村田晃嗣の発言 (憲法調査会)

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○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
 本日は、お招きいただきまして光栄に存じます。
 本日のテーマは緊急事態法制ということでございますが、今般、国会で有事関連三法が既に成立をしておりますが、ここでおっしゃる緊急事態法制というのは有事法制よりも広い概念であろうというふうに存じますが、それでも、今般、有事三法案が既に成立をしたということは私は大変結構なことではないかというふうに存じます。
 もちろん、有事関連法につきましては、国民保護法制、国民の基本的人権を含む問題などがまだ未解決のまま残っておりますから、そうした問題が今後どのようにクリアされるのかという今後の課題というものが非常に大きいかと思いますけれども、しかし、日本を取り巻く国際環境、とりわけ朝鮮半島の緊張の高まりということを考えますと、今国会でも日本が有事法制を成立できなかったということになれば、実際はできたから結構なわけですが、できなかったということになれば、それが対外的にどういう外交的メッセージとして伝わるかということを考えますと、今国会で有事法制が与野党の多数の賛成で成立したことは、日本の対外的なメッセージとして私は大いに意味のあったことじゃないかというふうに思うわけであります。
 さらに、今般の有事法制ももちろん百点満点のものではございませんけれども、しかし、それまでは武力攻撃の事態については、せいぜい自衛隊法の八十八条で、事態に対して合理的な範囲で対処するという極めて漠然とした規定しかなかったことを考えますと、今般の有事法制が整備されたということは大変大きな進歩ではないかというふうに思っているわけであります。
 例えば、安全保障や法律に百点満点ということはございません。したがって、完璧主義に陥ると私ども過ちを犯すと思いますけれども、日米防衛協力のための指針、いわゆるガイドラインのときにも、最初にガイドラインが作られました一九七八年には、これは専ら日本有事の研究しかできなかったわけでして、広い意味での極東有事の研究には全く着手できなかったわけであります。
 そういう意味では本来のミッションを果たすものではなかったですけれども、しかし、七八年にガイドラインができ、その後の日米の防衛協力が進んだということが、九七年に周辺事態を含めたより包括的なガイドラインの改正につながる大きな前提を整備していたわけでありまして、有事法制も今のものが完璧でないから無意味だということにはならず、これは必要に応じて更にいいものに改正をしていけばよいわけですから、そういう大きなグラウンドができたというふうにまず考えるべきではなかろうかというふうに私は考えております。
 それから、既に佐々参考人のお話あるいは資料の中にも出てまいりましたけれども、私は、有事とか、あるいはより広い意味での緊急事態の政府の意思決定、迅速性、それから正当性を確保するという意味で、総理大臣の職務権限の代行といいますか、あるいは指揮権というのかもしれませんけれども、順位というものをより明確に法的に定める必要があるというふうに存じております。
 これは内閣法の問題かもしれませんし、あるいは国家行政組織法の問題かもしれませんけれども、今のところは各内閣が成立したところで総理の職務代行権というものがその都度定められているように存じますが、例えばアメリカの場合でしたら、御承知のとおり、大統領、副大統領、そして下院議長以下、大統領の職務の代行権限の順番が非常に緻密に決まっているわけでありますし、大統領が一般教書演説で連邦議会を訪れるようなときには、大統領の職務権限の継承者の一人が必ず場を外すというような配慮までされているわけであります。そういう意味で、この総理大臣の、自衛隊の最高指揮者である総理の職務権限の代行について法的な整備を進める必要があるのではないかというふうに私は存じております。
