堀部政男の発言 (憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会)

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○堀部参考人 おはようございます。中央大学法学部の堀部政男です。
 衆議院憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会におきまして、知る権利やアクセス権とプライバシー権について意見を述べる機会を与えられましたことを大変光栄に存じます。
 私は、四十年以上にわたりまして、知る権利、情報公開、プライバシー、個人情報の保護のあり方について研究してまいりました。また、地方自治体や国における制度化にもかかわってきています。プライバシーにつきましては特に国際的にも議論をしてきておりまして、さまざまな機会に国際会議にも出席し、そこでスピーチをしたりあるいは討論に加わってきております。
 国際的という面でいいますと、経済協力開発機構、OECDでも、また後ほど申し上げますようなプライバシーについてのガイドラインを採択しておりますが、それを現在どうするのかというような議論をしています情報セキュリティー・プライバシー作業部会というのがありまして、その副議長を一九九六年以降務めております。
 そのような経験をもとに、きょうの問題につきまして意見を述べさせていただきたいと思います。
 お手元に資料を、私の名前のものが三つあるかと思います。一つは「日本と世界の知る権利・情報公開論議」、二つ目が「日本と世界のプライバシー・個人情報保護論議」、三つ目が「日本と世界のアクセス権と知る権利・プライバシー権」というものです。これらに沿いながら、私が考えていますことをこれから申し上げていきます。
 自己紹介を兼ねて新聞の記事を幾つか用意いたしましたので、それをごらんいただきたいと思います。多分最初のところにあるかと思いますが、今から六年前に一橋大学を退官いたしますときに、最終講義をいたしました。それが記事として出たものであります。二つの記事を一緒にしまして送別会のときに配ったものです。この下の日付が抜けていますけれども、昭和四十二年、一九六七年ですので、それより三十年前の顔写真であります。こういう若いときがあったということをまず御認識いただきたいということで、これをごらんいただきたいと思います。
 まず、知る権利、情報公開について見ていきたいと思います。お手元の資料一をごらんいただきたいと思います。
 これまでの日本における知る権利、情報公開の議論を五つに分けて見るとよろしいのではないかと考えまして、そのように時期区分をしてみました。お手元の資料の一ページ目のIIのところに、「日本における知る権利・情報公開論議——知る権利・情報公開関係クロノロジー」ということで表にしたものであります。
 この中の、算用数字が三ページにわたりまして5までありますが、それぞれの算用数字のところが、私が仮に分類しています時期区分のそれぞれの期に当たりまして、第一期といたしますと、「知る権利認識・制度化提唱期」とでも言える時期であります。第二期が、「情報公開制度化提唱・実現期」とでも言えるものであります。第三期が、「自治体情報公開制度運用・情報公開法検討期」とでも言えるかと思います。第四期ですが、情報公開法要綱案、中間報告でありますけれども、これが公表されまして、自治体が情報公開制度の再検討を始めた時期であります。第五期といたしますと、情報公開法等が運用されている時期であります。
 まず、第一期から見てまいりますと、日本では、知る権利という言葉は比較的早い時期から使われていたと言うことができます。一九四八年の新聞週間の標語で、「あらゆる自由は知る権利から」というのが出ております。その当時は公募したものではありませんで、アメリカの同種の催しで使われた言葉をこのように訳したものであります。アメリカの言葉は、その後に書きましたように、「ユア ライト ツー ノウ イズ ザ キー ツー オール ユア リバティーズ」ということでありまして、あなたの知る権利はあなたのすべての自由へのかぎである。そのように散文的に訳したのでは標語にならないわけでありまして、それを「あらゆる自由は知る権利から」、このように訳したと言えるわけであります。
 その後も、知る権利につきましては法学界におきましてもかなり関心が高まりまして、検討してまいりました。これもアメリカの判例の中で、知る権利ですとか知る自由とか、あるいは情報を受ける権利とか聞く権利、読む権利、情報を受ける側からとらえる、こういう考え方がありまして、表現をする側の表現の自由は以前から認められているわけでありますけれども、それを受ける側の権利として構成する、こういう議論を日本の法学界でも五〇年代、特に後半に行うようになっております。
