもっと税に関心を持ち、税の背後にある行政に関心を寄せるんではないかと思うんです。
 といいますのは、今は、いろいろな箱物をつくるといっても、税率は変わりませんから、やらないよりやった方がいいんじゃないか、あった方がいいんじゃないかということでできてしまうんですね。ところが、大きな箱物をつくるときに、固定資産税がちょっと上がりますよということがセットしてあると、いや、それならそんな箱物は要らない、そんな税率を上げてまで要らないという動きが出てくる。これが私は健全な財政だろうと思うんです。
 今はそういう納税者の健全な力が働きませんから、何が財政の限界になるかというと、破綻するかしないかということが限界になってしまうんです。破綻するのならやめよう、破綻しないのならやろう。それは不健全でありまして、やはり税負担がふえるのならやめようというような、そういう健全な納税者意識が働くような仕組みにするには、むしろ主要税目を、標準税率は決めていいですけれども、それを上回るときには上がる、行革をやってスリムになるときは下がる、こういう相関関係を持たせた方がいいんだろうと思っています。
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伊藤公介#7
○伊藤(公)小委員 時間がないですから簡単に伺いますが、先ほど知事さんのお話の中にもございましたが、今度総務省が改革案を出された、五・五兆円ですね。これは、所得税と消費税を地方税へ置きかえる、そのかわり自主財源をふやして、各省庁の補助金を思い切って削減していこう。これはかねてからいろいろ議論もあったところですけれども、地方交付税の抜本改革をしていかなきゃならないわけでして、税の大変長い御経験を持たれている立場から、地方交付税法の抜本改革について、一言だけ御意見を伺っておきたいと思います。
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片山善博#8
○片山参考人 先ほどもちょっと触れましたけれども、私は、地方交付税がこんなにひどい状態になったのは、やはりハード優先で、ハードをどんどん地方交付税が後押しをして、地方団体の方も地方交付税の先食い、すなわち起債でやって、後で交付税で返してもらうという先食いを競い合うようにしてやった。そのことによって、国の交付税特会にも膨大な借金がたまりましたし、それぞれの地方も交付税を当てにした膨大な地方債の山で今埋まっているわけですね。
 ですから、地方交付税の改革の一番のポイントは、ハード事業を先食いしてまで後押しするというその仕組みをやめることだと思います。それによって、数年たつとかなり整序されてスリムになると思います。
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保岡興治#9
○保岡小委員長 次に、中川正春君。
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中川正春#10
○中川(正)小委員 民主党の中川正春でございます。非常に興味深く聞かせていただきました。ありがとうございました。
 時間が限定されていますので、端的にもう少し御意見を聞かせていただきたいと思うんですが、一つは、議会と知事、首長の立場なんですけれども、これは大統領制ですよね。恐らく日本の歴史では、官選知事から、議会がお墨つき議会という背景の中から発展してきたという、このことがあるんではないかというふうに思っているんですよ。
 普通、大統領制ですと、議会は予算権と立法権、いわゆる議定議案、議員が発議する議案を積極的に取り込みながらやっていくことが前提になっているんですけれども、日本の場合は、逆に言えば、知事さんがあるいは市長さんが権限を持ち過ぎている、議会はお墨つきだけで機能していかざるを得ないという、ここに問題があるんじゃないかというふうに私は基本的に思っている。
 そこのところを、逆に権限のある知事の立場から見てどうかということと、もう一つは、地方議会こそ議院内閣制がふさわしいんじゃないか、いわゆるカウンシルみたいな、ヨーロッパでやられているような、それがふさわしいんじゃないかと私も常々思っているんですけれども、そこのところはどう思われますか。
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片山善博#11
○片山参考人 最初に、地方団体は、今全国すべて、都道府県も市町村も大統領制をとっているわけですね。知事の権限が強過ぎるんではないかというお話ですが、確かにそういう面はないわけではないと思います。例えば、予算の提案権は首長にしかないわけです。議会にはないわけです。ですから、そういう面でいうと、アメリカの制度とちょっと違う。
