正村公宏の発言 (予算委員会公聴会)

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○正村公述人 正村でございます。
 時間が大変制約されておりますので、私が重要と思うことを二点だけお話ししようと思っております。
 申しわけございません。二、三日前にレジュメを渡してしまいますと、それと違う話をするリスクがありますので、ぎりぎりまで考えておりまして、お手元に何もございません。
 大きな柱になるようなお話を申し上げます。
 最初に申し上げたいのは、財政のあり方についての基本的な考え方をここらで確定する必要があるんじゃないかと。
 私が率直に疑問に思いますのは、政府という組織は過去の教訓を学ぶということができない組織なのではないか、そういう疑問を持ちます。何を言いたいかといいますと、財政というのは経済という大きなシステムのサブシステムである。しかも極めて重要なサブシステムである。したがって、財政だけを眺めて財政の再建を考えたら必ず誤るということですね。財政だけを考えて、例えば、赤字減らしのために短期間のうちに何とかしようと思って抑制的な政策をおとりになると、経済が不均衡を起こしますから、必ずそれが財政にはね返る。今まさにそういう姿になりつつあると思いますが。
 今回の場合を含めて三つのケースを申し上げたいと思います。
 まず、一九八〇年代の前半、臨調行革ということをおやりになりました。そんな古い話をするのかということをお感じになるかもしれませんが、今につながる重大な誤りをしているわけです。なぜかと。臨調行革のときに、「増税なき財政再建」をスローガンにして年々公共投資を削りましたね、物すごい勢いで。あのとき私は、こんな財政運営をやっていたら、どんな国際競争力の強い経済であっても必ずおかしくなるということをしゃべったり書いたりしていたんですね。
 数年を経ずして貿易黒字が急拡大をいたしました。アメリカのレーガノミックスと時期が重なったという不運もあったんですけれども、あんなことをやったら貿易黒字が拡大するに決まっているんです。貯蓄超過になって黒字が拡大いたします。その結果、急激な円高が起こりましたね。三年間に円の対ドル価値が二倍になるような激変がありましたね。円高不況が起こり、アメリカからの黒字削減の圧力がかかり、内需拡大だと言ってアクセルを踏んで、それがバブルを引き起こして、その反動で九〇年代の深刻な経済危機が起こったわけですね。
 財政運営の誤りが経済の不均衡を拡大させて、経済を危機に追い込むということを学ばないといけないと思うんです。
 もう一つの例を申し上げますと、これは皆さん御記憶に新しいと思いますが、九七年の橋本内閣の財政構造改革という、財政再建の計画をお出しになりました。
 あのときも私はどういうことを言っていたかというと、私のアリバイを言ってもしようがないんですけれども、どういうことを言っていたかといいますと、財政の再建は重要であり、赤字は減らさなければならないけれども、三年とか五年とかという限られた期間のうちに何とか格好をつけようと思って財政を抑制したら、日本経済の安定成長は不可能になりますよ。財政再建は、三十年かかって赤字を広げてしまったわけですから、十年、二十年、三十年かけて何とか健全化するという粘り強い取り組みをしないといけないのであって、短期間のうちに格好をつけようと思ったら経済がだめになる。経済がだめになったら、財政の再建どころではなくなりますよ、改革どころではなくなりますよというのがあのときの私の発言でありました。
 残念ながら、私の懸念は的中したのであります。私の懸念が的中したということは、私にとっては喜ばしいことでありますけれども、日本経済にとっては大変悲しいことですよね。
 ところがなぜか、その後しばらくの間景気対策をいろいろ政府はおやりになったわけですけれども、今度の小泉内閣になって、改めてこれではだめだというふうにお考えになったんでしょうけれども、基本的にまた同じことをおやりになったと思います。財政改革を棚上げにして景気対策をやるか、景気対策を棚上げにして財政改革をやるかという二者択一を入れていらっしゃるわけです、政府のやっていることは。
