小針司の発言 (憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会)

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○小針参考人 それでは、私の方から陳述いたします。
 皆さんのお手元には私のレジュメが行き届いているかと思いますけれども、それを確認していただきたいと思います。
 まず、はじめにということでありますけれども、明治憲法と現行憲法の対比ということで、明治憲法と現行憲法における非常事態法制、どう違うのかというふうな点について簡単に触れておきたいと思います。
 まず、明治憲法についてですけれども、明治憲法におきましては、御存じのように、憲法典上、四カ条にわたる非常事態、以下、文脈に応じまして有事と言う場合もございます、に関する規定を設けていたわけであります。八条、十四条、三十一条それから七十条がそれであります。
 また、緊急命令権と緊急財政処分の帝国議会に係る要件上の違いも認められますので、それにつきましては、簡単ながら、レジュメの方を参照していただければと思います。
 明治憲法の特色につき触れますと、十四条の戒厳大権以外にも、三十一条に非常大権が規定されておりまして、しかも、極めて包括的であって、非常事態対処への強い傾斜が見られます。
 これに対しまして、現行憲法につきましては、憲法典上、少なくとも明治憲法的な非常事態の規定は見られません。ただ、その五十四条二項におきましては参議院緊急集会の定めが見られますけれども、これは一時的に国会の機能を参議院に代行させるものでありまして、参議院に国会を超えた非常事態に対する特別な権限を認めたものとは解しがたいわけであります。
 その意味で、現行憲法は、明治憲法に比べまして、非常事態に対しては、極めて謙抑的であり、沈黙しているとすら言えるわけであります。なお、このたび、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律、以下国民保護法案と言うことにいたしますけれども、これは、本則百九十四条、附則十七条から成る大部な法案ができ上がっております。
 現行憲法が、今申し上げましたように、非常事態に対して特別な措置規定というものは持っていないということがどんなことを意味するかという点につきましては、今問題になっております非常事態、有事法制が憲法典上明文の根拠規範に依拠することなく専ら立法権行使の所産にとどまることを意味するというふうに私は解しております。このようにして、非常事態法制の憲法上の根拠をめぐる問題、すなわち、非常事態の一言をもって何ゆえに平時、通常時とは異なる国会制定法上の法制、人権に関連づけていいますと、平時を超えた厳しい人権制限に国民は服さなければならないのか、こういった問題が常に存在し続けることになろうかと思います。
 端的に申し上げまして、平時と有事における法制の異質性はどこに存在するのかというふうに問われるならば、差し当たり私は、一つの例えでありますけれども、赤信号でとまるのが平時、赤信号でも渡るのが有事であるというふうに答えておきたいと思います。
 あとは、平時から有事への移行プロセス、それから有事の状態、有事から平時へのまたこれは回帰のプロセス、そういうふうなプロセス的な思考というものについてもここに触れておきました。
 それから、有事における法関係というものが、では、有事が終わって平時に戻ったならば直ちにそれで速やかに消滅するのかというと、必ずしもそうではないのではないかというようなところがなきにしもあらずであります。
 私がいただいた衆議院の憲法資料集の第四十五号に「非常事態と憲法(国民保護法制を含む)に関する基礎的資料」というのがございますけれども、その二十九ページなどを見ましても、イギリスの例を取り上げまして、防衛に関する緊急事態法は、第二次世界大戦後廃止されたけれども、一九四〇年緊急権法に基づき制定された防衛令、ディフェンスレギュレーションズの一部が、一九六四年緊急権法の中に組み入れられたというふうなことも語られております。ですから、緊急事態法制というものが、緊急事態がやめば直ちに消滅するかどうなのか、そこらあたりが一つの問題点になろうかと思います。
 それから、事例考察ということで、現行憲法が一体非常事態に遭遇したことはないのかどうかという点につきまして、簡単ながら、これはちょっと違った文脈かもしれませんけれども、占領統治というものをちょっと取り上げまして、触れてございます。
 それで、占領統治下における現行憲法のありようというものを考えた場合に、ポツダム緊急勅令というものの存在を無視することはできないわけです。占領統治というのは、要するに、我が国の対外的独立性という意味での主権の喪失、すなわち終戦後の占領であったわけです。この終戦後占領期間中にポツダム緊急勅令というものが発せられまして、その罰則委任の包括性が憲法上問題となりまして、当該緊急勅令の違憲性が争われた事件がございました。
