明石康の発言 (憲法調査会)

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○参考人(明石康君) ありがとうございます。
 今日は大変に、ここにお招きいただいて、光栄と存じております。
 二人の碩学に囲まれて、国連の実務を担当してきた立場から率直に私の意見を述べさせていただきたいと思います。
 私は、国連の邦人職員の第一号として国連に入りまして、約四十年間にわたってそこで仕事をしてきました。特に、日本人であると、また日本国憲法というものを持った国民として、まあ悪びれることもなく、また特に肩に力を入れることもなく仕事をしてこれたと思います。そういった私の考え方の背景には、日本国憲法と国連憲章というのは基本的に同じ理念に立っているという信念があったのではないかと思います。
 私は、国連に入る直前に、一九五六年十二月十八日でしたけれども、重光外相の国連加盟演説を聞いておったわけでありますけれども、そのことについて私が岩波新書に書いた一節をちょっと読ませていただければと思います。
 重光演説が人を感動させたのは、それが戦後日本人の精神史をしっかり踏まえて大胆かつ率直に国連に対処する日本の立場を訴えたためだと思う。日本人の平和に対する希求が敗戦という言語に絶する苦しい体験に根差していることや、戦争の惨禍をなめた国民が今までの国家主義や軍国主義に代わる新しい国際関係の理想を求めていることは疑いのないところだった。日本国憲法の前文がいかに翻訳臭さを残したものであれ、世界の平和を愛する国々の公正と信義に信頼し、共存の理想にすべてを掛けて生きようという国民の決意は何の無理もなく、そのまま、我らの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の災害から将来の世代を救おうという国連憲章の精神に一直線につながっていくものに思われた。
 ちょっと飛びまして、戦争と武力の行使を放棄した国民としては、自国の安全を守り、国際平和を維持する道として国連を強化していかなければならないことは当然のことだったというようなことを書いております。
 この重光さんの演説は、英語としてはやや訥々としておりましたけれども、非常に格調の高いものだったと思います。しかし、それを考えてみますと、肯定的な側面としては人類の未来を先取りしているそういう高い理想主義がそこにありますけれども、当時の日本としてはアメリカの手厚い庇護により国際政治の、権力政治の荒波から隔離されていると、そういうことからくる厳しい権力政治への無知というような否定的な側面もあったと思います。そういったような考え方は、日米安保条約の第十条、つまり国連による安全と平和の体制ができるまでのつなぎとしてこういう条約があるんだというふうな考え方にもあるいはつながっておるのかもしれません。
 とにかく日本は国連加盟を申請して四年半ほど待たされ、その間ソ連による拒否権が三回も行使されましたので、国連に入るということは日本国民の本当に大きな悲願でありましたし、そのプロセスにおいて国連というものがやや美化され神格化されていったということもあると思います。
 しかし、最近はそれと逆に、イラク戦争に関連する国連への失望から、国連というのは何もできないんだというような考えとか、安保理の常任理事国になれないという挫折感から一種の閉鎖的な国粋主義みたいなものが出てきて、何で国連に一九・六%も分担金を払うんだというふうな議論も最近はよく聞こえます。
 国連の分担金というのは基本的には支払能力に基づいておりますので、いずれは、日本のGDPは世界との対比において次第に少なくなってきておりますので、数年すれば一五%くらいになるのは見えておるのでありますし、また、国連の分担金委員会とか第五委員会の審議を経た上で決まっておることでありますから、一方的に我が国が分担金を削減するというふうなことは、我々が批判するアメリカの一国主義につながる日本的一国主義ということになりはしないかという感じもいたします。絶対額でいいますと、国民一人当たり六百円ちょっとしか払っていない勘定になります。平和のためにそれくらいの額しか払っていないということを記憶すべきではないかと思います。
 とにかく、国連に加盟してから我が国は、国連第一主義と、それからアメリカとの同盟関係、それからアジア諸国との協調ということを外交の三原則として掲げてきたわけでありますけれども、加盟した五年後には、国連第一主義というものよりもアメリカとの協調が第一であるというふうに外交青書の中で解釈を変えていきました。
 国連というのは、いろんな意味で日本にとっては重要な存在であり、看板でもあったんですけれども、日本の外交政策が非常に国論が割れてジレンマに当面したようなときに、一つの隠れみのとして国連による決定というようなものを求める傾向もあったと思います。例えば、中国代表権の問題について国論が分かれたときは、正に国連に祝福されるようなときには、我が国も政策を変えるというふうにして政策当事者は説明をしました。
