本田和子の発言 (文教科学委員会)

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○参考人(本田和子君) 本田でございます。
 先ほど小学校以来何十年ぶりかに本田和子君と呼んでいただきまして、何かちょっと不思議な感慨にとらえられております。
 私は、ただいま佐々木先生、それから小野先生お二人からこの法案の現代における意義、それから位置付けについて、あるいはこの法案のはらむ危険性、問題点についてそれぞれ大変明確な御意見の御陳述がございましたので、それらとの重複を避けながら私なりの見解を述べさせていただきたいと存じますが、やはりある部分では重なってしまいまして同じようなことを申し上げざるを得ないかとも思います。
 この法案そのものに関しましては、私は国立大学協会に属しておりますメンバーとしてその中の動きを共有しておりましたし、それから、その中に特設されました特設委員会の検討結果などの報告を受けて、それを了承しながらまいりました立場として、一応この結論は了承せざるを得ないかと考えております。ただし、ただいま小さな附置研究所の問題をるるお述べになりましたけれども、私どもの大学は国立大学の中で下から数えた方がよいような本当に小規模な大学でございますから、小規模大学の抱えております悩みもたくさんございます。それらも多少絡めながら意見を述べさせていただきたいと存じますが、取りあえず三つに整理して申し上げます。
 一つは、この法人化によって要請された意識改革、つまり私どもがどのような意識の改革を求められたかということについてでございます。それから、法人化によって大学のどこが変わるのかということを申し上げます。それから最後に、と申しますか、これはかなり大きな問題でございますけれども、予測される懸念、これから多分法人化後の大学の前に立ちふさがるであろう様々な障害、それに対してどのようにクリアしていったらいいかというようなことに関して、今考えております不安やら懸念やらを交えながら申し上げさせていただきます。
 まず、最初に申し上げました法人化が私どもにどのような意識改革を要請したかということでございますけれども、これは、法人化の動きと同時に国立大学の大幅削減というようなあの動きが絡みましたこともございまして、それぞれの大学がかなり自学の、自分の大学の存在意義を見詰め直すという機会を持たされたのではないかと思います。
 極めて小規模大学でございまして、ともすれば消されてしまいかねない危機に直面いたしました私どものような大学は、とりわけこの意識を強く持ちまして、現在の日本の社会の中で私どもの大学はどのような意義において存在し得るのだろうか、果たして本当に存在意義があるのかどうか、あるとすればどのようなミッションを果たすべき存在として位置付くのかというようなことをかなり真剣に検討させられました。これは一つの大きな意識的な変革であったかと思っております。そして、私どもなりに現在存在意義はこのようなところにあるということを確認いたしまして、そこからスタートしようという考え方に学内の合意を形成したわけでございます。これは社会に対するアカウンタビリティーということが求められておりますけれども、それにつながる問題であろうかと思います。
 つまり、自学のミッションを明確に意識することによって、そのミッション、使命を果たすことが社会に対する説明責任であるという考え方、そして、そのことに向けて合意を形成することが学内の協力体制を作り上げるということになったと考えますので、法人化の要請された意識改革というのは取りあえず大学にとってマイナスの事柄ではなかったというふうに私は考えております。
 続きまして、法人化によって大学のどこが変わるかという問題でございますけれども、これは先ほど佐々木先生もおっしゃいましたけれども、学生に対する教育のサービス、これが非常に大きく変わらざるを得ないであろうかと思います。これは、法人の業務の中にも学生に対するサービスということが明確にうたわれておりますし、当然、大学というのは人材育成、教育の場でございますから教育を重視しなければならなかったのでございますけれども、どちらかといえば大学人の意識というのが研究に傾いておりましたこともございまして、研究室中心に事柄が動いてきた。私どもの大学などは本当に小さな大学でございますけれども、それでも個々の研究者が懸命に自分の研究業績を上げ、研究面において力を付けることを一つの当然の在り方と考えて動いてまいりまして、それに人員不足、予算不足、施設設備の不備、すべてが伴いまして、どちらかといえば学生は研究室を支える側に回らされていたと申しましょうか、例えば卒業論文や修士論文を書きますときも、それは研究者の補助的役割を、悪意なしにでございますけれども、必然の結果として取らされるようなこともなくはなかった。そのような在り方に対して大きな反省が起こったことは事実でございます。
