文教科学委員会
⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。
会
会議録情報#0
平成十五年六月三日(火曜日)
午前十時開会
─────────────
委員の異動
五月二十九日
辞任 補欠選任
齋藤 勁君 岩本 司君
鈴木 寛君 江本 孟紀君
五月三十日
辞任 補欠選任
有村 治子君 鴻池 祥肇君
大仁田 厚君 佐々木知子君
富樫 練三君 畑野 君枝君
六月二日
辞任 補欠選任
鴻池 祥肇君 有村 治子君
佐々木知子君 大仁田 厚君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 大野つや子君
理 事
仲道 俊哉君
橋本 聖子君
佐藤 泰介君
山本 香苗君
林 紀子君
委 員
有馬 朗人君
有村 治子君
大仁田 厚君
北岡 秀二君
後藤 博子君
中曽根弘文君
岩本 司君
江本 孟紀君
神本美恵子君
山根 隆治君
草川 昭三君
畑野 君枝君
西岡 武夫君
山本 正和君
事務局側
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
参考人
東京大学総長 佐々木 毅君
大阪大学社会経
済研究所教授 小野 善康君
お茶の水女子大
学長 本田 和子君
東京大学社会科
学研究所教授 田端 博邦君
名古屋大学総長 松尾 稔君
元大阪大学事務
局長
住友生命保険相
互会社顧問 糟谷 正彦君
─────────────
本日の会議に付した案件
○国立大学法人法案(内閣提出、衆議院送付)
○独立行政法人国立高等専門学校機構法案(内閣
提出、衆議院送付)
○独立行政法人大学評価・学位授与機構法案(内
閣提出、衆議院送付)
○独立行政法人国立大学財務・経営センター法案
(内閣提出、衆議院送付)
○独立行政法人メディア教育開発センター法案(
内閣提出、衆議院送付)
○国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備
等に関する法律案(内閣提出、衆議院送付)
─────────────
この発言だけを見る →午前十時開会
─────────────
委員の異動
五月二十九日
辞任 補欠選任
齋藤 勁君 岩本 司君
鈴木 寛君 江本 孟紀君
五月三十日
辞任 補欠選任
有村 治子君 鴻池 祥肇君
大仁田 厚君 佐々木知子君
富樫 練三君 畑野 君枝君
六月二日
辞任 補欠選任
鴻池 祥肇君 有村 治子君
佐々木知子君 大仁田 厚君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 大野つや子君
理 事
仲道 俊哉君
橋本 聖子君
佐藤 泰介君
山本 香苗君
林 紀子君
委 員
有馬 朗人君
有村 治子君
大仁田 厚君
北岡 秀二君
後藤 博子君
中曽根弘文君
岩本 司君
江本 孟紀君
神本美恵子君
山根 隆治君
草川 昭三君
畑野 君枝君
西岡 武夫君
山本 正和君
事務局側
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
参考人
東京大学総長 佐々木 毅君
大阪大学社会経
済研究所教授 小野 善康君
お茶の水女子大
学長 本田 和子君
東京大学社会科
学研究所教授 田端 博邦君
名古屋大学総長 松尾 稔君
元大阪大学事務
局長
住友生命保険相
互会社顧問 糟谷 正彦君
─────────────
本日の会議に付した案件
○国立大学法人法案(内閣提出、衆議院送付)
○独立行政法人国立高等専門学校機構法案(内閣
提出、衆議院送付)
○独立行政法人大学評価・学位授与機構法案(内
閣提出、衆議院送付)
○独立行政法人国立大学財務・経営センター法案
(内閣提出、衆議院送付)
○独立行政法人メディア教育開発センター法案(
内閣提出、衆議院送付)
○国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備
等に関する法律案(内閣提出、衆議院送付)
─────────────
大
大野つや子#1
○委員長(大野つや子君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
去る五月二十九日、齋藤勁君及び鈴木寛君が委員を辞任され、その補欠として岩本司君及び江本孟紀君が選任されました。
また、去る五月三十日、富樫練三君が委員を辞任され、その補欠として畑野君枝君が選任されました。
─────────────
この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
去る五月二十九日、齋藤勁君及び鈴木寛君が委員を辞任され、その補欠として岩本司君及び江本孟紀君が選任されました。
また、去る五月三十日、富樫練三君が委員を辞任され、その補欠として畑野君枝君が選任されました。
─────────────
大
大野つや子#2
○委員長(大野つや子君) 国立大学法人法案、独立行政法人国立高等専門学校機構法案、独立行政法人大学評価・学位授与機構法案、独立行政法人国立大学財務・経営センター法案、独立行政法人メディア教育開発センター法案及び国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案の六案を一括して議題といたします。
本日は、六案の審査のため、参考人から意見を聴取した後、質疑を行います。
まず、午前は、参考人として東京大学総長佐々木毅君、大阪大学社会経済研究所教授小野善康君及びお茶の水女子大学長本田和子君の三名の方に御出席をいただいております。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
参考人の皆様から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、六案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
次に、議事の進め方でございますが、まず佐々木参考人、小野参考人、本田参考人の順でそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただいた後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございます。
それでは、まず佐々木参考人から御意見をお述べいただきます。佐々木参考人。
この発言だけを見る →本日は、六案の審査のため、参考人から意見を聴取した後、質疑を行います。
まず、午前は、参考人として東京大学総長佐々木毅君、大阪大学社会経済研究所教授小野善康君及びお茶の水女子大学長本田和子君の三名の方に御出席をいただいております。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
参考人の皆様から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、六案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
次に、議事の進め方でございますが、まず佐々木参考人、小野参考人、本田参考人の順でそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただいた後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございます。
それでは、まず佐々木参考人から御意見をお述べいただきます。佐々木参考人。
佐
佐々木毅#3
○参考人(佐々木毅君) 佐々木でございます。よろしくお願いいたします。
では、十五分という時間をいただきましたので、その範囲内で私の考えを申し述べさせていただきたいと思います。
私の基本的な立場は、この国立大学法人法というものを基本的に支持するという立場に立つ意見でございます。
どういう趣旨でそれを考えているかということを申しますと、言うまでもないことでありますが、二十一世紀、二十世紀ももちろんそうでしたが、二十一世紀において大学の果たす役割というものはますます大きなものになることが当然予想されております。本来であればこの種の議論はもっと早く出されてしかるべきではなかったかと私個人は思っておりまして、私の大学におきましても、私よりも二代前の総長のころに既にこのような議論は行われつつあったというふうに仄聞をいたしているところでございます。
つまり、日本の国立大学の一つの大きな課題は、公的、国という部門の中にその一部として組み込まれているわけでありますが、一体それらの大学が個々的にどのようなことを実行しようとし、どのようなメッセージを社会に対して発しようとしているかということにつきまして、従来は専らその内部だけでその作業が行われてきたという点が否めない点でございます。
私は、この法人法を支持する一番の理由は、大学と社会との関係の大きな組替えというところに重要なポイントがあると考えます。大学が、それぞれの国立大学が、あるいは国立大学法人が社会と今までよりもより直接的に向かい合い、どのような目標をどのような形で実現するかということを発し、そしてそれの様々な段階での計画を着実に実行していくということ、これは大学の在り方にとって非常に大事なポイントであると私は考えております。最近のよく言われるところの説明責任なるものを果たしていくということはどのような組織においても求められておりますが、大学という組織においてもそれは不可避的な課題であると、このように考えているわけであります。
その中で、またどういう形でその法人をデザインするかということにつきましては、国会でもいろいろ御議論をいただいておりますし、国立大学協会及び国立大学それぞれの内部においてもこれまで議論を重ねてまいりました。それらの点については、また御質問があれば私なりの考えを申し上げさせていただきたいと思います。
で、ただいま私が申しました大学と社会との関係の見直しという問題は、どのような結果を招くかといいますと、一つには、これまでの経験にかんがみまして、教育という問題が大学において従来にも増して重要なテーマになるということを予想させるところであります。
言うまでもないことながら、人材養成と、特に高度な専門的な能力を持つ人材の育成は、これからますます大事な課題になってきております。その意味で、国立大学はこれまでとかく研究に非常に注力してまいりましたし、その成果は私は非常に見るべきものがあると思うのでありますけれども、教育という面でなお多くの努力が求められているということ自体明白な事実であります。その意味で、教育活動という社会的により分かりやすい活動というものに、これによって大きく国立大学は軸足を動かしていくことになるのではないだろうか、そのことは十分期待できるというふうに思っております。
それから、従来、国立大学は様々な学部あるいは研究所あるいは研究科というものから成り立っており、今後とも基本的にそれらによって成り立つわけでありますが、法人化いたしますと、まず法人があって、その中に様々な組織があるという関係になります。今までは、様々な組織の連合体の上に学長や総長が言わば乗っているというような形のものでありました。これからは、法人全体というものがあって、その中に様々な組織があるという形になりますので、それらの組織全体の持っている非常にすばらしい研究資源や知的な資源というものを様々な形で有効活用し、かつそれを社会に対して発信するということが可能になります。
俗に申します縦割りというものが大学の中でも極めて牢固として存在してきたわけでありますが、そういったものを今までのような形で新しい縦割りを作っていって組織を増やしていくということが恐らく社会的、経済的に不可能な現在においては、それらの壁を低くし、そして様々違った専門の方々を言わば結び付けるように、寄り合わせるような形で次のステップを踏んでいく、次の新しい段階を展望していくということが非常に私は重要であると思っております。
それはある意味でこれまでの量的拡大というだけとは違った選択肢もこれからは考えていかなければいけないということでありまして、私の大学の様々な有名な先生方と議論した感触から申しまして、実にすばらしい知的資源があるのですけれども、なかなかこれがそれぞれのところに分散するような形で、ある程度散在しているというようなことがございます。その意味で、研究体制におきましても、一つの法人の中で自由に人間が動くような仕組みを作ることによって研究の状況も大きく変わりますし、また、そのことは教育活動に必要な人材というものをより広範に求めることにもつながるのではないかというふうに私は考えております。
したがって、どのような事態が出てくるかは、これはそれぞれの法人のデザインによって違ってくると思いますけれども、これまでいろんな意味での拘束というものによって縛られてきました制約から自由になることによって、教育、研究の面で新しい次元を開く展望が出てくるということを私としては申し上げたいと思います。
それから、そのことが結局、私は、大学というのは社会、広い意味での社会というものの中の非常に重要なアクターであるというふうに思います。これがずっと官の中の一部であるという姿はかなり異常な感じをむしろ受けるわけでありまして、かえって大学の社会的な基盤というものを弱める要素にもなり得るわけでありまして、その意味で、むしろ大学が社会の中にきちっと幅広く定着するという方向を実現するためには、むしろ法人としての自律性を備えるということが重要な要素ではないかと、このように考えております。
ただ、言うまでもございませんけれども、今度の国立大学法人法は、今後とも国からの財政的な支援というものを前提として組み立てられるわけでありますから、それに必要な手続というものを当然予定していることは法案にも書いてあるとおりでございまして、様々な中期目標、中期計画の問題、それから評価の問題等々については、既に私が知る限り衆議院等におきましても様々な議論がなされたというふうに承知しているところでございます。
その中期目標、中期計画につきましてはいろいろ御議論があったようですけれども、評価につきましては、まだ私個人としても必ずしも全体が見えてこないというふうに申し上げざるを得ないところでありまして、今後なお検討を要する課題があるのではないかというふうに思っております。
ただ、基本は、その言わば中期目標、中期計画というのは、あれは個々の大学と、個々の法人と文部科学大臣との間の一種のこれは契約的なものと想定するならば、それがどのような形でその後段階的に実現していったのかということをチェックするという意味で評価が必要なことは言うまでもありません。