 ですけれども、私は実際やってみまして、最後は全部議会で決めなきゃいけないんです。だから、議会が決定権、予算にしてもそうですし、決算の承認もそうですし、そういうものを、本当の権限を駆使すれば、議会が何と強いものかというふうに私は最近思っています。だから、修正もしょっちゅうされています。それから、廃案にされたこともありますし、去る三月の県議会では、条例案二本が先送りになりました。
 ですから、本当に議会が審査権を行使して、議会の権限を行使すれば、議会は随分強くなると私は思います。
 それから、議員立法も、従来なかったんですけれども、最近、鳥取県議会は議員立法がどんどん出るようになっていますので、日常化しております。
 それから、地方団体こそ議院内閣制、例えばカウンシル制なんかどうかと言われますが、私はそういうものがあってもいいと思うんです。日本のように全部一律に、北海道から沖縄まで全部同じ仕組みというのはやめた方がいいと思うんです。どこかは議院内閣制があり、どこかは大統領制があり、どこかは、例えば委任してやってもらうような制度とか、そういうのを選択してもいいと思うんです。そうしますと、いいところがあって、悪いところがあって、比較ができるわけですね。いいところがあればいいところをまねすればいいですし、そういう柔軟性や多様性のある地方制度にこれからすべきだろうと思っています。
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中川正春#12
○中川(正)小委員 ここに来てやっとこの地方分権も具体論を論ずるステージになってきた。遅きに失するんですけれども、いずれにしたって、具体論が大分出てきました。さっきも片山試案、いわゆる総務省の方からの財源移譲の案が出ていましたが、私たち民主党もあれによく似た形を一足先に提案をしていたこともありまして、ぜひ具体案で進めていきたいなというふうに思っているんです。
 ところが、もう一つ欠落しているのは、これはぜひ市町村側あるいは県サイドから具体案を示していただきたいんですが、それは自主財源にしていけばいくほど調整機能をどうするかということがあると思うんです。
 基本的には、例えば所得税の一部あるいは法人税を移しても、鳥取県みたいなところは東京と比べるとぐっと財源が減っちゃうわけですよ。東京がひとり勝ちという構図が生まれてくる。これに対してどういうふうな新しい財源調整機能をつくり上げていくかということを具体的に示さないと、実現できないということに突き当たってくるんですね。そこのところは恐らく意識しておられるんだろうと思うんですが、もう少し掘り下げて語っていただけませんか。
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片山善博#13
○片山参考人 先生のおっしゃるとおりでありまして、自主財源を強化するというのは理想でありますから、そういう方向はいいんですけれども、しかし、それは、今の我が国の現状を見ると、余りにも税源が偏在しておりまして、東京のひとり勝ちになることはもう目に見えておりまして、地方の方は、税源は移譲されたけれども税収はほとんどない、こういう状態になってしまうわけです。したがって、それらを調整する意味での財源調整機能が今まで以上に強化されなきゃいけない。自主財源を強化するということは、財源調整機能も強化するということだと思うんです。
 そういう意味からいいますと、私先ほどちょっと言いましたように、総務省のプランは五・五兆円の国庫補助負担金を減らす、それを税源として移譲するということになっていまして、それだけでは本当に貧富の差が拡大してしまうと思うんです。ですから、五・五兆のうち、例えば二・五兆とか三兆円を税源で移譲する。それは所得税から住民税への税源移譲ということが一番理想的ですけれども、そうやって移譲する。残りの二兆なり二兆五千億円は、交付税を充実させるということで地方に財源を移譲するということが必要だろうと思うんです。
 国庫としては五・五兆円の歳出が減ります。また、別途五・五兆円の税収が減るということでツーペイになる。地方の方も五・五兆円今まで補助金でもらっているところはなくなる。あとはそれをカバーするのは、地方団体ごとにばらつきが出ると思いますけれども、東京都なんかは全部税収で来る、鳥取県の場合は税収でちょっと来て、交付税で残りは来る、こういう財源調整機能が必要だと思います。
 ですから、今私たちは、総務省の構想には大枠賛成ですけれども、中身については異論を唱えています。
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中川正春#14
