予算委員会公聴会

2002-03-19 参議院 全204発言

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会議録情報#0
平成十四年三月十九日(火曜日)
   午前十時開会
    ─────────────
   委員の異動
 三月十九日
    辞任         補欠選任
     近藤  剛君     松村 龍二君
     野上浩太郎君     小斉平敏文君
     山崎  力君     柏村 武昭君
     峰崎 直樹君     羽田雄一郎君
     大脇 雅子君     田嶋 陽子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         真鍋 賢二君
    理 事
                金田 勝年君
                野沢 太三君
                日出 英輔君
                松谷蒼一郎君
                齋藤  勁君
                高嶋 良充君
                魚住裕一郎君
                小池  晃君
                平野 貞夫君
    委 員
                荒井 正吾君
                有馬 朗人君
                入澤  肇君
                柏村 武昭君
                木村  仁君
                小斉平敏文君
                小林  温君
                後藤 博子君
                近藤  剛君
                山東 昭子君
                伊達 忠一君
                谷川 秀善君
                段本 幸男君
                野上浩太郎君
                舛添 要一君
                宮崎 秀樹君
                山崎  力君
                山下 英利君
                吉田 博美君
                浅尾慶一郎君
                江田 五月君
                小宮山洋子君
                佐藤 道夫君
                内藤 正光君
                羽田雄一郎君
                藤原 正司君
                柳田  稔君
                若林 秀樹君
                草川 昭三君
                福本 潤一君
                渡辺 孝男君
                紙  智子君
                大門実紀史君
                八田ひろ子君
                高橋紀世子君
                平野 達男君
                大脇 雅子君
                田嶋 陽子君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        吉田 成宣君
   公述人
       専修大学経済学
       部教授      正村 公宏君
       東洋経済新報社
       記者       浪川  攻君
       全日本民主医療
       機関連合会会長  肥田  泰君
       株式会社リクル
       ートワークス研
       究所所長     大久保幸夫君
       慶應義塾大学総
       合政策学部長   小島 朋之君
       京都大学大学院
       農学研究科教授  新山 陽子君
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  本日の会議に付した案件
○平成十四年度一般会計予算(内閣提出、衆議院
 送付)
○平成十四年度特別会計予算(内閣提出、衆議院
 送付)
○平成十四年度政府関係機関予算(内閣提出、衆
 議院送付)

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真鍋賢二#1
○委員長(真鍋賢二君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。
 本日は、平成十四年度一般会計予算、平成十四年度特別会計予算及び平成十四年度政府関係機関予算につきまして、六名の公述人の方々から順次項目別に御意見をお伺いしたいと存じます。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。
 本日は、平成十四年度総予算三案につきましてお二方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。
 それでは、財政・金融・経済について、公述人専修大学経済学部教授正村公宏君及び東洋経済新報社記者浪川攻君から順次御意見を伺います。
 まず、正村公述人にお願いいたします。正村公述人、よろしくお願いいたします。
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正村公宏#2
○公述人(正村公宏君) 正村でございます。お招きいただいたことに感謝申し上げます。
 と申し上げても、いささか疑念を持っておりまして、我が国では予算を、年度内に次年度の予算を仕上げるといいましょうか通すという慣例になっておりまして、大戦後そうなっちゃったわけですけれども、あと十二日ぐらいで予算を通さなければならないというぎりぎりのところで何を申し上げたら意味があるのか、少し戸惑うところがございます。できることならば四月とか五月とか、少し長期の見通しの中で御議論をしていただくのが好ましいのではないかと、国民の一人として国会の運営について要望を申し上げさせていただきたいと思います。
 予算そのものというよりも予算の考え方を含めまして、経済の在り方、財政の在り方、更には金融の問題を含めまして、経済政策の在り方について二、三の問題点、あるいは私が重要であると考えていることを、限られた時間でございますので、箇条書的に申し上げてみたいというふうに思います。
 第一に申し上げたいのは、日本の経済の危機がいかなる原因によって起こったのか、この危機の本質は何かということについての議論が近年の日本では決定的に不足しているような気がするのであります。問題は何なのか、あるいはなぜこうなったのかということを問わないでハウツー、ホワットとホワイを問わないでハウツーを探りまくるというのが現代日本の文化の一つの傾向でありまして、これは泥沼にはまります。なぜこうなったのか、この経済的不均衡のよって来る原因は何なのかということを回り道のようでも問わないといけない。また、過去について問題にしないといけない。
 私の理解では、今日の危機の源を手繰れば、少なくとも七〇年代と八〇年代の経済運営に大きな問題があったということを深刻に考え直さなければいけないというふうに思っているわけであります。過去のことを言っても始まらないではないかという議論は誤りであります。過去のことについて的確な判断あるいは的確な反省を持つことができない人間に未来についてのデザインを語るということはできるはずがないわけであります。その場しのぎになってしまいます。そういう意味でもう一度改めて、国政に責任をお持ちくださっている皆さん方に今の危機の本質は何なんだろうかということをお考えいただきたいと思います。
 経済だけではございません。様々な少年の犯罪事件などに代表されますように、どこか社会がおかしくなっていると。その社会をおかしくするということについて、日本人が経済、経済、経済で経済成長を優先する仕組みの下で猛烈に働いてきた結果として、社会を知らないうちにおかしくしてしまったということがあると思うんですね。私は、そういうことを含めて是非基本的なところにさかのぼってお考えをいただきたい、あるいは少なくともそういうことについての関係者の間の率直な御議論をお願いしたいと。
 もちろん、これは私たち専門家の責任でもあるわけでありますけれども、そういう思想的な風潮の私は一種の退廃状況があると思います。根源を問わない、基本的な問題を問わないと、こういうことであります。私の、根源をどう考えておるのかということを述べ始めると、大学の講義のように一時間半はしゃべらないと足らなくなるわけでありますが、かいつまんで申し上げます。
 一九七〇年代と八〇年代は、日本が一挙に先進国の仲間入りをしたときであります。ただし、これは年々の所得あるいは年々の消費、そういうものの水準に関して先進国並みになったということでございます。しかし、生活の基盤になるもの、例えば都市のいろいろな生活条件ですね、通勤とか公園とか、そういうようなことを含めた環境条件は十分に整備されているとは言えない。スプロール化を物すごく進めてしまったと。農村もまた森林が荒れ、農業も成り立たなくなる、活力のある農業を存立することが非常に難しくなってくるというようなことで、例えて言えば、都市も農村も日本は美しい景観を持っていないような気がいたします。日本の都市は都市のようであって都市でない。農村は農村のようであって農村でない。景観というのはその国の文化の象徴でありますし、国民性の象徴でもあります。その国の国民が何を目指しているのかということが、どのような暮らしを目指しているのかということが景観に集約されているとも言えると思います。
 一つの例として申し上げているのでありますけれども、そういうものを含めて生活空間と生活時間を根底から見直す。さらに、社会保障、社会福祉の信頼性を高めることによって、国民が過剰な貯蓄を持ちながら不安を緩和することができないというこの状況を思い切って克服するという、そういう取組が必要であったと思います。残念ながら、いろいろな試みがあったことは承知しておりますし、私なども細々とではありますけれども、こういう方向に変えるべきではないかという発言をさせていただいたものでありますけれども、大きな流れを変えることができないで、国内の生活条件改善のための取組は大幅に、経済力に比べたら大幅に後れてしまったというふうに私は理解しております。
 そのことの結果が円高であります。ちょっと飛躍した言い方になりますけれども、円高の行き過ぎはそのことの結果としてとらえる必要があると思います。つまり、国内に生産力を十分に活用できない国の経済は貿易が黒字になってしまう。内需不足のために輸出圧力が掛かって貿易が黒字になってしまう。貿易が黒字になってしまったために円が高騰したわけであります。
 一九八〇年代前半の臨調行革ということをおやりになりましたが、私は行革の必要性は認めておりますし、大事なことを幾つかおやりになったんですけれども、日本経済に対しては大変破壊的なことをおやりになったわけです。年々公共投資を削りに削るということをおやりになったわけですけれども、財政支出を削りに削るということをおやりになったわけですけれども、こういうことをやったらどんなに強い経済でも絶対に駄目になるということをあの当時私は発言していたのであります。