ただ、大学の活動というのは極めて膨大でありまして、何をどう評価するかということについては十分事前に慎重な考慮が求められるのでありまして、評価のための評価、あるいは評価のために大学自体が、大学人が評価のためにたくさん参加し、その結果として大学自体が疲弊してしまうというようなことは、これはやはり非常におかしな事態であることは言うまでもございません。
それから、まだ必ずしも十分展開されていないテーマでございますが、会計制度その他における規制緩和を是非お願いしたいというふうに思っているわけであります。
我々大学がパブリックセクターにおける非常にコスト高の一端を担ってきたのではないかという意見が学内に広範に存在いたします。このあるものは規制によって生じた面もあろうかと思います。したがって、こういう面で言わば努力をすればコストを下げられ、かつ、それをほかの研究その他に回すことができるというような仕組みを作っていただきませんとこのシステムは回らないということになるのでありまして、その意味での規制緩和の件につきましても是非とも皆様方に御検討いただきたいと思います。
しかし、もう一つ論点として出させていただきたいのは、これは本当に大きな仕事である、これは大改革であるということでございます。
したがって、文部科学省はもちろんのことでありますけれども、政府の各省におかれましても十分な支援体制を取っていただきたい。特に、最初から数年の移行期というのは非常に大変でございます。法律案が通ればそれでおしまいということでは全くございません。様々な問題がそこから出てまいりますので、そこにつきまして可能な限り十分な体制を取っていただく。その上で、ようやく動き出したときに、またいろいろ次の段階でまた対応が違ってくるものだと思います。その意味で、政府、特に文部科学省の大学に対するかかわり方は決して一律ではなく、段階を踏んで変わっていくべきものであるというふうに私は考えているわけであります。そういう点を私としては今日特に申し上げたいというふうに思いました。
いずれにせよ、各大学の状況、多様でございますが、学長たちの意見を聞きますと、本当に目の前のことで大変悩んでいるというのが実情でございます。会計規則が変わるということでありますが、一体その会計規則に必要な費用をどうして捻出するかということでもって頭を悩ましている学長も少なからず存在するというのが現実でございます。その意味で、移行に伴う様々なコストあるいは必要な措置というものにつきましては可能な限り対応をお願いしたいというふうに考える次第でございます。
ちょっと早いかもしれませんけれども、私の陳述をこれで終わらせていただきます。
この発言だけを見る →では、十五分という時間をいただきましたので、その範囲内で私の考えを申し述べさせていただきたいと思います。
私の基本的な立場は、この国立大学法人法というものを基本的に支持するという立場に立つ意見でございます。
どういう趣旨でそれを考えているかということを申しますと、言うまでもないことでありますが、二十一世紀、二十世紀ももちろんそうでしたが、二十一世紀において大学の果たす役割というものはますます大きなものになることが当然予想されております。本来であればこの種の議論はもっと早く出されてしかるべきではなかったかと私個人は思っておりまして、私の大学におきましても、私よりも二代前の総長のころに既にこのような議論は行われつつあったというふうに仄聞をいたしているところでございます。
つまり、日本の国立大学の一つの大きな課題は、公的、国という部門の中にその一部として組み込まれているわけでありますが、一体それらの大学が個々的にどのようなことを実行しようとし、どのようなメッセージを社会に対して発しようとしているかということにつきまして、従来は専らその内部だけでその作業が行われてきたという点が否めない点でございます。
私は、この法人法を支持する一番の理由は、大学と社会との関係の大きな組替えというところに重要なポイントがあると考えます。大学が、それぞれの国立大学が、あるいは国立大学法人が社会と今までよりもより直接的に向かい合い、どのような目標をどのような形で実現するかということを発し、そしてそれの様々な段階での計画を着実に実行していくということ、これは大学の在り方にとって非常に大事なポイントであると私は考えております。最近のよく言われるところの説明責任なるものを果たしていくということはどのような組織においても求められておりますが、大学という組織においてもそれは不可避的な課題であると、このように考えているわけであります。
その中で、またどういう形でその法人をデザインするかということにつきましては、国会でもいろいろ御議論をいただいておりますし、国立大学協会及び国立大学それぞれの内部においてもこれまで議論を重ねてまいりました。それらの点については、また御質問があれば私なりの考えを申し上げさせていただきたいと思います。
で、ただいま私が申しました大学と社会との関係の見直しという問題は、どのような結果を招くかといいますと、一つには、これまでの経験にかんがみまして、教育という問題が大学において従来にも増して重要なテーマになるということを予想させるところであります。
言うまでもないことながら、人材養成と、特に高度な専門的な能力を持つ人材の育成は、これからますます大事な課題になってきております。その意味で、国立大学はこれまでとかく研究に非常に注力してまいりましたし、その成果は私は非常に見るべきものがあると思うのでありますけれども、教育という面でなお多くの努力が求められているということ自体明白な事実であります。その意味で、教育活動という社会的により分かりやすい活動というものに、これによって大きく国立大学は軸足を動かしていくことになるのではないだろうか、そのことは十分期待できるというふうに思っております。
それから、従来、国立大学は様々な学部あるいは研究所あるいは研究科というものから成り立っており、今後とも基本的にそれらによって成り立つわけでありますが、法人化いたしますと、まず法人があって、その中に様々な組織があるという関係になります。今までは、様々な組織の連合体の上に学長や総長が言わば乗っているというような形のものでありました。これからは、法人全体というものがあって、その中に様々な組織があるという形になりますので、それらの組織全体の持っている非常にすばらしい研究資源や知的な資源というものを様々な形で有効活用し、かつそれを社会に対して発信するということが可能になります。
俗に申します縦割りというものが大学の中でも極めて牢固として存在してきたわけでありますが、そういったものを今までのような形で新しい縦割りを作っていって組織を増やしていくということが恐らく社会的、経済的に不可能な現在においては、それらの壁を低くし、そして様々違った専門の方々を言わば結び付けるように、寄り合わせるような形で次のステップを踏んでいく、次の新しい段階を展望していくということが非常に私は重要であると思っております。
それはある意味でこれまでの量的拡大というだけとは違った選択肢もこれからは考えていかなければいけないということでありまして、私の大学の様々な有名な先生方と議論した感触から申しまして、実にすばらしい知的資源があるのですけれども、なかなかこれがそれぞれのところに分散するような形で、ある程度散在しているというようなことがございます。その意味で、研究体制におきましても、一つの法人の中で自由に人間が動くような仕組みを作ることによって研究の状況も大きく変わりますし、また、そのことは教育活動に必要な人材というものをより広範に求めることにもつながるのではないかというふうに私は考えております。
したがって、どのような事態が出てくるかは、これはそれぞれの法人のデザインによって違ってくると思いますけれども、これまでいろんな意味での拘束というものによって縛られてきました制約から自由になることによって、教育、研究の面で新しい次元を開く展望が出てくるということを私としては申し上げたいと思います。
それから、そのことが結局、私は、大学というのは社会、広い意味での社会というものの中の非常に重要なアクターであるというふうに思います。これがずっと官の中の一部であるという姿はかなり異常な感じをむしろ受けるわけでありまして、かえって大学の社会的な基盤というものを弱める要素にもなり得るわけでありまして、その意味で、むしろ大学が社会の中にきちっと幅広く定着するという方向を実現するためには、むしろ法人としての自律性を備えるということが重要な要素ではないかと、このように考えております。
ただ、言うまでもございませんけれども、今度の国立大学法人法は、今後とも国からの財政的な支援というものを前提として組み立てられるわけでありますから、それに必要な手続というものを当然予定していることは法案にも書いてあるとおりでございまして、様々な中期目標、中期計画の問題、それから評価の問題等々については、既に私が知る限り衆議院等におきましても様々な議論がなされたというふうに承知しているところでございます。
その中期目標、中期計画につきましてはいろいろ御議論があったようですけれども、評価につきましては、まだ私個人としても必ずしも全体が見えてこないというふうに申し上げざるを得ないところでありまして、今後なお検討を要する課題があるのではないかというふうに思っております。
ただ、基本は、その言わば中期目標、中期計画というのは、あれは個々の大学と、個々の法人と文部科学大臣との間の一種のこれは契約的なものと想定するならば、それがどのような形でその後段階的に実現していったのかということをチェックするという意味で評価が必要なことは言うまでもありません。
ただ、大学の活動というのは極めて膨大でありまして、何をどう評価するかということについては十分事前に慎重な考慮が求められるのでありまして、評価のための評価、あるいは評価のために大学自体が、大学人が評価のためにたくさん参加し、その結果として大学自体が疲弊してしまうというようなことは、これはやはり非常におかしな事態であることは言うまでもございません。
それから、まだ必ずしも十分展開されていないテーマでございますが、会計制度その他における規制緩和を是非お願いしたいというふうに思っているわけであります。
我々大学がパブリックセクターにおける非常にコスト高の一端を担ってきたのではないかという意見が学内に広範に存在いたします。このあるものは規制によって生じた面もあろうかと思います。したがって、こういう面で言わば努力をすればコストを下げられ、かつ、それをほかの研究その他に回すことができるというような仕組みを作っていただきませんとこのシステムは回らないということになるのでありまして、その意味での規制緩和の件につきましても是非とも皆様方に御検討いただきたいと思います。
しかし、もう一つ論点として出させていただきたいのは、これは本当に大きな仕事である、これは大改革であるということでございます。
したがって、文部科学省はもちろんのことでありますけれども、政府の各省におかれましても十分な支援体制を取っていただきたい。特に、最初から数年の移行期というのは非常に大変でございます。法律案が通ればそれでおしまいということでは全くございません。様々な問題がそこから出てまいりますので、そこにつきまして可能な限り十分な体制を取っていただく。その上で、ようやく動き出したときに、またいろいろ次の段階でまた対応が違ってくるものだと思います。その意味で、政府、特に文部科学省の大学に対するかかわり方は決して一律ではなく、段階を踏んで変わっていくべきものであるというふうに私は考えているわけであります。そういう点を私としては今日特に申し上げたいというふうに思いました。
いずれにせよ、各大学の状況、多様でございますが、学長たちの意見を聞きますと、本当に目の前のことで大変悩んでいるというのが実情でございます。会計規則が変わるということでありますが、一体その会計規則に必要な費用をどうして捻出するかということでもって頭を悩ましている学長も少なからず存在するというのが現実でございます。その意味で、移行に伴う様々なコストあるいは必要な措置というものにつきましては可能な限り対応をお願いしたいというふうに考える次第でございます。
ちょっと早いかもしれませんけれども、私の陳述をこれで終わらせていただきます。
大
小
小野善康#5
○参考人(小野善康君) 今回の国立大学法人化の理念というものは、文科省及び学長のリーダーシップによってトップダウン方式で時代に合った研究を迅速に進めようと、こういうことだと思います。
時代に合った研究というのは、どの研究が優れているか、どの研究はもう時代後れであるかということを判断しなければいけない。その意味で評価というのが決定的に重要になってくる。これ、評価を間違えると大変なことになります。この評価の問題点については、今、ただいまの佐々木参考人のお話の中にも指摘されておりましたが、私はこれが決定的に問題になるのではないかと思います。もう少し言えば、評価能力というのは非常に疑わしい、さらにちゃんとした評価をしようとすれば膨大な負担が掛かる、さらに誤った評価をすると大変な弊害が生まれると、こういうことであります。
その弊害の中身は、例えば官僚機構の肥大化とか、大学全部があたかも文部省の中の要するに事務的な仕事だけをするようなものになってしまうと、そういう危険性が感じられる。ここまで申し上げますと、そんなこと、それは危険はあるだろうけれどもとおっしゃるかもしれない。私は、それをこの数か月前に、別の研究所再定義問題というところで経験しました。その経験をお話しすることによって将来像が見えるんではないかというふうに思います。
さて、その前に、評価というのは一体できるかということについて申し上げると、私は絶対にできないと思います。その理由は、専門家というのは、ちゃんと研究をやっていらっしゃる方というのはそういうふうに合意してくださると思いますが、非常に狭い自分の範囲の中で深く研究して、それで優れた研究を上げるというものでありまして、広い範囲をよく知っているという専門家は、私は乱暴に言えばインチキだというふうに思います。
それで、私のような者だったらそうだろうかということをおっしゃるかもしれませんが、じゃ、例えば評価委員の中で、それこそノーベル賞を取るような方をお連れしたと。その方は、その分野については卓越した研究能力を持っているけれども、ほかの分野は全くの素人です。そのとき、そういう集団で、じゃ全部の評価ができるようなそういう集団を作るにはどうしたらいいかといったら、世の中にある何千という分野全部の専門家を連れてこなきゃいけない。それは不可能ですから、そうすると選ばれた人しか来ないと。それは、はっきり言えば素人集団なわけです。その素人集団はどういう決断を下すかといえば、単なるはやりと話題性を追求すると。それは、その方が安全だからです。