○中川(正)小委員 最後に、私は、このまま進んでいって、国の権限を恐らく制限するような法律つくっていきたいというふうに思うんですよ、さっきのやり過ぎるなという部分で。そうなると、ナショナルミニマムというのは、恐らく中間自治体ないしは基礎自治体が保障していくという形になっていくんだろう。そうなると、どうも県が中途半端で、県から道州制に移していくという議論が必ず出てくるんだろうというふうに思うんですね。
 そのときに、私たちもさまざまな形で議論しているんですが、基礎自治体をさまざまな形というのは、五十万、百万都市を一つの基礎自治体にする、あるいは過疎地では三万、四万ぐらいの自治体しかできないとかという、そのいろいろな形態の基礎自治体を考えていくという前提からいくと、どうも道州制が国のかわりをしていくんだというふうな考え方が一つあるかと思うんです。
 もう一方で、そうじゃなくて、基礎自治体を無理やりにでもしっかりしたものにしていこうじゃないか。それを中心にして考えていくと、道州なんというのはそれを広域的に調整するだけの機能であっていいんじゃないかという、どっちに重きを置くか、いわゆる道州に重きを置くか、基礎自治体に重きを置くか、そんな具体的な議論というのも大切な部分だと思うし、日本の形を考えていく上に非常に大きな影響がそこで出てくるんだろうというふうに思うんですね。
 そうしたことを前提にして、将来のあるべき姿というのはどんなふうにお考えですか。
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片山善博#15
○片山参考人 私は、今市町村合併進めていますけれども、その結果も決して一様にはならないと思うんです。非常に力のついた自治体ももちろんできるでありましょうし、それからどんなに合併したって、やはり弱小というところは残るんですね。それから、合併しないで頑張ろうという東北の方もありますから、恐らく小さいものは残るところもあると思うんです。それはそれでいいと思うんです。
 そうなったときに、じゃ、県の役割はどうかといいますと、県は、どんどん強くなって先に行く自治体は後押しをしてあげればいいので、あと、どうしても残った小さいところとか弱小のところを補完するという機能が出てくると思うんですね。
 今、義務教育は市町村の仕事になっていますけれども、例えば本当に高齢の過疎化が進行したようなところは、義務教育も逆に県に権限移譲してもらって、県が補完的にやる、そういうことがあってもいいと思うんですね。ですから、県は、そういう役割はこれからふえるだろうと思います。
 例えば、自治体が、三千二百が千ぐらいになったとしたときに、今の四十七のユニットの都道府県制はどうなりますかというと、これは見直さなきゃいけないと思います。その際に、先生おっしゃったように、じゃ、道州制かという、その道州制の意味合いが私は気になるんですけれども、道州制が、国家をブロックに分けて、国の出先機関的な要素を持つような道州制だったら、私は反対であります。
 そうでなくて、今の都道府県の四十七のユニットを、例えば二十にしようかとか十五にしようかという、それは道府県合併という形で、県が幾つかまとまって合併をした形で広域になるという形ならいいと思うんです。そうなった段階で、基礎的自治体の強いところ、弱いところありますから、弱いところを補完し、それから全体を調整するという機能を、規模を拡大した合併後の道府県がやっていく、こういう形になるんではないかなと思っています。
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中川正春#16
○中川(正)小委員 ありがとうございました。
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保岡興治#17
○保岡小委員長 江田康幸君。
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江田康幸#18
○江田小委員 本日は、もともと行政出身であられながら、おかたいお考えではなくて、もう本当に鋭い、本来の地方と国のあり方を鋭く指摘されている御意見に感服しているわけでございます。
 きょうは、税の専門家でもあられる、私は税はほとんど専門でございませんが、そのことについて最初にちょっとお聞きしたいと思っております。
 先生の「税は自治の原点」という論文をこの前に読ませていただきまして、量出制入、すなわち、出るをはかって入るを制するというのが財政の基本原則であるということをここで述べられております。
