憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十五年七月十六日(水曜日)
午後一時一分開会
─────────────
委員の異動
七月十五日
辞任 補欠選任
木俣 佳丈君 小川 勝也君
角田 義一君 福山 哲郎君
松井 孝治君 榛葉賀津也君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 野沢 太三君
幹 事
市川 一朗君
武見 敬三君
谷川 秀善君
若林 正俊君
堀 利和君
峰崎 直樹君
山下 栄一君
小泉 親司君
平野 貞夫君
委 員
愛知 治郎君
荒井 正吾君
景山俊太郎君
亀井 郁夫君
近藤 剛君
桜井 新君
椎名 一保君
世耕 弘成君
常田 享詳君
中島 啓雄君
中曽根弘文君
福島啓史郎君
舛添 要一君
松田 岩夫君
松山 政司君
江田 五月君
小川 勝也君
川橋 幸子君
榛葉賀津也君
高橋 千秋君
ツルネン マルテイ君
福山 哲郎君
若林 秀樹君
山口那津男君
宮本 岳志君
吉岡 吉典君
吉川 春子君
松岡滿壽男君
大脇 雅子君
事務局側
憲法調査会事務
局長 桐山 正敏君
参考人
元内閣安全保障
室長 佐々 淳行君
早稲田大学法学
部教授 水島 朝穂君
同志社大学法学
部助教授 村田 晃嗣君
─────────────
本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
(平和主義と安全保障
—憲法と緊急・非常事態法制)
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この発言だけを見る →午後一時一分開会
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委員の異動
七月十五日
辞任 補欠選任
木俣 佳丈君 小川 勝也君
角田 義一君 福山 哲郎君
松井 孝治君 榛葉賀津也君
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出席者は左のとおり。
会 長 野沢 太三君
幹 事
市川 一朗君
武見 敬三君
谷川 秀善君
若林 正俊君
堀 利和君
峰崎 直樹君
山下 栄一君
小泉 親司君
平野 貞夫君
委 員
愛知 治郎君
荒井 正吾君
景山俊太郎君
亀井 郁夫君
近藤 剛君
桜井 新君
椎名 一保君
世耕 弘成君
常田 享詳君
中島 啓雄君
中曽根弘文君
福島啓史郎君
舛添 要一君
松田 岩夫君
松山 政司君
江田 五月君
小川 勝也君
川橋 幸子君
榛葉賀津也君
高橋 千秋君
ツルネン マルテイ君
福山 哲郎君
若林 秀樹君
山口那津男君
宮本 岳志君
吉岡 吉典君
吉川 春子君
松岡滿壽男君
大脇 雅子君
事務局側
憲法調査会事務
局長 桐山 正敏君
参考人
元内閣安全保障
室長 佐々 淳行君
早稲田大学法学
部教授 水島 朝穂君
同志社大学法学
部助教授 村田 晃嗣君
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本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
(平和主義と安全保障
—憲法と緊急・非常事態法制)
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野
野沢太三#1
○会長(野沢太三君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
日本国憲法に関する調査を議題といたします。
本日は、「平和主義と安全保障」のうち、「憲法と緊急・非常事態法制」について、元内閣安全保障室長の佐々淳行参考人、早稲田大学法学部教授の水島朝穂参考人及び同志社大学法学部助教授の村田晃嗣参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
忌憚のない御意見を承り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
議事の進め方でございますが、佐々参考人、水島参考人、村田参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの御質疑に答えていただきたいと存じます。
なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず佐々参考人にお願いいたします。佐々参考人。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する調査を議題といたします。
本日は、「平和主義と安全保障」のうち、「憲法と緊急・非常事態法制」について、元内閣安全保障室長の佐々淳行参考人、早稲田大学法学部教授の水島朝穂参考人及び同志社大学法学部助教授の村田晃嗣参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
忌憚のない御意見を承り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
議事の進め方でございますが、佐々参考人、水島参考人、村田参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの御質疑に答えていただきたいと存じます。
なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず佐々参考人にお願いいたします。佐々参考人。
佐
佐々淳行#2
○参考人(佐々淳行君) 本日はお招きいただきまして、大変光栄に存じます。
憲法と緊急事態対処法令というのが私のいただきましたテーマでございまして、二十分間、基本的な問題提起をさせていただき、あと細かい問題は後の質疑応答でできる限りお答えいたしたいと考えております。お手元にチャートみたいなのをお配りしてございますので、それを御参考にしながらお聞きいただきたいと存じます。
私、昭和二十五年、東京大学法学部、旧制に入学をいたしまして、憲法の先生は宮沢俊義先生でいらっしゃいました。そして、宮沢先生のみがほとんどあのときの憲法そのものでございまして、宮沢俊義学説以外、法制局見解もなければ政府統一見解も国会決議も何にもないという状態で始まった、昭和二十五年の話をいたします。
その講義を伺っておりまして私、疑問に思いましたのは、憲法第九条、これと憲法第九十八条の二項、九十八条の二項と申しますのは、九十八条というのが、第一項が憲法は最高法規であると書いてございますが、これに反するいかなる法律も政令も閣議決定も効力を有さないと書いてあります。そして第二項が、日本国政府が締結した条約と確立された国際慣行は、誠実にこれを遵守すると書いてあるんですね。
それで、講義を伺っております間、あのころまだ朝鮮戦争が始まる直前だったと思いますけれども、日本国は当然、マッカーサー、GHQの占領下にございまして、主権国家ではございませんでした。オキュパイド・ジャパンというのが国際社会における名称でございまして、占領下の日本、そして、いわゆる国家非常大権のようなものはマッカーサー元帥が握っておる、こういう状況のときに憲法の講義が行われました。
私、伺っておりまして、いつかある日、日本が独立をするであろう日が来るだろう、そうして条約を結ぶ日もあるだろう、そうすると、憲法九十八条の一項、憲法、最高機関だよと言っている一項と、国際条約はこれを誠実に遵守するというのがぶつかる日が来るんじゃないかと疑問を持ちました。更に大きく言うと、憲法九条と九十八条の二項、これがぶつかるんじゃないのかなと。手を挙げて質問をいたしました、条約と憲法とどちらが上位なんですかと。そうしたら、君は大変不勉強である、憲法と条約は同格である、というのが今でも明確に覚えている宮沢先生のお答えでございました。
あのときの抽象論としてはそれでよろしいんでございます。日本は、条約一つも持っておりません、独立主権国家でないんだからね。九条と九十八条二項。国連のメンバーでもございませんでした。だから、これはそれなりに法学部の憲法の答案としては同格であると書けば良かったわけでありますけれども、だんだんだんだん安全保障行政三十五年有余やりまして、その後もやっておりまして、これで五十年たちまして、やっぱり心配していたとおり九条と九十八条二項がぶつかり始めている。
九十八条の中でも、九十八条二項の結んだ条約、国連憲章という条約、これも国際条約でございますから、これに加盟をしておる国連憲章第四十二条、例えば、国連警察軍による、各国が兵力を出し合って侵略国に対する陸海空、武力による制裁を行うと書いてある。これに対しては、それぞれ挙兵義務を加盟国は負っておると。これと日米安保条約とがまたぶつかってきちゃうと。こういうような、果たせるかな、私の心配しておったような九条対九十八条、これが衝突をし始めておるということが今日の問題点の第一でございます。
すなわち、憲法は、御承知のように昭和二十二年の五月の三日に制定、公布をされたわけでありますが、その前の年の二十一年の十一月の三日にはもうほとんど完成しておったと。終戦後、一年と二か月ぐらいで国家基本法である憲法ができ上がり、しかもこれが憲法改正手続、九十六条によって、国会の衆議院三分の二、参議院三分の二、更に国民投票の過半数の同意、それが駄目な場合には最寄りの国政選挙において国民投票に代わるものを行うと、こういうことになっておりますね。これが憲法九十七条、改正手続なんでございますけれども。
国連は、できたときには日本は、国連は御承知、昭和四十五年の六月にでき上がっておるわけですが、我が国は沖縄でもって神風特攻隊の壮絶なる戦争をまだやっておるんですね。だから、六月二十三日に沖縄戦終わりますけれども、当然のことながら日本は国連憲章上、敵性国家という位置付けになりました。敵性国家条項、御存じのとおり、枢軸国、日独伊と、それにブルガリア、ハンガリア、ルーマニア、かわいそうにフィンランド。フィンランドのマンネルハイムがスターリンの侵略に対抗するためにドイツと組んだために、これは敵性国家になったんですね。この七か国の敵性国家というのは、国連憲章上、依然として日本の国際的な地位であると。
そして、日本は、本来ならば危機管理、非常事態対処法令というものを憲法の下でもってちゃんと順序正しく作りゃよかったのでございますけれども、お手元に「日本の防衛戦略における法令等時系列の混乱」という紙が一枚ございますが、これが言わんとしていることは、憲法が一番最初にできてしまいましたねと、そして二十二年の五月の三日に施行されまして、サンフランシスコ平和条約ができたのが二十六年の九月の八日でございます。この間、五十周年記念やっておりました。そして、二十七年の四月二十八日に施行されて独立国になるわけでございますが、このサンフランシスコ平和条約、これはこの段階でまだ日本は国連に加盟を許されておりません。直ちに国連加盟の申請を岡崎勝男外務大臣の名前で行ったのが二十七年の六月二十三日でございますが、ソ連の拒否を受けて、常任理事国の拒否権行使でもってこれは加盟できなかった。
そして、国連のメンバーにならないうちに朝鮮戦争等がございまして、自衛力を持たなきゃいけないと。警察予備隊ができて、保安隊になって、そして二十九年の六月九日、防衛庁設置法、自衛隊法ができます。ついでに申し上げますと、もう一つの危機管理法である警察法もこのときに成立をしております。しかし、成立の過程は、乱闘国会、そして単独採決でございます。こういう状況で通った。すなわち、自衛隊法というのが憲法のずうっと後になってできております。そして、国連に加盟をしたのが昭和三十一年の十二月十八日でございます。したがって、時系列が逆立ちをしておると。
日米安保条約に至っては、昭和三十五年の六月二十三日でございますから、これがいわゆる日米安保条約、この前に、サンフランシスコ平和条約のときに旧安保条約というのができております。これは、言うまでもなく、駐留権だけを認めた、日本防衛義務を負っていないという暫定措置だったわけでありますけれども。この国際条約というのが、九十八条の二項、これを遵守しなきゃいけないという国連の加盟が昭和三十一年であり、安保条約が三十五年であると。そして、自衛隊法は二十九年。
本来ならば、この独立が回復されたサンフランシスコ平和条約の時点において憲法改正考えなきゃいけなかったんだと私は思っております。
中曽根康弘元総理、当時青年将校でいらしたはずなので、私は、総理時代に、なぜあの独立回復したときに憲法改正をお考えにならなかったんですかと、青年将校としていかがでしたと。いや、当時はとてもそんなことを言える状況じゃなかった、そして独立回復のうれしさに紛れて、それはまた現実の問題じゃなかったから、みんな余り議論しなかったよと、こうおっしゃっておられました。
それでは次に、三十一年の十二月十八日、国連加盟が許されたときに、岡崎勝男メモというのをごらんになるとお分かりになりますけれども、バイ・オール・ミーンズで加盟国の義務を果たすと。そういう、岡崎勝男は日本国政府を代表してそれを誓約すると言っているんですね。
これは、もしもそれを、誓約を実行いたしますと、四十二条で軍事行動を、例えばアフガニスタンに対して行う、イラクに対して行う。典型的なやつがあのイラクの湾岸戦争でございますけれども、このときは常任理事会は、ソ連がゴルバチョフ、賛成でございますかね、トウ小平が棄権。これで初めて、常任理事国五か国の賛成若しくは棄権でもって四十二条制裁というのが初めて行われて、二十八多国籍参加しました。本来ならば、あのときに我が国も九十八条の一項と二項の矛盾というのを解決しておかなきゃいけなかったんだけれども、憲法九条を盾に、資金援助によってのみこれに対処をしたと、こういう経緯があるわけでございます。
したがって、国連という言葉は憲法の前文から最後まで全部読みましても一文字も出てこない。国連というのは想定外だったんですね、憲法ができたときには。そうして、本来ならば三十一年にきちんと国連を組み入れた憲法改正なり解釈の統一なりしておくべきだったやつを、それも先送りしてしまって、この二十一世紀に入ってから、もう正に九条対九十八条二項、これがバッティングをしておると。九十八条二項の中で、国連優先なのか日米安保優先なのかという、そういう議論まで始まっておると。
こういう混乱が始まったのは、そもそも、私は昭和二十五年の宮沢俊義解釈から始まっちゃっているのかなと。同格ではないんですね。御承知のように三つございます、この学説は。同格論というのは確かにございます。それから憲法上位論というのが、我が国法制局であるとか、あるいは内閣、これはやっぱり国内法優先という立場に立っておりますので、憲法優先論でございます。外務省は、どちらかというと条約優先論と。だから、同格なのか、条約優先なのか、あるいは憲法優先なのかということをそろそろ決めないといけない。どういう形で決めるかはこれから御審議をいただくということになるんだと思いますけれども。
そういう大きな矛盾が、国連という言葉が全然ないところから、国際協力を行うに当たって今度は、別表にチャートを付けてございます、国連憲章、一番上に第七章のことが書いてございます。第七章は三十九条から始まっております、四十条からここに書いてありますけれども。三十九条が調停だとか和解だとか、そういう平和解決のための交渉とか調停ですよね。四十条、紛争拡大防止のための暫定措置と書いてございます。この四十条というのがPKOの根拠であるとデクエヤル事務総長は申しましたよね。
そして、四十一条が非軍事的な制裁。これは、外交制裁、経済制裁、文化制裁、郵便物届けないとか、飛行機行かないとか、こういうのが第四十一条、非軍事制裁でございまして、四十二条が陸海空、武力による軍事制裁でございまして、四十三条は兵力使用の協定でございます。これは、国連事務局長とそれぞれの政府が個別折衝をすると書いてございます。
そして、兵種といいますかね、どういう貢献の仕方をするか。コンバタントとノンコンバタントとございます。コンバタントというのは戦闘行動です。ノンコンバタントというのは非戦闘行動、これは非軍事的な協力とまた違う概念なんですね。軍事行動の中における非戦闘任務、後方支援だとか医療だとか輸送だとか通信だとか情報だとか、これがノンコンバタントということになっております。これのどれでやるのということを四十三条でそれぞれ個別折衝をすることになっている。日本は、だから湾岸戦争のときには経済援助、軍事費を持ちましょうと百三十億ドル出したわけですね。そういう協力をあの際は選んだと。
五十一条が個別的、集団的自衛権。こういう国連憲章の条文のうち、武力の行使というのを認めておるのは四十二条と五十一条だけなんであります。この二つ、武力の行使と武器の使用というのを憲法あるいは法律解釈上きちんと分けなきゃいけないんだけれども、今や日本はめちゃくちゃになっておる。湾岸のときも、十二・七ミリ機関銃一丁持っていくのは武器の使用であって、二丁持っていくと武力の行使になるという信じられないような政府見解でもって十二・七ミリを一丁持っていったという、こういう議論なんですね。
今またイラク特別支援法でもってどうするのという話になっちゃっている。自爆テロで体当たりしてくるやつを六四式小銃で止まりますかと。だから、もう少し火力の大きいものを持っていかないと任務を果たせませんよと。任務を果たせないどころか、犠牲者が出ちゃいますよ、犠牲者の殉職者に対する弔慰金の制度確立していますかというと全然できていないんですから、死なないことを前提に出すわけですね。非戦闘地域なんというのはありゃせぬですけれども、非戦闘地域に出すから殉職者は出ないという楽観的な前提でもって現在の法律は進行しております。もう二十三日には可決されるんでしょうけれども。
これに対して私は大変懐疑的でありまして、殉職者に対する、倍額払うんだとか五割増しだとか言っているけれども、戦死するのは曹士ですよ。曹士というのは基本給せいぜい三十万か四十万でしょう。それを五割増しやったって四十五万じゃないですか。それから、退職金の倍やると言ったって、退職金、三年ぐらいしか勤務していないんだからもうせいぜい二百万か三百万でしょう。そうじゃなくて、何千万という、警察官に準じた、総理の弔慰金も加味したものを決める。現在のところ、総理の弔慰金、警察官、消防官には出ますけれども、自衛官には出ません。これを何とかきちんとしてから出さないといけないと私は思っておりますが、いずれにせよ、武器の使用というのは武力の行使でない、警察活動であると、こういうことを一応解釈上きちんとする必要があるんじゃないかなと思っております。
そこで、憲法が何を受けているかというと、五十一条を受けたのが憲法九条と解されます。これは、個別的自衛権、戦争は放棄する、侵略戦争はやらない、集団自衛権はやらない、だけれども個別的な自衛権だけは行使しますという芦田解釈その他によってこれが現在の防衛政策として確定をしておりますね。そして、集団自衛権はこれを行使しないと。
