藤井富美子の発言 (憲法調査会公聴会)

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○公述人(藤井富美子君) おはようございます。私は、五歳と三歳の子供がいる主婦で、藤井と申します。子供を持つ立場から今回お話しさせていただきたいと思います。
 このたびは公述する機会を与えていただいてどうもありがとうございます。では、早速ですけれども私見を述べさせていただきたいと思います。
 憲法、日本国憲法と今次有事法制の意味するものを考えてみますと、憲法制定時は日本が侵略国家であったのであり、周りは善であるという前提で作られているように思います。ですから、敵はいないんだと、作らないんだということで今までやってきたように思います。今回、有事法制が成立する見通しみたいですけれども、これは、今までならば超法規的に政治家が戦争を選択できないシステムであったものが、政治家が戦争を決断できる体制になることを意味しているというふうに思います。私は、憲法九条は、自衛も含めてあらゆる戦争を否定してきたと、否定しているというふうに解釈してきました。戦争を政治決断できなかった今までは、自衛の範囲まで事細かに定義する必要もなかったかもしれません。しかし、あらゆる戦争が自衛の目的で行われてきたことを考えるとき、戦争をできる国になろうとしている日本にとって、現実問題として自衛の定義付けは極めて重要な意味を持っていると思います。
 先日、新聞を見ますと、ミサイル攻撃を受ける場合を想定し、自衛隊が敵基地攻撃能力を持つことを検討に値すると石破防衛庁長官が国会で答弁したようですけれども、これは果たして自衛なのかということが問われるべきだと思います。
 現代は国家の安全保障の時代から個の人間の安全保障が重要視される時代になったとの認識を私は持っております。私たち人間は国家を選んで生まれてくることはできません。生まれてきたところに国家があったのであって、国家があったから我々が生まれてきたわけではないわけです。とすると、生物として生きるために生まれてきたわけですから、その生きる権利はだれにも侵されてはならないものであって、たとえそれが敵対国の人間だから殺していいということで、向こうの人間、例えば小さな子供を殺すというようなことは絶対に許されないというふうに考えます。
 現在、交戦時の条件として、意図せざる非戦闘員の殺傷が許容されているようですけれども、しかしながら、人間の安全保障が叫ばれる現在、これはもはや許されないというふうに考えます。攻めてこられたらそれをはね返すというのは正当な防衛権であると、これは当然の正当防衛権であるというふうに考えます。しかしながら、これが本当に正当であるためには、民間人を巻き込む誤爆というものは絶対に許されてはならないと思います。
 ですから、今この九条を、二項を削除するという案が出ているようですけれども、私は憲法を改正する、その部分で改正する必要はないとは思っていますけれども、もし二項を削除して自衛戦争が認められるというふうな解釈でいくならば、相手国領土に反撃しない範囲の自衛に限定すべきであるということを憲法に明記すべきだと思います。
 自衛権に関連することですけれども、自民党の憲法改正素案というのを新聞で見さしてもらいましたけれども、これは国民に国家防衛義務を課すということですけれども、これは国家は間違ったことをしないという前提に立っているように思います。間違ったことをしているか否かは各個人が判断すべきで、国家防衛義務によって、国家に不都合な情報が流されなくなるようなメディア統制や、個人の知る権利や思想や良心の自由を侵す危険が生じてくるので、私は反対です。
 民主主義社会とはいえ、政治に反映されない意見を持つ少数派にまで、戦争という生死を懸けた場面で、国家が国民一人一人に国家防衛に命を懸けなさいと言う権利はないと思います。どのように生き残りを懸けるかは最終的に各個人にゆだねられるべきものであって、強制すべきものではありません。ただし、本当に正しいことをしていれば、国民は義務など課されなくても政府を支持するはずです。
 集団的自衛権についてですけれども、現在の日米同盟は、日本は個別的自衛権、そして米国は集団的自衛権ということになっています。これは不平等だと。日本にとっては、アメリカに守ってもらっていて、日本はアメリカを守らない、何か悪いことをしているような負い目があるということで、同盟を確固としたものにするために集団的自衛権を行使すべきだという声があります。
 しかしながら、米国は予防的先制攻撃を是とする国になっています、今。その国と集団的自衛をするということは、米国と同様の立場を取ることを意味しています。私たち国民の命も危険にさらすということになるわけです。国民を守るための安保が、国民の命を危険にさらすという本末転倒になるわけです。国防方針を異にする国との集団的自衛権は認められないと解するのが妥当であると思います。
 その代わりに、極東アジア地域安全保障機構というようなものを創設して、この地域の安全保障をアジアの国々で定期的に協議する場を設けて、日本の安全保障が米国一国に左右されることがないようにしながら独自外交を持つようにしていけばいいというふうに思います。
