五十嵐敬喜の発言 (国土交通委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○五十嵐参考人 五十嵐です。
今そういう質問があったものですから、私の意見をちょっと言わせていただきたいのです。
私自身は、そろそろこの時期は、ポスト公共事業社会といいますか、旧来型の公共事業にかわる新しい社会像を示すべきであるというふうに思っております。その重要な一つが、今先生のおっしゃいました美ということであります。
私は先生に後で本をプレゼントしたいと思いますけれども、美しい都市をつくる権利というものが国民に保障されるべきであるということを考えておりまして、これを少し憲法論的なレベルでいいますと、土地所有権の問題のあり方とか、あるいは新しい日本の価値観の統合の一つの価値原理としてこの美というものを考えるべきであるということを強く強調しております。
それに当たりまして、先ほどの計画高権と価値の調整のことについて少しいきますけれども、では、だれがつくるかということです。
悪くするとファシズムになるわけですけれども、そうではなくて、国民全体として、いわゆる真の公共、真の公益といいますか、そういうものとして美を位置づけた場合に、従来型のシステムの中で決定的に欠けていたのは、この美という観点が公共事業には一つもないということです。今回の法案にもそういうことは全くございません。それはやはり、国家が全体を決めるのは好ましくないということだろうと思いますけれども、だからこそ、逆に言えば、それを市民にゆだねるべきであるということですね。
あの計画高権のときに、これは法学的に最も、ドイツ法以来の最も大きな争点でありますけれども、何が問題かといいますと、だれが物事を決めるかということがあります。一番最初には、王様がいまして、これが決めているんです。二番目は、だんだん近代になりますと官僚が決める。三番目は、やはり国民主権に基づいて国会が決める。日本は、ちょうど官僚から国会の中間ぐらいに今あるんだろうというふうに思います。この法案もそうだと思うんです。民主党の公共事業コントロール法案というのは国会になるんですが、最終的にはそこでも足りなくて、いわば市民が直接的に決める、一部分については市民にゆだねていい。それは直接民主主義の復活であり、あるいは住民投票、制度的に言えばそういうものだと思いますけれども、恐らく美についてもそういうものに一部ゆだねるというぐらいの要請が時代的には来ているんだろうというふうに思います。その考え方が全然議論もされないし、同じテーブルで何かつくるというテーブルがまだなかったというのが今までの不幸だったんではないかというふうに思っています。
美しい都市を市民が事業としてつくっていくこと、これがポスト公共事業社会の新しい目標だと私は思っております。