自衛隊法にこれが下りております。自衛隊法第三条の任務、直接、間接の侵略に対処するということと、必要に応じ公共の秩序維持のために武器の使用をいたします、これが治安出動と海上警備行動と領空侵犯、これであることは後で御質問があれば詳しく説明します。そして七十六条で防衛出動、これは総理が下令をいたしまして、八十八条で武力の行使が許されます。
武力の行使と武器の使用はどこが違うかというと、刑事責任ありません。武力の行使は国家の主権行為でありますので、国家が責任を負うということでもって、個人の責任を問う刑法は適用になりません。そういう意味で、物を破壊しても器物毀棄罪にならない、敵兵を殺傷しても殺人にならないというのが武力の行使でありまして、武器の使用の場合は警察官職務執行法の基本に準じて過剰防衛だとかなんとかがあると刑事責任が、警察官が負わなきゃいけない。それが武器の使用と武力の行使の最大の違いでございます。
そこで、自衛隊法第三条はこの五十一条から来た任務は受けておるんですね。そして、これ以外の、九十八条二項、国際連合の警察活動に伴う武器の使用に関する、これを受皿となっている条文は自衛隊法にもどこにもございません。だから、しようがないから何始めたかというと、国際緊急援助隊法から始まりますPKO法、周辺事態法、テロ特措法、そして武力攻撃事態対処法、今日審議しているイラク支援法と、こういう時限立法、しかも特別法で基本法をいじることなく次々と作ってきちゃったと、こういうやり方。これでまた北朝鮮対策法というのをお作りになる気なんですか、北朝鮮で事態が起これば。
これは、そういう問題が起こるたびに特別法を作っていくというやり方はそろそろ限界でございます。対決法案であった時代、これは確かに妥協の産物でたくさんへんてこりんな法律ができました。だけれども、先般の有事法制で九〇%の国会議員が賛成をしたと。こういうふうに大きく、ナイン・イレブンあるいは北朝鮮、ノドン、核開発の問題でもって大きく政治・軍事情勢が変わっているわけでありますから、この機会にやはりこの国家基本法というものを考え直す必要があるんではないかなと。
そして、内閣総理大臣の権限というもの、これもう一度考え直す必要があるんではないかなと。非常大権を現在の憲法はだれにも与えておりません。内閣総理大臣にも非常大権ございません。憲法上は六十六条から六十八条ぐらいで行政のトップであると書いてございますけれども、昭和二十二年法律第五号、これはマッカーサー時代に作った内閣法、これの四条、六条、これをごらんいただきますと、最高の行政の意思決定機関は合議体であるところの閣議であると。そうして、閣議は、六十八条、連帯責任論でもって、法制局の有権解釈だと、一人閣僚が反対をすると成立をしないと、こういう体制になっております。
したがって、この憲法と緊急事態法を考えるには幾つかの道があると思います。それこそ憲法改正、九条を改正するという、一番これ声高にこのごろ起こってきた議論、昔からある議論でございます。二番目は、明治憲法を新憲法で廃止してしまった最後の条文、明治憲法はこれを廃止するという形で新憲法を制定するという考え方がございましょう。三番目は、憲法はそのままにしておいて、その下の内閣法を変えることによって非常事態対処権限を民主的集中ということで、ある時間、ある条件を限って内閣総理大臣に与えるという、これは国家安全保障基本法とか危機管理基本法とかいろんな言い方を私しておりますけれども、これで対処するか。
提出してございます資料の中に、私は、憲法改正をあきらめてしまって国家危機管理法でいこうという幾つかの論文かがその中に入っております。こんな膨大な資料の中に、見ましたら私のも入っていて、これを全部読んでから出席せよという御指示だったんですけれども、自分のだけ読んで出てきたんですけれども、その中に提案をしておるそういう第三の選択肢もあると。
こういうことで、今日の大きな問題点、まだまだございます。八十九条の、靖国神社に公的資金出しちゃいけないというのは分かりますよ。だけれども、どうして慈善、教育、博愛の、公的資金を投入しちゃいけないとこう言っておきながら、私学助成法というので三千五百億円も出しておる。これは違憲・合法なんですよ。赤十字社というのはベネボレンスでしょう。ベネボレンスには補助金出しちゃいけないんだけれども、赤十字社設置法で出していますでしょう。そして、その肝心なNGOだけ国費出しちゃいけないということになっていて、NPO法でカバーしたんだけれども、大蔵省が頑張っちゃって免税しませんからね、お金集まらりゃしないです。ですから、このNPOに対してODAの一%でも割いて、その奉仕の精神と時間と体は若者たちに、あるいはボランティアたちに提供してもらって、お金は国が持つと、こういう体制を憲法八十九条の改正によってやらないといけないんではないかなと。
二十九条も大問題でございます。公的社会福祉のためには、公的な公共の福祉のために私権を制限することができる、ただし補償せよと書いてございますが、これが空文になっておることが、成田空港の第二滑走路ができないという現状、これでお分かりだと思います。
幾つかの問題ございますけれども、また後の討議の機会に意見を開陳させていただきたいと思いますが、基本的には、国連という規定が憲法に全くない憲法である、それから非常事態対処の大権、非常大権をだれも持っていない憲法である、この二つの点を指摘して終わりたいと思います。
御清聴ありがとうございました。
この発言だけを見る →憲法と緊急事態対処法令というのが私のいただきましたテーマでございまして、二十分間、基本的な問題提起をさせていただき、あと細かい問題は後の質疑応答でできる限りお答えいたしたいと考えております。お手元にチャートみたいなのをお配りしてございますので、それを御参考にしながらお聞きいただきたいと存じます。
私、昭和二十五年、東京大学法学部、旧制に入学をいたしまして、憲法の先生は宮沢俊義先生でいらっしゃいました。そして、宮沢先生のみがほとんどあのときの憲法そのものでございまして、宮沢俊義学説以外、法制局見解もなければ政府統一見解も国会決議も何にもないという状態で始まった、昭和二十五年の話をいたします。
その講義を伺っておりまして私、疑問に思いましたのは、憲法第九条、これと憲法第九十八条の二項、九十八条の二項と申しますのは、九十八条というのが、第一項が憲法は最高法規であると書いてございますが、これに反するいかなる法律も政令も閣議決定も効力を有さないと書いてあります。そして第二項が、日本国政府が締結した条約と確立された国際慣行は、誠実にこれを遵守すると書いてあるんですね。
それで、講義を伺っております間、あのころまだ朝鮮戦争が始まる直前だったと思いますけれども、日本国は当然、マッカーサー、GHQの占領下にございまして、主権国家ではございませんでした。オキュパイド・ジャパンというのが国際社会における名称でございまして、占領下の日本、そして、いわゆる国家非常大権のようなものはマッカーサー元帥が握っておる、こういう状況のときに憲法の講義が行われました。
私、伺っておりまして、いつかある日、日本が独立をするであろう日が来るだろう、そうして条約を結ぶ日もあるだろう、そうすると、憲法九十八条の一項、憲法、最高機関だよと言っている一項と、国際条約はこれを誠実に遵守するというのがぶつかる日が来るんじゃないかと疑問を持ちました。更に大きく言うと、憲法九条と九十八条の二項、これがぶつかるんじゃないのかなと。手を挙げて質問をいたしました、条約と憲法とどちらが上位なんですかと。そうしたら、君は大変不勉強である、憲法と条約は同格である、というのが今でも明確に覚えている宮沢先生のお答えでございました。
あのときの抽象論としてはそれでよろしいんでございます。日本は、条約一つも持っておりません、独立主権国家でないんだからね。九条と九十八条二項。国連のメンバーでもございませんでした。だから、これはそれなりに法学部の憲法の答案としては同格であると書けば良かったわけでありますけれども、だんだんだんだん安全保障行政三十五年有余やりまして、その後もやっておりまして、これで五十年たちまして、やっぱり心配していたとおり九条と九十八条二項がぶつかり始めている。
九十八条の中でも、九十八条二項の結んだ条約、国連憲章という条約、これも国際条約でございますから、これに加盟をしておる国連憲章第四十二条、例えば、国連警察軍による、各国が兵力を出し合って侵略国に対する陸海空、武力による制裁を行うと書いてある。これに対しては、それぞれ挙兵義務を加盟国は負っておると。これと日米安保条約とがまたぶつかってきちゃうと。こういうような、果たせるかな、私の心配しておったような九条対九十八条、これが衝突をし始めておるということが今日の問題点の第一でございます。
すなわち、憲法は、御承知のように昭和二十二年の五月の三日に制定、公布をされたわけでありますが、その前の年の二十一年の十一月の三日にはもうほとんど完成しておったと。終戦後、一年と二か月ぐらいで国家基本法である憲法ができ上がり、しかもこれが憲法改正手続、九十六条によって、国会の衆議院三分の二、参議院三分の二、更に国民投票の過半数の同意、それが駄目な場合には最寄りの国政選挙において国民投票に代わるものを行うと、こういうことになっておりますね。これが憲法九十七条、改正手続なんでございますけれども。
国連は、できたときには日本は、国連は御承知、昭和四十五年の六月にでき上がっておるわけですが、我が国は沖縄でもって神風特攻隊の壮絶なる戦争をまだやっておるんですね。だから、六月二十三日に沖縄戦終わりますけれども、当然のことながら日本は国連憲章上、敵性国家という位置付けになりました。敵性国家条項、御存じのとおり、枢軸国、日独伊と、それにブルガリア、ハンガリア、ルーマニア、かわいそうにフィンランド。フィンランドのマンネルハイムがスターリンの侵略に対抗するためにドイツと組んだために、これは敵性国家になったんですね。この七か国の敵性国家というのは、国連憲章上、依然として日本の国際的な地位であると。
そして、日本は、本来ならば危機管理、非常事態対処法令というものを憲法の下でもってちゃんと順序正しく作りゃよかったのでございますけれども、お手元に「日本の防衛戦略における法令等時系列の混乱」という紙が一枚ございますが、これが言わんとしていることは、憲法が一番最初にできてしまいましたねと、そして二十二年の五月の三日に施行されまして、サンフランシスコ平和条約ができたのが二十六年の九月の八日でございます。この間、五十周年記念やっておりました。そして、二十七年の四月二十八日に施行されて独立国になるわけでございますが、このサンフランシスコ平和条約、これはこの段階でまだ日本は国連に加盟を許されておりません。直ちに国連加盟の申請を岡崎勝男外務大臣の名前で行ったのが二十七年の六月二十三日でございますが、ソ連の拒否を受けて、常任理事国の拒否権行使でもってこれは加盟できなかった。
そして、国連のメンバーにならないうちに朝鮮戦争等がございまして、自衛力を持たなきゃいけないと。警察予備隊ができて、保安隊になって、そして二十九年の六月九日、防衛庁設置法、自衛隊法ができます。ついでに申し上げますと、もう一つの危機管理法である警察法もこのときに成立をしております。しかし、成立の過程は、乱闘国会、そして単独採決でございます。こういう状況で通った。すなわち、自衛隊法というのが憲法のずうっと後になってできております。そして、国連に加盟をしたのが昭和三十一年の十二月十八日でございます。したがって、時系列が逆立ちをしておると。
日米安保条約に至っては、昭和三十五年の六月二十三日でございますから、これがいわゆる日米安保条約、この前に、サンフランシスコ平和条約のときに旧安保条約というのができております。これは、言うまでもなく、駐留権だけを認めた、日本防衛義務を負っていないという暫定措置だったわけでありますけれども。この国際条約というのが、九十八条の二項、これを遵守しなきゃいけないという国連の加盟が昭和三十一年であり、安保条約が三十五年であると。そして、自衛隊法は二十九年。
本来ならば、この独立が回復されたサンフランシスコ平和条約の時点において憲法改正考えなきゃいけなかったんだと私は思っております。
中曽根康弘元総理、当時青年将校でいらしたはずなので、私は、総理時代に、なぜあの独立回復したときに憲法改正をお考えにならなかったんですかと、青年将校としていかがでしたと。いや、当時はとてもそんなことを言える状況じゃなかった、そして独立回復のうれしさに紛れて、それはまた現実の問題じゃなかったから、みんな余り議論しなかったよと、こうおっしゃっておられました。
それでは次に、三十一年の十二月十八日、国連加盟が許されたときに、岡崎勝男メモというのをごらんになるとお分かりになりますけれども、バイ・オール・ミーンズで加盟国の義務を果たすと。そういう、岡崎勝男は日本国政府を代表してそれを誓約すると言っているんですね。
これは、もしもそれを、誓約を実行いたしますと、四十二条で軍事行動を、例えばアフガニスタンに対して行う、イラクに対して行う。典型的なやつがあのイラクの湾岸戦争でございますけれども、このときは常任理事会は、ソ連がゴルバチョフ、賛成でございますかね、トウ小平が棄権。これで初めて、常任理事国五か国の賛成若しくは棄権でもって四十二条制裁というのが初めて行われて、二十八多国籍参加しました。本来ならば、あのときに我が国も九十八条の一項と二項の矛盾というのを解決しておかなきゃいけなかったんだけれども、憲法九条を盾に、資金援助によってのみこれに対処をしたと、こういう経緯があるわけでございます。
したがって、国連という言葉は憲法の前文から最後まで全部読みましても一文字も出てこない。国連というのは想定外だったんですね、憲法ができたときには。そうして、本来ならば三十一年にきちんと国連を組み入れた憲法改正なり解釈の統一なりしておくべきだったやつを、それも先送りしてしまって、この二十一世紀に入ってから、もう正に九条対九十八条二項、これがバッティングをしておると。九十八条二項の中で、国連優先なのか日米安保優先なのかという、そういう議論まで始まっておると。
こういう混乱が始まったのは、そもそも、私は昭和二十五年の宮沢俊義解釈から始まっちゃっているのかなと。同格ではないんですね。御承知のように三つございます、この学説は。同格論というのは確かにございます。それから憲法上位論というのが、我が国法制局であるとか、あるいは内閣、これはやっぱり国内法優先という立場に立っておりますので、憲法優先論でございます。外務省は、どちらかというと条約優先論と。だから、同格なのか、条約優先なのか、あるいは憲法優先なのかということをそろそろ決めないといけない。どういう形で決めるかはこれから御審議をいただくということになるんだと思いますけれども。
そういう大きな矛盾が、国連という言葉が全然ないところから、国際協力を行うに当たって今度は、別表にチャートを付けてございます、国連憲章、一番上に第七章のことが書いてございます。第七章は三十九条から始まっております、四十条からここに書いてありますけれども。三十九条が調停だとか和解だとか、そういう平和解決のための交渉とか調停ですよね。四十条、紛争拡大防止のための暫定措置と書いてございます。この四十条というのがPKOの根拠であるとデクエヤル事務総長は申しましたよね。
そして、四十一条が非軍事的な制裁。これは、外交制裁、経済制裁、文化制裁、郵便物届けないとか、飛行機行かないとか、こういうのが第四十一条、非軍事制裁でございまして、四十二条が陸海空、武力による軍事制裁でございまして、四十三条は兵力使用の協定でございます。これは、国連事務局長とそれぞれの政府が個別折衝をすると書いてございます。
そして、兵種といいますかね、どういう貢献の仕方をするか。コンバタントとノンコンバタントとございます。コンバタントというのは戦闘行動です。ノンコンバタントというのは非戦闘行動、これは非軍事的な協力とまた違う概念なんですね。軍事行動の中における非戦闘任務、後方支援だとか医療だとか輸送だとか通信だとか情報だとか、これがノンコンバタントということになっております。これのどれでやるのということを四十三条でそれぞれ個別折衝をすることになっている。日本は、だから湾岸戦争のときには経済援助、軍事費を持ちましょうと百三十億ドル出したわけですね。そういう協力をあの際は選んだと。
五十一条が個別的、集団的自衛権。こういう国連憲章の条文のうち、武力の行使というのを認めておるのは四十二条と五十一条だけなんであります。この二つ、武力の行使と武器の使用というのを憲法あるいは法律解釈上きちんと分けなきゃいけないんだけれども、今や日本はめちゃくちゃになっておる。湾岸のときも、十二・七ミリ機関銃一丁持っていくのは武器の使用であって、二丁持っていくと武力の行使になるという信じられないような政府見解でもって十二・七ミリを一丁持っていったという、こういう議論なんですね。
今またイラク特別支援法でもってどうするのという話になっちゃっている。自爆テロで体当たりしてくるやつを六四式小銃で止まりますかと。だから、もう少し火力の大きいものを持っていかないと任務を果たせませんよと。任務を果たせないどころか、犠牲者が出ちゃいますよ、犠牲者の殉職者に対する弔慰金の制度確立していますかというと全然できていないんですから、死なないことを前提に出すわけですね。非戦闘地域なんというのはありゃせぬですけれども、非戦闘地域に出すから殉職者は出ないという楽観的な前提でもって現在の法律は進行しております。もう二十三日には可決されるんでしょうけれども。
これに対して私は大変懐疑的でありまして、殉職者に対する、倍額払うんだとか五割増しだとか言っているけれども、戦死するのは曹士ですよ。曹士というのは基本給せいぜい三十万か四十万でしょう。それを五割増しやったって四十五万じゃないですか。それから、退職金の倍やると言ったって、退職金、三年ぐらいしか勤務していないんだからもうせいぜい二百万か三百万でしょう。そうじゃなくて、何千万という、警察官に準じた、総理の弔慰金も加味したものを決める。現在のところ、総理の弔慰金、警察官、消防官には出ますけれども、自衛官には出ません。これを何とかきちんとしてから出さないといけないと私は思っておりますが、いずれにせよ、武器の使用というのは武力の行使でない、警察活動であると、こういうことを一応解釈上きちんとする必要があるんじゃないかなと思っております。
そこで、憲法が何を受けているかというと、五十一条を受けたのが憲法九条と解されます。これは、個別的自衛権、戦争は放棄する、侵略戦争はやらない、集団自衛権はやらない、だけれども個別的な自衛権だけは行使しますという芦田解釈その他によってこれが現在の防衛政策として確定をしておりますね。そして、集団自衛権はこれを行使しないと。
自衛隊法にこれが下りております。自衛隊法第三条の任務、直接、間接の侵略に対処するということと、必要に応じ公共の秩序維持のために武器の使用をいたします、これが治安出動と海上警備行動と領空侵犯、これであることは後で御質問があれば詳しく説明します。そして七十六条で防衛出動、これは総理が下令をいたしまして、八十八条で武力の行使が許されます。
