松本剛明の発言 (憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会)

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○松本(剛)小委員 民主党の松本剛明でございます。この憲法調査会、初めて参加をさせていただきますので、諸先生方の御指導よろしくお願いをいたします。
 きょうは、安全保障及び国際協力等に関する件、憲法九条、特に自衛隊のイラク派遣並びに集団的安全保障及び集団的自衛権ということでテーマをいただきましたので、このテーマに沿って発言をさせていただきたいと思います。
 まず、改めて委員各位に法治、法律によって治める法治ということを考えていただきたい、このように思っております。
 法治という言葉は、さかのぼれば、孔子の徳治主義に対して韓非子の法治主義までさかのぼっていくわけであります。このころは一人の為政者、王が政治をするという前提に立って、孔子の性善説に基づく有徳の君主、為政者が徳を持ってという徳治主義に対して、やや否定的なイメージが伴いますが、韓非子の性悪説に基づく法治主義というのが唱えられたわけでありますが、今と国家の体制が全く異なるということを考えれば、このことはひとつおいて、先へ進んでいきたいというふうに思います。
 そして、近代国家に至っては、法治主義というのは王の統治権の絶対性を否定して、法に準拠する政治を主張する、国民の意思によって制定された法に基づいて国家権力を行使する、こういう制度のことを指してくるわけであります。このことは、まさに王の統治権の絶対性を否定しという言葉の中に隠れているように、極めて恣意的なことが行われないようにということが含まれているというふうに理解をいたします。
 そして、私たち今の近代的な民主国家では、政治はもちろん時代の要請にこたえて事に当たっていかなければいけないわけでありますが、私たちには、立法権ということで、このいろいろな事態を想定して法を定める、どんな法でも解釈というのがありますから、この解釈をどう解するかというふうなことがまた一点ありますけれども、この法を定める権限を与えられているわけでありまして、事に当たっては、そのときには法の範囲で行うということになっている、これが法治ということで、事態に対応するために法を飛び越えて行われるべきではないというふうなことをまず申し上げたいと思います。
 この法治を行うことによって、原理原則が貫かれ、また、予測可能性や平等性が確保されたり、歯どめとなるということを念頭に置いて、以下お話をさせていただきたいと思います。
 このイラクについてでありますが、国際法上から見たイラク戦争の大義ということについてお話をさせていただきたいと思います。
 これについては、日本国憲法そして九条は、国連の構築を予定していた集団安全保障の体制を一つの与件として、そしてそういった国際社会の法治の方向を目指すべきであるということを前提に組み立てられていると思うからこそ、このイラクについても改めて吟味をする必要があるというふうに思っております。憲法九条に「正義と秩序を基調とする国際平和」ということを書いてある中にもそのことが認められるのではないかというふうに思います。
 ですから、よく議論の中で、サダム・フセインに問題があるのだから、こうなるわけでありますが、ここから一挙にイラク攻撃が認められるかどうかというのは大変短絡的、感情的な議論だというふうに申し上げなくてはならないと思います。国内の法によって違法である、法を犯したというふうに認められた場合でも、そのまま制裁が加えられるわけではなく、やはり裁判といった手続を通して行われるということと同じように法治ということを考えた場合に、そこをきちっと押さえる必要があるというふうに思っております。
 また、既に復興の段階に入っており、自衛隊の本隊も現地に到着をしている中で議論をしても仕方がないという乱暴な論法もありますけれども、当調査会、小委員会においてはそんな議論はないと思います。また、日本人の底流には、あきらめの観、諦観があるとよく言われておりますが、やはりこのイラク戦争に大義があったのかどうかというのは、今の、そしてまた今後のためにもしっかり検証されるべきことであるというふうに思っております。
 既に今御意見の開陳がありましたので重複は避けていきたいと思いますが、今回のイラク攻撃の武力行使、これは、そもそも今の国際法では自衛権の発動と国連の決議による以外の武力行使が認められていない中で、どちらに当たるのかということであります。
