福島豊の発言 (憲法調査会)
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○福島委員 自由討議ということでありますので、私は、社会保障制度と憲法という視点で発言をさせていただきたいと思っております。
日本国憲法におきましては、第二十五条で、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定されております。この条文は、前段の健康で文化的な最低限度の生活が国民の権利として規定されているということ、そして後段におきまして、社会福祉、社会保障、公衆衛生、これが同列に取り扱われ、その向上と増進に対する国の責務が規定されているという特徴がある、そのように思います。
当憲法調査会におきましても、中間報告書を拝見させていただきましたが、生存権についてさまざまな意見が現在までに提出されております。国家の生存権の保障のあり方、福祉国家のあり方、国家の保障と社会保険による共助の関係をどう整理するのかなどの指摘がなされているわけでございます。
実態として、日本における社会保障制度は、憲法制定当時から大きく発展をいたしました。医療制度に関しては、国民皆保険制度を実現し、その給付の充実が図られてきたわけであります。年金制度におきましても、国民皆年金制度の実現等その給付の充実が図られました。また、平成十二年からは介護保険制度が導入され、高齢者の介護についても社会保険方式での給付の充実が図られるとなったわけでございます。世界におきましても最も充実した社会保障制度を構築した国の一つであると指摘できると思います。
こうした制度の充実によりまして、現在の社会保障給付費は八十兆円を超え、昭和二十五年の一千億円に比較しますと、名目では八百倍、国民所得に対しての比率は、昭和二十五年の一〇%弱から現在の二〇%を超える水準へと倍増いたしております。そして、高齢化の進行とともに、さらにこの規模が増大するということは明らかであります。
一方では、このような社会保障給付を支える財源をどうするのか。先ほども古屋幹事から国民負担率の問題が指摘をされました。累積する公的債務のもとで財政健全化を図らなければならない、これは我が国にとりまして最重要な課題の一つでございますけれども、そうした視点からもこのような問題にどう対応するのかということを今検討しなければならないわけでございます。制度としての社会保障制度の充実と、二十一世紀の高齢化の進行の中でその抱える課題、こうした二つの側面があると思います。
一方で、憲法としてどうなのか、憲法として規定をどうするのかということを考えたときに、憲法制定当時と大きく異なった現在の社会保障制度をこの憲法二十五条の規定とどのように対応させていくのかということが極めて大切な課題であるというふうに思っておりますし、そのような視点から、憲法の改正の議論の中におきましても、大切な項目として検討を進めさせていただきたいと思っております。
ここから私の私見を述べさせていただきます。
このような視点から考えますと、二十五条の前段と後段、これを政策的にどのような性格のものとして位置づけるのかという議論がまずあるのではないかと思っております。前段の「健康で文化的な最低限度の生活」、この規定は生存権とも言われておりますけれども、ナショナルミニマムとしての公的扶助、生活保護の制度を導き出す規定というふうにとらえることができるのではないかと思います。そしてまた後段につきましては、より広範な給付を想定する社会保障制度を導き出す規定とする、このような整理ができるのではないかと私は思っております。
そしてまたこの二つは、それぞれの財政的な裏づけということを考えたときに、前段の公的扶助につきましては、国民の権利として基本的に位置づけられるということにかんがみて、租税をもってその財源として位置づけることができる。そして後段の社会保障制度は、共助による制度と位置づけて、社会保険方式による社会保障制度と位置づけることも可能ではないかというふうに思っております。
こうした前段のナショナルミニマムとしての公的扶助、そして後段のより高い給付を想定する社会保障制度、このような立て分けをした上で、より具体的なことを申し上げたいと思っております。
特に、後段につきましては、社会福祉、社会保障そして公衆衛生、この三つのものが同列に並べられているわけでございまして、こうした表現というものが現在の政策体系に照らして果たして適切なのかどうかということを考える必要があります。
とりわけ、社会福祉、社会保障が並べられておりますけれども、この二つの言葉が政策的にどのような異なった政策領域を指しているのか、必ずしも明らかではないわけでございます。現在の政策体系では、社会福祉は広範な政策領域を含んでおります。先ほど前段に位置すると申し上げました公的扶助、また児童福祉、障害者福祉、高齢者福祉など、幅広くその政策領域はわたっております。一方で、また社会保障は、制度としては、年金、医療そして近年では介護もその領域として含まれるようになりました。
こうした政策領域をどう規定するのかという観点から、先ほど申しましたように、この二十五条の後段は、共助による社会保険方式を基礎とする、政策領域を位置づけるという考え方でいけば、共助による社会保障制度として、年金、医療、介護制度、こういうものを後段に位置づけて、そしてその安定した運営を通じて国民生活の安定と向上を図るというような規定に改めるべきではないかと思います。
この場合に、国がどこまで関与するのか、そしてまた共助としての社会保障制度の水準というものはいかにあるべきか。こうしたことは直ちに憲法の条文に反映するわけではないと私は思いますけれども、十分な議論が必要であろうというふうに思っております。
そうしますと、社会福祉ということで盛り込まれた政策領域はどういうふうな扱いになるのかということがあろうかというふうに思っております。私は、ここのところは大幅に条文をふやすべきではないかというふうに個人的には思っております。例えば、児童福祉については、よりこれを広範に、次世代の育成、次世代を健全に育成していく、これは国家として極めて大切な営みでございます。そうした新しい条文を設ける。国は次世代育成のために、教育、福祉などさまざまな施策を通じてそれを行うというような規定も考えられるのではないかと思っております。
二十六条には教育に関しての規定がございますけれども、教育というのは、生涯教育という言葉もありますように、これは必ずしも次世代の育成だけにかかわる話ではありません。ですから、それとは別の視線で次世代の育成ということを、国家がこれを推し進めるというような観点もあるのではないかというふうに思っております。
また、障害者の福祉はどうするんだということを考えたときに、日本国憲法については、障害者について直接的に規定した条文というものはないわけでございます。基本的人権には、国民は法のもとに平等であるということが書かれておりますけれども、そこにある言葉の中には、障害の有無という言葉が入っておりません。こうしたことを考えたときに、障害者の平等と社会参加、差別の禁止を明確にするという規定を憲法の中に置くということも一つの考え方ではないか、そのように思っております。
こうした規定を置くことによって、二十五条の後段に社会福祉と簡単に書かれておりますことを、より現在の政策体系とも照応する形で進んだ内容にすることができるのではないかと思っております。
また、公衆衛生でございますが、これは、社会保障制度が憲法制定当時と大きく変わったように、現在はその当時と大きく変わっているということも事実であると思っております。生命の安全という視点や健康の確保という観点からは、より広く環境の安全、例えば、空気や水、土壌の安全といった環境全般の安全性の確保、そしてまた食品の安全といった領域も視野に入れなければならない時代となったのではないかと私は思います。そうした観点から、公衆衛生は第二十五条から外し、環境権を定める条文の新設とともに、安全な空気や水、土壌を確保し健康を維持する権利と国の責務、また食品の安全を確保する国の責務、こういった新しい規定を設けるということも一つの考え方ではないかと思います。
こうした現在の社会保障制度そしてまた公衆衛生、幅広く言えば生命の安全を守るさまざまな政策体系、こういうものに照応した形で二十五条の中身というものを見直し、より拡充した形で憲法の中に規定すべきである、このことを私の個人的な意見として申し上げまして、陳述を終わります。
ありがとうございました。(拍手)