 今般の武力攻撃事態対処法でも、有事に際して対策本部が作られて、総理が本部長におなりになって、閣僚がすべてメンバーになり、総理以外の閣僚一人が副本部長になるということまでは定められております。恐らく、私が想像するところでは、総理が本部長になられた場合、副本部長は内閣官房長官がおなりになる可能性が非常に高いと思いますけれども、しかしながら、内閣官房長官というのは、例えば有事というのは想定できないことが起こるような事態なわけですから、首相官邸が攻撃を受けたとか、あるいはこの国会議事堂が攻撃を受けたというような場合、総理大臣と一緒に死んでいる可能性の一番高い閣僚が内閣官房長官でありまして、そういう意味では総理と内閣官房長官だけというのでは不十分であって、総理の権限の継承というものを更に緻密に検討する必要があるのではないかというふうに存じております。
 その点で申しますと、これは実は私、先般有事法制の特別委員会で本院の福井の公聴会にお招きいただきまして、そのときにも申し上げたことなのですけれども、私、甚だ残念に思いますのは、先生方がいらっしゃる国会議員の議員会館の入口に金属探知器が設置されたのが九・一一のテロの後だというふうに私は聞き及んでおりまして、これは甚だ危機意識に欠けることではないかというふうに思っているわけであります。
 別に国会議員の生命が我々一般国民より大事というのではなくて、国会議員は国民の信託を受けて政治を全うする責任があるのであって、その国会議員のいる議員会館に金属探知器が他国であのような大規模テロが起こるまで置かれていなかったというのは、これは国会議員の怠慢と私は言わざるを得ないと思います。
 そのように私、その福井の公聴会のときに申し上げましたところ、そこに御出席のある委員の先生方から驚くべきことを伺いまして、金属探知器は置かれたけれども、今でも国会議員と秘書は通らなくてよいと。それでは金属探知器が置かれた意味はこれは全くないのでありまして、しかも、私、お招きいただきながらこのようなことを申し上げるのは甚だ恐縮でございますが、本日、私は参考人としてここまでやってくるまでにも金属探知器を通る必要はございませんでした。ちょっとした東京の都心の高層ビルのオフィス街に行こうと思ったら、入口で金属探知器を通らないと行けないというようなことは多々あるわけでありまして、高層ビルのオフィス街、オフィスのところへ行く方が国会議事堂の中に入るより警備が厳重だということでは、これは全く本末転倒と言わざるを得ないのであって、そもそも国会議員の危機意識というものについてかなり見直していただかなければならないのではないかということを私はあえて申し上げたいというふうに存じます。
 それから、これも有事法制の話の中で出てまいりまして、そして緊急事態とも関連するかと思いますけれども、民主党の御提案で、危機管理庁の設置というものについて検討するということが有事法制に盛り込まれております。
 私は、この危機管理庁を設置するということについて何ら原理的にこれに反対するものではないのですけれども、恐らくこれはアメリカのあのFEMAと言われる組織、緊急事態管理庁というのでしょうか、連邦緊急事態管理庁というのでしょうか、FEMAをモデルにしてお考えになっているのではないかというふうに思うのですけれども、アメリカの場合は、アメリカ合衆国軍が基本的には外に出て戦う外征部隊であるということを前提にして、連邦制を取るアメリカでFEMAのような組織がある。我が国の場合は、自衛隊は全く逆でございまして、外に出て戦うことは想定されず、国民の間でも自衛隊に対する信頼感が一番高いのは国内での大規模災害等々での自衛隊の活動ということであって、アメリカとはそういう意味で随分前提が違う。
 そういう中で、アメリカのFEMAのようなものを模倣して危機管理庁というものを作ることが果たしてこの危機管理体制の前進に役に立つかということは、制度論を超えて具体的、慎重に御検討いただく必要があるのではないかと思うんです。防衛庁があり、警察があり、その他様々な中央官庁がある。さらには地方自治体がある。これが有事なり緊急事態のときに有機的に協力をしていくと、これは大変大事なことですけれども、危機管理庁のような組織を作ることは、もしかしたら、防衛庁と警察庁とその他の中央官庁にプラスアルファ、屋上屋を架して、更に官僚的な縄張争いを激化させるだけになるかもしれない。