 今までは、量入制出というか、そういう逆転した考えが横行していて、行政改革、事務処理の見直し、これを徹底して行って行政コストを軽減していけば、その結果として歳出は減ってくる。歳出が減れば、今度は量出制入の原則に従っておのずから歳入も減ることになる。逆に歳出がふえてくればそれは納税者の負担につながらなければならないという、この考え方を徹していくことが、やはり地方の方で必要な歳出、すなわち、政策は一体何なのか、徹底したそこの議論が行われて、必要なものには税の負担を住民にお願いする、こういう本来の原則を語られているんだと受けました。
 これが本来の姿であり、必要とされる政策の決定の方法であると思うんですが、実際には鳥取県の方では具体的にどのようにして、本来は逆転した発想が多かったと思うんですけれども、チャレンジされているのか、またどう成功されているのか。そこら辺の具体的なところをお聞かせください。
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片山善博#19
○片山参考人 私、きょうここに出させていただいていると思いますが、論文の中では、これは税の世界の要は学会誌みたいなものですから、理論的なことを書いてあるのでありますが、なかなか、正直言って、我が国の今の制度の中では理論と実践とがぴったり一致するというわけにはいきません。
 それはなぜかといいますと、今の日本の地方財政の構造というのはやや異質なものがありまして、さっき言いました固定資産税の税率にしても、一・四%を例えば一・三にするとか一・三八にするとか、そうした途端に法律によって起債の発行権能がなくなってしまうということがあるんです。これは総務省が嫌がらせするとかじゃなくて、国会でつくった地方財政法によって起債が発行できなくなってしまう。
 したがって、全国どの自治体に行っても、固定資産税は一・四を下回る団体がないんです。どんなに行革をやっても下がらないんです。そういう仕組みが今あるものですから、行政水準とバランスをとりながら税を操作するということは、実際今できない仕組みになっているんです。そういう限界があるので、そこを取っ払ってくださいという話を今しているのが一つです。
 それからもう一つは、私は今、とにかく歳出というものが、税と連動しないで何と連動しているかというと、国の補助金とか有利な起債の許可とかと連動して歳出が決まってしまうという傾向があるものですから、そこをやめましょうと。補助金がついてもつかなくても必要なものはやる、必要でないものはやらない、有利な起債がついてもやらないものはやらない、そういうところで一件一件今査定をしていまして、しかもそれを情報公開しています。今までは量的管理で、議会にもどぼんと量的な資料だけで出して、あと走っていたんですけれども、それを丁寧な一つ一つの資料で出して、それで本当にこれは要りますか、要りませんかという今吟味をやっています。そうやって、歳出をできる限りスリムにする、要らないものはやめていくということを今やっております。
 そこから先、さっき言いましたけれども、じゃ、それで、例えば鳥取県のようなところで税率が下がるかというと、現実にはそんな下げるだけの余裕はもちろんありませんし、それから制度的にも、ちょっとでも、びた一文まけたら途端に起債がストップする、そういう制約がありますから現実にはできない。原理原則と実践との大きな差を痛感しています。
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江田康幸#20
○江田小委員 先ほども申されましたように、補助があればやる、補助がなければやらないというような消極的な姿勢ではなくて、知事が積極的に地方税のあり方にチャレンジしているのに、現実とのギャップもあるということを伺いながらも、これは積極的に国もまた地方もチャレンジしていかなければならないと思っております。
 もう一つ、先ほど、地方交付税の抜本改革について伊藤先生の方からも今御質問がございましたが、先生おっしゃられたように、ハード優先で、ハード事業の先食いをしないということが重要であるということでございましたが、もともと、先生、水平型の財政調整というか、各市町村、自治体の財政の格差をなくすためにもこれは必要と考えるわけでございますが、交付税と地方みずからの税というところのバランスを、鳥取県では今どのように考えて、その方向に持っていこうとされているのか、そこはお伺いできますか。
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片山善博#21
○片山参考人 ちょっと今、御質問の御趣旨がよくわからない面もあるんですが、税が多い方がいいにこしたことはないんです。やはり、みずから取った税、それは取るときに痛みがお互い生じますから、納税者にも痛みが生じるし、取る側にも痛みが生じますので、そうやって痛みを生じながら取った税金の方が大切に使いますから、なるべく税の割合が多い方がいい。それで、税が多くなれば交付税は減りますから、それが望ましい。