 昭和二十七年の四月二十八日、我が国は独立回復したわけですけれども、その翌年の四月八日に、最高裁大法廷は次のように判示したわけです。この勅令、つまりポツダム緊急勅令というのは、連合国最高司令官のなす要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有するものと認めなければならない。こういうことで、占領統治という極めて異常な事態でのことであったわけですけれども、日本の一国の国内法制にあって、国内法としての憲法典の持つ最高法規性にも、ある状況下では限界があることを示唆する点で、このポツダム緊急勅令の持つ問題は興味深い事例だというふうに言えるかと思います。
 次の二番目の方に移りますけれども、非常権とその類型というふうなことについて申し上げておきたいと思います。
 国家緊急権と非常措置権との区別の相対性ということなんですが、非常事態に対処する権限をひとまず非常権と呼びますと、この非常権は超実定法的なそれとしての国家緊急権と、実定法的なそれとしての非常措置権との二つに二分されるわけです。ただ、この区分は相対的なものにすぎません。例えば、よく耳にする戒厳も、実定法化されなければ、これは超実定法的非常権、つまり国家緊急権の一つということになろうし、実定法をもって定めれば、これは非常措置権の一つとされるからであります。
 さて、憲法典の、ないしは、もう少し正確に言うと憲法典の効力の停止という憲法典の効力の視点から非常事態のありようを眺めてみることにしたいと思います。
 まず、憲法典の効力の停止ということなんでありますけれども、そもそも通常法の効力の停止というのは何であるかといえば、私なりに解釈いたしますと、不特定多数のケースに対する通常法の一般的な不適用を意味するというふうに理解しております。ここに憲法の停止とは、したがって、その妥当領域における憲法典の一般的な不適用を意味するということになります。しかしながら、このような憲法典そのものの停止が果たして法理論的に思考可能なものであるかは、私自身いろいろ考えましたところ、すこぶる疑問であるという結論を得ているところであります。といいますのも、憲法典がおよそ全体として停止されますならば、憲法典にその根拠を置く非常措置権もまた停止してしまうからなわけです。これはまさしく、私なりに名づけたところでありますけれども、憲法典停止のパラドックスと言うべきであろうかと思います。
 したがって、憲法典の停止とはいうものの、実は停止を可能とする非常措置権の根拠規範及びそれと密接にかかわる組織規範、例えば非常措置権の保持者を定める規範は、停止されることなく、依然として一般的に適用され続けると考えなければならないというふうに考えます。
 ところで、比較憲法的に見ていきますと、場所的、時間的に限定された憲法典の停止の例も見られるわけです。その場合、当該場所、時間はおよそ憲法典のらち外に置かれることとなりまして、人権のみならず統治機構の側面においても憲法典とはおよそ無縁の法状況が生ずるというふうに解されます。
 このような規定を盛り込んだ憲法といたしましては、一七九九年の十二月十三日、フランス憲法の九十二条を挙げることができようかと思います。武装反乱または国家の安全を脅かす騒擾がある場合、法律は、時、場所を定めて、憲法の効力、アンピールというふうにこれはなっておりまして、帝国とか支配力となっているんですけれども、私の場合はこれは効力というふうに訳しております、憲法の効力を停止することができるというふうになっているわけです。
 ただ、ここで指摘しておきたいのは、憲法の効力の停止でありますけれども、これはあくまでも時及び所を定めてという限定がなされていることなわけです。その点を指摘しておきたいと思います。
 次に、憲法典そのものというよりも、憲法典列挙条文の停止というところにいきたいと思います。
 ここに憲法典列挙条文の停止というのは何であるかというと、明示の宣言によりまして自己及び他の権限官庁のため、時、所を限りまして、列挙条文の適用を一般的に排除して、もって公権力の制約を排除し、公権力の活動範囲を拡大する作用と解されます。
 通常、これらの条文は人権規定でありますので、結局、これらの人権規定による縛りから公権力を解き放つことを意味する。特定の人権規定の適用が一般的に排除される以上、そこに人権を語ることができない。したがって人権侵害の問題は成立する余地はないというふうに考えられます。