 問題は、制度ではなくて、日本の政治文化であり官僚文化の問題ではないかというふうに私は思っておりまして、危機管理庁を作ることは反対というわけではありませんけれども、もしお作りになるとするならば、単なる制度論にとどまらない踏み込んだ議論を是非していただきたいというふうに存じております。
 この調査会での大きなテーマは「平和主義と安全保障」ということだそうでございますから、もう少し広く安全保障の問題について若干私見を申し述べさせていただきますけれども、冷戦が終わりましてから日本は、それも今日、佐々参考人が大変緻密な資料を御用意くださっておりますが、冷戦後にも我が国は多くの安全保障関係の法律を制定してまいりました。九二年のPKO法、それから周辺事態法、さらにはテロ対策特別措置法、そして先般の有事法制と、次々にそれまでであれば考えられないような重要な立法がこの十年ほどの間に成立してきたわけであります。
 私は、それは大変大きな進歩、前進であるというふうに思っておりますけれども、残念ながらそうした立法はその都度の国際環境の必要性に迫られて、極めて短期間に、限定的な目的で個別の立法が積み重ねられていったという傾向があるのではないかというふうに思うわけです。したがいまして、憲法との整合性の問題というような大きな問題については、問題を回避するような形になっているところがなくはない。それは、このイラク特別支援法案ですか、今御審議になっている法案についても、非戦闘地域なのか戦闘地域なのか、戦闘地域なら武力行使と一体化でできないというような話や、PKOの武器使用基準の問題というような根本問題はその都度手を付けないままといいますか、後回しにしながら、その時々の必要性に応じて重要な立法を重ねてきた。
 もちろん、国際政治においてタイミングというのは極めて重要でありますから、タイムリーに法律を作るということは大事でありますけれども、冷戦終えん以来十年以上たって、今、やはり日本は広い意味での日本の安全保障をどう考えるのかというグランドピクチャーをといいますか、大きな戦略的枠組みを明示すべきではないかと。個別の立法でその都度対応するというのではなくて、憲法とそうした個別の立法をつなぐ安全保障基本法というような、我が国の安全保障政策の全体像を示す立法を考案する、そういう必要性があるのではないかというふうに私は思っております。
 そして、憲法の中で大変問題になります集団的自衛権の行使の問題につきましても、私は政府の現在の解釈に反対でございまして、集団的自衛権を保持しているけれども行使できないというのは、少なくとも私には納得のできない議論でありますけれども、この集団的自衛権の内閣法制局の解釈を国会はどうお考えになるのか、国権の最高機関である国会はどうお考えになるのかということを、例えば安全保障基本法のような法律をお作りになって、その一項目の中で国権の最高機関としての権威ある解釈をお示しになるということも私は一つの方途ではないか。少なくとも、内閣法制局というような一官僚機関に憲法の解釈をゆだねるのでなくて、国会自身が九条の集団的自衛権の行使の問題についての御見解をお示しになるというようなことがもし可能であれば、今後の安全保障に関する立法がよりスムーズに、あるいは整合的にできてくるのではないかというふうに私は思っているわけであります。
 もちろん、憲法にいたしましても、あるいは法律にいたしましても、制度にいたしましても、繰り返しますが、一〇〇%ということは存在いたしません。したがいまして、水島参考人が御指摘になりましたように、権力の濫用という問題は常に潜在的にあるわけであります。しかし、他方で、法整備ができていなかったり制度ができていなかったときの不備といいますか、そのときの被害、マイナス面というのがあるのであって、問題は、それをてんびんに掛けたときにどちらが深刻な問題であるかということをバランスよく検討していくことであろうというふうに考えております。
 九・一一のテロ以降、あるいはイラク戦争以降明らかになったこと、国際政治上、日本の安全保障と密接にかかわり、明らかになったことについて若干お話し申し上げたいと思いますが。
