岡村遼司の発言 (憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会)
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○岡村参考人 不登校がなぜ起こるかということについては、多分、人それぞれの理由があって、一般化してというか、まとめて言うことはできないと思うんですね。ただ、およそのことは大体理由があり、見当がつくんだろうというふうに思うんです。
きょうの資料、せっかくつくってきた、資料にもならないんですが、一番最後の英文です。五枚目です。教育を受ける権利を行使するというのはどういうことだろう。その一、ある人の文章をそこに紹介しておきましたけれども、学校というのは、次のような、無前提の格率みたいなものですね、公理によってつくられた制度なんだ。どういう公理かというと、教えられたその結果が学習なんだ。つまり、教師がしゃべったことを受け入れることがラーニングだ、そういう考え方です。これが一つ。
それからもう一つは、そういう学校教育を長い間受けていくと、いろいろな知恵がつきます。つまり、学校で、ある意味でいえば、つくったところの知恵のことをインスティチューショナル・ウイズダムというふうに言うんだろうと思うんですけれども、ある意味では学校を受け入れた子供たちというのは、学校そのもののあり方そのものを受け入れてしまうという。だけれども、実際には、学校に行かなければ世の中で困るかどうかということについて言えば、例外はいっぱいあるわけですよね。大変卑近な例かもしれないけれども、学力は低いけれども計算力は高いとか、計算高いかな、何かそういうのは随分あるから。
もう一つだけです。三番目、見てください。学校というところは私たちに、教授、先生がしゃべるそのこと、インストラクション、そのことが子供たちの学ぶという学習を生み出すんだ。それから、学校があるということが、学校教育の必要性、あるいは要求というものを生み出しているんだ。そして僕たちは、あるいは我々が一たん学校というものの必要性を学んでしまえば、我々は社会に出ても、ある意味でいえば、ここはおもしろい言い方だと思うんですけれども、シェープ・オブ・クライアント・リレーションシップ、つまり、医者と患者の関係でいえば、いつでも患者のような形でその力を持っている人たちに対して態度を示すというか、つまり、そういう意味でいえば、学校というのは大変子供たちにとって窮屈だったということだろうと思うんですね。
もちろんずるで休む子供もいるかもしれないけれども、僕はかなり個人的にもそういう子供たちとつき合っていて、それから定時制の大変ワルと言われる子供たちともつき合ってみて、やはり僕も余り行きたくなかった、そういう思いがあったから、だから逆に言えば、学校へどんどん喜んで行くという状況に今我々の社会はないということの一つのあらわれだ。だから、逆に言えば、基本を変えてじゃなくて、本当に子供たちが行きたくなるような、そういう教育実践というものをある意味では実現していくことが僕たちに課されている。自由にならないことかもしれませんけれども。
実は、これは来年度ですか、東京都の八王子は、登校拒否なり不登校を起こしている子供たちだけを集めた学校をつくるというような、そういう政策、難しい学校だなと思いますけれども、やっています。したがって、みんな金太郎あめのような、そういう一律の性格を持った学校でない学校があちこちにできれば、こういう子供たちは違ったところで自分の力を発揮する可能性を見つけるんじゃないでしょうか。