 ただしながら、非常措置権といえども、目的といったようなものがあるわけですので、そういう非常措置権の目的とか、そういったものの縛りというのは、これはあって、公権力に対するそういう縛りによって、これは義務の反射としての反射的利益を個々の国民が受けることが考えられ得るわけです。しかしながら、これはあくまでも義務の反射としての反射利益ですから、権利というふうには言えないわけです。公権力の介入が、要するに非常措置の目的からして抑制を受ける。その結果として規制されない状況が生まれるにとどまるということになろうかと思います。
 列挙条文の停止という形をとっているのが、一九五〇年一月三十一日、プロイセン憲法の百十一条ということになります。紛争または騒擾の場合にということで、公共の安全に対する差し迫った危険があるときは、憲法典の五条等々の条文は、時及び所を限って、その効力を停止することができるというような規定になっております。
 それから、3なんでありますけれども、憲法典上のいかなる条文も停止しないものの、憲法典上の非常措置権によりまして変容をこうむる場合、特に人権の制限の度合いが強くなる場合。これは私が想定したケースでございます。この場合は、人権規定は存続し続けるわけですから、問題は、非常事態に伴う非常措置の要請にどこまで人権が譲歩しなければならないか、こういうことになろうかと思います。
 つまり、互いに対立関係に立つ二つの憲法典上の法益の考量、調整の必要が生ずる。結局、人権規定が停止されることなく、他方で憲法典上の非常措置権が行使される場合には、人権と当該措置権との緊張関係が生じ、究極的には法益考量の問題となりまして、両法益の調整というものが必要となってくる。ただ、人権規定が停止されない以上は、人権はゼロではないわけです。また、この場合、非常事態対処規定が憲法に存在するわけですから、当該対処の憲法典上の根拠問題は成立する余地も、これはないわけです。問題は、いかなる人権がどの程度、非常事態対処のために制限されることとなるのかということになります。憲法典のバランス感覚が鋭く問われるゆえんと言えるでしょう。
 4でありますが、これは、憲法典上、何らの非常事態対処規定を欠くにもかかわらず、非常事態に対処する必要がある場合、現行憲法がこれに該当するのではないかというふうに考えられます。この場合には、非常事態対処の憲法典上の根拠が明文化されていないわけですから、常に対処立法の合憲性が、その憲法典上の根拠も含めて問われることとなるわけです。
 我が国の現行憲法のあり方がこれでありまして、立法権の配分規定である四十一条に立法の根拠を求めることは可能でありますけれども、人権制約の法理は差し当たり公共の福祉に見出すほかないわけです。といたしますと、この公共の福祉は、平時と非常時、有事という、その性質を異にする法状況に応じまして異なる意味内容を持つことになるのではないか。したがって、実質的には二つの相異なる公共の福祉、すなわち平時の公共の福祉と有事の公共の福祉が生じてしまうということになるのではないかというふうに考えます。
 国民保護法案について若干触れさせていただきますと、国民保護法案の四条には次のような規定が見られるわけです。第四条「国民は、この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。」二項「前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。」この規定は、憲法十八条、特にその後段を配慮したものと解されます。すなわち、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」がこれであります。
 あと、違法、免責か権限付与、違法かという点、ちょっと触れたいところもあるわけですけれども、時間の制約もありますので、このあたりは簡単に済ませておきたいと思います。
 実は、イギリスにおいてはマーシャルローというような非常事態の対処法というのがあるわけですけれども、このマーシャルローにおきましては、そこでとられた行為は原則的に違法な行為とされまして、それに対して、いわば免責法を制定することによって責任を免らせるというあり方を採用しているところであります。
 ただ、このような違法免責というようなアプローチ、手法といいましょうか、こういうやり方を現行憲法において採用するということになりますと、例えば、本来であれば憲法十七条におきまして国家賠償請求権が認められる場合であるにもかかわらず、違法免責法、違法に対して免責法が制定されることによって国家賠償請求権というものが結局行使できない、こういう問題が生じるのではないかというふうに私としては考えております。そういうふうな点では、平成十四年に最高裁によって下されました郵便法損害賠償免責・制限規定違憲判決が参考に値するのではないかというふうに考えます。
