浪川攻の発言 (予算委員会公聴会)
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○公述人(浪川攻君) ただいまごあいさつをさせていただきます浪川と申します。初めに、私は、東洋経済新報社という出版社で、主に金融関係の記者をしております。正確に申し上げますと、東洋経済と記者契約を結んでやっております。主に金融関係を十五年ほど取材してまいりました。ということで、私がここでお話しできるのは、その取材をしてきたということの御報告程度でございまして、その御報告させていただく内容をお聞き願えたら有り難いと思っております。
十五年続けて同じ分野を取材してくる記者というのは、実は日本にはそう多くはありません。マスコミもサラリーマン社会ですので、大体三年ぐらいで転勤をするということで、オールラウンドプレーヤーということなんでしょうけれども、余り長く同じ分野をやっていません。私、十五年この分野やってきて、ほとほと同じようなことを何回も書いてきたなと思っております。最近は、取材しなくても手が自然に動く、そんな感じがします。非常にこれは記者としては惰性に陥ることで申し訳ない、やってはいけないことなんですが、最近、私が尊敬するエコノミストの方がこういうことを言ったときにはっと思いまして、ああ、ちゃんと取材を続けなくちゃいけないなと思ったんですが。バブル崩壊から何年という言い方を、私もしますし、政治家の先生方もよくなさる。でも、その何年というのが本当に実感を持って語られているのかなということでして、私の尊敬するエコノミストは、この間こういうことを言いました。
バブル期のピークに生まれた子供は今年中学二年生だ。もたもたもたもたやっていると、その子がもうすぐ成人式を迎えてしまうということなんですが、要するに、一人の人間の一番大事な人生の部分がこんなことで失われていいのかと、そういうことだと思います。非常にそういうことは残念であると思います。
それで、それを前提にしてちょっとお話しさせていただきますが、まず、何はともあれ予算に関する感想ということなんですけれども、率直に申し上げて、いろいろな改革だということが言われていた割にはそれが反映されたのかなというのが私にはちょっと心もとない。象徴的に言わせていただくとこういう言い方になるのかなと思うんですが、いい悪いを判断しようとしていたのが、突然程度の問題に換わっちゃったんじゃないかなと。つまり、これはやるべきことなのかやらないことなのかということを議論していたはずなのに、何%削減でいいんじゃないのという、程度の問題に置き換わっちゃったんじゃないかなという気がします。
先ほど正村先生がおっしゃったように、実は非常に目先的なことで決めていくことではないんでしょうけれども、それであればなおさらそういう程度の問題に置き換えないような議論がこれからもなされる必要があるんじゃないかなと思います。
その上で、次に、私は金融の記者なので金融関係のことをちょっとお話しさせていただきたいと思います。
この半年間ぐらい、金融分野ではいろいろなことが議論されました。例えば、過剰債務企業をどうするんだという問題が出ました。その中で、象徴的に三十社の過剰債務の大企業がありますという議論が非常に大きくクローズアップされて、その後に、じゃ金融庁は特別検査をしてそういう過剰債務の企業をいろいろ精査する必要があるんじゃないかという議論になりました。
恐らく、そこには、確かに一つの論点として金融の問題点というのがあったのは間違いないと思います。しかし、私は、記者としていつもよく分からなかったんですが、過剰債務という概念は議論されたのかということなんですね。何をもって過剰債務と言うんだということが頭に置かれて過剰債務ということが議論されたのか。一般的には、過剰債務というのは、返済能力を上回った債務を抱えたということなんですが、じゃ返済能力を上回った債務というのはどの程度のものなのか。経済が仮に科学であれば、そういう観点があってもよかったんじゃないかなと思っております。
更に言うと、その過剰債務と言われる大手企業、それが何十社かは、二十社なのか三十社なのかということなんですけれども、それに基づいて金融庁が特別検査を行うことになっている。その際に、特別検査の対象をどういうふうに選ぶかという議論が恐らくなされたはずなんですが、それは、私も取材したり、あるいは新聞報道なんかでも出ていたんですけれども、その場合の一つの価値基準として、借入残高が幾らというのと、あと急激に格付が下がった企業というのと、株価が大幅に下がった企業ということが言われたんですが、そのうちの特に一つとして、株価が大幅に下がった企業というのを聞いたとき、私は実は大変耳を疑いました。