 そういう時期に、一九五三年の新聞週間の代表標語では「報道の自由が守る“知る権利”」というのが出ておりますし、全国図書館大会の「図書館の自由に関する宣言」の中では「知る自由」という言葉が使われております。これは一九五四年です。さらに、一九五八年には、東京地方裁判所が知る権利という言葉を判決の中で使っております。これは公職の候補者に関するものでありまして、このような用例がありました。
 日本でこういう知る権利を具体的にどのようにとらえるのかという議論に大きな影響を与えましたのが、アメリカの一九六六年の情報自由法であります。これは、フリーダム・オブ・インフォメーション・アクトというふうに言うものでありますが、これがアメリカでジャーナリストの運動として出てまいりまして、それを連邦議会が行政手続法の改正という形でこの法律を制定いたしました。日本でも、私たち研究者は、この法律を見まして、それまでにない考え方が出ているということで、日本でこの種のものはどうなんだろうかということを議論したことがございます。
 そういう中で、一九六〇年代も終わりの方になりまして、一九六九年に最高裁でも、悪徳の栄え事件の大法廷判決の中で知る自由という言葉が反対意見の中で使われる、さらに、博多駅テレビフィルム提出命令事件の最高裁大法廷決定の中で、報道機関の報道は国民の知る権利に奉仕するものである、このようなものが出てまいりました。
 そうした戦後における流れの中で、一九七〇年代に入りまして、一九七一年にアメリカのベトナム秘密文書報道事件が生じます。この際にも知る権利ということがアメリカでも議論になりましたし、日本でもかなり議論をいたしました。日本新聞協会が募集して新聞週間のときに発表しています新聞週間の標語というのは、その時代時代を映していると見ることもできるわけでありまして、一九七一年のアメリカのベトナム秘密文書報道事件のときの新聞週間の標語では、「知る権利知らせる自由が呼ぶ平和」、こういうものが出ています。
 そうした議論をしているうちに、一九七二年の三月になりまして、沖縄返還に伴います密約があったのではないか、それを示す電文漏えい事件が生じました。これをめぐって大きな議論になりまして、学界でもこれについて検討をいたしました。
 そういう際に、知る権利というのがどうなっているのかということで議論をいたしまして、その前から新聞界の人などといろいろ議論をしている中で、日本でもジャーナリストが知る権利ということをもっと主張してもいいのではないかというようなことも言ってまいりましたので、一九七〇年代に入る前後からそうした議論をしてまいりましたけれども、一九七二年に日本で沖縄密約電文漏えい事件が生じましたときにも同様な議論をいたしました。しかし、これらの時期におきましては、情報公開の制度化といいましても、ほとんど関心が払われなかったところであります。
 次いで、一九七〇年代の後半に入りまして、一九七六年の二月にロッキード事件が明るみに出ました。その際に、私の専門の分野からロッキード事件を見たらどうなるのか何かまとめてみてほしい、そういう依頼を受けて書きましたのが、新聞の記事で二枚目のところですけれども、昭和五十一年、一九七六年四月十二日の毎日新聞の社会面にこういう形で出たものであります。
 そこでは、ロッキード事件を見るに当たって、知る権利を請求権としての知る権利という観点からとらえてみまして、しかも、アメリカの一九六六年の情報自由法といいますのは、これはその後の判例による解釈ですけれども、何人、エニーパーソンに対して情報を利用できるようにしなければならない、言いかえますと、何人も請求権を持っている、こういう解釈をとります。しかも、その何人という中には外国人も含むんだという判決もあったりいたしましたので、それを念頭に置きながらこの論稿はまとめてみたものであります。
 この時期になりますと情報公開法という言葉を使うようになっていまして、そうした観点から一九七〇年代後半に議論が盛んになってまいります。
 いろいろ経過はございますが、そういう中で、地方公共団体の中でも特に神奈川県がこの問題に関心を示しまして、議論に参加したりする依頼を受けまして検討をいたしました。そこで、神奈川県では、日本の法制度の中で情報公開条例という形のものをつくることは可能かどうか、法的にも随分議論をいたしまして、それをもとに条例化を図る、こういうことをしてまいりました。ですから、第二期は、情報公開制度化につきまして提唱しまして、それが実現してきた時期でもあります。
 第三期になりましてそれが実際に運用されるようになりますと、他の自治体でも同じように条例をつくり、また運用していくという時期に一九八〇年代は入るわけでありますが、それとともに、国におきましても、七九年には既に国会でも情報公開についての議論が行われたりしていました。国では一九八〇年には、情報公開について、それを進めるための文書を出すというようなこともしてまいりました。
