憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会
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会
会議録情報#0
平成十五年五月十五日(木曜日)
午前九時二分開議
出席小委員
小委員長 大出 彰君
伊藤信太郎君 倉田 雅年君
谷本 龍哉君 長勢 甚遠君
野田 毅君 葉梨 信行君
平林 鴻三君 小林 憲司君
今野 東君 水島 広子君
太田 昭宏君 武山百合子君
春名 直章君 北川れん子君
井上 喜一君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
憲法調査会会長代理 仙谷 由人君
参考人
(中央大学法学部教授) 堀部 政男君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
五月十五日
小委員谷本龍哉君三月十八日委員辞任につき、その補欠として谷本龍哉君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員今野東君及び北川れん子君三月二十日委員辞任につき、その補欠として今野東君及び北川れん子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員井上喜一君四月十七日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員野田聖子君同日委員辞任につき、その補欠として伊藤信太郎君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員伊藤信太郎君同日委員辞任につき、その補欠として野田聖子君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
基本的人権の保障に関する件(知る権利・アクセス権とプライバシー権)
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この発言だけを見る →午前九時二分開議
出席小委員
小委員長 大出 彰君
伊藤信太郎君 倉田 雅年君
谷本 龍哉君 長勢 甚遠君
野田 毅君 葉梨 信行君
平林 鴻三君 小林 憲司君
今野 東君 水島 広子君
太田 昭宏君 武山百合子君
春名 直章君 北川れん子君
井上 喜一君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
憲法調査会会長代理 仙谷 由人君
参考人
(中央大学法学部教授) 堀部 政男君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
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五月十五日
小委員谷本龍哉君三月十八日委員辞任につき、その補欠として谷本龍哉君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員今野東君及び北川れん子君三月二十日委員辞任につき、その補欠として今野東君及び北川れん子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員井上喜一君四月十七日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員野田聖子君同日委員辞任につき、その補欠として伊藤信太郎君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員伊藤信太郎君同日委員辞任につき、その補欠として野田聖子君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
基本的人権の保障に関する件(知る権利・アクセス権とプライバシー権)
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大
大出彰#1
○大出小委員長 これより会議を開きます。
基本的人権の保障に関する件、特に知る権利・アクセス権とプライバシー権について調査を進めます。
本日は、参考人として中央大学法学部教授堀部政男君に御出席をいただいております。
この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
本日の議事の順序について申し上げます。
まず、堀部参考人から知る権利・アクセス権とプライバシー権について、情報公開法制、個人情報保護法制を含め御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、堀部参考人、お願いいたします。
この発言だけを見る →基本的人権の保障に関する件、特に知る権利・アクセス権とプライバシー権について調査を進めます。
本日は、参考人として中央大学法学部教授堀部政男君に御出席をいただいております。
この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
本日の議事の順序について申し上げます。
まず、堀部参考人から知る権利・アクセス権とプライバシー権について、情報公開法制、個人情報保護法制を含め御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、堀部参考人、お願いいたします。
堀
堀部政男#2
○堀部参考人 おはようございます。中央大学法学部の堀部政男です。
衆議院憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会におきまして、知る権利やアクセス権とプライバシー権について意見を述べる機会を与えられましたことを大変光栄に存じます。
私は、四十年以上にわたりまして、知る権利、情報公開、プライバシー、個人情報の保護のあり方について研究してまいりました。また、地方自治体や国における制度化にもかかわってきています。プライバシーにつきましては特に国際的にも議論をしてきておりまして、さまざまな機会に国際会議にも出席し、そこでスピーチをしたりあるいは討論に加わってきております。
国際的という面でいいますと、経済協力開発機構、OECDでも、また後ほど申し上げますようなプライバシーについてのガイドラインを採択しておりますが、それを現在どうするのかというような議論をしています情報セキュリティー・プライバシー作業部会というのがありまして、その副議長を一九九六年以降務めております。
そのような経験をもとに、きょうの問題につきまして意見を述べさせていただきたいと思います。
お手元に資料を、私の名前のものが三つあるかと思います。一つは「日本と世界の知る権利・情報公開論議」、二つ目が「日本と世界のプライバシー・個人情報保護論議」、三つ目が「日本と世界のアクセス権と知る権利・プライバシー権」というものです。これらに沿いながら、私が考えていますことをこれから申し上げていきます。
自己紹介を兼ねて新聞の記事を幾つか用意いたしましたので、それをごらんいただきたいと思います。多分最初のところにあるかと思いますが、今から六年前に一橋大学を退官いたしますときに、最終講義をいたしました。それが記事として出たものであります。二つの記事を一緒にしまして送別会のときに配ったものです。この下の日付が抜けていますけれども、昭和四十二年、一九六七年ですので、それより三十年前の顔写真であります。こういう若いときがあったということをまず御認識いただきたいということで、これをごらんいただきたいと思います。
まず、知る権利、情報公開について見ていきたいと思います。お手元の資料一をごらんいただきたいと思います。
これまでの日本における知る権利、情報公開の議論を五つに分けて見るとよろしいのではないかと考えまして、そのように時期区分をしてみました。お手元の資料の一ページ目のIIのところに、「日本における知る権利・情報公開論議——知る権利・情報公開関係クロノロジー」ということで表にしたものであります。
この中の、算用数字が三ページにわたりまして5までありますが、それぞれの算用数字のところが、私が仮に分類しています時期区分のそれぞれの期に当たりまして、第一期といたしますと、「知る権利認識・制度化提唱期」とでも言える時期であります。第二期が、「情報公開制度化提唱・実現期」とでも言えるものであります。第三期が、「自治体情報公開制度運用・情報公開法検討期」とでも言えるかと思います。第四期ですが、情報公開法要綱案、中間報告でありますけれども、これが公表されまして、自治体が情報公開制度の再検討を始めた時期であります。第五期といたしますと、情報公開法等が運用されている時期であります。
まず、第一期から見てまいりますと、日本では、知る権利という言葉は比較的早い時期から使われていたと言うことができます。一九四八年の新聞週間の標語で、「あらゆる自由は知る権利から」というのが出ております。その当時は公募したものではありませんで、アメリカの同種の催しで使われた言葉をこのように訳したものであります。アメリカの言葉は、その後に書きましたように、「ユア ライト ツー ノウ イズ ザ キー ツー オール ユア リバティーズ」ということでありまして、あなたの知る権利はあなたのすべての自由へのかぎである。そのように散文的に訳したのでは標語にならないわけでありまして、それを「あらゆる自由は知る権利から」、このように訳したと言えるわけであります。
その後も、知る権利につきましては法学界におきましてもかなり関心が高まりまして、検討してまいりました。これもアメリカの判例の中で、知る権利ですとか知る自由とか、あるいは情報を受ける権利とか聞く権利、読む権利、情報を受ける側からとらえる、こういう考え方がありまして、表現をする側の表現の自由は以前から認められているわけでありますけれども、それを受ける側の権利として構成する、こういう議論を日本の法学界でも五〇年代、特に後半に行うようになっております。
そういう時期に、一九五三年の新聞週間の代表標語では「報道の自由が守る“知る権利”」というのが出ておりますし、全国図書館大会の「図書館の自由に関する宣言」の中では「知る自由」という言葉が使われております。これは一九五四年です。さらに、一九五八年には、東京地方裁判所が知る権利という言葉を判決の中で使っております。これは公職の候補者に関するものでありまして、このような用例がありました。
日本でこういう知る権利を具体的にどのようにとらえるのかという議論に大きな影響を与えましたのが、アメリカの一九六六年の情報自由法であります。これは、フリーダム・オブ・インフォメーション・アクトというふうに言うものでありますが、これがアメリカでジャーナリストの運動として出てまいりまして、それを連邦議会が行政手続法の改正という形でこの法律を制定いたしました。日本でも、私たち研究者は、この法律を見まして、それまでにない考え方が出ているということで、日本でこの種のものはどうなんだろうかということを議論したことがございます。
そういう中で、一九六〇年代も終わりの方になりまして、一九六九年に最高裁でも、悪徳の栄え事件の大法廷判決の中で知る自由という言葉が反対意見の中で使われる、さらに、博多駅テレビフィルム提出命令事件の最高裁大法廷決定の中で、報道機関の報道は国民の知る権利に奉仕するものである、このようなものが出てまいりました。
そうした戦後における流れの中で、一九七〇年代に入りまして、一九七一年にアメリカのベトナム秘密文書報道事件が生じます。この際にも知る権利ということがアメリカでも議論になりましたし、日本でもかなり議論をいたしました。日本新聞協会が募集して新聞週間のときに発表しています新聞週間の標語というのは、その時代時代を映していると見ることもできるわけでありまして、一九七一年のアメリカのベトナム秘密文書報道事件のときの新聞週間の標語では、「知る権利知らせる自由が呼ぶ平和」、こういうものが出ています。
そうした議論をしているうちに、一九七二年の三月になりまして、沖縄返還に伴います密約があったのではないか、それを示す電文漏えい事件が生じました。これをめぐって大きな議論になりまして、学界でもこれについて検討をいたしました。