武力の行使と武器の使用はどこが違うかというと、刑事責任ありません。武力の行使は国家の主権行為でありますので、国家が責任を負うということでもって、個人の責任を問う刑法は適用になりません。そういう意味で、物を破壊しても器物毀棄罪にならない、敵兵を殺傷しても殺人にならないというのが武力の行使でありまして、武器の使用の場合は警察官職務執行法の基本に準じて過剰防衛だとかなんとかがあると刑事責任が、警察官が負わなきゃいけない。それが武器の使用と武力の行使の最大の違いでございます。
そこで、自衛隊法第三条はこの五十一条から来た任務は受けておるんですね。そして、これ以外の、九十八条二項、国際連合の警察活動に伴う武器の使用に関する、これを受皿となっている条文は自衛隊法にもどこにもございません。だから、しようがないから何始めたかというと、国際緊急援助隊法から始まりますPKO法、周辺事態法、テロ特措法、そして武力攻撃事態対処法、今日審議しているイラク支援法と、こういう時限立法、しかも特別法で基本法をいじることなく次々と作ってきちゃったと、こういうやり方。これでまた北朝鮮対策法というのをお作りになる気なんですか、北朝鮮で事態が起これば。
これは、そういう問題が起こるたびに特別法を作っていくというやり方はそろそろ限界でございます。対決法案であった時代、これは確かに妥協の産物でたくさんへんてこりんな法律ができました。だけれども、先般の有事法制で九〇%の国会議員が賛成をしたと。こういうふうに大きく、ナイン・イレブンあるいは北朝鮮、ノドン、核開発の問題でもって大きく政治・軍事情勢が変わっているわけでありますから、この機会にやはりこの国家基本法というものを考え直す必要があるんではないかなと。
そして、内閣総理大臣の権限というもの、これもう一度考え直す必要があるんではないかなと。非常大権を現在の憲法はだれにも与えておりません。内閣総理大臣にも非常大権ございません。憲法上は六十六条から六十八条ぐらいで行政のトップであると書いてございますけれども、昭和二十二年法律第五号、これはマッカーサー時代に作った内閣法、これの四条、六条、これをごらんいただきますと、最高の行政の意思決定機関は合議体であるところの閣議であると。そうして、閣議は、六十八条、連帯責任論でもって、法制局の有権解釈だと、一人閣僚が反対をすると成立をしないと、こういう体制になっております。
したがって、この憲法と緊急事態法を考えるには幾つかの道があると思います。それこそ憲法改正、九条を改正するという、一番これ声高にこのごろ起こってきた議論、昔からある議論でございます。二番目は、明治憲法を新憲法で廃止してしまった最後の条文、明治憲法はこれを廃止するという形で新憲法を制定するという考え方がございましょう。三番目は、憲法はそのままにしておいて、その下の内閣法を変えることによって非常事態対処権限を民主的集中ということで、ある時間、ある条件を限って内閣総理大臣に与えるという、これは国家安全保障基本法とか危機管理基本法とかいろんな言い方を私しておりますけれども、これで対処するか。
提出してございます資料の中に、私は、憲法改正をあきらめてしまって国家危機管理法でいこうという幾つかの論文かがその中に入っております。こんな膨大な資料の中に、見ましたら私のも入っていて、これを全部読んでから出席せよという御指示だったんですけれども、自分のだけ読んで出てきたんですけれども、その中に提案をしておるそういう第三の選択肢もあると。
こういうことで、今日の大きな問題点、まだまだございます。八十九条の、靖国神社に公的資金出しちゃいけないというのは分かりますよ。だけれども、どうして慈善、教育、博愛の、公的資金を投入しちゃいけないとこう言っておきながら、私学助成法というので三千五百億円も出しておる。これは違憲・合法なんですよ。赤十字社というのはベネボレンスでしょう。ベネボレンスには補助金出しちゃいけないんだけれども、赤十字社設置法で出していますでしょう。そして、その肝心なNGOだけ国費出しちゃいけないということになっていて、NPO法でカバーしたんだけれども、大蔵省が頑張っちゃって免税しませんからね、お金集まらりゃしないです。ですから、このNPOに対してODAの一%でも割いて、その奉仕の精神と時間と体は若者たちに、あるいはボランティアたちに提供してもらって、お金は国が持つと、こういう体制を憲法八十九条の改正によってやらないといけないんではないかなと。
二十九条も大問題でございます。公的社会福祉のためには、公的な公共の福祉のために私権を制限することができる、ただし補償せよと書いてございますが、これが空文になっておることが、成田空港の第二滑走路ができないという現状、これでお分かりだと思います。
幾つかの問題ございますけれども、また後の討議の機会に意見を開陳させていただきたいと思いますが、基本的には、国連という規定が憲法に全くない憲法である、それから非常事態対処の大権、非常大権をだれも持っていない憲法である、この二つの点を指摘して終わりたいと思います。
御清聴ありがとうございました。
野
水
水島朝穂#4
○参考人(水島朝穂君) お手元に資料がございまして、私の資料は十八ページからでございます。それと、事務局からの指定どおり、A4一枚に私の話の筋をまとめてございますので、それに即してお話し申し上げます。
本調査会において参考人として発言するに当たり、冒頭に一言申し上げます。
国会法百二条の六で、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」という立場に立つのであれば、憲法九条の規範とそれに反する憲法現実との矛盾を安易な規範変更によって解決するのではなくて、長期的な視野に立って、違憲の憲法現実を違憲でない方向に近づける地道な努力をしてこそ、これは真の現実主義ではないか、こう私は考えておりまして、日本国憲法前文、九条の積極的な平和主義を高く評価する私の立場からすれば、軍を含む執行権力に例外的な権力集中を図る緊急事態法制、あるいは憲法そのものに緊急権条項を導入する一切の試みに対して基本的に批判的な姿勢を取っております。こうした立場から、私は与えられた課題について意見を述べたいと思います。
このテーマは、講学上、大学の授業では国家緊急権の問題として論じます。国家緊急権は、執行権に一時的に権力を集中する権能を意味します。それは裸の権力行使を正当化される専制国家や独裁国家では問題になりません。立憲主義を取る国においてこそ実益を持ちます。一般論ですけれども、立憲主義の秩序の中で緊急事態と向き合う仕組みをどのようにデッサンするか、これは立憲主義を取る国においては非常に重要なテーマと言うことができます。
緊急事態は、戦争や外部からの武力攻撃を典型的なものとする対外的緊急事態と、大規模災害、内乱、ゼネストなどの国内内乱を内容とする対内的緊急事態とに二分する方法や、時には大規模災害を独立させる三分類法などがあります。ただ、緊急権は、それがいったん憲法秩序にビルトインされますと、常に濫用の危険を伴い、立憲秩序そのものを傷付け、時には葬りかねない劇薬としての性格を持つことは、各国の、あるいは歴史上様々な局面における実例が示すところであります。
講学上、憲法的な緊急権、制度的な緊急権と超憲法的な緊急権、不文の国家緊急権とを区別する場合がありますが、ここ国会の場では、私は、いわゆる憲法の定めがなくても例外権能の行使を正当化する不文の緊急権の議論には立ち入る必要はないと考えております。
そこで、日本国憲法はこのような国家緊急権とどう向き合ったか。端的に言えば、日本国憲法は緊急権について、あるいは緊急事態について何も書いていません。端的に言えば、緊急権に対して沈黙をしています。そのことの意味を、憲法の欠缺、欠けていること、あるいは不備というのではなくして、日本国憲法が大日本帝国憲法とその運用実例に対する歴史的反省の上に立って制定されたことを忘れてはならないと考えております。
御承知のとおり、帝国憲法の緊急権システムは、緊急命令権八条、戒厳宣告権十四条、天皇非常大権三十一条、緊急財政処分七十条という形で憲法上の明文規定を持ち、立法レベルでも包括的な緊急システムを持っていました。それが危機の克服に役に立ったどころか、新たな危機を作り出す装置として機能し、戦争への道を進んだことは歴史の示すところであります。このような帝国憲法の歴史的経験は、間違いなく日本国憲法が緊急権に対してネガティブな姿勢を取るに至った背景にあると考えております。
欠缺ないし不備かという点でいえば、このような不備というふうな考え方を取るのではなくして、私は、日本国憲法が緊急権に沈黙している意味は、憲法前文及び九条の徹底した平和主義との関係抜きには理解できないだろうと思っております。
つまり、軍事的手段を対外関係において選択しないことを明示した九条の下では、対外的緊急事態に対して軍事的な手段を含む包括的な権能を国に与える仕組みは想定されていないだけでなく、積極的に否定されていると解せます。憲法七十六条二項の特別裁判所の禁止、これは軍法会議の禁止、十八条の意に反する苦役の禁止、当然、徴兵制その他の役務義務の禁止は、対外的緊急事態の様々なバリエーションの仕組みの否定に連動いたします。
このような日本の仕組みというのは、では、各国には様々な緊急権の仕組みがあるではないか、日本だけが異常ではないかと指摘がございます。
私は、お手元の事務局が整理してくれた大変詳しい各国条文にメンションすることはいたしませんが、ただ、戦争と大規模災害を一律に対応して包括的な権能を与えた場合も、どのようなマイナス効果を生んできたかということについて各国それぞれ歴史的段階において多くの教訓を積み重ねてきました。各国がどのような緊急権システムを取るかは、それぞれの国の歴史的背景を無視できません。条文だけを並べて日本も同様のものを新たに導入しようというのは、言わば条文フェティシズムとも言うべき姿勢であり、緊急権濫用の歴史と現実を見据えた主体的な姿勢を欠くものと言わざるを得ません。
世界的に見れば、冷戦崩壊後、緊急権の規定を見直し、憲法から除く動きさえあります。例えば、フランス第五共和制憲法十六条は大変広範な大統領の非常措置権を認めていますけれども、御承知のとおり、六一年のアルジェリア危機の際に濫用されました。ドゴール大統領は、内乱が終息した後、五か月も非常権限を解除しませんでした。八六年、ミッテラン大統領はこの十六条の見直しの検討をしようとしたことがありました。
私は、専門がドイツの憲法ですので、ドイツに即して考えると同時に、最近、韓国の学者との共同研究の成果を踏まえて、韓国の緊急権の問題についても触れたいと思います。
十九世紀、ドイツにおける国家緊急権の歴史は、その制限の試みと濫用の交錯によって特徴付けられると著名なドイツ法学者が言いました。ドイツは、御承知のワイマール憲法の教訓が重要であります。大統領の非常措置権、これを言わば、一番の問題は、緊急事態の認定権と緊急事態の執行権が同一の機関に集中した場合、言わばそれをチェックすることができないということであります。もちろん、ワイマール憲法四十八条五項にはそれを統制する法律が想定されていました。しかし、それはついに制定されませんでした。のみならず、ワイマール憲法四十八条二項には、集会の自由など七つの基本権の停止条項がありました。そして、最高では一九三二年に六十件の緊急命令が乱発されて、最終的にはこのワイマール憲法は自己自らの弱点によって崩壊していったのであります。これは緊急権システムの重要な失敗例であります。
このようなワイマール憲法の教訓から、一九四九年のドイツ連邦共和国基本法は、軍及び緊急事態に関する規定を一切持っておりませんでした。先ほどのお話にあった日本と同様、ドイツも占領下、しかも三か国占領軍の下で、大変細かい条文上のあれこれの指示まで受けながらアデナウアーはドイツ基本法を作っていきました。その過程でも、この軍に関する規定は当初は置いておりませんでした。その背景には、ヘレンキムゼー草案と呼ばれるドイツ基本法の最初の草案にあったワイマール憲法のような緊急権規定を削除したことにも表れるように、その憲法の立ち上がりにおいて緊急権に対するネガティブな評価が基礎にあったことは明らかであります。
ドイツが緊急事態に対する包括的な規定を導入するのは、制定から十九年たつ一九六八年、第十七回目の憲法改正であります。この基本法改正によって、私の計算するところ、約三分の一の憲法の条文に緊急事態の影響が及びました。そして、そのような緊急事態法を称して緊急事態憲法という場合があります。そして、日本の論者たちも、日本の憲法を改正しようという人々も、この緊急事態法、ドイツの緊急事態法をモデルにしながら、それを言わば導入する根拠に使ってきました。
しかし、私は、九九年にあるドイツの左派、社会民主党系の論客が、当時、これに対する徹底した批判の立場に立った論陣を張った人物が、それから三十年たって、実はこれは我々の勝利だったんだということを学会で報告した記事をお手元の論文で紹介をいたしました。この「世界の「有事法制」を診る」という論文で紹介したこのドイツの言わば緊急事態法制反対の論客は、言わば緊急事態法というものが通過し、憲法は改正されたけれども、そこにこのシステムが濫用されず動かないようにする様々な安全装置を言わばビルトインしていったんだということを述べたわけであります。
日本と違って、ドイツの場合、大変野党が重要な役回りをいたします。つまり、基本法の──失礼いたしました。これは今のコンテクストで言いますと、憲法の改正に当たって言わばそれぞれ、言わば三分の二を取りませんとですね、そういう意味です。三分の二を取りませんと基本法の改正ができませんので、必ず最も対抗的な野党の言い分を聞かなくてはいけません。したがって、社会民主党の言い分をキリスト教民主同盟はたくさん聞かなきゃいけなかったわけであります。そして、最終的に大連立政権となって、圧倒的多数の政権の下でこの緊急事態憲法が作られました。
ところが、この三十年後のこの学者の告白によれば、そのプロセスで、そこに、お手元に書いたような三つの安全装置を巧みに組み込んでいきました。
一つは、ワイマール憲法がやったように、緊急事態の認定と判定を同じ人物、すなわち総理大臣に置かないように、ぎりぎりまで議会に緊急事態の認定権を留保したのであります。そして、もしもソビエトのミサイルが飛んできたら議会なんか一々集まっていられぬだろうというのに対して、あらかじめ連邦議会から三十二人、参議院から十六人の四十八人をポケベルを持たせて選んでおいて、君、ボンの近くにいてねということにしておいて、補助員まで付けておいて、そして、アールワインというワイン通で有名な赤ワインの里、バートノイエンアールというブドウ畑の下に地下六十メートルの核シェルターがありまして、そこに集まって、議会が認定をして、緊急事態を認定するわけです。つまり、その四十八人で議会認定とみなすということをこの憲法に組み込みました。
お手元の資料の三十四ページにある写真は、私が、この核シェルターが廃棄される直前、この中に政府の許可を得て入って撮ってきた写真でございまして、この核シェルターは三千人が、政府関係者が入ることのできる機関ですけれども、今は使われておりません。ある政府機関研究者にベルリンにも作ったんですかと言ったら、にやりと笑って、もう必要はないだろうと言っておりましたので、今、ドイツは核シェルターをベルリンの議会の地下には持っていないと思います。
いずれにいたしましても、冷戦崩壊後、非常に大きな変化が起こってまいりました。
二つ目の大きな安全装置は、防衛事態と差し迫った緊迫事態においても、市民に何らかの義務を課す場合、それは連邦議会の投票の三分の二を要求したことであります。つまり、憲法改正に匹敵するような三分の二というのを常に議会に与えたこと、これが執行権の暴走を困難にしたというふうに評価されております。
そして三つ目の安全装置が、当然、社会民主党の主張を反映して、労働者のストライキ権やゼネストなどは緊急事態にカウントしないんだ、つまり対内的緊急事態という概念を草案から除いたことであります。現に、八十七a条四項という規定がありますけれども、これはかなり限定化されたものであります。
つまり、まとめて言えば、ドイツの場合、緊急事態憲法を作るに当たって、大変鋭い緊張関係の中で、緊急事態においても議会の権限を最後まで留保した工夫と、その言わば努力が見られるのであります。
同様に、韓国の憲法はどうでしょうか。
韓国の場合、四八年の憲法制定から八七年の憲法まで、ある韓国の学者によれば緊急権濫用の歴史と言われております。
とりわけ、八〇年十月以降、言わば非常措置権が、戒厳が濫用されて、議会以外の国家再建最高会議が二年七か月で千十五件も法律を制定するという言わば非常事態の日常化が現出しました。最終的に、一九八七年の憲法は非常に限定された、制限された言わば緊急権しか持たないことになりました。そして、かつて持っていたような、言わば国家の安全に脅威を受けるおそれであるとかあるいは交戦状態に準ずる非常事態といった文言をすべて削除し、非常にシンプルな緊急権発動要件にいたしました。
私は、この間、韓国の若い憲法学者、三八六世代と呼ばれる若い憲法学者と、韓国と日本の緊急事態法と治安法制の共同研究を、文部科学省からお金をもらいまして共同研究をしてまいりました。そしてその結果、韓国側の若い研究学者たちが、権威主義的体制の韓国の下で憲法に緊急権を入れたことによってどれだけ濫用されたかということについて鋭い指摘をしてまいりました。そして、言わば条文上あるいは何らかの形で緊急権を条文に入れた方がチェックしやすいんだという議論に対しては、韓国の若い学者は、それは全くの楽観主義である、様々な制度や裁判制度や、そういうもののチェックシステムがきちっとできない限り、そして国会の統制がきちっとできない限り、憲法に緊急権の条文を入れたとしても、それは濫用されない保証はないんだということを韓国の学者が言いました。
そして、武力攻撃事態法案などの制定過程を韓国の学者に見させると、あれは余りにも楽観的であると。例えば、三条四項だったと記憶しておりますが、基本的人権の保障を例えば二重にわたって尊重尊重、特にこれも尊重という人権尊重をうたった場合、これこそ楽観主義の極致であって、そのことが言わばこの武力事態攻撃法案の致命的な弱点を治癒するものでないということについては、私と韓国の学者はその点では見事に一致しました。
もちろん、韓国の学者は軍隊を必要とする立場ですから、憲法九条の評価では対立します。しかし、憲法を日本が改正して緊急権を入れるのにどうだと聞いたとき、彼らは全員一致で反対をいたします。つまり、日本にそれをチェックする能力があるのかというのが彼らの意見であります。
私は、濫用された歴史へのまなざし、緊急権がどのように歴史的に濫用されたかということについて韓国の学者が書いた、私の本に収めてくれた宋教授の論文をそこに収めてございます。是非ごらんいただきたいと思います。
日本の緊急権の論議に求められているものについて入ります。
私は、先ほども議論があったように、様々な緊張がこのアジア周辺にあることは否定いたしません。しかし現在、単独行動主義に走る特定の大国との軍事的協力関係を過度に重視して、戦後日本の歴代政府の憲法解釈からいっても到底正当化できないような、他国の領域内における我が国武装組織の武力行使を行うおそれすらある法案が現在本院でも議論されているとき、私は是非とも軸足をアジアに置いて、アジア諸国との関係においてとりわけ安全保障の問題を言わば軍事一極的な形で処理することにならないように、特に参議院の見識を求めるものであります。
