正村公宏の発言 (予算委員会公聴会)
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○公述人(正村公宏君) 正村でございます。お招きいただいたことに感謝申し上げます。
と申し上げても、いささか疑念を持っておりまして、我が国では予算を、年度内に次年度の予算を仕上げるといいましょうか通すという慣例になっておりまして、大戦後そうなっちゃったわけですけれども、あと十二日ぐらいで予算を通さなければならないというぎりぎりのところで何を申し上げたら意味があるのか、少し戸惑うところがございます。できることならば四月とか五月とか、少し長期の見通しの中で御議論をしていただくのが好ましいのではないかと、国民の一人として国会の運営について要望を申し上げさせていただきたいと思います。
予算そのものというよりも予算の考え方を含めまして、経済の在り方、財政の在り方、更には金融の問題を含めまして、経済政策の在り方について二、三の問題点、あるいは私が重要であると考えていることを、限られた時間でございますので、箇条書的に申し上げてみたいというふうに思います。
第一に申し上げたいのは、日本の経済の危機がいかなる原因によって起こったのか、この危機の本質は何かということについての議論が近年の日本では決定的に不足しているような気がするのであります。問題は何なのか、あるいはなぜこうなったのかということを問わないでハウツー、ホワットとホワイを問わないでハウツーを探りまくるというのが現代日本の文化の一つの傾向でありまして、これは泥沼にはまります。なぜこうなったのか、この経済的不均衡のよって来る原因は何なのかということを回り道のようでも問わないといけない。また、過去について問題にしないといけない。
私の理解では、今日の危機の源を手繰れば、少なくとも七〇年代と八〇年代の経済運営に大きな問題があったということを深刻に考え直さなければいけないというふうに思っているわけであります。過去のことを言っても始まらないではないかという議論は誤りであります。過去のことについて的確な判断あるいは的確な反省を持つことができない人間に未来についてのデザインを語るということはできるはずがないわけであります。その場しのぎになってしまいます。そういう意味でもう一度改めて、国政に責任をお持ちくださっている皆さん方に今の危機の本質は何なんだろうかということをお考えいただきたいと思います。
経済だけではございません。様々な少年の犯罪事件などに代表されますように、どこか社会がおかしくなっていると。その社会をおかしくするということについて、日本人が経済、経済、経済で経済成長を優先する仕組みの下で猛烈に働いてきた結果として、社会を知らないうちにおかしくしてしまったということがあると思うんですね。私は、そういうことを含めて是非基本的なところにさかのぼってお考えをいただきたい、あるいは少なくともそういうことについての関係者の間の率直な御議論をお願いしたいと。
もちろん、これは私たち専門家の責任でもあるわけでありますけれども、そういう思想的な風潮の私は一種の退廃状況があると思います。根源を問わない、基本的な問題を問わないと、こういうことであります。私の、根源をどう考えておるのかということを述べ始めると、大学の講義のように一時間半はしゃべらないと足らなくなるわけでありますが、かいつまんで申し上げます。
一九七〇年代と八〇年代は、日本が一挙に先進国の仲間入りをしたときであります。ただし、これは年々の所得あるいは年々の消費、そういうものの水準に関して先進国並みになったということでございます。しかし、生活の基盤になるもの、例えば都市のいろいろな生活条件ですね、通勤とか公園とか、そういうようなことを含めた環境条件は十分に整備されているとは言えない。スプロール化を物すごく進めてしまったと。農村もまた森林が荒れ、農業も成り立たなくなる、活力のある農業を存立することが非常に難しくなってくるというようなことで、例えて言えば、都市も農村も日本は美しい景観を持っていないような気がいたします。日本の都市は都市のようであって都市でない。農村は農村のようであって農村でない。景観というのはその国の文化の象徴でありますし、国民性の象徴でもあります。その国の国民が何を目指しているのかということが、どのような暮らしを目指しているのかということが景観に集約されているとも言えると思います。
一つの例として申し上げているのでありますけれども、そういうものを含めて生活空間と生活時間を根底から見直す。さらに、社会保障、社会福祉の信頼性を高めることによって、国民が過剰な貯蓄を持ちながら不安を緩和することができないというこの状況を思い切って克服するという、そういう取組が必要であったと思います。残念ながら、いろいろな試みがあったことは承知しておりますし、私なども細々とではありますけれども、こういう方向に変えるべきではないかという発言をさせていただいたものでありますけれども、大きな流れを変えることができないで、国内の生活条件改善のための取組は大幅に、経済力に比べたら大幅に後れてしまったというふうに私は理解しております。