 それから、憲法前文でありますけれども、そこを流れておるのは基本的に平和主義であり国際主義であると思います。名誉という言葉が前文には二度も出てきます。最初には、「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という、そういう信念が述べられております。私は、こういう名誉ある地位を占めるという基本的な決意を変える必要は毛頭ないと思いますけれども、ともすれば、その中にはやや過度な理想主義があるというふうにも解釈されないことはありません。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼するという言葉が出てきますけれども、果たして今の厳しい国際状況の中でそういうものに信頼して、全面的に信頼を寄せていいのであろうかということは問われてしかるべきでしょうし、政治道徳の原則は普遍的なものであるというような言葉に関しても、それはそうかもしれませんけれども、各国の行動を見ている限り、必ずしもそういう理念に合致しているとは思われないという面もございます。
 昨年の六月に、官房長官が私的懇談会として国際平和協力懇談会を作りまして、私は座長としての役目を仰せ付かりまして、十二月の十八日に我々の四十から成る提言を小泉総理と福田官房長官に提出いたしました。
 その中で我々が一致してコンセンサスとして強調したのは、我が国はもっと積極的に平和定着のためいろいろ活動していいのではないかと。我が国のODAも、高過ぎるなんというような批判もありますけれども、決してそうではなくて、それを有効に活用する、平和のために使う道はいろいろあるのではないかと。
 それから、我が国はお金とか機材を提供するだけではなくて、国際的に活躍する人材、若い人の中ではそういう人たちは多くなっていますけれども、こういう人材の育成をもっともっと組織的にやるべきだというふうなことを強調しております。
 その中ではいろんなことを言っておりますけれども、一九九二年にPKO協力法が通りまして、カンボジアPKOに参加して十年が過ぎたわけですけれども、この参加のための五原則というものも、余り硬直した形で解釈せずに、これを柔軟な見地から見直すべきであろうと。
 また、平和執行というふうな、国連憲章の第七章にうたっておるような行動に日本は参加しないと、従来どおりのPKOにとどめるということではなくて、ある条件の下では多国籍軍への参加も考えるべきであろうと。ただし、そのためには二つの条件を満たさなくてはいけない。その一つは国連決議があること、それは安保理決議であることもあるでしょうし総会決議であることもあると思います。それからもう一つは、我が国の参加は後方支援にとどめるべきであろうと。医療とか通信とか運輸、そういったような面にとどめるべきであろうということを我々のコンセンサスとしてまとめました。
 憲法九条のことになりますけれども、私はもちろん九条の第一項は問題ないと思います。問題になるのは第二項でありますけれども、戦力と交戦権を否定しておるということで、これは解釈によって運用していくべきなのか、きれいさっぱりと削除すべきなのか、意見の分かれるところだと思います。削除した方が論理的にはすっきりしていいとも思われますけれども、これは坂本教授も今言われたんですけれども、我々はそれにつけても近隣諸国、中国とか韓国を含む近隣諸国との信頼関係を損なわないように配慮しながら、誤解がないような形で削除すべきであろうと思います。
 この国際平和協力懇談会は、憲法前文は引用し、それに基づいておりますけれども、九条には触れませんでした。というのは、不毛な議論をそこで行うよりは、具体的な問題についての合意を求め、課題を探すことが重要だと我々は考えたものですから、そういう議論に集中しました。
 それから、この九条との関連で、自衛権の問題、個別的並びに集団的自衛権の問題がよく語られますけれども、これに関しましては、国連憲章の五十一条にそういう自衛のための固有の権利という言葉が使われております。この固有の権利と日本語に訳されている言葉は、英語ではインヒアレントライトとなっておって、日本語よりも重い意味があると思います。今、坂本さんが言われたような、自然権としての自衛権という意味が含まれておると思います。
 一九二八年にケロッグ・ブライアン不戦条約というのが結ばれましたけれども、それの立て役者であったアメリカの当時の国務長官は、何でケロッグ・ブライアン条約の中に自衛権の規定をしなかったのかという質問に対して、自衛権というのはもうどの国でも持っているということが自明のことであるから、あえてそれを不戦条約の中に入れなかったのだということを言っております。これはグッドリッジとハンブローという人の書いた国連憲章についての最も権威のある本の中に出てきます。