そういう際に、知る権利というのがどうなっているのかということで議論をいたしまして、その前から新聞界の人などといろいろ議論をしている中で、日本でもジャーナリストが知る権利ということをもっと主張してもいいのではないかというようなことも言ってまいりましたので、一九七〇年代に入る前後からそうした議論をしてまいりましたけれども、一九七二年に日本で沖縄密約電文漏えい事件が生じましたときにも同様な議論をいたしました。しかし、これらの時期におきましては、情報公開の制度化といいましても、ほとんど関心が払われなかったところであります。
次いで、一九七〇年代の後半に入りまして、一九七六年の二月にロッキード事件が明るみに出ました。その際に、私の専門の分野からロッキード事件を見たらどうなるのか何かまとめてみてほしい、そういう依頼を受けて書きましたのが、新聞の記事で二枚目のところですけれども、昭和五十一年、一九七六年四月十二日の毎日新聞の社会面にこういう形で出たものであります。
そこでは、ロッキード事件を見るに当たって、知る権利を請求権としての知る権利という観点からとらえてみまして、しかも、アメリカの一九六六年の情報自由法といいますのは、これはその後の判例による解釈ですけれども、何人、エニーパーソンに対して情報を利用できるようにしなければならない、言いかえますと、何人も請求権を持っている、こういう解釈をとります。しかも、その何人という中には外国人も含むんだという判決もあったりいたしましたので、それを念頭に置きながらこの論稿はまとめてみたものであります。
この時期になりますと情報公開法という言葉を使うようになっていまして、そうした観点から一九七〇年代後半に議論が盛んになってまいります。
いろいろ経過はございますが、そういう中で、地方公共団体の中でも特に神奈川県がこの問題に関心を示しまして、議論に参加したりする依頼を受けまして検討をいたしました。そこで、神奈川県では、日本の法制度の中で情報公開条例という形のものをつくることは可能かどうか、法的にも随分議論をいたしまして、それをもとに条例化を図る、こういうことをしてまいりました。ですから、第二期は、情報公開制度化につきまして提唱しまして、それが実現してきた時期でもあります。
第三期になりましてそれが実際に運用されるようになりますと、他の自治体でも同じように条例をつくり、また運用していくという時期に一九八〇年代は入るわけでありますが、それとともに、国におきましても、七九年には既に国会でも情報公開についての議論が行われたりしていました。国では一九八〇年には、情報公開について、それを進めるための文書を出すというようなこともしてまいりました。
そのころ、後に触れますOECD、経済協力開発機構のプライバシーガイドラインについて議論がありまして、当時の行政管理庁でいろいろ議論に参加しておりましたので、国における考え方、それから自治体における考え方、それらを調整しつつ、法令の範囲内におきまして制度化を目指す議論をしてまいりました。
第三期になりますと、国でもこの問題に対する関心が高まってまいりまして、さまざまな検討をしてまいります。しかし、国で制度化に正面から取り組むようになりましたのは、一九九四年の行政改革委員会設置法の制定によるわけでありまして、この行政改革委員会が一九九四年の十二月十九日に発足いたしました。そのもとで、一九九五年の三月十七日から行政改革委員会行政情報公開部会が審議を始めます。専門委員というふうに部会の委員は全部呼ばれましたが、その一員といたしまして、日本における情報公開法のグランドデザインを描く仕事もしてまいりました。
この行政改革委員会行政情報公開部会が、第四期として私は位置づけておりますが、九六年の四月二十四日に、行政改革委員会行政情報公開部会中間報告ということで、情報公開法要綱案を公表いたしました。この時期になりますと、地方公共団体で既に条例はかなりできていましたが、やはり国が一つの基準を示すということになりまして、自治体におきまして再検討するということが出てまいりました。そういう時期として第四期は特徴づけられると見ております。
そして、情報公開法案が国会に提出されまして、成立いたしましたのが一九九九年の五月七日でありまして、五月十四日に公布されました。この情報公開法が二〇〇一年の四月一日に施行されまして、さらに、当時は特殊法人の情報公開をどうするのかという議論をしてまいりましたが、その特殊法人の情報公開について検討する委員会にも加わりまして、そのあり方を議論してまいりました。それが後に、独立行政法人等情報公開法ということで二〇〇一年の十二月五日に公布されまして、二〇〇二年十月一日、昨年の十月一日から独立行政法人等情報公開法が施行されています。これは、運用期としてとらえることができるところであります。
このように、知る権利という、日本国憲法には明文の規定はありませんが、憲法二十一条の表現の自由の中に含めて学界では解釈をしたりいたしまして、その議論の上に立ちまして、知る権利を具体的に実現する方法といたしまして、情報公開の制度化ということを議論し、それが実現するに至ったところであります。
次に、プライバシー、個人情報保護についてでありますが、資料二をごらんいただきたいと思います。
これも同じように時期区分をしていますが、第一期は、「プライバシー権認識・制度化提唱期」であります。第二期が、一ページ目の下の方の「プライバシー権制度化提唱・実現期」であります。二ページの中ほどより少し下の第三期でありますが、「行政機関個人情報保護法検討制定・個人情報保護ガイドライン策定・都道府県個人情報保護制度化期」というふうに言っております。第四期としますと、三ページに掲げましたが、「個人情報保護基本法制提案・議論期」ということで、現在国会におきまして審議がされております時期をここでとらえております。
情報公開法につきましては、既に施行されていますので、それを第五期といたしましたが、個人情報保護法につきましては、第五期がいつから始まるのか今のところまだわかりませんけれども、そういう状況で、第五期はここでは入れておりません。
日本における議論は、ここでは第一期として一九五〇年代の議論を挙げておりますけれども、一九二〇年代、一九三〇年代におきましても、アメリカの議論の紹介が、新聞紙法が当時ありましたので、その新聞紙法の解説などでなされています。しかし、その時期は、この言葉に対する関心はありませんでした。
第二次大戦後の日本国憲法の制定によりまして、二十一条で表現の自由が保障され、そういう中で、個人の私生活を暴露したりする記事等も多く出てくる。それに対して、学界としてどのようにそれに対応するのかということで議論がなされるようになりまして、その際に、アメリカのプライバシー権が研究の対象になってまいりました。一九五〇年代、特に後半におきまして、アメリカの論文などを日本でも随分検討しながら、日本においてどうあるべきなのかという議論をしております。
そういう中で、一九六一年に、三島由紀夫氏の小説「宴のあと」によりプライバシーを侵害されたとする訴訟が提起されまして、ここでプライバシー権への関心が増大してまいりました。この訴訟に関する東京地裁の判決が一九六四年の九月二十八日に出まして、プライバシーの権利を、私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利と理解しております。
このように、日本でメディアとの関係でプライバシーの議論が行われていた時期に、アメリカでは、コンピューター化との関係でプライバシーについての議論が盛んに行われるようになりました。
そこでは、プライバシーというのは何なのか、あるいはプライバシーの権利というのはどのようにとらえるべきなのかという論争もありまして、そういう中から出てまいりましたのが、自己に関する情報の流れをコントロールする個人の権利というような考え方であります。日本では、これをさらに省略しまして、自己情報コントロール権などと呼んでいるところでありますが、こうした考え方がアメリカで出てまいりまして、これが世界に広がっていきます。
ヨーロッパでは、そうしたプライバシーの権利と一対一で対向する言葉がないところから、これは日本も同じなんですが、当時プライバシーというのをどう日本語にするか、大分議論をいたしましたけれども、例えば、私生活ですとか秘密とか秘匿とか私事とか、それに権利をつけていろいろ言いましたが、いずれも日本語として定着することなく、片仮名でプライバシーと書いて日本語化したような状況であります。
ヨーロッパ大陸におきましても、プライバシーという英語に対応する言葉がないものですから、例えばドイツですとプリバート・スフェーレという、私的領域とでも訳せる言葉を使ったり、フランスではラ・ビ・プリベという、私生活と訳すことができる言葉、これはフランス民法の中にある言葉でもあるんですが、そうしたものをプライバシーに対応する言葉として使ったりもしていました。
そういう中で、ヨーロッパでは、考え方としますと同じような、個人の利益を保護する、そのためには、ヨーロッパでは体系的に法律をつくることにたけていますので、そこでデータ保護法というものが制定されたりするようになります。ヨーロッパでは一九七〇年代に入りましてそれが顕著になってまいりました。日本でもそうした状況を踏まえまして制度化を提唱いたしましたが、やはり七〇年代の前半におきましては、そうした認識は日本では広まりませんでした。
七〇年代の後半に入りまして、ここが第二期でありますが、中葉から議論が活発化してくるということにもなります。その背景には、日本におけるコンピューター化の議論があるわけでありますが、そういう中で、一ページの一番下の一九七五年に、東京都の国立市が電子計算機処理条例の中で個人的秘密の保護ということを規定いたしまして、これが日本で最初のプライバシー保護条例であるというふうに見られたりもしております。この国立市の条例がきっかけになりまして、自治体で条例化が進んでまいりました。
そのころ、この問題についてもいろいろ議論をいたしまして、ヨーロッパの状況、それからアメリカでも、一九七四年にプライバシーアクト、プライバシー法というもの、これは連邦の行政機関を対象にしたものでありますが、そうしたものができたりしていますので、日本でもそういうものを参考にしながら立法化の問題を考えてみてはどうかということを学界では議論をしてまいりました。
そういう中で、アメリカとヨーロッパがそれぞれ個人情報の保護についても考え方が異なるところから、それを調整するための議論が一九七八年からOECDで始まります。当時は、日本国内におきましてその問題について意見を聞かれて意見を述べたりいたしましたが、一九七九年の秋に開かれました国際会議で、日本側からは私が出まして、あと、OECDのこの問題の担当者、アメリカの商務省の次官補で電気通信を担当している方、その三人が同じセッションで議論をいたしまして、その関係でこのOECDの資料等は当時かなり早い時期に入手いたしまして、それをまた分析をいたしました。
このOECDの理事会勧告が一九八〇年の九月二十三日に採択されました。そこで八原則が示されておりまして、こういうものをもとに当時の行政管理庁でプライバシー保護研究会ができまして、そこで日本におけるあり方を検討いたしました。そのとき既に今日言う包括的個人情報保護法を考えてはどうかということをまとめております。これは一九八二年の七月でありますが、しかし同時に、行政改革の議論がありまして、その中では、一九八三年の三月に臨時行政調査会の最終答申が出まして、そこでは行政機関に対する信頼を確保するために個人情報の保護を図るべきである、こういうことになりました。
そうした中で、今度は第三期になりますが、行政機関における個人情報の保護につきまして検討するようになり、そのときは総務庁でありましたけれども、そのメンバーとして海外調査などもして、報告をまとめました。一九八〇年のOECD理事会勧告の後の行政管理庁のプライバシー保護研究会のときにも、海外の幾つかの国の関係者とは意見交換などもしてきております。
そうした中で、日本でも一九八八年には、行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律が制定され、今日に至っています。民間をどうするのかということが当時も大きな議論になりまして、衆参両院の附帯決議の中でも、民間部門について検討すべきであるということがありましたが、むしろ民間については八〇年代の半ばから関係省庁で検討するということで、法律の議論にまではいきませんでした。
