伊藤公介の発言 (憲法調査会)

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○伊藤(公)委員 基本的人権の保障という分野で、私は、新しい憲法を我々が考えるに当たって環境権というものをきちっと位置づけるべきではないかという立場から、発言をさせていただきたいと思います。
 最近、アメリカのNPO、これは学者の人たちが中心となったNPOの発表で、世界じゅうの車の、いわゆる環境にどれだけ配慮された車かというリストアップが発表されました。この第一位、第二位、第三位はいずれも日本の車であります。大変いいことだと思います。今、私たちの首都東京では、知事が中心となって排ガス規制が現実に行われているところであります。
 私は、これまでも戦後日本は、資源のない国ですから、科学技術創造立国だったと思います。しかし、これからの日本は、やはりこれからも科学技術創造立国だけれども、加えて環境先進国日本、これが私はこれからのキーワードではないかというふうに常に考えてきました。
 そこで、大気汚染であるとか水質汚濁あるいは騒音、振動などの公害が、特に六〇年代後半から、私たちの国でも大きな問題になりました。あの大阪空港の騒音訴訟もその大きな一つではございましたし、あるいは名古屋の新幹線の訴訟もその一つであったと思います。環境を保全して良好な環境の中で国民が生活できるための、新しい人権としての環境権が今大きなテーマになってきているときに、私たちの基本的な憲法ということの中でもしっかり位置づけていくべきではないかというふうに私は思います。
 この環境権の概念は、それぞれの識者によっても違うところであります。一般的には、健康で快適な生活を維持する条件としてのよい環境を享受し、これを支配する権利というふうに解されているわけでありますが、この場合に、大気、水、日照、景観などの自然的な環境に限定する考え方、またもう一つは、遺跡や寺院、または公園、学校などの文化的あるいは社会的環境まで含めるという考え方もあります。
 今、私たちの現行憲法の中では、あえて環境権というふうに読めば、憲法十三条に求める幸福追求権、それから憲法二十五条のいわゆる健康で文化的な最低限度の生活を営む権利などとして読むことができると思いますが、裁判の判例をずっと見ますと、下級審の判例の中には、必ずしも環境権とうたっていませんけれども、そう読み取れる判例もあります。しかし、現実に最高裁の判決の中には、環境権という名の権利を正面から承認した判例はないと思います。
 そこで、この環境権というものを位置づける場合に、幾つかの論点があると思います。
 一つは、環境保全について、国家が負う責任として位置づけていくのか、あるいは、よい環境の享受を妨げられない国民の権利、あるいは国民がよい環境の享受を請求するという権利として位置づけるのか、あるいはその両方を位置づけていくのかという選択があると思います。それから、環境の対象でありますが、先ほど申し上げたように、いわゆる自然的な環境に限定をするのか、あるいは文化的、社会的な環境まで含めていくのかということも論点になると思います。それから、その内容及び程度であります。国が負う責務、または国民の有する権利の内容あるいは請求権の程度をどのようなものにしていくかということも大事な論点であろうと思っております。
 恐らく、環境問題に特に最近厳しく取り組んでいる、あるいは原子力発電などでもいろいろな厳しい取り組みをしているドイツの憲法には、将来の世代に対する責任において環境を保全しなければならないと制定をしています。一九八〇年代以降、それぞれの国々がきちっと憲法の中に環境権というものを位置づけています。それぞれ内容については異なるところでありますが、例えば、韓国、フィリピン、スペイン、ベルギー、ポーランド、ロシア、南アフリカ、インド、カンボジア、中華人民共和国、スイス、ドイツ、フィンランド、タイなどであります。
 私は、日本のこれからの将来を考えたときに、我々が新しい憲法の中にこの環境権というものを、日本人がどう生きていくかということも含めて、きちっと位置づけをすべきだというふうに考えます。
 以上です。

発言情報

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発言者: 伊藤公介

speaker_id: 33876

日付: 2003-05-29

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会