 それをやっていたらじり貧になります。こういうことをやっていたら、国家と社会が破滅に追いやられます。絶えず中途半端なことになって、じりじりと追い詰められて、来年度予算案を拝見しますと、国債依存率が四四%。じり貧予算ですよね。なぜそうなったのかということについてお考えいただきたいわけです。
 繰り返しになりますが、財政は経済という大きなシステムの重要なサブシステムであって、経済を無視して財政再建を急げば必ず経済がおかしくなって、その経済がおかしくなったことが財政にはね返るということをお考えいただきたいわけです。
 そのことをもう三回も、今申し上げただけでも三回間違えているわけですから、ここらあたりで、財政を再建するということを日本経済の中期、長期、超長期の展望の中での安定成長の保証ということに関連づけて、こういう危機が深ければ深いほど周到な戦略が要るわけでありますから、議会及び政府の内部においてぜひ真剣に御検討いただきたい。これは、経済専門家の私どもを含めての責任でもありますけれども、考えないといけないと。今までのいろいろなでき合いの議論では処理できない深刻な事態にあるだけに、経済と財政の関係をしっかりお考えいただきたい、考えようではありませんかということを御提案申し上げたいわけであります。
 ついでにそれとの関連で申し上げますと、財政を引っ込めなければならない、いや、財政では景気のことはもう構っていられない、財政の切り詰めが先だ、あるいは再建が先だ、赤字減らしが先だということで、財政が引くということを一方で考えておられるために、ここしばらくの間の政府のいろいろな対応を拝見していますと、金融に過大な期待をかけていらっしゃると。しかし、金融というのは、それぞれが採算性を考えて行動するはずの企業とか家計とかいうものが、自分の判断でお金を借りて投資をするかしないかということが最後に問題なんですから、財政とは違うわけです。
 こういう深刻な不況のときに、しかも、ただ数量的に縮小しているという不況ではなくて、デフレが起こっている。数年前には、物価が大幅に下がれば国民の実質所得が上昇するからいいんだという気楽な議論がはやったことがありますけれども、とんでもないということを私は言っていたわけです。物価が大幅に下がるということはデフレですよ、デフレが起こったら大量失業が発生しますよ、規制緩和、規制緩和で物価を下げればいいなどという気楽な議論はちょっとやめてほしいということを言っていたわけです。今は皆さんはデフレを心配していますよね。これも私の懸念のとおりになった。これも、私のアリバイを言っているのでちょっと恐縮なんですが、当たり前のことを無視した議論が多過ぎるんですよ。
 そういう状態のときにお金をだぶつかせて、投資が起こってきますかと思うんです。投資がなぜ起こらないか。それは、目の前で物価がどんどん下がっているわけですから、物をつくっても採算がとれない。数量も落ち込んでいるわけです。そして、先ほど申し上げたいろいろないきさつがあって円が高くなり過ぎちゃって、中国を含めた新興国に生産設備が移動している。こういう事態の中でどうして国内で投資が起こりますかと。
 お金をだぶつかせれば投資が起こるというのは幻想であります。そういう幻想に基づいて、政府は財政を消極的に運営せざるを得ないから、金融何とかしてくれよ、日銀何とかしてくれよ、資金をだぶつかせるような運営をしてくれよというのは私は筋が通らない。そういう筋の通らない議論を何回も何回も繰り返しておられるというのは、私は知的な退廃だと思います。認識のリアリズムに欠けていますよね。認識のリアリズムと実践のリアリズムということを呼び戻してほしいわけです。いや、もともとあったのかどうか疑わしいですけれども。でも、それがなかったら滅びます、本当に。そのことを私は強調したいわけです。
 第二に申し上げたいことは、そういうふうに考えるならば、財政のあり方ということについて、新しい時代に合った前向きの対応をしなきゃいけない。前向きの対応というのは、過去にあったような公共投資の大盤振る舞いを繰り返すということでは絶対にあり得ないわけです。