そういう経過の中で、これは第四期になりますが、一九九九年の五月六日に、衆議院の地方行政委員会で住民基本台帳法の改正法案についての参考人質疑がありまして、そのとき参考人で招致されましたとき、かなり多くの先生方から、包括的個人情報保護法が必要と思うがどうか、こういうことで意見を求められました。その段階では、包括的個人情報保護法ができればいいけれども、日本ではなかなかそういう状況にないということを申し上げましたが、その後、六月になりまして、住民基本台帳法改正法案の審議の中で、個人情報保護について議論が高まりまして、九九年の七月には、高度情報通信社会推進本部で個人情報保護検討部会ができまして、その座長としてその後の取りまとめに当たってまいりました。その後の経過もございますが、それが現在、参議院におきまして審議されております個人情報保護法案になっております。
大きな第三といたしまして、これまで述べてまいりました知る権利、プライバシー権というのをちょっと別の角度から見てみますと、それがアクセス権ということでとらえることができるかと思います。
日本では、海外の状況、いろいろ学界では検討はするんですが、どうしても日本国内との関係で論ずるものですから、トータルに問題をとらえていないところがあると言ってもいいかと思います。これまでのものも、英語圏ではむしろこのアクセス権、ライト・オブ・アクセスという言葉で表現している場合がかなりありました。
資料三に、そのアクセス権という言葉の用例をかなり挙げておきましたけれども、ライト・オブ・アクセス・ツーという前置詞の目的語に非常に多くの名詞が来るものがあります。その中のライト・オブ・アクセス・ツー・マスメディアという、マスメディアに対するアクセス権というのを一九七四年に提起いたしましたが、それとともに、これまで述べてきたところからも明らかなように、その問題が論じられた時期には、情報公開ですとか個人情報保護についても同時に議論をしていましたので、その権利概念としてはこのアクセス権というもので整理してみてはどうか、こういうことも当時論じたことがあります。
外国の立法例がこの二枚目のところにありますが、これは、英訳されたものを見ますと、かなり多くの法律の中でアクセス権という言葉が使われております。この点でいきますと、きょうの小委員会における議論も、知る権利・アクセス権とプライバシー権となっていまして、知る権利とほぼ同義のものとして使っている側面があるんですが、それとともに、自分の情報へのアクセス権、自己情報アクセス権という現代的なプライバシー権の中核になります考え方もこのアクセス権ということでとらえられております。それらの具体的事例をこの資料の中で、特にイギリスにおける用例を挙げております。
日本でそのことを、アクセス権ということで議論もしてきておりますが、これもプライバシー権以上に日本語になりにくい言葉でありまして、いろいろ訳を試みましたけれども、どれもうまく日本語にならない。例えば、接近権というような訳をつけてみたりもしましたが、これもどうも日本語にならないというようなことで、アクセス権というふうに言っております。
一九七〇年の半ばにそのことを議論いたしましたがなかなか理解されませんで、新聞社の試験問題などに私の本が出た年に出ているんですが、環境アセスと間違えて書いている答案があったというのもありますし、非常にこっけいなのは、この狭い日本でアクセスせずに生きる基本的人権とかという答案を書いた人がいるということであります。
そのような理解しかなされていないところでありますけれども、むしろ国際的には、アクセス権というのはかなり広く、知る権利、プライバシー権も含めて、使われている概念でもありますので、そうした観点からこの権利についても検討する必要があろうかと思います。
いろいろ申し上げたいことはございますが、とりあえず、最初の問題提起は以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →衆議院憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会におきまして、知る権利やアクセス権とプライバシー権について意見を述べる機会を与えられましたことを大変光栄に存じます。
私は、四十年以上にわたりまして、知る権利、情報公開、プライバシー、個人情報の保護のあり方について研究してまいりました。また、地方自治体や国における制度化にもかかわってきています。プライバシーにつきましては特に国際的にも議論をしてきておりまして、さまざまな機会に国際会議にも出席し、そこでスピーチをしたりあるいは討論に加わってきております。
国際的という面でいいますと、経済協力開発機構、OECDでも、また後ほど申し上げますようなプライバシーについてのガイドラインを採択しておりますが、それを現在どうするのかというような議論をしています情報セキュリティー・プライバシー作業部会というのがありまして、その副議長を一九九六年以降務めております。
そのような経験をもとに、きょうの問題につきまして意見を述べさせていただきたいと思います。
お手元に資料を、私の名前のものが三つあるかと思います。一つは「日本と世界の知る権利・情報公開論議」、二つ目が「日本と世界のプライバシー・個人情報保護論議」、三つ目が「日本と世界のアクセス権と知る権利・プライバシー権」というものです。これらに沿いながら、私が考えていますことをこれから申し上げていきます。
自己紹介を兼ねて新聞の記事を幾つか用意いたしましたので、それをごらんいただきたいと思います。多分最初のところにあるかと思いますが、今から六年前に一橋大学を退官いたしますときに、最終講義をいたしました。それが記事として出たものであります。二つの記事を一緒にしまして送別会のときに配ったものです。この下の日付が抜けていますけれども、昭和四十二年、一九六七年ですので、それより三十年前の顔写真であります。こういう若いときがあったということをまず御認識いただきたいということで、これをごらんいただきたいと思います。
まず、知る権利、情報公開について見ていきたいと思います。お手元の資料一をごらんいただきたいと思います。
これまでの日本における知る権利、情報公開の議論を五つに分けて見るとよろしいのではないかと考えまして、そのように時期区分をしてみました。お手元の資料の一ページ目のIIのところに、「日本における知る権利・情報公開論議——知る権利・情報公開関係クロノロジー」ということで表にしたものであります。
この中の、算用数字が三ページにわたりまして5までありますが、それぞれの算用数字のところが、私が仮に分類しています時期区分のそれぞれの期に当たりまして、第一期といたしますと、「知る権利認識・制度化提唱期」とでも言える時期であります。第二期が、「情報公開制度化提唱・実現期」とでも言えるものであります。第三期が、「自治体情報公開制度運用・情報公開法検討期」とでも言えるかと思います。第四期ですが、情報公開法要綱案、中間報告でありますけれども、これが公表されまして、自治体が情報公開制度の再検討を始めた時期であります。第五期といたしますと、情報公開法等が運用されている時期であります。
まず、第一期から見てまいりますと、日本では、知る権利という言葉は比較的早い時期から使われていたと言うことができます。一九四八年の新聞週間の標語で、「あらゆる自由は知る権利から」というのが出ております。その当時は公募したものではありませんで、アメリカの同種の催しで使われた言葉をこのように訳したものであります。アメリカの言葉は、その後に書きましたように、「ユア ライト ツー ノウ イズ ザ キー ツー オール ユア リバティーズ」ということでありまして、あなたの知る権利はあなたのすべての自由へのかぎである。そのように散文的に訳したのでは標語にならないわけでありまして、それを「あらゆる自由は知る権利から」、このように訳したと言えるわけであります。
その後も、知る権利につきましては法学界におきましてもかなり関心が高まりまして、検討してまいりました。これもアメリカの判例の中で、知る権利ですとか知る自由とか、あるいは情報を受ける権利とか聞く権利、読む権利、情報を受ける側からとらえる、こういう考え方がありまして、表現をする側の表現の自由は以前から認められているわけでありますけれども、それを受ける側の権利として構成する、こういう議論を日本の法学界でも五〇年代、特に後半に行うようになっております。
そういう時期に、一九五三年の新聞週間の代表標語では「報道の自由が守る“知る権利”」というのが出ておりますし、全国図書館大会の「図書館の自由に関する宣言」の中では「知る自由」という言葉が使われております。これは一九五四年です。さらに、一九五八年には、東京地方裁判所が知る権利という言葉を判決の中で使っております。これは公職の候補者に関するものでありまして、このような用例がありました。
日本でこういう知る権利を具体的にどのようにとらえるのかという議論に大きな影響を与えましたのが、アメリカの一九六六年の情報自由法であります。これは、フリーダム・オブ・インフォメーション・アクトというふうに言うものでありますが、これがアメリカでジャーナリストの運動として出てまいりまして、それを連邦議会が行政手続法の改正という形でこの法律を制定いたしました。日本でも、私たち研究者は、この法律を見まして、それまでにない考え方が出ているということで、日本でこの種のものはどうなんだろうかということを議論したことがございます。
そういう中で、一九六〇年代も終わりの方になりまして、一九六九年に最高裁でも、悪徳の栄え事件の大法廷判決の中で知る自由という言葉が反対意見の中で使われる、さらに、博多駅テレビフィルム提出命令事件の最高裁大法廷決定の中で、報道機関の報道は国民の知る権利に奉仕するものである、このようなものが出てまいりました。
そうした戦後における流れの中で、一九七〇年代に入りまして、一九七一年にアメリカのベトナム秘密文書報道事件が生じます。この際にも知る権利ということがアメリカでも議論になりましたし、日本でもかなり議論をいたしました。日本新聞協会が募集して新聞週間のときに発表しています新聞週間の標語というのは、その時代時代を映していると見ることもできるわけでありまして、一九七一年のアメリカのベトナム秘密文書報道事件のときの新聞週間の標語では、「知る権利知らせる自由が呼ぶ平和」、こういうものが出ています。
そうした議論をしているうちに、一九七二年の三月になりまして、沖縄返還に伴います密約があったのではないか、それを示す電文漏えい事件が生じました。これをめぐって大きな議論になりまして、学界でもこれについて検討をいたしました。
そういう際に、知る権利というのがどうなっているのかということで議論をいたしまして、その前から新聞界の人などといろいろ議論をしている中で、日本でもジャーナリストが知る権利ということをもっと主張してもいいのではないかというようなことも言ってまいりましたので、一九七〇年代に入る前後からそうした議論をしてまいりましたけれども、一九七二年に日本で沖縄密約電文漏えい事件が生じましたときにも同様な議論をいたしました。しかし、これらの時期におきましては、情報公開の制度化といいましても、ほとんど関心が払われなかったところであります。
次いで、一九七〇年代の後半に入りまして、一九七六年の二月にロッキード事件が明るみに出ました。その際に、私の専門の分野からロッキード事件を見たらどうなるのか何かまとめてみてほしい、そういう依頼を受けて書きましたのが、新聞の記事で二枚目のところですけれども、昭和五十一年、一九七六年四月十二日の毎日新聞の社会面にこういう形で出たものであります。
そこでは、ロッキード事件を見るに当たって、知る権利を請求権としての知る権利という観点からとらえてみまして、しかも、アメリカの一九六六年の情報自由法といいますのは、これはその後の判例による解釈ですけれども、何人、エニーパーソンに対して情報を利用できるようにしなければならない、言いかえますと、何人も請求権を持っている、こういう解釈をとります。しかも、その何人という中には外国人も含むんだという判決もあったりいたしましたので、それを念頭に置きながらこの論稿はまとめてみたものであります。
この時期になりますと情報公開法という言葉を使うようになっていまして、そうした観点から一九七〇年代後半に議論が盛んになってまいります。