 御存じのように、一九八〇年代後半に、三年間に円の対ドルレートが倍になるというような激しい円高を経験したわけです。こういうことをやったということについての深刻な反省といいましょうか総括といいましょうか、検討の上に立って、今我々がこのトラップにはまってしまった、わなにはまってしまったというこの経済のどこから立ち直したらいいのかということを考えなければいけない。いや、どこから立ち直すかというよりも、究極において何を目指さなきゃいけないのかということを考えていただかないといけない。現在の経済的不均衡の基礎にあるのは日本の社会的不均衡なんだということをお考えいただかなければいけないのではないかと。いや、私たちみんながそのことを真剣に考えなきゃいけないのではないかと。いかにして社会的不均衡を是正していくのかと。生活時間と生活空間をどうやって変えていくのかと。そして、社会保障、社会福祉の信頼性をどうやって高めていくのかと。先進社会の社会福祉、社会保障は弱者救済ではありません。国民のすべてに対して安心が給付できるかどうかということが問題なのであります。
 そういう観点で我々の社会経済システム全体を考え、国民の生活の在り方の全体を考えるというのを、遅きに失したと言わざるを得ないのでありますけれども、それを中心に据えて、景気対策も考え、構造改革も考えるということでなければ、何のための景気対策なのか、何のための構造改革なのかが見えなくなってしまいます。そういうことを私は強く申し上げたいと思います。
 次に申し上げたいのは、不況の本質は需要不足なんだという当たり前のことを確認するということから出発しないと、経済政策はとんでもないといいましょうか、見当違いの方向に行ってしまうということを申し上げたいと思います。
 しばしば景気対策か構造改革かという二者択一の議論がされるわけでありますけれども、これは思考の貧弱さの現れであるか、あるいは機構の欠陥の現れであるかというふうに私は思っております。分かっているけれども、そういうふうに二者択一型でしか議論できないんだよというふうにおっしゃるかもしれません。でも、そうだとすれば、日本は自滅あるのみであります。二者択一ではないんですね。
 橋本内閣が財政構造改革を提起なさったときに、私はこういう言い方をしていました。財政構造改革はやらなければいけません、赤字を何とかしなきゃならないということは明らかであります、日本の財政は病んでいます、でも、三年、五年のうちに何か格好を付けようと、国債依存率を低めようとか、そういうことを性急におやりになったら絶対に日本経済の安定成長は不可能になりますと。
 三十年掛けて赤字をこれだけ拡大させてしまったわけでありますから、五十年掛けて財政の健全化を図っていくということを考えないといけない。財政の健全化というのは財政の数字合わせではできないわけです。財政の均衡を短兵急に追求すれば経済が不均衡に陥ります。経済が不均衡に陥れば税収も落ち込みます、失業が大量に発生しますし、倒産が増えますから。景気が底割れしてしまったら大変なことになってしまうわけでありまして、そうなったら財政の再建も不可能になるわけですね。ですから、財政の再建を考えるときには、財政を独立のシステムとして考えるのではなくて、経済という大きなシステム、あるいはもっと経済と社会という大きなシステムの中で考えると。つまり、次の時代を担うのは次の世代の子供たちですから、彼らの健全育成まで含めた大きなシステムの中で財政の再建ということを考えないと不可能になるわけですね。
 ですから、財政を切り詰めることが改革なのではない。それは、結局、経済を切り詰めてしまう結果になるんだということを理解して、大変困難でありますが、つまり経済がトラップにはまっちゃっているわけですから、簡単なやり方では立ち直れないわけですけれども、だからこそ周到な計画が要ると。周到な考え方が要る。周到な考え方をして、財政の構造を文字どおり変えながら税制を変え、財政支出の中身を変えながら、赤字減らしに関してはやや時間を掛けて、まず経済の均衡を考える。経済の均衡という意味は、需要を過度に抑制しない、財政面で過度に縮小的な、抑制的な政策を不用意に取らないという前提でお臨みにならないと、繰り返し、構造改革でいくか、それとも財政再建でいくか、いや景気対策でいくか。財政の赤字を減らすのか、景気対策をやるのかという二者択一になってしまうわけですね。こういうシーソーゲームをやっている間にどんどんどんどん泥沼にはまっていくということを是非、これは九〇年代の重要な教訓であるはずでありまして、同じようなことが繰り返されているようにうかがえるのは私にとっては大変残念であります。
 なぜこうなるのかと。多分皆さん方がお分かりになっていないのではなくて、皆さん方がそういう理性的な行動を取ることを妨げている現在の政治的な仕組みのどこかに問題がある。だとすれば、それを変えることを含めて、日本の五十年、百年、孫子の時代の日本のために是非腹をくくって御検討いただければ有り難いというふうに思う次第でございます。
 第三に申し上げたいのは、政府が今何をしなければならないかということを考えましたときに、一番大事なことは国民に対して将来に対する確信を持てるようなメッセージを送っていただくということだと思います。
 経済は人間の営みであります。人々がもし将来に対して非常に悲観的になってしまっているとすれば、投資は起こってまいりません。消費は切り詰められます。日本的雇用は崩壊いたします。日本的雇用慣行がなぜ維持できたかと、経済が成長するということに対する持続性についての確信が経営者にもございましたし、労働側にもございましたから、経営者は一時的に景気が悪くなっても簡単には解雇しない。その経営者の行動に対する労働組合側の信頼がありましたから、消費が過度に冷え込むことがない。心理の問題というふうに言うと簡単に響きますけれども、実は確信とか信頼、システムに対する信頼とか将来に対する確信とか、あるいは将来についての予想とか、これが経済にしばしば決定的に重要な意味を持つということをお考えいただきたいのであります。経済学者にも責任がございますが、経済は人間の営みだということをしばしば忘れてしまう。
 今、国民の間で何が一番問題なんだろうかといったら、将来の日本についてのコンフィデンス、確信が揺らいでしまっているということだと思います。将来の日本についてのコンフィデンス、確信を取り戻すといいましょうか、再構築すると。過去の経済成長はずっと続くものだという、こういう単純な、安易なコンフィデンスは崩壊するのが当たり前であります。この資源浪費的、環境破壊的な二十世紀型の文明が続くはずがないわけですから、変えなきゃいけないんです。新しい二十一世紀の文明を作るんだという、そういう新しいゴールを意識して、国民の皆さんにこれからこういう日本を作ろうではないかという、そういう確信を持てるような、そういうメッセージをお出しになることを私は政治家の皆さん方にお願いしたいわけであります。
 これは、ナショナルゴールは、国家が、あるいは政府が国民に強制するゴールではございません。状況の判断を共有することによって、みんながおのずから共有するようになる目標でございます。そういうものを示すということがなかったら、構造改革論は国民的な運動になり得ないわけであります。構造改革を強くおっしゃる方が首相になられますと、ああそうか、やってほしいね、何だか行き詰まっているみたいだからやってほしいよといって人気上がるかもしれませんけれども、自分も一緒になってそれを推進しようじゃないかという運動にはならないわけですよ。
 この状態であれば、どうしても政治が現実の場では利害型にならざるを得ない。目先の利害で選挙民も投票すると。政治家の皆さん方もそれは無視できないから、自分ではいろいろお考えになっていても、その流れの中で行動なさるしかないという、こういう現代の経済の病理がそのまま政治の中に持ち込まれるような仕組みが打破できないんですね。
 このため、これを打破するためには、我々は、新しい資源節約的、環境保全的、そして子供を元気に育てるような、子供が生身の自然と直接に触れ合い、生身の人間と直接に触れ合って育つような生活空間、生活時間を作り上げるんだという、そういう長期の展望をお示しいただいて、それに向かって闘うという努力をしていただかないと、構造改革は本当の闘いにならない、そういうことを是非お考えいただきたいと思います。
 このことを含めまして、私は日本人の働き方を含めた暮らし方の全体を見直す必要があるというふうに考えるわけであります。日本人は豊かさと便利さを求める余り、働き方を犠牲にしてきたと思います。過労死や過労自殺の多さはその現れであります。最近では、失業が増えて失業自殺も増えております。コンビニが徹夜で営業し、深夜便のトラックが飛び交って、宅急便で明日荷物がどこへでも届くというのは便利だ、こういうことになっておりますけれども、その陰で、交通災害が増えて、子供が死んだりいろんな事件が起こっていますよね。大気汚染が起こっています、進んでいます。こういうことを、こういう犠牲を払ってまで我々は豊かさと便利さを追求するのかということを日本人は考えようとしていない。この基本的な価値観の転換をやらないと、経済財政政策の根幹のところがいつまでたっても定まらない、こういうことをあえて申し上げたかったわけであります。
 足らないところは御質問にお答えする形で補わせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。拍手
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真鍋賢二#3
○委員長(真鍋賢二君) ありがとうございました。
 それでは、次に浪川公述人にお願いいたします。浪川公述人。
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浪川攻#4
○公述人(浪川攻君) ただいまごあいさつをさせていただきます浪川と申します。初めに、私は、東洋経済新報社という出版社で、主に金融関係の記者をしております。正確に申し上げますと、東洋経済と記者契約を結んでやっております。主に金融関係を十五年ほど取材してまいりました。ということで、私がここでお話しできるのは、その取材をしてきたということの御報告程度でございまして、その御報告させていただく内容をお聞き願えたら有り難いと思っております。
 十五年続けて同じ分野を取材してくる記者というのは、実は日本にはそう多くはありません。マスコミもサラリーマン社会ですので、大体三年ぐらいで転勤をするということで、オールラウンドプレーヤーということなんでしょうけれども、余り長く同じ分野をやっていません。私、十五年この分野やってきて、ほとほと同じようなことを何回も書いてきたなと思っております。最近は、取材しなくても手が自然に動く、そんな感じがします。非常にこれは記者としては惰性に陥ることで申し訳ない、やってはいけないことなんですが、最近、私が尊敬するエコノミストの方がこういうことを言ったときにはっと思いまして、ああ、ちゃんと取材を続けなくちゃいけないなと思ったんですが。バブル崩壊から何年という言い方を、私もしますし、政治家の先生方もよくなさる。でも、その何年というのが本当に実感を持って語られているのかなということでして、私の尊敬するエコノミストは、この間こういうことを言いました。