とりわけ、憲法は国の顔であります。このような緊急権の条項を憲法に入れた場合、それが念のため、備えあればというレベルであっても、それがアジア諸国や対外的に過去の歴史を引きずる諸国に対しどのようなメッセージを発するかは明らかであります。私は、緊急権条項を入れることの付随的効果をそのように考えるだけでなく、現在のシステムの下における様々な問題についても、この際指摘をしたいと思います。
お手元のレジュメにある幾つかの論点についてはこれ以上立ち入れませんが、とりわけ大災害といわゆる武力攻撃事態のような戦争事態とを区別する視点が重要であります。緊急事態というものを一般的に否定する人間はいません。どのような緊急事態の内容に対し、どのように対処することが最も効果的であるかということについて、憲法は沈黙しているのではなくて特定の方向を遮断していると私は考えています。その特定の方向とは、言わば軍事力を用いた危機克服であります。
したがって、軍事力を用いないあらゆる可能性を憲法は危機克服の一つの方向として示唆していると考えています。その方向に立法府が、立法やあるいは自治体との協力、あるいは市民の協力の中でそういった対応を作っていくべきであって、阪神大震災後、例えば緊急消防援助隊など自治体レベルにおける様々な工夫や自治体レベルの努力などから、様々な言わば地震に対する向き合い方があの以前に比べれば大きく前進したことは明らかです。
もちろん、十分とは言いません。しかし、憲法に災害対処と戦争と内乱のようなものを一緒くたにした緊急事態条項を持ったからといって、それを運用する政府がそれを的確に運用できる保証はありません。
とりわけ、韓国とドイツの場合、憲法裁判所を持っております。憲法裁判所は緊急事態でも機能することは、それぞれ憲法に明記されております。とりわけ韓国憲法裁判所が九六年に出した判決は、緊急事態においてもこれは統治行為にならない、国民の人権が問題になったときは審査できるという判例がございます。つまり、韓国とドイツの場合でいえば、そういう形の司法救済の道が残されています。日本にはそれが期待できるか、甚だ私は悲観的でございます。
それともう一つ。国際人権規約やヨーロッパ人権条約には、緊急事態におけるいわゆるデロゲーション条項と呼ばれる例外条項があります。しかし、このことを指摘して、日本も当然のように緊急事態法の問題では作るべきだという議論にはなりません。これは、ヨーロッパ人権裁判所やそういった、今、ドイツやあるいは韓国と同様に、司法的救済の道と一体になっているからこそそういった言わばチェックの可能性があるわけであります。日本の場合、そのようなチェックシステムとともに、そういったセットの議論がなされているかどうかという点については、甚だ疑問とせざるを得ません。
最後に、憲法に緊急事態条項を安易に設けるべきではないというのが私の差し当たりの結論でございますけれども、しかし予想し得る事態を、どういうふうに向き合うかということに対しては幾つかの方法があります。
例えば、予測し得る事態を全部憲法に書き込むこと、包括的な緊急事態憲法を作る道もあります。しかし、これはだれも考え付かない、実際不可能な道であります。他方、権力が濫用されないために憲法に緊急事態条項を導入して、それによってチェックすべきだという、先ほど指摘した点があります。これは一理あります。
しかし、逆に問いたいのは、このような緊急事態条項を持つ国々が、それぞれの悩ましい体験に基づいてそれぞれの見直しや、場合によっては限定化の道を検討していること。とりわけ、韓国のそのような若い世代の憲法学者などの議論に耳を傾けて、言わばどこの国でもあるから日本もという議論はそろそろ卒業すべきではないかというのが私の意見であります。
今、憲法改正の問題として登場している様々な議論、大規模テロや内乱事態にどう対応するかという議論にこの問題を故意に引き付けるよりは、第二院としての参議院がより高い見識を発揮して、憲法九条を持つ日本が、なぜこのタイミング、この時点において、今、世界から見られているような武力行使を海外において行う方向に踏み出そうとするのか、その点に対し是非慎重なる見識を発揮していただきたい。
とりわけ参議院は、第二院として言わばそういった議論に対してより長期的な視野から議論をする、そういう院として期待されております。本調査会は、とりわけ参議院としての第二院の存在意義とその誇りに懸けて、そうした方向について慎重の上にも慎重な御議論をいただくことを最後に期待して、私の発言を終わります。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →本調査会において参考人として発言するに当たり、冒頭に一言申し上げます。
国会法百二条の六で、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」という立場に立つのであれば、憲法九条の規範とそれに反する憲法現実との矛盾を安易な規範変更によって解決するのではなくて、長期的な視野に立って、違憲の憲法現実を違憲でない方向に近づける地道な努力をしてこそ、これは真の現実主義ではないか、こう私は考えておりまして、日本国憲法前文、九条の積極的な平和主義を高く評価する私の立場からすれば、軍を含む執行権力に例外的な権力集中を図る緊急事態法制、あるいは憲法そのものに緊急権条項を導入する一切の試みに対して基本的に批判的な姿勢を取っております。こうした立場から、私は与えられた課題について意見を述べたいと思います。
このテーマは、講学上、大学の授業では国家緊急権の問題として論じます。国家緊急権は、執行権に一時的に権力を集中する権能を意味します。それは裸の権力行使を正当化される専制国家や独裁国家では問題になりません。立憲主義を取る国においてこそ実益を持ちます。一般論ですけれども、立憲主義の秩序の中で緊急事態と向き合う仕組みをどのようにデッサンするか、これは立憲主義を取る国においては非常に重要なテーマと言うことができます。
緊急事態は、戦争や外部からの武力攻撃を典型的なものとする対外的緊急事態と、大規模災害、内乱、ゼネストなどの国内内乱を内容とする対内的緊急事態とに二分する方法や、時には大規模災害を独立させる三分類法などがあります。ただ、緊急権は、それがいったん憲法秩序にビルトインされますと、常に濫用の危険を伴い、立憲秩序そのものを傷付け、時には葬りかねない劇薬としての性格を持つことは、各国の、あるいは歴史上様々な局面における実例が示すところであります。
講学上、憲法的な緊急権、制度的な緊急権と超憲法的な緊急権、不文の国家緊急権とを区別する場合がありますが、ここ国会の場では、私は、いわゆる憲法の定めがなくても例外権能の行使を正当化する不文の緊急権の議論には立ち入る必要はないと考えております。
そこで、日本国憲法はこのような国家緊急権とどう向き合ったか。端的に言えば、日本国憲法は緊急権について、あるいは緊急事態について何も書いていません。端的に言えば、緊急権に対して沈黙をしています。そのことの意味を、憲法の欠缺、欠けていること、あるいは不備というのではなくして、日本国憲法が大日本帝国憲法とその運用実例に対する歴史的反省の上に立って制定されたことを忘れてはならないと考えております。
御承知のとおり、帝国憲法の緊急権システムは、緊急命令権八条、戒厳宣告権十四条、天皇非常大権三十一条、緊急財政処分七十条という形で憲法上の明文規定を持ち、立法レベルでも包括的な緊急システムを持っていました。それが危機の克服に役に立ったどころか、新たな危機を作り出す装置として機能し、戦争への道を進んだことは歴史の示すところであります。このような帝国憲法の歴史的経験は、間違いなく日本国憲法が緊急権に対してネガティブな姿勢を取るに至った背景にあると考えております。
欠缺ないし不備かという点でいえば、このような不備というふうな考え方を取るのではなくして、私は、日本国憲法が緊急権に沈黙している意味は、憲法前文及び九条の徹底した平和主義との関係抜きには理解できないだろうと思っております。
つまり、軍事的手段を対外関係において選択しないことを明示した九条の下では、対外的緊急事態に対して軍事的な手段を含む包括的な権能を国に与える仕組みは想定されていないだけでなく、積極的に否定されていると解せます。憲法七十六条二項の特別裁判所の禁止、これは軍法会議の禁止、十八条の意に反する苦役の禁止、当然、徴兵制その他の役務義務の禁止は、対外的緊急事態の様々なバリエーションの仕組みの否定に連動いたします。
このような日本の仕組みというのは、では、各国には様々な緊急権の仕組みがあるではないか、日本だけが異常ではないかと指摘がございます。
私は、お手元の事務局が整理してくれた大変詳しい各国条文にメンションすることはいたしませんが、ただ、戦争と大規模災害を一律に対応して包括的な権能を与えた場合も、どのようなマイナス効果を生んできたかということについて各国それぞれ歴史的段階において多くの教訓を積み重ねてきました。各国がどのような緊急権システムを取るかは、それぞれの国の歴史的背景を無視できません。条文だけを並べて日本も同様のものを新たに導入しようというのは、言わば条文フェティシズムとも言うべき姿勢であり、緊急権濫用の歴史と現実を見据えた主体的な姿勢を欠くものと言わざるを得ません。
世界的に見れば、冷戦崩壊後、緊急権の規定を見直し、憲法から除く動きさえあります。例えば、フランス第五共和制憲法十六条は大変広範な大統領の非常措置権を認めていますけれども、御承知のとおり、六一年のアルジェリア危機の際に濫用されました。ドゴール大統領は、内乱が終息した後、五か月も非常権限を解除しませんでした。八六年、ミッテラン大統領はこの十六条の見直しの検討をしようとしたことがありました。
私は、専門がドイツの憲法ですので、ドイツに即して考えると同時に、最近、韓国の学者との共同研究の成果を踏まえて、韓国の緊急権の問題についても触れたいと思います。
十九世紀、ドイツにおける国家緊急権の歴史は、その制限の試みと濫用の交錯によって特徴付けられると著名なドイツ法学者が言いました。ドイツは、御承知のワイマール憲法の教訓が重要であります。大統領の非常措置権、これを言わば、一番の問題は、緊急事態の認定権と緊急事態の執行権が同一の機関に集中した場合、言わばそれをチェックすることができないということであります。もちろん、ワイマール憲法四十八条五項にはそれを統制する法律が想定されていました。しかし、それはついに制定されませんでした。のみならず、ワイマール憲法四十八条二項には、集会の自由など七つの基本権の停止条項がありました。そして、最高では一九三二年に六十件の緊急命令が乱発されて、最終的にはこのワイマール憲法は自己自らの弱点によって崩壊していったのであります。これは緊急権システムの重要な失敗例であります。
このようなワイマール憲法の教訓から、一九四九年のドイツ連邦共和国基本法は、軍及び緊急事態に関する規定を一切持っておりませんでした。先ほどのお話にあった日本と同様、ドイツも占領下、しかも三か国占領軍の下で、大変細かい条文上のあれこれの指示まで受けながらアデナウアーはドイツ基本法を作っていきました。その過程でも、この軍に関する規定は当初は置いておりませんでした。その背景には、ヘレンキムゼー草案と呼ばれるドイツ基本法の最初の草案にあったワイマール憲法のような緊急権規定を削除したことにも表れるように、その憲法の立ち上がりにおいて緊急権に対するネガティブな評価が基礎にあったことは明らかであります。
ドイツが緊急事態に対する包括的な規定を導入するのは、制定から十九年たつ一九六八年、第十七回目の憲法改正であります。この基本法改正によって、私の計算するところ、約三分の一の憲法の条文に緊急事態の影響が及びました。そして、そのような緊急事態法を称して緊急事態憲法という場合があります。そして、日本の論者たちも、日本の憲法を改正しようという人々も、この緊急事態法、ドイツの緊急事態法をモデルにしながら、それを言わば導入する根拠に使ってきました。
しかし、私は、九九年にあるドイツの左派、社会民主党系の論客が、当時、これに対する徹底した批判の立場に立った論陣を張った人物が、それから三十年たって、実はこれは我々の勝利だったんだということを学会で報告した記事をお手元の論文で紹介をいたしました。この「世界の「有事法制」を診る」という論文で紹介したこのドイツの言わば緊急事態法制反対の論客は、言わば緊急事態法というものが通過し、憲法は改正されたけれども、そこにこのシステムが濫用されず動かないようにする様々な安全装置を言わばビルトインしていったんだということを述べたわけであります。
日本と違って、ドイツの場合、大変野党が重要な役回りをいたします。つまり、基本法の──失礼いたしました。これは今のコンテクストで言いますと、憲法の改正に当たって言わばそれぞれ、言わば三分の二を取りませんとですね、そういう意味です。三分の二を取りませんと基本法の改正ができませんので、必ず最も対抗的な野党の言い分を聞かなくてはいけません。したがって、社会民主党の言い分をキリスト教民主同盟はたくさん聞かなきゃいけなかったわけであります。そして、最終的に大連立政権となって、圧倒的多数の政権の下でこの緊急事態憲法が作られました。
ところが、この三十年後のこの学者の告白によれば、そのプロセスで、そこに、お手元に書いたような三つの安全装置を巧みに組み込んでいきました。
一つは、ワイマール憲法がやったように、緊急事態の認定と判定を同じ人物、すなわち総理大臣に置かないように、ぎりぎりまで議会に緊急事態の認定権を留保したのであります。そして、もしもソビエトのミサイルが飛んできたら議会なんか一々集まっていられぬだろうというのに対して、あらかじめ連邦議会から三十二人、参議院から十六人の四十八人をポケベルを持たせて選んでおいて、君、ボンの近くにいてねということにしておいて、補助員まで付けておいて、そして、アールワインというワイン通で有名な赤ワインの里、バートノイエンアールというブドウ畑の下に地下六十メートルの核シェルターがありまして、そこに集まって、議会が認定をして、緊急事態を認定するわけです。つまり、その四十八人で議会認定とみなすということをこの憲法に組み込みました。
お手元の資料の三十四ページにある写真は、私が、この核シェルターが廃棄される直前、この中に政府の許可を得て入って撮ってきた写真でございまして、この核シェルターは三千人が、政府関係者が入ることのできる機関ですけれども、今は使われておりません。ある政府機関研究者にベルリンにも作ったんですかと言ったら、にやりと笑って、もう必要はないだろうと言っておりましたので、今、ドイツは核シェルターをベルリンの議会の地下には持っていないと思います。
いずれにいたしましても、冷戦崩壊後、非常に大きな変化が起こってまいりました。
二つ目の大きな安全装置は、防衛事態と差し迫った緊迫事態においても、市民に何らかの義務を課す場合、それは連邦議会の投票の三分の二を要求したことであります。つまり、憲法改正に匹敵するような三分の二というのを常に議会に与えたこと、これが執行権の暴走を困難にしたというふうに評価されております。
そして三つ目の安全装置が、当然、社会民主党の主張を反映して、労働者のストライキ権やゼネストなどは緊急事態にカウントしないんだ、つまり対内的緊急事態という概念を草案から除いたことであります。現に、八十七a条四項という規定がありますけれども、これはかなり限定化されたものであります。
つまり、まとめて言えば、ドイツの場合、緊急事態憲法を作るに当たって、大変鋭い緊張関係の中で、緊急事態においても議会の権限を最後まで留保した工夫と、その言わば努力が見られるのであります。
同様に、韓国の憲法はどうでしょうか。
韓国の場合、四八年の憲法制定から八七年の憲法まで、ある韓国の学者によれば緊急権濫用の歴史と言われております。
とりわけ、八〇年十月以降、言わば非常措置権が、戒厳が濫用されて、議会以外の国家再建最高会議が二年七か月で千十五件も法律を制定するという言わば非常事態の日常化が現出しました。最終的に、一九八七年の憲法は非常に限定された、制限された言わば緊急権しか持たないことになりました。そして、かつて持っていたような、言わば国家の安全に脅威を受けるおそれであるとかあるいは交戦状態に準ずる非常事態といった文言をすべて削除し、非常にシンプルな緊急権発動要件にいたしました。
私は、この間、韓国の若い憲法学者、三八六世代と呼ばれる若い憲法学者と、韓国と日本の緊急事態法と治安法制の共同研究を、文部科学省からお金をもらいまして共同研究をしてまいりました。そしてその結果、韓国側の若い研究学者たちが、権威主義的体制の韓国の下で憲法に緊急権を入れたことによってどれだけ濫用されたかということについて鋭い指摘をしてまいりました。そして、言わば条文上あるいは何らかの形で緊急権を条文に入れた方がチェックしやすいんだという議論に対しては、韓国の若い学者は、それは全くの楽観主義である、様々な制度や裁判制度や、そういうもののチェックシステムがきちっとできない限り、そして国会の統制がきちっとできない限り、憲法に緊急権の条文を入れたとしても、それは濫用されない保証はないんだということを韓国の学者が言いました。
そして、武力攻撃事態法案などの制定過程を韓国の学者に見させると、あれは余りにも楽観的であると。例えば、三条四項だったと記憶しておりますが、基本的人権の保障を例えば二重にわたって尊重尊重、特にこれも尊重という人権尊重をうたった場合、これこそ楽観主義の極致であって、そのことが言わばこの武力事態攻撃法案の致命的な弱点を治癒するものでないということについては、私と韓国の学者はその点では見事に一致しました。
もちろん、韓国の学者は軍隊を必要とする立場ですから、憲法九条の評価では対立します。しかし、憲法を日本が改正して緊急権を入れるのにどうだと聞いたとき、彼らは全員一致で反対をいたします。つまり、日本にそれをチェックする能力があるのかというのが彼らの意見であります。
私は、濫用された歴史へのまなざし、緊急権がどのように歴史的に濫用されたかということについて韓国の学者が書いた、私の本に収めてくれた宋教授の論文をそこに収めてございます。是非ごらんいただきたいと思います。
日本の緊急権の論議に求められているものについて入ります。
私は、先ほども議論があったように、様々な緊張がこのアジア周辺にあることは否定いたしません。しかし現在、単独行動主義に走る特定の大国との軍事的協力関係を過度に重視して、戦後日本の歴代政府の憲法解釈からいっても到底正当化できないような、他国の領域内における我が国武装組織の武力行使を行うおそれすらある法案が現在本院でも議論されているとき、私は是非とも軸足をアジアに置いて、アジア諸国との関係においてとりわけ安全保障の問題を言わば軍事一極的な形で処理することにならないように、特に参議院の見識を求めるものであります。
とりわけ、憲法は国の顔であります。このような緊急権の条項を憲法に入れた場合、それが念のため、備えあればというレベルであっても、それがアジア諸国や対外的に過去の歴史を引きずる諸国に対しどのようなメッセージを発するかは明らかであります。私は、緊急権条項を入れることの付随的効果をそのように考えるだけでなく、現在のシステムの下における様々な問題についても、この際指摘をしたいと思います。