いろいろ経過はございますが、そういう中で、地方公共団体の中でも特に神奈川県がこの問題に関心を示しまして、議論に参加したりする依頼を受けまして検討をいたしました。そこで、神奈川県では、日本の法制度の中で情報公開条例という形のものをつくることは可能かどうか、法的にも随分議論をいたしまして、それをもとに条例化を図る、こういうことをしてまいりました。ですから、第二期は、情報公開制度化につきまして提唱しまして、それが実現してきた時期でもあります。
第三期になりましてそれが実際に運用されるようになりますと、他の自治体でも同じように条例をつくり、また運用していくという時期に一九八〇年代は入るわけでありますが、それとともに、国におきましても、七九年には既に国会でも情報公開についての議論が行われたりしていました。国では一九八〇年には、情報公開について、それを進めるための文書を出すというようなこともしてまいりました。
そのころ、後に触れますOECD、経済協力開発機構のプライバシーガイドラインについて議論がありまして、当時の行政管理庁でいろいろ議論に参加しておりましたので、国における考え方、それから自治体における考え方、それらを調整しつつ、法令の範囲内におきまして制度化を目指す議論をしてまいりました。
第三期になりますと、国でもこの問題に対する関心が高まってまいりまして、さまざまな検討をしてまいります。しかし、国で制度化に正面から取り組むようになりましたのは、一九九四年の行政改革委員会設置法の制定によるわけでありまして、この行政改革委員会が一九九四年の十二月十九日に発足いたしました。そのもとで、一九九五年の三月十七日から行政改革委員会行政情報公開部会が審議を始めます。専門委員というふうに部会の委員は全部呼ばれましたが、その一員といたしまして、日本における情報公開法のグランドデザインを描く仕事もしてまいりました。
この行政改革委員会行政情報公開部会が、第四期として私は位置づけておりますが、九六年の四月二十四日に、行政改革委員会行政情報公開部会中間報告ということで、情報公開法要綱案を公表いたしました。この時期になりますと、地方公共団体で既に条例はかなりできていましたが、やはり国が一つの基準を示すということになりまして、自治体におきまして再検討するということが出てまいりました。そういう時期として第四期は特徴づけられると見ております。
そして、情報公開法案が国会に提出されまして、成立いたしましたのが一九九九年の五月七日でありまして、五月十四日に公布されました。この情報公開法が二〇〇一年の四月一日に施行されまして、さらに、当時は特殊法人の情報公開をどうするのかという議論をしてまいりましたが、その特殊法人の情報公開について検討する委員会にも加わりまして、そのあり方を議論してまいりました。それが後に、独立行政法人等情報公開法ということで二〇〇一年の十二月五日に公布されまして、二〇〇二年十月一日、昨年の十月一日から独立行政法人等情報公開法が施行されています。これは、運用期としてとらえることができるところであります。
このように、知る権利という、日本国憲法には明文の規定はありませんが、憲法二十一条の表現の自由の中に含めて学界では解釈をしたりいたしまして、その議論の上に立ちまして、知る権利を具体的に実現する方法といたしまして、情報公開の制度化ということを議論し、それが実現するに至ったところであります。
次に、プライバシー、個人情報保護についてでありますが、資料二をごらんいただきたいと思います。
これも同じように時期区分をしていますが、第一期は、「プライバシー権認識・制度化提唱期」であります。第二期が、一ページ目の下の方の「プライバシー権制度化提唱・実現期」であります。二ページの中ほどより少し下の第三期でありますが、「行政機関個人情報保護法検討制定・個人情報保護ガイドライン策定・都道府県個人情報保護制度化期」というふうに言っております。第四期としますと、三ページに掲げましたが、「個人情報保護基本法制提案・議論期」ということで、現在国会におきまして審議がされております時期をここでとらえております。
情報公開法につきましては、既に施行されていますので、それを第五期といたしましたが、個人情報保護法につきましては、第五期がいつから始まるのか今のところまだわかりませんけれども、そういう状況で、第五期はここでは入れておりません。
日本における議論は、ここでは第一期として一九五〇年代の議論を挙げておりますけれども、一九二〇年代、一九三〇年代におきましても、アメリカの議論の紹介が、新聞紙法が当時ありましたので、その新聞紙法の解説などでなされています。しかし、その時期は、この言葉に対する関心はありませんでした。
第二次大戦後の日本国憲法の制定によりまして、二十一条で表現の自由が保障され、そういう中で、個人の私生活を暴露したりする記事等も多く出てくる。それに対して、学界としてどのようにそれに対応するのかということで議論がなされるようになりまして、その際に、アメリカのプライバシー権が研究の対象になってまいりました。一九五〇年代、特に後半におきまして、アメリカの論文などを日本でも随分検討しながら、日本においてどうあるべきなのかという議論をしております。
そういう中で、一九六一年に、三島由紀夫氏の小説「宴のあと」によりプライバシーを侵害されたとする訴訟が提起されまして、ここでプライバシー権への関心が増大してまいりました。この訴訟に関する東京地裁の判決が一九六四年の九月二十八日に出まして、プライバシーの権利を、私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利と理解しております。
このように、日本でメディアとの関係でプライバシーの議論が行われていた時期に、アメリカでは、コンピューター化との関係でプライバシーについての議論が盛んに行われるようになりました。
そこでは、プライバシーというのは何なのか、あるいはプライバシーの権利というのはどのようにとらえるべきなのかという論争もありまして、そういう中から出てまいりましたのが、自己に関する情報の流れをコントロールする個人の権利というような考え方であります。日本では、これをさらに省略しまして、自己情報コントロール権などと呼んでいるところでありますが、こうした考え方がアメリカで出てまいりまして、これが世界に広がっていきます。
ヨーロッパでは、そうしたプライバシーの権利と一対一で対向する言葉がないところから、これは日本も同じなんですが、当時プライバシーというのをどう日本語にするか、大分議論をいたしましたけれども、例えば、私生活ですとか秘密とか秘匿とか私事とか、それに権利をつけていろいろ言いましたが、いずれも日本語として定着することなく、片仮名でプライバシーと書いて日本語化したような状況であります。
ヨーロッパ大陸におきましても、プライバシーという英語に対応する言葉がないものですから、例えばドイツですとプリバート・スフェーレという、私的領域とでも訳せる言葉を使ったり、フランスではラ・ビ・プリベという、私生活と訳すことができる言葉、これはフランス民法の中にある言葉でもあるんですが、そうしたものをプライバシーに対応する言葉として使ったりもしていました。
そういう中で、ヨーロッパでは、考え方としますと同じような、個人の利益を保護する、そのためには、ヨーロッパでは体系的に法律をつくることにたけていますので、そこでデータ保護法というものが制定されたりするようになります。ヨーロッパでは一九七〇年代に入りましてそれが顕著になってまいりました。日本でもそうした状況を踏まえまして制度化を提唱いたしましたが、やはり七〇年代の前半におきましては、そうした認識は日本では広まりませんでした。
七〇年代の後半に入りまして、ここが第二期でありますが、中葉から議論が活発化してくるということにもなります。その背景には、日本におけるコンピューター化の議論があるわけでありますが、そういう中で、一ページの一番下の一九七五年に、東京都の国立市が電子計算機処理条例の中で個人的秘密の保護ということを規定いたしまして、これが日本で最初のプライバシー保護条例であるというふうに見られたりもしております。この国立市の条例がきっかけになりまして、自治体で条例化が進んでまいりました。
そのころ、この問題についてもいろいろ議論をいたしまして、ヨーロッパの状況、それからアメリカでも、一九七四年にプライバシーアクト、プライバシー法というもの、これは連邦の行政機関を対象にしたものでありますが、そうしたものができたりしていますので、日本でもそういうものを参考にしながら立法化の問題を考えてみてはどうかということを学界では議論をしてまいりました。
そういう中で、アメリカとヨーロッパがそれぞれ個人情報の保護についても考え方が異なるところから、それを調整するための議論が一九七八年からOECDで始まります。当時は、日本国内におきましてその問題について意見を聞かれて意見を述べたりいたしましたが、一九七九年の秋に開かれました国際会議で、日本側からは私が出まして、あと、OECDのこの問題の担当者、アメリカの商務省の次官補で電気通信を担当している方、その三人が同じセッションで議論をいたしまして、その関係でこのOECDの資料等は当時かなり早い時期に入手いたしまして、それをまた分析をいたしました。
このOECDの理事会勧告が一九八〇年の九月二十三日に採択されました。そこで八原則が示されておりまして、こういうものをもとに当時の行政管理庁でプライバシー保護研究会ができまして、そこで日本におけるあり方を検討いたしました。そのとき既に今日言う包括的個人情報保護法を考えてはどうかということをまとめております。これは一九八二年の七月でありますが、しかし同時に、行政改革の議論がありまして、その中では、一九八三年の三月に臨時行政調査会の最終答申が出まして、そこでは行政機関に対する信頼を確保するために個人情報の保護を図るべきである、こういうことになりました。
そうした中で、今度は第三期になりますが、行政機関における個人情報の保護につきまして検討するようになり、そのときは総務庁でありましたけれども、そのメンバーとして海外調査などもして、報告をまとめました。一九八〇年のOECD理事会勧告の後の行政管理庁のプライバシー保護研究会のときにも、海外の幾つかの国の関係者とは意見交換などもしてきております。
そうした中で、日本でも一九八八年には、行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律が制定され、今日に至っています。民間をどうするのかということが当時も大きな議論になりまして、衆参両院の附帯決議の中でも、民間部門について検討すべきであるということがありましたが、むしろ民間については八〇年代の半ばから関係省庁で検討するということで、法律の議論にまではいきませんでした。
そういう経過の中で、これは第四期になりますが、一九九九年の五月六日に、衆議院の地方行政委員会で住民基本台帳法の改正法案についての参考人質疑がありまして、そのとき参考人で招致されましたとき、かなり多くの先生方から、包括的個人情報保護法が必要と思うがどうか、こういうことで意見を求められました。その段階では、包括的個人情報保護法ができればいいけれども、日本ではなかなかそういう状況にないということを申し上げましたが、その後、六月になりまして、住民基本台帳法改正法案の審議の中で、個人情報保護について議論が高まりまして、九九年の七月には、高度情報通信社会推進本部で個人情報保護検討部会ができまして、その座長としてその後の取りまとめに当たってまいりました。その後の経過もございますが、それが現在、参議院におきまして審議されております個人情報保護法案になっております。
大きな第三といたしまして、これまで述べてまいりました知る権利、プライバシー権というのをちょっと別の角度から見てみますと、それがアクセス権ということでとらえることができるかと思います。
日本では、海外の状況、いろいろ学界では検討はするんですが、どうしても日本国内との関係で論ずるものですから、トータルに問題をとらえていないところがあると言ってもいいかと思います。これまでのものも、英語圏ではむしろこのアクセス権、ライト・オブ・アクセスという言葉で表現している場合がかなりありました。