 世界の集団安全保障についてですけれども、現在の世界の状況を見ますと、国家間の対立に対して国際社会は必ず戦争を回避できるシステムを持っていません。つまり、国連は必ず助けてくれるわけではないわけです。最後は軍事力の強大な者が勝利を収めて発言力を強めるというふうになっているわけで、今回、超大国米国の独走に歯止めを掛けれず、イラク戦争を止められなかったことがそのことを物語っていると思います。これでは自国を防衛するために軍拡を進める国は後を絶たないだろうと思います。
 こういった状況の下、日本も大国なんだから平和創造に尽力すべきであり、自衛隊の派遣は国際スタンダードに合わせるべきだという声があります。しかし、その前にちょっと考えてほしいわけです。この場合の平和創造は、現在の段階で米国の世界支配にくみすることを意味すると思うんです。それに対して日本も協力していくんだということになりますと、日本国民に対するテロの危険性も増してくると思われます。
 そもそも自衛と平和創造というのは、自分を、自分の身を守るという点から見れば対極に立つものだと思います。自衛というのは、命を保つため、守るために行うわけであって、戦争にならなければ最善である。ところが、平和創造というのは、自らの命をわざわざ危険にさらしに行って平和を作っていくという作業をするわけです。この場合、戦争に加担する可能性も出てくるわけです。そうすると、この国防というものと平和創造というものを両立させるためには、平和創造に国益とか国籍とか、そういったものを持ち込まないことが大事だと思います。
 ですから、今の、現在の世界の状況に合わせるというだけではなくて、日本は世界に積極的に提案をしていくべきであると考えます。
 国連憲章五十一条が有効に機能し、安保理が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を必ず取ることができるように、自衛の範囲を、先ほど私が言ったような、他国の領土内に攻撃しない、反撃しないという範囲で明確に定義していくこと。そして、その自衛を超えた武力攻撃事態に対しては、国益を代表しない国際警察軍というようなものが必ず派遣され、各国の独立と安全を守るというようなシステムを作ることによって、国連は必ず助けてくれるんだ、じゃ自分たちの軍備はそんなに必要ないなということで、軍備は縮小に向かうだろうと思うんです。一応この国際警察軍というのは、元首相であった石橋湛山氏が昭和四十三年に「日本防衛論」という論文で述べておられるのをちょっと拝借したわけですけれども、こういった国際警察軍というようなものができれば、それは日米安全保障条約十条にもかなうことだと思います。
 安保条約十条には、この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本政府及びアメリカ合衆国政府が認めるときまで効力を有するというふうにあります。友好国でもあり同盟国でもある米国とともに、各国が同意できる国際ルール作りに取り組んではどうかというふうに思います。
 国益を代表しない国際警察軍ができれば、米国は超大国として世界ににらみを利かすことはできなくなりますけれども、浮き立たない分、米国もテロの危険性が低くなるという利益を得ることになります。
 最後にちょっとまとめたいんですけれども、憲法九条は、戦争では国際紛争解決しない、有事を想定しないことで、話合いによってのみ国家間の問題を解決する方途を示し、戦後五十有余年、私たち国民を戦争から守ってきました。残念ながら、有事が想定される時代に入ってきました。有事を想定し、国民を守るというふうに言うのならば、国民全員分の核シェルターの建設であるとか、危険な原発を廃棄して新しい発電手段を構築するとか、迎撃ミサイルの配備など、いろいろ求められますが、そんな財政的余裕はないでしょうし、北朝鮮問題には間に合っていません。では、敵基地攻撃を、攻撃すればいいんだという理論が出てくるわけですけれども、誤爆のない攻撃なんてあり得ないことを思えば、正当防衛とも思えません。
 私は、この九条が古いとか、理想であって現実的でないとか、そういうふうには思いません。これは将来の世界のあるべき姿を示していると思います。
 私は、現在の超大国アメリカの世界の警察的な行動を否定するものではありません。現在、世界平和のための警察があるわけではないので、世界に平和を築こうとしている米国の行動は一定の評価がなされてよいと思います。しかし、米国自身の財政負担と兵士の命を懸けて行うこの警察的行動は米国自身の国益に沿ってなされるがために、必ずしも世界に正当性を示すものにはなっていません。そこに米国に対するテロが生じる遠因があるのであって、国際社会はいよいよ米国の世界警察による世界の安定というものから、もっと公正な組織による警察的行動を構築していかなければならないと思います。
 以上です。ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 藤井富美子

speaker_id: 22087

日付: 2003-06-04

院: 参議院

会議名: 憲法調査会公聴会