お手元のレジュメにある幾つかの論点についてはこれ以上立ち入れませんが、とりわけ大災害といわゆる武力攻撃事態のような戦争事態とを区別する視点が重要であります。緊急事態というものを一般的に否定する人間はいません。どのような緊急事態の内容に対し、どのように対処することが最も効果的であるかということについて、憲法は沈黙しているのではなくて特定の方向を遮断していると私は考えています。その特定の方向とは、言わば軍事力を用いた危機克服であります。
したがって、軍事力を用いないあらゆる可能性を憲法は危機克服の一つの方向として示唆していると考えています。その方向に立法府が、立法やあるいは自治体との協力、あるいは市民の協力の中でそういった対応を作っていくべきであって、阪神大震災後、例えば緊急消防援助隊など自治体レベルにおける様々な工夫や自治体レベルの努力などから、様々な言わば地震に対する向き合い方があの以前に比べれば大きく前進したことは明らかです。
もちろん、十分とは言いません。しかし、憲法に災害対処と戦争と内乱のようなものを一緒くたにした緊急事態条項を持ったからといって、それを運用する政府がそれを的確に運用できる保証はありません。
とりわけ、韓国とドイツの場合、憲法裁判所を持っております。憲法裁判所は緊急事態でも機能することは、それぞれ憲法に明記されております。とりわけ韓国憲法裁判所が九六年に出した判決は、緊急事態においてもこれは統治行為にならない、国民の人権が問題になったときは審査できるという判例がございます。つまり、韓国とドイツの場合でいえば、そういう形の司法救済の道が残されています。日本にはそれが期待できるか、甚だ私は悲観的でございます。
それともう一つ。国際人権規約やヨーロッパ人権条約には、緊急事態におけるいわゆるデロゲーション条項と呼ばれる例外条項があります。しかし、このことを指摘して、日本も当然のように緊急事態法の問題では作るべきだという議論にはなりません。これは、ヨーロッパ人権裁判所やそういった、今、ドイツやあるいは韓国と同様に、司法的救済の道と一体になっているからこそそういった言わばチェックの可能性があるわけであります。日本の場合、そのようなチェックシステムとともに、そういったセットの議論がなされているかどうかという点については、甚だ疑問とせざるを得ません。
最後に、憲法に緊急事態条項を安易に設けるべきではないというのが私の差し当たりの結論でございますけれども、しかし予想し得る事態を、どういうふうに向き合うかということに対しては幾つかの方法があります。
例えば、予測し得る事態を全部憲法に書き込むこと、包括的な緊急事態憲法を作る道もあります。しかし、これはだれも考え付かない、実際不可能な道であります。他方、権力が濫用されないために憲法に緊急事態条項を導入して、それによってチェックすべきだという、先ほど指摘した点があります。これは一理あります。
しかし、逆に問いたいのは、このような緊急事態条項を持つ国々が、それぞれの悩ましい体験に基づいてそれぞれの見直しや、場合によっては限定化の道を検討していること。とりわけ、韓国のそのような若い世代の憲法学者などの議論に耳を傾けて、言わばどこの国でもあるから日本もという議論はそろそろ卒業すべきではないかというのが私の意見であります。
今、憲法改正の問題として登場している様々な議論、大規模テロや内乱事態にどう対応するかという議論にこの問題を故意に引き付けるよりは、第二院としての参議院がより高い見識を発揮して、憲法九条を持つ日本が、なぜこのタイミング、この時点において、今、世界から見られているような武力行使を海外において行う方向に踏み出そうとするのか、その点に対し是非慎重なる見識を発揮していただきたい。
とりわけ参議院は、第二院として言わばそういった議論に対してより長期的な視野から議論をする、そういう院として期待されております。本調査会は、とりわけ参議院としての第二院の存在意義とその誇りに懸けて、そうした方向について慎重の上にも慎重な御議論をいただくことを最後に期待して、私の発言を終わります。
ありがとうございました。
野
村
村田晃嗣#6
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
本日は、お招きいただきまして光栄に存じます。
本日のテーマは緊急事態法制ということでございますが、今般、国会で有事関連三法が既に成立をしておりますが、ここでおっしゃる緊急事態法制というのは有事法制よりも広い概念であろうというふうに存じますが、それでも、今般、有事三法案が既に成立をしたということは私は大変結構なことではないかというふうに存じます。
もちろん、有事関連法につきましては、国民保護法制、国民の基本的人権を含む問題などがまだ未解決のまま残っておりますから、そうした問題が今後どのようにクリアされるのかという今後の課題というものが非常に大きいかと思いますけれども、しかし、日本を取り巻く国際環境、とりわけ朝鮮半島の緊張の高まりということを考えますと、今国会でも日本が有事法制を成立できなかったということになれば、実際はできたから結構なわけですが、できなかったということになれば、それが対外的にどういう外交的メッセージとして伝わるかということを考えますと、今国会で有事法制が与野党の多数の賛成で成立したことは、日本の対外的なメッセージとして私は大いに意味のあったことじゃないかというふうに思うわけであります。
さらに、今般の有事法制ももちろん百点満点のものではございませんけれども、しかし、それまでは武力攻撃の事態については、せいぜい自衛隊法の八十八条で、事態に対して合理的な範囲で対処するという極めて漠然とした規定しかなかったことを考えますと、今般の有事法制が整備されたということは大変大きな進歩ではないかというふうに思っているわけであります。
例えば、安全保障や法律に百点満点ということはございません。したがって、完璧主義に陥ると私ども過ちを犯すと思いますけれども、日米防衛協力のための指針、いわゆるガイドラインのときにも、最初にガイドラインが作られました一九七八年には、これは専ら日本有事の研究しかできなかったわけでして、広い意味での極東有事の研究には全く着手できなかったわけであります。
そういう意味では本来のミッションを果たすものではなかったですけれども、しかし、七八年にガイドラインができ、その後の日米の防衛協力が進んだということが、九七年に周辺事態を含めたより包括的なガイドラインの改正につながる大きな前提を整備していたわけでありまして、有事法制も今のものが完璧でないから無意味だということにはならず、これは必要に応じて更にいいものに改正をしていけばよいわけですから、そういう大きなグラウンドができたというふうにまず考えるべきではなかろうかというふうに私は考えております。
それから、既に佐々参考人のお話あるいは資料の中にも出てまいりましたけれども、私は、有事とか、あるいはより広い意味での緊急事態の政府の意思決定、迅速性、それから正当性を確保するという意味で、総理大臣の職務権限の代行といいますか、あるいは指揮権というのかもしれませんけれども、順位というものをより明確に法的に定める必要があるというふうに存じております。
これは内閣法の問題かもしれませんし、あるいは国家行政組織法の問題かもしれませんけれども、今のところは各内閣が成立したところで総理の職務代行権というものがその都度定められているように存じますが、例えばアメリカの場合でしたら、御承知のとおり、大統領、副大統領、そして下院議長以下、大統領の職務の代行権限の順番が非常に緻密に決まっているわけでありますし、大統領が一般教書演説で連邦議会を訪れるようなときには、大統領の職務権限の継承者の一人が必ず場を外すというような配慮までされているわけであります。そういう意味で、この総理大臣の、自衛隊の最高指揮者である総理の職務権限の代行について法的な整備を進める必要があるのではないかというふうに私は存じております。
今般の武力攻撃事態対処法でも、有事に際して対策本部が作られて、総理が本部長におなりになって、閣僚がすべてメンバーになり、総理以外の閣僚一人が副本部長になるということまでは定められております。恐らく、私が想像するところでは、総理が本部長になられた場合、副本部長は内閣官房長官がおなりになる可能性が非常に高いと思いますけれども、しかしながら、内閣官房長官というのは、例えば有事というのは想定できないことが起こるような事態なわけですから、首相官邸が攻撃を受けたとか、あるいはこの国会議事堂が攻撃を受けたというような場合、総理大臣と一緒に死んでいる可能性の一番高い閣僚が内閣官房長官でありまして、そういう意味では総理と内閣官房長官だけというのでは不十分であって、総理の権限の継承というものを更に緻密に検討する必要があるのではないかというふうに存じております。
その点で申しますと、これは実は私、先般有事法制の特別委員会で本院の福井の公聴会にお招きいただきまして、そのときにも申し上げたことなのですけれども、私、甚だ残念に思いますのは、先生方がいらっしゃる国会議員の議員会館の入口に金属探知器が設置されたのが九・一一のテロの後だというふうに私は聞き及んでおりまして、これは甚だ危機意識に欠けることではないかというふうに思っているわけであります。
別に国会議員の生命が我々一般国民より大事というのではなくて、国会議員は国民の信託を受けて政治を全うする責任があるのであって、その国会議員のいる議員会館に金属探知器が他国であのような大規模テロが起こるまで置かれていなかったというのは、これは国会議員の怠慢と私は言わざるを得ないと思います。
そのように私、その福井の公聴会のときに申し上げましたところ、そこに御出席のある委員の先生方から驚くべきことを伺いまして、金属探知器は置かれたけれども、今でも国会議員と秘書は通らなくてよいと。それでは金属探知器が置かれた意味はこれは全くないのでありまして、しかも、私、お招きいただきながらこのようなことを申し上げるのは甚だ恐縮でございますが、本日、私は参考人としてここまでやってくるまでにも金属探知器を通る必要はございませんでした。ちょっとした東京の都心の高層ビルのオフィス街に行こうと思ったら、入口で金属探知器を通らないと行けないというようなことは多々あるわけでありまして、高層ビルのオフィス街、オフィスのところへ行く方が国会議事堂の中に入るより警備が厳重だということでは、これは全く本末転倒と言わざるを得ないのであって、そもそも国会議員の危機意識というものについてかなり見直していただかなければならないのではないかということを私はあえて申し上げたいというふうに存じます。
それから、これも有事法制の話の中で出てまいりまして、そして緊急事態とも関連するかと思いますけれども、民主党の御提案で、危機管理庁の設置というものについて検討するということが有事法制に盛り込まれております。
私は、この危機管理庁を設置するということについて何ら原理的にこれに反対するものではないのですけれども、恐らくこれはアメリカのあのFEMAと言われる組織、緊急事態管理庁というのでしょうか、連邦緊急事態管理庁というのでしょうか、FEMAをモデルにしてお考えになっているのではないかというふうに思うのですけれども、アメリカの場合は、アメリカ合衆国軍が基本的には外に出て戦う外征部隊であるということを前提にして、連邦制を取るアメリカでFEMAのような組織がある。我が国の場合は、自衛隊は全く逆でございまして、外に出て戦うことは想定されず、国民の間でも自衛隊に対する信頼感が一番高いのは国内での大規模災害等々での自衛隊の活動ということであって、アメリカとはそういう意味で随分前提が違う。
そういう中で、アメリカのFEMAのようなものを模倣して危機管理庁というものを作ることが果たしてこの危機管理体制の前進に役に立つかということは、制度論を超えて具体的、慎重に御検討いただく必要があるのではないかと思うんです。防衛庁があり、警察があり、その他様々な中央官庁がある。さらには地方自治体がある。これが有事なり緊急事態のときに有機的に協力をしていくと、これは大変大事なことですけれども、危機管理庁のような組織を作ることは、もしかしたら、防衛庁と警察庁とその他の中央官庁にプラスアルファ、屋上屋を架して、更に官僚的な縄張争いを激化させるだけになるかもしれない。
問題は、制度ではなくて、日本の政治文化であり官僚文化の問題ではないかというふうに私は思っておりまして、危機管理庁を作ることは反対というわけではありませんけれども、もしお作りになるとするならば、単なる制度論にとどまらない踏み込んだ議論を是非していただきたいというふうに存じております。
この調査会での大きなテーマは「平和主義と安全保障」ということだそうでございますから、もう少し広く安全保障の問題について若干私見を申し述べさせていただきますけれども、冷戦が終わりましてから日本は、それも今日、佐々参考人が大変緻密な資料を御用意くださっておりますが、冷戦後にも我が国は多くの安全保障関係の法律を制定してまいりました。九二年のPKO法、それから周辺事態法、さらにはテロ対策特別措置法、そして先般の有事法制と、次々にそれまでであれば考えられないような重要な立法がこの十年ほどの間に成立してきたわけであります。
私は、それは大変大きな進歩、前進であるというふうに思っておりますけれども、残念ながらそうした立法はその都度の国際環境の必要性に迫られて、極めて短期間に、限定的な目的で個別の立法が積み重ねられていったという傾向があるのではないかというふうに思うわけです。したがいまして、憲法との整合性の問題というような大きな問題については、問題を回避するような形になっているところがなくはない。それは、このイラク特別支援法案ですか、今御審議になっている法案についても、非戦闘地域なのか戦闘地域なのか、戦闘地域なら武力行使と一体化でできないというような話や、PKOの武器使用基準の問題というような根本問題はその都度手を付けないままといいますか、後回しにしながら、その時々の必要性に応じて重要な立法を重ねてきた。
もちろん、国際政治においてタイミングというのは極めて重要でありますから、タイムリーに法律を作るということは大事でありますけれども、冷戦終えん以来十年以上たって、今、やはり日本は広い意味での日本の安全保障をどう考えるのかというグランドピクチャーをといいますか、大きな戦略的枠組みを明示すべきではないかと。個別の立法でその都度対応するというのではなくて、憲法とそうした個別の立法をつなぐ安全保障基本法というような、我が国の安全保障政策の全体像を示す立法を考案する、そういう必要性があるのではないかというふうに私は思っております。
そして、憲法の中で大変問題になります集団的自衛権の行使の問題につきましても、私は政府の現在の解釈に反対でございまして、集団的自衛権を保持しているけれども行使できないというのは、少なくとも私には納得のできない議論でありますけれども、この集団的自衛権の内閣法制局の解釈を国会はどうお考えになるのか、国権の最高機関である国会はどうお考えになるのかということを、例えば安全保障基本法のような法律をお作りになって、その一項目の中で国権の最高機関としての権威ある解釈をお示しになるということも私は一つの方途ではないか。少なくとも、内閣法制局というような一官僚機関に憲法の解釈をゆだねるのでなくて、国会自身が九条の集団的自衛権の行使の問題についての御見解をお示しになるというようなことがもし可能であれば、今後の安全保障に関する立法がよりスムーズに、あるいは整合的にできてくるのではないかというふうに私は思っているわけであります。
もちろん、憲法にいたしましても、あるいは法律にいたしましても、制度にいたしましても、繰り返しますが、一〇〇%ということは存在いたしません。したがいまして、水島参考人が御指摘になりましたように、権力の濫用という問題は常に潜在的にあるわけであります。しかし、他方で、法整備ができていなかったり制度ができていなかったときの不備といいますか、そのときの被害、マイナス面というのがあるのであって、問題は、それをてんびんに掛けたときにどちらが深刻な問題であるかということをバランスよく検討していくことであろうというふうに考えております。
九・一一のテロ以降、あるいはイラク戦争以降明らかになったこと、国際政治上、日本の安全保障と密接にかかわり、明らかになったことについて若干お話し申し上げたいと思いますが。
一つは、私、やはりアメリカの力の優越というものが極めて明瞭になったと。事軍事力に関して言うならば、世界の軍事費の四〇%をアメリカ一国が支出している事態であり、軍事技術については、もうこれは他の追随を許さない圧倒的な優越をアメリカが今持っているという中で、確かに日米同盟も過去において非常に難しい問題を抱えてまいりましたが、実は日本だけではなくて、アメリカと韓国、あるいはアメリカとヨーロッパといった世界じゅうのアメリカの同盟国がこの巨大な軍事大国との同盟関係をどう維持していくのかという問題で悩んでいるのであって、日米同盟の課題や困難というのは実は私どもだけの固有の問題ではなくて、今の国際政治の普遍的な問題であると。この日米同盟とどう向き合っていくのかというのが、今後ますます難しい、そして重要な問題になるだろうというふうに存じております。
さらに、国連についてでございますけれども、今回のイラク戦争をめぐって国連が、一部にはあたかも、国連かあるいはアメリカかというような短絡的な議論がなされましたが、そもそも国連かアメリカかという選択肢はあり得ないのであって、アメリカが国連の安保理常任理事国である以上、アメリカの意向に全く反した国連安保理決議は通らないのであって、今回のケースでも、国連かアメリカかではなくて、国連は意思決定ができなかった、安保理は意思決定ができなかったということになろうかと思いますけれども。
しかしながら、私がいささかこの国連に関して危惧いたしますところは、国連というのは安全保障理事会だけではございませんで、ユネスコやユニセフ、WHOといった専門機関を抱えた非常に幅広い活動をしている機関であり、そして世界で一番大きな国際機関であることは言うまでもありませんが、このイラク戦争で国連安保理がうまく機能しなかったということをもって国連無用論というようなものが日本の一部で広がっていくとすれば、それは私はゆゆしきことではなかろうかと。
国連中心主義と日本がしばしば言うところのものが具体的に何を意味するのか、私にはそれほど定かではありませんが、国連を過度に賛美するかと思えば、国連が一つの事例で失敗したかと思うと、今度は国連無用論のような議論が出てくるという、この極論から極論に走るというのは、日本の言論界がまだまだ成熟をしていないところであって、この国連をどのように世界の安全保障、そして日本の安全保障のために活用していくのか、国連の足らざるところをどのように補っていくのかという非常に機能的で多元的、複眼的な国連に対する見方が今求められているのではなかろうかというふうに存じます。