 バブル期のピークに生まれた子供は今年中学二年生だ。もたもたもたもたやっていると、その子がもうすぐ成人式を迎えてしまうということなんですが、要するに、一人の人間の一番大事な人生の部分がこんなことで失われていいのかと、そういうことだと思います。非常にそういうことは残念であると思います。
 それで、それを前提にしてちょっとお話しさせていただきますが、まず、何はともあれ予算に関する感想ということなんですけれども、率直に申し上げて、いろいろな改革だということが言われていた割にはそれが反映されたのかなというのが私にはちょっと心もとない。象徴的に言わせていただくとこういう言い方になるのかなと思うんですが、いい悪いを判断しようとしていたのが、突然程度の問題に換わっちゃったんじゃないかなと。つまり、これはやるべきことなのかやらないことなのかということを議論していたはずなのに、何%削減でいいんじゃないのという、程度の問題に置き換わっちゃったんじゃないかなという気がします。
 先ほど正村先生がおっしゃったように、実は非常に目先的なことで決めていくことではないんでしょうけれども、それであればなおさらそういう程度の問題に置き換えないような議論がこれからもなされる必要があるんじゃないかなと思います。
 その上で、次に、私は金融の記者なので金融関係のことをちょっとお話しさせていただきたいと思います。
 この半年間ぐらい、金融分野ではいろいろなことが議論されました。例えば、過剰債務企業をどうするんだという問題が出ました。その中で、象徴的に三十社の過剰債務の大企業がありますという議論が非常に大きくクローズアップされて、その後に、じゃ金融庁は特別検査をしてそういう過剰債務の企業をいろいろ精査する必要があるんじゃないかという議論になりました。
 恐らく、そこには、確かに一つの論点として金融の問題点というのがあったのは間違いないと思います。しかし、私は、記者としていつもよく分からなかったんですが、過剰債務という概念は議論されたのかということなんですね。何をもって過剰債務と言うんだということが頭に置かれて過剰債務ということが議論されたのか。一般的には、過剰債務というのは、返済能力を上回った債務を抱えたということなんですが、じゃ返済能力を上回った債務というのはどの程度のものなのか。経済が仮に科学であれば、そういう観点があってもよかったんじゃないかなと思っております。
 更に言うと、その過剰債務と言われる大手企業、それが何十社かは、二十社なのか三十社なのかということなんですけれども、それに基づいて金融庁が特別検査を行うことになっている。その際に、特別検査の対象をどういうふうに選ぶかという議論が恐らくなされたはずなんですが、それは、私も取材したり、あるいは新聞報道なんかでも出ていたんですけれども、その場合の一つの価値基準として、借入残高が幾らというのと、あと急激に格付が下がった企業というのと、株価が大幅に下がった企業ということが言われたんですが、そのうちの特に一つとして、株価が大幅に下がった企業というのを聞いたとき、私は実は大変耳を疑いました。
 私は、十何年、金融市場というところの取材をさせていただいてきて、政策決定の重要な尺度に市場の変動価値のものを当てるということというものの妥当性がよく分かりません。恐らく、例えばこういうことが起きるんであって、市場というのはどん欲なマネーが行き交う場ですので、そういう検査対象になるといった瞬間にある企業をねらい撃ちした売りが出てくる、さんざん現実にそれが出たわけですね。それで結局、そういうことがあって、金融庁は最近、空売り規制を発動しているわけです。
 私が何を言いたいのかというと、政策決定の中に余りマーケット至上主義みたいな考え方は取り入れない方がよろしいんじゃないかということなんです。例えば、特殊法人問題がある、財投機関問題がある。その中で、今日も日本経済新聞にはそういう記事が載っていましたが、財投機関債がなかなか出せないというような話がありました。私は、財投機関債を発行するときの政策判断も政府の怠慢だと思いました。要するに、特殊法人をどうするかという個々の問題は、それこそ政府が責任を持って一つ一つ解決するものであって、マーケットに判断をゆだねるなんということではなかったんじゃないかと、そう思います。
 マーケットというのは非常に凶暴ですから、適正価格というのを形成するまでには大変ぶれます。上に上がったり下に下がったり非常にぶれた結果として、最終的にいろんな不幸を積み重ねた上で適正価格というのができるのであって、予定調和のようにある日突然マーケットが適正価格を出すなんということはあり得ないわけです。つまり、その十年後なのか、あるいは五年後なのか一年後なのか分かりませんが、適正価格というものになるまでじっと待つんだったらいいんですけれども、恐らくそういうことはなかなかできないんでしょう。となると、一体そのマーケットの判断という、この言葉も非常にあいまいな言葉なんですが、そういうものにゆだねるということの価値観というのがどこにあるのか、それはもう一度みんなで考える必要があるんじゃないかなと思います。
 さらに、もう一点、金融問題でお話し申し上げたいのは、四月一日から始まるペイオフの解禁に関してです。
 マスコミの多くはペイオフは解禁すべきという論でありますが、私はこのタイミングでのペイオフの解禁には賛成しかねるという立場であります。
 ちょっと資料を見ていただきたいんですが、ちょっと順番が逆になって恐縮です。一枚だけカラーコピーのやつなんですけれども、これ何で一枚だけカラーコピーかというと、カラーコピーが高くて一枚しかできなかったんですけれども、一番後ろから二枚目のグラフです。
 これは株価とペイオフに関連する政策が決定された時期というのをちょっと重ねたものなんですが、要するにペイオフの凍結が決定されて、実施されて、ペイオフが一年延期になって、今回解禁になるということなんですけれども、ごらんのようにペイオフ解禁するというタイミングが最も株価が安くなっている。私が今申し上げたように株価で物事を判断するというのは、それだけで判断するのはおかしいと申し上げましたが、恐らく、ありとあらゆる経済指標を取ってみても、四月一日の解禁のタイミングが最もこの数年の中で厳しいんじゃないかと思います。そういう中でペイオフを解禁するという意味は何なのかと。
 ペイオフ解禁に関しては、国際公約という言葉がよく使われていると思います。国際公約だからペイオフは解禁しなくちゃいけない。しかし、私が分かっている範囲では、国際公約というのが仮にあったとすれば、それは我が国が金融問題をきちんと解決するということが公約だったかもしれないけれども、ペイオフを解禁するかどうかなんという公約はなかったんじゃないかなと思うんです。少なくとも、私の友人の欧米のマスコミ関係者は日本が四月一日にペイオフを解禁するかどうかということすらもそれほど知らない。恐らく、公約というのはそういうことではなかったんじゃないかなと思います。
 それで、参考になると思いますが、その今お示しした次の、最後のグラフを見ていただきたい。
 これはアメリカと北欧と韓国と日本を比べました。GDPの伸び率と、あと、そこにおいてそれぞれの国が金融危機を発生して、その後に大きな決断、つまり日本におけるペイオフ解禁に見合う決断をしたときのタイミングです。簡単に言えば、日本以外は要するにペイオフあるいは公的資金を銀行から回収するというような政策を発動したのはV字形回復が確認されてからです。
 しかし、しかるに我が国は今はどういうことなのか。V字形回復という言葉はあるんですが、残念ながらV字の後の上がる方じゃなくて今は下がる方にあるわけでして、そういうタイミングでやるということはかなりチャレンジングな試みじゃないかなと、そういうふうに思います。
 更にペイオフに関して続けさせていただくと、実際、ペイオフを解禁できるいろいろな制度的な枠組みが整ったのかと。実はペイオフというのは金融破綻処理というだけの問題ではなくて、極めて大きな発想の転換が伴うものであります。つまり、預金というのは一〇〇%保護されるんだという下において庶民は生活してきたわけですから、それがそうではないというのは極めて大きな変化になるわけです。単に、つぶれた銀行の損失をだれが穴埋めするかという程度の話ではないわけですね。
 そういったときにいろいろな法律、制度というのがそういう大変化に見合うようになっているのかという問題がありまして、例えば会計制度もそうだし、今、名寄せという問題が出てきているわけですけれども、それに関して名寄せがちゃんとできるような制度になっているのか。つまり、アメリカであれば、名寄せが物すごいやりやすいがために国民総背番号制を活用しております。この問題は日本においては甲論乙駁があるわけで、こういう議論がこういうペイオフなんかのときに出てきたのかといったら余り出てきていない。
 さらに、これは恐らくこれからペイオフというのが発動されないことを祈りますが、仮に発動されたときに、発動前、つまり業務停止命令、金融庁が業務停止命令を下す前に特定の者だけが預金を解約しているということがあり得るかもしれない。インサイダー取引規制というのは証券取引にやるんですけれども、これはなかなかその証券取引というものが庶民、大衆のところまで行き渡っていないということで、なかなかそのインサイダー取引規制に対する興味というのは広がっていない。
 ところが、いったん預金というもので起きたらこれは大変です。自分の預金は一千万超のところがなくなってしまったのに、だれかは全額逃げていたというようなことが起きると、これは大変なことになります。そういうような観点からの議論がなされているのか等々、あと、会計処理もそうです。非常に私はそこら辺というのが問題だなと思っております。
 会計処理の問題はどういうことかといいますと、アメリカはかなり徹底した時価会計を取っておりますので、ゴーイングコンサーンといいまして、企業が生き続けることを前提にした会計監査と、企業が倒産したときの清算価値を調べる会計の資産の精査とではそれほどの差はありません。つまり、企業がある日つぶれても大幅な損失が出るということはそれほどないわけです。
 ところが、日本の場合にはまだ時価会計というのが徹底されていない関係上、私は資産超過ですと言っていた会社が、いったん裁判所で法的整理をやると大変な額の債務超過になります。
 例えば、今年に入ってある店頭公開企業が法的整理の決定を地裁から受けました。その会社は、その裁判所からの判定を受ける直前の決算では七十四億円程度の資産超過でした。ところが、裁判所で認定作業をした結果としてその企業はどうなったのかというと、百二十億以上の実質債務超過と認定されております。
 こういう差が日本の会計にある中で、例えばある金融機関が倒産しました。でも、あそこの銀行は倒産してもそれほど損失が出るわけじゃないと思っていても、会計制度が清算のための会計制度になった場合には、巨額の損失が出る可能性があるわけです。
 そういうようなところまで考えが及んでいるのかどうか。もしそういうのが全く及んでいないときに、仮にペイオフに直面するような事態になったときに、ちゃんとペイオフというものを発動できるのか。私は、官僚にそこまでをゆだねさせるのは官僚にかわいそうだと思います。大変な決断を要します。