資料三に、そのアクセス権という言葉の用例をかなり挙げておきましたけれども、ライト・オブ・アクセス・ツーという前置詞の目的語に非常に多くの名詞が来るものがあります。その中のライト・オブ・アクセス・ツー・マスメディアという、マスメディアに対するアクセス権というのを一九七四年に提起いたしましたが、それとともに、これまで述べてきたところからも明らかなように、その問題が論じられた時期には、情報公開ですとか個人情報保護についても同時に議論をしていましたので、その権利概念としてはこのアクセス権というもので整理してみてはどうか、こういうことも当時論じたことがあります。
外国の立法例がこの二枚目のところにありますが、これは、英訳されたものを見ますと、かなり多くの法律の中でアクセス権という言葉が使われております。この点でいきますと、きょうの小委員会における議論も、知る権利・アクセス権とプライバシー権となっていまして、知る権利とほぼ同義のものとして使っている側面があるんですが、それとともに、自分の情報へのアクセス権、自己情報アクセス権という現代的なプライバシー権の中核になります考え方もこのアクセス権ということでとらえられております。それらの具体的事例をこの資料の中で、特にイギリスにおける用例を挙げております。
日本でそのことを、アクセス権ということで議論もしてきておりますが、これもプライバシー権以上に日本語になりにくい言葉でありまして、いろいろ訳を試みましたけれども、どれもうまく日本語にならない。例えば、接近権というような訳をつけてみたりもしましたが、これもどうも日本語にならないというようなことで、アクセス権というふうに言っております。
一九七〇年の半ばにそのことを議論いたしましたがなかなか理解されませんで、新聞社の試験問題などに私の本が出た年に出ているんですが、環境アセスと間違えて書いている答案があったというのもありますし、非常にこっけいなのは、この狭い日本でアクセスせずに生きる基本的人権とかという答案を書いた人がいるということであります。
そのような理解しかなされていないところでありますけれども、むしろ国際的には、アクセス権というのはかなり広く、知る権利、プライバシー権も含めて、使われている概念でもありますので、そうした観点からこの権利についても検討する必要があろうかと思います。
いろいろ申し上げたいことはございますが、とりあえず、最初の問題提起は以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。拍手
大
大
倉
倉田雅年#5
○倉田小委員 自由民主党の倉田雅年でございます。
私は、長く弁護士をやってきたこともございまして、先生の御本、ジュリストで、たしか昔読ませていただいたこともございます。その後の先生の情報公開法を初めとする、開拓者といいますか、いわゆる官庁間革命も起こされたもとをいろいろ御発表なさっているということに大変敬意を持っておる次第でございます。
きょう、私は、最後に先生がお話しになりましたメディアに対するアクセス権ということについて、少しお聞きをしたいと思っております。
先生が、そもそも表現の自由というのは、表現の主体と国家との間の、国家からの自由、表現主体の自由、こういうことで長く来たんだけれども、これは二極構造だ、ところがこの二極構造が、今度は表現主体の方が市民とメディアとに分かれてきた、メディアがだんだん強大になったので、今度は国家とメディアと市民という三極構造になったんだと。この御説明は、私、大変わかりやすい明快な説明だな、こういうぐあいに感じているわけでございます。
そこで、まず第一点としてお聞きしたいのは、メディアに対するアクセス権というものの中身でございます。
通常言われますところは、有料広告の掲載請求権であるとかあるいは反論権であるとか、こういうことが一般的にメディアに対するアクセス権の中に入っているということを言われていることは知っておるんですが、私、聞きたいのは、先ほどお話しの自己情報に対するコントロール権、これが、国家に対してだけではなく、国家に対しては、これはもうわかっているんですが、メディアに対しても自己情報コントロール権というのは認められてしかるべきではないかと思うんですが、内容として、現在、そういう概念として認められているのかどうか、そこらについてまずお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →私は、長く弁護士をやってきたこともございまして、先生の御本、ジュリストで、たしか昔読ませていただいたこともございます。その後の先生の情報公開法を初めとする、開拓者といいますか、いわゆる官庁間革命も起こされたもとをいろいろ御発表なさっているということに大変敬意を持っておる次第でございます。
きょう、私は、最後に先生がお話しになりましたメディアに対するアクセス権ということについて、少しお聞きをしたいと思っております。
先生が、そもそも表現の自由というのは、表現の主体と国家との間の、国家からの自由、表現主体の自由、こういうことで長く来たんだけれども、これは二極構造だ、ところがこの二極構造が、今度は表現主体の方が市民とメディアとに分かれてきた、メディアがだんだん強大になったので、今度は国家とメディアと市民という三極構造になったんだと。この御説明は、私、大変わかりやすい明快な説明だな、こういうぐあいに感じているわけでございます。
そこで、まず第一点としてお聞きしたいのは、メディアに対するアクセス権というものの中身でございます。
通常言われますところは、有料広告の掲載請求権であるとかあるいは反論権であるとか、こういうことが一般的にメディアに対するアクセス権の中に入っているということを言われていることは知っておるんですが、私、聞きたいのは、先ほどお話しの自己情報に対するコントロール権、これが、国家に対してだけではなく、国家に対しては、これはもうわかっているんですが、メディアに対しても自己情報コントロール権というのは認められてしかるべきではないかと思うんですが、内容として、現在、そういう概念として認められているのかどうか、そこらについてまずお伺いしたいと思います。
堀
堀部政男#6
○堀部参考人 ただいまの倉田先生の御質問で、メディアに対する自己情報コントロール権は、理論的にはあり得るものであります。先生言われるように、国家に対して、公的機関が保有している個人情報についての自己情報コントロール権は当然といたしまして、民間が保有している個人情報についても、自己情報アクセス権、コントロール権はあるというのが各国の立法例であります。ですから、メディアも民間のものとしてそういう考え方はあるわけでありまして、そのことは各国で議論になってまいりました。
しかし、一方で、表現の自由との関係で、メディアはそのことを主張いたしますので、メディアに対して法律でアクセス権を保障するとなりますと、取材した情報について本人からアクセスの請求があってそれを出さなければならないとすると、その取材を通して表現する自由が制約されるということで、多くの国でそれを適用除外するという考え方が出てまいりまして、一九九五年の欧州連合、ヨーロピアンユニオンの個人情報保護指令でもその考え方が明確に打ち出されております。
理論的にはあるんですが、実際の制度化となりますと、それを除外して調整する、こういうことになっていると見ることができるかと思います。
この発言だけを見る →しかし、一方で、表現の自由との関係で、メディアはそのことを主張いたしますので、メディアに対して法律でアクセス権を保障するとなりますと、取材した情報について本人からアクセスの請求があってそれを出さなければならないとすると、その取材を通して表現する自由が制約されるということで、多くの国でそれを適用除外するという考え方が出てまいりまして、一九九五年の欧州連合、ヨーロピアンユニオンの個人情報保護指令でもその考え方が明確に打ち出されております。
理論的にはあるんですが、実際の制度化となりますと、それを除外して調整する、こういうことになっていると見ることができるかと思います。
倉
倉田雅年#7
○倉田小委員 よくわかります、先生の御説明で。
要するに、メディアも民間情報の一つなんで、参議院で今審議されている個人情報でも、確かに民間業者の一つ、それから適用除外するという形でメディアが除かれているんだ、こういうことでありますね。
そうしますと、メディアの報道の自由といいますか、表現の自由といいますか、そういうものを強く考えますと、確かに適用除外というのはよくわかるんですが、制度の面として、あるいは現実に現在参議院で行われている法律に対する私の考え方もあるんですけれども、それでは市民とマスメディアとの関係で、マスメディアが非常に強大である。確かに表現の自由は重要なんだけれども、個人が、弱者といいますか、弱者と強者、強者がメディアですね、そういう関係に既に立ってしまっている。そうすると、弱者としての個人のプライバシーを守っていくという意味で、現在審議されている法律も、個人のプライバシーの方を、適用除外になったままというのでなく、もう少し何とかできないかなということを考えますが、いかがでございましょうか。
この発言だけを見る →要するに、メディアも民間情報の一つなんで、参議院で今審議されている個人情報でも、確かに民間業者の一つ、それから適用除外するという形でメディアが除かれているんだ、こういうことでありますね。
そうしますと、メディアの報道の自由といいますか、表現の自由といいますか、そういうものを強く考えますと、確かに適用除外というのはよくわかるんですが、制度の面として、あるいは現実に現在参議院で行われている法律に対する私の考え方もあるんですけれども、それでは市民とマスメディアとの関係で、マスメディアが非常に強大である。確かに表現の自由は重要なんだけれども、個人が、弱者といいますか、弱者と強者、強者がメディアですね、そういう関係に既に立ってしまっている。そうすると、弱者としての個人のプライバシーを守っていくという意味で、現在審議されている法律も、個人のプライバシーの方を、適用除外になったままというのでなく、もう少し何とかできないかなということを考えますが、いかがでございましょうか。
堀
堀部政男#8
○堀部参考人 そこが国会でも大変大きな争点になっていることは承知しておりますが、どうも法的に権利として設定してメディアに義務を負わせるということになりますと、憲法二十一条の表現の自由との関係でさまざまな議論が出てくることになるかと思います。そうなりますと、むしろ自主的に、メディアとしても、そうしたアクセスの要請といいましょうか、リクエストに対してはこたえていく、こういうことを考えるべきであるというふうに思います。
ですから、今後、どういうふうにメディアが個人情報保護の問題を考えていくか、まだ余り具体的にはなっていないんですが、それぞれの社で、第三者によって構成される委員会等をつくって議論をしていますので、そういう中で、今先生言われたようなものを自主的に対応していくということをすることによって、むしろやはり市民の権利利益を守るということをメディアとしてもぜひしていただきたい、個人的にはそのように思っています。
この発言だけを見る →ですから、今後、どういうふうにメディアが個人情報保護の問題を考えていくか、まだ余り具体的にはなっていないんですが、それぞれの社で、第三者によって構成される委員会等をつくって議論をしていますので、そういう中で、今先生言われたようなものを自主的に対応していくということをすることによって、むしろやはり市民の権利利益を守るということをメディアとしてもぜひしていただきたい、個人的にはそのように思っています。
倉
倉田雅年#9
○倉田小委員 メディアの側で自主規制をするといいますか、自粛するべきであって、法でメディアを縛るべきではない、一般論としてそれも正しいのかなとも思うんですが、どうも、個人のプライバシーの方が弱くなり過ぎているという面も私も感じているということを申し上げたいと思うわけでございます。
何かいい工夫はないでしょうかね。せっかく、現在参議院でいろいろ審議をしているという状況にあるのですから。
この発言だけを見る →何かいい工夫はないでしょうかね。せっかく、現在参議院でいろいろ審議をしているという状況にあるのですから。
堀
堀部政男#10
○堀部参考人 ですから、各新聞社、放送の場合には放送法によりまして番組審議会、審議機関を設けることになったりしておりますが、新聞社は何も法的な根拠はありませんので、それぞれが自主的に現在対応しています。そういうものを、各社ではなく新聞界全体として、第三者機関のようなものを自主的につくりまして、そこで、そうした要望にこたえるというようなことも検討すべきではないかと思います。