 そもそも公共投資については、これも私は、三十年来の持論なんですけれども、景気が悪いからといって公共投資をばんばんふやすというやり方はやめた方がよろしい、景気がよ過ぎるからといって公共投資を一挙に絞ってしまうのもやめた方がいい。公共投資というのは、未来の世代のためにどういう国土を残すか、どういう都市を残すか、どういう生活環境を構築して次の世代に渡すのか、こういうことのためにやる事業でありまして、道路をどんどんつくって、一日に何台車が通るかわからないようなところに何本も道路をつくるようなことをやっているというのであるとすれば、そのことをやることで景気が多少よくなったからといって満足するわけにいかないでしょう。公共投資というのは、長期の社会資本整備の観点からきちんと計画を立ててじっくりやる。多少の弾力性は必要ですけれども、臨調行革のときのように急に締めたり、あるいは、七〇年代後半のように大盤振る舞いをばんばんやったり、こういうことはやらない方がいい。
 私は、二十一世紀、どういう社会をつくるのかということについてのしっかりした構想をお持ちになって、ナショナルゴールというのは、政府がつくって国民に押しつけるものではございません。国民のコンセンサスに基づいて、合意に基づいて、どういう社会を目指すのかということを考えなきゃいけないわけであります。しかしながら、そのコンセンサスづくり、二十一世紀の日本、二十一世紀の世界はどうするのかということについてのコンセンサスづくりのリーダーシップを政府が発揮していただく必要があると思うんです。そういうメッセージが見えるような予算編成をやっていただきたいわけです。
 何が課題か。明らかなことは、二十世紀型の、資源浪費的、環境破壊的、そして人間破壊的なこの文明はもたないことがわかっているわけです。私たちは、厳しくても、環境と教育及び人間形成、そして生活の安全保障のための福祉、こういうところにしっかり重点を置いて、環境が守られ改善されて、そして、教育がしっかり行われて信頼できる人間が形成される。今の日本の社会の最大の問題は、子供たちが自分たちの力で社会をつくって生きていく能力を身につけるということが困難になっているということです。社会力とかいう言葉を使っている社会学者がいらっしゃいますけれども、まさにそうなんですね。社会をつくって生きていくという能力を身につけることができなくなっている。学力云々というよりも、学力を本当につけていくような意欲、動機づけがないわけですよ。目標喪失の状態に子供を置いているわけですよ。テレビとかテレビゲームが彼らの精神を破壊しているわけですよ。こういう状態からどうやって脱却するかということを真剣に考えないといけないと思います。
 ですから、私は、新しいタイプの積極財政のようなものをお示しいただくことができないだろうかと。積極財政というと古いイメージかもしれませんが、社会の安定と安全を目指すためのポジティブな、前向きのプログラムを持った財政運営、予算編成というものを考える。それが、引っ込み過ぎる、削り過ぎるということを抑えて、大事なところにお金をちゃんとかけていますよ、そういう予算編成にするということにつながると私は思うんです。
 繰り返しになりますが、環境と教育と福祉。環境は、森林の保全とか、河川、湖沼、海洋、そういうものを本当に力を入れて浄化していく。不必要な埋め立てなんかはやらないようにして、生活環境をまず保全する、あるいは改善する。それから、都市化が物すごく進んでしまって、通勤時間が長くなって住宅事情が悪くなっているわけですから、省エネルギー化を一生懸命進めて新しい都市をつくるということと、通勤時間は短くしたり、あるいは通勤しないでも済むような働き方を工夫したり、二十一世紀型の働き方をつくるということとつながりますよね。そういうビジョンを持って、どこにお金をかけるかということをお考えいただきたい。
 教育については、私は差し当たり次のようなことを御提案申し上げたいと思うんです。
 家庭の教育力を強めることは、保育力と教育力ですよね。少子化が行き過ぎているわけですし、それをサポートすることが重要であることは改めて申し上げるまでもないわけですけれども、家庭と地域社会共同体の教育力が衰弱しているという現実を踏まえて、学校教育のあり方を強化する。学力、学力という話がありますが、私は学力を軽視するものじゃありませんけれども、繰り返しになりますが、さっき申し上げたように、社会力が問題なんです。