 もう時間なので、最後に一点。昭和恐慌が発生したときにばたばたと銀行がつぶれたわけですが、倒産した銀行の経営者が書いた手記というのが残っております。ある銀行経営者の手記という本でございまして、昭和十年代に出ております。国会図書館にあります。私、十年ほど前にその本を読んで大変感銘を受けたんですが、彼は最後に、粉飾決算した最後に私財提供をしております。なぜ彼は私財提供を決断したのかというと、これがまた簡単でして、預金を切り捨てられた預金者が自宅を襲うわけです。おれの預金を返せと言って、その銀行経営者の家を襲うわけです。でも、それでもまだ彼は頑張っていたんですけれども、最後に彼が私財提供をすることになったのはどういうシーンかというと、彼の子供が小学校でいじめに遭うわけです。いじめに遭って暴力を受けるわけですね。その子供たちが、おまえが、おまえの父ちゃんがうちの父ちゃんの預金を奪ったんだということでいじめるわけです。その奥さんがお願いだから私財提供して世の中に謝ってくれ、そうじゃないと子供が大変なことになる。それで彼は私財提供をするんです。
 金融問題とか経済問題がきちんと解決していない中でこういう例えばペイオフ、それも本当に覚悟していたものじゃなくて、戦略的なものではないのでやると、もしかしたらそういうことが起きるかもしれません。
 冒頭に申し上げたように、子供の選択肢を、もう十何年たって、バブル崩壊してから十何年たっていると。もうそろそろ、子供たちが将来幸せになる政策というのはどうなのかという観点だけでいろいろなことが検討されていいんじゃないかなと、こう思っております。
 つたないお話で申し訳ございませんでした。どうもありがとうございました。拍手
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真鍋賢二#5
○委員長(真鍋賢二君) ありがとうございました。
 以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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谷川秀善#6
○谷川秀善君 どうも、皆さんおはようございます。自由民主党の谷川秀善でございます。
 本日は、正村、浪川両公述人におかれましては、大変お忙しい中、予算審議のための公聴会に御出席を賜りまして、心から厚く御礼を申し上げます。また、ただいまは大変貴重な御意見をお伺いをいたしました。
 いろいろとお伺いしたいこともたくさんございますが、なかなか時間の制約がございますので、もう余りお伺いできないかとも思いますが、重点的に絞ってお伺いをさせていただきたいと思います。
 今、小泉総理は、構造改革なくしては景気回復なしということで、構造改革に全力を挙げているわけですが、この構造改革という言葉ですね、今、両公述人の方からもございましたが、なかなか、国民は分かっているようで全然分かっていないんじゃないかと思うんですね。
 構造改革、構造改革という言葉は分かっているわけです。そして、構造改革をしないと何となく日本の国は良くならないということも分かっているんですが、さて、構造改革とは何ぞやということが、本当に我々自身も非常に、全部理解しているかというとなかなか理解していないと思いますよ。何だろう、概念としては分かっている。ところが、それをどうするのか、それがどうなのかということは全然、ほとんど分かっていないと思うんですよね。
 それで、小泉さんは、財政面で自らを律する精神がなくなってきたと、そして政治の面から自らを律する社会にすると、これが構造改革の主眼だと言っているわけですね。その中で、中でも財政が課題だと、こう言っているわけですね。財政が課題だと。
 ところが、片や麻生政調会長は、国内経済が高コストになっていると、この高コスト構造の是正こそが構造改革だと言っているようなんですね。そうすると、構造改革というのは、国内経済が、何かを作ろうとすると費用が掛かり過ぎるから、費用を安くできるようにする仕組みを作るのが構造改革だと、こういうふうに取られるわけですね。
 事ほどさように、また、ほかにも竹中経済財政担当相は、自律自助の精神からいえば日本はもっと頑張れるところはたくさんあると、これが構造改革の趣旨だと言っていますから、どうも自律自助で頑張れるようにすることが構造改革であるような感じがするわけです。
 事ほどさようにこういうことなんで、結局、構造改革というのは、両公述人の方々にお伺いしたいんですが、根本はどこにあるのか、何をどうしなければならないのか、それはちょっと今、正村公述人の方は社会の仕組みだと、社会がもう病んでしまっているんだということを今おっしゃっておられますが、そういうことで、どこにポイントを、これはなかなか難しいと思いますが、どこにポイントを置くことが大事なのかということを、それぞれお考えがございましたらお伺いをいたしたいと思います。
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正村公宏#7
○公述人(正村公宏君) 構造改革という言葉については、私も理解しかねているところでございます。
 いろいろな使われ方をしておりますし、十人十様に、百人百様に解釈があると思いますが、しかし、今までの日本の社会経済システム全体に問題があることは明らかでございますし、財政が病んでいることもこれは否定し難いところでございます。
 行政の仕組みも状況に対応できなくなっていると。行政改革をおやりになって省庁再編をなさいましたけれども、国家公務員をこれから本当に必要とされている分野に再配分するということはおやりになっていないように思うんですね。通産省の延長でそのままいいのかどうか。
 後発国型の成長を優先していた時代に作られた官庁の仕組みの中で、公務員の配分もそれで作られているわけですけれども、せっかく省庁再編をおやりになったならば、環境問題とか教育問題とかあるいは社会保障、社会福祉とか、そういうところの総合的な戦略を推進できるようにする。あるいはどうしても物事が産業保護的になってしまっていて、例えば先ごろのいわゆる狂牛病事件を見ましても、国民の生命の安全を優先するような規制をおやりになっていない。生産者の側を見ていらっしゃると。生産者が成り立つようにするということも重要ですけれども、生命の安全こそが第一であります。薬害問題もしかりであります。医薬品産業の育成にあるいは国際競争力に関心を持っている官庁がそのまま医薬品の安全審査をやるようなことでは駄目だということですね。
 こういう、本当の意味の改革、国民の、私は規制緩和論に近いものを七〇年代から言ってきたんですけれども、規制緩和ではなくて規制改革なんです。金融自由化ではなくて金融の改革なんです。政府が監視しなきゃいけないんですね。そういうことの理解がしっかりでき上がっていないと。緩和ではないと、改革なんだと。生命の安全と国民生活の安定にかかわる分野については規制を強化しなきゃいけないということをしっかり踏まえないといけないというふうに考えるわけでありますので、何のための改革なのかということを考えないといけないと。もちろん、景気回復のための改革ではありません。需要不足が不況の直接の原因なわけですから、需要をどんどん縮こめるようなことをやったら、景気が底割れして構造改革どころではなくなります。不良債権は激増してしまいます。
 そういう仕組みがよく分からないんです、政府の御説明を聞いていても。構造改革なくして景気回復なしとおっしゃるけれども、あるいは経済の安定成長なしとおっしゃる、どういうメカニズムが想定されてそういう主張をなさっているのかということがよく分かりませんので、是非そういう御議論を皆さん方になさっていただけると有り難いと思います。
 ついでに一言申し上げますと、高コスト構造云々という議論に対して、私は根底から疑問は持っております。日本の賃金は高いとか日本の物価は高いとかという議論は一〇〇%誤っております。円が高過ぎるんです。
 先ほど、先ごろ日経連から送られてきた資料をちょっと見ておりましたら、日本の賃金はアメリカの賃金より高いと書いてあるんですね。幾らで計算しているのかなと思って見ましたら、一ドル百二十円のレートでもって換算するとそうなるわけです。でも、私がちょっちょっと計算しましたら、一ドル百三十五円になったらパーになるんです。一ドル百四十円になったら日本の賃金は安くなるんです。為替レートが十円とか二十円とかの幅でもって大きく動くような時代に物価が高い安いという議論がそもそも間違っているんです。
 日本の物価を下げなきゃならないと、規制緩和をやって価格破壊をやって日本の物価が一割下がったら実質所得が一割増えるからやりましょうという主張をなさった経済学者が数年前におられたんですけれども、私は仰天いたしました。物価が一割下がるというのは大デフレなんですよ。これは大デフレになりますよ、これをやったら。失業が増えますよと私はそのとき警告していたんですけれども、そのとおりになっているじゃないですか。
 つまり、七〇年代、八〇年代の政策の誤りによって輸出競争力を付け過ぎちゃったために円が高くなり過ぎちゃって、単純に円レートで計算すると、日本の物価は国際比較すると高いんです。そのことを基準にして物価を下げろとか賃金下げろとかと言うのはおかしいんです。
 ただし、私は賃上げが正当だと言うつもりはありません。賃上げは優先課題ではないんです。労働時間を短くするとか、生活環境を改善することが優先課題であって、もう賃金上げなくてもよろしいと、下げてもいいというふうに思っております。
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浪川攻#8
○公述人(浪川攻君) 私は、先ほど申し上げたようにそれほど幅広くいろいろなことを取材してきているわけじゃないので、私の範囲だけで答えさせていただきます。
 やはり、構造改革という言葉は私もよく分からないんですが、それはなぜかというと、小泉政権で改革工程表等、いろいろ出てくるんですけれども、その工程表、すごいたくさん項目があるわけですね。項目が一杯あるのは結構なんだけれども、その項目に優先順位が付いていないんで、一体どこをどうやりたいのかというのがよく分からないんですね。そこが、日ごろよく考えているんです。
 私なりに考えているのは、やはり国という中にいろいろな資源があるとすれば、それは人間もそうだし、お金もそうだと思うんですが、その資源を再配置するようなことなのかなというような気はします。
 あと、そのための改革というのは何なのかなと。いろいろな手段があるんでしょうけれども、とても大きな要素として言えるのは、やっぱり税制なんじゃないかなと思います。税制改革というのがどれだけできるのかということが、私は自分の職業柄として、この改革という概念の中でそれが成功できるかどうかということの大きなメルクマールとして見ております。
