保岡興治の発言 (憲法調査会)

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○保岡委員 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、五月八日に会議を開き、参考人として、東京大学名誉教授坂野潤治君をお呼びし、明治憲法と日本国憲法について、特に明治憲法の制定過程を中心として御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 参考人からは、
 まず、明治憲法の制定に関するこれまでの普通の憲法成立史には、自由民権運動を重視する民権派と伊藤博文らによる憲法制定の作業を重視する体制派の両者の憲法史の相互関係、及び明治憲法の制定過程と実際の運用に当たっての問題点との関連性が、ともに考えられてこなかったという問題点があるとの認識が示されました。
 その上で、伊藤博文の「憲法義解」や美濃部達吉の「憲法講話」等の諸資料からは、明治憲法が神権主義的な解釈からリベラルな解釈に至るまで多義的に解釈されていたことがわかるが、その理由は、明治憲法が、明治十四年四月に福沢諭吉を中心とした交詢社がイギリス型の議院内閣制を採用して起草したリベラルな私擬憲法案を、同年七月に井上毅が保守的な方向で手直しを行い、岩倉具視によって発表された大綱領を基礎としていたという制定過程の事情にあるとの説明がなされました。
 また、明治憲法が施行された明治二十三年以降において、板垣退助らの自由党は、議会の多数党であったにもかかわらず、議会の多数党が政権を担うとの発想を持たなかったため、明治十四年には岩倉具視の大綱領というリベラルな交詢社の私擬憲法案を基礎とした明治憲法の原案ができ上がっていたにもかかわらず、その後の大正デモクラシーのもとでの議院内閣論の再興、具体的には、大正三年の第二次大隈内閣の成立までに三十三年余りを要してしまい、このことが、明治憲法の例外的規定とも考えられた統帥権の独立について、リベラルな勢力が憲法解釈を再修正して軍部の独走を抑制するだけの時間的余裕を失わせてしまったとの考えが示されました。
 このような参考人の御意見を踏まえての質疑応答を通じて、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。
 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、
 まず、私どもが再確認をしておかなければならない点として、第一に、憲法を最高法規たらしめるについては、憲法をどのように解釈し運用していくのかという点において、政治の責任によるところが大きいということ。第二に、明治憲法体制のもとでの人権保障のあり方や統治機構の仕組み、その運用の反省に立って、日本国憲法の制定過程や運用の実際を検証していく必要があるということがございます。
 次いで、認識を新たにすべき点を挙げれば、第一に、明治憲法の成立過程というものは、従来のように民権派と体制派とに分けて考えるべきではなく、両者を統合して見ていく必要があるということ。第二に、明治憲法が天皇を元首と規定したのは、天皇に強大な権限を付与するためというより、むしろ天皇の権限を拘束する意図からであったということであります。
 最後に、今後、日本国憲法の制定過程及び運用の実際についての調査と関連して、明治憲法がリベラルな解釈運用も可能であったにもかかわらず、なぜあのような戦争に突き進んでいってしまったのかを考えると、憲法のさまざまなテーマについての解釈に当たり、政治が果たす役割の重さというものを改めて認識した次第です。
 以上、御報告申し上げます。

発言情報

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発言者: 保岡興治

speaker_id: 16198

日付: 2003-05-29

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会