放送の場合には、NHKと民間放送連盟で放送と人権等権利に関する委員会を自主的に設けまして、アクセス権あるいはアクセス要求に対してどうこたえているかという詳細はわかりませんが、市民の側から放送と人権等権利に関する委員会機構に申し立てますと、そこでいろいろ調査をして、その結果を本人に通知するということになっていますので、新聞界でもぜひそういうことをしていただくといいのではないかというふうには個人的には考えています。
そうしたことを新聞界の方にもこれまでもいろいろ提案しておりますが、現在のところ、新聞界全体としてとか、あるいは出版界や雑誌界全体としてそういうふうにするというところまではなかなか至っておりませんで、新聞の場合には各社、雑誌も一部、第三者機関を設けてそこで対応することになっていますが、最近の具体的な運用がどうなっているかまでは寡聞にして存じませんのでよくわかりませんけれども、そうした動きは出てきていることは確かであります。そうした形がよろしいのではないかというふうに思っております。
この発言だけを見る →放送の場合には、NHKと民間放送連盟で放送と人権等権利に関する委員会を自主的に設けまして、アクセス権あるいはアクセス要求に対してどうこたえているかという詳細はわかりませんが、市民の側から放送と人権等権利に関する委員会機構に申し立てますと、そこでいろいろ調査をして、その結果を本人に通知するということになっていますので、新聞界でもぜひそういうことをしていただくといいのではないかというふうには個人的には考えています。
そうしたことを新聞界の方にもこれまでもいろいろ提案しておりますが、現在のところ、新聞界全体としてとか、あるいは出版界や雑誌界全体としてそういうふうにするというところまではなかなか至っておりませんで、新聞の場合には各社、雑誌も一部、第三者機関を設けてそこで対応することになっていますが、最近の具体的な運用がどうなっているかまでは寡聞にして存じませんのでよくわかりませんけれども、そうした動きは出てきていることは確かであります。そうした形がよろしいのではないかというふうに思っております。
倉
倉田雅年#11
○倉田小委員 先生の御説明の資料の中で、バロンが、メディアに対してレッセフェールは不適切だということを述べているということがございますが、何か、今回の法案の中でも、先生がおっしゃったような自主規制機関でもいいですから、法がメディアに対して自主規制機関をつくるべしというような条項も入れるということも考えられないかななんということを今お聞きして思ったんですが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →堀
倉
大
小
小林憲司#15
○小林(憲)小委員 民主党の小林憲司でございます。
本日は、知る権利、プライバシー権の第一人者であります堀部先生のお話をお伺いすることができまして、大変勉強させていただきました。せっかくの機会でございますので、私、十分間いただいておりますので、幾つか御質問をさせていただきたいと思います。
まず、知る権利でございますが、行政機関に保有情報を原則公開するよう義務づけました行政情報公開法が施行されまして、三年目に入っております。つい最近も、同法の利用によって、日本道路公団の酒食会議というものが明らかにされたように、その運用については大筋軌道に乗りつつあるようにも見られておるわけでございますが、この法律には、施行四年後の見直し規定というものがついておりまして、法の充実、改正を目指した議論が、先ほど先生からもおっしゃられたとおり、これから一段と活発化してくるものと思われております。
既に満二年、今、運用の過程で、高裁所在地の八カ所の地裁に限られている公開請求訴訟を起こせる裁判所を全国に広げることや、法に知る権利を明記すること、あるいは手数料の値下げの問題など、さまざまな問題が浮かび上がってきておりますが、堀部先生は、今後、この法律の見直しに当たってはどのような観点に着目すべきと、幾つか大きな着目点はございますと思いますが、その中で重要と思われるものを、ひとつ御見解をお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いします。
この発言だけを見る →本日は、知る権利、プライバシー権の第一人者であります堀部先生のお話をお伺いすることができまして、大変勉強させていただきました。せっかくの機会でございますので、私、十分間いただいておりますので、幾つか御質問をさせていただきたいと思います。
まず、知る権利でございますが、行政機関に保有情報を原則公開するよう義務づけました行政情報公開法が施行されまして、三年目に入っております。つい最近も、同法の利用によって、日本道路公団の酒食会議というものが明らかにされたように、その運用については大筋軌道に乗りつつあるようにも見られておるわけでございますが、この法律には、施行四年後の見直し規定というものがついておりまして、法の充実、改正を目指した議論が、先ほど先生からもおっしゃられたとおり、これから一段と活発化してくるものと思われております。
既に満二年、今、運用の過程で、高裁所在地の八カ所の地裁に限られている公開請求訴訟を起こせる裁判所を全国に広げることや、法に知る権利を明記すること、あるいは手数料の値下げの問題など、さまざまな問題が浮かび上がってきておりますが、堀部先生は、今後、この法律の見直しに当たってはどのような観点に着目すべきと、幾つか大きな着目点はございますと思いますが、その中で重要と思われるものを、ひとつ御見解をお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いします。
堀
堀部政男#16
○堀部参考人 ただいまの小林先生の御指摘は、大変重要な意味をこの情報公開法にとっては持つわけでありまして、四年後の見直しをいつの時期から始めるかということにはなるかと思いますが、これまで二年余の運用の状況、それから、独立行政法人等につきましては半年、七カ月ちょっとでしょうか、ということでありますけれども、一つは、やはり、この制度の利用しやすさということを念頭に置いて見直しをすべきではないかと思います。
いろいろなホームページで、情報公開についての案内なども随分出てきていまして、かなり情報は出ているように思いますが、一般の市民が実際に利用するとなりますと、それぞれの省庁の窓口に行くこと、これ自体が大変勇気が要ることである、こういう指摘もありますし、そのあたり、もっと窓口での対応の改善等、そういうことも必要かもしれませんし、また、不服申し立てがありまして、この不服申し立ても、昨年は非常に多くの不服申し立てがされまして、情報公開審査会で五百何件かの答申がたしか出ていたかと思いますが、そういうようなことで、そこももっとアクセスしやすくするということがあるかと思います。
それと、先生御指摘の、裁判の管轄につきましては、これも行政情報公開部会のときに随分議論をいたしまして、当初は、政府案では東京地裁だけでしたけれども、国会の審議の中で、高裁所在地の地方裁判所ということで八つに広がりました。しかし、あの段階でも、例えば那覇市の場合には福岡市まで来なければならないということになりますので、もっとそこを広げるべきだということがありました。そうした点は、今後検討していく重要な課題であると思います。
ですから、利用しやすさというのをどう確保するか、さらに改善していくかということであると見ています。
この発言だけを見る →いろいろなホームページで、情報公開についての案内なども随分出てきていまして、かなり情報は出ているように思いますが、一般の市民が実際に利用するとなりますと、それぞれの省庁の窓口に行くこと、これ自体が大変勇気が要ることである、こういう指摘もありますし、そのあたり、もっと窓口での対応の改善等、そういうことも必要かもしれませんし、また、不服申し立てがありまして、この不服申し立ても、昨年は非常に多くの不服申し立てがされまして、情報公開審査会で五百何件かの答申がたしか出ていたかと思いますが、そういうようなことで、そこももっとアクセスしやすくするということがあるかと思います。
それと、先生御指摘の、裁判の管轄につきましては、これも行政情報公開部会のときに随分議論をいたしまして、当初は、政府案では東京地裁だけでしたけれども、国会の審議の中で、高裁所在地の地方裁判所ということで八つに広がりました。しかし、あの段階でも、例えば那覇市の場合には福岡市まで来なければならないということになりますので、もっとそこを広げるべきだということがありました。そうした点は、今後検討していく重要な課題であると思います。
ですから、利用しやすさというのをどう確保するか、さらに改善していくかということであると見ています。
小
小林憲司#17
○小林(憲)小委員 ありがとうございます。
本当に、全国に知る権利というものを広めるということが、まずは早急に行政も法整備もしなければいけないということで理解させていただきました。
次に、プライバシー権に関しての御質問をさせていただきます。
そもそも、個人のプライバシー権を保護する目的で法制化が進められました個人情報保護法案が、その審議の過程で、メディア規制であるとの批判を浴びて紛糾を余儀なくされたわけでございますが、こうしたプライバシー権の保護と報道の自由との対立が生じた原因の一つに、現在の法形式の問題があるのではないかと私は思いました。
つまり、民間の全分野に規制の網をかける一般法といいますか、先ほど先生御案内のとおり、包括法の形式ではなく、民間で扱う個人情報に関しては、金融機関にしろ医療機関にしろ、扱う個人情報の性質が違えば規制方法も異なるはずであると思うのです。ですから、個別法で定めるべきであったと私は思うわけであります。
堀部先生は、このことに関しまして、平成十一年六月の段階で、もう既に朝日新聞紙上において、包括的ということで民間部門をすべて対象にするということになると、例えば、マスメディアをどのように扱うかということを議論する必要がある、こう述べられているわけであります。
その後、先生が座長を務められました個人情報保護検討部会の中間報告においても、こちらも見せていただきますと、公的部門と民間部門を通じる基本法・プラス・セクトラル方式とおっしゃっておられます。つまり、個別分野方式ということを提案しておられまして、結局、我々、衆議院を通過するに当たり、医療や金融などの特定分野を対象とした個別法の必要性が附帯決議に盛り込まれるというわけになりました。
こうしたことから見て、今般の個人情報保護法の法形式の功罪につき、先生は今どのような、御評価は簡単で結構なんですが、御感想という感じでお伺いしたいなと思いますので、こういう機会ですので、よろしくお願いします。
この発言だけを見る →本当に、全国に知る権利というものを広めるということが、まずは早急に行政も法整備もしなければいけないということで理解させていただきました。
次に、プライバシー権に関しての御質問をさせていただきます。
そもそも、個人のプライバシー権を保護する目的で法制化が進められました個人情報保護法案が、その審議の過程で、メディア規制であるとの批判を浴びて紛糾を余儀なくされたわけでございますが、こうしたプライバシー権の保護と報道の自由との対立が生じた原因の一つに、現在の法形式の問題があるのではないかと私は思いました。
つまり、民間の全分野に規制の網をかける一般法といいますか、先ほど先生御案内のとおり、包括法の形式ではなく、民間で扱う個人情報に関しては、金融機関にしろ医療機関にしろ、扱う個人情報の性質が違えば規制方法も異なるはずであると思うのです。ですから、個別法で定めるべきであったと私は思うわけであります。
堀部先生は、このことに関しまして、平成十一年六月の段階で、もう既に朝日新聞紙上において、包括的ということで民間部門をすべて対象にするということになると、例えば、マスメディアをどのように扱うかということを議論する必要がある、こう述べられているわけであります。
その後、先生が座長を務められました個人情報保護検討部会の中間報告においても、こちらも見せていただきますと、公的部門と民間部門を通じる基本法・プラス・セクトラル方式とおっしゃっておられます。つまり、個別分野方式ということを提案しておられまして、結局、我々、衆議院を通過するに当たり、医療や金融などの特定分野を対象とした個別法の必要性が附帯決議に盛り込まれるというわけになりました。