そして、「平和主義と安全保障」というテーマでございますので、最後にこの平和主義ということについて一言だけ申し上げますが、戦後日本で平和ということはしばしば語られてまいりまして、企業の名前にも平和と、平和産業とか平和物産とか、さらにはパチンコ屋にも平和という名前が付きますし、たばこにもピースというのがございますから、戦後日本は平和というのを、言葉を極めて安売りして乱用してきたわけでありますけれども、しかし本当に日本人が、戦後の日本人が考える平和主義というのは一体何なのであるかと。
もちろん、平和が単に戦争がないという状態を指すことではないことは言うまでもありませんけれども、平和そのものは私は国家の目標にはならないと思います、あるいは外交の目標にはならない。平和を超えて日本が、日本の国と社会が国際社会のために、あるいは人類のために一体何を果たそうとしているのかという、平和の向こうにあるものを議論しなければ、平和主義は単なる現状維持あるいは事なかれ主義に堕する可能性が非常に高くて、戦後日本はしばしばその平和の向こうにある目標を語ることなしに、そして平和に伴うリスクについて考えることなしに平和について語る傾向が非常に多かったのではないかと。
この憲法をめぐる平和主義と安全保障の問題を御議論いただく中でも、日本の平和主義というのが本当に何を意味するのかと、日本がどこに向かおうとしているのかということについて、言葉を超えた深い御議論をいただければ大変有り難いことだというふうに存じております。
少し時間が早いですが、これで終わらせていただきます。
この発言だけを見る →本日は、お招きいただきまして光栄に存じます。
本日のテーマは緊急事態法制ということでございますが、今般、国会で有事関連三法が既に成立をしておりますが、ここでおっしゃる緊急事態法制というのは有事法制よりも広い概念であろうというふうに存じますが、それでも、今般、有事三法案が既に成立をしたということは私は大変結構なことではないかというふうに存じます。
もちろん、有事関連法につきましては、国民保護法制、国民の基本的人権を含む問題などがまだ未解決のまま残っておりますから、そうした問題が今後どのようにクリアされるのかという今後の課題というものが非常に大きいかと思いますけれども、しかし、日本を取り巻く国際環境、とりわけ朝鮮半島の緊張の高まりということを考えますと、今国会でも日本が有事法制を成立できなかったということになれば、実際はできたから結構なわけですが、できなかったということになれば、それが対外的にどういう外交的メッセージとして伝わるかということを考えますと、今国会で有事法制が与野党の多数の賛成で成立したことは、日本の対外的なメッセージとして私は大いに意味のあったことじゃないかというふうに思うわけであります。
さらに、今般の有事法制ももちろん百点満点のものではございませんけれども、しかし、それまでは武力攻撃の事態については、せいぜい自衛隊法の八十八条で、事態に対して合理的な範囲で対処するという極めて漠然とした規定しかなかったことを考えますと、今般の有事法制が整備されたということは大変大きな進歩ではないかというふうに思っているわけであります。
例えば、安全保障や法律に百点満点ということはございません。したがって、完璧主義に陥ると私ども過ちを犯すと思いますけれども、日米防衛協力のための指針、いわゆるガイドラインのときにも、最初にガイドラインが作られました一九七八年には、これは専ら日本有事の研究しかできなかったわけでして、広い意味での極東有事の研究には全く着手できなかったわけであります。
そういう意味では本来のミッションを果たすものではなかったですけれども、しかし、七八年にガイドラインができ、その後の日米の防衛協力が進んだということが、九七年に周辺事態を含めたより包括的なガイドラインの改正につながる大きな前提を整備していたわけでありまして、有事法制も今のものが完璧でないから無意味だということにはならず、これは必要に応じて更にいいものに改正をしていけばよいわけですから、そういう大きなグラウンドができたというふうにまず考えるべきではなかろうかというふうに私は考えております。
それから、既に佐々参考人のお話あるいは資料の中にも出てまいりましたけれども、私は、有事とか、あるいはより広い意味での緊急事態の政府の意思決定、迅速性、それから正当性を確保するという意味で、総理大臣の職務権限の代行といいますか、あるいは指揮権というのかもしれませんけれども、順位というものをより明確に法的に定める必要があるというふうに存じております。
これは内閣法の問題かもしれませんし、あるいは国家行政組織法の問題かもしれませんけれども、今のところは各内閣が成立したところで総理の職務代行権というものがその都度定められているように存じますが、例えばアメリカの場合でしたら、御承知のとおり、大統領、副大統領、そして下院議長以下、大統領の職務の代行権限の順番が非常に緻密に決まっているわけでありますし、大統領が一般教書演説で連邦議会を訪れるようなときには、大統領の職務権限の継承者の一人が必ず場を外すというような配慮までされているわけであります。そういう意味で、この総理大臣の、自衛隊の最高指揮者である総理の職務権限の代行について法的な整備を進める必要があるのではないかというふうに私は存じております。
今般の武力攻撃事態対処法でも、有事に際して対策本部が作られて、総理が本部長におなりになって、閣僚がすべてメンバーになり、総理以外の閣僚一人が副本部長になるということまでは定められております。恐らく、私が想像するところでは、総理が本部長になられた場合、副本部長は内閣官房長官がおなりになる可能性が非常に高いと思いますけれども、しかしながら、内閣官房長官というのは、例えば有事というのは想定できないことが起こるような事態なわけですから、首相官邸が攻撃を受けたとか、あるいはこの国会議事堂が攻撃を受けたというような場合、総理大臣と一緒に死んでいる可能性の一番高い閣僚が内閣官房長官でありまして、そういう意味では総理と内閣官房長官だけというのでは不十分であって、総理の権限の継承というものを更に緻密に検討する必要があるのではないかというふうに存じております。
その点で申しますと、これは実は私、先般有事法制の特別委員会で本院の福井の公聴会にお招きいただきまして、そのときにも申し上げたことなのですけれども、私、甚だ残念に思いますのは、先生方がいらっしゃる国会議員の議員会館の入口に金属探知器が設置されたのが九・一一のテロの後だというふうに私は聞き及んでおりまして、これは甚だ危機意識に欠けることではないかというふうに思っているわけであります。
別に国会議員の生命が我々一般国民より大事というのではなくて、国会議員は国民の信託を受けて政治を全うする責任があるのであって、その国会議員のいる議員会館に金属探知器が他国であのような大規模テロが起こるまで置かれていなかったというのは、これは国会議員の怠慢と私は言わざるを得ないと思います。
そのように私、その福井の公聴会のときに申し上げましたところ、そこに御出席のある委員の先生方から驚くべきことを伺いまして、金属探知器は置かれたけれども、今でも国会議員と秘書は通らなくてよいと。それでは金属探知器が置かれた意味はこれは全くないのでありまして、しかも、私、お招きいただきながらこのようなことを申し上げるのは甚だ恐縮でございますが、本日、私は参考人としてここまでやってくるまでにも金属探知器を通る必要はございませんでした。ちょっとした東京の都心の高層ビルのオフィス街に行こうと思ったら、入口で金属探知器を通らないと行けないというようなことは多々あるわけでありまして、高層ビルのオフィス街、オフィスのところへ行く方が国会議事堂の中に入るより警備が厳重だということでは、これは全く本末転倒と言わざるを得ないのであって、そもそも国会議員の危機意識というものについてかなり見直していただかなければならないのではないかということを私はあえて申し上げたいというふうに存じます。
それから、これも有事法制の話の中で出てまいりまして、そして緊急事態とも関連するかと思いますけれども、民主党の御提案で、危機管理庁の設置というものについて検討するということが有事法制に盛り込まれております。
私は、この危機管理庁を設置するということについて何ら原理的にこれに反対するものではないのですけれども、恐らくこれはアメリカのあのFEMAと言われる組織、緊急事態管理庁というのでしょうか、連邦緊急事態管理庁というのでしょうか、FEMAをモデルにしてお考えになっているのではないかというふうに思うのですけれども、アメリカの場合は、アメリカ合衆国軍が基本的には外に出て戦う外征部隊であるということを前提にして、連邦制を取るアメリカでFEMAのような組織がある。我が国の場合は、自衛隊は全く逆でございまして、外に出て戦うことは想定されず、国民の間でも自衛隊に対する信頼感が一番高いのは国内での大規模災害等々での自衛隊の活動ということであって、アメリカとはそういう意味で随分前提が違う。
そういう中で、アメリカのFEMAのようなものを模倣して危機管理庁というものを作ることが果たしてこの危機管理体制の前進に役に立つかということは、制度論を超えて具体的、慎重に御検討いただく必要があるのではないかと思うんです。防衛庁があり、警察があり、その他様々な中央官庁がある。さらには地方自治体がある。これが有事なり緊急事態のときに有機的に協力をしていくと、これは大変大事なことですけれども、危機管理庁のような組織を作ることは、もしかしたら、防衛庁と警察庁とその他の中央官庁にプラスアルファ、屋上屋を架して、更に官僚的な縄張争いを激化させるだけになるかもしれない。
問題は、制度ではなくて、日本の政治文化であり官僚文化の問題ではないかというふうに私は思っておりまして、危機管理庁を作ることは反対というわけではありませんけれども、もしお作りになるとするならば、単なる制度論にとどまらない踏み込んだ議論を是非していただきたいというふうに存じております。
この調査会での大きなテーマは「平和主義と安全保障」ということだそうでございますから、もう少し広く安全保障の問題について若干私見を申し述べさせていただきますけれども、冷戦が終わりましてから日本は、それも今日、佐々参考人が大変緻密な資料を御用意くださっておりますが、冷戦後にも我が国は多くの安全保障関係の法律を制定してまいりました。九二年のPKO法、それから周辺事態法、さらにはテロ対策特別措置法、そして先般の有事法制と、次々にそれまでであれば考えられないような重要な立法がこの十年ほどの間に成立してきたわけであります。
私は、それは大変大きな進歩、前進であるというふうに思っておりますけれども、残念ながらそうした立法はその都度の国際環境の必要性に迫られて、極めて短期間に、限定的な目的で個別の立法が積み重ねられていったという傾向があるのではないかというふうに思うわけです。したがいまして、憲法との整合性の問題というような大きな問題については、問題を回避するような形になっているところがなくはない。それは、このイラク特別支援法案ですか、今御審議になっている法案についても、非戦闘地域なのか戦闘地域なのか、戦闘地域なら武力行使と一体化でできないというような話や、PKOの武器使用基準の問題というような根本問題はその都度手を付けないままといいますか、後回しにしながら、その時々の必要性に応じて重要な立法を重ねてきた。
もちろん、国際政治においてタイミングというのは極めて重要でありますから、タイムリーに法律を作るということは大事でありますけれども、冷戦終えん以来十年以上たって、今、やはり日本は広い意味での日本の安全保障をどう考えるのかというグランドピクチャーをといいますか、大きな戦略的枠組みを明示すべきではないかと。個別の立法でその都度対応するというのではなくて、憲法とそうした個別の立法をつなぐ安全保障基本法というような、我が国の安全保障政策の全体像を示す立法を考案する、そういう必要性があるのではないかというふうに私は思っております。
そして、憲法の中で大変問題になります集団的自衛権の行使の問題につきましても、私は政府の現在の解釈に反対でございまして、集団的自衛権を保持しているけれども行使できないというのは、少なくとも私には納得のできない議論でありますけれども、この集団的自衛権の内閣法制局の解釈を国会はどうお考えになるのか、国権の最高機関である国会はどうお考えになるのかということを、例えば安全保障基本法のような法律をお作りになって、その一項目の中で国権の最高機関としての権威ある解釈をお示しになるということも私は一つの方途ではないか。少なくとも、内閣法制局というような一官僚機関に憲法の解釈をゆだねるのでなくて、国会自身が九条の集団的自衛権の行使の問題についての御見解をお示しになるというようなことがもし可能であれば、今後の安全保障に関する立法がよりスムーズに、あるいは整合的にできてくるのではないかというふうに私は思っているわけであります。
もちろん、憲法にいたしましても、あるいは法律にいたしましても、制度にいたしましても、繰り返しますが、一〇〇%ということは存在いたしません。したがいまして、水島参考人が御指摘になりましたように、権力の濫用という問題は常に潜在的にあるわけであります。しかし、他方で、法整備ができていなかったり制度ができていなかったときの不備といいますか、そのときの被害、マイナス面というのがあるのであって、問題は、それをてんびんに掛けたときにどちらが深刻な問題であるかということをバランスよく検討していくことであろうというふうに考えております。
九・一一のテロ以降、あるいはイラク戦争以降明らかになったこと、国際政治上、日本の安全保障と密接にかかわり、明らかになったことについて若干お話し申し上げたいと思いますが。
一つは、私、やはりアメリカの力の優越というものが極めて明瞭になったと。事軍事力に関して言うならば、世界の軍事費の四〇%をアメリカ一国が支出している事態であり、軍事技術については、もうこれは他の追随を許さない圧倒的な優越をアメリカが今持っているという中で、確かに日米同盟も過去において非常に難しい問題を抱えてまいりましたが、実は日本だけではなくて、アメリカと韓国、あるいはアメリカとヨーロッパといった世界じゅうのアメリカの同盟国がこの巨大な軍事大国との同盟関係をどう維持していくのかという問題で悩んでいるのであって、日米同盟の課題や困難というのは実は私どもだけの固有の問題ではなくて、今の国際政治の普遍的な問題であると。この日米同盟とどう向き合っていくのかというのが、今後ますます難しい、そして重要な問題になるだろうというふうに存じております。
さらに、国連についてでございますけれども、今回のイラク戦争をめぐって国連が、一部にはあたかも、国連かあるいはアメリカかというような短絡的な議論がなされましたが、そもそも国連かアメリカかという選択肢はあり得ないのであって、アメリカが国連の安保理常任理事国である以上、アメリカの意向に全く反した国連安保理決議は通らないのであって、今回のケースでも、国連かアメリカかではなくて、国連は意思決定ができなかった、安保理は意思決定ができなかったということになろうかと思いますけれども。
しかしながら、私がいささかこの国連に関して危惧いたしますところは、国連というのは安全保障理事会だけではございませんで、ユネスコやユニセフ、WHOといった専門機関を抱えた非常に幅広い活動をしている機関であり、そして世界で一番大きな国際機関であることは言うまでもありませんが、このイラク戦争で国連安保理がうまく機能しなかったということをもって国連無用論というようなものが日本の一部で広がっていくとすれば、それは私はゆゆしきことではなかろうかと。
国連中心主義と日本がしばしば言うところのものが具体的に何を意味するのか、私にはそれほど定かではありませんが、国連を過度に賛美するかと思えば、国連が一つの事例で失敗したかと思うと、今度は国連無用論のような議論が出てくるという、この極論から極論に走るというのは、日本の言論界がまだまだ成熟をしていないところであって、この国連をどのように世界の安全保障、そして日本の安全保障のために活用していくのか、国連の足らざるところをどのように補っていくのかという非常に機能的で多元的、複眼的な国連に対する見方が今求められているのではなかろうかというふうに存じます。
そして、「平和主義と安全保障」というテーマでございますので、最後にこの平和主義ということについて一言だけ申し上げますが、戦後日本で平和ということはしばしば語られてまいりまして、企業の名前にも平和と、平和産業とか平和物産とか、さらにはパチンコ屋にも平和という名前が付きますし、たばこにもピースというのがございますから、戦後日本は平和というのを、言葉を極めて安売りして乱用してきたわけでありますけれども、しかし本当に日本人が、戦後の日本人が考える平和主義というのは一体何なのであるかと。
もちろん、平和が単に戦争がないという状態を指すことではないことは言うまでもありませんけれども、平和そのものは私は国家の目標にはならないと思います、あるいは外交の目標にはならない。平和を超えて日本が、日本の国と社会が国際社会のために、あるいは人類のために一体何を果たそうとしているのかという、平和の向こうにあるものを議論しなければ、平和主義は単なる現状維持あるいは事なかれ主義に堕する可能性が非常に高くて、戦後日本はしばしばその平和の向こうにある目標を語ることなしに、そして平和に伴うリスクについて考えることなしに平和について語る傾向が非常に多かったのではないかと。
この憲法をめぐる平和主義と安全保障の問題を御議論いただく中でも、日本の平和主義というのが本当に何を意味するのかと、日本がどこに向かおうとしているのかということについて、言葉を超えた深い御議論をいただければ大変有り難いことだというふうに存じております。
少し時間が早いですが、これで終わらせていただきます。
野
野沢太三#7
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
これより参考人に対する質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。
なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
福島啓史郎君。
この発言だけを見る →以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
これより参考人に対する質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。
なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
福島啓史郎君。
福
福島啓史郎#8
○福島啓史郎君 自由民主党の福島啓史郎でございます。
本日はお三人の参考人の方、お忙しいところ、また貴重な御意見、大変ありがとうございました。以下、お三人の方に順次御質問したいと思います。
まず、佐々参考人に対しましてお聞きしたいと思います。
私、今回の有事法制につきまして、先日参議院の公聴会で横須賀に行ったわけでございますが、特に与野党の大多数でもって成立を図ったということを非常に評価する意見が多かったわけでございますが、佐々参考人におかれましては、今回の有事法制の評価をどういうふうに考えておられるか、お聞きしたいと思います。