例えば、そんなことは絶対ないと思いますが、私がその委員に推薦されたということになったとすると、私なら今何をやるかと言われたら、ナノテクとゲノムがいいと多分言うと思います。理由は簡単で、新聞で読んだからだと。これだけのことで、もちろんそうは言いませんが、そういうふうに言うと思います。
同じことは経済学でも起こっていると。数年前に複雑系金融工学、こういうものがはやったんですが、今、金融工学というのはほとんど見ない。もちろん、金融工学はちゃんと地道に長い間研究の積み重ねでやっています。ですが、あの当時、我々の研究所を含めていろいろな大学で金融工学のセンターができた。文科省は我々のところにも来て、そういうのを作ったらどうだと言われましたけれども、我々は、それはそんなに作ってもしようがないといって申し上げた。あのとき作ったら良かったでしょうかということです。
さて、こういう不完全な評価、もう明らかに不完全な評価だと思いますけれども、それで、強権、今回のようなトップダウンというのが完全に確立したのとが相まつとどういうことが起こるかというと、本来、その評価する方を信じていれば、皆さんは自分が面白いと信ずる最先端の研究を分かりやすく説明して、是非自分はいいんだということで競争しようと、こういうことになると思いますが、そうじゃないので、金が取りやすくて素人受けする研究というのを一生懸命出そうとすると。これは経営者としての学長のインセンティブからいってもぴったり合う。金を取れて、大きくその大学の予算規模が増える。そうなると、工学や医学の大規模プロジェクトが花盛りになるだろうというふうに思います。
同時に、同じ人間を使うならば、ほとんど小さな範囲しかやらないような、例えば経済学みたいなものは、じゃこれは減らして、より産業とかそういう方向に行くべきだというふうになってくる。さらに、文科省の意向がそのような素人集団に対して色濃く反映するでしょうから、文科省に気に入る書き方を伝授するような人が欲しくなる。それから、文科省の意向はどうであるか、文科省とどういうふうに交渉したらいいかということが是非欲しくなる。これは、私が学長にもしなったら、なるわけないですが、もしなりましたら是非文科省のOBを雇いたいということであります。
さらに、中期計画、中期目標ということであれば、私たちは実現しやすい目標を立てる。もしチャレンジングで面白いという本気の計画を立てたらどういうことになるか。それが実現できない可能性があるわけです。できなかったら、後でひどい評価を得て、その組織はつぶされると、こういうことであります。そういう書類作りに膨大な時間が掛かる、こういうことであります。
さて、そういうことを申し上げると、そういう危険はあるだろうと。確かに、今、佐々木参考人もそういう危険についてはある程度おっしゃっていた。それは危険はあるけれども、でも改革は必要である、こうおっしゃるかもしれないんですが、私は、この危険はまず間違いなく起こる、そのぐらい断言できる。
なぜそんな断言ができるのかというと、最初に申し上げましたが、研究所再定義問題というので、つい数か月前にほとんどこれと同じ構造で前哨戦があって、我々はとんでもない目に遭ったということをこれからお話ししようと思います。
これは、国立大学法人化に伴って、その前に、それまではもちろん附置研究所は地位はちゃんと安定しているんですが、法人化に伴って中を自由に変えることができるので、是非とも今のうちに研究所の活動のレベルの低いところは整理しておこうと、こういうところからスタートした。私は、それを聞いて、ああ、それはいいことだと、研究レベルの低い研究所はやめにしようという、これはいいことだと実は思っていたんです。ふたを開けてみたら、我々の研究所がその対象になっていると。しかも、結局のところ二つ研究所がつぶれたんですが、なぜ我々が選ばれたかといったら、二番目に小さいからであると。小さいことと研究レベルは全く関係ないわけです。
しかも、そこの委員会ですね、これは文部省が決めたんですが、その委員会のメンバーというのを見ると驚くんですが、この皆さんにお配りした一番最後のページを見ていただきたいんですけれども、これは我々の研究所が論文数、エコンリットという国際的なジャーナルにどのぐらい載せているかという表ですけれども、これは我々は日本の研究所の中で一番、それからサイテーションは二番という、こういうレベルです。呼ばれたのは、実は京大と争っているわけですが、京大と阪大が呼ばれた。審査委員は実はこの一番右端の研究所長であると、こういうことであります。
それで、びっくりしまして、何でこんなことが起こるんだということで、学内からも大変な突き上げを受けた。つまり、あなたたちはもうこういう研究レベルが低いのだから整理した方がいい、理系の研究所に入れと、それから、文科省がこういうことを出しているんだから、その意向に従えとさんざん言われました。
我々は、どう考えても納得いかないので、それについていろいろ情報を集めたり会議をやったりした。その文書作成及び会議で私個人は五か月間全く研究ができなかった。私個人だけじゃなく、私の研究所のメンバーも全員ですね、ほぼ全員全く研究ができなかったわけです。これは、タックスペイヤーに対する義務を果たしているという意味でいったら全く果たしていないと私は思いますけれども、そういうことが必要になった。
さて、そういう努力の結果かどうか知りませんが、何とか残った。しかし、評価報告が出た。その報告は、規模が小さいからいけない、長期間組織の見直しがないからいけない、活動が見えないからいけない、金を取ってこないからいけない、こう言われたわけです。
考えてみれば、規模が小さいのにこれだけの業績を上げるというのは最高じゃないかと。構造改革の精神に正に合っていると我々は思うんですが、そうじゃない、規模が小さいからいけないと言われるわけです。それから、組織の見直しがないからいけない。生産性が低いから組織を見直せというならよく分かりますが、生産性は高いけれども、見直しは行われていない。これは見直しのための見直しを行えというふうに聞こえる。活動が見えないと言われましたが、経済系の研究所において活動というのは、論文を発表し、本を出し、一般書を出し、それから皆様、例えば私は議員の方何人かの方に私の政策に関する知見を述べさせていただきましたけれども、そういうこと、それから一般書、それから新聞記事、雑誌、そういう活動です。その活動についてもし調べていただいたら、我々の研究所はトップか二位か、その辺を争っています。
その評価する方は全然そうじゃないわけです。理由を考えてみると、大きいから残っている。文科省に聞くと、そういう個々のそういうデータを示すと、そういうことはあるだろうけれども、皆さん自分のところはすばらしいとおっしゃるからと言われて、全然相手にされない。それで結局、私は、小さくて抵抗の少ないところを減らすということで実績を作るとしか思えないわけです。現実にそういうところはつぶされているわけです。
金を取れ、これもよく分からない。金を取らないで一杯研究を出せ、これはよく分かります。そうじゃない。研究のことは横に置いておいて、金を取れというわけです。これは、各省庁の予算獲得競争をそのままやれ、分捕り合戦をおまえらもやれと、こういうふうにしか聞こえない。
これまで、もうこれだけ申し上げて、我々は、しかしそうはいってもそんなこと言っていられない、だから方針転換します。現実に、これはうそではなく、研究はほどほどにしていいから何しろ金を取るプロジェクトを考えろ、それから文科省対策をちゃんと考えるためにいろいろ情報を集めろ、それから規模拡大に走らなきゃいけないと。いかに規模を拡大するかということについて一生懸命文書を作成しよう。これは冗談でなく本当にやっているわけです。こういうことが起こる。
今申し上げたことは、再定義問題ということでお話ししましたけれども、今回のこの文科省のこの改革も、結局文科省の設置した評価委員会、我々の場合には特別委員会ということですが、それが文科省の方針、結局それは素人集団になってしまう。個々では、もちろん私はその人たちが偉くないと言っているわけじゃないですよ、個々ではちゃんとした研究者だということは認めた上で、しかしそれは素人集団になってしまう。そうすると、文科省の意向に合った評価が出てくると。それで、それが組織の存亡すら決められてしまう。その結果、そこの組織は研究とはほど遠い今申し上げたような努力をしなければいけなくなる。これは説明責任だと言われる、社会に説明できていないと言われる。社会って一体何だというのは、私は分からなくなるわけです。すなわち、政策提言とか何かさんざん我々はやっていて、もし調べていただければ、ほかと比べていただいたら全く遜色ないどころか、我々は最も優れているうちの一つだろうと確信しておりますが、そういうことは調べてもらえない。そうなると、先ほどのような努力をするしかなくなるわけです。
私は、今回のような改革が起こった場合に、我々に起こったことが現に今も起こっている。現に今も、文科省はこのような方針なんだから、これから六年また見直しがあるから、何とかおまえらはそれに合うような改革をしろと、もう学内でさんざん迫られているわけです。その改革というのは今のような内容になっているわけです。
こんなことが起こっていいのかと実は思うんですが、しかし我々も生き残らなければ研究ができないわけです。ですから、そういう方向で一生懸命これから努力しようと。そのために文書書きに追われて、これから先もずっとそういう会議もさんざんあります。昨日もありました。そういうことが起こる。これは、大学全部が役所化するということです。文書書きですね。
これは、さらに現在の政治の流れである中央集権から分権化ということでいうと正反対である。これは中期計画、中期目標を文科省に出させて、そこが認可すると言っているわけです。もちろん、文科省はそんなすごいことを、おまえらこうしろ、こうしろなんていうことは絶対言わないわけですけれども、そういう制度であると我々がそれを斟酌始めるわけです。怖くてしようがないです。現に、今回のように二つの小さな研究所がちゃんとつぶされているわけです。一つは社情研という、御存じでありましょうけれども、非常に伝統のある新聞研と昔から言われたその研究所がつぶされているわけです。そういうことになっている。
私は、結論的に申し上げると、納税者への国立大学の教官の責任というのは、研究をやって論文を発表し、著書を書き、それを教育し、かつ一般に広め、それから例えば政策提言をしたり、そういうことだと思います。決して文科省への対策に使うとか、それで私たちのように半年間全く研究ができなくなる状態になるとか、それじゃないと思います。それがもう必ず起こると、本当に危惧しております。
さて、もしそういう場合に改善案はあるのかというと、私は今回の考え方とは正反対で、組織の長、すなわち文科省や学長、その主導による中期計画、中期目標の認可というのはやっぱりやめるべきだろうと。これは、大学間競争、言わば受験戦争の偏差値のいい大学、この大学はすごく強い、弱いという競争をしているようなものだと。研究というのは極めて個人的でありますから、個人かある研究プロジェクトか小規模なグループをちゃんと評価する、どういう実績ができたかをそのフィールドの最先端の専門家がちゃんと評価する。それによっていい研究が出ないところは予算をカットしていけばいい、だんだんだんだんカットしていけばいい、出ているところはどんどん上げていけばいいと。そういうやり方で十分に研究は確保できるというか、それしかないと思います。これはジャーナル、いわゆる国際専門誌でジャーナルでやるレフェリー制度とほとんど同じです。更に言えば、これはアメリカにあるナショナル・サイエンス・ファウンデーションのシステムであり、こういう中央で全部決めるというようなシステムが出てくるというのは私としては大変驚きです。
時間になりましたので、以上です。終わります。
この発言だけを見る →時代に合った研究というのは、どの研究が優れているか、どの研究はもう時代後れであるかということを判断しなければいけない。その意味で評価というのが決定的に重要になってくる。これ、評価を間違えると大変なことになります。この評価の問題点については、今、ただいまの佐々木参考人のお話の中にも指摘されておりましたが、私はこれが決定的に問題になるのではないかと思います。もう少し言えば、評価能力というのは非常に疑わしい、さらにちゃんとした評価をしようとすれば膨大な負担が掛かる、さらに誤った評価をすると大変な弊害が生まれると、こういうことであります。
その弊害の中身は、例えば官僚機構の肥大化とか、大学全部があたかも文部省の中の要するに事務的な仕事だけをするようなものになってしまうと、そういう危険性が感じられる。ここまで申し上げますと、そんなこと、それは危険はあるだろうけれどもとおっしゃるかもしれない。私は、それをこの数か月前に、別の研究所再定義問題というところで経験しました。その経験をお話しすることによって将来像が見えるんではないかというふうに思います。
さて、その前に、評価というのは一体できるかということについて申し上げると、私は絶対にできないと思います。その理由は、専門家というのは、ちゃんと研究をやっていらっしゃる方というのはそういうふうに合意してくださると思いますが、非常に狭い自分の範囲の中で深く研究して、それで優れた研究を上げるというものでありまして、広い範囲をよく知っているという専門家は、私は乱暴に言えばインチキだというふうに思います。
それで、私のような者だったらそうだろうかということをおっしゃるかもしれませんが、じゃ、例えば評価委員の中で、それこそノーベル賞を取るような方をお連れしたと。その方は、その分野については卓越した研究能力を持っているけれども、ほかの分野は全くの素人です。そのとき、そういう集団で、じゃ全部の評価ができるようなそういう集団を作るにはどうしたらいいかといったら、世の中にある何千という分野全部の専門家を連れてこなきゃいけない。それは不可能ですから、そうすると選ばれた人しか来ないと。それは、はっきり言えば素人集団なわけです。その素人集団はどういう決断を下すかといえば、単なるはやりと話題性を追求すると。それは、その方が安全だからです。
例えば、そんなことは絶対ないと思いますが、私がその委員に推薦されたということになったとすると、私なら今何をやるかと言われたら、ナノテクとゲノムがいいと多分言うと思います。理由は簡単で、新聞で読んだからだと。これだけのことで、もちろんそうは言いませんが、そういうふうに言うと思います。
同じことは経済学でも起こっていると。数年前に複雑系金融工学、こういうものがはやったんですが、今、金融工学というのはほとんど見ない。もちろん、金融工学はちゃんと地道に長い間研究の積み重ねでやっています。ですが、あの当時、我々の研究所を含めていろいろな大学で金融工学のセンターができた。文科省は我々のところにも来て、そういうのを作ったらどうだと言われましたけれども、我々は、それはそんなに作ってもしようがないといって申し上げた。あのとき作ったら良かったでしょうかということです。