 これからは学生を育てるということに少しウエートを置かなければならないのではないか、研究室環境の整備にも増して学生のための教育環境の整備にもっと力を注ぐべきではないか、そのような意識改革が起こりましたこと、それから、学生の教育指導面の支援だけではなくて、学生の生活支援、学生が人として成長していくために何が必要であり、あるいは現代社会に送り出すために何が必要であるかということをきちっとした理念を踏まえて、例えば短絡的に資格を取得させるとかそういう意味ではございませんけれども、きちんとした理念を踏まえて、これからの社会にどのような人間が必要であり、どのような人材を育成すべきかという理念を踏まえて、目標を立てて育てていくということに関してかなりの合意が形成されたということは、これは一つのメリットであったろうかと考えております。
 それから、これは私どもの大学の特殊な性格でございますけれども、女子大学でございますから女性を育成しようとしている、それに伴います様々な支援の仕方を従来に増してかなり真剣に工夫せざるを得ないというような状況が生じまして、冗談のように百二十八年たってやっと私どもの大学は女子大学になったなどという言葉が今キャンパスの中でささやかれております。
 それから、学生サービスのことを今申し上げましたけれども、法人化されますと組織の見直し、人事の見直しというのが比較的従来よりは容易になるのではないかと考えられます。
 従来の国立大学というのは、組織というのが一たびでき上がりますとそれが固定化される傾向がございましたし、人事も一度採用されますとそれが定年までその方が続いてしまうというようなことがございまして、人員の配置換えとか異動とか、学内の異動ですら非常に難しかった。学部と学部の壁を超えてある人をこちらに異動させるというようなことが考えられないというような状態がございましたけれども、これからはそれが比較的容易になるのではないか。むしろ、学部の壁というのが限りなく薄くなっていって、必要に応じて組替えが容易になる、これは私どものような小さな大学にとりましては領域横断的に新しいクラスター、塊を作っていくということが極めて重要なことでございますから、それがやりよくなるのではないかということが予測されまして、これは一つの希望だと考えております。
 それから、目標と計画、中期目標、中期計画に関しましては様々な議論がございまして、その議論の出どころ、あるいはその在り方に関して私も肯定する部分もたくさんございますけれども、ただ、教育活動というのはやはり目標と計画の関係の中でしか展開し得ないものである。ただ、不思議なことに大学ではそれが余り考えられなかった。例えば、小中学校の教育でございましたら教育カリキュラムというのがございまして、目標と活動の関係というのが厳密に対応させられるわけでございますが、高等教育は別であるというような認識がございましたせいもあって、目標と計画の関係というのが余りに厳密に意識化されることがなかった。これも今回意識化する機会となったということでは意味があろうかと思っております。
 ただ、一律に六年というタイムスパンが設定されたこととか、その他いろいろ懸念されることはございますけれども、目標、計画などは教育を重視する大学の在り方としては当然の事柄であろうかと思います。
 以上申し上げまして、次に、これから立ち向かわなければならない障害と申しますか、将来に対する様々な懸念について申し上げさせていただきます。
 これは、先ほどお二方もお述べになりました評価の問題、これは非常に大きな問題であろうかと思います。
 大学の個性化あるいは独自性の発揮というようなことが言われておりますし、先ほど自学のミッションを特定したと申し上げましたけれども、例えば、自分の大学はこのような使命において存在しているのだということが確認されるとすれば、そのような目的に向けての大学の在り方というのが評価されなければならない。しかし、そのような評価が可能だろうか、現在の状態でそれが可能だろうかという懸念がございます。多様な評価とかたくさんの評価軸を使ってとか、いろいろ言われておりますけれども、それがまだ必ずしも十分ではないのではないか。そして、評価の客観性というのが主張される余りに、一つの基準あるいは一つの水準で物事が測られるとすれば、多様性を標榜し個性と独自性の発現を要請されている大学としてはかなり違ったことになってしまうのではないかと考えます。