この発言だけを見る →本日はお三人の参考人の方、お忙しいところ、また貴重な御意見、大変ありがとうございました。以下、お三人の方に順次御質問したいと思います。
まず、佐々参考人に対しましてお聞きしたいと思います。
私、今回の有事法制につきまして、先日参議院の公聴会で横須賀に行ったわけでございますが、特に与野党の大多数でもって成立を図ったということを非常に評価する意見が多かったわけでございますが、佐々参考人におかれましては、今回の有事法制の評価をどういうふうに考えておられるか、お聞きしたいと思います。
佐
佐々淳行#9
○参考人(佐々淳行君) お答えいたします。
私、実は昭和五十二年、この有事法制第一分類を着手した防衛庁審議官でございまして、五月十五日、九〇%の賛成で有事法制が通過したとき感慨無量でございました。内閣安全保障室長のときにも第三分類をやりました。
その意味で、大きな転機はやっぱり九月十一日と北朝鮮、ノドン、核開発、拉致問題だったと考えております。ある意味では、有事法制、いわゆる武力事態対処法だけが通ってしまったことは甚だ残念に思っております。
実は、時間がなくて今回申し上げられませんでしたけれども、二十世紀の危機というのは、戦争と革命だったんですよね。それで、日本国憲法の中にもちゃんと、内閣総理大臣は警察法七十一条、緊急事態の布告でもって非常事態に対処できますよね。それから防衛庁、侵略に対しては七十六条でできるんだけれども、A、B、C、D、E、Fという新しく起こっておる国民生活直撃型の危機管理システムというのは今の憲法でないんですね。
Aというのは原子力です、あの東海村考えましょう。Bはバイオロジー、この間は狂牛病があったし、SARSもありました。Cはケミストリー、サリン事件でございますし、コンピューターでございますし、カルトでございます。Dはディザスター、神戸大震災。Eは、エコノミーなんだけれども、このごろはエネルギーになってきちゃったんですね、電力危機ということで。Fはファイナンス、これはもう下手すると、ファイナンスと。
こういう状況で、A、B、C、D、E、Fをやろうとしている国民保護法、これが乗り遅れちゃったというのは大変残念でございます。これはこの秋に必ずやっていただけると有り難いと考えております。
この発言だけを見る →私、実は昭和五十二年、この有事法制第一分類を着手した防衛庁審議官でございまして、五月十五日、九〇%の賛成で有事法制が通過したとき感慨無量でございました。内閣安全保障室長のときにも第三分類をやりました。
その意味で、大きな転機はやっぱり九月十一日と北朝鮮、ノドン、核開発、拉致問題だったと考えております。ある意味では、有事法制、いわゆる武力事態対処法だけが通ってしまったことは甚だ残念に思っております。
実は、時間がなくて今回申し上げられませんでしたけれども、二十世紀の危機というのは、戦争と革命だったんですよね。それで、日本国憲法の中にもちゃんと、内閣総理大臣は警察法七十一条、緊急事態の布告でもって非常事態に対処できますよね。それから防衛庁、侵略に対しては七十六条でできるんだけれども、A、B、C、D、E、Fという新しく起こっておる国民生活直撃型の危機管理システムというのは今の憲法でないんですね。
Aというのは原子力です、あの東海村考えましょう。Bはバイオロジー、この間は狂牛病があったし、SARSもありました。Cはケミストリー、サリン事件でございますし、コンピューターでございますし、カルトでございます。Dはディザスター、神戸大震災。Eは、エコノミーなんだけれども、このごろはエネルギーになってきちゃったんですね、電力危機ということで。Fはファイナンス、これはもう下手すると、ファイナンスと。
こういう状況で、A、B、C、D、E、Fをやろうとしている国民保護法、これが乗り遅れちゃったというのは大変残念でございます。これはこの秋に必ずやっていただけると有り難いと考えております。
福
福島啓史郎#10
○福島啓史郎君 続きまして、引き続き佐々参考人にお聞きしたいわけでございますが、憲法に非常事態に関する規定を置く。これにつきましては、昭和三十二年に内閣に設置されました憲法調査会の中で議論がされまして、昭和三十八年に調査会の十七人の委員から意見が出されております。その中で、多数意見は、憲法の中に何らかの非常事態に関する規定を設けるべきだという意見が多数を占めているわけでございます。
その理由としまして、要するに、非常事態に対処する措置は、成文憲法の下におきましては憲法に明文の規定がなければ許されないということ、また、法的あるいは理論的に仮に憲法がなくても行い得るとしましても、一時、超法規的に行い得るとしましても、憲法上の根拠を欠く場合には現実政治の問題としてそれを実施することは不可能だということ、また、権力濫用を、危険を防止するためにも明文な規定が要るということを根拠としているわけでございますが、佐々参考人におきましては、こうした緊急あるいは非常事態に関する規定を憲法に置くことの必要性、及びどういうことを、どういう規定を設けるべきであるか、これについてのお考えをお聞かせいただきます。
この発言だけを見る →その理由としまして、要するに、非常事態に対処する措置は、成文憲法の下におきましては憲法に明文の規定がなければ許されないということ、また、法的あるいは理論的に仮に憲法がなくても行い得るとしましても、一時、超法規的に行い得るとしましても、憲法上の根拠を欠く場合には現実政治の問題としてそれを実施することは不可能だということ、また、権力濫用を、危険を防止するためにも明文な規定が要るということを根拠としているわけでございますが、佐々参考人におきましては、こうした緊急あるいは非常事態に関する規定を憲法に置くことの必要性、及びどういうことを、どういう規定を設けるべきであるか、これについてのお考えをお聞かせいただきます。
佐
佐々淳行#11
○参考人(佐々淳行君) 基本的人権との関係で非常に難しい規定になります。
したがって、私個人の意見、あえて申し上げますれば、憲法は現状のままとして、国家非常事態対処法、危機管理基本法、何でもよろしい、これに国民保護法的なものも織り込んで、A、B、C、D対策全部織り込む。こういうものでもって、内閣法さえ、第四条で、総理、指揮命令権がない、あるいは予算執行権がない、人事権がないという状況、これを非常事態に際しては例外的に措置をすると。内閣法の改正によってみんな生きてくるのかなと。
憲法改正、三分の二というのは、言うべくして困難であろうと。まして一番問題なのは、国民の過半数の同意なんですよ。これは国民投票法を前提としてこの条文を作ったんだと思うんだけれども、国民投票法できておりませんよね、地方の投票はできるんだけれども。それで、これを新たに作るとなると、これまた大変なことになっちゃうし、最寄りの国政選挙においてと言うけれども、投票率が五〇%切っている国で二六%取ればいいんですか、そうすると国民の四分の一強じゃないですかと。これはどうも国民の同意というものの確認が非常に難しいので、私はどうも間に合わないんじゃないかと、今の二十一世紀のいろんな危機に対してね。
憲法改正が間に合わないのならば、国家危機管理法で対処すべきであると私は考えております。
この発言だけを見る →したがって、私個人の意見、あえて申し上げますれば、憲法は現状のままとして、国家非常事態対処法、危機管理基本法、何でもよろしい、これに国民保護法的なものも織り込んで、A、B、C、D対策全部織り込む。こういうものでもって、内閣法さえ、第四条で、総理、指揮命令権がない、あるいは予算執行権がない、人事権がないという状況、これを非常事態に際しては例外的に措置をすると。内閣法の改正によってみんな生きてくるのかなと。
憲法改正、三分の二というのは、言うべくして困難であろうと。まして一番問題なのは、国民の過半数の同意なんですよ。これは国民投票法を前提としてこの条文を作ったんだと思うんだけれども、国民投票法できておりませんよね、地方の投票はできるんだけれども。それで、これを新たに作るとなると、これまた大変なことになっちゃうし、最寄りの国政選挙においてと言うけれども、投票率が五〇%切っている国で二六%取ればいいんですか、そうすると国民の四分の一強じゃないですかと。これはどうも国民の同意というものの確認が非常に難しいので、私はどうも間に合わないんじゃないかと、今の二十一世紀のいろんな危機に対してね。
憲法改正が間に合わないのならば、国家危機管理法で対処すべきであると私は考えております。
福
福島啓史郎#12
○福島啓史郎君 引き続き佐々参考人にお聞きしたいわけでございますが、次善の策として、憲法の改正ができない時点におきましては、基本法制を作るのがベターだというお考えだと思います。
自由民主党としましては、憲法改正手続法の案を作っておりまして、今与党協議にかけている段階でございます。与党協議が終われば国会に提出して成立を図りたいと、手続法の成立を図りたいというふうに思っております。
御質問は、国連との関係が憲法上ないということを先ほど言われましたけれども、私は、憲法の中ではっきりと国連との関係を規定している憲法はそうないんだろうと思います。といいますのは、やっぱり憲法は国内の、国内といいますか、国内で定める最高法規でございますから、明文の国連憲章との規定を定めたものはないと思うわけでございますが、その点についてはどういうお考えをお持ちですか。
この発言だけを見る →自由民主党としましては、憲法改正手続法の案を作っておりまして、今与党協議にかけている段階でございます。与党協議が終われば国会に提出して成立を図りたいと、手続法の成立を図りたいというふうに思っております。
御質問は、国連との関係が憲法上ないということを先ほど言われましたけれども、私は、憲法の中ではっきりと国連との関係を規定している憲法はそうないんだろうと思います。といいますのは、やっぱり憲法は国内の、国内といいますか、国内で定める最高法規でございますから、明文の国連憲章との規定を定めたものはないと思うわけでございますが、その点についてはどういうお考えをお持ちですか。
佐
佐々淳行#13
○参考人(佐々淳行君) 私は、実はアルカイーダの同時多発テロのときに意見を申し上げましたのは、憲法前文を読もうと。憲法前文の中に確かにその精神があると感じられる部分は、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と、隷従とか専制とか貧困とか、これを永遠に追放しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う、これなのかなと。あるいは、日本はもとより、いかなる国も自国のことのみに専念して他国のことを考えない国であってはならないと書いてあります。これがやはり国連主義に無理やり結び付ければ、前文かなと考えております。
この発言だけを見る →福
福島啓史郎#14
○福島啓史郎君 最後に佐々参考人にお聞きしたいわけでございますが、武器使用基準ですね。
今回のイラク新法におきましても議論になっているところでございますが、私は、武器使用基準につきまして自衛隊法上二つのカテゴリーがあって、片やいわゆる武力集団として本来使用するということを前提にした法制と、それから他方、緊急事態、つまり緊急避難あるいは正当防衛の場合のみ免責されるという、そういうカテゴリーと二つあるわけでございますが、私は、武力集団としての自衛隊が派遣される以上、その武器使用は当然のことながらそうした、つまり防衛出動と同じようなカテゴリーの中で武器使用を認めるべきだと思うわけでございますが、その点についてはいかがでしょうか。
この発言だけを見る →今回のイラク新法におきましても議論になっているところでございますが、私は、武器使用基準につきまして自衛隊法上二つのカテゴリーがあって、片やいわゆる武力集団として本来使用するということを前提にした法制と、それから他方、緊急事態、つまり緊急避難あるいは正当防衛の場合のみ免責されるという、そういうカテゴリーと二つあるわけでございますが、私は、武力集団としての自衛隊が派遣される以上、その武器使用は当然のことながらそうした、つまり防衛出動と同じようなカテゴリーの中で武器使用を認めるべきだと思うわけでございますが、その点についてはいかがでしょうか。
佐
佐々淳行#15
○参考人(佐々淳行君) おっしゃるとおりでありまして、武力の行使を認めているのは国連憲章でもさっき申しましたように四十二条と五十一条と二つしかないんですね。それ以外のPKOなんかは武器の使用なんです。武器の使用というのは警察執行務であると。日本の自衛隊法の武器使用の最大の問題点は、警察予備隊として発足したものだから武器使用規定を警察官職務執行法第七条を準用しちゃったんです。これはやっぱり切り離さなきゃいけません。警察と自衛隊というのは明らかに任務が違いますので。そして、自衛隊武器使用法とか使用規定とか、明確なる武力の行使と区別した武器の使用、これをきちんと作るということが今一番大事なことではないかと。そして、その許された範囲内で武器の使用をすると、そういう前提でイラクに派遣をすると、こういうことであろうかと考えております。
この発言だけを見る →福
福島啓史郎#16
○福島啓史郎君 次に、水島参考人にお聞きしたいわけでございますが、水島参考人は現在の憲法上、緊急権あるいは緊急事態に関する規定がないのは憲法の沈黙だというふうに陳述されたわけでございますが、私は、あるいは沈黙かも分かりません、私は憲法の欠缺だと思うわけですね。それはなぜなれば、憲法制定時には占領軍というのがいたわけでございますから、およそこういう緊急事態というのを想定する必要がなかったということ。
また、先ほどドイツの説明ありました。私は、戦後間もなく十数年たって、ドイツにおきましては緊急事態のための規定を設ける憲法改正を行ったということから見まして、私はこれは憲法の欠缺だと思うわけでございますが、これについてはいかがでしょうか。
この発言だけを見る →また、先ほどドイツの説明ありました。私は、戦後間もなく十数年たって、ドイツにおきましては緊急事態のための規定を設ける憲法改正を行ったということから見まして、私はこれは憲法の欠缺だと思うわけでございますが、これについてはいかがでしょうか。
水
水島朝穂#17
○参考人(水島朝穂君) 憲法の欠缺説というのはそれなりにビスマルク時代から議論があるんですが、そこに、これをここに立ち入りませんで、日本国憲法との問題だけに限定してお答えいたしますと、私は、日本国憲法が、一九四六年段階における一つの大きな国際的な平和意思と、それから広島、長崎の言わば体験というものをそこで結晶化した一つの産物であって、歴史的産物と考えておりまして、そこには緊急権に対するネガティブな評価が沈殿、すなわち含まれていたと解しておりまして、ドイツの憲法は四九年五月二十三日、すなわち冷戦が始まっておりまして、その意味では明らかにドイツと日本では微妙な制定時におけるずれがございます。
その意味でいきますと、ドイツの憲法におけるいわゆる国連に対してのメンションは、先ほどの御質問とのかかわりでは、第二十四条に総合的集団安全保障体制という言葉がドイツの場合はありまして、これが一つのドイツの場合は海外展開の場合の大きなキーワードになります。
日本の場合にはそれが、確かに先ほどから御議論あるみたいに、あいまいな形になっています。しかし私は、戦後五十年のこのいわゆる平和主義の実践というのは憲法の欠缺ではなくて、むしろ逆に、先ほど申し上げた四六年段階の言わば人類が到達した一つの平和意思の結晶であると考えていまして、欠缺とは考えてございません。
この発言だけを見る →その意味でいきますと、ドイツの憲法におけるいわゆる国連に対してのメンションは、先ほどの御質問とのかかわりでは、第二十四条に総合的集団安全保障体制という言葉がドイツの場合はありまして、これが一つのドイツの場合は海外展開の場合の大きなキーワードになります。
日本の場合にはそれが、確かに先ほどから御議論あるみたいに、あいまいな形になっています。しかし私は、戦後五十年のこのいわゆる平和主義の実践というのは憲法の欠缺ではなくて、むしろ逆に、先ほど申し上げた四六年段階の言わば人類が到達した一つの平和意思の結晶であると考えていまして、欠缺とは考えてございません。
福
福島啓史郎#18
○福島啓史郎君 引き続き水島参考人にお聞きしたいわけでございますが、今の我が国周辺諸国との間で一番緊張が高まっておりますのは、御案内のように北朝鮮、つまり拉致という国家テロを行い、かつ核開発を進めているという北朝鮮との関係をどういうふうに安全を図っていくか、日本の国の安全を図っていくかということだと思います。
それで、水島参考人は、周辺諸国との多国的協調によってこの北朝鮮との関係を解決していこうというお考えのようでございますけれども、そのためにはやっぱり武器といいますか防衛力といいますか、やはり自分の国は自分で守るという、そうした備えといいますか準備といいますか、そうした能力を備えた上でないと多国間調整もうまくいかないと思うわけでございますが、その点についてのお考えはどうでしょうか。
この発言だけを見る →それで、水島参考人は、周辺諸国との多国的協調によってこの北朝鮮との関係を解決していこうというお考えのようでございますけれども、そのためにはやっぱり武器といいますか防衛力といいますか、やはり自分の国は自分で守るという、そうした備えといいますか準備といいますか、そうした能力を備えた上でないと多国間調整もうまくいかないと思うわけでございますが、その点についてのお考えはどうでしょうか。
水
水島朝穂#19
○参考人(水島朝穂君) いわゆる二十世紀における軍事的な手段、国家が主人公だった時代に比べますと、二十一世紀は言わば非国家的なアクター、すなわち一方ではテロ、一方では国家からNGOとかそういう主体が登場します。その中における手段としては、むしろ軍事力的な手段から、次第に非軍事的な手段が正に主流になってまいります。
私の考え方でいえば、日本という国は憲法で軍事力の行使、武力の行使は放棄しています。しかし、国際的な警察力というものが将来的に、国連が客観的に機能を開始した場合、それは保障になっていくだろうということでありまして、その意味では、現段階におけるちょうど過渡期において、日本は武力を持つべきだと今選択が、武力を行使すべきだというぎりぎりの選択がアメリカから来ています。
私は、今、日本が攻められたらどうするかという議論は全くのリアリティーがないと考えています。
私は韓国に行きまして、三十八度線の下で韓国の学者と交流しながら、軍人にも会いましたし政治家にも会いましたが、彼らこそリアリティーを持っておりまして、韓国は戦争になったら滅びるんだということで、つまり戦争以外のあらゆる方法に全力を尽くしています。もちろん、韓国軍というのは軍隊として完備しておりますけれども、日本までがそういう方向に一歩進めると、この地域、北東アジアにおけるバランスが崩れてくる。
したがって、日本は憲法を理由にして、言わば非軍事的な立場に徹することによってアメリカとの関係を維持しつつ、一方でこの危険な問題に対処する。