 そういう視点からいくと、違法免責というような手法というのは、我が国の現行憲法に照らしますと、ちょっと私としてはなじまないというふうに考えております。
 それから、三番目のところですけれども、非常事態と人権保障、そしてゲリラとテロリスト、高度に発達した民主主義国家における人権保障のあり方というふうなことなんですけれども、(1)として、何かちょっとこれは場違いではないかと思われるかもしれませんけれども、輸血による救命は病者・負傷者何人にとっても権利救済となるのか。自己決定とパターナリズムという副題をつけておきました。
 事案は結局どういうことなのかというと、事前説明なく患者の自己決定権を奪い、その宗教上の信念に反してなされた輸血を人権侵害とした最高裁判例というのがあるわけですね。こういった考え方を非常事態に当てはめてみますと、避難者が、自己の主義、信条に反するといたしまして、避難を拒否するような意思決定をする権利というものがそもそも認められるか否か、認められるとすれば、これもまた人格権の一内容をなすものとして尊重されなければならず、その意思を尊重することなく強制的に避難させた場合、果たして人格権侵害を語ることができるのか否か、こういう問題が成立するんじゃないかということであります。
 非常事態時の公権力の避難誘導は何人にとっても救命行為となり、いかなる意味でも権利侵害とならないのか、それとも、ここで死にたいと主張する主義、信条の持ち主にとっては余計なお世話であり、自己の生のあり方に関する自己決定権の侵害となるのか。人権の充満する国家社会における人権保障のあり方の多様かつ複雑な法状況が今日生じているわけです。まさに、非常事態法制はこうした法状況をも踏まえて構築されなければならない。このことを、上記の輸血に絡む損害賠償請求事件の最高裁判所の判例は我々に教えてくれるのではないかというふうに考えております。
 このように、高度に発達した民主主義社会は、討論と合意の政治であるだけに、十分な権利保障がなされる反面、ある種の脆弱さも抱えているということです。
 (2)として、非常事態をもたらすもの、ゲリラ・コマンドーによるゲリラ攻撃とテロリストによるテロリズムというふうなことで、ここでは、第一追加議定書などを取り上げて、ゲリラ・コマンドーとテロリストとの違い、その違いに応じた対応の違いというものについても若干触れてございます。
 簡単に言ってしまえば、ゲリラ・コマンドーというのも、これまた戦闘員の資格というのは一定の要件で認められるわけです。その点についていえば、レジュメの四ページから五ページあたりに1から4ということで、戦闘員としての資格が認められるための要件というものを掲げておきました。1から2、3、4とあるわけですが、ただ、この四つの要件をゲリラ・コマンドーに対してそのまま当てはめようとすると、これは無理であります。ゲリラ戦を展開するということからいたしますと、そのとおり満たすことはできない。
 それで、ゲリラ・コマンドーについて申し上げますと、ゲリラが戦闘員であるための要件といたしましては、二つの要件、つまり、遠方から認識することのできる固着の特殊標識を有すること、それから、公然と武器を携行していることの二要件、この緩和は行われているわけです、第一追加議定書でですね。ただし、部下について責任を負う一人の者が指揮していること、及び、戦争の法規及び慣例に従って行動していることという他の二要件の緩和は認められておりません。
 そういう点からいたしますと、一体テロリストというものがこのような二つの要件を充足することができるのかどうか。仮に、緩和された形でも武器の公然携行を求めるにしても、テロリストに対してこれはそもそも無理ではないかというふうに考えられます。このような二つの緩和された要件を充足するような形でのテロリズムというのはそもそも行いがたいということになりますと、テロリストに対して戦闘員の地位を認めることは元来できないということになります。
 したがって、テロリストは単なる犯罪者と解するほかはありません。よって、国内刑事法をもって処断されるべきということになりまして、この点で、不正規部隊の構成員であるにせよ、戦闘員とされ敵国の権力内に陥った場合に、捕虜として処遇されるゲリラとは決定的に異なると言わなければならないわけであります。
 要するに、原則的には、対テロリズム対処は国内の警察作用、治安維持作用であり、適用法規は国内法であるが、対ゲリラ戦は、不正規戦とはいえ、それが対外的防衛作用である以上、適用法規も、今日、国際人道法とか武力紛争法とか呼ばれておりますけれども、かつての戦時国際法の一内容をなした交戦法規である。このように、彼我の違い、つまり、ゲリラとテロリストとの違いは、やはりその対処作用及び適用法規の性質的違いに端的に立ちあらわれているのではないかというふうに考えます。