 そのころ、後に触れますOECD、経済協力開発機構のプライバシーガイドラインについて議論がありまして、当時の行政管理庁でいろいろ議論に参加しておりましたので、国における考え方、それから自治体における考え方、それらを調整しつつ、法令の範囲内におきまして制度化を目指す議論をしてまいりました。
 第三期になりますと、国でもこの問題に対する関心が高まってまいりまして、さまざまな検討をしてまいります。しかし、国で制度化に正面から取り組むようになりましたのは、一九九四年の行政改革委員会設置法の制定によるわけでありまして、この行政改革委員会が一九九四年の十二月十九日に発足いたしました。そのもとで、一九九五年の三月十七日から行政改革委員会行政情報公開部会が審議を始めます。専門委員というふうに部会の委員は全部呼ばれましたが、その一員といたしまして、日本における情報公開法のグランドデザインを描く仕事もしてまいりました。
 この行政改革委員会行政情報公開部会が、第四期として私は位置づけておりますが、九六年の四月二十四日に、行政改革委員会行政情報公開部会中間報告ということで、情報公開法要綱案を公表いたしました。この時期になりますと、地方公共団体で既に条例はかなりできていましたが、やはり国が一つの基準を示すということになりまして、自治体におきまして再検討するということが出てまいりました。そういう時期として第四期は特徴づけられると見ております。
 そして、情報公開法案が国会に提出されまして、成立いたしましたのが一九九九年の五月七日でありまして、五月十四日に公布されました。この情報公開法が二〇〇一年の四月一日に施行されまして、さらに、当時は特殊法人の情報公開をどうするのかという議論をしてまいりましたが、その特殊法人の情報公開について検討する委員会にも加わりまして、そのあり方を議論してまいりました。それが後に、独立行政法人等情報公開法ということで二〇〇一年の十二月五日に公布されまして、二〇〇二年十月一日、昨年の十月一日から独立行政法人等情報公開法が施行されています。これは、運用期としてとらえることができるところであります。
 このように、知る権利という、日本国憲法には明文の規定はありませんが、憲法二十一条の表現の自由の中に含めて学界では解釈をしたりいたしまして、その議論の上に立ちまして、知る権利を具体的に実現する方法といたしまして、情報公開の制度化ということを議論し、それが実現するに至ったところであります。
 次に、プライバシー、個人情報保護についてでありますが、資料二をごらんいただきたいと思います。
 これも同じように時期区分をしていますが、第一期は、「プライバシー権認識・制度化提唱期」であります。第二期が、一ページ目の下の方の「プライバシー権制度化提唱・実現期」であります。二ページの中ほどより少し下の第三期でありますが、「行政機関個人情報保護法検討制定・個人情報保護ガイドライン策定・都道府県個人情報保護制度化期」というふうに言っております。第四期としますと、三ページに掲げましたが、「個人情報保護基本法制提案・議論期」ということで、現在国会におきまして審議がされております時期をここでとらえております。
 情報公開法につきましては、既に施行されていますので、それを第五期といたしましたが、個人情報保護法につきましては、第五期がいつから始まるのか今のところまだわかりませんけれども、そういう状況で、第五期はここでは入れておりません。
 日本における議論は、ここでは第一期として一九五〇年代の議論を挙げておりますけれども、一九二〇年代、一九三〇年代におきましても、アメリカの議論の紹介が、新聞紙法が当時ありましたので、その新聞紙法の解説などでなされています。しかし、その時期は、この言葉に対する関心はありませんでした。
 第二次大戦後の日本国憲法の制定によりまして、二十一条で表現の自由が保障され、そういう中で、個人の私生活を暴露したりする記事等も多く出てくる。それに対して、学界としてどのようにそれに対応するのかということで議論がなされるようになりまして、その際に、アメリカのプライバシー権が研究の対象になってまいりました。一九五〇年代、特に後半におきまして、アメリカの論文などを日本でも随分検討しながら、日本においてどうあるべきなのかという議論をしております。
 そういう中で、一九六一年に、三島由紀夫氏の小説「宴のあと」によりプライバシーを侵害されたとする訴訟が提起されまして、ここでプライバシー権への関心が増大してまいりました。この訴訟に関する東京地裁の判決が一九六四年の九月二十八日に出まして、プライバシーの権利を、私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利と理解しております。