 国連安保理決議、もうたびたび繰り返されておりますが、一四四一、六七八、六八七で読めるかどうかというのは大変議論があるところでありますが、武力行使といういわば最終的な手段を使うに当たって、これだけ議論が分かれる中で、国際的に認められた形での武力行使だというのは大変言いにくいのではないかということをまず申し上げたいと思います。
 また、ブッシュ・ドクトリンと言われる、先制攻撃という形でのいわば自衛権の発動だという考え方もあるように思いますが、今の国際法では先制攻撃というのが自衛というふうに認められるとはとても思えません。先ほど申し上げたように、国際法の法治という観点からいけば、国際法の中で議論を積み重ねて、先制攻撃、特にテロといった新しい形に対しては新たな対応が必要であるという意見は全く私も否定をするものではありませんが、きちっとした国際法の中で認められる形を組み上げた上でなければ、先制攻撃という形が認められるとは思いません。
 そして、申し上げるまでもないことですが、もし認められるとしても、戦争はできる限り避けなければならないわけでありまして、ぎりぎりの要件が恐らく定められるだろうというふうに思います。
 今回、大量破壊兵器の問題が大きく取り上げられております。自衛権の主張の根拠として大量破壊兵器の脅威が挙げられているのではないかというふうに私は思いますが、先ほど申し上げたようにぎりぎりまで戦争を避けなければならないということを考えると、今回のように情報操作がもしあったとすればもちろん論外でありますが、査察継続による解決も可能ではないかという意見があった中で、いわば見切り発車のように強行したということを考えれば、大量破壊兵器のその存否を含めてしっかりと検証され、また結果の責任が問われなければいけない、このような問題であるというふうに考えております。
 次に、自衛隊のイラクの派遣について、憲法との関係で申し上げたいと思いますが、このイラク特措法については、お配りになられている資料にもありますように、非戦闘地域概念を初めとして、武器弾薬の輸送と武力行使との一体化、武器使用基準、占領行政参加と交戦権否認、先ほどもそれぞれについて中谷委員からのお話がありましたけれども、時間に限りがありますので、非戦闘地域概念によることについてだけ申し上げてまいりたいと思います。
 この非戦闘地域といった概念を設けて線引きをしたりすることは、大変もう限界に来ているというふうに感じております。これは、これまでの後方支援といった線引きもかなり無理があったと思いますが、さらに今回の非戦闘地域の概念というのは大変無理があるように感じます。
 例えば、今回のことであれば、テロに対する掃討作戦、これが戦闘に当たるのかどうかといったようなことも議論をされたわけでありますが、答えが出ませんでした。
 若干引用をさせていただきたいと思いますが、去る一月三十日、石破防衛庁長官と私が議論をさせていただいたんですが、まず石破防衛庁長官から、「テロというものは、国際紛争を解決するための武力行使あるいはその武力を行使する憲法九条に言うがところの主体とは考えておりません。」というような答えがありました。その後、私は、米軍等が行うテロに対する掃討作戦は戦闘であるのかないのかということをお尋ねさせていただきましたら、石破防衛庁長官の答えは、「我々が活動する地域は非戦闘地域でなければならない」、このような答えでありました。
 私がお尋ねをさせていただいたことに対して、突如として、自衛隊が行くところは非戦闘地域である、こういう御答弁になってしまう。この一点を見ても、この非戦闘地域概念というものには相当無理があるということを申し上げられると思います。
 そして、今申し上げた、あとの三点の論点に関しても、今お話がありましたけれども、現実に、自衛隊が自己完結的な存在として海外に派遣をされるに当たっては、さまざまな課題を生じているということも指摘をさせていただかなければいけません。
 また、このイラクへの自衛隊派遣に関しては、人道復興支援が大変大きく取り上げられるような形でお話がなされることが多いわけでありますが、もう一つの柱として、安全確保支援活動ということで、米英等連合軍の後方支援をされておられるわけであります。
 この後方支援についても、今回のような形の後方支援というものの憲法上の位置づけ、そして憲法に反しない範囲で行うということの安全確保支援活動の意義といったことについても、ぜひ御議論をいただきたい、問題提起をさせていただきたいと思います。