 この国連憲章五十一条というのは、実は国連憲章を作成する過程では出てきませんでした。やっと、一九四五年の春から夏にかけて開かれたサンフランシスコの条約の中に突如として規定されたわけですけれども、ラテンアメリカ諸国が作った米州機構を考える上で、一九四五年の三月にチャパルテペック会議というのがメキシコで開かれました。そこで、やっぱりラテンアメリカの安全保障の体制を国連にひっかき回されては困るというふうな問題意識がありまして、アメリカの当時の上院議員であったバンデンバーグさん辺りがそれに賛成して、結局そういう懸念を五十一条に盛り込むことになりました。
 国連という普遍的な安全保障体制が拒否権その他によって機能しなくなった場合の一つの安全弁として、セーフティーネットとして五十一条というのが付け加えられたわけでありまして、国連の体制の基本はあくまでも五十一条以外の第六章、第七章に盛り込まれておる規定であると言えると思います。しかしながら、冷戦が始まりまして米ソの対立が起き、結局この五十一条がNATOとか、またそれに対抗するワルシャワ条約の法的な根拠とされたわけであります。そういうことで、冷戦時代には非常に広範に適用されることになりました。
 しかし、このさっき触れましたグッドリッジとハンブローの本の中では、国連を作るときに、やっぱり核兵器というものが出てきたということが、国連にはまだ国連憲章を作る段階では予想されなかったのではないかということが言われております。
 つまり、五十一条の自衛権の発動というのは、武力攻撃があった場合に安保理が行動を取るまでの期間において加盟国はそういう権利を持つということでありますから、武力攻撃の存在が前提でありますけれども、核兵器を使った攻撃が行われるならば、もうそれに対する防御手段はないというふうに見られることから、五十一条の規定は、核時代においては既に時代後れの規定ではないかという懸念が出て、生まれてきました。
 また、例の九・一一以来、テロリズムの出現に関連して、テロという見えない敵に対しては相手から攻撃を受けるまで待ってはいられない、したがって先制攻撃の権利というものが語られるというふうなことになってきました。
 そういうことで、五十一条というのは新しくいろんな意味で語られ、脚光を浴びておるわけですけれども、やはり国際連盟を作り、国連を作っていった人類の歴史を見ますと、自衛権というものが我が国を含めいろんな国々によって濫用されておった、それに対する国際社会の大きな歯止めとして自衛権の制限ということが考えられるようになったということを我々は忘れてはいけないと思います。自衛権の拡大解釈をどのようにして戒め、制約するかというのは、今のようにブッシュ政権が突出した形で過剰な、過剰に見える自信を持っているような時代においては、そういうことが語られる必要はあると思います。
 私は国連に対する過剰な信頼とか幻想を持つことも危険だと思いますし、また、かといって国連は何もできないと全くの国連無用論に立つのも極めて危険だと思います。国連というのは人類が今の段階で持つ国際社会の世論を反映する一番のバロメーターでありますし、国際社会におけるルール作りというのは、余り効率的ではありませんけれども、やはり国連を通じて一歩一歩そういうことが行われてきております。
 国連はうまく機能することもあるし、そうでないこともあるわけでありまして、それは国連憲章に欠陥があるというよりは、結局、国連を支えておるのは国連を構成する加盟国であるということから出てくるんだと思います。国連を生かすも殺すも加盟国の決意にかかわっております。特に、安保理の常任理事国を構成する大国の意思に掛かっておるわけであります。
 私が国連に入る直前に、一九五六年の秋にハンガリー問題とスエズ運河の危機がありました。スエズ危機に際しては、国連は非常に有効に緊急国連平和軍を作って対処できました。ハンガリーにおけるソ連軍介入に関しては、国連は非難決議を繰り返すだけで有効な行動が取れませんでした。
 結局、そういうことで、国連はうまくいくこと、栄光のときもあるし、失意に沈んでしまうときもあるということであろうと思います。国連を粘り強く一歩一歩育てていくというような問題意識が我が国の場合、極めて必要だと思います。
 その意味で、カナダの国連外交というのは非常に参考になるんじゃないかと思います。アメリカとの同盟関係については、我が国よりももっと幅の広い根強いものがあると思いますけれども、国連に関しましては、アメリカと一線を画して行動しております。人権の問題、軍縮の問題、アフリカの開発の問題、こういったようなことでカナダはイニシアチブを取りましたし、またここ数年の間にも対人地雷の廃止の問題、国際刑事裁判所の設立の問題、環境の問題、こういったようなものではアメリカに明らかに批判的な行動を取ってきております。
 そういうことで、我々は同盟関係というものと国連重視というものを何とかかんとか調和させるように努力し、二国間の関係、地域的な関係、多国間の関係、また地球的な外交というものを重層的に展開していくしかほかはないのではないかと思います。
 ありがとうございます。

発言情報

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発言者: 明石康

speaker_id: 32147

日付: 2003-05-14

院: 参議院

会議名: 憲法調査会