 このように、日本でメディアとの関係でプライバシーの議論が行われていた時期に、アメリカでは、コンピューター化との関係でプライバシーについての議論が盛んに行われるようになりました。
 そこでは、プライバシーというのは何なのか、あるいはプライバシーの権利というのはどのようにとらえるべきなのかという論争もありまして、そういう中から出てまいりましたのが、自己に関する情報の流れをコントロールする個人の権利というような考え方であります。日本では、これをさらに省略しまして、自己情報コントロール権などと呼んでいるところでありますが、こうした考え方がアメリカで出てまいりまして、これが世界に広がっていきます。
 ヨーロッパでは、そうしたプライバシーの権利と一対一で対向する言葉がないところから、これは日本も同じなんですが、当時プライバシーというのをどう日本語にするか、大分議論をいたしましたけれども、例えば、私生活ですとか秘密とか秘匿とか私事とか、それに権利をつけていろいろ言いましたが、いずれも日本語として定着することなく、片仮名でプライバシーと書いて日本語化したような状況であります。
 ヨーロッパ大陸におきましても、プライバシーという英語に対応する言葉がないものですから、例えばドイツですとプリバート・スフェーレという、私的領域とでも訳せる言葉を使ったり、フランスではラ・ビ・プリベという、私生活と訳すことができる言葉、これはフランス民法の中にある言葉でもあるんですが、そうしたものをプライバシーに対応する言葉として使ったりもしていました。
 そういう中で、ヨーロッパでは、考え方としますと同じような、個人の利益を保護する、そのためには、ヨーロッパでは体系的に法律をつくることにたけていますので、そこでデータ保護法というものが制定されたりするようになります。ヨーロッパでは一九七〇年代に入りましてそれが顕著になってまいりました。日本でもそうした状況を踏まえまして制度化を提唱いたしましたが、やはり七〇年代の前半におきましては、そうした認識は日本では広まりませんでした。
 七〇年代の後半に入りまして、ここが第二期でありますが、中葉から議論が活発化してくるということにもなります。その背景には、日本におけるコンピューター化の議論があるわけでありますが、そういう中で、一ページの一番下の一九七五年に、東京都の国立市が電子計算機処理条例の中で個人的秘密の保護ということを規定いたしまして、これが日本で最初のプライバシー保護条例であるというふうに見られたりもしております。この国立市の条例がきっかけになりまして、自治体で条例化が進んでまいりました。
 そのころ、この問題についてもいろいろ議論をいたしまして、ヨーロッパの状況、それからアメリカでも、一九七四年にプライバシーアクト、プライバシー法というもの、これは連邦の行政機関を対象にしたものでありますが、そうしたものができたりしていますので、日本でもそういうものを参考にしながら立法化の問題を考えてみてはどうかということを学界では議論をしてまいりました。
 そういう中で、アメリカとヨーロッパがそれぞれ個人情報の保護についても考え方が異なるところから、それを調整するための議論が一九七八年からOECDで始まります。当時は、日本国内におきましてその問題について意見を聞かれて意見を述べたりいたしましたが、一九七九年の秋に開かれました国際会議で、日本側からは私が出まして、あと、OECDのこの問題の担当者、アメリカの商務省の次官補で電気通信を担当している方、その三人が同じセッションで議論をいたしまして、その関係でこのOECDの資料等は当時かなり早い時期に入手いたしまして、それをまた分析をいたしました。
 このOECDの理事会勧告が一九八〇年の九月二十三日に採択されました。そこで八原則が示されておりまして、こういうものをもとに当時の行政管理庁でプライバシー保護研究会ができまして、そこで日本におけるあり方を検討いたしました。そのとき既に今日言う包括的個人情報保護法を考えてはどうかということをまとめております。これは一九八二年の七月でありますが、しかし同時に、行政改革の議論がありまして、その中では、一九八三年の三月に臨時行政調査会の最終答申が出まして、そこでは行政機関に対する信頼を確保するために個人情報の保護を図るべきである、こういうことになりました。
 そうした中で、今度は第三期になりますが、行政機関における個人情報の保護につきまして検討するようになり、そのときは総務庁でありましたけれども、そのメンバーとして海外調査などもして、報告をまとめました。一九八〇年のOECD理事会勧告の後の行政管理庁のプライバシー保護研究会のときにも、海外の幾つかの国の関係者とは意見交換などもしてきております。