さて、こういう不完全な評価、もう明らかに不完全な評価だと思いますけれども、それで、強権、今回のようなトップダウンというのが完全に確立したのとが相まつとどういうことが起こるかというと、本来、その評価する方を信じていれば、皆さんは自分が面白いと信ずる最先端の研究を分かりやすく説明して、是非自分はいいんだということで競争しようと、こういうことになると思いますが、そうじゃないので、金が取りやすくて素人受けする研究というのを一生懸命出そうとすると。これは経営者としての学長のインセンティブからいってもぴったり合う。金を取れて、大きくその大学の予算規模が増える。そうなると、工学や医学の大規模プロジェクトが花盛りになるだろうというふうに思います。
同時に、同じ人間を使うならば、ほとんど小さな範囲しかやらないような、例えば経済学みたいなものは、じゃこれは減らして、より産業とかそういう方向に行くべきだというふうになってくる。さらに、文科省の意向がそのような素人集団に対して色濃く反映するでしょうから、文科省に気に入る書き方を伝授するような人が欲しくなる。それから、文科省の意向はどうであるか、文科省とどういうふうに交渉したらいいかということが是非欲しくなる。これは、私が学長にもしなったら、なるわけないですが、もしなりましたら是非文科省のOBを雇いたいということであります。
さらに、中期計画、中期目標ということであれば、私たちは実現しやすい目標を立てる。もしチャレンジングで面白いという本気の計画を立てたらどういうことになるか。それが実現できない可能性があるわけです。できなかったら、後でひどい評価を得て、その組織はつぶされると、こういうことであります。そういう書類作りに膨大な時間が掛かる、こういうことであります。
さて、そういうことを申し上げると、そういう危険はあるだろうと。確かに、今、佐々木参考人もそういう危険についてはある程度おっしゃっていた。それは危険はあるけれども、でも改革は必要である、こうおっしゃるかもしれないんですが、私は、この危険はまず間違いなく起こる、そのぐらい断言できる。
なぜそんな断言ができるのかというと、最初に申し上げましたが、研究所再定義問題というので、つい数か月前にほとんどこれと同じ構造で前哨戦があって、我々はとんでもない目に遭ったということをこれからお話ししようと思います。
これは、国立大学法人化に伴って、その前に、それまではもちろん附置研究所は地位はちゃんと安定しているんですが、法人化に伴って中を自由に変えることができるので、是非とも今のうちに研究所の活動のレベルの低いところは整理しておこうと、こういうところからスタートした。私は、それを聞いて、ああ、それはいいことだと、研究レベルの低い研究所はやめにしようという、これはいいことだと実は思っていたんです。ふたを開けてみたら、我々の研究所がその対象になっていると。しかも、結局のところ二つ研究所がつぶれたんですが、なぜ我々が選ばれたかといったら、二番目に小さいからであると。小さいことと研究レベルは全く関係ないわけです。
しかも、そこの委員会ですね、これは文部省が決めたんですが、その委員会のメンバーというのを見ると驚くんですが、この皆さんにお配りした一番最後のページを見ていただきたいんですけれども、これは我々の研究所が論文数、エコンリットという国際的なジャーナルにどのぐらい載せているかという表ですけれども、これは我々は日本の研究所の中で一番、それからサイテーションは二番という、こういうレベルです。呼ばれたのは、実は京大と争っているわけですが、京大と阪大が呼ばれた。審査委員は実はこの一番右端の研究所長であると、こういうことであります。
それで、びっくりしまして、何でこんなことが起こるんだということで、学内からも大変な突き上げを受けた。つまり、あなたたちはもうこういう研究レベルが低いのだから整理した方がいい、理系の研究所に入れと、それから、文科省がこういうことを出しているんだから、その意向に従えとさんざん言われました。
我々は、どう考えても納得いかないので、それについていろいろ情報を集めたり会議をやったりした。その文書作成及び会議で私個人は五か月間全く研究ができなかった。私個人だけじゃなく、私の研究所のメンバーも全員ですね、ほぼ全員全く研究ができなかったわけです。これは、タックスペイヤーに対する義務を果たしているという意味でいったら全く果たしていないと私は思いますけれども、そういうことが必要になった。
さて、そういう努力の結果かどうか知りませんが、何とか残った。しかし、評価報告が出た。その報告は、規模が小さいからいけない、長期間組織の見直しがないからいけない、活動が見えないからいけない、金を取ってこないからいけない、こう言われたわけです。
考えてみれば、規模が小さいのにこれだけの業績を上げるというのは最高じゃないかと。構造改革の精神に正に合っていると我々は思うんですが、そうじゃない、規模が小さいからいけないと言われるわけです。それから、組織の見直しがないからいけない。生産性が低いから組織を見直せというならよく分かりますが、生産性は高いけれども、見直しは行われていない。これは見直しのための見直しを行えというふうに聞こえる。活動が見えないと言われましたが、経済系の研究所において活動というのは、論文を発表し、本を出し、一般書を出し、それから皆様、例えば私は議員の方何人かの方に私の政策に関する知見を述べさせていただきましたけれども、そういうこと、それから一般書、それから新聞記事、雑誌、そういう活動です。その活動についてもし調べていただいたら、我々の研究所はトップか二位か、その辺を争っています。
その評価する方は全然そうじゃないわけです。理由を考えてみると、大きいから残っている。文科省に聞くと、そういう個々のそういうデータを示すと、そういうことはあるだろうけれども、皆さん自分のところはすばらしいとおっしゃるからと言われて、全然相手にされない。それで結局、私は、小さくて抵抗の少ないところを減らすということで実績を作るとしか思えないわけです。現実にそういうところはつぶされているわけです。
金を取れ、これもよく分からない。金を取らないで一杯研究を出せ、これはよく分かります。そうじゃない。研究のことは横に置いておいて、金を取れというわけです。これは、各省庁の予算獲得競争をそのままやれ、分捕り合戦をおまえらもやれと、こういうふうにしか聞こえない。
これまで、もうこれだけ申し上げて、我々は、しかしそうはいってもそんなこと言っていられない、だから方針転換します。現実に、これはうそではなく、研究はほどほどにしていいから何しろ金を取るプロジェクトを考えろ、それから文科省対策をちゃんと考えるためにいろいろ情報を集めろ、それから規模拡大に走らなきゃいけないと。いかに規模を拡大するかということについて一生懸命文書を作成しよう。これは冗談でなく本当にやっているわけです。こういうことが起こる。
今申し上げたことは、再定義問題ということでお話ししましたけれども、今回のこの文科省のこの改革も、結局文科省の設置した評価委員会、我々の場合には特別委員会ということですが、それが文科省の方針、結局それは素人集団になってしまう。個々では、もちろん私はその人たちが偉くないと言っているわけじゃないですよ、個々ではちゃんとした研究者だということは認めた上で、しかしそれは素人集団になってしまう。そうすると、文科省の意向に合った評価が出てくると。それで、それが組織の存亡すら決められてしまう。その結果、そこの組織は研究とはほど遠い今申し上げたような努力をしなければいけなくなる。これは説明責任だと言われる、社会に説明できていないと言われる。社会って一体何だというのは、私は分からなくなるわけです。すなわち、政策提言とか何かさんざん我々はやっていて、もし調べていただければ、ほかと比べていただいたら全く遜色ないどころか、我々は最も優れているうちの一つだろうと確信しておりますが、そういうことは調べてもらえない。そうなると、先ほどのような努力をするしかなくなるわけです。
私は、今回のような改革が起こった場合に、我々に起こったことが現に今も起こっている。現に今も、文科省はこのような方針なんだから、これから六年また見直しがあるから、何とかおまえらはそれに合うような改革をしろと、もう学内でさんざん迫られているわけです。その改革というのは今のような内容になっているわけです。
こんなことが起こっていいのかと実は思うんですが、しかし我々も生き残らなければ研究ができないわけです。ですから、そういう方向で一生懸命これから努力しようと。そのために文書書きに追われて、これから先もずっとそういう会議もさんざんあります。昨日もありました。そういうことが起こる。これは、大学全部が役所化するということです。文書書きですね。
これは、さらに現在の政治の流れである中央集権から分権化ということでいうと正反対である。これは中期計画、中期目標を文科省に出させて、そこが認可すると言っているわけです。もちろん、文科省はそんなすごいことを、おまえらこうしろ、こうしろなんていうことは絶対言わないわけですけれども、そういう制度であると我々がそれを斟酌始めるわけです。怖くてしようがないです。現に、今回のように二つの小さな研究所がちゃんとつぶされているわけです。一つは社情研という、御存じでありましょうけれども、非常に伝統のある新聞研と昔から言われたその研究所がつぶされているわけです。そういうことになっている。
私は、結論的に申し上げると、納税者への国立大学の教官の責任というのは、研究をやって論文を発表し、著書を書き、それを教育し、かつ一般に広め、それから例えば政策提言をしたり、そういうことだと思います。決して文科省への対策に使うとか、それで私たちのように半年間全く研究ができなくなる状態になるとか、それじゃないと思います。それがもう必ず起こると、本当に危惧しております。
さて、もしそういう場合に改善案はあるのかというと、私は今回の考え方とは正反対で、組織の長、すなわち文科省や学長、その主導による中期計画、中期目標の認可というのはやっぱりやめるべきだろうと。これは、大学間競争、言わば受験戦争の偏差値のいい大学、この大学はすごく強い、弱いという競争をしているようなものだと。研究というのは極めて個人的でありますから、個人かある研究プロジェクトか小規模なグループをちゃんと評価する、どういう実績ができたかをそのフィールドの最先端の専門家がちゃんと評価する。それによっていい研究が出ないところは予算をカットしていけばいい、だんだんだんだんカットしていけばいい、出ているところはどんどん上げていけばいいと。そういうやり方で十分に研究は確保できるというか、それしかないと思います。これはジャーナル、いわゆる国際専門誌でジャーナルでやるレフェリー制度とほとんど同じです。更に言えば、これはアメリカにあるナショナル・サイエンス・ファウンデーションのシステムであり、こういう中央で全部決めるというようなシステムが出てくるというのは私としては大変驚きです。
時間になりましたので、以上です。終わります。
大
本
本田和子#7
○参考人(本田和子君) 本田でございます。
先ほど小学校以来何十年ぶりかに本田和子君と呼んでいただきまして、何かちょっと不思議な感慨にとらえられております。
私は、ただいま佐々木先生、それから小野先生お二人からこの法案の現代における意義、それから位置付けについて、あるいはこの法案のはらむ危険性、問題点についてそれぞれ大変明確な御意見の御陳述がございましたので、それらとの重複を避けながら私なりの見解を述べさせていただきたいと存じますが、やはりある部分では重なってしまいまして同じようなことを申し上げざるを得ないかとも思います。
この法案そのものに関しましては、私は国立大学協会に属しておりますメンバーとしてその中の動きを共有しておりましたし、それから、その中に特設されました特設委員会の検討結果などの報告を受けて、それを了承しながらまいりました立場として、一応この結論は了承せざるを得ないかと考えております。ただし、ただいま小さな附置研究所の問題をるるお述べになりましたけれども、私どもの大学は国立大学の中で下から数えた方がよいような本当に小規模な大学でございますから、小規模大学の抱えております悩みもたくさんございます。それらも多少絡めながら意見を述べさせていただきたいと存じますが、取りあえず三つに整理して申し上げます。
一つは、この法人化によって要請された意識改革、つまり私どもがどのような意識の改革を求められたかということについてでございます。それから、法人化によって大学のどこが変わるのかということを申し上げます。それから最後に、と申しますか、これはかなり大きな問題でございますけれども、予測される懸念、これから多分法人化後の大学の前に立ちふさがるであろう様々な障害、それに対してどのようにクリアしていったらいいかというようなことに関して、今考えております不安やら懸念やらを交えながら申し上げさせていただきます。
まず、最初に申し上げました法人化が私どもにどのような意識改革を要請したかということでございますけれども、これは、法人化の動きと同時に国立大学の大幅削減というようなあの動きが絡みましたこともございまして、それぞれの大学がかなり自学の、自分の大学の存在意義を見詰め直すという機会を持たされたのではないかと思います。
極めて小規模大学でございまして、ともすれば消されてしまいかねない危機に直面いたしました私どものような大学は、とりわけこの意識を強く持ちまして、現在の日本の社会の中で私どもの大学はどのような意義において存在し得るのだろうか、果たして本当に存在意義があるのかどうか、あるとすればどのようなミッションを果たすべき存在として位置付くのかというようなことをかなり真剣に検討させられました。これは一つの大きな意識的な変革であったかと思っております。そして、私どもなりに現在存在意義はこのようなところにあるということを確認いたしまして、そこからスタートしようという考え方に学内の合意を形成したわけでございます。これは社会に対するアカウンタビリティーということが求められておりますけれども、それにつながる問題であろうかと思います。
つまり、自学のミッションを明確に意識することによって、そのミッション、使命を果たすことが社会に対する説明責任であるという考え方、そして、そのことに向けて合意を形成することが学内の協力体制を作り上げるということになったと考えますので、法人化の要請された意識改革というのは取りあえず大学にとってマイナスの事柄ではなかったというふうに私は考えております。