 それともう一つは、じゃ、どういう分野についてどうなんだという考え方なんですけれども、私がやっている金融の分野で意見を申し上げると、先ほどもちょっと御説明のとき申し上げたように、何かすごい有名銘柄の大企業の話ばかりになっちゃっているんですけれども、実は日本の経済を支えているのは中堅中小企業なわけです。先ほどの資料の中でも数字でちょっと入れていますので、ごらんいただけたらありがたいんですが。被雇用者、労働者の恐らく七割は中堅中小企業労働者です。金融機関借入れというか、銀行、全銀ベースの企業向け貸出しの六割、七割はやっぱり中堅中小企業です。じゃ、そこの層が実は極めてこの十年間体力を衰えさせてしまったという現実があるわけですね。それは単に不景気でそうなったのか、あるいはその仕組み自体が少し限界に来たのか、制度的な、全体的な、というところを議論して、そこに制度的な限界、例えば税制も含めてです、いろんな要素です、というのであれば、それに対して掘り下げて議論していくというのが一つの構造改革の議論の在りどころかなと、こういう気がしております。
 以上です。
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谷川秀善#9
○谷川秀善君 どうもありがとうございます。
 初めに何か漠とした広い話をしたものですから、いろいろお答えをいただくのにごちゅうちょいただいたのかなと思いますが、これからできるだけ、私も時間がございますので、簡単にお答えをしていただければなと、このように思います。
 日銀が量的緩和政策を始めてからちょうど今日で一年になるわけです。ところがこの間に、当初、当座預金残高が五兆円から約三倍の十五兆円に増えておるわけですね。しかし、企業、資金はこれはそのために作ったものなんですから、その資金は企業へ貸出しに向かわずに金融機関や金融市場に滞留したままなんですよ。銀行が金利ゼロの当座預金に資金を置いたままでは、資金を置いたままでは全くもうからないわけです、銀行も。そしてじゃぶじゃぶ資金が、当初の考え方はじゃぶじゃぶ資金が増えて、それが企業の貸出しやら市場への運用に回って、そしてそれが設備投資やら個人の消費に結び付くと、こう考えてやったわけですね。ところが、全く逆になっちゃったわけですね。これは、この原因はどこにあるのか、両公述人はお思いでございましょうか。
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正村公宏#10
○公述人(正村公宏君) 浪川さんの方が御専門ですから、もっと的確な御判断があると思いますが、私は、今までの経過を拝見しておりますと、政府が財政について、先ほど申し上げましたように、安定的に景気を支え続けるという決意をしないで、引こうとしている。じゃぶじゃぶやってみたり引いたりという、非常に不安定な運用をなさったんですけれども、ここのところ、財政で出動するのは嫌だから、はっきり言えば、だから金融やってくれよという、そういう態度をお取りになっているようにしか見えないと。間違っていたら是正していただきたいんですけれども、そういうふうにしか見えないと。でも、大不況のときに金融が利かないというのは、二十世紀、経験済みなんですね。先ほど申し上げましたように、企業経営者も消費者、一般家計も、将来についての確信を失っているときにはお金をだぶつかせても投資は起こってこない、消費も縮こまる、こういう仕組みだということを直視する必要がある。
 ゼロ金利あるいは預金金利がコンマ何%などというのは異常なんですね。これは景気対策ではありません。景気対策のための低金利ではございません。過剰債務を抱え、過剰な不良債権を抱えている銀行が倒産しないのを差し当たり防ぐというだけの話であって、これ以上金利を下げてどうするんですか、これ以上資金をだぶつかせてどうするんですかというのが私の思いでありまして、このことは私はもうはっきり言えると思います。非常に誤った、とんでもないことをおやりになっているとしか思えません。
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浪川攻#11
○公述人(浪川攻君) 正村先生から専門と言われましたけれども、それほど専門のことは言えないんですけれども。
 非常に原則的なことを申し上げれば、企業が借入れを起こすときというのは、将来に明るさが出てきたなというような思いがあるときと、もう一つは金利が将来上がっていくのかなというときですね。つまり、上がっていくんであれば今のうち安い金利で借りようかということになるわけですね。恐らくこの二つとも、条件が今ないわけですね、一般論として。まだまだゼロ金利が続くんだろうと、一億の、国民であればみんなそう思っているんじゃないでしょうか。そういう中では借り急ぐ必要は全然ないということが、健全な企業であれば借り急ぐ必要はないだろうと。
 日銀がそういう中で量的緩和、今の手法で量的緩和というのをやっても、それは先生おっしゃるように銀行に行ったお金がまた日銀の当預に戻ってくるということ、あるいは金融市場に一部流れるんでしょうけれども、そういうようなことから脱することはなかなか難しいと思います。
 ちなみに、じゃ銀行がお金を融資できていないということなんですけれども、銀行は今、融資したくてしようがない。銀行だって商売やっているわけですから、利益を出さないと公的資金も返済できない。だから、融資はしたいわけです。ところが、今の会計制度とかもろもろの中で、それだけのリスクは取れない、残念ながらリスクは取れない。
 先ほどお答え申し上げたように、済みません、ちょっと説明長くなります、お配りした資料の一ページ目を見ていただきたいんですが、これはイメージとしてつくったものです。
 これは四つの企業グループに分けて、そこの自己資本比率というのをちょっと長いタームでグラフ化したんですが、見ていただければ分かるように、青が中堅中小の非製造業なんですけれども、ここの自己資本比率が著しく下がっております。ところが、日本経済の中で実はこの非製造業の中堅中小のウエートが非常に高いわけですね。その非常にウエートが高いところの信用力が低下しちゃっているという中で、銀行はなかなか融資ができない。もしそういう分野が、非常にウエートが高いそういう分野に融資ができるようにするということになると、それなりの政策というのが必要になってくるんじゃないのかなという気はしております。
 以上です。
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谷川秀善#12
○谷川秀善君 今おっしゃったように、本当に銀行が銀行の役目を果たしていないんですよ。だから、各、もうそれぞれ企業は大変なことになっている、特に中小企業、今おっしゃったように。銀行が本来の役目を全然やっていないわけですね。ただ金を預かってじっとしている。何とか自分のところだけがつぶれぬように、何とか台風が過ぎるのを待っているというような感じだと私は思うんです。そうすると、たまったものじゃないのは中小企業ですよ、それも非製造業のね。ここが頑張らすような政策をやっぱり我々は考えないと、本当に日本の経済はとんでもないことになっちゃうというふうに私は認識をいたしております。
 それで、かねがね、最近、公共事業は悪だというか、公共事業をやっても景気は回復しないというのが何か最近の常識みたいになっているわけですね。今までは景気がちょっと陰ってくると公共事業をばっと出して、それで景気回復を図ってきたわけです。ところが、それは駄目だよと、そんなのは効果ありませんよというのが何となく常識みたいになっていたんですが、私は、もう現在みたいにとことん不況で失業が増加している状態では、民間の事業を、公共投資を、公共投資を出して民間の事業を公共が奪うというようなことは私はもうないと思っているんですよ、今。いわゆるクラウディングアウトは生まれないというふうに私は思っているわけです。
 だから、したがって、公共事業を起こして雇用を増加させるという政策、今取っても私は問題はないというふうに考えておるわけですが、消費が落ち込んで投資意欲が減退しているときに減税をしても、何ぼ減税をしても自発的な民間活力は私は簡単に生まれてこないと思っているんです。減税というのは、私は元々究極的にはばらまきだと思っているんです。減税というのは究極的には私はばらまきだと思っているんです。だから、減税をするぐらいなら公共事業を起こした方が雇用対策としても有効だと考えているわけです。
 減税で消費と投資を刺激を試みてきたわけです、今までずっと。しかし、景気は回復しませんでした。それにもかかわらず、景気悪い景気悪いと言っていますが、個人資産は千二百兆から千四百兆に増えているんですよ。これ、ちょっとおかしいと思いませんか。これだけ景気悪い景気悪いと言っているのに、個人資産は千二百兆から千四百兆に増えている。しかも、ずっとこの九〇年代、日本は減税に次ぐ減税をどんどんどんどんやってきたわけです。そうすると、税収が著しく低下してしまっているわけですね。
 それで、赤字、財政は赤字で大変だ、財政は赤字で大変だと言っている人は何を論じているかというと、いわゆる歳出を抑えることばっかりを議論しているわけです。税収を上げる議論は何にもしていない。減税減税と言うんです。こんなことで私は本当に日本の国家財政なんというようなものは成り立たぬと思うんですよ。それは、節約もせないけません、行政改革もせないけない、しかし税収をどう図るかということも考えなきゃいかぬのです。これが国家戦略だと私は思っておるわけですが、そろそろ雇用対策を兼ねて公共事業をやるということについての両公述人の御意見をお伺いをいたしたいと思います。
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正村公宏#13
○公述人(正村公宏君) 公共投資は二つの効果があるというふうに経済学者は常識的に考えておるわけでありますけれども、フローの効果とストックの効果というふうに申します。
 ちょっと専門用語を使って恐縮ですけれども、フローの効果というのは、年々の支出を増やし、したがってそれに基づいて国民の所得を増やすと。事業をやることによって国民所得を増やすと。ストック効果というのは、公共事業をやることによっていろんな施設ができます。道路ができたり、様々な護岸工事をやったり、それがフローの効果だけを考えれば何でもよろしいからお金を使うという話になりがちなんですけれども、しかしいずれは税金でもってファイナンスしなければ、賄わなければならない貴重なお金でございますから、今は公債に依存せざるを得ないとしても、やはり本当に未来の世代にとって意味のある事業にお金を掛けるということにしないと、公共事業についての国民の信頼と支持が生まれないと思うんですね。
 残念ながらその点において問題があると多くの国民が思っているというのが今の状況だろうと思うんです。無駄なことをやっていないかと。お米の足らない時代に立てられた計画をそのまま強行してしまって、貴重な海を埋めてしまうとか、そういうことをやっていないかと。こういう疑念を国民が持っているという状況の中にあって、先ほど申し上げたような公共事業をやるということが、国民の将来の日本についての確信なり希望なりに結び付かないというところに問題があると思います。
 もう一つ申し上げたいのは、御指摘の税の問題というのは非常に重要だと思いますけれども、私も減税をするよりは、やはり今の日本の構造でいえば社会保険料と租税を含めた国民の負担というのは増えることを覚悟した方がいい。一人一人がお金を生命保険会社と契約したり銀行に預けたりして老後に備えようということを幾らやっても不安でたまらないんですね。いろいろなリスクのある少し利回りのいいお金に、資産に回そうと思ったらやけどをしたりとか、いろんなことが起っている。