 一つは、私、やはりアメリカの力の優越というものが極めて明瞭になったと。事軍事力に関して言うならば、世界の軍事費の四〇%をアメリカ一国が支出している事態であり、軍事技術については、もうこれは他の追随を許さない圧倒的な優越をアメリカが今持っているという中で、確かに日米同盟も過去において非常に難しい問題を抱えてまいりましたが、実は日本だけではなくて、アメリカと韓国、あるいはアメリカとヨーロッパといった世界じゅうのアメリカの同盟国がこの巨大な軍事大国との同盟関係をどう維持していくのかという問題で悩んでいるのであって、日米同盟の課題や困難というのは実は私どもだけの固有の問題ではなくて、今の国際政治の普遍的な問題であると。この日米同盟とどう向き合っていくのかというのが、今後ますます難しい、そして重要な問題になるだろうというふうに存じております。
 さらに、国連についてでございますけれども、今回のイラク戦争をめぐって国連が、一部にはあたかも、国連かあるいはアメリカかというような短絡的な議論がなされましたが、そもそも国連かアメリカかという選択肢はあり得ないのであって、アメリカが国連の安保理常任理事国である以上、アメリカの意向に全く反した国連安保理決議は通らないのであって、今回のケースでも、国連かアメリカかではなくて、国連は意思決定ができなかった、安保理は意思決定ができなかったということになろうかと思いますけれども。
 しかしながら、私がいささかこの国連に関して危惧いたしますところは、国連というのは安全保障理事会だけではございませんで、ユネスコやユニセフ、WHOといった専門機関を抱えた非常に幅広い活動をしている機関であり、そして世界で一番大きな国際機関であることは言うまでもありませんが、このイラク戦争で国連安保理がうまく機能しなかったということをもって国連無用論というようなものが日本の一部で広がっていくとすれば、それは私はゆゆしきことではなかろうかと。
 国連中心主義と日本がしばしば言うところのものが具体的に何を意味するのか、私にはそれほど定かではありませんが、国連を過度に賛美するかと思えば、国連が一つの事例で失敗したかと思うと、今度は国連無用論のような議論が出てくるという、この極論から極論に走るというのは、日本の言論界がまだまだ成熟をしていないところであって、この国連をどのように世界の安全保障、そして日本の安全保障のために活用していくのか、国連の足らざるところをどのように補っていくのかという非常に機能的で多元的、複眼的な国連に対する見方が今求められているのではなかろうかというふうに存じます。
 そして、「平和主義と安全保障」というテーマでございますので、最後にこの平和主義ということについて一言だけ申し上げますが、戦後日本で平和ということはしばしば語られてまいりまして、企業の名前にも平和と、平和産業とか平和物産とか、さらにはパチンコ屋にも平和という名前が付きますし、たばこにもピースというのがございますから、戦後日本は平和というのを、言葉を極めて安売りして乱用してきたわけでありますけれども、しかし本当に日本人が、戦後の日本人が考える平和主義というのは一体何なのであるかと。
 もちろん、平和が単に戦争がないという状態を指すことではないことは言うまでもありませんけれども、平和そのものは私は国家の目標にはならないと思います、あるいは外交の目標にはならない。平和を超えて日本が、日本の国と社会が国際社会のために、あるいは人類のために一体何を果たそうとしているのかという、平和の向こうにあるものを議論しなければ、平和主義は単なる現状維持あるいは事なかれ主義に堕する可能性が非常に高くて、戦後日本はしばしばその平和の向こうにある目標を語ることなしに、そして平和に伴うリスクについて考えることなしに平和について語る傾向が非常に多かったのではないかと。
 この憲法をめぐる平和主義と安全保障の問題を御議論いただく中でも、日本の平和主義というのが本当に何を意味するのかと、日本がどこに向かおうとしているのかということについて、言葉を超えた深い御議論をいただければ大変有り難いことだというふうに存じております。
 少し時間が早いですが、これで終わらせていただきます。

発言情報

speech_id: 115614184X00920030716_006

発言者: 村田晃嗣

speaker_id: 35023

日付: 2003-07-16

院: 参議院

会議名: 憲法調査会