続きまして、法人化によって大学のどこが変わるかという問題でございますけれども、これは先ほど佐々木先生もおっしゃいましたけれども、学生に対する教育のサービス、これが非常に大きく変わらざるを得ないであろうかと思います。これは、法人の業務の中にも学生に対するサービスということが明確にうたわれておりますし、当然、大学というのは人材育成、教育の場でございますから教育を重視しなければならなかったのでございますけれども、どちらかといえば大学人の意識というのが研究に傾いておりましたこともございまして、研究室中心に事柄が動いてきた。私どもの大学などは本当に小さな大学でございますけれども、それでも個々の研究者が懸命に自分の研究業績を上げ、研究面において力を付けることを一つの当然の在り方と考えて動いてまいりまして、それに人員不足、予算不足、施設設備の不備、すべてが伴いまして、どちらかといえば学生は研究室を支える側に回らされていたと申しましょうか、例えば卒業論文や修士論文を書きますときも、それは研究者の補助的役割を、悪意なしにでございますけれども、必然の結果として取らされるようなこともなくはなかった。そのような在り方に対して大きな反省が起こったことは事実でございます。
これからは学生を育てるということに少しウエートを置かなければならないのではないか、研究室環境の整備にも増して学生のための教育環境の整備にもっと力を注ぐべきではないか、そのような意識改革が起こりましたこと、それから、学生の教育指導面の支援だけではなくて、学生の生活支援、学生が人として成長していくために何が必要であり、あるいは現代社会に送り出すために何が必要であるかということをきちっとした理念を踏まえて、例えば短絡的に資格を取得させるとかそういう意味ではございませんけれども、きちんとした理念を踏まえて、これからの社会にどのような人間が必要であり、どのような人材を育成すべきかという理念を踏まえて、目標を立てて育てていくということに関してかなりの合意が形成されたということは、これは一つのメリットであったろうかと考えております。
それから、これは私どもの大学の特殊な性格でございますけれども、女子大学でございますから女性を育成しようとしている、それに伴います様々な支援の仕方を従来に増してかなり真剣に工夫せざるを得ないというような状況が生じまして、冗談のように百二十八年たってやっと私どもの大学は女子大学になったなどという言葉が今キャンパスの中でささやかれております。
それから、学生サービスのことを今申し上げましたけれども、法人化されますと組織の見直し、人事の見直しというのが比較的従来よりは容易になるのではないかと考えられます。
従来の国立大学というのは、組織というのが一たびでき上がりますとそれが固定化される傾向がございましたし、人事も一度採用されますとそれが定年までその方が続いてしまうというようなことがございまして、人員の配置換えとか異動とか、学内の異動ですら非常に難しかった。学部と学部の壁を超えてある人をこちらに異動させるというようなことが考えられないというような状態がございましたけれども、これからはそれが比較的容易になるのではないか。むしろ、学部の壁というのが限りなく薄くなっていって、必要に応じて組替えが容易になる、これは私どものような小さな大学にとりましては領域横断的に新しいクラスター、塊を作っていくということが極めて重要なことでございますから、それがやりよくなるのではないかということが予測されまして、これは一つの希望だと考えております。
それから、目標と計画、中期目標、中期計画に関しましては様々な議論がございまして、その議論の出どころ、あるいはその在り方に関して私も肯定する部分もたくさんございますけれども、ただ、教育活動というのはやはり目標と計画の関係の中でしか展開し得ないものである。ただ、不思議なことに大学ではそれが余り考えられなかった。例えば、小中学校の教育でございましたら教育カリキュラムというのがございまして、目標と活動の関係というのが厳密に対応させられるわけでございますが、高等教育は別であるというような認識がございましたせいもあって、目標と計画の関係というのが余りに厳密に意識化されることがなかった。これも今回意識化する機会となったということでは意味があろうかと思っております。
ただ、一律に六年というタイムスパンが設定されたこととか、その他いろいろ懸念されることはございますけれども、目標、計画などは教育を重視する大学の在り方としては当然の事柄であろうかと思います。
以上申し上げまして、次に、これから立ち向かわなければならない障害と申しますか、将来に対する様々な懸念について申し上げさせていただきます。
これは、先ほどお二方もお述べになりました評価の問題、これは非常に大きな問題であろうかと思います。
大学の個性化あるいは独自性の発揮というようなことが言われておりますし、先ほど自学のミッションを特定したと申し上げましたけれども、例えば、自分の大学はこのような使命において存在しているのだということが確認されるとすれば、そのような目的に向けての大学の在り方というのが評価されなければならない。しかし、そのような評価が可能だろうか、現在の状態でそれが可能だろうかという懸念がございます。多様な評価とかたくさんの評価軸を使ってとか、いろいろ言われておりますけれども、それがまだ必ずしも十分ではないのではないか。そして、評価の客観性というのが主張される余りに、一つの基準あるいは一つの水準で物事が測られるとすれば、多様性を標榜し個性と独自性の発現を要請されている大学としてはかなり違ったことになってしまうのではないかと考えます。
それから、規模の大小などというのもございまして、私どもの大学は本当に小さな大学なものですから、例えば研究論文の数とかサイテーションの数とかというものを出しますときにも、それがトータルとして出ますともうしっぽのしっぽのしっぽの方になってしまいます。ランキングが例えば一位から五十位まで出るとすると、なかなかそういうところには浮かび上がってこない。これを一人当たりにしますとまあそこそこに行ったりするんですけれども、すべてのことがそのように、一人当たりとか、小規模のゆえにとか、予算が幾らだからという形で評価していただけるわけではないらしゅうございますので、評価に関してはかなりの懸念を持っております。
極端な言い方をする人たちは、この評価はいずれ小規模大学を消していく評価でしょうなどということを言われて、まさか私はそこまで日本の文科省もたちが悪いとは思っていないのですが、そのような懸念も抱かざるを得ないという状態にございますので、評価の問題は十分に時間を掛けて慎重に検討しながら、そしてテスト的な段階であるということを十分に確認しながら進めていかなければならないかと考えております。
評価の結果が資源配分に反映されるというような話を聞きますと、もう来年は運営交付金がこのくらい少なくなるのではないかというような不安が起こってきたりいたします。そのような不安が学内に起こるということ自体極めてよろしくないことでございますから、そのような不安を払底するような方向を明示していただけたらというふうに考えます。
それから、今資源配分に関して申し上げましたけれども、予算に対する不安感というのも、これは正直に申しましてございます。運営交付金の削減とか、そのようなことがささやかれながら明示されていないということがございまして、私どものような小規模でしかも外部資金の導入などが余りできないような構成の大学といたしましては、かなり将来に対して不安がございます。
せんだっても、産学官連携の在り方などというのを評価されまして、そのような評価をされますと私どもの大学などは最下位に来てしまうのですが、工学部系の学長さんが集まっていらっしゃるところで、お気の毒さまというようなことを言われましたので、私も、いえ、仕方がございません、うちは産業界などからお金は入れません、清く正しく美しくでまいりますというようなことを申しましたら、皆さんが笑って、清く貧しく美しくでしょうと言われました。確かに清く貧しく美しい大学として生き残りを考える場合に、予算、運営交付金の配分などというのは非常に関心がございますけれども、これに関してどうも将来が明示されていないということは将来を設計いたします場合の一つのネックになっていようかと思います。
それから、このような問題が様々ございますから、このような問題に対して主務官庁が望ましく、ふさわしく対応してくださることを切に希望しております。
最後に一つだけ付け加えさせていただきますけれども、今、国際競争裏に大学が参入しなければならない、あるいは国際競争に勝てる人材を育成しなければならないと言われております。また、競争資金の獲得などということが言われたり、評価に伴う資源配分などということが強調されたりいたしまして、競争原理がキャンパスの中を吹き荒れているような感じがございます。ただ、私は、教育の場、大学というのはやはり人材育成の場でございますから、教育の場としては競争原理だけですべてがコントロールできるものではないと考えますし、むしろ国際協力その他を考えますと、共生の原理というのを私どものような大学は優先させていかなければならない。そういう主流からちょっと外れた異端的な原理に基づいて、異端的な理念に基づいて大学を運営していくような小さな大学の在り方が無視されないような、そのような法人化後の動きを切望しております。
ちょうだいいたしました時間がちょうどでございますので、ここで終わらせていただきます。失礼いたしました。
この発言だけを見る →先ほど小学校以来何十年ぶりかに本田和子君と呼んでいただきまして、何かちょっと不思議な感慨にとらえられております。
私は、ただいま佐々木先生、それから小野先生お二人からこの法案の現代における意義、それから位置付けについて、あるいはこの法案のはらむ危険性、問題点についてそれぞれ大変明確な御意見の御陳述がございましたので、それらとの重複を避けながら私なりの見解を述べさせていただきたいと存じますが、やはりある部分では重なってしまいまして同じようなことを申し上げざるを得ないかとも思います。
この法案そのものに関しましては、私は国立大学協会に属しておりますメンバーとしてその中の動きを共有しておりましたし、それから、その中に特設されました特設委員会の検討結果などの報告を受けて、それを了承しながらまいりました立場として、一応この結論は了承せざるを得ないかと考えております。ただし、ただいま小さな附置研究所の問題をるるお述べになりましたけれども、私どもの大学は国立大学の中で下から数えた方がよいような本当に小規模な大学でございますから、小規模大学の抱えております悩みもたくさんございます。それらも多少絡めながら意見を述べさせていただきたいと存じますが、取りあえず三つに整理して申し上げます。
一つは、この法人化によって要請された意識改革、つまり私どもがどのような意識の改革を求められたかということについてでございます。それから、法人化によって大学のどこが変わるのかということを申し上げます。それから最後に、と申しますか、これはかなり大きな問題でございますけれども、予測される懸念、これから多分法人化後の大学の前に立ちふさがるであろう様々な障害、それに対してどのようにクリアしていったらいいかというようなことに関して、今考えております不安やら懸念やらを交えながら申し上げさせていただきます。
まず、最初に申し上げました法人化が私どもにどのような意識改革を要請したかということでございますけれども、これは、法人化の動きと同時に国立大学の大幅削減というようなあの動きが絡みましたこともございまして、それぞれの大学がかなり自学の、自分の大学の存在意義を見詰め直すという機会を持たされたのではないかと思います。
極めて小規模大学でございまして、ともすれば消されてしまいかねない危機に直面いたしました私どものような大学は、とりわけこの意識を強く持ちまして、現在の日本の社会の中で私どもの大学はどのような意義において存在し得るのだろうか、果たして本当に存在意義があるのかどうか、あるとすればどのようなミッションを果たすべき存在として位置付くのかというようなことをかなり真剣に検討させられました。これは一つの大きな意識的な変革であったかと思っております。そして、私どもなりに現在存在意義はこのようなところにあるということを確認いたしまして、そこからスタートしようという考え方に学内の合意を形成したわけでございます。これは社会に対するアカウンタビリティーということが求められておりますけれども、それにつながる問題であろうかと思います。
つまり、自学のミッションを明確に意識することによって、そのミッション、使命を果たすことが社会に対する説明責任であるという考え方、そして、そのことに向けて合意を形成することが学内の協力体制を作り上げるということになったと考えますので、法人化の要請された意識改革というのは取りあえず大学にとってマイナスの事柄ではなかったというふうに私は考えております。
続きまして、法人化によって大学のどこが変わるかという問題でございますけれども、これは先ほど佐々木先生もおっしゃいましたけれども、学生に対する教育のサービス、これが非常に大きく変わらざるを得ないであろうかと思います。これは、法人の業務の中にも学生に対するサービスということが明確にうたわれておりますし、当然、大学というのは人材育成、教育の場でございますから教育を重視しなければならなかったのでございますけれども、どちらかといえば大学人の意識というのが研究に傾いておりましたこともございまして、研究室中心に事柄が動いてきた。私どもの大学などは本当に小さな大学でございますけれども、それでも個々の研究者が懸命に自分の研究業績を上げ、研究面において力を付けることを一つの当然の在り方と考えて動いてまいりまして、それに人員不足、予算不足、施設設備の不備、すべてが伴いまして、どちらかといえば学生は研究室を支える側に回らされていたと申しましょうか、例えば卒業論文や修士論文を書きますときも、それは研究者の補助的役割を、悪意なしにでございますけれども、必然の結果として取らされるようなこともなくはなかった。そのような在り方に対して大きな反省が起こったことは事実でございます。
これからは学生を育てるということに少しウエートを置かなければならないのではないか、研究室環境の整備にも増して学生のための教育環境の整備にもっと力を注ぐべきではないか、そのような意識改革が起こりましたこと、それから、学生の教育指導面の支援だけではなくて、学生の生活支援、学生が人として成長していくために何が必要であり、あるいは現代社会に送り出すために何が必要であるかということをきちっとした理念を踏まえて、例えば短絡的に資格を取得させるとかそういう意味ではございませんけれども、きちんとした理念を踏まえて、これからの社会にどのような人間が必要であり、どのような人材を育成すべきかという理念を踏まえて、目標を立てて育てていくということに関してかなりの合意が形成されたということは、これは一つのメリットであったろうかと考えております。