 つまり、市場の不安定性に国民生活を直接にゆだねてしまうような方法で老後の保障を考えたりするということをやるよりは、子育てをしっかりやって、力強く子供が育つような環境条件を整備しながら未来の世代がしっかりやっていけるような国家社会を作っていくという、そういうことを前提にしてみんなで共同で安全保障を考えましょうという社会的保障のシステムをしっかり構築した方が賢明なんですね。私的保障でやるのか公的保障でやるのかというのはイデオロギーの問題ではないんです。どちらが効率的かということなんですね。
 そういう点からいいますと、お話のように、個人の貯蓄した資産が非常に増える、非常にはないですけれども、増える、今でも増えている。率直に言いまして国民の相当部分は実にくだらないことにお金をたくさん使っていますよ。それよりは、多少税率が高くなっても安心のできる社会を作るんだというビジョンをお示しくださって、そして今すぐというわけにいきません、景気がこれだけ落ち込んでいますから、しかし将来の租税負担はここまでは覚悟してほしいよと、その代わり総合的な、医療と年金と福祉をばらばらに扱う今のようなやり方ではなくて、総合的な社会保障計画をお示しになって政府に対する信頼を確立する、これが重要だと思いますね。
 それからもう一つは、やはり中央と地方の関係を根底から見直すと。今の中央と地方の関係、中央のやり方を拝見していますと、地方交付税、今、名前変わっていますけれども、地方交付金のようなものを、地方財政を操作する、あるいは管理するために細かくお使いになっていますね。それは結果として地方の借金依存を強めるようなことになっていると思うんです。今年、今年度、来年度の予算を拝見してもそうなんだと思いますけれども、これやめなきゃいけませんね。そして、どこまでは政府が責任を持つのか、中央政府が責任を持つのか、どこから先は地方が責任を持つのかという、そういう地方分権と自治を推進する、こういう総合的なプログラムをお示しになって、そして税体系をすっきりさせると。
 率直に言いまして日本の税はめちゃくちゃになっています。私も税制調査会にかかわっておりましたけれども、もう意味がないと思って辞退をしたんですが、今のやり方では駄目だと思ったから辞退をしているんですけれども。
 何が駄目かというと、継ぎはぎにしてしまって、シャウプ勧告が要るんですよ、シャウプ勧告に匹敵するものが。シャウプ勧告は占領軍がやったんですけれども、日本人が自ら、自らの力で体系的で一貫性のある税を作れるかどうかということが今、テストされますよ、これから。そのときに、私は思うのですけれども、所得税の申告を多少しますけれども、そのたびに思うのはめちゃくちゃなんですね、控除が一杯あって。障害者控除とか高齢者控除とか要らないんです。ちゃんとした給付の体制があり、社会的支援の体制ができていれば高齢者控除なんてやめるべきだし、障害者控除もやめるべきだし、課税最低限下げてもいいし、こういうことを是非お考えいただきたいと思います。
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浪川攻#14
○公述人(浪川攻君) 公共事業の問題は往々にして白か黒かどっちなんだという議論が多いんですが、そういう議論じゃないんだとは思います。やっぱり必要な公共事業というのは当然あるわけで、それはしっかりやらないといけないんだろうと。
 ただ、今要請されているのは、恐らく公共事業の妥当性という問題なんだと思うんです。そういう場合に、やはり私はその公共事業一本一本のプロジェクトの評価というのがどうできるのかということに掛かってくるのかなと思います。例えば国会で、予算委員会と同じぐらい決算委員会が厳しく議論されるとか、ということが必要なのかなと思います。
 税の問題、先生おっしゃるとおり、私もサラリーマン辞めてから確定申告しておりまして、税の重みは非常に感じております。
 私は、サラリーマンやっていた方が良かったなというときもあるんですけれども、唯一サラリーマンじゃなくなって良かったなと思うのは、確定申告するようになって、自分の住んでいる市でつまらない道路なんかできると非常に腹が立つ。私の住民税がこんなになっちゃったのかというのが非常に腹が立つ。もちろん、だけれどもいいものができれば私の税金はいいものに使われたなと思うわけです。
 ということは、何を言いたいかといいますと、恐らくそういう税の根源の問題は、先生が御提起になった問題の根底のところに、僕は、タックスペイヤー、税金を払う者がどう税の行方について、税のお金について監視ができるのかなと、私の金は、税金はどこに使われたのかなというのが分かるかと、そういうようなところがしっかり出てくると、公共事業でも有意義なものは認められるとか、そういうことになるんじゃないかなと思います。
 それで、今現在ということでいえば、今でも一定の公共事業は必要なんじゃないかなとは思います。
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谷川秀善#15
○谷川秀善君 時間が参りました。
 公共事業もやっぱり教育、福祉、環境、いろんな問題があるわけで、従来の公共事業は私は駄目だと思っていますが、そういうことでいろいろ貴重な御意見、ありがとうございました。
 終わります。
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若林秀樹#16
○若林秀樹君 民主党・新緑風会の若林でございます。
 まず、正村公述人にお伺いしたいというふうに思います。
 お話を伺いまして、非常に胸にずしりと刺さるような思いというんでしょうか、いろいろありますけれども、やっぱり一番考えなきゃいけない一つの事象としては、私は二十一世紀に子供に夢を与えられていない今この現状がやっぱりすべてを表わしているんじゃないか。これまでいろいろなチャンスがありながら、本来我々はどういう社会を目指していくのか、どういう暮らしを目指していくのか、転換期がいろいろありながらも、そういうことを遅らせてきたというふうに問題があるんではないかなと思います。
 その中で、確信が持てない。それはやっぱり政治の役割だというふうにおっしゃいますね。確かにそうかもしれませんし、我々自身もこれからどういう社会を目指していくのか、そのビジョンも含めて考える役割を背負っているんではないかなというふうに思います。
 構造改革ですが、小泉構造改革、一つ一つ見ると必ずしも間違っているわけではない。正しいことを積み上げているんですけれども、結局は性急、短兵に改革しようとすることによる副作用が効いているんではないかなという感じがします。
 三十年掛かったこのシステムを壊すには、五十年の大計ということがあります。私もそのことは分かりながらも、一方、政治として、スピードというものをどう考えていくか、我々はやはり選挙で選ばれて、役割を担って改革をしていくということに対して、スピードの軸と今の将来をどうとらえて政策を打っていくかということに対して、言葉では、おっしゃることは分かるんですが、もうちょっとそこのスピードとの関係で、もうちょっと短期と中期の政策としての考え方がもしあれば、お聞かせ願えればというふうに思います。
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正村公宏#17
○公述人(正村公宏君) 大変難しい問題を突き付けられたわけであります。それはもちろん十分に承知しているテーマであります。
 構造改革ということが繰り返し言われて、そして、それはどちらかというと切り捨てる、あるいは今までの制度を壊すという、そういうイメージの強いもの、あるいは赤字を減らさなきゃいけないから財政を切り詰めないといけないという、そういう種類の議論が繰り返されているわけですね。八〇年代からそうであります。しかし、それだとスクラップしか見えないわけですね。
 小泉内閣がおっしゃっている構造改革も、端的に申し上げれば、今までのものが動かなくなってしまっているから、特に公共部門にいろんな問題があると。公的な金融システムの流れとか特殊法人の問題とか、それから財政支出の在り方とか、これを直さなきゃいけないと。全くおっしゃるとおりで、根底から直さなければいけません。直すについては、御指摘のように、あるプログラムを示して、漫然とやるのではなくて一定の期限の中でやるということをやらなければいけませんね。
 しかしながら、ビルドがない。私のような者が言うのは口幅ったいですけれども、政治というのは、やはり国民の支持があって大胆な改革ができるはずであります。国民の支持というのは、古いものが行き詰まっているから壊すんだよということで済むはずがないんですね。やはり政府がやらなければならないことが幾つかあるわけですから、それをお示しいただく、それをやるんだよということをはっきりお示しいただくということが基本だろうと思うんです。
 私は、イデオロギー的な小さな政府論がばっこし過ぎたと思っております。小さな政府が目的ではないんですね。効率的な政府が目的だと私は思っています。効率的というのは、効率的というのは能率的という意味じゃないんです。能率がいいということではないんです。やるべきことをきちんとやる。その代わり、やる必要のないことからしっかり手を引いていくという、こういう仕組みを国民にお示しいただくということが基本だろうというふうに思います。
 ビルドの展望をお示しくだされば、スピードはいろいろあっていいわけですよ。例えば、国民年金、いや厚生年金がなし崩しに賦課方式に替わってしまっております。いずれこのまま行くと、将来の、次の世代の社会保険料なり租税なりの負担で賄わなきゃならないということになってきているわけですね。国民年金はもう既に賦課方式になっていて、しかも保険料では賄えないので税をお入れになっていると。将来、この税を入れる部分を増やさなきゃいけない。
 一番問題なのは、なし崩しというやつだと私は思うんです。なし崩しにこういうことをやっていると。介護保険についても、既に半分以上は税で賄わなきゃならないという仕組みになっていますよね。なぜ保険、保険と政府がおっしゃるのかと見ていると、私に言わせると、政治的抵抗最小化の原理で行動していらっしゃると。保険といえばお金が集めやすいというふうに考えているのかなと勘ぐらざるを得ないような行動をお取りになっていると思うんです。政治的抵抗最小化の原則で行動なさっている限り、民主主義は崩壊していく。そして、成長の勢いがあった時代はいいけれども、成熟の段階を迎えたときには国民が目標を失ってしまう、そういうことになっていると思うんです。
 だから、私は、ビルドをお示しいただきたい、ビルドは総合的にお示しいただきたいと。社会保障の総合計画、医療をどうするかとか年金をどうするかとか介護をどうするかでばらばらではなく、もちろん個別の問題は追求しなきゃいけませんけれども、どこかで総合的なプログラムをお示しいただきたい。
 過去の例でいうと、厚生省でさえもばらばらなんですよね。年金は年金の担当者がやっている。介護の問題が出てくると介護の担当者が必死になってやる。ほかの部局はみんな知らぬ顔している。これでは駄目なんです。これは官僚機構に期待しても駄目なんで、是非政治家の皆さん方がイニシアチブをお取りになって、総合的なビジョンをお示しくださって、そして、多分年金の改革は五十年掛かります、食いつぶしてしまったわけですからね、どうするかと。