こうしたことから見て、今般の個人情報保護法の法形式の功罪につき、先生は今どのような、御評価は簡単で結構なんですが、御感想という感じでお伺いしたいなと思いますので、こういう機会ですので、よろしくお願いします。
堀
堀部政男#18
○堀部参考人 先生今お話しされたとおりの経過で、私は議論をしてまいりました。
お手元の資料二の四ページに図を書いておきましたが、図1の方の中間報告は、平成十一年、一九九九年の十一月十九日に出したものであります。この場には、他の基本法と同じように理念をうたうものとして基本法を定めまして、その基本法の趣旨にのっとって、公的部門については現行の行政機関電子計算機処理個人情報保護法の見直し、その法律ばかりじゃないんですがほかのものも含めて見直し、それから、民間部門につきましてはセクトラル方式で対応し、あとは自主規制でいく、こういうことを提案いたしました。
その後の法制化専門委員会も、ぜひそういうところで検討していただきたいということで提案したわけでありますけれども、その法制化専門委員会の議論の過程で、一般法的な条項も含めて提案するということになりました。図2の個人情報保護基本法制に関する大綱は、平成十二年、二〇〇〇年の十月十一日のものですけれども、こういうふうになりました。
それをもとに法案化しましたところ、先生御指摘のように、メディア規制法ということで批判を浴びまして、その中の特に五つの基本原則についてそうしたことが出てまいりましたので、ここをどうすべきかということでその後も議論をしてきたところであります。
私の考え方はここで言う図1でありましたが、その後の具体的な議論の過程にもかかわっていまして、図2にあるような形のものも議論としては参加し、もちろん反対意見も出しているんですが、こういう形になった現状としますと、そういう中で現実的に対応しなければなりませんので、一般法的部分、現在の法案ですと第四章の「個人情報取扱事業者の義務等」のところでありますけれども、この運用に当たっては、他の利益、表現の自由等の利益もありますが、また営業の自由という憲法上の利益もありますので、こうしたものに不当に介入することのないようにしていくべきではないかと思います。
この問題は現在審議中でありまして、参考人として四月二十一日にも意見を述べさせていただきましたが、大変発言しにくい状況にもありますので、以上のようなことで。
この発言だけを見る →お手元の資料二の四ページに図を書いておきましたが、図1の方の中間報告は、平成十一年、一九九九年の十一月十九日に出したものであります。この場には、他の基本法と同じように理念をうたうものとして基本法を定めまして、その基本法の趣旨にのっとって、公的部門については現行の行政機関電子計算機処理個人情報保護法の見直し、その法律ばかりじゃないんですがほかのものも含めて見直し、それから、民間部門につきましてはセクトラル方式で対応し、あとは自主規制でいく、こういうことを提案いたしました。
その後の法制化専門委員会も、ぜひそういうところで検討していただきたいということで提案したわけでありますけれども、その法制化専門委員会の議論の過程で、一般法的な条項も含めて提案するということになりました。図2の個人情報保護基本法制に関する大綱は、平成十二年、二〇〇〇年の十月十一日のものですけれども、こういうふうになりました。
それをもとに法案化しましたところ、先生御指摘のように、メディア規制法ということで批判を浴びまして、その中の特に五つの基本原則についてそうしたことが出てまいりましたので、ここをどうすべきかということでその後も議論をしてきたところであります。
私の考え方はここで言う図1でありましたが、その後の具体的な議論の過程にもかかわっていまして、図2にあるような形のものも議論としては参加し、もちろん反対意見も出しているんですが、こういう形になった現状としますと、そういう中で現実的に対応しなければなりませんので、一般法的部分、現在の法案ですと第四章の「個人情報取扱事業者の義務等」のところでありますけれども、この運用に当たっては、他の利益、表現の自由等の利益もありますが、また営業の自由という憲法上の利益もありますので、こうしたものに不当に介入することのないようにしていくべきではないかと思います。
この問題は現在審議中でありまして、参考人として四月二十一日にも意見を述べさせていただきましたが、大変発言しにくい状況にもありますので、以上のようなことで。
小
小林憲司#19
○小林(憲)小委員 最後に、簡単に一つお願いいたします。
最近、防衛庁の自衛官募集に際しまして、適齢期の中学生や高校生らの住民基本台帳からの摘出、住民基本台帳で閲覧が認められている四情報以外の情報、親の名前ですとか職業、続柄なども提供するよう自治体に要請があったと。
閲覧が認められているわけですが、先ほど来、プライバシーですとかアクセスだとか、非常に難しく、日本語にトランスレートできないものやいろいろなニュアンスのものがあるというお話。閲覧と提供というものは違うというふうに思われますが、いかがでしょうか。それで私の質問を終わります。
この発言だけを見る →最近、防衛庁の自衛官募集に際しまして、適齢期の中学生や高校生らの住民基本台帳からの摘出、住民基本台帳で閲覧が認められている四情報以外の情報、親の名前ですとか職業、続柄なども提供するよう自治体に要請があったと。
閲覧が認められているわけですが、先ほど来、プライバシーですとかアクセスだとか、非常に難しく、日本語にトランスレートできないものやいろいろなニュアンスのものがあるというお話。閲覧と提供というものは違うというふうに思われますが、いかがでしょうか。それで私の質問を終わります。
堀
堀部政男#20
○堀部参考人 自衛隊員の募集についての適齢者の情報収集につきましては、新聞社からコメントを求められまして、知っております。
そのときに申し上げましたのが、今先生御指摘のようなことでありまして、住民基本台帳法では閲覧の規定が十一条にありますが、提供についての明文の規定はありません。そういう状況の中で提供をするというのは、住民基本台帳法全体の趣旨に反するのではないかというふうに考えています。
私、住民基本台帳法の改正問題は、昭和六十年、一九八五年に、磁気テープ等による調製それから閲覧のときも、あの当時はまだ住民基本台帳に記載されます項目全部が閲覧対象になっていたわけです。しかし、その閲覧をするときに閲覧事由を明らかにして、その閲覧事由が不当な場合には市町村長は閲覧を拒むことができる、こういう形で個人情報保護、プライバシー保護を図りました。
九九年、平成十一年の改正のときには、十一条のところも、閲覧できるもの自体を四情報に限る、こういう改正をしておりまして、この意味は非常に大きいと思います。
しかも、あの住民基本台帳法そのものが、個人情報についての閲覧というものを一方では認めていることで、公開法であると同時に保護法でもある、その両者を兼ね備えた法律であるというふうに見ております。ですから、この運用に当たりましては、その趣旨を踏まえて、やはり、保護という側面を十分考えるべきではないかと思います。
一方、自衛隊法施行令による「資料の提出を求めることができる。」という規定との関係につきましても、それ以前ですと、そうしたことがあるいは解釈上も可能だったかと思いますが、やはり一方で、個人情報を保護するということを非常に強く打ち出して改正もしていますので、今日の時点におきましては、今まで行ってきたものについて見直しを図るべきではないか。やはり個人情報保護と、もちろん資料の提出というのも重要なんですが、では、そこでどこまでの資料の提出を求めることが、法令的には根拠はあるにしても、一方の保護との関係で、そこのバランスは今後ともぜひきちんと解釈していただきたいと思っています。
この発言だけを見る →そのときに申し上げましたのが、今先生御指摘のようなことでありまして、住民基本台帳法では閲覧の規定が十一条にありますが、提供についての明文の規定はありません。そういう状況の中で提供をするというのは、住民基本台帳法全体の趣旨に反するのではないかというふうに考えています。
私、住民基本台帳法の改正問題は、昭和六十年、一九八五年に、磁気テープ等による調製それから閲覧のときも、あの当時はまだ住民基本台帳に記載されます項目全部が閲覧対象になっていたわけです。しかし、その閲覧をするときに閲覧事由を明らかにして、その閲覧事由が不当な場合には市町村長は閲覧を拒むことができる、こういう形で個人情報保護、プライバシー保護を図りました。
九九年、平成十一年の改正のときには、十一条のところも、閲覧できるもの自体を四情報に限る、こういう改正をしておりまして、この意味は非常に大きいと思います。
しかも、あの住民基本台帳法そのものが、個人情報についての閲覧というものを一方では認めていることで、公開法であると同時に保護法でもある、その両者を兼ね備えた法律であるというふうに見ております。ですから、この運用に当たりましては、その趣旨を踏まえて、やはり、保護という側面を十分考えるべきではないかと思います。
一方、自衛隊法施行令による「資料の提出を求めることができる。」という規定との関係につきましても、それ以前ですと、そうしたことがあるいは解釈上も可能だったかと思いますが、やはり一方で、個人情報を保護するということを非常に強く打ち出して改正もしていますので、今日の時点におきましては、今まで行ってきたものについて見直しを図るべきではないか。やはり個人情報保護と、もちろん資料の提出というのも重要なんですが、では、そこでどこまでの資料の提出を求めることが、法令的には根拠はあるにしても、一方の保護との関係で、そこのバランスは今後ともぜひきちんと解釈していただきたいと思っています。
小
小林憲司#21
○小林(憲)小委員 知る権利、大変長い時間をかけて先生御研究なさって、今度からは、知った方の責任といいますか、知るための責任といいますか、法の整備を我々も一生懸命やっていきたいと思いますので、どうか御指導のほどよろしくお願いします。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →ありがとうございました。
大
太
太田昭宏#23
○太田(昭)小委員 公明党の太田昭宏です。
先生には、情報公開法とか個人情報保護法で大変御尽力をいただきましたことを心から感謝申し上げたいと思いますし、私も個人情報保護法にはずっとかかわってきたものですから、きょうはまだ審議中でありますから、その件はちょっと省いて、原理的なお話から聞きたいと思います。
このプライバシー権というものの根拠は、現在、憲法十三条ということが一般的に言われるんですが、特にプライバシー権というもののあり方というのが、最近は、情報という、インターネット時代というものに即応して出てきているということからいきますと、十三条というだけでなく、むしろ二十一条というものが根拠になるのではないのかなという感じがひとつしております。
このプライバシー権というものに対する根拠となるもの、そしてそれは新しい権利として憲法に書かないかということになりますと、他に代替するものがないというようなことが非常に大事な要素になると思いますけれども、そこで読み切れるから表示しないでいいかどうかということがあるかと思いますが、私は、憲法のあり方として、ある日本の方向性を示すということからいきますと、国民憲法という、国民主権というものをもっと前面に出す、あるいは人権憲法として、基本的人権の諸要素をもっと前に出す、あるいは環境憲法という方向で、環境権を初めとする要素を前面に出すというような憲法のつくり方があるのではないかということを感じているわけです。その意味で、私は、これからますます、情報化社会ということになる中で、何らかの形でプライバシー権というものが表示できないかと。
九〇年代にできた約七十ぐらいの新しい世界の憲法の中で、七〇%が何らかの形でプライバシーの権利というものを表示しているということからいきますと、表示するという積極性というものがあっていいのかな、こういうふうに思うのですが、先生いかがでしょうか。
この発言だけを見る →先生には、情報公開法とか個人情報保護法で大変御尽力をいただきましたことを心から感謝申し上げたいと思いますし、私も個人情報保護法にはずっとかかわってきたものですから、きょうはまだ審議中でありますから、その件はちょっと省いて、原理的なお話から聞きたいと思います。