私は、十何年、金融市場というところの取材をさせていただいてきて、政策決定の重要な尺度に市場の変動価値のものを当てるということというものの妥当性がよく分かりません。恐らく、例えばこういうことが起きるんであって、市場というのはどん欲なマネーが行き交う場ですので、そういう検査対象になるといった瞬間にある企業をねらい撃ちした売りが出てくる、さんざん現実にそれが出たわけですね。それで結局、そういうことがあって、金融庁は最近、空売り規制を発動しているわけです。
私が何を言いたいのかというと、政策決定の中に余りマーケット至上主義みたいな考え方は取り入れない方がよろしいんじゃないかということなんです。例えば、特殊法人問題がある、財投機関問題がある。その中で、今日も日本経済新聞にはそういう記事が載っていましたが、財投機関債がなかなか出せないというような話がありました。私は、財投機関債を発行するときの政策判断も政府の怠慢だと思いました。要するに、特殊法人をどうするかという個々の問題は、それこそ政府が責任を持って一つ一つ解決するものであって、マーケットに判断をゆだねるなんということではなかったんじゃないかと、そう思います。
マーケットというのは非常に凶暴ですから、適正価格というのを形成するまでには大変ぶれます。上に上がったり下に下がったり非常にぶれた結果として、最終的にいろんな不幸を積み重ねた上で適正価格というのができるのであって、予定調和のようにある日突然マーケットが適正価格を出すなんということはあり得ないわけです。つまり、その十年後なのか、あるいは五年後なのか一年後なのか分かりませんが、適正価格というものになるまでじっと待つんだったらいいんですけれども、恐らくそういうことはなかなかできないんでしょう。となると、一体そのマーケットの判断という、この言葉も非常にあいまいな言葉なんですが、そういうものにゆだねるということの価値観というのがどこにあるのか、それはもう一度みんなで考える必要があるんじゃないかなと思います。
さらに、もう一点、金融問題でお話し申し上げたいのは、四月一日から始まるペイオフの解禁に関してです。
マスコミの多くはペイオフは解禁すべきという論でありますが、私はこのタイミングでのペイオフの解禁には賛成しかねるという立場であります。
ちょっと資料を見ていただきたいんですが、ちょっと順番が逆になって恐縮です。一枚だけカラーコピーのやつなんですけれども、これ何で一枚だけカラーコピーかというと、カラーコピーが高くて一枚しかできなかったんですけれども、一番後ろから二枚目のグラフです。
これは株価とペイオフに関連する政策が決定された時期というのをちょっと重ねたものなんですが、要するにペイオフの凍結が決定されて、実施されて、ペイオフが一年延期になって、今回解禁になるということなんですけれども、ごらんのようにペイオフ解禁するというタイミングが最も株価が安くなっている。私が今申し上げたように株価で物事を判断するというのは、それだけで判断するのはおかしいと申し上げましたが、恐らく、ありとあらゆる経済指標を取ってみても、四月一日の解禁のタイミングが最もこの数年の中で厳しいんじゃないかと思います。そういう中でペイオフを解禁するという意味は何なのかと。
ペイオフ解禁に関しては、国際公約という言葉がよく使われていると思います。国際公約だからペイオフは解禁しなくちゃいけない。しかし、私が分かっている範囲では、国際公約というのが仮にあったとすれば、それは我が国が金融問題をきちんと解決するということが公約だったかもしれないけれども、ペイオフを解禁するかどうかなんという公約はなかったんじゃないかなと思うんです。少なくとも、私の友人の欧米のマスコミ関係者は日本が四月一日にペイオフを解禁するかどうかということすらもそれほど知らない。恐らく、公約というのはそういうことではなかったんじゃないかなと思います。
それで、参考になると思いますが、その今お示しした次の、最後のグラフを見ていただきたい。
これはアメリカと北欧と韓国と日本を比べました。GDPの伸び率と、あと、そこにおいてそれぞれの国が金融危機を発生して、その後に大きな決断、つまり日本におけるペイオフ解禁に見合う決断をしたときのタイミングです。簡単に言えば、日本以外は要するにペイオフあるいは公的資金を銀行から回収するというような政策を発動したのはV字形回復が確認されてからです。
しかし、しかるに我が国は今はどういうことなのか。V字形回復という言葉はあるんですが、残念ながらV字の後の上がる方じゃなくて今は下がる方にあるわけでして、そういうタイミングでやるということはかなりチャレンジングな試みじゃないかなと、そういうふうに思います。
更にペイオフに関して続けさせていただくと、実際、ペイオフを解禁できるいろいろな制度的な枠組みが整ったのかと。実はペイオフというのは金融破綻処理というだけの問題ではなくて、極めて大きな発想の転換が伴うものであります。つまり、預金というのは一〇〇%保護されるんだという下において庶民は生活してきたわけですから、それがそうではないというのは極めて大きな変化になるわけです。単に、つぶれた銀行の損失をだれが穴埋めするかという程度の話ではないわけですね。