 五十年を示すということは、ゆっくりやればいいんじゃないんです。地球環境問題もそうですよ。百年後に温度が何度になるという議論するからいけないんで、現実に地球温暖化はどんどん進んでいて、台風が激しくなって被害が増えますよ、干ばつが起こって大変なことになります。そのことを直視して、長期の見通しを示して、長期の見通しで考えるということは、ゆっくりやればいいんじゃないんだということをやはり議論すると。
 これは日本の政治のカルチャーを変える重要な手掛かりになると思います。じっくり考えて、長期をにらんで考えて、確実に一歩一歩やっていくという、先延ばししない、こういうことを是非お考えいただければというふうに思うのであります。
 ちょっとはぐらかしたかもしれませんけれども、しかし、私の意のあるところはお酌み取りいただきたいと思います。
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若林秀樹#18
○若林秀樹君 次に、浪川公述人にお聞きしたいと思いますが、ペイオフの問題で、どちらかといえば解禁は賛成ではないということでございまして、確かにおっしゃるとおり、必要十分条件は整っているかといえば、個々に見ると必ずしも整っていないということがあります。しかし一方、本当に金融市場をきちっとして健全に機能させるという意味で、やはりある部分連動するという意味では、もうかなりのところまで私は来ているんではないかという。今解禁しないで本当に良くなるかといえば、逆にそうでもないということを考えますと、もう少し現実味に立って、本当に解禁できる具体的な、いつどのようなところになったら浪川公述人としては解禁できるというふうにちょっとお考えでしょうか。そこを整理してちょっとお答えいただければと思います。簡潔にお願いします。
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浪川攻#19
○公述人(浪川攻君) やはり非常に保守的な考え方かもしれないんですが、ある程度景気の回復というのに手ごたえを感じるところまでは私は難しいんじゃないかなという気がしております。
 もう一つは、先ほども申し上げたこと、繰り返しで恐縮なんですが、例えば五年間の凍結というのが、期間ありましたですよね。五年間の凍結期間があったときに、始めの一年目からペイオフを解禁するときにはこういうふうに解禁しようということって、議論ずっとあったわけじゃないと思うんですね、数年目ぐらいから議論があったと思うんですけれども。やはり一つは、景気の回復というのはある程度手ごたえが感じられるということと、ペイオフを解禁ということの国家戦略みたいなものがあると思うんですね。これ、先ほどもお話しのように千四百兆の個人金融資産の中の資金移動の問題ですから、そういう議論がある程度なされるということが一つ必要なんじゃないかなという気はしています。
 順序が逆になって大変恐縮なんですが、私はいずれペイオフは解禁されなくちゃいけないと思っております。それで、実は以前は私はペイオフ解禁論者でして、お配りした資料を見ていただけば分かるんですが、ペイオフ解禁するとこんなに世の中が変わるぞなんというのをちょっと書いたこともあるんです。そのときとやっぱり今と随分と景気、日本の経済の水準が違い過ぎちゃったなというのは実感として感じています。
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若林秀樹#20
○若林秀樹君 次に、また正村公述人にちょっとお伺いしたいと思いますが、人口の減少の問題が経済に与える影響がどうだということをちょっとお伺いしたいと思います。
 確かに、この中位推計がまたこの間改定されてまた良くなくなったということですが、少子化、高齢化が進んだ。確かに人口高齢化、減少というのは二〇〇六年から起こるという。もっと実は、九五年からやっぱり生産人口が減り始めているというのが今の経済の悪化あるいは不良債権の問題を表しているんではないか。なぜかといえば、十五から六十四というのは、やっぱり消費と所得の担い手がもう九〇年半ばから減り始めたことは、いろんな指標を見るともう既にそこから停滞し始めている現象が、GDPもちょっと縮小傾向にありますけれども、いろんなことが起きているので、もう既にそういうところは起きているんじゃないか。これは私は、やっぱり相当考慮に入れた政策運営をしていかなきゃいけないという意味で、この人口の減少問題をどう我々はとらえていくかということについてちょっとお伺いしたいと思います。
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正村公宏#21
○公述人(正村公宏君) 御指摘のように、人口が減っていく問題、少子化の問題、生産年齢人口の減少の問題、そして総人口もあと数年、二〇〇五年かその前後に下がり始める、減り始めますね。こういう事態にどう対応するかというのは非常に難しいというか、新しい問題なんですね。それをちゃんと覚悟しないといけない。
 もう一つは、人口の激減は好ましいわけではない。人口が増えるのは、もう地球のキャパシティーが限られていますから増えない方がいい。でも、急激に減っていく、急激に少子化が進むということは社会に大きなひずみをもたらしますから、これはまじめに考えないといけない、こういうふうに考えるわけであります。
 一九八〇年代の後半、いわゆるバブルの時代というのは経済的な論議もバブルでありまして、相当いい加減な議論があったんですけれども、これからは人口が減っていくので、生産年齢人口は間もなく減るから労働力不足の時代が来るという議論がちょっとはやったことがあります、御記憶かと思いますけれども。私はそれに反対でありまして、人口が減るということは新しく世帯を持つ数も減っていくわけですし、需要の方も減っていく可能性があるわけですね。しかも、日本の経済運営が誤ったために、ドル、円が高くなり過ぎちゃって国際関係上非常にまずいことになっていますから、だからこの状態で行くと、逆に需要、総需要の不十分なために、人口が減っているのに失業が大量に発生するということもあり得るんだということを直視しないといけない。これが経済のメカニズムなんだということを忘れて、人口が減るから労働力不足の時代が来るという短絡した議論がはやっていたのを思い出します。
 そういう議論をやっちゃいけないんで、現実に人口の構造が変わり、数が減っていくときに、私たちは何を考えなきゃいけないかというと、クオリティーの問題だと思うんです。子供の数が減るということは、子供が兄弟げんかして育つということが少なくなってしまう。親がどうしても過剰管理、過剰保護になってしまう。ひ弱な子供を作ってしまう。こういう成熟した社会においてそうなりがちな中で、どうやったら子供を元気に育つような状況を作るのか。そこそこに、余り激減しないでそこそこに子供が生まれてくるような状態を作るのかという、統制し、管理し、計画するという意味じゃないけれども、やはり文明の自己制御ということを考えないといけない、そういうところに来ていると思うんですね。
 私は、長い歴史を振り返ってみれば、女の人が働くのは当たり前だったということを想起してほしいんです。武家の家の、家柄の奥さん方をイメージしちゃいけないんです。庶民の女の人はみんな働いているわけです。酒造り屋さんのおかみさんは一生懸命になって働いて、職人たちの面倒を見て、だんなさんと一緒に生業を営むことに頑張っているわけです。町の小売屋さんもみんなそうですよね。女の人が働くのは当たり前なんです。
 女の人もまたそれぞれに個性があり、いろんな能力を持っているわけですから、これを社会が活用しない手はないのであって、みんな専業主婦、みんなではないけれども、専業主婦が日本ぐらい多いという国は先進国の中では少ない、ほかにもちょっとありますけれども、しかし非常に少ない。出産退職が物すごく多い。
 それなのに、七〇年代、八〇年代、日本がサラリーマン社会になって、専業主婦がどんどん増えてしまって、女性が労働戦線といいましょうか、職業戦線から離脱していくという傾向が強くなったときに、しかも片っ方で子供はどんどん減っていくということが現象として七〇年代に起こっていたときに、子育て支援、安心して子供を預けられる社会的な支援の仕組みを作ろうではないかという政策をお取りにならなかったんですよ。その場その場でいろいろおやりになって、保育所の数は増えたけれども赤ん坊を預かってくれるところはない。四月を過ぎて子供を預けようと思って探し回ってもどこにもないと皆さんは言っているわけです。だから十一月に子供産まないと駄目よと職業婦人の間で言われているんですね。悲しいじゃないですか、豊かになった国にしては。こういうことをやっていて子供が減っていくのは当たり前なんですよ。
 それで、少子化で大変だ、年金が大変だから削っていこうとか、医療費が大変だから削っていこうという話にどんどんどんどん縮こまっていくのじゃなくて、こういうときだからこそ、やはり社会の構造が変わり都市化が進んでサラリーマン化が進んでいるわけですから、女性が自分の能力を生かして社会に参加しながら、パートタイムでもいいです、正規の従業員であってかつパートタイマーであるというオランダ型の雇用関係をこれから考えていかなきゃいけないですよね。そして、子育てと両立し得るような職業形態を探していって、子育てのためにも一生懸命頑張っていただくけれども、社会にとってもその女性が持っている能力を活用できる。この能力は福祉にも生かせますし、教育にも生かせますし、いろんなところで生かせるわけですから、こういうふうな新しい仕組みを作るということを是非お考えいただきたいと。そのためのそれこそ予算措置を真剣にお考えいただくことが必要ではないかと私は思っています。
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若林秀樹#22
○若林秀樹君 ありがとうございます。
 もう少しまた議論したいところでございますが、浪川公述人に、時間的にも少なくなってきましたので最後になるかもしれませんけれども、デフレとインフレターゲットについてちょっとお伺いしたいと思います。
 今、デフレスパイラルに入っているかどうかという、まず御認識ですね。昨日も竹中大臣は入っていないという明確な答弁。一つは、やっぱり経済の実体がらせん型には悪化していない。その一つはやっぱり消費がプラスになっているんじゃないかということをおっしゃった。私はやっぱり必ず、本当に消費がプラスになっているかどうかの判断をするにはちょっともう少し先が必要じゃないかなというふうに思いますので、そういうことに入っているのかどうかという御認識を、これをどういうふうにじゃ、このデフレを脱却するかという対策がもしあれば、そしてこのインフレターゲットというものは効果的に機能する政策になるのかどうかということも含めてお考えをお伺いしたいというふうに思います。
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浪川攻#23