それから、これは私どもの大学の特殊な性格でございますけれども、女子大学でございますから女性を育成しようとしている、それに伴います様々な支援の仕方を従来に増してかなり真剣に工夫せざるを得ないというような状況が生じまして、冗談のように百二十八年たってやっと私どもの大学は女子大学になったなどという言葉が今キャンパスの中でささやかれております。
それから、学生サービスのことを今申し上げましたけれども、法人化されますと組織の見直し、人事の見直しというのが比較的従来よりは容易になるのではないかと考えられます。
従来の国立大学というのは、組織というのが一たびでき上がりますとそれが固定化される傾向がございましたし、人事も一度採用されますとそれが定年までその方が続いてしまうというようなことがございまして、人員の配置換えとか異動とか、学内の異動ですら非常に難しかった。学部と学部の壁を超えてある人をこちらに異動させるというようなことが考えられないというような状態がございましたけれども、これからはそれが比較的容易になるのではないか。むしろ、学部の壁というのが限りなく薄くなっていって、必要に応じて組替えが容易になる、これは私どものような小さな大学にとりましては領域横断的に新しいクラスター、塊を作っていくということが極めて重要なことでございますから、それがやりよくなるのではないかということが予測されまして、これは一つの希望だと考えております。
それから、目標と計画、中期目標、中期計画に関しましては様々な議論がございまして、その議論の出どころ、あるいはその在り方に関して私も肯定する部分もたくさんございますけれども、ただ、教育活動というのはやはり目標と計画の関係の中でしか展開し得ないものである。ただ、不思議なことに大学ではそれが余り考えられなかった。例えば、小中学校の教育でございましたら教育カリキュラムというのがございまして、目標と活動の関係というのが厳密に対応させられるわけでございますが、高等教育は別であるというような認識がございましたせいもあって、目標と計画の関係というのが余りに厳密に意識化されることがなかった。これも今回意識化する機会となったということでは意味があろうかと思っております。
ただ、一律に六年というタイムスパンが設定されたこととか、その他いろいろ懸念されることはございますけれども、目標、計画などは教育を重視する大学の在り方としては当然の事柄であろうかと思います。
以上申し上げまして、次に、これから立ち向かわなければならない障害と申しますか、将来に対する様々な懸念について申し上げさせていただきます。
これは、先ほどお二方もお述べになりました評価の問題、これは非常に大きな問題であろうかと思います。
大学の個性化あるいは独自性の発揮というようなことが言われておりますし、先ほど自学のミッションを特定したと申し上げましたけれども、例えば、自分の大学はこのような使命において存在しているのだということが確認されるとすれば、そのような目的に向けての大学の在り方というのが評価されなければならない。しかし、そのような評価が可能だろうか、現在の状態でそれが可能だろうかという懸念がございます。多様な評価とかたくさんの評価軸を使ってとか、いろいろ言われておりますけれども、それがまだ必ずしも十分ではないのではないか。そして、評価の客観性というのが主張される余りに、一つの基準あるいは一つの水準で物事が測られるとすれば、多様性を標榜し個性と独自性の発現を要請されている大学としてはかなり違ったことになってしまうのではないかと考えます。
それから、規模の大小などというのもございまして、私どもの大学は本当に小さな大学なものですから、例えば研究論文の数とかサイテーションの数とかというものを出しますときにも、それがトータルとして出ますともうしっぽのしっぽのしっぽの方になってしまいます。ランキングが例えば一位から五十位まで出るとすると、なかなかそういうところには浮かび上がってこない。これを一人当たりにしますとまあそこそこに行ったりするんですけれども、すべてのことがそのように、一人当たりとか、小規模のゆえにとか、予算が幾らだからという形で評価していただけるわけではないらしゅうございますので、評価に関してはかなりの懸念を持っております。
極端な言い方をする人たちは、この評価はいずれ小規模大学を消していく評価でしょうなどということを言われて、まさか私はそこまで日本の文科省もたちが悪いとは思っていないのですが、そのような懸念も抱かざるを得ないという状態にございますので、評価の問題は十分に時間を掛けて慎重に検討しながら、そしてテスト的な段階であるということを十分に確認しながら進めていかなければならないかと考えております。
評価の結果が資源配分に反映されるというような話を聞きますと、もう来年は運営交付金がこのくらい少なくなるのではないかというような不安が起こってきたりいたします。そのような不安が学内に起こるということ自体極めてよろしくないことでございますから、そのような不安を払底するような方向を明示していただけたらというふうに考えます。
それから、今資源配分に関して申し上げましたけれども、予算に対する不安感というのも、これは正直に申しましてございます。運営交付金の削減とか、そのようなことがささやかれながら明示されていないということがございまして、私どものような小規模でしかも外部資金の導入などが余りできないような構成の大学といたしましては、かなり将来に対して不安がございます。
せんだっても、産学官連携の在り方などというのを評価されまして、そのような評価をされますと私どもの大学などは最下位に来てしまうのですが、工学部系の学長さんが集まっていらっしゃるところで、お気の毒さまというようなことを言われましたので、私も、いえ、仕方がございません、うちは産業界などからお金は入れません、清く正しく美しくでまいりますというようなことを申しましたら、皆さんが笑って、清く貧しく美しくでしょうと言われました。確かに清く貧しく美しい大学として生き残りを考える場合に、予算、運営交付金の配分などというのは非常に関心がございますけれども、これに関してどうも将来が明示されていないということは将来を設計いたします場合の一つのネックになっていようかと思います。
それから、このような問題が様々ございますから、このような問題に対して主務官庁が望ましく、ふさわしく対応してくださることを切に希望しております。
最後に一つだけ付け加えさせていただきますけれども、今、国際競争裏に大学が参入しなければならない、あるいは国際競争に勝てる人材を育成しなければならないと言われております。また、競争資金の獲得などということが言われたり、評価に伴う資源配分などということが強調されたりいたしまして、競争原理がキャンパスの中を吹き荒れているような感じがございます。ただ、私は、教育の場、大学というのはやはり人材育成の場でございますから、教育の場としては競争原理だけですべてがコントロールできるものではないと考えますし、むしろ国際協力その他を考えますと、共生の原理というのを私どものような大学は優先させていかなければならない。そういう主流からちょっと外れた異端的な原理に基づいて、異端的な理念に基づいて大学を運営していくような小さな大学の在り方が無視されないような、そのような法人化後の動きを切望しております。
ちょうだいいたしました時間がちょうどでございますので、ここで終わらせていただきます。失礼いたしました。
大
大野つや子#8
○委員長(大野つや子君) ありがとうございました。
以上で参考人の方々からの意見の聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、各参考人にお願い申し上げます。
御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。
また、時間が限られておりますので、できるだけ簡潔におまとめください。
質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →以上で参考人の方々からの意見の聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、各参考人にお願い申し上げます。
御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。
また、時間が限られておりますので、できるだけ簡潔におまとめください。
質疑のある方は順次御発言願います。
大
大
大
大仁田厚#11
○大仁田厚君 そうですか。ありがとうございます。
三人の先生方、限られた時間なものですから、申し訳ありませんが、質問をして手短にお答え願いたいと思います。たくさんの質問をしたいと思っております。
残念ながら、今回の国立大学法人法案についてなんですが、残念ながら有事関連法案や個人情報保護法案の陰に隠れて、今回の法人法案の国民全体の意識が何かちょっと薄いような気もします。そしてまた、教育に関する問題についても、教育基本法の改正議論にばかりマスコミの注目が集まり、国立大学法人法案の国民的議論に何か至らなかったような、そういうふうな何か感じが受けるんですけれども、遠山大臣が国立大、国立大学の法人化を百年に一度の大改革と位置付けられているとおり、日本の教育制度において本法案の議論は極めて重要なものだということは言うまでもありません。
僕は明治大学の、明治大学に通う現役大学生ですが、同じ学生の立場としてどうしても聞きたいことがあります。
それは、この国立大学法人化の議論の過程では、大学運営者や教授、一般職員に関する事項は数多く出てきましたが、肝心な学生への影響に関することが余り出てこなかったような気がいたします。日本の将来を担う若手世代に行き届いた教育を施していくことが大切だということは、ここにいるすべての皆さんが思っていることだと思います。今回の法人化が学生たちに与える影響こそ最も議論されなければならないことだと僕は思っているのですが、そこで三人の参考人の先生方にお伺いいたします。
先生方の目から見て、今回の国立大学法人化の動きに対する現役学生たちの反応はどのようなものですか。また、この法人化で学生たちに生じるメリットを具体的にお聞かせください。そしてまた、逆にデメリットがあるとしたら御指摘いただければと思います。
それではよろしくお願いします。
この発言だけを見る →三人の先生方、限られた時間なものですから、申し訳ありませんが、質問をして手短にお答え願いたいと思います。たくさんの質問をしたいと思っております。
残念ながら、今回の国立大学法人法案についてなんですが、残念ながら有事関連法案や個人情報保護法案の陰に隠れて、今回の法人法案の国民全体の意識が何かちょっと薄いような気もします。そしてまた、教育に関する問題についても、教育基本法の改正議論にばかりマスコミの注目が集まり、国立大学法人法案の国民的議論に何か至らなかったような、そういうふうな何か感じが受けるんですけれども、遠山大臣が国立大、国立大学の法人化を百年に一度の大改革と位置付けられているとおり、日本の教育制度において本法案の議論は極めて重要なものだということは言うまでもありません。
僕は明治大学の、明治大学に通う現役大学生ですが、同じ学生の立場としてどうしても聞きたいことがあります。
それは、この国立大学法人化の議論の過程では、大学運営者や教授、一般職員に関する事項は数多く出てきましたが、肝心な学生への影響に関することが余り出てこなかったような気がいたします。日本の将来を担う若手世代に行き届いた教育を施していくことが大切だということは、ここにいるすべての皆さんが思っていることだと思います。今回の法人化が学生たちに与える影響こそ最も議論されなければならないことだと僕は思っているのですが、そこで三人の参考人の先生方にお伺いいたします。
先生方の目から見て、今回の国立大学法人化の動きに対する現役学生たちの反応はどのようなものですか。また、この法人化で学生たちに生じるメリットを具体的にお聞かせください。そしてまた、逆にデメリットがあるとしたら御指摘いただければと思います。
それではよろしくお願いします。
佐
佐々木毅#12
○参考人(佐々木毅君) 現役の学生たちは余り関心を示さないという認識を持っております。先ほど申しましたように、教育という活動が大学にとりまして、あるいは特に大学のいろいろな場面において、これから従来以上に大きな課題として取り組まれることについては私の大学も同断でございますので、あるいは学生の方も今まで以上に勉強してもらわなければいけないという時代が来るようにすべきであると思っておりまして、そういうことにつきましては、学生のまた大学に対する態度もこれまでと違ったものになる、そういう可能性を持っているというふうに私は思っております。
以上でございます。
この発言だけを見る →以上でございます。
小
小野善康#13
○参考人(小野善康君) 私も、学生の関心という意味で一般的に言えば低いと思います。ただ、私の場合、研究所の教授ですので、大学院生を対象にしている。大学院生の反応という意味で言えば、私の研究所の大学院生は物すごく反応した。なぜかと言えば、何でここがつぶされるんですかというのを何人も来ました。びっくりしたと言って飛んできましたけれども、そういう反応ありました。
私は、今回のこういう改革がメリットがあるとは決して思えない。デメリットというのは何かと言うと、これはお話ししたことそのままなんですけれども、要するに、学生の教育についてもちゃんとした評価基準があって、それを神様のような人が評価するならいいと。だけれども、そうでないとすると、例えば外国人を多く入れようというと、一生懸命外国人を採ってくるわけです。それから、女子学生が少ない、今度は女子学生を一生懸命採ってくる。そういうようなやり方で、激しく何というかディストートされると。そういうことであって、一見こういう目標だと言われるんですが、それは大きなゆがみを生み出すんじゃないかと私は思います。
以上です。
この発言だけを見る →私は、今回のこういう改革がメリットがあるとは決して思えない。デメリットというのは何かと言うと、これはお話ししたことそのままなんですけれども、要するに、学生の教育についてもちゃんとした評価基準があって、それを神様のような人が評価するならいいと。だけれども、そうでないとすると、例えば外国人を多く入れようというと、一生懸命外国人を採ってくるわけです。それから、女子学生が少ない、今度は女子学生を一生懸命採ってくる。そういうようなやり方で、激しく何というかディストートされると。そういうことであって、一見こういう目標だと言われるんですが、それは大きなゆがみを生み出すんじゃないかと私は思います。
以上です。
本
本田和子#14
○参考人(本田和子君) 現役の学生の現在の意識というふうに申しますと、余り関心はないようでございます。ただ、統合・再編の声がしきりでございましたときは、学生たちの中に動揺が走りまして、お茶の水女子大学はどうなるのか、このまま存続し得るのかというような問いをキャンパスの中でしばしば掛けられたことがございました。