 大規模テロリズムあるいは国際的なテロリズムにつきましてもちょっと検討しているところでありますけれども、この点に関しましては、私自身、今現在、確固たる解釈学説を提示できる状態にはありません。
 ただ、解釈というものを考えた場合に、その解釈の連続性、漸次の変化という要素というものが解釈に求められるとすると、大規模テロリズム、国際的なテロリズムをもって直ちに自衛権発動の要件の一つとされる武力攻撃に該当する、そういう解釈を導き出すことは、しばし私としてはちゅうちょせざるを得ない、もう少し解釈の連続性、漸次の変化といったようなものも考慮に入れて検討しなければならないのではないかというふうに考えております。
 それから、四番目でありますけれども、非常事態法制の根源をなすものということでありますが、非常事態法制は、立憲主義を守る非常手段的憲法保障とも言われております。
 立憲主義を一言で申し上げますと、権力抑制原理と語ることができるわけです。近代的な個をその中核とする近代立憲主義に限って申し上げますと、個人の権利、自由を確保すべく成立した憲法原理であるというふうに解されます。
 そういうふうなことをかんがみ、そして現行憲法に目をやりますと、現行憲法の十三条前段は「すべて国民は、個人として尊重される。」というふうに定めまして、個人主義的世界観を表明しております。個人主義的世界観といっても、個人主義自体が多義的でありますから、多様な解釈の余地があることは否定できないところであります。けれども、個人主義は、各人は本来何者にもまさって尊重されるべきである、すなわち、初めに個人ありきというイデオロギーととらえることができるわけです。
 このような個人主義的理解に立ってみれば、まさに社会契約論というのは、個人主義を前提としての個人に対する国家支配の正当化論と位置づけられることとなるわけです。かくして、国家は、個人の生命、身体、財産を保護してこそ、その支配の正当性を主張することができるのであるというふうに考えます。
 してみますと、国家の大義とは何であるかというと、国民個々の生命、身体及び財産を保護することにあるのだ、個人としての尊重というのは、少なくとも個人が物扱いされないことを意味するというふうに解されます。
 終わりに当たりまして、ちょっと一言、時間が来てしまったんですけれども、このたびの一連の有事関連法の成立によりまして、実質的なインナーキャビネット、閣内内閣の創出、それから地方公共団体の長に対する機関委任事務の復活など、統治機構レベルにも変容が見られますけれども、非常事態対処や防衛という問題を考えるに当たりまして、私は、今日、視座の転換が必要ではないかと考えております。
 すなわち、国、都道府県、市町村、国民・個人という流れから、個々の国民・個人、市町村、都道府県、国へという流れに転換してみたらばどうかということです。この考え方は、我が身、我が家族、我が郷土、そして我が祖国の共同防衛はいかにあるべきかといった防衛観の反映でもあり、現行憲法の採用する個人主義的世界観に立脚するものであると考えます。私のささやかな提言というものも、憲法が採用する個人主義的世界観といったようなものに配慮したものであるわけです。
 武器のさなかにあって法は沈黙する、インテル・アルマ・シレント・レーゲスというローマ法の法諺がありますけれども、にもかかわらず、そのときこそ、非常事態、有事法制はその効果を遺憾なく発揮し、国民個々の生命、身体、財産を保護し、国民の政治的統一体としての国家の安全を確保しなければならない。そのためにも、非常事態対処の根拠規範はやはり憲法典に確固たる形で盛り込まれるべきである。それが憲法典を否定するものとは考えがたい。さもなければ、国家の不文の法理の名のもとに、憲法典が無視され、葬り去られる危険性があるのではないかというふうに考えております。
 危機にたわみ、危険が去れば復元する、さながら柳に風のようなしなやかなイギリスの軟性憲法のあり方にも意を払いまして、憲法典の復元力とは何かを考慮しつつ、本日のテーマは探求していくべきものと考えております。
 国家と個人の共生は、言うはやすく行いがたいところがございます。この難問の解答を求め、模索し続ける宿命を負う者、それが憲法学者であり、防衛法学者であると私は考えております。
 時間をちょっとオーバーしましたけれども、以上で私の陳述を終わらせていただきます。
 ありがとうございます。(拍手)

発言情報

speech_id: 115904185X00320040325_002

発言者: 小針司

speaker_id: 11032

日付: 2004-03-25

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会