鳥居泰彦の発言 (憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会)
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○鳥居参考人 モラルの低下のかなりの部分が、今水島先生のおっしゃる他者の権利ということを考えることができなくなっているということだということについては、私も全く同感であります。
ただ、その前に、モラルの低下という現象全体を眺めてみますと、他者の権利の問題だけではなくて、その他さまざまの問題があるように思うんです。少し言い過ぎかもしれませんけれども、モラルの教育の原点は、子供が母の胎内にいるときから始まると言われています。そして、これも有名な、「人生で一番大切なことは、幼稚園の砂場で教わった」という題の本がありますけれども、あの本の冒頭に書かれていることをずっと読んでみますと、ほとんど我々がモラルという言葉であらわしている事柄が全部出てきます。そして、それらは幼稚園で教わったということが強調されています。
私たちは、改めて今、水島先生のおっしゃる、モラルというのが一体どの範囲であるかということについての社会のコンセンサスをもう一回再構築すべきではないかと思っています。その再構築すべきモラルの範囲というのは相当広いものであって、その中に今おっしゃる他者の権利も含まれているというふうに思います。
今、他者の権利についてのみ限定してお答えを申し上げますと、私たちは、他者の権利ということは、自分自身が他者とのかかわりにおいて感ずる喜びということもまた含まなければならないというふうに思いまして、そのことを教える場は、まず何といっても家庭と、普通の成長過程における、子供それぞれの世代における社会的生活であるというふうに思うんです。
そのようなことを実現する場は、したがって家庭、それから幼稚園、電車の中、バスの中、あらゆる場所だと思います。そういうところでは、学校では絶対にできないモラル教育を私たちはできるんです。それをやる場所をやはり私たちは社会全体として構築する、その雰囲気をつくる。その雰囲気をつくる場としては学校の先生も重要な役割を果たすと思いますけれども、何といっても、繰り返しになりますが、家庭であり社会であるというふうに思っています。最後に、同時に、それをさらに学校が補強するという役割を果たすんだと思っています。