そういったときにいろいろな法律、制度というのがそういう大変化に見合うようになっているのかという問題がありまして、例えば会計制度もそうだし、今、名寄せという問題が出てきているわけですけれども、それに関して名寄せがちゃんとできるような制度になっているのか。つまり、アメリカであれば、名寄せが物すごいやりやすいがために国民総背番号制を活用しております。この問題は日本においては甲論乙駁があるわけで、こういう議論がこういうペイオフなんかのときに出てきたのかといったら余り出てきていない。
さらに、これは恐らくこれからペイオフというのが発動されないことを祈りますが、仮に発動されたときに、発動前、つまり業務停止命令、金融庁が業務停止命令を下す前に特定の者だけが預金を解約しているということがあり得るかもしれない。インサイダー取引規制というのは証券取引にやるんですけれども、これはなかなかその証券取引というものが庶民、大衆のところまで行き渡っていないということで、なかなかそのインサイダー取引規制に対する興味というのは広がっていない。
ところが、いったん預金というもので起きたらこれは大変です。自分の預金は一千万超のところがなくなってしまったのに、だれかは全額逃げていたというようなことが起きると、これは大変なことになります。そういうような観点からの議論がなされているのか等々、あと、会計処理もそうです。非常に私はそこら辺というのが問題だなと思っております。
会計処理の問題はどういうことかといいますと、アメリカはかなり徹底した時価会計を取っておりますので、ゴーイングコンサーンといいまして、企業が生き続けることを前提にした会計監査と、企業が倒産したときの清算価値を調べる会計の資産の精査とではそれほどの差はありません。つまり、企業がある日つぶれても大幅な損失が出るということはそれほどないわけです。
ところが、日本の場合にはまだ時価会計というのが徹底されていない関係上、私は資産超過ですと言っていた会社が、いったん裁判所で法的整理をやると大変な額の債務超過になります。
例えば、今年に入ってある店頭公開企業が法的整理の決定を地裁から受けました。その会社は、その裁判所からの判定を受ける直前の決算では七十四億円程度の資産超過でした。ところが、裁判所で認定作業をした結果としてその企業はどうなったのかというと、百二十億以上の実質債務超過と認定されております。
こういう差が日本の会計にある中で、例えばある金融機関が倒産しました。でも、あそこの銀行は倒産してもそれほど損失が出るわけじゃないと思っていても、会計制度が清算のための会計制度になった場合には、巨額の損失が出る可能性があるわけです。
そういうようなところまで考えが及んでいるのかどうか。もしそういうのが全く及んでいないときに、仮にペイオフに直面するような事態になったときに、ちゃんとペイオフというものを発動できるのか。私は、官僚にそこまでをゆだねさせるのは官僚にかわいそうだと思います。大変な決断を要します。
もう時間なので、最後に一点。昭和恐慌が発生したときにばたばたと銀行がつぶれたわけですが、倒産した銀行の経営者が書いた手記というのが残っております。ある銀行経営者の手記という本でございまして、昭和十年代に出ております。国会図書館にあります。私、十年ほど前にその本を読んで大変感銘を受けたんですが、彼は最後に、粉飾決算した最後に私財提供をしております。なぜ彼は私財提供を決断したのかというと、これがまた簡単でして、預金を切り捨てられた預金者が自宅を襲うわけです。おれの預金を返せと言って、その銀行経営者の家を襲うわけです。でも、それでもまだ彼は頑張っていたんですけれども、最後に彼が私財提供をすることになったのはどういうシーンかというと、彼の子供が小学校でいじめに遭うわけです。いじめに遭って暴力を受けるわけですね。その子供たちが、おまえが、おまえの父ちゃんがうちの父ちゃんの預金を奪ったんだということでいじめるわけです。その奥さんがお願いだから私財提供して世の中に謝ってくれ、そうじゃないと子供が大変なことになる。それで彼は私財提供をするんです。
金融問題とか経済問題がきちんと解決していない中でこういう例えばペイオフ、それも本当に覚悟していたものじゃなくて、戦略的なものではないのでやると、もしかしたらそういうことが起きるかもしれません。
冒頭に申し上げたように、子供の選択肢を、もう十何年たって、バブル崩壊してから十何年たっていると。もうそろそろ、子供たちが将来幸せになる政策というのはどうなのかという観点だけでいろいろなことが検討されていいんじゃないかなと、こう思っております。
つたないお話で申し訳ございませんでした。どうもありがとうございました。(拍手)