このプライバシー権というものの根拠は、現在、憲法十三条ということが一般的に言われるんですが、特にプライバシー権というもののあり方というのが、最近は、情報という、インターネット時代というものに即応して出てきているということからいきますと、十三条というだけでなく、むしろ二十一条というものが根拠になるのではないのかなという感じがひとつしております。
このプライバシー権というものに対する根拠となるもの、そしてそれは新しい権利として憲法に書かないかということになりますと、他に代替するものがないというようなことが非常に大事な要素になると思いますけれども、そこで読み切れるから表示しないでいいかどうかということがあるかと思いますが、私は、憲法のあり方として、ある日本の方向性を示すということからいきますと、国民憲法という、国民主権というものをもっと前面に出す、あるいは人権憲法として、基本的人権の諸要素をもっと前に出す、あるいは環境憲法という方向で、環境権を初めとする要素を前面に出すというような憲法のつくり方があるのではないかということを感じているわけです。その意味で、私は、これからますます、情報化社会ということになる中で、何らかの形でプライバシー権というものが表示できないかと。
九〇年代にできた約七十ぐらいの新しい世界の憲法の中で、七〇%が何らかの形でプライバシーの権利というものを表示しているということからいきますと、表示するという積極性というものがあっていいのかな、こういうふうに思うのですが、先生いかがでしょうか。
堀
堀部政男#24
○堀部参考人 ただいまの、太田先生、一応、憲法に規定を入れるべきであるという御趣旨だと理解いたしましたが、日本国憲法の制定の議論の中でも、当時、アメリカから示唆されて、プライバシーと今日言っているものに相当するものを規定するというような議論もあったと聞いております。その当時、既にアメリカでは、プライバシーの権利というのは、各州の判例、あるいは州によっては法律ということもありますが、それによって認められていたということもありまして、そうしたことがありましたが、日本ではその概念は取り入れられませんでした。
ほぼ時を同じくいたしまして、一九四八年の世界人権宣言の中などでは、プライバシーという概念が入っていまして、これを日本では私生活と訳したりしていまして、余り関心を引かなかったものというふうに思いますが、その後の、プライバシーに対する関心が高まってきた中で、一九四〇年代後半の文章の中にも同じような趣旨のものがあるということで、改めて関心を呼んだことがあります。
今後、インターネットに代表されるようなネットワーク社会の中で、プライバシーの権利というのはますます保護されなければならない状況になっていますので、その根拠として憲法に明文の規定を設けるということは、ぜひ御検討いただきたいというふうに思っています。
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今後、インターネットに代表されるようなネットワーク社会の中で、プライバシーの権利というのはますます保護されなければならない状況になっていますので、その根拠として憲法に明文の規定を設けるということは、ぜひ御検討いただきたいというふうに思っています。
太
太田昭宏#25
○太田(昭)小委員 もう時間が余りないんですが、先ほど倉田先生がおっしゃったのは非常に大事なところだというふうに私は思っておりまして、メディアについて、自己情報コントロール権、アクセス権というものが、本来は国家に対してのものであるけれども、メディア対国民ということは何らかの形で想定されてもいいのではないかということで、お答えは、それはそのとおりであるが、同時に、そこは除外規定というものが設けられるというお話でありました。そうすると、それは、結局のところは裁判ということにゆだねられるしか方法はないのかなという感じがひとつするわけですね。
そこで、今の報道被害とかさまざまな問題からいきますと、今回の個人情報保護法の論議の中で、逆に、メディアの自主規制というものが前進してきたというのは非常に評価されることであろうと私は思っておりまして、その意味では、現在のBROとか、その辺のあり方というものについて、私はもっと強化してもらわなくてはいけないなというふうに、自主規制というものはあくまでいくべきで、そこはそこでもう少ししていただかなくちゃいけないなということの観点が一つ、先生はどうお考えか。
そしてもう一つ、アメリカ等では懲罰的損害賠償という概念があって、それは日本の法体系と違っていて、日本の場合は、刑事と民事と両方でこれを押さえていくという考え方から、法体系が違うから非常に賠償額も少ないんだという話がありますが、私は、両方相まって幾らぐらいかということで、まだ相当日本は緩いのではないかなという感じがしているわけですが、この辺の、賠償額あるいは懲罰的損害賠償に近い物の考え方ということについて、いかが考えるか、御教示いただきたいと思います。
この発言だけを見る →そこで、今の報道被害とかさまざまな問題からいきますと、今回の個人情報保護法の論議の中で、逆に、メディアの自主規制というものが前進してきたというのは非常に評価されることであろうと私は思っておりまして、その意味では、現在のBROとか、その辺のあり方というものについて、私はもっと強化してもらわなくてはいけないなというふうに、自主規制というものはあくまでいくべきで、そこはそこでもう少ししていただかなくちゃいけないなということの観点が一つ、先生はどうお考えか。
そしてもう一つ、アメリカ等では懲罰的損害賠償という概念があって、それは日本の法体系と違っていて、日本の場合は、刑事と民事と両方でこれを押さえていくという考え方から、法体系が違うから非常に賠償額も少ないんだという話がありますが、私は、両方相まって幾らぐらいかということで、まだ相当日本は緩いのではないかなという感じがしているわけですが、この辺の、賠償額あるいは懲罰的損害賠償に近い物の考え方ということについて、いかが考えるか、御教示いただきたいと思います。
堀
堀部政男#26
○堀部参考人 メディアの自主規制は、今回の個人情報保護の議論の中で随分強化されてきていると思います。放送の場合には、その前からいろいろ問題が提起されまして、先生御指摘のBROができまして、これをどのようにさらに有効に機能するようにするかは、関係者の間ではいろいろ議論をしております。
また、メディアが個人情報保護法案からは除外されているわけですけれども、一方で、裁判所による救済は従来どおりあるわけでありまして、その際に損害賠償額をどうするのか、これもこのところ多額になってきている。それに対してメディアが批判をしているという状況もあります。
先生御指摘の懲罰的損害賠償、英米法ではピューニティブダメージズと言っておりますが、このピューニティブダメージズを日本で取り入れるべきだという議論は、前から法律家の間にありまして、そのこともいろいろ論じられております。
しかし、最高裁判所が、懲罰的損害賠償に関する外国判決の執行を日本でするについて、日本では、先生御指摘のように、民事責任と刑事責任というのを分けまして、懲罰的損害賠償というのは刑事責任の問題に近いということで、これを日本の制度として取り入れるわけにいかない、こういう判断を示したものですから、その段階で、学界の議論も、どちらかといいますと最高裁の判決に影響されて、余りそこを強調しなくなっている嫌いがあります。
しかし、一方で、懲罰的損害賠償は、過去の損失、損害を補うというばかりではなくて、将来にわたっても、同じような行為で他人の権利を侵害するようなものを防止するという側面もありますので、そうした議論をどうするか、これも立法的には可能であると思いますので、また検討していただければというふうにも思っています。
この発言だけを見る →また、メディアが個人情報保護法案からは除外されているわけですけれども、一方で、裁判所による救済は従来どおりあるわけでありまして、その際に損害賠償額をどうするのか、これもこのところ多額になってきている。それに対してメディアが批判をしているという状況もあります。
先生御指摘の懲罰的損害賠償、英米法ではピューニティブダメージズと言っておりますが、このピューニティブダメージズを日本で取り入れるべきだという議論は、前から法律家の間にありまして、そのこともいろいろ論じられております。
しかし、最高裁判所が、懲罰的損害賠償に関する外国判決の執行を日本でするについて、日本では、先生御指摘のように、民事責任と刑事責任というのを分けまして、懲罰的損害賠償というのは刑事責任の問題に近いということで、これを日本の制度として取り入れるわけにいかない、こういう判断を示したものですから、その段階で、学界の議論も、どちらかといいますと最高裁の判決に影響されて、余りそこを強調しなくなっている嫌いがあります。
しかし、一方で、懲罰的損害賠償は、過去の損失、損害を補うというばかりではなくて、将来にわたっても、同じような行為で他人の権利を侵害するようなものを防止するという側面もありますので、そうした議論をどうするか、これも立法的には可能であると思いますので、また検討していただければというふうにも思っています。
太
大
武
武山百合子#29
○武山小委員 武山百合子でございます。
きょうは、重要なお話をありがとうございます。
早速ですけれども、先ほどのお話の中で、日本と世界の知る権利、情報公開論議という中で、実は、私、六年前にノルウェー王国政府の招待ということで、環境、外交、防衛を中心にノルウェーを訪ねたときに、それらの関係の方々にぜひお会いしていただきたいということで、たまたま外交官の方とお会いしました。
その方は、いわゆる船を居住にしている、海洋国であるということで、船の中で生活をしている大使だったんですね。ぜひその方とお会いしていただきたいということで、いろいろびっくりいたしました。ノルウェーの国はそういう大使をきちっと任命して、船の中に居住する大使がいるということに対していろいろ、一つの視点で今お話ししておりますけれども。
そのとき出た話で、私とあなたで今会っているこの内容は、武山さんが日本へ帰られて、もしこの内容が欲しいということであれば、情報は数週間で公開できますと言われたんですね。私はびっくりいたした次第なんです。その中で、船を居住にしている大使がいるということやら、いわゆる外交上のお話が出たんですけれども、そういう内容が数週間で情報公開されるということを聞きまして、ああ、日本とは大変違うなというショックと同時に、大変進んだ国なんだなということで帰ってまいりました。
そういう意味からしまして、日本は、いわゆる公的な国の部分、それから地方は大変情報公開が進んでおりますけれども、外国から見た日本の情報公開の程度というのはどのくらいなんでしょうか。先ほど、数十年おくれているということですけれども。
この発言だけを見る →きょうは、重要なお話をありがとうございます。
早速ですけれども、先ほどのお話の中で、日本と世界の知る権利、情報公開論議という中で、実は、私、六年前にノルウェー王国政府の招待ということで、環境、外交、防衛を中心にノルウェーを訪ねたときに、それらの関係の方々にぜひお会いしていただきたいということで、たまたま外交官の方とお会いしました。
その方は、いわゆる船を居住にしている、海洋国であるということで、船の中で生活をしている大使だったんですね。ぜひその方とお会いしていただきたいということで、いろいろびっくりいたしました。ノルウェーの国はそういう大使をきちっと任命して、船の中に居住する大使がいるということに対していろいろ、一つの視点で今お話ししておりますけれども。
そのとき出た話で、私とあなたで今会っているこの内容は、武山さんが日本へ帰られて、もしこの内容が欲しいということであれば、情報は数週間で公開できますと言われたんですね。私はびっくりいたした次第なんです。その中で、船を居住にしている大使がいるということやら、いわゆる外交上のお話が出たんですけれども、そういう内容が数週間で情報公開されるということを聞きまして、ああ、日本とは大変違うなというショックと同時に、大変進んだ国なんだなということで帰ってまいりました。
そういう意味からしまして、日本は、いわゆる公的な国の部分、それから地方は大変情報公開が進んでおりますけれども、外国から見た日本の情報公開の程度というのはどのくらいなんでしょうか。先ほど、数十年おくれているということですけれども。