○公述人(浪川攻君) 景気問題というのは、常に前提として循環論と構造論という二つで考えなくちゃいけない。循環論では良くなったり悪くなったりする部分があるわけですよね。ところが、恐らく我が国では構造的な問題というのを抱えてしまって、そこが底辺にすごいウエートが、中での循環がその上で乗っかっているということなので、確かにここに来て少し良くなったという話はありますけれども、じゃ、それで本当に抜本的に良くなったのかといったらそんなことは全然ないんでしょう。
 今、先生おっしゃった、じゃ、そういう中でデフレというのはどういうふうに考えているのか。日銀はまだデフレスパイラルには入っていないと、たしかそう言っているんだと思うんですけれども、私はかなり際どいところまで来ているのかもしれないなという気はしています。その場合に、じゃ、これを、更に進んでしまうかどうかという問題なんですけれども、実に皮肉なことに、一九三〇年代のアメリカとかそういうのからちょっと考えると、不良債権処理やり出すとまた進行しちゃうんですよね、デフレというのは。非常に不幸なことで、フィッシャーという学者の先生がそういう分析をなさっておられますけれども、非常にここは本当に我が国にとっては大きな岐路に来ているんだなと思います。
 残念ながら、本当に率直に申し上げますけれども、私にはそれのどうしたらいいのかという解が分かりません。それで、インフレターゲット、何でも金融政策の正当性というのが把握できるような尺度であればそれはやってもいいんじゃないかなと思うんですが、問題は今のインフレターゲット論というのがそういう観点からの議論なのかどうか。むしろ、とにかくお金一杯流すということの方が強いんであればその議論の修正は必要なのかなと思います。ただ、インフレターゲット論の議論は必要だと思います。
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若林秀樹#24
○若林秀樹君 一分ありますので、その関連で、もし国債三十兆円枠を守るということに対してちょっと両人からお考えがあれば、簡潔で結構ですのでお答えいただきたいと思います。
 私は、やはり税収が四十数兆円しかない中で三十兆円にすること自体がもう異常だと思いますし、ただ、それを守ることの意味が、財政規律を守るということはあるんですが、一方、じゃ、それが政策につながっているかどうかというと必ずしもそういう議論がなされた上でないという危惧もありますので、これもう時間になりましたので簡潔にちょっと御意見を聞かせていただきたいと思います。
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正村公宏#25
○公述人(正村公宏君) あえて簡潔に、少し乱暴な言い方をしますと、先ほど来、景気対策か構造改革か二者択一ではない議論をしないといけないということを申し上げている立場でありますから御理解いただけると思いますが、国債三十兆円という枠を決めてしまってこれを守らなきゃいけないという予算編成の仕組みというのは、政治的なパフォーマンスとしては分かりますけれども、経済政策では全くないと思っております。
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浪川攻#26
○公述人(浪川攻君) 正村先生と同じ考えです。
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若林秀樹#27
○若林秀樹君 以上です。どうもありがとうございました。
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福本潤一#28
○福本潤一君 公明党の福本潤一でございます。
 きょうは、正村公述人に最初、短時間でございますので、質問投げさせていただければと思います。
 先生、経済学者からもう哲学者のように、全般にわたる話も聞かせていただいて、我々いろいろ示唆に富むわけでございますけれども、今後、将来に向かっての確信、また信頼、そういったものが大事であるというお話聞かせていただきまして、私も思いを同じにしておる人間として、先生の御高説、今後、政治の世界でも生かしていかないといけないなと思います。
 一九七〇年代、八〇年代の一つの大きな日本の政策的な責任が今様々な形で反映していると。バブル崩壊のときも、私、東京大学院生活終わって、後、愛媛大学行って、一九九五年まで、七年前まで学者やっておりましたけれども、理科系の学者をやっておりまして、そういう中で日本経済は変な方向に行っているなと。株価の値上がりだけで市場が、一つの経済が上向いていくというのは大変なことではないかと、おかしな方向に行っているんだという、むしろ経済の分野を担当していない、また地方で生活しているということでより見えるところがあったという生活体験をしております。
 そういう中で政治の世界へ入りまして、経済学者も様々な学説を自信を持って言われるんですけれども、余り当たらなくても割と文化系の経済の方の分野の学者の方々は余り責任を取らないでも済むのかなというぐらいの思いにとらわれているところがございまして、そういう意味では経済的な分野、大きな世界でございますので、簡単に責任を取りにくいということもございますけれども、一つは政治の世界に入りますと、案外その渦の中に入ってなかなか、新しい政策を出しても、責任が問われたときに単純に野党の攻撃も与党に入ると受けますし、公約も守らないといけないということもございます。
 そこで、今確かに教育の問題、環境の問題含めて中心にやっていた人間、財政の問題、お話を聞かしていただくときに、今現在する政策、聖域なき構造改革ということで小泉総理言われておるわけですけれども、もうシステム自体が、もう制度自体が疲労してきて、大変革期になっているのに短期的な対策しかできないということがあるんだろうと思います。
 そこで、若干、今するべき政策という意味で聞かしていただきたいんですけれども、金利がもう公定歩合ゼロになって長くなっております。そういう意味では、これからはどうなるのかということに、打ち出しによってまた株価も影響するんでしょうけれども、先日、経済学者の方にやはり聞かしていただいた中に、公定歩合、金利が二%以下になろうというようなことを政策実施する国があろうとは思われないけれども、そういうときにはまた常時の時代とは違う政策を打つ必要があると。
 例えば、銀行券でも期限付の銀行券を出して配布するとか、ある意味では地域振興券みたいなものを大規模にやるというようなことを、金利が二%以下のときは有効に作用するかも分からないということを言われましたので、この点に関しまして、これはケインズの第二十六章に載っているということでございますので、正村経済的な政策を打っておられる、学説を述べられているところで、是非ともこの点、減税とは違う効果があるのかどうかということも含めて最初にお伺いさせていただきます。
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正村公宏#29
○公述人(正村公宏君) 今の最後におっしゃったようなことについては、私は半分ジョークかもしれないと思っております。
 地域振興券あるいは地域通貨とかいろんな試みをなさっているところがございますし、政府もおやりになったわけですけれども、私は、それは小細工であり過ぎる、率直に申し上げて、そういうふうに思っております。これも言ってみれば、私流に言えば、先ほど申し上げたように、三十兆円の枠をはめるのと同じで、一種の政治的な意味合いはあるかもしれないけれども、経済政策ではない。
 金利がゼロの状態というのは異常だと思うんですね。銀行にとっては、もちろん預金金利がほとんどゼロという状態で、お客さんから預かったお金にほとんど金利を払っていないと言ってもいい状態ですけれども、しかし、貸出し金利の方も下げているわけですからマージンが小さいわけで、それはリスクを取るような貸出しに積極的に乗り出すということはこの状態では不可能だろうと思います。
 一部の専門家が御指摘になっているように、日本全体を見ますと、やはり国債の利子を下げなきゃならないというそういう状態の中で、政府が持っている公的金融部門のお金の流れを国債消化に使っていると、あるいは地方債の消化にも使っているやに聞いておりますけれども、こういう人為的に枠をはめて金利を引き下げてということをやって金融の機能を破壊している。今の超低金利というのは金融の機能を破壊しているというふうに私は考えております。
 で、浪川さんがおっしゃったように、私もこの全体の中で、不況というのは需要が不足しているんだということを、つまり供給力に比べて需要が落ち込んでいるんだと。これは下手をするとデフレスパイラルに陥る状況なんだという認識の上で財政が責任を負うと。中身を変えながらも過度に抑制的にしないという、そういう対応をすることが先決なんであって、それをやらないで金融の方で何とかしようというのは、私は多分不可能な状態にあるというふうに思います。
 ちょっとアナロジカル、歴史的アナロジーというのは危険なんですけれども、浪川さんが昭和恐慌の話を、大変生き生きとした実例をお話しくださいましたけれども、その昭和恐慌の前後にかかわるわけですが、一九二〇年代というのは日本の近代の歴史において非常に重大な岐路であったと思うんです。
 このときに、対中国政策においても大きな誤りを犯したわけですけれども、経済政策においても大きな誤りをした。その重要な誤りの一つ、最も大きな誤りと言っていいと思いますが、旧平価で金解禁を実行したということなんですね。これは世界的に各国誤った、例えばイギリスも誤った政策を取ったわけで、旧平価で金解禁したわけですけれども、浪川さんが勤務しておられます、勤務ではなくて契約しておられます東洋経済の先駆的な記者であられた石橋湛山さんは、解禁を旧平価でやることはよくない、切り下げないと旧平価解禁は大幅な円高になってしまうということを警告しておられたんですね。
 これに対する当時の政策当局者、政府の回答はどういうものであったかというと、厳しいことは分かっておる、厳しいことは分かっておるが、旧平価で金解禁することによって日本の産業の国際競争力を強めなければいけない、合理化をやってもらわなきゃいけないという、こういう議論なんですね。
 これは、歴史に繰り返し登場するしごきの論理であります。政府のマクロの経済政策が誤っているために経済が困難な状態に追い込まれて、そして産業が苦しんでいるときに、大企業のみならず、特に中小企業が塗炭の苦しみを味わっているときに、もっとしごきに掛けるんだ、国際競争力を付けるんだと。今よく似ていませんか。
 そういう、この二〇年代の経済政策の誤りが三〇年代、三〇年に金解禁した途端に輸出が激減しまして、日本の産業が大打撃を受けるわけですね。そういう中で、やはり一部の軍部などが主張した軍国主義的な主張というものが通りが良くなっちゃった。三〇年代の戦争への道の土台は、二〇年代の経済政策の誤りに少なくとも一部かかわっているということを再認識をする必要があると思うんですね。
 私は、今やはり考えなきゃいけないことは、王道を行くと、困難だけれども、こういう時期こそ周到に考えて、一番大事なことを考えましょうと。変えることは難しいことは重々分かりますけれども、財政の中身を変えて、租税の体系を変えて、政府に対する信頼を強めて、そしてやるべきことを政府がやる、そういうことが求められている時代であるというふうに私は思っております。
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