 しかし、やはり現実には限界もあります。法人企業が少ないとか税源がないとかということで限界がありますので、その辺は、私のところだけではいかんともしがたい問題があるということは御理解いただきたいと思います。
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江田康幸#22
○江田小委員 時間でございます。ありがとうございました。
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保岡興治#23
○保岡小委員長 武山百合子君。
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武山百合子#24
○武山小委員 きょうは、現場の声を率直にお話しいただきまして、目からうろこが落ちたような状態で、本当にありがとうございました。かなりの国民が思っていることを、そのままずばりきょうはお話しいただきまして、ぜひ地元に帰ってこの現実をお話ししたいなという気になりました。
 早速ですけれども、私は埼玉県で、人口八百万近くを抱えております。私の選挙区は、小選挙区、五十四万なんですけれども、鳥取六十一万ということで、埼玉は九十二市町村あります。鳥取の場合は、市町村の数をお聞きしたいことと、例えば教育の問題一つ取り上げましても、各市町村で先生を採用する場合、任命権者というのは県で行いますよね。教育自体も、地方分権の中で地方が主体になって選んだ方がいいという考えを私個人は持っておるんですけれども、その二点についてお願いしたいと思います。
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片山善博#25
○片山参考人 鳥取県は、三十九の市町村がございまして、人口は六十一万五千人であります。
 それで、教育の話をされましたけれども、鳥取県でも教育というのは本当に今最重要課題なんです。
 いろいろな問題があるんですけれども、一つは、私は、教育こそ現場中心でないといけない、地方分権でないといけないと思っているんですが、現実は逆でありまして、中央集権になっております。義務教育は市町村立になっているんですが、先生の任命と人事は県の教育委員会がやっているという実態もあるわけですね。私は、本当は教育というのは、学校現場がいかにうまく作動するかということが一番必要だと思いますので、現場の方により権限がなきゃいけないと思っています。
 というのは、例えば学校というのは一つの野球チームみたいなものですから、校長先生という監督をだれにしようか、それを保護者の意見も聞きながら地元の教育委員会が決めて、監督である校長が、ふさわしい先生、プレーヤーを集めてくる、こういう環境をつくってあげるのが本当は必要だろうと思うんです。ところが、今は県の教育委員会が広域的に人事をやっていますから、どうもとんちんかんな、ずれたような人事が行われたりする、使い勝手の悪いプレーヤーが配置されたりする。
 私は、いずれ市町村にそれを移すべきだと実は今主張しているんです。せめて市ぐらいは自分でやりませんかと。例えば鳥取市は、人口十五万ですけれども、小学校は三十あるんですね。三十ぐらいあると、自分のところで人事も回せるわけです。だからやりませんかと言うんですけれども、なかなかこれは両方乗ってきません。行く行くは、ぜひこれを市町村におろして、市町村の教育委員会で自信を持った人事ができるようにすべきだと思います。
 ただ、今の町村ですと、人口が一万とか八千とかのところで、小学校が一つ二つあるかというところで人事権を行使するということは、これはなかなか難しい面がありますので、広域的な調整が必要だろうと思いますけれども、ちゃんとした市なら、私は市でやれると思っています。
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武山百合子#26
○武山小委員 校長のリーダーシップということで先回文部科学委員会で議論しまして、そういう法案は成立したんですけれども、片や校長のリーダーシップというものをうたいながら、現実は校長の人事権というのはないわけですね。ですから、先ほどお話にもありましたように、市町村、県知事、首長さんの組織はいわゆる大統領制をとっております。しかし、議会がチェック機能を果たしておりまして、すべて大統領制で、アメリカみたいなある程度独善的にできない部分があります。両方のチェック機能が働いているものですから、悪い意味の相乗効果で、足かせになっているわけですね、校長先生がリーダーシップをとる場合。