そのようなときに一番困りますのは、絶対に存続させますと断言することもできない。ちょっと風任せという言い方はおかしゅうございますけれども、文科省任せみたいなところもあったりいたしまして、明確な答えが返してやれなかったということは大変学生に対して済まないことであったと思っております。
それから、今後のことに関しましては、学生サービスを向上させる、それから教育機能を充実させるということで、学生に対してはマイナスの改革ではないと私は認識しております。
以上でございます。
この発言だけを見る →そのようなときに一番困りますのは、絶対に存続させますと断言することもできない。ちょっと風任せという言い方はおかしゅうございますけれども、文科省任せみたいなところもあったりいたしまして、明確な答えが返してやれなかったということは大変学生に対して済まないことであったと思っております。
それから、今後のことに関しましては、学生サービスを向上させる、それから教育機能を充実させるということで、学生に対してはマイナスの改革ではないと私は認識しております。
以上でございます。
大
大仁田厚#15
○大仁田厚君 ありがとうございます。
少し観点を変えてちょっと質問をしたいんですけれども、経済産業省は平沼プランにおいて、二〇〇四年度までに大学発ベンチャーを一千社創出することを目標に掲げていますが、支援策を講じているのは御承知のとおりだと思います。TLOの設置などにより産学連携を積極的に進めている国立大学が大学別の企業数の上位を占めております。国立大学が法人化されることにより特許権が大学自体に与えられるようになるなど様々な影響が出てくることが想像されますが、現場の意識はどのようなものであるか、とても興味深いものがあります。
それでは、参考人の方々にお伺いいたします。国立大学が法人化された場合の大学発ベンチャーへの影響について、どのようにお考えですか。それぞれの大学の知的財産戦略も含めてお答えください。よろしくお願いします。
この発言だけを見る →少し観点を変えてちょっと質問をしたいんですけれども、経済産業省は平沼プランにおいて、二〇〇四年度までに大学発ベンチャーを一千社創出することを目標に掲げていますが、支援策を講じているのは御承知のとおりだと思います。TLOの設置などにより産学連携を積極的に進めている国立大学が大学別の企業数の上位を占めております。国立大学が法人化されることにより特許権が大学自体に与えられるようになるなど様々な影響が出てくることが想像されますが、現場の意識はどのようなものであるか、とても興味深いものがあります。
それでは、参考人の方々にお伺いいたします。国立大学が法人化された場合の大学発ベンチャーへの影響について、どのようにお考えですか。それぞれの大学の知的財産戦略も含めてお答えください。よろしくお願いします。
佐
佐々木毅#16
○参考人(佐々木毅君) 法人化する前後から意識がいろんな意味で変わってきているというふうに認識をしております。したがって、法人化によって急に変わるかどうかは分かりません。しかし、この数年の様々な社会的な議論の中で、五年ぐらい前と比べますと随分このような取組に対する意識が変わり、ある意味で平常心で考えるようになりつつあるというふうに言えるかと思います。
大学の知的戦略についてお問い合わせがございましたけれども、ちょっと私はまだそこまで準備ができておりません。実を申しますと、一番困っていますのは、その特許権を大学でキープするための金が大学にないということが大問題でありまして、戦略の前にまずないということを何とかしなければいけないというのが一番の戦略問題でございます。
この発言だけを見る →大学の知的戦略についてお問い合わせがございましたけれども、ちょっと私はまだそこまで準備ができておりません。実を申しますと、一番困っていますのは、その特許権を大学でキープするための金が大学にないということが大問題でありまして、戦略の前にまずないということを何とかしなければいけないというのが一番の戦略問題でございます。
小
小野善康#17
○参考人(小野善康君) 私は、今のようなシグナリングがどういう影響を与えるかというと、現実にうちの大学は一生懸命ベンチャー、大学発ベンチャーを出そうとして、そういうところをやっている理系の研究所が物すごい勢いで伸びている。そのこと自身はいいんですが、だからうちはいいんだと、そういうところをやらないところはそういう方に回すべきであるという圧力が掛かる。
現実問題として、我々は社会経済研究所というところで、例えばこの不況の問題とか経済問題についてやっているんですが、そんなのはいいから産業予測をやれという圧力が掛かってくると。これは正に、大学発ベンチャーが重要だというシグナルを出すと、そのシグナルを出した人は、全部が含めて、例えばお茶の水女子大を含めて大学発ベンチャーをやるというようなことを言っていないにもかかわらず、そのシグナルを、これは大変だ、そういうのを出さなきゃいけないと受け取ってみんなが動き出す。そういう大きな影響があるわけです。そこが正に私の懸念したことのいい例だと思います。
この発言だけを見る →現実問題として、我々は社会経済研究所というところで、例えばこの不況の問題とか経済問題についてやっているんですが、そんなのはいいから産業予測をやれという圧力が掛かってくると。これは正に、大学発ベンチャーが重要だというシグナルを出すと、そのシグナルを出した人は、全部が含めて、例えばお茶の水女子大を含めて大学発ベンチャーをやるというようなことを言っていないにもかかわらず、そのシグナルを、これは大変だ、そういうのを出さなきゃいけないと受け取ってみんなが動き出す。そういう大きな影響があるわけです。そこが正に私の懸念したことのいい例だと思います。
本
本田和子#18
○参考人(本田和子君) 私どものところは、ただいま例に出されましたように、大学発ベンチャーとかTLOとかには余り関係を持てない大学でございます。細々といろいろ特許を取ったりされる方がございますので、それらをどう保護するか、どうキープしていくかということはこれからの課題ではございますけれども、TLOを立ち上げるほどの資金もございませんし、それの必要もないのではないかと考えております。それから、もし立ち上げる必要が生じましたら、国公私立を問わず、女子大同士が手を組んでレディースTLOというのを立ち上げましょうなどという冗談を今言っているくらいでございます。
ただ、知的資源というのはそのようなものだけではないと私は考えておりますし、例えば、私どもが今やっております知的資源を教育的レベルに還元して、それをもって例えば途上国を支援する、アフガニスタンの女子教育支援などというところに使うということも、これは知的財産戦略の一つとして考えることができようか。世の中でおっしゃることとは全く違うのですけれども、そのような方向を選択して私どもは一つの独自性を主張しようと考えております。
この発言だけを見る →ただ、知的資源というのはそのようなものだけではないと私は考えておりますし、例えば、私どもが今やっております知的資源を教育的レベルに還元して、それをもって例えば途上国を支援する、アフガニスタンの女子教育支援などというところに使うということも、これは知的財産戦略の一つとして考えることができようか。世の中でおっしゃることとは全く違うのですけれども、そのような方向を選択して私どもは一つの独自性を主張しようと考えております。
大
大仁田厚#19
○大仁田厚君 ありがとうございます。
僕も本田参考人の意見は物すごくあれで、僕もアフガニスタンに三度行きまして、いろんな現状を見てきて、逆に、アフガニスタンなどの教育を見てみると、逆に日本の教育が見えてきたりするものですから、是非推進していただきたいなと思っております。
ちょっと、またまた観点をちょっと変えるんですけれども、時間が短いもので。
この今の社会情勢なども見て、懸念される問題として授業料の問題があるんですけれども、この法人化によってそれぞれの大学が自立した形で授業料を設定し、現状を大きく上回るような授業料が発生してしまう懸念は否定できないと思うんですけれども。それによって、なぜ国立大学を選ぶか、単純に言うと、勉強をしていい成績を取れば国立大学は安いという単純な考え方なんですけれども、国立大学が法人化された場合の授業料の設定について、それぞれで大学はどのような点に留意しなければならないとお考えですか。また、この件に関して御要望や御意見がございましたらお聞かせください。よろしくお願いします。
この発言だけを見る →僕も本田参考人の意見は物すごくあれで、僕もアフガニスタンに三度行きまして、いろんな現状を見てきて、逆に、アフガニスタンなどの教育を見てみると、逆に日本の教育が見えてきたりするものですから、是非推進していただきたいなと思っております。
ちょっと、またまた観点をちょっと変えるんですけれども、時間が短いもので。
この今の社会情勢なども見て、懸念される問題として授業料の問題があるんですけれども、この法人化によってそれぞれの大学が自立した形で授業料を設定し、現状を大きく上回るような授業料が発生してしまう懸念は否定できないと思うんですけれども。それによって、なぜ国立大学を選ぶか、単純に言うと、勉強をしていい成績を取れば国立大学は安いという単純な考え方なんですけれども、国立大学が法人化された場合の授業料の設定について、それぞれで大学はどのような点に留意しなければならないとお考えですか。また、この件に関して御要望や御意見がございましたらお聞かせください。よろしくお願いします。
大
大
大
佐
佐々木毅#23
○参考人(佐々木毅君) これにつきましては、法案が通りますといろいろ具体論が始まると思いますが、今のところこれまでの現状と大きく変わらないのではないだろうかと、そういう見通しで考えております。
この発言だけを見る →小
小野善康#24
○参考人(小野善康君) 私は、お二方のような学長という立場とはおよそほど遠い立場にありまして、授業料をどういうふうに決めるかということについては、お答えを差し控えさせていただきます。
この発言だけを見る →本
本田和子#25
○参考人(本田和子君) 恐らく上げないでいくだろうというふうに考えております。ただし、非常に苦しいだろうとは思いながら、大幅な値上げというのは避けたいと考えております。
この発言だけを見る →大
大仁田厚#26
○大仁田厚君 各大学の事情、台所事情とかいろいろありますが、やっぱり、僕は思うんですけれども、やっぱりお金だけのものではなく、やっぱり僕は質の問題だと思うんです。やっぱり、そこで何を学び、そこで何を習得するかということだと思うんですけれども。
僕はもう、この法案に関して、やっぱり大学が今転換しなきゃいけない時期に来ているのかなって、カリキュラムについてもそうですけれども、いろんな部分で転換期に来ているような気がするんですけれども。是非、皆様が、皆さんが是非大学をスムーズに運営し、あらゆる人材が輩出されるような、そういうシステムを取るのが僕は一番だと思うんですけれども。
この法人化が政府による大学への統制の強化などでは断じて僕はあってはならないと思います。そしてまた、公立化されることにより、これまで以上に地域社会におけるその存在意義が高まっていくことを僕は望みます。また、そして何より日本の将来を背負って立つ学生たちが環境整備向上の役割を果たしていかなければならないということは重要なことだと思っています。
また、大学というのは、僕は基本的に考えるんですけれども、ただ学歴を取るだけのものではなく、人間として、社会に出て、どういうふうな役割を、この二十一世紀に人材を輩出していくか、今後、この法案が可決されることによって、本当に大学の質の向上がどんどんどんどん高まっていくことを私は望むものであります。
本当に今日はお忙しい中、先生方、ありがとうございました。これで質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →僕はもう、この法案に関して、やっぱり大学が今転換しなきゃいけない時期に来ているのかなって、カリキュラムについてもそうですけれども、いろんな部分で転換期に来ているような気がするんですけれども。是非、皆様が、皆さんが是非大学をスムーズに運営し、あらゆる人材が輩出されるような、そういうシステムを取るのが僕は一番だと思うんですけれども。
この法人化が政府による大学への統制の強化などでは断じて僕はあってはならないと思います。そしてまた、公立化されることにより、これまで以上に地域社会におけるその存在意義が高まっていくことを僕は望みます。また、そして何より日本の将来を背負って立つ学生たちが環境整備向上の役割を果たしていかなければならないということは重要なことだと思っています。
また、大学というのは、僕は基本的に考えるんですけれども、ただ学歴を取るだけのものではなく、人間として、社会に出て、どういうふうな役割を、この二十一世紀に人材を輩出していくか、今後、この法案が可決されることによって、本当に大学の質の向上がどんどんどんどん高まっていくことを私は望むものであります。
本当に今日はお忙しい中、先生方、ありがとうございました。これで質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
江
江本孟紀#27
○江本孟紀君 民主党の江本と申します。
今日は、三人の先生方、どうもありがとうございます。
私は、まず佐々木先生に、参考人に、東大の野球部はなぜ弱いかと聞こうかなと思ったんですけれども、今日はテーマが違うものですから、でも、お話しできるだけでも、いい機会を与えていただきました。有馬大先生もいらっしゃいますけれども、現役の総長とお話ができるというのは大変光栄でございます。
いろんな方に今回の問題をお聞きして、今日質問ということで、いろんなテーマをいろんな方にもうお聞きしたんですけれども、時間もそんなにありませんので絞ってお聞きをしたいと思いますけれども、三人の先生方に最終的にお尋ねをしたいと思いますけれども。
問題点というのは割と広がってはいるんですけれども、非常に大事な問題点というのはあると思うんですね。そういう悩みを、実は実際、独立行政法人化した場合とかに非常に各方面の現場の方がいろんな悩みを持たれているということで、私もある大学病院に勤めている先生にちょっとたまたま機会があってお話を聞いたところ、大学病院でも大変な問題になっていると。ある先生が悩みを書いたものがありまして、それを実は今日ちょっと拝借しまして、原文のままちょっと読ませていただいて、それについて御感想をいただきたいと思います。
私も言葉の中にちょっと理解できないところも一杯あるんですけれども、よろしくお願いしたいと思います。ある国立大学に勤務される先生のお話なんですけれども、ちょっとお聞きいただきたいと思います。