 七〇年代に、私は、ドイツ並みに日本の小学校も二十五人学級にしたらどうですかということをある団体のプロジェクトで提案したことがあるんですけれども、まじめに聞いてもらえませんでした。でも、今思うに、先生の目が行き届くような教育にしなきゃだめなんですね。十年かけて二十五人学級をつくる、そのために優秀な人材を集めて、育てて配置する、そういうプログラムをおつくりいただけないか。成熟した社会は、成熟した社会が存続するために、明確な目的意識を持って、子育て、あるいは、子供を育てるというより子供が育つ環境、条件をつくる、そういう取り組みをする必要があると思うんです。
 それから、福祉の分野については、時間がありませんから要点だけを申し上げますけれども、何が足らないかというと、いろいろな事業は民間の主体にゆだねることは結構だと思うんです。いろいろな民間の主体が出てきて、それが介護やその他の事業を行う。そういうところにゆだねるのは結構だと思うんです。一番欠けているのは何かというと、相談なんですよ。
 ケースワーカーという仕事がありますけれども、ケース・バイ・ケース、それぞれの人の抱えている問題ごとに、あなたならこういうサービスが受けられますよ、こういう施設がありますよ、こういうことをやったらどうでしょうかという、そういう真剣に、親身になって相談してくれる人が非常に少ないんです、日本の場合には。地方公共団体の側が、ケースワークとかケアマネジメントとか、そういう仕事をする人をもっと抱えないといけません。
 現実はどうかというと、多くの自治体で、ケースワーカーというのは大変だから、大学を出たばかりの若い人をちょっと配置して、三年ぐらいここで我慢しなさい、そうしたら君の希望するところへ回してあげるからとやっているわけですよ。すべての自治体とは言いませんが、そういうことをやっているところは多いんです。しかも、人数が非常に少ないから雑務がいっぱいあって嫌がるわけですよ。こんなことをやっていて、豊かになった社会と言えるかというんです。
 この国会の中を見て愕然としますけれども、そこらじゅう階段だらけで、めちゃくちゃにバリアフリーでないですよね。昭和初年の建物だと思いますけれども。このバリアフリーでない社会が、物理的なバリアフリーだけじゃないんですよ、ヒューマンウエアの面でバリアフリーになっていないんです。家族のだれかが倒れたときに、あそこへ相談に行けば必ずちゃんとやってくれるということを、周りを見て経験して知っていれば、安心感がありますでしょう。
 そういうところに人材を育てて配置するということにお金をかける。これは、道路をつくるよりも少ないお金で効果があります。そして、短期的な経済的効果は限られているけれども、国民に安心感を与え、目標を与えるという効果がありますね。こういうメッセージをちゃんと込めた予算編成をやっていただかないと、いつまでもじり貧財政になると私は思います。
 最後に一言、哲学みたいなことを申し上げますけれども、二十世紀初頭の世界の知的状況と二十一世紀初頭の世界の知的状況の決定的な違いがあります。それは、計画経済はだめだということを、深刻な物すごい犠牲を払った二十世紀の大実験の結果、多くの人が認識しているということです。やはり、高度の文明を維持していくには市場経済を使うしかないかということをみんな思っているということです。
 しかし、市場経済には、御存じのようにたくさんの欠陥があります。放置すれば、環境を破壊し、社会を破壊し、文化を破壊する。子供の生育環境を破壊し、家族の機能を低下させるんです。だから、その市場経済をどうやって制御するか、コントロールするかということについて、しっかりした考え方を持たないといけない。小さな政府論は破産しています。政府は、小さければいいんじゃないんです。強くて信頼のできる、しっかりした、やることをきちんとやっている政府をつくっていただかないといけないんです。この思想転換をやっていただかないと、日本はじり貧に追い込まれます。そのことを御提案申し上げて、私の話を終わらせていただきます。
 御清聴どうもありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 正村公宏

speaker_id: 10584

日付: 2003-02-25

院: 衆議院

会議名: 予算委員会公聴会