 後ほど申し上げさせていただくことと重複をしますが、こういった課題を取り上げていくと、今の憲法九条の合憲性というものを武力の行使といった概念、基準から見るだけで判断をしていいのか、国連を中心とする国際協力といった目的から判断をする余地はないのかということが、議論の余地が出てくるのではないかというふうに思っております。
 続いて、集団安全保障について申し上げたいと思います。
 私たち民主党は、理想からかけ離れた部分もある国連の現実はしっかりと直視をしていきたいと思っておりますが、この活動の実践を通していきながら、憲章が規定をする理想の姿にどのようにしたら近づけるのか、そんな努力を積み重ね、理想の姿に近づいていく道を選択すべきである、このように考えております。
 国連軍については、一たん断念をされたというふうにも解することができるわけでありますが、あえて含めれば、国連軍、多国籍軍、そして平和維持活動を含む集団安全保障活動に広く参加することは、現行の憲法の解釈では著しく難しい点があり、制度的枠組みの改革が必要であるというふうに私たちは考えております。
 これまで我が国が参加してきた平和維持活動を直ちに違憲であるというふうに申し上げているわけではありませんけれども、後方支援との線引きなどの問題というのは、やはり依然として問題が残っておるというふうに思っております。
 しかし一方で、私たちは、国連に加わるに当たっては、この憲章に対して何ら留保をつけることなく国連に加わっているということも大変大きなポイントであろうというふうに思っており、冒頭申し上げたように、集団安全保障に対しては積極的にぜひ参加をすべきものである、これが先ほど申し上げた政治の姿勢であるというふうに思います。そして、そのために、この法治を行っていくに当たっては、どのような立法ないしは私たちの行動が今必要なのかということが問われているのではないかというふうに思います。
 その方向として私たちが考えられると思っておりますのは、先ほど申し上げたように、集団安全保障活動というのは、この九条の枠外だと考えることができるのではないか。武力行使を基準とする解釈に加えて、新たに目的を基準とする合憲性の判断という基準があってもいいのではないかということが一つ考えられると思います。
 また、憲法との整理をしていくことが必要でありますが、間をつなぐものとして基本法を制定するという考え方もあるのではないかというふうに思っております。これは、昨年の有事法制の議論の中でも私ども主張をさせていただき、与党との間でもお話を進めなくてはいけない課題でありますが、基本法制定というのも一つの、国民にとってもわかりやすい、そして法治の精神を生かした考え方ではないかというふうに思います。
 三つ目としては、憲法改正という考え方も当然認められてくるというふうに思っております。
 今申し上げたような幾つかの考え方、例えば解釈についても、解釈がこのようにされるということと、また望ましい形ということの考え方というのはあろうかというふうに思います。わかりやすい、望ましい形が憲法改正であるという意見が大変多くある部分については、私も同様に感ずる部分もあるわけでありますが、最初に申し上げたように、政治は今の課題にこたえていかねばなりませんし、また、これから先の課題を想定してこたえていかなければならないときに、どのような選択をするかということが私たちに課せられた課題ではないかというふうに思っております。
 一点、先ほどの目的との関連で申し上げれば、憲法を制定した当時というのは敵国条項があったという国連憲章にかんがみても、私たち日本の国というのは国連の、いわばプレーヤーとしては恐らく想定をされていなかったのではないかということは申し上げられるのではないか。今、日本の国際社会の中に置かれている立場というのを考えたときには、その部分を踏まえて検討する余地があるというふうに思っております。
 集団的自衛権について意見を申し述べさせていただきます。
 この集団的自衛権を考えるときに、やはり政治の立場からは、日米安保というのが現在のような非対称的な形でいいのかどうかということも考える余地があると思います。そもそものスタート時点から、日本が負担をし得る範囲というのが変わってきている中では、望ましい分担はどうあるのか、そして、それに合った形での法整備はどういうことなのかということを私たちは、これは憲法も含めてということですが、検討する責務があるというふうに思っております。
 また、我が国の安全にとって、先ほど申し上げたように、国連による集団安全保障を理想に近づけることはもちろん目指していくわけでありますが、太平洋、東アジアを中心にいろいろな安全保障の網を設けていくということも政策の選択肢として考えられると思っております。