大学病院に長年働いてきた私は、その将来に対して大きな危惧の念を抱いています。大学病院の使命としては、一、地域の中核病院としての専門性を有した質の高い医療の提供、二、将来の医療を担う医療従事者の育成、三、臨床医学発展の推進と医療技術水準の向上への貢献の三つが期待をされている。
しかし、これを本当に実現するためには、マンパワー、資金などの点で大きなハードルが存在している。また、平成十五年四月からは医療費の包括評価、平成十六年からは卒後研修必修化、さらに国立大学には独立行政法人化という大きな課題が待ち受けている。
まず、この一点目ですけれども、これは本当に関係あるかどうか分かりませんけれども。
まず、医療費の包括評価であるが、これは一口で言えば、ある病名が決まれば、どのような診療をしようとも、また何日入院しようとも病院側に対する支払は一定となるという仕組みである。主病名ごとに平均入院期間が決まっており、この二五パーセンタイルより短ければ医療機関に支払われる医療費は一五%増しとなり、逆に二五パーセンタイルより長ければ一五%減となる。これは、従来の出来高払の仕組みでは医療費の高騰を抑制することができないことから取られた施策である。
今回対象となっているのは特定機能病院、すなわち大学病院の本院と国立がんセンター、国立循環器センターなどの全国八十二病院である。しかし、実際にはいまだ細目に関する検討は不十分のままに見切り発車したというのが正直なところであり、現場では少なからず混乱が生じている。
この制度は、クリニカルパスのでき上がっている疾患に対しては余り問題が起こらない。しかし、関節リューマチや全身性エリテマトーデスのようないわゆる難病は多臓器にわたる合併症を有しやすいこと、免疫抑制療法によって日和見感染症などの有害事象が起こりやすいことなどの理由から臨床経過を予測することは難しく、クリニカルパスを適用することは困難である。さらに、昨今、大学病院に紹介される症例は様々なリスクファクターを有する難治例が増えており、膠原病や血液疾患を扱う診療科の在院日数の短縮はますます困難となっている。包括評価がいずれ一般病院に及べば、医療費が掛かり在院日数も長くなることが予測される難治性症例はますます大学病院へと紹介されることになり、大学病院の財政基盤は更に脆弱なものとなる。
次、二番目ですが、次は卒後研修必修化である。このシステムでは入院患者百名に対して一名の研修医を採ることができるとされているが、これでは大学病院の研修医は足りなくなってしまう。となると、人手不足を補うために三年目以降の医師も終日病棟勤務となり、大学院のための質の高い研究を行うことは難しくなる。今まではある程度分業で行われていたものが、一人で診療、教育、研究を、それぞれグローバルスタンダードにかなうレベルで行うことが求められる。しかし、人手不足の中で実際にはそんなことが可能であろうか。
また、今度のシステムでは、内科をローテートする医師は必ずしも内科医になるとは限らず、最終的に眼科医や耳鼻科医になる者も内科を必ずローテートする。しかし、これでは必ずしもモチベーションの点で満足すべき研修医ばかりが来るわけではなく、従来の研修医の質は保証されない。さらに、スーパーローテートというと聞こえは良いが、小児科や麻酔科をたった二か月程度ローテートしたところでお客さん扱いをされるのが関の山であり、実のある研修ができるとは思えない。もっと卒前教育を充実すれば卒後にスーパーローテートなどをする必要はなくなるはずであり、より効率的な卒後研修を行うことができると思われる。
そこで、三番目なんですが、三番目は独立行政法人化、俗にいう独法化である。国立大学は平成十六年から国立大学法人として独立するが、これに当たって向こう六年間の中期目標、中期計画を立てることが求められている。
その精神は、国立大学の再編・統合を大胆に進める、国立大学に民間的発想の経営手法を導入する、大学に第三者評価による競争原理を導入するということであり、至極もっともなことであり、これは古ぼけた制度が満ち満ちた大学と大赤字に悩む大学病院を改革する好機であるはずである。
しかし、壮大な計画を立てた場合に、もしそれが実現しなかったときのペナルティーを恐れる余り、当初の改革案の内容をできるだけ不明瞭にして、しかも玉虫色にしようとする傾向があちこちの大学で出始めている。まるでどこかの道路公団改善計画のようなものである。これではせっかくの改革の好機を逃してしまうことになる。
いずれにせよ、大学病院、特に国立大学病院には、三重苦に苦しむことになり、その将来は決して明るいとは言えない。正直なところ、眼前の事態に対処するだけで精一杯というのが大学病院に勤務する私を含めた者の実感であろう。どうすればこの事態から脱却できるのか、頭を悩ませている昨今であるという手紙があったんですが、これについて、特に三番目のこの独立行政法人の一番問題になっている部分も含めて、御感想を三人の参考人の方からお聞きをしたいと思います。
この発言だけを見る →今日は、三人の先生方、どうもありがとうございます。
私は、まず佐々木先生に、参考人に、東大の野球部はなぜ弱いかと聞こうかなと思ったんですけれども、今日はテーマが違うものですから、でも、お話しできるだけでも、いい機会を与えていただきました。有馬大先生もいらっしゃいますけれども、現役の総長とお話ができるというのは大変光栄でございます。
いろんな方に今回の問題をお聞きして、今日質問ということで、いろんなテーマをいろんな方にもうお聞きしたんですけれども、時間もそんなにありませんので絞ってお聞きをしたいと思いますけれども、三人の先生方に最終的にお尋ねをしたいと思いますけれども。
問題点というのは割と広がってはいるんですけれども、非常に大事な問題点というのはあると思うんですね。そういう悩みを、実は実際、独立行政法人化した場合とかに非常に各方面の現場の方がいろんな悩みを持たれているということで、私もある大学病院に勤めている先生にちょっとたまたま機会があってお話を聞いたところ、大学病院でも大変な問題になっていると。ある先生が悩みを書いたものがありまして、それを実は今日ちょっと拝借しまして、原文のままちょっと読ませていただいて、それについて御感想をいただきたいと思います。
私も言葉の中にちょっと理解できないところも一杯あるんですけれども、よろしくお願いしたいと思います。ある国立大学に勤務される先生のお話なんですけれども、ちょっとお聞きいただきたいと思います。
大学病院に長年働いてきた私は、その将来に対して大きな危惧の念を抱いています。大学病院の使命としては、一、地域の中核病院としての専門性を有した質の高い医療の提供、二、将来の医療を担う医療従事者の育成、三、臨床医学発展の推進と医療技術水準の向上への貢献の三つが期待をされている。
しかし、これを本当に実現するためには、マンパワー、資金などの点で大きなハードルが存在している。また、平成十五年四月からは医療費の包括評価、平成十六年からは卒後研修必修化、さらに国立大学には独立行政法人化という大きな課題が待ち受けている。
まず、この一点目ですけれども、これは本当に関係あるかどうか分かりませんけれども。
まず、医療費の包括評価であるが、これは一口で言えば、ある病名が決まれば、どのような診療をしようとも、また何日入院しようとも病院側に対する支払は一定となるという仕組みである。主病名ごとに平均入院期間が決まっており、この二五パーセンタイルより短ければ医療機関に支払われる医療費は一五%増しとなり、逆に二五パーセンタイルより長ければ一五%減となる。これは、従来の出来高払の仕組みでは医療費の高騰を抑制することができないことから取られた施策である。
今回対象となっているのは特定機能病院、すなわち大学病院の本院と国立がんセンター、国立循環器センターなどの全国八十二病院である。しかし、実際にはいまだ細目に関する検討は不十分のままに見切り発車したというのが正直なところであり、現場では少なからず混乱が生じている。
この制度は、クリニカルパスのでき上がっている疾患に対しては余り問題が起こらない。しかし、関節リューマチや全身性エリテマトーデスのようないわゆる難病は多臓器にわたる合併症を有しやすいこと、免疫抑制療法によって日和見感染症などの有害事象が起こりやすいことなどの理由から臨床経過を予測することは難しく、クリニカルパスを適用することは困難である。さらに、昨今、大学病院に紹介される症例は様々なリスクファクターを有する難治例が増えており、膠原病や血液疾患を扱う診療科の在院日数の短縮はますます困難となっている。包括評価がいずれ一般病院に及べば、医療費が掛かり在院日数も長くなることが予測される難治性症例はますます大学病院へと紹介されることになり、大学病院の財政基盤は更に脆弱なものとなる。
次、二番目ですが、次は卒後研修必修化である。このシステムでは入院患者百名に対して一名の研修医を採ることができるとされているが、これでは大学病院の研修医は足りなくなってしまう。となると、人手不足を補うために三年目以降の医師も終日病棟勤務となり、大学院のための質の高い研究を行うことは難しくなる。今まではある程度分業で行われていたものが、一人で診療、教育、研究を、それぞれグローバルスタンダードにかなうレベルで行うことが求められる。しかし、人手不足の中で実際にはそんなことが可能であろうか。
また、今度のシステムでは、内科をローテートする医師は必ずしも内科医になるとは限らず、最終的に眼科医や耳鼻科医になる者も内科を必ずローテートする。しかし、これでは必ずしもモチベーションの点で満足すべき研修医ばかりが来るわけではなく、従来の研修医の質は保証されない。さらに、スーパーローテートというと聞こえは良いが、小児科や麻酔科をたった二か月程度ローテートしたところでお客さん扱いをされるのが関の山であり、実のある研修ができるとは思えない。もっと卒前教育を充実すれば卒後にスーパーローテートなどをする必要はなくなるはずであり、より効率的な卒後研修を行うことができると思われる。
そこで、三番目なんですが、三番目は独立行政法人化、俗にいう独法化である。国立大学は平成十六年から国立大学法人として独立するが、これに当たって向こう六年間の中期目標、中期計画を立てることが求められている。
その精神は、国立大学の再編・統合を大胆に進める、国立大学に民間的発想の経営手法を導入する、大学に第三者評価による競争原理を導入するということであり、至極もっともなことであり、これは古ぼけた制度が満ち満ちた大学と大赤字に悩む大学病院を改革する好機であるはずである。
しかし、壮大な計画を立てた場合に、もしそれが実現しなかったときのペナルティーを恐れる余り、当初の改革案の内容をできるだけ不明瞭にして、しかも玉虫色にしようとする傾向があちこちの大学で出始めている。まるでどこかの道路公団改善計画のようなものである。これではせっかくの改革の好機を逃してしまうことになる。
いずれにせよ、大学病院、特に国立大学病院には、三重苦に苦しむことになり、その将来は決して明るいとは言えない。正直なところ、眼前の事態に対処するだけで精一杯というのが大学病院に勤務する私を含めた者の実感であろう。どうすればこの事態から脱却できるのか、頭を悩ませている昨今であるという手紙があったんですが、これについて、特に三番目のこの独立行政法人の一番問題になっている部分も含めて、御感想を三人の参考人の方からお聞きをしたいと思います。
佐
佐々木毅#28
○参考人(佐々木毅君) 今、江本議員がおっしゃられた実感というのは、かなり共有、幅広く共有されているものではないかと、私も細かいことは存じませんけれども、そのような印象を持ちました。
今度、法人化するという際には、我々は膨大な有利子負債をしょって法人化すると。特に、病院関係の建設に充てられた費用は大学側が今度はそれを引き受けるということになるわけでございまして、ちょっと見ただけでも余り気持ちのいいものではないということで、そういうこともございます。
ですから、現下の問題のみならず、過去の問題がいろいろございますもので、その中期目標、中期計画の書き方等についてはややその種の議論があるということは私も仄聞しているところでございます。
我々の大学はこれから作成するものですから、また今日の御議論を聞いた上でいろいろ考えさせていただきたいと思います。
この発言だけを見る →今度、法人化するという際には、我々は膨大な有利子負債をしょって法人化すると。特に、病院関係の建設に充てられた費用は大学側が今度はそれを引き受けるということになるわけでございまして、ちょっと見ただけでも余り気持ちのいいものではないということで、そういうこともございます。
ですから、現下の問題のみならず、過去の問題がいろいろございますもので、その中期目標、中期計画の書き方等についてはややその種の議論があるということは私も仄聞しているところでございます。
我々の大学はこれから作成するものですから、また今日の御議論を聞いた上でいろいろ考えさせていただきたいと思います。
小
小野善康#29
○参考人(小野善康君) 先ほど私申し上げましたように、要するにその分野では私は全くの素人なので、素人としての発言だということをまず言わせていただきます。
似ているなという感想を持ったのは、要するに、先ほど申し上げたように、中期目標、中期計画というのを設定して、それを実現するというふうになった途端に、いかにそれを実質のないものにするかという努力をするわけです。それは別にその人が悪いわけじゃないわけで、そういうインセンティブメカニズムを設計されているということなので、是非これはやめてほしいということなのであります。
それからもう一つは、収益ということ。特に学外の経営なんかに携わるような方が理事で入ってくるということでしょうから、そうなると、しかも数字で、例えばこの大学はこれだけの赤字を抱えているというようなことを言われると。そうすると、収益性が低いところは切捨てということになると。それも先ほど指摘したこととつながると思います。
この発言だけを見る →似ているなという感想を持ったのは、要するに、先ほど申し上げたように、中期目標、中期計画というのを設定して、それを実現するというふうになった途端に、いかにそれを実質のないものにするかという努力をするわけです。それは別にその人が悪いわけじゃないわけで、そういうインセンティブメカニズムを設計されているということなので、是非これはやめてほしいということなのであります。
それからもう一つは、収益ということ。特に学外の経営なんかに携わるような方が理事で入ってくるということでしょうから、そうなると、しかも数字で、例えばこの大学はこれだけの赤字を抱えているというようなことを言われると。そうすると、収益性が低いところは切捨てということになると。それも先ほど指摘したこととつながると思います。