そのことの結果が円高であります。ちょっと飛躍した言い方になりますけれども、円高の行き過ぎはそのことの結果としてとらえる必要があると思います。つまり、国内に生産力を十分に活用できない国の経済は貿易が黒字になってしまう。内需不足のために輸出圧力が掛かって貿易が黒字になってしまう。貿易が黒字になってしまったために円が高騰したわけであります。
一九八〇年代前半の臨調行革ということをおやりになりましたが、私は行革の必要性は認めておりますし、大事なことを幾つかおやりになったんですけれども、日本経済に対しては大変破壊的なことをおやりになったわけです。年々公共投資を削りに削るということをおやりになったわけですけれども、財政支出を削りに削るということをおやりになったわけですけれども、こういうことをやったらどんなに強い経済でも絶対に駄目になるということをあの当時私は発言していたのであります。
御存じのように、一九八〇年代後半に、三年間に円の対ドルレートが倍になるというような激しい円高を経験したわけです。こういうことをやったということについての深刻な反省といいましょうか総括といいましょうか、検討の上に立って、今我々がこのトラップにはまってしまった、わなにはまってしまったというこの経済のどこから立ち直したらいいのかということを考えなければいけない。いや、どこから立ち直すかというよりも、究極において何を目指さなきゃいけないのかということを考えていただかないといけない。現在の経済的不均衡の基礎にあるのは日本の社会的不均衡なんだということをお考えいただかなければいけないのではないかと。いや、私たちみんながそのことを真剣に考えなきゃいけないのではないかと。いかにして社会的不均衡を是正していくのかと。生活時間と生活空間をどうやって変えていくのかと。そして、社会保障、社会福祉の信頼性をどうやって高めていくのかと。先進社会の社会福祉、社会保障は弱者救済ではありません。国民のすべてに対して安心が給付できるかどうかということが問題なのであります。
そういう観点で我々の社会経済システム全体を考え、国民の生活の在り方の全体を考えるというのを、遅きに失したと言わざるを得ないのでありますけれども、それを中心に据えて、景気対策も考え、構造改革も考えるということでなければ、何のための景気対策なのか、何のための構造改革なのかが見えなくなってしまいます。そういうことを私は強く申し上げたいと思います。
次に申し上げたいのは、不況の本質は需要不足なんだという当たり前のことを確認するということから出発しないと、経済政策はとんでもないといいましょうか、見当違いの方向に行ってしまうということを申し上げたいと思います。
しばしば景気対策か構造改革かという二者択一の議論がされるわけでありますけれども、これは思考の貧弱さの現れであるか、あるいは機構の欠陥の現れであるかというふうに私は思っております。分かっているけれども、そういうふうに二者択一型でしか議論できないんだよというふうにおっしゃるかもしれません。でも、そうだとすれば、日本は自滅あるのみであります。二者択一ではないんですね。
橋本内閣が財政構造改革を提起なさったときに、私はこういう言い方をしていました。財政構造改革はやらなければいけません、赤字を何とかしなきゃならないということは明らかであります、日本の財政は病んでいます、でも、三年、五年のうちに何か格好を付けようと、国債依存率を低めようとか、そういうことを性急におやりになったら絶対に日本経済の安定成長は不可能になりますと。
三十年掛けて赤字をこれだけ拡大させてしまったわけでありますから、五十年掛けて財政の健全化を図っていくということを考えないといけない。財政の健全化というのは財政の数字合わせではできないわけです。財政の均衡を短兵急に追求すれば経済が不均衡に陥ります。経済が不均衡に陥れば税収も落ち込みます、失業が大量に発生しますし、倒産が増えますから。景気が底割れしてしまったら大変なことになってしまうわけでありまして、そうなったら財政の再建も不可能になるわけですね。ですから、財政の再建を考えるときには、財政を独立のシステムとして考えるのではなくて、経済という大きなシステム、あるいはもっと経済と社会という大きなシステムの中で考えると。つまり、次の時代を担うのは次の世代の子供たちですから、彼らの健全育成まで含めた大きなシステムの中で財政の再建ということを考えないと不可能になるわけですね。
ですから、財政を切り詰めることが改革なのではない。それは、結局、経済を切り詰めてしまう結果になるんだということを理解して、大変困難でありますが、つまり経済がトラップにはまっちゃっているわけですから、簡単なやり方では立ち直れないわけですけれども、だからこそ周到な計画が要ると。周到な考え方が要る。周到な考え方をして、財政の構造を文字どおり変えながら税制を変え、財政支出の中身を変えながら、赤字減らしに関してはやや時間を掛けて、まず経済の均衡を考える。経済の均衡という意味は、需要を過度に抑制しない、財政面で過度に縮小的な、抑制的な政策を不用意に取らないという前提でお臨みにならないと、繰り返し、構造改革でいくか、それとも財政再建でいくか、いや景気対策でいくか。財政の赤字を減らすのか、景気対策をやるのかという二者択一になってしまうわけですね。こういうシーソーゲームをやっている間にどんどんどんどん泥沼にはまっていくということを是非、これは九〇年代の重要な教訓であるはずでありまして、同じようなことが繰り返されているようにうかがえるのは私にとっては大変残念であります。
