武見敬三の発言 (予算委員会)
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○武見敬三君 イラクにおける戦局というものも、いよいよバグダッドに百キロまで米英軍が近づき、緊迫した状況が続いていることは周知の事実であります。我が国が、これまで国際協調という原則の下で国連を通じて、このイラクの有すると大変深刻な疑惑の対象になっております大量破壊兵器のこの拡散の問題について、国際協調を原則としてこれに取り組んできたということは、これは我が国の基本姿勢でありましたが、しかし残念ながら、こうした武力を行使しなければ解決できぬ局面に立ち至りました。
その際、我が国は米国の同盟国として、そしてまた九・一一のあの壮絶なテロリズムの後、新たに国際社会にとって共通の脅威となったこのテロリズムと大量破壊兵器というこの二つの問題について、それを深刻に受け止めて、米国のイラク攻撃というものについて万やむを得ぬものとして、これに明確に支持を表明されたことは、私は小泉総理大臣の見識であったと思います。
私は、この点について強く総理の立場をまず支持するということをはっきりとここで申し上げておきたいと思うわけであります。
しかしながら、国民の約七割がやはり米国のイラク攻撃に対してこれに反対をしている。そしてまた、政府のこの支持表明に対しても五割ほどがやはり反対表明をしている。これもまた事実であります。私自身は、やはりこうした国民の紛争を解決するに際して武力を行使することに対しては非常に否定的な立場、そしてまたこうした戦争を嫌悪する国民感情というものは、やはりしっかりと受け止めて、これは尊重しなければならぬものと考えます。
やはり、この際、国民が、こぞって戦争をやれやれというような国民が大多数であったとすれば、むしろそちらの方が心配でありまして、やはりこうした戦争を嫌悪する国民感情というものは健全なものとして私は受け止めなければならないだろうと思います。
しかし、そうであったとしても、やはり政府としては決断しなければならないときは決断をしなければならない。しかし、その決断はそのために極めて苦しい決断になるということは、戦後の我が国の安全保障にかかわるそうした決断を歴代の総理がされるときに常に味わった苦渋の決断でございます。
サンフランシスコ講和会議が一九五一年九月八日、その講和条約を調印したその直後に我が国は日米安保条約の調印をいたしました。その際、この日米安保条約の調印に際しては、当時の吉田茂総理大臣は一人でその署名を行い、関係閣僚を含め随行はあえてこの署名はさせずに、自ら一人でその責任を負ったわけであります。その責任の取り方というものは、正に、その時点では国民の評価がなかなか得にくいにもかかわらず、我が国の戦後の復興とその経済の再構築を考えるときにしなければならない決断であり、その評価は歴史を待つという立場で、自らその責任をその時点で一身に負うことを自ら示したがためのその一人での署名であったと思います。その際、羽田に帰国をして、そして沿道で日の丸の小旗を振り掲げをしているその国民の人たちを見て、車中で吉田茂は目に涙を一杯ためていたそうであります。当時随行していたお身内の方からその話を承ったことがあります。
極めて苦しい決断というものを内閣総理大臣というのはしなければならない。私は、その心中お察しすると同時に、しかし、総理の決断は正しかったということを私は申し上げておきたいと思います。
そして、このやはり問題を考えるときに、国際協調と原則であるとか日米同盟といったようなことが言われますが、その本質は、やはり我が国の国民の生命と財産という我が国自身にとっての安全保障という視点から、このイラクの問題というものがどのように位置付けられるかという基本認識というものがまず一番最初に求められることではないかと思います。
その点、まず総理に、我が国にとってのその基本的な安全保障という立場から、このイラクの今回の問題についてどのような御認識を持っておられるのかということをお伺いさせていただきたいと思います。