 現場の声は、例えば、小さな問題として、この委員会では、校長先生がいい先生を確保したいというときに、人事権がないわけですね、校長に。ところが、校長のリーダーシップ、リーダーシップと片や言っていて、人事権は教育委員会並びに県が持っている、そういう足かせの状態で、どこをどう変えていったらいいと思いますか。
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片山善博#27
○片山参考人 それは、まずは市町村の教育委員会の力量を強めることだと思います。
 今までは、市町村の教育委員会は県教委を見、県教委は文部科学省の顔色をうかがいという構図があるわけですね。それを逆向きにして、市町村が力量を持って、市町村が自信を持って、県教委にも話をする、学校もリードできる、校長が仕事がしやすいような環境も市町村の教育委員会がちゃんと整えてあげる、こういう教育委員会づくりをしなきゃいけないと思うんです。
 ところが、現実には、先ほど申し上げましたように、教育委員会を含めた日本の地方団体における独立行政委員会の制度というのは実に形骸化しておりまして、当事者能力が欠如しているところが多いのであります。だから、そこから直さなきゃいけないので、それを自治体の長のもとの、民主主義のもとに置くか、それとも、別途、教育委員会自体を民主化して選挙にするか、そういう抜本的な改革が必要ではないかと思うんです。
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武山百合子#28
○武山小委員 教育委員会は、校長先生が退職した後なりますね、ほとんどが。それから、去年法改正になりまして、PTA、すなわちお母さんたちの代表を入れるとか、いろいろ法改正は一歩一歩は進んでおりますけれども、アメリカの場合、例えば教育委員長は立候補して選挙で決めるわけなんです。私、ちょっとアメリカに長いこと住んでいたものですから。それで、その教育委員長が権限を持っていて、また、校長は校長で、管理だけするわけです。いわゆる校長の職業、校長として学校全体をよい意味の管理、と同時に、先生たちをきちっと、どういう状態か、それから子供の状態も、校長先生一人が、校長になったらずっと校長で退職するわけなんですね。そういうやり方をしているアメリカの場合はあります。
 しかし、アメリカの場合は、州の権限と市町村の権限とそれぞれ大変大きな力を持っておりますので、もう分権社会になっているわけです。ですから、隣の町と全く違う教育内容であったり、お休みも違うということが現場にあるわけです。そういう状態が日本でもあってもいいと思うんですよ、それぞれの地域、それぞれの市町村で違いがあっても。
 そういう違いを、今、片山知事は、それぞれの地域がそれぞれで生きていった方がいいというお考えですけれども、国はそうじゃないわけですね。画一的に、やはり法改正をして、上段から切り込んでくるという今状態なわけです。この原因の一番の大もとを変えないと、それが構造改革だと思うんですけれども、一番の大もとを変える構造的な問題点はどこにありますでしょうか。
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片山善博#29
○片山参考人 それはまさしく霞が関にあると思います。霞が関の意識だと思いますね。霞が関のそういう構造問題を解決するのは、私は国会議員の先生方にお願いするしかないと思いますし、本来、小泉内閣の構造改革というのはそういう構造を改革するんだと私は思っていたんですけれども、なかなかそういうところにメスが入らないなと思って、ちょっと残念に思っているんです。
 本当に、霞が関の皆さんの、全国が画一でないと気が済まない、地方が多様性とかがあるとどうも何か気に入らないという、そういう意識をぜひやめていただきたいと思うんです。週五日制にするといったら、津々浦々やらないと気が済まない。私立学校までやらないと気が済まないといって、通達が来るわけです。それは、私立学校は私立学校ですから、私は、週五日制にしようとしまいといいと思うんですけれども、そういうことまでも全部しないと気が済まない。
 それで、地域によっては、受け入れ体制ができているところもあればできていないところもある。だけれども、全部護送船団的にやっていこう。そういう体質は、私はぜひやめていただきたいし、その意識が変わらなかったら、法律を変えればできると思うんです。法律を柔軟にしていただければいいと私は思うんです。
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