なぜこうなるのかと。多分皆さん方がお分かりになっていないのではなくて、皆さん方がそういう理性的な行動を取ることを妨げている現在の政治的な仕組みのどこかに問題がある。だとすれば、それを変えることを含めて、日本の五十年、百年、孫子の時代の日本のために是非腹をくくって御検討いただければ有り難いというふうに思う次第でございます。
第三に申し上げたいのは、政府が今何をしなければならないかということを考えましたときに、一番大事なことは国民に対して将来に対する確信を持てるようなメッセージを送っていただくということだと思います。
経済は人間の営みであります。人々がもし将来に対して非常に悲観的になってしまっているとすれば、投資は起こってまいりません。消費は切り詰められます。日本的雇用は崩壊いたします。日本的雇用慣行がなぜ維持できたかと、経済が成長するということに対する持続性についての確信が経営者にもございましたし、労働側にもございましたから、経営者は一時的に景気が悪くなっても簡単には解雇しない。その経営者の行動に対する労働組合側の信頼がありましたから、消費が過度に冷え込むことがない。心理の問題というふうに言うと簡単に響きますけれども、実は確信とか信頼、システムに対する信頼とか将来に対する確信とか、あるいは将来についての予想とか、これが経済にしばしば決定的に重要な意味を持つということをお考えいただきたいのであります。経済学者にも責任がございますが、経済は人間の営みだということをしばしば忘れてしまう。
今、国民の間で何が一番問題なんだろうかといったら、将来の日本についてのコンフィデンス、確信が揺らいでしまっているということだと思います。将来の日本についてのコンフィデンス、確信を取り戻すといいましょうか、再構築すると。過去の経済成長はずっと続くものだという、こういう単純な、安易なコンフィデンスは崩壊するのが当たり前であります。この資源浪費的、環境破壊的な二十世紀型の文明が続くはずがないわけですから、変えなきゃいけないんです。新しい二十一世紀の文明を作るんだという、そういう新しいゴールを意識して、国民の皆さんにこれからこういう日本を作ろうではないかという、そういう確信を持てるような、そういうメッセージをお出しになることを私は政治家の皆さん方にお願いしたいわけであります。
これは、ナショナルゴールは、国家が、あるいは政府が国民に強制するゴールではございません。状況の判断を共有することによって、みんながおのずから共有するようになる目標でございます。そういうものを示すということがなかったら、構造改革論は国民的な運動になり得ないわけであります。構造改革を強くおっしゃる方が首相になられますと、ああそうか、やってほしいね、何だか行き詰まっているみたいだからやってほしいよといって人気上がるかもしれませんけれども、自分も一緒になってそれを推進しようじゃないかという運動にはならないわけですよ。
この状態であれば、どうしても政治が現実の場では利害型にならざるを得ない。目先の利害で選挙民も投票すると。政治家の皆さん方もそれは無視できないから、自分ではいろいろお考えになっていても、その流れの中で行動なさるしかないという、こういう現代の経済の病理がそのまま政治の中に持ち込まれるような仕組みが打破できないんですね。
このため、これを打破するためには、我々は、新しい資源節約的、環境保全的、そして子供を元気に育てるような、子供が生身の自然と直接に触れ合い、生身の人間と直接に触れ合って育つような生活空間、生活時間を作り上げるんだという、そういう長期の展望をお示しいただいて、それに向かって闘うという努力をしていただかないと、構造改革は本当の闘いにならない、そういうことを是非お考えいただきたいと思います。
このことを含めまして、私は日本人の働き方を含めた暮らし方の全体を見直す必要があるというふうに考えるわけであります。日本人は豊かさと便利さを求める余り、働き方を犠牲にしてきたと思います。過労死や過労自殺の多さはその現れであります。最近では、失業が増えて失業自殺も増えております。コンビニが徹夜で営業し、深夜便のトラックが飛び交って、宅急便で明日荷物がどこへでも届くというのは便利だ、こういうことになっておりますけれども、その陰で、交通災害が増えて、子供が死んだりいろんな事件が起こっていますよね。大気汚染が起こっています、進んでいます。こういうことを、こういう犠牲を払ってまで我々は豊かさと便利さを追求するのかということを日本人は考えようとしていない。この基本的な価値観の転換をやらないと、経済財政政策の根幹のところがいつまでたっても定まらない、こういうことをあえて申し上げたかったわけであります。
足らないところは御質問にお答えする形で補わせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)