 そうした中で、日本でも一九八八年には、行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律が制定され、今日に至っています。民間をどうするのかということが当時も大きな議論になりまして、衆参両院の附帯決議の中でも、民間部門について検討すべきであるということがありましたが、むしろ民間については八〇年代の半ばから関係省庁で検討するということで、法律の議論にまではいきませんでした。
 そういう経過の中で、これは第四期になりますが、一九九九年の五月六日に、衆議院の地方行政委員会で住民基本台帳法の改正法案についての参考人質疑がありまして、そのとき参考人で招致されましたとき、かなり多くの先生方から、包括的個人情報保護法が必要と思うがどうか、こういうことで意見を求められました。その段階では、包括的個人情報保護法ができればいいけれども、日本ではなかなかそういう状況にないということを申し上げましたが、その後、六月になりまして、住民基本台帳法改正法案の審議の中で、個人情報保護について議論が高まりまして、九九年の七月には、高度情報通信社会推進本部で個人情報保護検討部会ができまして、その座長としてその後の取りまとめに当たってまいりました。その後の経過もございますが、それが現在、参議院におきまして審議されております個人情報保護法案になっております。
 大きな第三といたしまして、これまで述べてまいりました知る権利、プライバシー権というのをちょっと別の角度から見てみますと、それがアクセス権ということでとらえることができるかと思います。
 日本では、海外の状況、いろいろ学界では検討はするんですが、どうしても日本国内との関係で論ずるものですから、トータルに問題をとらえていないところがあると言ってもいいかと思います。これまでのものも、英語圏ではむしろこのアクセス権、ライト・オブ・アクセスという言葉で表現している場合がかなりありました。
 資料三に、そのアクセス権という言葉の用例をかなり挙げておきましたけれども、ライト・オブ・アクセス・ツーという前置詞の目的語に非常に多くの名詞が来るものがあります。その中のライト・オブ・アクセス・ツー・マスメディアという、マスメディアに対するアクセス権というのを一九七四年に提起いたしましたが、それとともに、これまで述べてきたところからも明らかなように、その問題が論じられた時期には、情報公開ですとか個人情報保護についても同時に議論をしていましたので、その権利概念としてはこのアクセス権というもので整理してみてはどうか、こういうことも当時論じたことがあります。
 外国の立法例がこの二枚目のところにありますが、これは、英訳されたものを見ますと、かなり多くの法律の中でアクセス権という言葉が使われております。この点でいきますと、きょうの小委員会における議論も、知る権利・アクセス権とプライバシー権となっていまして、知る権利とほぼ同義のものとして使っている側面があるんですが、それとともに、自分の情報へのアクセス権、自己情報アクセス権という現代的なプライバシー権の中核になります考え方もこのアクセス権ということでとらえられております。それらの具体的事例をこの資料の中で、特にイギリスにおける用例を挙げております。
 日本でそのことを、アクセス権ということで議論もしてきておりますが、これもプライバシー権以上に日本語になりにくい言葉でありまして、いろいろ訳を試みましたけれども、どれもうまく日本語にならない。例えば、接近権というような訳をつけてみたりもしましたが、これもどうも日本語にならないというようなことで、アクセス権というふうに言っております。
 一九七〇年の半ばにそのことを議論いたしましたがなかなか理解されませんで、新聞社の試験問題などに私の本が出た年に出ているんですが、環境アセスと間違えて書いている答案があったというのもありますし、非常にこっけいなのは、この狭い日本でアクセスせずに生きる基本的人権とかという答案を書いた人がいるということであります。
 そのような理解しかなされていないところでありますけれども、むしろ国際的には、アクセス権というのはかなり広く、知る権利、プライバシー権も含めて、使われている概念でもありますので、そうした観点からこの権利についても検討する必要があろうかと思います。
 いろいろ申し上げたいことはございますが、とりあえず、最初の問題提起は以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 115604186X00320030515_002

発言者: 堀部政男

speaker_id: 15152

日付: 2003-05-15

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会