 その際に、集団自衛権が行使できないという現行の解釈というのが、我が国にとっての安全のための選択の範囲を狭めたり、外交交渉上の足かせとなる可能性はないのかどうかということも政治の責務として考えていく必要があると思います。そして、政治の課題がそのようにあるとすれば、今度は法治の立場から憲法そして法律をどのように考えるかということを、私たちはその責務を果たしていかなければいけないというふうに思っております。
 そこで、若干議論のあるところであろうと思いますが、まず、我が国の集団的自衛権でありますが、先ほどもありましたが、我が国は国際法上有しているが憲法上行使できないというふうに書いてあるわけでありますが、それでは、憲法上有しているのかどうかということも一つ確認をしておく必要があろうというふうに思います。そして、憲法上有しているとすれば、行使できないということはどのような論理的帰結として導かれるのかということも改めて確認の必要があると私は思っております。
 ちなみに、自衛権というものはどのような論法で認められているかということを考えますと、すべての独立国は当然に自衛権を保有する、そして憲法はこれを否定していない、それゆえに現行の憲法下では日本は自衛権を有する、こういう論法で来ているわけであります。これをそのまま当てはめますと、集団的自衛権も固有の権利だ、ここについては若干議論があるようでありますが、固有の権利だとすれば、今と全く同じ論法が成立するということになってまいります。
 また、首相を経験された中曽根康弘先生や宮沢喜一先生も、一〇〇%集団的自衛権を否定しているとは思えない発言をされておられるということもございます。
 また、我が国を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解されるから、集団的自衛権は行使をできないというふうに言われているわけでありますが、集団的自衛権の行使というのがすべて我が国を防衛するための必要最小限度の範囲を超えるのかといったことについても議論が必要であろうというふうに思っております。
 既に一部で議論が始まっていますが、弾道ミサイル防衛なども、私たちは専守防衛の精神に合致するものと思っておりますが、集団自衛権の行使に当たるかどうかを全く議論する必要がないということにはならないのではないか、このように思っております。
 一つ御紹介をさせていただきたいと思いますが、九九年の四月一日、現在の安倍自民党幹事長の質問に対して当時の高村大臣がお答えになった答弁があるんです。少し複雑な文章ですが、「集団的自衛権の概念は、その成立の経緯から見て、実力の行使を中核とした概念であることは疑いないわけでありまして、また、我が国の憲法上禁止されている集団的自衛権の行使が我が国による実力の行使を意味することは、政府が一貫して説明してきたところでございます。」この文章を読みますと、中核の部分は否定をしておりますが、集団的自衛権を全面的に否定したというふうには読めないようにもあるわけでありまして、この辺を含めて、改めて私たちも集団的自衛権の問題と正面から取り組んでまいりたいというふうに思っております。
 集団安全保障と集団的自衛権の関係についても整理が必要であります。また、両者については相反をするものといったような考え方もあるようでありますが、先ほど申し上げたように、私は、集団的自衛権は主権国固有の権利であると考えるべきではないかと思いますし、また、例えば経済の分野でのWTOとFTAのように、バイとマルチ、両方ともが並行して動かしていくということも考えられるのではないかというふうに思っております。
 この法治といったものを近代国家においてしっかり実現をしていくために、この憲法調査会での議論は大変意義深いものだと思いますし、私としても、この進展を大いに期待をさせていただきたいと思っております。
 結びに、この九条、今申し上げたように、さまざま私ども取り組むべきところがあろうと思いますが、高い理想を持つ、そしてまた歯どめとして大きな役割を果たしてきたこの九条の使命がしっかり果たされる、このことは受け継いでいきながら考えていきたいということを申し上げて、私の意見とさせていただきます。
 ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 松本剛明

speaker_id: 31918

日付: 2004-02-05

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会