危険とは何かといえば、北朝鮮が暴走する可能性をどう遮断するか、これが私も課題だと考えておりまして、現在、様々な試みというのは、あえて言えば暴走を挑発していると。つまり、端的に言えば、北朝鮮という国を、今突然悪者になった、あるいは突然独裁国家になったんじゃなくて、あれはその設立の当初からそういう国であります。
したがいまして、そういう国の向き合い方に最も注目している韓国のそういう声に私は耳を傾けつつ、韓国との連携が日本は必要だろうと思います。
この発言だけを見る →私の考え方でいえば、日本という国は憲法で軍事力の行使、武力の行使は放棄しています。しかし、国際的な警察力というものが将来的に、国連が客観的に機能を開始した場合、それは保障になっていくだろうということでありまして、その意味では、現段階におけるちょうど過渡期において、日本は武力を持つべきだと今選択が、武力を行使すべきだというぎりぎりの選択がアメリカから来ています。
私は、今、日本が攻められたらどうするかという議論は全くのリアリティーがないと考えています。
私は韓国に行きまして、三十八度線の下で韓国の学者と交流しながら、軍人にも会いましたし政治家にも会いましたが、彼らこそリアリティーを持っておりまして、韓国は戦争になったら滅びるんだということで、つまり戦争以外のあらゆる方法に全力を尽くしています。もちろん、韓国軍というのは軍隊として完備しておりますけれども、日本までがそういう方向に一歩進めると、この地域、北東アジアにおけるバランスが崩れてくる。
したがって、日本は憲法を理由にして、言わば非軍事的な立場に徹することによってアメリカとの関係を維持しつつ、一方でこの危険な問題に対処する。
危険とは何かといえば、北朝鮮が暴走する可能性をどう遮断するか、これが私も課題だと考えておりまして、現在、様々な試みというのは、あえて言えば暴走を挑発していると。つまり、端的に言えば、北朝鮮という国を、今突然悪者になった、あるいは突然独裁国家になったんじゃなくて、あれはその設立の当初からそういう国であります。
したがいまして、そういう国の向き合い方に最も注目している韓国のそういう声に私は耳を傾けつつ、韓国との連携が日本は必要だろうと思います。
福
福島啓史郎#20
○福島啓史郎君 私は、水島参考人が今言われました、韓国の軍事力はリアリティーがあって日本の軍事力はリアリティーがないというのは同意できないところであります。ただ、最後の、北朝鮮という国はそういう国で最初からあったということについては、私も正に同意する点であります。
次に、村田参考人にお聞きしたいわけでございますが、村田参考人は、先般成立いたしました有事法制につきましては非常に高く評価をされているわけでございますが、そこで言われました対外的なメッセージと、それから有事法制を更にいいものにしていくための改善点につきまして、お話をお聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →次に、村田参考人にお聞きしたいわけでございますが、村田参考人は、先般成立いたしました有事法制につきましては非常に高く評価をされているわけでございますが、そこで言われました対外的なメッセージと、それから有事法制を更にいいものにしていくための改善点につきまして、お話をお聞かせいただきたいと思います。
村
村田晃嗣#21
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
高く評価、基本的に私は評価しておりますけれども、ただ国民保護法制の問題につきましても今後の課題ということになっておりますから、この有事法制の最終的評価というのは一連の骨格が固まるまではまだできないものだというふうに存じておりますけれども、対外的メッセージということについて申しますと、与野党が、主要な与野党が国会で、国会議員の九〇%ですか、の賛成でこのような法律が今般通ったということは、我が国が有事という問題についてこれまでとは違って真剣な取組を見せているという対外的メッセージに私は十分なるものだと思いますし、逆に、北朝鮮の核開発疑惑がこれだけ言われ、そして拉致問題がこれだけ大きな社会的な問題になっている中で、国会が今回も有事法制を通さなかったということになれば、日本は国内的な政争のためにこのような基本的な法整備もできないと。極めてマイナスであって、そのネガティブな政治的メッセージは非常に大きかっただろうというふうに思っております。
それから、今後の整備ということで申しますと、御指摘申し上げましたような国民保護法制の緻密な詰めでありますとか、それから危機管理庁云々というような問題について今後国会で御議論をいただきたいところだというふうに思います。
ただ、私は法律学者ではございませんで、政治学者はずさんな思考をするのが常でございますからなんですが、私に言わせれば、有事とか緊急事態とかいうのは、そもそも我々の予想を超えたことが次々と起こるような事態であって、そのような事態にどう対処するかということについて余りにも緻密な法律論的な詰めを行っても、実際の場合、多くは役に立たないのではなかろうかというふうに思います。
ある種の柔軟性、基本的人権を守る枠組みとともにある種の柔軟性を担保しなければ、法律論だけではこのように極めて政治的判断を要する法律は本当には動かないのではないかというふうに思っております。
この発言だけを見る →高く評価、基本的に私は評価しておりますけれども、ただ国民保護法制の問題につきましても今後の課題ということになっておりますから、この有事法制の最終的評価というのは一連の骨格が固まるまではまだできないものだというふうに存じておりますけれども、対外的メッセージということについて申しますと、与野党が、主要な与野党が国会で、国会議員の九〇%ですか、の賛成でこのような法律が今般通ったということは、我が国が有事という問題についてこれまでとは違って真剣な取組を見せているという対外的メッセージに私は十分なるものだと思いますし、逆に、北朝鮮の核開発疑惑がこれだけ言われ、そして拉致問題がこれだけ大きな社会的な問題になっている中で、国会が今回も有事法制を通さなかったということになれば、日本は国内的な政争のためにこのような基本的な法整備もできないと。極めてマイナスであって、そのネガティブな政治的メッセージは非常に大きかっただろうというふうに思っております。
それから、今後の整備ということで申しますと、御指摘申し上げましたような国民保護法制の緻密な詰めでありますとか、それから危機管理庁云々というような問題について今後国会で御議論をいただきたいところだというふうに思います。
ただ、私は法律学者ではございませんで、政治学者はずさんな思考をするのが常でございますからなんですが、私に言わせれば、有事とか緊急事態とかいうのは、そもそも我々の予想を超えたことが次々と起こるような事態であって、そのような事態にどう対処するかということについて余りにも緻密な法律論的な詰めを行っても、実際の場合、多くは役に立たないのではなかろうかというふうに思います。
ある種の柔軟性、基本的人権を守る枠組みとともにある種の柔軟性を担保しなければ、法律論だけではこのように極めて政治的判断を要する法律は本当には動かないのではないかというふうに思っております。
福
福島啓史郎#22
○福島啓史郎君 村田参考人は、憲法の集団的自衛権の行使問題につきましては、要するに憲法解釈であるからそれは国会でもって有権解釈をする、つまり法律をもって制定すればいいではないかという御主張をされておられるわけでございます。
私は、その主張、私もかつてそういうことを言ったこともあるわけでございますが、分かるわけでございますが、より国民の何といいますか理解あるいは支持を受けるためには、やはり憲法上明記する、それで、かつ同時に個別法でもって集団的自衛権の範囲なり形態なりを定めるというのが私は望ましいと思うわけでございますが、この点についてはいかがでしょうか。
この発言だけを見る →私は、その主張、私もかつてそういうことを言ったこともあるわけでございますが、分かるわけでございますが、より国民の何といいますか理解あるいは支持を受けるためには、やはり憲法上明記する、それで、かつ同時に個別法でもって集団的自衛権の範囲なり形態なりを定めるというのが私は望ましいと思うわけでございますが、この点についてはいかがでしょうか。
村
村田晃嗣#23
○参考人(村田晃嗣君) 私も先生の御意見と異なるものではありませんで、国会が立法によって集団的自衛権に関する有権解釈をするということと憲法を改正するということは私は矛盾しないと思うんですね。
ただ、私がそういうふうに申し上げましたのは、私は今の内閣法制局の九条に関する解釈は間違っているというふうに思っておりますので、法制局の解釈が間違っているものを憲法を改正して正す必要はないと。その解釈が間違っていると私は思っておるものですから、今の憲法でも集団的自衛権の行使を禁ずるようには私は必ずしも解釈できないというふうに思っておりますので、その点について国会がまずクリアになさると。その上でさらに憲法九条、九条と申しましても九条を改正しろと言う人たちが改正しろと言っているのは九条の第二項でございますけれども、憲法九条の第二項について国民の誤解のないような形で国会が改正を提案されるということは私は賛成でございまして、私が申し上げたことと矛盾することではないというふうに存じております。
この発言だけを見る →ただ、私がそういうふうに申し上げましたのは、私は今の内閣法制局の九条に関する解釈は間違っているというふうに思っておりますので、法制局の解釈が間違っているものを憲法を改正して正す必要はないと。その解釈が間違っていると私は思っておるものですから、今の憲法でも集団的自衛権の行使を禁ずるようには私は必ずしも解釈できないというふうに思っておりますので、その点について国会がまずクリアになさると。その上でさらに憲法九条、九条と申しましても九条を改正しろと言う人たちが改正しろと言っているのは九条の第二項でございますけれども、憲法九条の第二項について国民の誤解のないような形で国会が改正を提案されるということは私は賛成でございまして、私が申し上げたことと矛盾することではないというふうに存じております。
福
福島啓史郎#24
○福島啓史郎君 最後に、村田参考人、時間がないわけでございますが、危機管理庁につきまして知恵が必要だと。私も、日本の一番の問題の一つは、官僚制の縦割り、縄張争いというのが一番問題だと思います。したがって、それを統合する、その機能を統合する、あるいはそれを統合する常駐の機関を設けるということが必要だと思うわけでございますが、その点についてはどうですか。
危機管理庁の問題でございます。
この発言だけを見る →危機管理庁の問題でございます。
村
村田晃嗣#25
○参考人(村田晃嗣君) 危機管理庁のようなものが必要だとお考えだということでございますか。
ですから、私は組織を作ったからといって政策の調整がうまくいくというふうには必ずしも思いません。例えば、危機管理庁を作ったときに危機管理庁の職員の採用はどうするのかというときに、これも防衛庁と警察庁とそれから外務省とあるいは地方公共団体からの出向だというようなことになりますと、そういう出向者の混合団体である危機管理庁が果たして各中央省庁をコーディネートするような役割が果たせるかどうかといいますと、私は、それこそ過去の経験に照らして、それほどうまくいかないのでないかなという気もいたします、そうでないかもしれませんけれども。
とにかく、私はこれを作ることに反対ではありませんけれども、作るとするならば、これがうまくいくようなやり方というのをじっくり御検討いただかなければならないというふうに思っております。
この発言だけを見る →ですから、私は組織を作ったからといって政策の調整がうまくいくというふうには必ずしも思いません。例えば、危機管理庁を作ったときに危機管理庁の職員の採用はどうするのかというときに、これも防衛庁と警察庁とそれから外務省とあるいは地方公共団体からの出向だというようなことになりますと、そういう出向者の混合団体である危機管理庁が果たして各中央省庁をコーディネートするような役割が果たせるかどうかといいますと、私は、それこそ過去の経験に照らして、それほどうまくいかないのでないかなという気もいたします、そうでないかもしれませんけれども。
とにかく、私はこれを作ることに反対ではありませんけれども、作るとするならば、これがうまくいくようなやり方というのをじっくり御検討いただかなければならないというふうに思っております。
福
福島啓史郎#26
○福島啓史郎君 そのポイントは正に常駐であり、かつ権限を、あるいは機能移譲ではないかと思うわけであります。
時間が参りましたので、お三方の参考人の方には大変どうもありがとうございました。
以上で終わります。
この発言だけを見る →時間が参りましたので、お三方の参考人の方には大変どうもありがとうございました。
以上で終わります。
野
福
福山哲郎#28
○福山哲郎君 民主党・新緑風会の福山哲郎でございます。
参考人の先生方におかれましては、お忙しいところ貴重なお時間と御意見を賜りましてありがとうございます。よろしくお願い申し上げます。
実は、私は村田先生とは同じ学びやで学びまして、同世代でございまして、同世代の国際政治学者として御活躍をされていることを大変うれしく思っておりまして、今日、村田参考人が来られるということも踏まえて今日は質問させていただきたいというふうに思います。
まず村田参考人にお伺いをいたしたいというふうに思います。
先ほど有事法制の評価をされましたが、国民保護法制がまだ決まっていないのでその評価はまだはっきりとはできないと、ただ全体としては良かったのではないかという評価でしたが、その重要な国民保護法制に当たって留意する点とか、我々がこれから国会で国民保護法制の議論をするに当たって考えなければいけない点というのはどのような点をお考えになられているのか。例えばで言うと、大規模な武力攻撃事態よりも例えば不審船の問題とかサイバーテロの問題とか化学兵器の問題とか、そちらの方が私はより可能性としては今の状況からして高くなっているというふうに思っておりまして、そういった点についてまず御意見をいただければと思います。
この発言だけを見る →参考人の先生方におかれましては、お忙しいところ貴重なお時間と御意見を賜りましてありがとうございます。よろしくお願い申し上げます。
実は、私は村田先生とは同じ学びやで学びまして、同世代でございまして、同世代の国際政治学者として御活躍をされていることを大変うれしく思っておりまして、今日、村田参考人が来られるということも踏まえて今日は質問させていただきたいというふうに思います。
まず村田参考人にお伺いをいたしたいというふうに思います。
先ほど有事法制の評価をされましたが、国民保護法制がまだ決まっていないのでその評価はまだはっきりとはできないと、ただ全体としては良かったのではないかという評価でしたが、その重要な国民保護法制に当たって留意する点とか、我々がこれから国会で国民保護法制の議論をするに当たって考えなければいけない点というのはどのような点をお考えになられているのか。例えばで言うと、大規模な武力攻撃事態よりも例えば不審船の問題とかサイバーテロの問題とか化学兵器の問題とか、そちらの方が私はより可能性としては今の状況からして高くなっているというふうに思っておりまして、そういった点についてまず御意見をいただければと思います。
村
村田晃嗣#29
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
実は大変難しい問題でございますけれども、先ほど申し上げましたように、私は有事というのは想定し得ない事態が起こることが基本的に有事だというふうに思っておりますので、極めて厳密な法規定の網の目を作っても、多くの場合はそれはうまくいかないであろうというふうに思っております。しかしながら、言論の自由、思想信条の自由というようなことは今回の法律でも例示されたと思いますけれども、そういうどのような事態でも侵してはならない基本的人権というものをどう担保していくかということは極めて重要なことだというふうに思っておりますし、それからおっしゃるようなサイバーテロであるとか不審船の問題とかいうのも、確かに可能性といいますか、蓋然性としてはそういう危機の方が高いかと思いますけれども、今般の法整備によって、そういった問題に今後対処していくときのある種のそれは応用問題として用いられる枠組みというのが整備されつつあるのではないかというふうに思います。
ただ、私は、一つ幸いだと思いましたのは、今回の有事法制の議論で、それこそ佐々参考人が有事法制の問題で第一線でやっておられたころには、有事法制と言うだけで何か極めて危険で反動的なものであるというようなネガティブなイメージが展開されたように思いますけれども、例えば今回の法律でも、いわゆる罰則規定というのは、私が記憶しているところでは六か月以下の懲役又は三十万円以下の罰金でございましたか、というような罰則規定しか含まれていないのであって、それも深刻であるといえば深刻であるかもしれませんが、しかし、このようなものを一部の人たちが言うように国家総動員法の復活であるとか治安維持法の回帰であるとかいうふうに論ずるのは正にアナクロニズムであって、そういう議論はもう国民には受け入れられなくなってきているというのは国民意識の大きな変化だというふうに思っております。
この発言だけを見る →実は大変難しい問題でございますけれども、先ほど申し上げましたように、私は有事というのは想定し得ない事態が起こることが基本的に有事だというふうに思っておりますので、極めて厳密な法規定の網の目を作っても、多くの場合はそれはうまくいかないであろうというふうに思っております。しかしながら、言論の自由、思想信条の自由というようなことは今回の法律でも例示されたと思いますけれども、そういうどのような事態でも侵してはならない基本的人権というものをどう担保していくかということは極めて重要なことだというふうに思っておりますし、それからおっしゃるようなサイバーテロであるとか不審船の問題とかいうのも、確かに可能性といいますか、蓋然性としてはそういう危機の方が高いかと思いますけれども、今般の法整備によって、そういった問題に今後対処していくときのある種のそれは応用問題として用いられる枠組みというのが整備されつつあるのではないかというふうに思います。
ただ、私は、一つ幸いだと思いましたのは、今回の有事法制の議論で、それこそ佐々参考人が有事法制の問題で第一線でやっておられたころには、有事法制と言うだけで何か極めて危険で反動的なものであるというようなネガティブなイメージが展開されたように思いますけれども、例えば今回の法律でも、いわゆる罰則規定というのは、私が記憶しているところでは六か月以下の懲役又は三十万円以下の罰金でございましたか、というような罰則規定しか含まれていないのであって、それも深刻であるといえば深刻であるかもしれませんが、しかし、このようなものを一部の人たちが言うように国家総動員法の復活であるとか治安維持法の回帰であるとかいうふうに論ずるのは正にアナクロニズムであって、そういう議論はもう国民には受け入れられなくなってきているというのは国民意識の大きな変化だというふうに思っております。