 それから、規模の大小などというのもございまして、私どもの大学は本当に小さな大学なものですから、例えば研究論文の数とかサイテーションの数とかというものを出しますときにも、それがトータルとして出ますともうしっぽのしっぽのしっぽの方になってしまいます。ランキングが例えば一位から五十位まで出るとすると、なかなかそういうところには浮かび上がってこない。これを一人当たりにしますとまあそこそこに行ったりするんですけれども、すべてのことがそのように、一人当たりとか、小規模のゆえにとか、予算が幾らだからという形で評価していただけるわけではないらしゅうございますので、評価に関してはかなりの懸念を持っております。
 極端な言い方をする人たちは、この評価はいずれ小規模大学を消していく評価でしょうなどということを言われて、まさか私はそこまで日本の文科省もたちが悪いとは思っていないのですが、そのような懸念も抱かざるを得ないという状態にございますので、評価の問題は十分に時間を掛けて慎重に検討しながら、そしてテスト的な段階であるということを十分に確認しながら進めていかなければならないかと考えております。
 評価の結果が資源配分に反映されるというような話を聞きますと、もう来年は運営交付金がこのくらい少なくなるのではないかというような不安が起こってきたりいたします。そのような不安が学内に起こるということ自体極めてよろしくないことでございますから、そのような不安を払底するような方向を明示していただけたらというふうに考えます。
 それから、今資源配分に関して申し上げましたけれども、予算に対する不安感というのも、これは正直に申しましてございます。運営交付金の削減とか、そのようなことがささやかれながら明示されていないということがございまして、私どものような小規模でしかも外部資金の導入などが余りできないような構成の大学といたしましては、かなり将来に対して不安がございます。
 せんだっても、産学官連携の在り方などというのを評価されまして、そのような評価をされますと私どもの大学などは最下位に来てしまうのですが、工学部系の学長さんが集まっていらっしゃるところで、お気の毒さまというようなことを言われましたので、私も、いえ、仕方がございません、うちは産業界などからお金は入れません、清く正しく美しくでまいりますというようなことを申しましたら、皆さんが笑って、清く貧しく美しくでしょうと言われました。確かに清く貧しく美しい大学として生き残りを考える場合に、予算、運営交付金の配分などというのは非常に関心がございますけれども、これに関してどうも将来が明示されていないということは将来を設計いたします場合の一つのネックになっていようかと思います。
 それから、このような問題が様々ございますから、このような問題に対して主務官庁が望ましく、ふさわしく対応してくださることを切に希望しております。
 最後に一つだけ付け加えさせていただきますけれども、今、国際競争裏に大学が参入しなければならない、あるいは国際競争に勝てる人材を育成しなければならないと言われております。また、競争資金の獲得などということが言われたり、評価に伴う資源配分などということが強調されたりいたしまして、競争原理がキャンパスの中を吹き荒れているような感じがございます。ただ、私は、教育の場、大学というのはやはり人材育成の場でございますから、教育の場としては競争原理だけですべてがコントロールできるものではないと考えますし、むしろ国際協力その他を考えますと、共生の原理というのを私どものような大学は優先させていかなければならない。そういう主流からちょっと外れた異端的な原理に基づいて、異端的な理念に基づいて大学を運営していくような小さな大学の在り方が無視されないような、そのような法人化後の動きを切望しております。
 ちょうだいいたしました時間がちょうどでございますので、ここで終わらせていただきます。失礼いたしました。

発言情報

speech_id: 115615104X01720030603_007

発言者: 本田和子

speaker_id: 5257

日付: 2003-06-03

院: 参議院

会議名: 文教科学委員会